風を道連れに

☆あるボッチローディーの独り言☆

リハビリライド

 

里山が新緑に包まれる季節になってきた。

山歩きを楽しんでいた頃は、5月はそれまでの低山歩きから高山へと山行形態を替える時期であり、次なる高山への期待感に不思議と心躍ったものだ。

真近に迫った5月連休には、その木々の若々しい色彩に誘われて山路を辿る人達もさぞかし多いことだろう。

だが、既に山から遠ざかってしまった小生がそのワクワク感を味わうことは今は無く、それ故に鮮やかな新緑を目にすると少しだけ寂しい気持ちにもなる・・・。

 

さて、今日は久し振りに木曽川サイクリングロードを走ることにしたのだが、その理由は先日のプレライドでの走りにある。

2か月振りに外をバイクで走れると云うことで喜び勇んで出掛けたのは良いが、30分も走ると息は上がるし腕は怠くなる、更に太腿も張ってきて思う様にスピードが上げられない体たらく。

要は筋力も体力も予想以上に衰えており、従来の走りが出来ない身体になってるということだ。

「やっぱりな・・・」と己が不摂生の結果を認めざるを得なかった。

そんな次第で、此処しばらくはリハビリ目的のライドに徹しようと決めた訳だ。

 

De RosaのタイヤにAirを入れてから(最近はこれだけで息が上がるから世話は無い) いつものルーティンで空を見る。

「雲は多いが崩れる心配は無さそうだ」と確認した後「さぁてどう走るか」とルートを頭で思い描き、まずは濃尾大橋に向けて南下することに決めた。

 

居宅を出てしばらく走り広い場所に出ると、北西からの3m/sほどの追い風でバイクの スピードが楽に上がる。

その軽快な走りで気分が暫時高揚したが、直ぐに「この風少し嫌かも?」と思い直して今度はチョットだけ暗い気分になった。

今日はルートが東西に長く後半は向かい風を受けての走りとなる「まぁ仕方が無いか」と諦めた様に独り呟いた。

 

濃尾大橋で木曽川を愛知県側に渡り左岸堤防道路を今度は北上する。

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堤防道路から西方を望む(対岸は岐阜県

左下の河川敷にはサイクリングロードが敷設されているが、此処も昨年から一部区間が工事中で走行できない。

見たところ大規模な工事でも無さそうだが、いつまでも終わらないのは「コロナ対応に予算が回された所為かも?」と思うのは下衆の勘ぐりか・・・。

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しばらく走って木曽川サイクリングロードに入る(一宮市奥町付近)

尾濃大橋の手前でサイクリングロードに合流し、一部堤防道路区間を挟みながら木曽川橋まで一気に走って来ると、脚に疲労が溜まって休みたくなってきた。

まだ1時間も走ってないのに我ながら「不甲斐ない」の一語に尽きるが、これが現実と受け入れるしかない。

新木曽川大橋の上流側に設けられた休憩場所で休むことに決め、残り2.5kmほどを太腿の疲労を感じながら「この我慢が筋肉強化になるんだ」と嘯きつつ走った。

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川べりの休憩スポットで疲れを癒す

金華山に連なる山並みと木曽川の流れに疲れを癒しながら10分ほど休憩して再び出発。 

此処から先しばらくは遠くが見渡せる堤防上を行くので、このサイクリングロードの中で小生が最も好きな区間だ。

広い視界の走路を上体を起こし風を受けて走ると、無心の筈の身体を何か充足感に似た感覚が満たす。

視線の先にあるのはいつもの見慣れた風景であることに相違は無いのだが・・・。

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視線を左に送ると遠くに残雪輝く御嶽山が見えた

極楽寺公園横の坂を気持ちよく下り河田橋辺りの走路を快適気分で走っていると、背後から1台のバイクが小生に迫りそして追い越していった。

別に対抗心があった訳では無いが、スピードは速くないと思われたので少し離れてから追走しようとペダルを踏む脚に力を込める。

しかし、しばらくは等間隔を維持しながら走れたが、徐々に息が上がり付いて行くのが辛くなってきた。

サイコンのスピード表示は30km/hr前後で、少し(2か月ほど)前まで小生がこの辺りを走っていた時の速さとほとんど変わらない

このスピードが維持できないなんて「心肺機能も随分衰えたなぁ」と自虐気味に呟き、ケイデンスを少し下げて追走するのを止めざるを得なかった。

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いつも30km/hr超で走っていたところだが・・・

My paceに戻して走ること数km、普段は次第に治まる疲労感が意に反して徐々に蓄積 していき、25km/hr前後のスピードを維持することさえ難しくなってきた頃、ようやくすいとぴあ江南の展望タワーが真近に迫ってきた。

ここを走る時は大体この先の扶桑緑地公園まで行って折り返すのだが、今日はそこまでの往復3kmが辛い様に思われて走る気にならない。

「此処までにしよう」と迷うことなく決めて、展望タワーの先でバイクを反転させた。

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すいとぴあ江南展望タワーで折り返すことにした

休みたいが30分も走っていないのでまだ早過ぎる「138タワーまでは我慢しよう」と 自分に言い聞かせて走り続けるが、時折その思いを挫く様に向かい風が強く吹き付けてバイクを停めようとする。

誰かを恨みたいが恨む相手など何処にも居やぁしない「我慢比べだ」と独り愚痴るしか無かった。

疲労と向かい風に抗いながら遅々(20km/hr前後)としたスピードで我慢走行を続けること約20分、何とか138タワーの休憩場所に辿り着くことが出来た。

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 河川敷を吹き抜ける風は強い       辿り着いた138タワーで一休み

 チョット長めの休憩(15分ほど)で大分疲労は取れたと思ったが「そうは問屋が卸さ ない」しばらく走るとまた脚と腕の疲労感が戻ってきた。

「この調子じゃ長い距離は走れないなぁ」帰路は羽島経由の遠回りを予定していたが、笠松からの短縮ルートに変更と決めた。

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木曽川橋の休憩スポットにて

結局、木曽川橋の休憩スポットで3回目の休みを取ってショートカットで帰宅。

今日の反省になるが、走りを見る限りリハビリライドも良いけど、それよりローラー台でのトレーニングが必要みたい・・・。

 

