風を道連れに

☆あるボッチローディーの独り言☆

カレーを食べながら

 

今朝は変な夢をみて目が醒めた。

”何か?の夢から目醒めて「あれっ、これと同じ夢を何度も見ているぞ?」と不思議に思うのだが、これが実は夢で、その夢から醒めて「なぁんだ、夢だったから何度も同じ夢を見てると思ったんだ」と思って安堵するが、これもまた夢だった”という”夢の中で夢を見る夢を見た”何ともややこしい夢だ。

夢にはその人の深層心理が表れるという心理学者がいるが、もしそうならこの夢は小生のどんな心理の表れなんだろう、恐れか希望か?

まぁ1夜に3~4回は夢を見ているらしいから、その一つひとつに意味付けをする必要は無いのかも知れない。

多分、睡眠中に脳が局所的に活性化して、ランダムにニューロン同士を結合させているだけなんだろう・・・。

 

さて、今日は木枯らしが吹くチョット嫌な天候なので、何処へも行かない心算でいたが「昼にカレーを食べに行こう」と家内が言うので出掛けることにした。

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外観は喫茶店のようなカレー屋さん

ちょくちょく行くそのカレー屋は、シェフがネパールの人(と小生が勝手に思ってる)で、美味しいカレーとナンそして熱々のチャイを出してくれる。

値段は2カレー(10種類から選ぶ)+ナン(食べ放題)+タンドリーチキン+サラダ+ソフトドリンク(チャイorコーヒーorジュース)で950円とリーズナブルだ。

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ご飯もあるがやっぱりこのカレーにはナンが合う

こざっぱりした店内(インドらしくもありらしくもない)でナンを片手にチキンカレーを啜れば、頭の片隅に仕舞い込まれた記憶が懐かしくも思い出されてくる。

 

18年ほど前の事、勤め先がインドで計画した現地法人(工場)の建設をサポートする事になり、足繁く(2年半で12回)インドへと通った。

1回の出張は約2週間で、限られた時間でやることは色々あったが、OFFの時間は観光等もしてそれなりに楽しませて貰い、彼の地に関する数々の知見を得た。

 

まずは食事。

「インドに行ったら毎日毎食カレーばかりで閉口した」と云う話をよく聞くが、確かにカレー風味の食物が多いのは事実だが、街中にはマックもあれば中華もあり、ましてやホテルに泊まって食事を摂るのであれば、それほどカレー漬けを心配することは無い。

面白いと思ったのはベジタリアンで、インドには宗教上の理由からそれを実践する人達が多いのだが、同じベジタリアンでも色んな人がいて、完全な菜食主義の人、菜食+卵や乳製品はOKの人、菜食+乳製品はOKの人、普段は菜食だが時々肉食もする人等々と千差万別。

食べ物に禁忌の無い小生には解らないが、彼らは彼らなりに整合した考えの下でそれを実践している様だ。

一つ言えるのは、これらベジタリアンの人達の食べる物は結構辛いという事。

ある時一緒に食事に行き「食べてみるか」と薦められて、ほんの少しを口に運んだが、その辛さにまさしく閉口したことがあった。

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ベジタリアンの食事は結構カラフル

今の若い人は知らないだろうが、小生が子供の頃(随分昔だ)インド人と云えば”浅黒い顔(差別感丸出し)に髭を生やして頭にターバンを巻いている人(男性)”を誰もが連想した。

丁度、欧米人が日本人と聞いて”首からカメラをぶら下げた細目に丸眼鏡の出ッ歯面の男性”を連想する様に。

しかし実際にインドに行ってみると、街中でそんな人はあまり見かけない。

それもその筈この外見はシク教徒の男性の特徴で、この信者はインド全体の2%、男性に限って言えば100人に1人しかいない極少数者なのだ。

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インドの街角風景(ニューデリー

この少数者が何故インド人のステレオタイプになったのか?だが、それにはイギリスの植民地支配が関係している。

シク教徒は裕福で高いレベルの教育を受けた人が多く、しかも勤勉で勇敢という資質を備えていたため、それに目を付けた統治者が官吏や軍人として登用し、海外へも数多く派遣したことから、シク教徒=インド人のステレオタイプがいつの間にか出来上がったと考えられる。

ある時、現地法人の社長候補面接に臨席して人物評定を聞かせてほしいと要請された。

その面接に現れたのが、頭に淡いブルーのターバンを巻いて、顎髭を綺麗に整えたダンディーなAkshay Singhさん。

如何にもシク教徒らしく、自信家としての矜持の中にも人としての誠実さをどことなく漂わせる好紳士だった。

 

インドは近年BRICSの一角として経済の成長が喧伝されているが、その表面的華やかさから離れて、発展から取り残され貧困にあえぐ多くの人達がいる。

交差点で信号待ちをしていると、赤ん坊を抱いた若い女性が「お金を恵んで欲しい」と近寄ってくる事など今の日本では想像だに出来ないが、彼の地ではそれが各交差点毎で見られる日常茶飯の光景?だったし、街外れの一角だけでなく、高級ホテルの裏にさえ粗末なバラック(木板とビニールシートの掘っ建て小屋)の犇めくスラムが拡がる様は、一種の戦慄さえ覚えるほど衝撃的で「正にカオスだな」と唸る風景だった。

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高層ビルの隣にはスラムが拡がる(ムンバイ)

ここからは小生の想像だが、この様な極度の貧困が今も残る背景には、インドの悪弊(と小生は思っている)であるカースト制が大きく関わっていると思う。

下位カーストシュードラ(被支配層)とカースト外のダリッド(不可触民)を合わせた約6億人もの人々が、社会の様々な面で差別・抑圧されて暮らしているが、これらの人達には職業選択の自由は無く、カーストで決められた職業に就くしかない。

それらの職業は不浄なものや重労働に類するもので、この人の嫌がる職業を、低賃金で担っているのが彼らなのである。

日本人である小生は「こんな理不尽がまかり通っていいのか?」と思うが、3,500年に わたって彼の地で連綿と続いてきたこのカースト制は、インド人の心身に深く沁み込んでいる。

いみじくも現地の優秀で良識を備えた社員が小生に言ったものである「下位カーストの者とは一緒に食事は出来ない。何故なら彼らの触れた物は穢れており私は触れられないから」と・・・。

 

 

 

非日常から日常へ

 

朝起きて、いつもより遅めの朝食を摂りながら「手術した足首の療養?も兼ねて温泉に入りたいなぁ」とそれらしい理由をつけて、家内を日帰り温泉に誘った。

行先は”池田温泉”で、近在の日帰り温泉の中から其処を選んだ訳は、泉質(つるすべ肌のアルカリ性単純泉)が好きなこともあるが、風呂に入った後には池田山へと登って、その道すがら秋色に染まる風景を眺めてみたいと思ったからだ。

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  池田温泉(本館)の玄関      いつ入っても露天風呂は気分がいい

池田温泉までは車で40分弱(ロードバイクだと近道を走っても1時間以上かかるので、やっぱり車は速い)も走れば着く。

池田山麓に近づくとパラグライダーが2つ、上空を優雅に舞っているのが見えた。

今日は、生憎と空気中の水蒸気が多く、遠くが霞む天気だが”鳥になって飛ぶ人”には、下界がどんな風に見えてるのだろうと想像して、小生も束の間大空を舞う怪鳥になって遊んだ。

 

こんな時期にも係わらず池田温泉は結構な混み様で、小生も含めて手軽な癒しを求めて集う人々の姿に一種の滑稽さを感じる。

内風呂からサウナ、露天風呂と巡った後で、長椅子に腰掛けて一休みすると、火照った身体を外気が穏やかに鎮めてくれ、思わず「あぁいい気分だぁ」と声が漏れた。

それにしても温泉に浸かってノンビリと寛ぐのは実に2年ぶりの事。

これまでコロナ禍が奪ってきた、この”何でもない日常の風景”が、またぞろ非日常へと逆戻りしない様に願いたいが、残念ながらそれは神のみぞ知る事である・・・。

 

池田山への林道は温泉施設から山手へしばらく行った所から始まる。

入口に着くと ”時間規制通行禁止” の看板が目に入るが、ゲートは開いているし、先刻 パラグライダーが飛んでいるのを見ているから「多分問題無い」と手前勝手に判断して林道へと乗り入れた。