 

 

プレライド

 

花粉症に加えて左足首の変形性関節症と同足裏のケガで、あまり動かない生活を2か月ほど続けたため、腹周りが見た目にも無様な様態になってきた。

サイクリングジャージは身体の線がモロに出るので、この狸腹は何とも隠し様がない。

「しばらくは人目に触れない田舎道ばかりを走るかなぁ」などと、ガラにも無く体裁を気にして独り悩む今日この頃である・・・。

 

さて、雨後のスッキリしない天候も回復して4月下旬の清々しい青空が広がったので、長い禁足令を自ら解いて久々のライドに出掛けることにした。

今日はプレライドだから「行先は定めず気の向くままに50kmばかりを走ってみよう」と身支度を整えながら決めたが、はてさてどんなライドになるのやら。

 

Lapierreに跨りユックリとペダルを漕ぎ出すが、久し振りの感触に左足のビンディングが上手く入らない。

昨夏に、歩く時の足首の痛みに耐えかねてシューズ(とペダル)をSPD-SLからSPDに 替えたが、半年以上経つのにいまだ一発でカチッと固定できないことが頻り。

市街地の走行ではビンディング脱着が結構頻発するので、上手く出来ないとそれだけでストレスが溜まる「早くコツを掴まなくっちゃ」と思うのだが・・・。

 

居宅から西方向に向かって走り、長良川に突き当たると今度は河川敷内の道を川上に 向かう。

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長良川左岸河川敷道路を走るのは久し振り

「このまま金華山の麓まで行き鵜飼い大橋を渡って山沿いを北上するか」と走りながら当面の走行ルートを決め、少しだけ前傾姿勢を強めてケイデンスを上げると、頬を撫でていく風が小生の気分をチョットだけウキウキさせた。

しかしそんな高揚した気分も束の間、河渡橋の手前で視線が前方にある工事中の看板を認め、更に通行止めのフェンスが道を遮断しているのを捉えると、思わず「マジかよ」の言葉が口を突いて出る。

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昨年からの橋梁補強工事がまだ続いていた

昨年秋口に始まった工事はこの3月末には完工だった筈、てっきりその心算でここまで走ってきたが、何とまだ工事が続いていたとは・・・。

「どうしよう?」しばし考えて出した結論は「北がダメなら南だ」とばかりに180度の方向転換、長良川沿いを川下に向かって走ることにした。

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穂積大橋から見る長良川下流方向の眺め

穂積大橋で長良川を対岸に渡り、天王川沿いに伸びる間道を墨俣へと走る。

それにしても二の腕が変に怠いのは、前傾を支える背中から腹にかけての筋肉が衰えて上腕で身体を支えようとしているからだろう。

ローラー台にも乗らず怠惰に過ごした2ヶ月余りが今更ながら悔やまれる。

怠さに耐えきれず上ハンに手を移すと随分楽になったが、もう少し走れば墨俣城だ。

まだ走り始めてから30分ほどしか経ってないが、着いたらチョットだけ休もうと気弱に決めた。

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   墨俣へと続く間道           墨俣城を眺めながら小休止

木洩れ陽が走路を照らすサクラ並木の道を南へと辿る。

3週間前ならチラチラ舞う桜を愛でながら走れたが、葉桜となった今は散歩する人影もない静かな道だ。

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優しい木漏れ陽が注ぐ桜並木の道

さて、これからどうしよう?「真っ直ぐ進むか右に折れるか」あれこれと思いを巡らす内に不意に「牡丹」というKeywordが浮かんだ。

(先日「牡丹の花が見頃を迎えている」とTVのニュース番組が伝えていたから?)

「そう云えばこの近くに牡丹園が在ったよなぁ」まだ行ったことは無いが、地図で見た朧げな記憶では名神高速安八ICの近くだった様な・・・。

「よぉーし、牡丹園に行くぞ」と決め、走行ルートを頭の中で思い描く。

 

東海道新幹線の高架をくぐりしばらく南進してから西に進路を変更。

少し走ると、何やら工業団地の様な区画に入り込んだが、左に折れ右に折れして構わず進むのが小生の流儀で、大体これで目的の場所まで行けるから不思議だ。

多分、山で鍛えた方向感覚と地形を見る目が役に立っているのだろうと思う。

それから数分後、前方に灌木が生い茂った所を発見、あれが目的の牡丹園に違いないと確信しペダルを踏む脚に力を込める。

 

しかし、着いた所で施設の看板を見てびっくり「百梅園」とある。

「あちゃ~牡丹じゃ無く梅だったぁ」ついにボケが始まったか?何故か梅園を牡丹園と思い違いする大失態である。

そう云えば此処を地図で調べたのは1昨年の冬、そこに思い至ればこの恥ずかしい間違いは無かったかも知れない・・・。

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訪ねた先は季節外れの梅園だった「トホホ・・・」

川べりに設けられたベンチに腰かけて小休止をとってから平田リバーサイドプラザに 向けて出発する。

少し風が出てきたが、北北西から吹くので進行方向に対しては無風に近い楽な風だ。

車通りの少なそうな道を選び、右へ左へと適当に折れ曲がりながら20分くらい走って クレール平田(道の駅)に到着すると、まずはトイレで小用を済ませる。

 

堤防下のリバーサイドプラザは3月~11月にかけて月次開催されるクリテリウムの会場で、カテゴリー別の各クラスではアマチュアといえども相当ハイレベルなレースが展開されるらしい。

しかし、そんなものに出ようと露ほども思わない小生は、時々誰もいないコースを独り走って悦に入ってるだけだ。

今日もコースを2周した後、疲れを癒すようにタンポポの群れる草ッ原に寝そべって、唯何となく空を見て過ごした。

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草ッ原で寝転ぶと暖かい日差しについ眠くなる・・・

「さぁぼちぼち帰るとするか」と草ッ原から上体を起こしながら独り呟く。 

帰路は羽島を通り、見頃を迎えたと聞いた「竹鼻別院のフジ」見ていくことにした。

一つくらい旬のものを見なくちゃね・・・。

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帰り道に訪ねた竹鼻別院のフジ



 
 

ライド再開に備えて

 