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通行可・不可の判断に迷う表示        林道は山頂まで約9km続く

のっけから道の舗装悪く、しかも10%前後の斜度がズ~ッと続くので、ヒルクライムが苦手の小生が、此処をロードバイクで走ったとしたら(まずそれは無いが)かなり疲労困憊しそうな手強い道だ。

九十九折の道を2kmほど進むと舗装が剥がされた工事区間が始まり、一抹の不安が頭を過る間もなく、前方で道路を塞ぐようにして土を掘り起こしているブルドーザーが目に入ってきた。

「あちゃ~これじゃぁ前に進めない」

時間で通行規制しているのはこの工事箇所で、多分相当時間(1時間以上?)待たないと通行できる様にはならない感じ。

「ついてないなぁ」と不運を嘆くも、まだ頂上までは6km程の距離を残しているので、此処はあっさりと諦めて引き返すことにした。

今年はライド中に工事で行く手を阻まれる事が何度かあったが、今日のこれもその一つという事か?「人間万事塞翁が馬」ちょっと意味が違うがそんなことわざが口をついて出た・・・。

 

「さて、計画が狂ったが他に行くところはないかなぁ」と思案し此処だと決めたのが、現在地からそれほど遠くない横蔵寺、そろそろ紅葉も見頃を迎えている筈だ。

早速ルートを頭に描き、池田山麓を南北に走る池田ふれあい街道へと車を向けた。

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池田山麓の茶畑に沿って走る池田ふれあい街道

この道はライドでよく通るので”知った道”の筈だが、今回車で通り意外に思ったのは、坂の斜度がかなりキツく見えた事。

ロードバイクと車では目線の高さが違うから、これが坂の斜度を変えて見せた原因?

もしそうなら、ヒルクライムで苦しくなって前屈みになるのは、坂の傾斜がよりキツく見え精神的ダメージが大きくなって逆効果。

「苦しい時こそ姿勢を起こしてペダリングかぁ」と独り納得する・・・。

 

揖斐の山間にある横蔵集落は静かな里で、その山懐深くに抱かれた横蔵寺を訪ねると、如何にも侘びたその佇まいに、いつも次第に心が鎮まって穏やかな気分になる。

今日は紅葉狩りの参拝客が多いが、誰もが言葉少なに境内を巡っており、その慎ましやかな感じが周りの景観にマッチし、小生には好ましいものに感じられた。

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  朱橋を渡って境内へ          石段を踏みしめながら仁王門へ
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仁王門を通って本堂へ(モミジの色付きはまだ浅い)
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侘びた美で魅せる三重塔          せせらぎの音も優しい

小生らもゆっくりと境内を散策して回り、紅葉に映える仏閣の風情を十二分に堪能することが出来た。

紅葉はまだ盛りという状態では無かったが、ほんの少し色付いたモミジと古色蒼然たる建物という構図もまんざら捨てた物でもない。

 

「さぁ帰ろう」

帰路は谷汲から大野へとr-266を走って、途中で野村山展望台に寄り道するライド時によく走るルートをとることにした。

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野村山展望台では濃尾平野の大展望が拡がっていた 

今日は、久々に温泉に入って心身がリラックス出来たし、美しい紅葉の風景を観て心も安らいだ1日だった・・・。

 

 

 

秋の或る日・・・

 

”秋の日は釣瓶落とし”を実感する今日この頃。

午後4時を過ぎると陽は西に傾き始め、次第に弱くなる日差しに、人生の落日を感じてちょっと侘しい気持ちになる。

「あぁ今日も終わりかぁ」と思ったりするが、よくよく考えてみると一日はここまで2/3が終っただけで、まだ8時間も残っている。

「そうだなぁ本でも読むかぁ」とその日に図書館で借りてきた(本を購入すると後始末が大変なので、20年程前から読みたい本は図書館で借りる事にしている)数冊の本の中から適当なのを取って読みだすが、どうも内容がイマイチ頭に入って来ず、同じ箇所を何度も読み返す始末。

こんな時は無理に読み進めても無駄、本を閉じて他事をするのが良いと判っている。

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ベラルーシの秋(Image)

頭をリセットしようとTVを点けると、ニュース番組が「自民/公明が臨時給付で合意」と伝えていた。

またも繰り返される政権与党のばら撒き政策に腹立ちを覚えながら「先日の衆院選挙の結果がこれだ」と現状を是認する民意の愚かさを思って憂鬱な気持ちになる。

昨年度の国家予算は総額175兆円と過去最高を大きく更新し、国と地方の長期債務残高は2021年度末で1,212兆円に達するという。

これは、国民(赤ん坊から老人まで)一人当たり1千万円近い借金を抱えているという事で、誰が見ても国家財政が破綻寸前の状況にあるのは否めない。

財政健全化が急務なのに赤字国債を連発して国の借金を増やし続ける政権与党。

労働者の実質平均賃金が下がる一方で利益を内部留保に回して肥え太る企業。

低賃金で働く非正規労働者が10年で倍増しこれからも増え続ける貧困に苦しむ人達。

我々を取り巻く状況がこんなにも不条理なのに、それを知らぬか如きに許容する国民のいかに多いことか。

コロナ禍が沈静化しつつある中、箍が外れた様に大挙して観光地に繰り出す人々の群れをTVで見るにつけ「この国はどうなってしまうんだろう・・・」と不安と諦めの綯い交ぜになった複雑な気分になるのは独り小生だけだろうか・・・。

 

さて話はガラッと変わるが、ロードバイクにはここ2ヶ月近く乗っておらず、物置の中で薄っすらと埃を被っていたので清掃をすることにした。

最後に乗ったバイクは Varacan special で ”円原川とだんだんの滝” への途中で泥水道を走った洗い残しがあったが、他の2台(La PierreとDe Rosa)はほとんど汚れてなかったので軽く水洗いして水気を取るだけで清掃は完了。

3台ともフレームはマッド仕上げで、元々跳ねた土等の汚れが付着し易かったが、Amazonで購入した水性ガラスコーティング剤で表面処理した御蔭で、それ以降は汚れが着き難くなったのは嬉しい。

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使い勝手の良い水性ガラスコーティング剤

清掃の後はちょっとした修理とパーツ交換。

2ヶ月ほど前の事だが、La Pierreでライドに出掛けた折に不注意でバイクを倒した。

「しまった!・・・」傷は無いかと車体各部を確認すると、リアディレイラーが大きくインナー側にズレている。

これはバイクを倒すと珠にあることなので、ディレイラーを手で正常位置に戻してDiのセーフティモード解除操作をするだけで処置は完了。

ところが坂道でリアを28Tに落とすと ”ガリガリッ” と異音が発生するので、バイクを停めて確認すると、リアディレイラーのガイドプレートがスポークに当たっていた。

「これはディレイラーハンガーを曲げたかな?」と覗き込むと、案の定ハンガーの先が内側に少し傾いている。

「おっと危ない、ハンガーが折れなくて良かった」と不幸中の幸いに感謝した・・・。

 

そんな訳で曲がったディレイラーハンガーの修理をするのだが、この小さなアルミ合金のパーツ、バイクによって付いてるタイプが違うので、交換するとなると町の自転車屋を通じてメーカー代理店から取り寄せる必要があり、送料手数料を含めると1個5千円程の出費を覚悟しなければならない。

金持ちでもない小生はそんな贅沢は出来ないから、曲がった部分を元に戻して再利用と云うのが分相応という訳だ。

ハンガーをフレームエンドから外し、平面に置いて曲がり程度を見ると2㎜程のすき間があり、これだけ曲がってればガイドプレートの先端がかなり内側に傾くのは当然で「やっぱりスポークに当たるわな」と納得した。

 

金槌で叩いてハンガーの曲がりを直した後、フレームに戻しディレイラーとホイールをセットして修理の出来を確認。

28Tの最大ギアにしてもガイドプレートとスポークの間隙が7~8㎜は確保されているので、これならお互いが当たる心配は無い。

「一丁上がりぃ~」と独りほくそ笑んだ・・・。

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Before                  After