大気汚染物質の鉛が花粉症を悪化させていることが判ったと名古屋大学福井大学の 共同研究グループが発表した。

「やっぱりそうかぁ」と、以前から大気汚染と花粉症の因果関係を確信していた小生は一人合点したのであるが 、それによれば「花粉の飛散量が増えると大気中の鉛が花粉に付着し易くなり、花粉症で鼻の中が炎症を起こしている人がそれらを吸い込むと、鉛が鼻粘膜に蓄積されて症状が悪化する」らしい。

さて、小生の花粉症であるが、4月も中旬を迎え「もうそろそろ善いかな」とマスクを外して屋外で短時間雑用をこなしたが、クシャミと鼻汁の症状が出てやっぱりダメ。

「今週も外遊びは自粛かな」と苦渋の決断をせざるを得なかった・・・。

 

もう2か月ほどロードバイクに乗ってない。

来週ぐらいからライドが可能になるとして「チョット整備をしておく必要があるな」と気付き、早速整備に取り掛かることにした。

手持ちのバイクはライド用としてDeRosa Idol・Lapierre Xelius・Varacan specialの3台とローラー台専用にCorratecの計4台

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DeRosa Idol                Lapierre Xelius
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   Varacan special            Corratec(ローラー台専用)

 

前に整備した時からは半年ほど経っているので、 それぞれに次の内容の整備を施すことにした。  

・チェーンの汚れ落としと注油

・チェーンリング/スプロケットの汚れ落とし

・電動シフト/ランプ類の充電

・前後ディレイラーの変速確認と調整

・スピード/ケイデンスセンサーの電池交換

・フレームの汚れ落とし

取り敢えずこのくらいやっておけば久々のライドでも問題は起こらないだろう・・・。

 

まずはチェーンの汚れ落としと注油。

中性洗剤を浸けたスポンジと歯ブラシでチェーンを洗う手もあるが、小生は専ら洗浄器にチェーンディグリーザーを入れてクルクル廻す派。

チェーン自体そんなに汚れてないのでこれで十分綺麗になるし、何より簡便に済むのが良い。

洗った後は洗浄液をウェスで綺麗に拭き取り、チェーンのリンク毎に潤滑油を差して 馴染ませれば一丁上がり。

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チェーンディグリーザーで洗浄          潤滑油も忘れずに

次はチェーンリング/スプロケットの汚れ落としだ。

チェーンリングは、洗浄液を浸けた歯ブラシで歯先部分を洗ってウェスで汚れを拭き 取れば終わりだが、スプロケットはホイールに着けたままだとギア間隙の汚れが落とし難いので、多少手間だがホイールから外して洗浄することにした。

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バラしてディグリーザーで洗浄        綺麗になったスプロケット

結果的には4台ともあまり汚れては無かったが、ギアの1枚1枚を洗うことで気持ち的にはスッキリしたことは確かだ。

 

DeRosa IdolとLapierre Xeliusは変速系が電動(Di2)なので内臓バッテリーの定期充電は忘れてはいけない作業だ。

2か月近く放置していたから自然放電していることは間違いない、2台とも電池残量が50%を切ってないのは確認したが、取り敢えずfull充電しておくことにした。

(過去に2度走行中にバッテリー切れを起こしたことがある。1度目は充電を怠っての 失敗だったが2度目はフレーム内での配線の漏電が原因の電池切れだった)

ついでなのでサイコンとヘッド/テールライトのバッテリーにも充電しておいた。

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Di2内臓バッテリーを充電        ついでにサイコンも充電

続いては前後ディレイラーの変速確認。

Lapierre Xeliusは、Front Rear共ディレイラーの動きはスムーズで変速に問題なし。

一方DeRosa Idolは、Frontは問題無いがRearは相変わらずTopギア(11T)にだけ変速 しない状態が続いている。

小生の走りでは全く支障は無いのだが、変速しないギアがあるのはどうも癪に障る。

「良い解決方法はないものか?」と時折Net検索してみるが、今だにこれはという解決方法はUpされて来ない「誰か解決方法を教えてくれぇー」・・・。

 

Varacan specialはバラ完した車体なので流石にDi2の採用は断念し、ワイヤー変速の105で組み上げた代物。

Di2と違って時折変速機の調整が必要になるのが頭痛(素人には変速機の調整は難敵)の種。

今回もワイヤーが初期伸びしたらしく、RearでLowギアに入らない状態になっていた ので、アジャスターを1回転させてワイヤーを引っ張ったら難なく入る様になった。

「やれやれ一安心」といったところだ。

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Lowギアが入らなかったが・・・        アジャスター調整で解決

スピード/ケイデンスセンサーの電池は昨夏に交換しているので、まだ電池寿命は尽きてないと思うが、電池自体は安いものなのでこの際交換することにした。

これでセンサーの突然の電池切れによるトラブルは当分の間は回避できるだろう。

 

予定の整備項目をチンタラ(老齢なので仕方ない)とこなし、後は各車体を拭き上げるだけ。

数ヶ月前にフレームを自前でガラスコーティング処理したので、汚れや埃が落ちやすい気がするのは気の所為か?

そんなことを考えながらVaracan specialのフレームをタオルで拭いていた時だ。

シートチューブを握っていた素手が変な感触を感じた「あれ?この縦長のひっかかりは何だ?」こんな所にシールは貼ってない筈と目を凝らしてその箇所を見ると、7cmほどの長さの白い線がクッキリ。

詳しく観察するまでもなく「明らかに亀裂だ」と判った。

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シートチューブの中ほどに縦長の亀裂が・・・

心当たりはあった。

このフレームはシートポストを同チューブに固定するクランプ部の設計が悪く、固定用ボルトを強く締めても、シートポストが徐々に下がってサドル適正位置を保持出来ない不具合があった。

そこで苦肉の策として、シートチューブ内に突っ張り棒を入れポストの沈下を防ぐことにしたが、以来ライド中に時々「パキッ」と何かが割れる様な音がすることがあった。

シートチューブに負荷をかけてるな」とは思っていたが、まさか亀裂が生じるほどの負荷だったとは。

このまま乗り続ければ、いつか大きな破断が生じて事故に繋がりかねない。 

かと言って原因の突っ張り棒を抜くと、シートポストが下がってサドル高さが維持出来ない「こりゃぁダメだな」フレームを廃棄するしか手は無さそうだと結論した。

真似っこに陥らないフォルムが気に入って買ったフレームだったが、まだ細部の設計にまで配慮が行き届かないのが中華フレームの現状ということなのだろう。

まぁ仕方が無い此処はスッパリ諦めるとして、今度はどんなフレームをリサーチして みるかなぁ・・・。

 

 

 

初めての自転車旅

 

今日は朝からの雨模様で少し肌寒く「前日までの季節外れの暖かさは何処へいった」という感じだが、まだ4月初旬と思えばこの気温は「然もありなん」と納得する。

散り始めた土手のサクラもこの雨で一気に花びらを落とすと思うとチョット寂しいが、それは人間の勝手な感傷であり、桜木にとっては新緑にむかう生々流転の一コマに過ぎない。

木々が芽吹けばあと少しでライドが愉しい季節の到来だ・・・。

 

小生が自転車に乗り始めたのは小学2年生の頃だったろうか?

今ほど物質的な豊かさを誰もが享受出来る時代では無かったから、兄貴のお古の自転車に片側だけ補助輪を付けて貰い独り黙々と自走練習した結果、1週間ほどで補助輪なしで乗れる様になったという朧げな記憶がある。

中学3年生の時には内装3段変速のスポーツ車(当時の流行り)を買って貰い、高校の 3年間は8km離れた学校への通学や普段の遊びの足として大いに使った。

確か高2の時の夏休み前だったと思う(50年近くも前のことで記憶が定かでない)が、 学校帰りに友人の一人が出し抜けに「夏休みに自転車で諏訪湖に行かないか?」と言い出した。

何故諏訪湖なのかと聞いた覚えは無いが、多分彼には過去に家族と其処を訪れた愉しい思い出でもあったのだろう。

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涼やかな風が心地よい夏の諏訪湖

小生はそれまで諏訪湖に行ったことは無く「suwako」というその美しげな音の響きから魅惑的な湖畔の風景を連想して俄然乗り気になり「良し行こう」と返事をした。

家に帰り、地図帳を開いて諏訪湖の場所を確かめてみると、岐阜からは直線で140km あまり、道を走ると200kmは優に越えそうな距離があった。

「随分遠いな」とは思ったが、1日100kmを走れば中1日の遊び時間を入れても4泊5日 あれば充分「出来そうだな」其処は恐れ知らずの若気の至りで無理とは思わなかった。

翌日、言い出しっぺの友人ともう一人参加を表明した友人の計3人(3人寄れば文殊の 知恵、2人では心もとないが3人いれば何とかなる)で計画の概略を話し合って決め、 突然の思い付きは実行に移されることになった。

 

夏休みに入って10日ほど後、午後の暑い日差しが西に傾きかけた頃に集合場所の公園に3人が集まった、今から思うと不思議だが何故か夕刻に出発する計画だった。

(多分、夕刻に発って途中で数時間仮眠すれば、翌日の夕刻には諏訪に着けるだろうという至極安易な考えがあったと思う)

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愛用の自転車に荷物を積んで集合(image)

 各自が愛用の自転車の荷台に荷物(簡易テント・寝袋・替え下着・食料etc)を入れたリュックを括り付けており何れも恰好は様にならなかったが、それより気になったのが自転車全体の重さ。

あの頃のスポーツ自転車は車重が20kgほどもあり、それに10kg近い荷物を載せている からTotal 30kg超で取り回しがとても重かった。

「大丈夫だろうか?」各自が内心不安を抱えながら(と云うのは小生の憶測だが)も、それは噯にも出さず笑顔で出発、まずは犬山を目指す。

 

どの道を辿って犬山まで走ったのか今では全く思い出せないが、ともかく太陽が西方の山並みに沈み込む頃には、右手に犬山城が望める所まで来ていた。

犬山は濃尾平野の東北端に位置し、此処から先しばらくは木曽川に沿って走る山間の道(R-21)だ。

暗い夜道を自転車の前照灯を頼りに走るのは何とも心もとないが、断続的に通る車の  ヘッドライトが我々3人を照らし出し、束の間だけホッとした空間を演出する。

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夜道の走行は心もとない・・・

2時間以上走ってきたのでそろそろ休憩を取りたいが、コンビニなどと云った便利な物が無い時代だから、停まって疲れを取る場所など何処にも無い。

ようやく美濃加茂の街中で街灯に照らされたスペースを見つけて休むことが出来た。

 

美濃加茂木曽川と一旦別れると、道はそれまでの平坦路から極々緩い(1%)登りが延々と14kmあまり続く道へと変わる。

多少のUp Downを繰り返しながら道は徐々に高度を上げるので、重い車体のペダルを 漕ぐ脚の疲労は着実に蓄積していったことを、この時は誰も気付いていなかった。

御嵩を過ぎると町並みも途絶え、遠くぽつぽつと見える人家の明かりだけが頼りの山間の道を時折声を掛け合いながら進む3人。

その不安を裏打ちする様に夜のとばりが彼らをスッポリと包み込んだ。

 

やがて道は鬼岩の峠越えに差し差し掛かった。

160mの高度差を4kmほどで登る最大斜度が約7%の坂で「初日の最大難所だな」と3人 で話し合っていたところだ。

序盤は斜度も緩くギアを3段変速の一番軽めに落とせば難なく走れたが、進むに連れて斜度は上がり次第に太腿に負荷を感じる様になった。

「きついなぁ」とお互いに声には出すが3人共まだ余裕のある声、しかしそれもやがて「ハァ・・ハァ・・」の喘ぎ声に変わる。

前方を照らす前照灯の明かりが右に左に揺れはじめ、立ち漕ぎで懸命に前へと進もうとする友人の姿を映し出す・・・。

それから数十秒、太腿の疲労が耐えきれなくなり「もう駄目だぁ」と観念した時、以心伝心した様に前を走る友人が突然停まり、後続の友人も停まった。

「疲れた・・・」お互いを慰めあう様に声を交わしてしばらく休憩するが、疲労困憊 した体力気力は容易に回復せず、其処からは自転車を押しての登りとなる。

峠まではあと1kmほどある、自転車を押しながらトボトボ歩く3人を上天の月が明るく照らし出していた。

 