修理の次はパーツ交換。

De Rosaのサイコンホルダーは2年ほど樹脂の物を使ってきたが、少しやぐい(弱い)のとハンドル固定部のネジが緩み易く、走行中にサイコンが下を向いたりするので交換することにした。

交換パーツはAliExpressで購入したアルミ合金製の堅牢なもので、ステムトップに取付けるタイプ。

このホルダーは、サイコンだけでなくアクションカメラやライトが付けられる優れもので、しかも値段は送料込みで750円 と安価だから、コストパフォーマンス的にも云う事なし。

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これまで使っていた樹脂製ホルダー     今回購入したアルミ合金製ホルダー
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 ステムトップにボルトで固定       アクションカメラ等も取付できる

Chinaと云えば粗悪品と短絡的に決めつける御仁が我が国にはまだいるが、小生の購入経験からいえば、極たまにそういうものがある程度で、大概のものは実用的に問題ない品質レベルをクリアーしている。

今のChinaは世界第2の経済大国であると同時に技術大国としても急成長しており、その道の最先端を走るものも多いのが現実だ。

China嫌いは個人の嗜好で小生が口を挟む所では無いが、そろそろChina製品=三流品とのステレオタイプ思考から脱却していかないと、世界の潮流から大きく遅れてしまうに違いないと思うのだが・・・。

 

 

 

美濃の清水寺?

 

左足首の人工関節置換手術から1ヶ月が過ぎた。

退院時は、ギブスに松葉杖という”如何にも病人”然とした姿だったが、今ではギブスも取れて、補助的に杖を突いて歩ける程度にまで回復している。

とは言っても手術箇所の腫脹(切開部や骨切り部の炎症による血液成分の滞留が原因)はかなり残っており、まだ完治とは言えず”無理は禁物”なのは素人目にも確か。

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手術箇所の炎症反応でまだ腫れがひかない左足首

一方、もう1ヶ月半近くも運動?をしてないので、脚の筋力も含めて身体の筋肉が相当鈍っており、ローラー台でバイクを漕ぎたい欲求が徐々に募って来ているのも確か。

身体を動かしたいと云う欲求と、手術箇所の状態がまだそれを許さないと云う現実。

この相反する事象のジレンマに、日々悩まされているこの頃の小生である・・・。

 

さて ” 天高く馬肥ゆる秋” で折角の良い日に、家に閉じ籠っていてもつまら無いので、家内を誘ってちょっとしたドライブに出掛けることにした。

行先は ”美濃の清水寺” との異名がある日龍峯寺。

先日、会社勤めをしていた頃の友人と久し振りに会い、喫茶店でよもやま話をしていた折に「京都の清水の舞台と同じ懸崖造り本堂の寺が関市にある」と聞いて、俄かに興味が湧き行ってみたいと思っていたのだ。

 

Google Mapで調べると、日龍峯寺のある場所は、関市と云っても地理的には美濃市の東方の山中。

美濃市へはライドでちょくちょく出掛けるが、その東側の山の中にそんな寺があるとはついぞ知らなかった・・・。

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美濃の清水寺(日龍峯寺)は山の中

通常、美濃方面へライドする時は、専ら車通行の少ない裏道を走るが、今日は車なのでr-94を走って美濃へと向かう。

この道は、岐阜と美濃を結ぶ主要幹線の一つで大型車両も数多く通る。

「やっぱり自転車で走るにはリスクが高い道だなぁ」とついローディー目線で道路状況を観察しながらの行程となった。

 

美濃市に入り旧名鉄美濃駅舎前の信号を直進すると、此処からは初めて走る道。

Google Mapで粗方の道順は調べてあるし、念の為カーナビにも目的地を登録しているのでトンデモナイところへ行く心配は無い。

但しカーナビは時々明らかな遠回りを指示するので、基本はGoogle Mapで調べ頭にinputした道を辿るのが小生の走り方だ。(これは自転車で走る時も同じで、謂わば性癖みたいなもの)

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名鉄美濃駅舎から日龍峯寺までのルート

しばらく走ると道は峠越えの上り坂、自転車だと多少キツそうだが、50mほどの標高差なので、脚に疲労を覚える前に峠のトンネルに着く感じ。

短いトンネルを抜けると其処からは津保川までの長い下りで、途中チョットした上りがあるが加速をつけて越えれば、全体的に快適な高速走行が楽しめそうだ。(帰路に同じルートを取ると長い上りにうんざりするかも?)