やっとの思いで峠を越えると今度は4kmの長い下り。

重い車体にハンドルを取られないよう慎重にブレーキングしながら坂道を駆け下って いくと、突然眼の前に「漆黒の大地に瞬く星々」の如き絶景が広がった。

この時に目に焼き付いた土岐市街の夜景は、今でも目を閉じると脳裏に浮かぶほど綺麗で鮮明だった。                               (これが脳内で創られた画像の可能性が高いことは十分理解しているが・・・)

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今も脳裏に残る土岐市街の夜景

土岐からはR-19を東に向かって走る。

名古屋と長野を結ぶ主要国道だけに夜でも車の交通はかなりあるので、暗い夜道を走る不安感は少し薄れた。

しかし道は相変わらずのUp Downを繰り返しながら徐々に高度を上げる緩い登り道で、土岐の海抜は140mほどだが、この先の恵那は280m 中津川は360mと段々高くなる。

更に進めば南木曽415m 木曽福島820m、R-19最高点の鳥居峠トンネルは995mの海抜がある。

先ほどの鬼岩の峠越えでさえあの体たらくだ、これらを越えていくには相当苦労する だろうと思われた。

 

それはさておき、その時我々3人の頭を占めていた思いは、その日の寝場所の恵那峡に何時頃着けるかだった。

計画ではPM11時前には着いてテントを張って・・・だったが、腕時計を見ると時刻は既に10時半過ぎなのにまだ相当距離を走らなければ恵那峡には着けない・・・。

Up Downを繰り返す走りに疲れ果て休憩を挟みつつノロノロと走った結果、恵那峡に 着いたのは結局AM1時少し前。

簡易テントを手早く設営して疲れた身体を寝袋に滑り込ませると、愉しいはずの友との語らいもソコソコに忽ち深い眠りに落ちた。

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恵那峡木曽川の流れを湛えたダム湖

鳥のさえずりに目を覚まし、テントを抜け出して朝もやに包まれた川岸に腰かけて独り物思いにふけっていると2人の友人も起きてきたが、みんな冴えない顔をしている。

各自用意した食料で朝食を摂りながらこれからどうするか話し合うと「もう少し先まで行ってみよう」ということになった「疲れてはいるがまだいけそうだ」とみんなが同様に思っていた。

 

恵那峡からR-19に戻り中津川に向かって走ると、正面に遠く中央アルプスの高峰が顔を覗かせ、右手には恵那山が大きく迫ってくる。

前日は目にすることの無かった景色を見ながら走ると、疲労が少しだけ軽減される気がするのは脳内で生じる錯覚の所為だろうか?

中津川を過ぎると道はいよいよ木曽谷へと入っていく。

木曽路は全て山の中である」藤村が小説:夜明け前で書いた様に、昼なお暗い谷筋の道を走ると心細さが募ってくる。

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馬籠宿(此処から木曽路が始まる)

落合を過ぎて坂下辺りの坂道を喘ぎながら登り終えた時だった、友人がぼそりと呟いた「もう帰ろうか」突然のその言葉に小生は素直にコックリと頷いた。

3人が集まって鳩首協議の結果、計画はここで断念することになった。

諏訪湖まではまだ100kmほどもあり今の疲労度からすると走り切れない」それが3人の一致した見解だった。

近くのドライブインで少し休憩した後、踵を返して帰路につく。

気持ちは晴れやかで、疲労も少し軽くなった気がしてペダルを踏む脚にも力が入ったのは何故だろう。

 

その日の夕刻、家に着いて往復200kmの初めての自転車旅は終わった。

元々ずぶの素人には無理な計画だったのかも知れないし、夕方からの出発は完全に失敗だった等々色々反省する点はあったが、それにも増してチャチな自転車を駆ってだが、200km超の距離を走ることが出来たという満足感が、その時小生を実に幸せな気分に していた・・・。

思い起こせば懐かしい小生の青春の一コマである。

 

 

 

 

 

コロナ禍に思う

 

花粉症対策の外出自粛生活に入って5週間が経った。

スギが終わって今はヒノキの花粉が空気中を漂っているが、間もなくこれも下火になるだろうと期待を込めてTVの花粉情報を見ているが、これがなかなか減らずもどかしい 思いだ。

とは言え、小生の場合スギに比べてヒノキの抗体反応は軽目なので、あと2週間くらいすれば久々のライドに出られるんじゃないかと希望的観測をしている。

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こんな高原を風を感じて走りたい・・・

さて、今日はそんな鬱々とした日々を送る中で、少しばかり考えたことを吐露しょうと思う。

 

国内は言わずもがなだが、世界的に見てもCOVID-19が終息の兆しを見せない。

感染者数が漸減しつつあると淡い希望を抱くと一転増加に転じると云う謂わば「イタチごっこ」の繰り返しで、何とも御し難たい病原性ウイルスではある。

しかし冷静に事の本質考えると、問題はこのウイルスにあるのでは無くそれに対処する人間側にあると気付く。

・権利(自由)の侵害だとマスクの着用を忌避する。

・自分は感染しないor感染しても大丈夫だと人混みをつくる。

・社会的規範よりも利己的快楽を優先する。

・従来と同様の頻度様態で近親者等と交流する。etc  

もしこれらの行為の多くを人々が自制出来るならば、コロナ感染者数は確実に減って いくのは間違いない。

 

また行政府の失政もCOVID-19終息を遅らせている大きな要因だろう。

・海外渡航禁止、都市封鎖等の人の移動制限の不徹底。

・感染者(無症状含む)の洗い出し検査(PCR and 抗体)体制構築への消極的なアプ     ローチ。

・感染状況改善への誤った見通しに基づく経済立て直し諸施策の展開。etc

決して中国の様な強権国家を標榜する必要は無いが、パンデミックと云う未曽有の事態にあっては、中国のやり方が「感染封じ込め」に一定の成果を上げている事実は確かにある。

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海外旅行に行ける様になるのは随分と先か?・・・

一方、ワクチン接種が思ったほど進まないのも問題だ。

出遅れ感のある我が国は別として、欧米の国々ではワクチン供給が此処にきてようやく本格化しつつあるが、この感染予防の切り札ともいうべきワクチン接種を、希望しない人が3割ほどもいる(日本も例外ではない)と云う事実には驚きを禁じ得ない。

その理由として「自分は感染しないorしても大丈夫」とか「副作用が心配」とかが上げられているが、その判断が果たして妥当か?ここは一つ冷静になって考えてみるべき だろう。

特に「副作用が心配」と云う声に対しては、接種に伴うそのリスクの内容と発生頻度を正確に伝えて不安の解消に努めることが肝要だ。

例えば、命にかかわる副作用としてアナフラキシーショックが報告(死亡例は無い) されているが、その発生頻度はファイザー製のワクチンで5人/100万人(モデルナ製は 3人/100万人)と、この症状ではハチ刺されや食物アレルギーなどでの事故報告の方が圧倒的に多いことを周知すべきだ。

ちなみに我が国では交通事故で亡くなる人が年間25人/100万人いるし、今般のコロナで亡くなった人はこれまでに75人/100万人に上る。

こういう数値と対照してワクチンの安全性有用性を喧伝することで何とか接種率のUPを図れないものかと思う。 

 

人は往々にしてリスクを過大に捉えがちだ。

それ故に、異物を体内に摂り込むことになる医薬品は、その開発から製造・販売に至るまでの過程で有効性・安全性・品質を保証する様々な規制(通称Gシリーズと言われる GLP:Good Laboratory Practice,GCP:Good Clinical Practice,GMP:Good Manufacturing Practiceなど)が適用され、これらを厳密に遵守して新薬を開発製造することで諸々のリスクの最小化に努めている。

特に安全性については、動物を用いた各種試験(急性・亜急性・慢性毒性試験、生殖 試験、依存性試験、抗原性試験、変異原性試験、がん原性試験、局所刺激性試験)や 治験による人を対象とした有効性と安全性の臨床試験をおこなって、これらをクリア しなければ当局から製造承認の許可が下りないシステムになっており、一般の人が考えているより安全性のレベルは高い。

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こういった医薬品の安全性に関する情報を広く伝えるのも、コロナ時代のマスメディアの役割と言ったらチョット言い過ぎだろうか?

 

数ヶ月前のことだが、睡眠剤が混入した経口真菌剤(水虫薬)を飲んだ人達に健康被害(内2名が亡くなる)が続発するという事件があった。

富山の小林化工というジェネリック薬品製造メーカーが起こした前代未聞の事件だが、

GMPで製造品質の保証が厳守されている(筈の)中での出来事であっただけに、小生 は本当に驚いた。

チョット下卑た言い方だが、ジェネリック薬と云うのは真似っこ薬(新薬開発メーカーの物質特許が切れた後に製造できる類似品)だから、その製造にあたって、新薬開発に 必須のGLPやGCPに基づく安全性確保へのアプローチが不要なため、結果的に安全性に対する企業としての意識付けがスッポリ抜け落ちていたのかも知れない。

こういう事があると医薬品業界全体が不信の目で見られる。

事件を起こした小林化工は当然だが、その不正に気付かなかった当局も猛省して貰いたいものだ。

 

 

ビワイチ 走行編 2日目(完結編)

 

さて、今日は前回の「ビワイチ走行編」の続きにして完結編。

 

ビワイチを大津で中断してから4日後、今日は天気も良さそうなので残りの大津→米原を走って、変則ながらも一周を果たすことにした。

輪行袋にバイクを収納し車に載せて居宅を出発、まず目指すのは今回のビワイチ起点の米原で約1時間の所要。

米原駅前の貸駐車場に車を預けて輪行袋を肩に担いで駅に直行、発車標を見ると8:02の赤穂行きにほゞ待ち時間なしで乗れそう「ラッキー幸先の良いスタートだ」

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米原から大津まではJRで輪行

他の乗客の邪魔にならない様に注意しながら乗降口近くの補助席に座りホッと一息を つく。

ソコソコの乗客で埋まった列車は軽快なスピードで走るが、それでも車窓越しに流れる景色を眺めて過ごすこと40数分、ようやく列車は大津駅に到着した。

 

駅頭でバイクを手早く組立て出発準備は完了、時計を見て時間を確認する「9:16か 好い時間だな」

駅前の坂を北へと下って琵琶湖岸のなぎさ通りに出ると、いよいよ此処からビワイチの再開だ。

まずは瀬田唐橋に向かってバイクを走らせるが、r-102は車の交通量が多く並走はしたくないので、極力湖岸公園内の道と住宅街の裏道を進む。

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瀬田の唐橋を渡って琵琶湖東岸へと進む

 「まずまずの走り出しだ」と独り言を呟きながら、唐橋を渡ってすぐに左折してr-559(さざなみ街道)に入ると、この道も相変わらず車の通行量が多く、この調子だと当分の間は狭い路側帯での緊張した走行が強いられそうだと覚悟する。

小生が狭い路側帯の走行を嫌う理由の一つは身の危険を感じるから(小生も含めてだがドライバーは信用できない、もし脇見運転の車に追突されたり幅寄せされたりしたら たまったもんじゃない)だが、もう一つはなるべくパンクを回避したいからと云うのもある。

路肩には砕けたガラス片や尖った金属片等が無数にあり、チューブ孔なら交換で済むがタイヤが切れたら致命的だ、それだけは何としても避けたい。

 

琵琶湖線のガードをくぐって先に進むと、左手に広がる湖面に幾艘もの漕艇が浮かんでいるのが眼に入る「おっ此処は漕艇場か!」シングル・ダブル・フォアそれぞれの艇が思い思いに湖面を走る姿は爽快で、それを操る若者たちは実に愉し気に見えた。

それを見ながら小生の気分も軽やかになっていくのを感じる・・・。

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湖面には幾艘ものボートが浮かんでいた

r-18の近江大橋をくぐった先からは、側道に幅広の自転車歩行者専用道が現れたので、躊躇なくそちらに乗り換えることにした。

「これで安心して走れるぞ」と呟き、緊張から解放された安堵感をしばし味わう。

 

此処から先は、開けた視界の中を琵琶湖からの吹く風をうけて走る実に爽快な道、周りをユックリ眺めながら愉しく走ることが出来る。

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 風光明媚な琵琶湖岸を走る       視線の先に奇妙な建物が・・・