T字路を左に折れて、川沿いの道を1.5kmほど北上した所で、日龍峯寺への案内看板を右手に発見。

此処から道を左にとって、細い山道を3km上ると山門(仁王門)が見えてきた。

「ようやく到着だぁ」と山門前に車を停めるが、何と駐車場はもう少し先だった。

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     仁王門             門を守る阿形の静かなまなざし

日龍峯寺は岐阜県内では最古の寺らしく、山中に散らばる各仏閣の古色蒼然たる佇まいには、幾時代もの風雪に耐えてきたこの寺の歴史の重みを感じざるを得ない。

中でも多宝塔は、あの尼将軍北条政子が寄進した伽藍とかで、鎌倉時代初期から数えて8百年余を経て、今も此処に現存すると思うと非常に感慨深いものがあった。

また ”美濃の清水寺” と異名される元となった本堂は、小振りながら確かに本家に似て いると言えなくもなく、江戸時代に再建された伽藍(北条政子寄進の本堂は応仁の乱に際して焼失)は、辺りの風景に溶け込むように、侘びた味わいを醸して其処に屹立している気がした。

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      境内案内板          鐘楼(コロナで鐘撞は出来なかった)
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長い歴史を秘めた多宝塔          清水の舞台を思わせる本堂

七堂伽藍をゆっくりと観て廻った後、本堂に設えられた長椅子に腰掛けて一休み。

遠く美濃加茂辺りの市街地を眺めながら、山中の古寺を包む静寂の中に身を委ねて暫し安息の時を送る。

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本堂からは遠く市街地が見える        高沢山~本城山縦走Map

そう云えば先刻見た”山歩きガイドマップ”の看板に、此処の裏山に登ると御岳や乗鞍、白山が望見できるとあった。

足の具合が、以前の様に山歩き出来る程に回復したら、是非とも裏山に登ってこれ等の山を眺めてみたいものだ。

この寺のご本尊は千手観世音菩薩だから、御仏の業でご助力いただける様にお願いしておくことにしょっと・・・。

 

駐車場に戻って時刻を見ると午後1時ちょっと前、少し動いて小腹も空いたので、山を下って向かった先は ”道の駅 平成”

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”道の駅 平成”はそこそこの賑わい 

先の天皇が退位した際には、多くの来場者で賑わった(と以前ニュースが伝えていた)この道の駅も、ブームが去った今は「まぁそこそこの客の入り」といったところ。

食堂に入ってメニューを見ると ”シイタケ丼” が名物らしいが、小生はシイタケが苦手(嚙んだ時のムニュっとした食感がどうも・・・)なので、これはスルーさせて貰って飛騨牛コロッケ定食を注文。

出て来たコロッケは旨かったが、サイズが大きくちょっと食傷気味で「もう少し小振りにして飛騨牛の量を増やして貰いたかったなぁ」と小声で家内に愚痴た・・・。

 

「さぁ帰ろう」帰路は津保川沿いを下って関経由のルートにするかな?。

 

 

 

五平餅でも・・・

 

朝、新聞を読みながら軽めの食事を済ませ、コーヒーを片手に寛いでいると、出し抜けに家内が最近出来た”道の駅”に一緒に行かないか?と聞いてきた。

実は家内は結構な方向音痴で、初めての場所へ行くのはチョット苦手。

カーナビに頼れば行くことも可能だが、それよりも小生を誘った方が面倒もなく何より手っ取り早いと云う訳だ。

まずは所用を済ませて10時半過ぎに居宅を出た。

 

山県市東海環状自動車道IC近くに出来た道の駅に着くと、30台ほど停められる駐車場は既に満杯でかなり盛況の様子。

「みんな何を買いに来ているのかな?」と興味を覚えながら入店する。

家内はブドウと富有柿、小生は利平栗の良い出物が有ったらと思って来たのだが、店内にあるのは意に反して土産物ばかりで、産直の農産物はほんの少ししか無く、おまけにブドウと栗は一品も無く、柿も品種表示のないものが数袋だけ。