更に進んで帰帆北橋を越えると、右手前方にシルバーに輝く体育館の様な大きな建物が眼に入る。

「何だろう?何かの公共施設かな?」と考えながら横を通り過ぎたが、実に奇異な建物だった。(後で調べたら某新興宗教の施設だったが、失礼ながら宗教の資金蒐集力恐るべしを改めて実感した)

 

さざなみ街道を軽快に走って烏丸半島(記念公園)を過ぎたあたりから、自転車歩行者専用道を歩く人達が急に増えてきた。

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多くの人達が自転車歩行者専用道に・・・

どうも何かのウォーキングイベントの参加者の様で、専用道を列をなして歩いている事から幅広の道とは言え接触の危険があると判断し、「何事も安全第一!」と自分に言い聞かせて路側帯を走ることにした。

 

それから10分ほど走ると、左手前方に琵琶湖大橋の緩いアーチが見えてきた。

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優美な姿を見せる琵琶湖大橋

4日前に対岸の堅田から見た橋を今日は守山側から見てるということか・・・その時、急に橋を中ほどまで行ってみる気になった、計画外だが大した距離じゃ無い2kmほど 余分に走るだけだ。

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橋上展望台から湖東方面を望む

琵琶湖大橋展望台までを往復してビワイチルートに戻り時計を見ると10:42、大津駅を 予定より15分ほど遅れて出発しており、琵琶湖大橋への寄り道もしたからそれを差し 引くと「まぁ予定通りのコースタイムだな」と手前勝手に納得する。

とは言えチョットだけ急ごうと「鮎屋の郷」を目指してペダルを踏み込んでスピードを上げる、あと5kmほど走れば到着だ。

 

「鮎屋の郷」ではトイレだけ済ませて直ぐに出発。

休憩は短時間でと云うのが山に登っていた頃からの小生の習わしで、バイクでライドに出るようになってからも、休憩は出来るだけ10分以内に納める様にしている。

長く休むと折角運動に順応していた身体が冷えて、元に戻る(調子が出る)のに時間がかかるから、そうなる前に動き出すのが肝だ。

 

この辺りは、右に田園左に琵琶湖の風景がずーっと続くので、その単調な連続に飽きてつい物思いにふけるが、それも自転車歩行者専用道なればこそ、多少気分散漫に走っていてもまず事故ることは無い安心感がある。

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野洲附近のさざなみ街道         グループライドする人達

そんな感じでしばらく走っていると、前方に5~6人のグループライド中らしい固まりを発見。

今日は此処までに10人ほどのローディーに抜き抜かれ対面してきたから、先日走った 湖西に較べると湖東を走る人の数は多いと云うのが実感「これは多分アクセスのし易さと道の走り易さに負う処が大きいんじゃないか」と勝手な推論をしつつ集団に近付く。

多人数を専用道で抜くのは憚られるので、路側帯を走って抜くことにしてスピードを 3~4km/hr上げた。

 

近江八幡運動公園まで来ると正面に長命寺山が大きく迫ってきた。

ルート検討時この山の北を回るか南を回るかで大いに迷い、湖岸沿いの原則に従うなら北回りにすべきとルートに決めたが、果たしてその選択の適否はどうか?

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長命寺山の北回りルートは閑静な道だった

結論から言えば北回りは大正解、人里離れた雰囲気の漂う閑まりかえった道を独り黙々と走れば、その昔、山を単独行していた時に感じていた様な妙な安息感に浸ることが 出来る。

こんな時他人は何を考えるんだろう?小生の場合は「何も考えない」のだが・・・。

 

能登川で再びさざなみ街道(r-25)に合流して6kmほどを辿るが、彦根市柳川町からは湖岸に面した閑かな町並みの道に走路を替えて走る。

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湖岸沿いに走るr-25の抜け道

この道はr-25の抜け道になるが、地域住民の車くらいしか通らないので、眺望が開けた場所では松並木越しに琵琶湖を眺めながら走れる至極快適な道だ。

 

八坂町で三度さざなみ街道に合流すると、本日2回目の休憩地の滋賀県立大前コンビニまではあと1km、2分ほど走ると左手に目的のコンビニがあった。

スタンドにバイクを預け時刻を確認すると12:36、道理で小腹が空く筈だ。

昼食は米原に着いてからの予定だったが、此処で摂ることに変更しておにぎりとお茶を調達、イートインスペースで外を見ながら独りノンビリと食べた。

 

約20分休んで13時少し前にコンビニを出発。

此処から米原駅前までは12kmほどの距離、最後の段階でトラブルなんてヘマをしたら元も子もない「気を引き締めなくっちゃ」と自分に言い聞かせた。

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小生の嫌いな狭い路側帯を走る

走路はさざなみ街道だが、この辺りは小生が好まない狭い路側帯の道、多くなった車を避ける様に抜け道を選んだりしながら8.5kmほどを進むと、前方に記憶に新しい琵琶湖に突き出た林が見えてきた。

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さざなみ街道入江橋交差点(米原市朝妻筑摩

あの前が今回のビワイチの始点となった入江橋の信号交差点、隔日の2日がかりになるが一応琵琶湖をグルっと一周して戻ってきた訳だが、何というか疲れと云うものが無いから達成感も無い。

「まぁこんなもんだろう」と諦観した様に独り呟いてハンドルを右に切った。

あとは米原駅前の駐車場に向かって走り、チョット休んでから車でノンビリと帰ることにしよう・・・。

 

 

 

 

ビワイチ走行編1日目 その2

 

先日TVのワイドショーでコロナワクチンの接種遅れが話題になっていた。

日本独特の様々な事情が他国より遅れる要因となっている云々で、行政などの不作為を指摘する内容だったが、一人の出演者が「行政も努力しているから少し見守ったら」という趣旨の発言をした。

「本当にそうかぁ?」と自問したのは小生だけではあるまい。

1月には毎日25万人の新規感染者を出していた米国は、ワクチン接種の効果もあって 感染者が右肩下がりで減少し、現在は6万人ほどになっている。(それでも多いが)

対応が後手後手に回って有効な感染者削減手段を講じられない我が国にあっては、ワクチン接種は一つの光明だ。

1日で50人近くの人命が失われている現実を直視した時、接種の遅れが意味するものは深刻で「少し見守ったら」などと悠長なことを言ってる場合では無い。

最近は若者層を中心に体制や権力に対して「物分かりが良い人」が多くなった。

それが果たして将来を見据えて善い事かどうか?小生は大いに危惧している・・・。

 

さて、今日は前回話した「ビワイチ走行編1日目」の続き。

 

「しんあさひ風車村」のベンチに腰かけ少し長め(15分)の休憩を取って脚と上腕の リフレッシュは完了、気分も新たにバイクに跨って走り出す。

風車街道と呼ばれる湖岸沿いの道には弱い追い風が吹いて廻すペダルも軽やか、左手側からの陽光を浴びて灌木越しに拡がる琵琶湖の風景が目に心地良い。

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 風車街道(新旭付近)         風車街道(安曇川付近)

この道は車の通行量が少ないので安心して路側帯が走れるローディー向きの道と云っても良いが、9kmほど走って近江高島でR-161に合流すると、残念ながらこのリラックス走行も此処で終わる。

 

続くR-161は敦賀と大津を結ぶ幹線道路で、車の通行量が多いのに自転車道が未整備の気持ち的には全然走りたくない道。

先刻走った風車街道とは雲泥の差だが、この先7.5kmの区間は抜け道が全く無いので嫌でも通るしかない。

覚悟を決めて1mに満たない路側帯をはみ出さない様に注意して走るが、大型トラックが直ぐ脇を通ると風圧でバイクがフラれるし、高速で直近を追い抜いていく無神経な車もいてヒャっとすること頻り。

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車の通行量が多いR-161          絶景ポイントの白髭神社も通過

こんな危険な道は早く通過したいと脇目も振らずにスピードを上げるので、白髭神社の絶景(湖面に建つ鳥居)ポイントもチラ見しただけで通り過ぎてしまった。

そんな感じの緊張の走りが約15分、視線の先にr-307への分岐の目印(コンビニ)が 見えてホッと一息をつく。

 

小松からはJR湖西線に沿う様にして延びるr-307を南へと辿り、志賀でr-321へと接続 して蓬莱まで走る。

前半は町並みから田園更に鉄路へと次々変わる景色を愉しみながら進む郎景の道、後半は琵琶湖岸に面した細道を遠く霞む遠景を愛でながら進む佳景明媚の道だ。

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田園風景の中を進む(r-307比良付近)      湖岸風景を走る(志賀付近)

先を急ぐライドでは無いと、ギアを中速にケイデンスも落とし23~24km/hrのスピードで走っていると、気分も穏やかになってつい好きな歌を口ずさんでいた・・・。

 

蓬莱からはr-558を走るのがビワイチ正規ルートだが、車との並走は極力避けたい小生はルート検討時に見付けた抜け道(4.5km)へとハンドルを切る。

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蓬莱からは湖西線沿いの抜け道へ

湖西線沿いに走るこの道は和邇からは街中の走行となるが、予想通り車はあまり通らず抜け道の選択は大正解だった。

12分ほども走って小野でr-558に合流すると、3回目の休憩場所「びわ湖大橋米プラザ」まではあと2.5kmを残すのみ、ここは我慢して走るしかない。

 

米プラザに着いて時計を見ると13:12、米原駅前の出発が予定より10分ほど早かったので、ほゞ設定時間通りに走ってきたと云う訳だ。

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 米プラザで昼食兼休憩         裏手には琵琶湖大橋が・・・

「よーし昼めしにしよう」と独り呟いてレストランに向かい、食券を買って席に着く。

平日なので空いており何気に辺りを見廻すと、丁度先客の2人連れローディーが食事を済ませて出ていくところだった。

こんな時間に此処にいると云うことは「キタイチか?」或いは「今朝大津を出てグルっと一周ならかなり速い」はたまた「俺を長浜で追い抜いていったあの2人連れか?」と勝手な想像を楽しむ。

 

食事と休憩で小1時間、充分に休んだので意気揚々ゴールの大津に向けて出発。

あと18kmほどの距離なので、取り敢えず近くの浮御堂(近江八景の一つ)に立寄ってからと計画変更した。

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近江八景の一つ満月寺山門         湖面に建つ浮御堂

浮御堂からは、当初の計画通りr-558の抜け道のある湖西線高架下を目指し、感を頼りに西に向かって走る。

路地をくねくねと走ってr-558に突き当たると、その向こうに鉄道高架らしき構造物が 見えたのでひとまず安心、あの下にr-558と並行して走る抜け道がある筈だ。

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湖西線高架下の抜け道(堅田)       街中を縫って進む(雄琴旧道)

この道は住宅の中を縫って坂本まで続くが、信号が殆ど無い(5kmの区間に3つ)ので22~23km/hrのスピードで安定して走り続けられるのが好い。

他方r-558を走る場合、信号が多くあるので多分停まってばかり(信号機は車の流れを 優先して調整されているのでスピードの遅い自転車は信号に捕まる頻度が高い)でストレスが溜まる事請け合い、車と競合してまでそんな道を走りたくはない。

 

坂本からは、湖西線高架とR-161高架に挟まれた2車線の幅広道を快調に飛ばし、更に湖西線高架下の道約4kmの距離を南に詰めてJR大津京駅前に出る。

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  下坂本付近の2車線道         湖西線高架下の走路(南志賀付近)

堅田から走ってきたr-558の裏道(抜け道)は此処が終点、道を左に折れ300mほど先でr-558に合流して混雑した道を大津駅へと向かう。

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大津駅に到着(輪行米原へ)

十数分後、大津駅舎の壁にバイクを預け時計を見ると15:16「ほゞ予定した時刻だな」と満足げに納得して、早速輪行の準備に取り掛かる。

輪行はこれが初めてだが、輪行袋へのバイク収納は事前に2度練習したから問題なし、15分ほどでバイクは輪行袋に収まった。

「さぁて何時の列車があるかな?」と構内の発車標を見ると米原方面は15:40発であと8分もない、輪行袋を肩に担ぎ「急がなくっちゃ」と駆けだした。

これで多分18時には居宅に帰り着ける・・・。

 

 

次回は「ビワイチ走行編 2日目(大津から米原)」の予定です。