「こりゃあダメだ!」と忽ちの内に購買意欲は霧散霧消し、ただ漫然と土産物を見廻すのみだった。

こんな事なら産直農産物が数多くある”おん菜市場”or大野町の道の駅に行けば良かったとチョットがっかりしながら即刻店を出た。

 

「仕方ないなぁ帰ろう」と車を走らせること数分、不意にある考えが頭に浮かんだ。

「折角此処まで来たから五平餅でも食べて帰るか?」と家内に告げ、ハンドルを其方の方角へと切る。

行先は”かさ神さん”の前にある岩井屋で、此処からなら8km足らずの距離だから10数分あれば着く。

 

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五平餅と田楽の岩井屋

丁度昼めし時なので混んでるかと思った岩井屋は比較的空いていた。

座敷に上がって席に着くなりメニューを眺めるが、実は見るまでもなく既に注文する品は決まっている。

豆腐田楽と里芋田楽それに五平餅と菜めし、これが毎回のお決まりで、此処に来るようになって40年ほどになるが、これ以外のものは頼んだ事が無いのだ。

思えばこの店の古びた佇まいも、向かいの ”かさ神さん:岩井山延算寺東院” の侘びた 雰囲気も昔から何ら変わっていない。

何もかもが慌ただしく移り変わる時代にあって、10年1日の如く遅々として変わることのないものに、ある種の安らぎを覚えるのは小生の感傷なのだろうか?

そう云えば、この田楽の味も五平餅の味も昔からまったく変わってないなぁ・・・。

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五平餅                豆腐田楽
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いも田楽                菜めし

田楽と五平餅で腹を満たした後は”かさ神さん”へと向かう。

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かさ神さん(延算寺東院)

空海が開いたというこの寺の本尊は薬師如来(別名:瘡神薬師)で、古来から疱疹などの皮膚病にご利益があるといわれ、あの小野小町天然痘を患ってその治癒祈願に此処を訪れた際、7日間のお籠りと霊水で瘡が跡形もなく消えたと云う伝承が残っている。

世界3大美人の一人である小野小町の美貌も ”かさ神さん” のご利益があったればこそとなると、つい手を合わせて色々お願いしたくなるのも人情か?

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 小町堂               堂内の小野小町

小生も手術箇所の早期完治をお願いするため、石段を上がって奥まった場所の本堂まで行き、神妙?に手を合わせてきた。

小生の場合は皮膚病では無いけれど ”衆生の病苦を救う” のが薬師如来の務め?なので まぁ大目に見て貰えるだろう。

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ご本尊の瘡神薬師が安置された本堂

境内のモミジは少し色付き始めているが、此処から離れた場所(山の中腹)にある本院の方はどうだろう?

「チョット寄り道をして」と思ったが、居宅では老犬が1匹小生らを待っているので、やっぱりこのまま帰ることにした。

あと30分ほどかかるが、昼寝をしながら待っててくれよぉ・・・。

 

 

 

 

暇なもんで・・・

 

4日前の事、病室のベットのヘッドボードに凭れながら、図書室から借りてきた文庫本を読んでいると、診察の時間でもないのに主治医が顔を出してこう言った「Yさん相談ですが、今週末に退院出来ますがどうしますか?」

当初の予定では入院期間は4週間。

手術から18日が経過したが「あと10日間ほどは入院してなくちゃならないなぁ」と退院までの日数を指折り数えながら、多少あきらめの気持ちで居た矢先のことだ。

小生の怪訝な表情を読み取った主治医は、これは説明が必要と思ったか?続けて「入院を待つ人が多いので、手術後の経過が良い患者さんには早期退院の可否を確認しているんですよ」と言った。

確かに小生の場合は、手術で切開縫合した箇所の抜糸は既に終わり、今は足首の動きを制限するためのギブスを着けて、手術箇所が完全に癒合をするのを待つだけの日々。

看護師による1日2回の検温と血圧測定や理学療法士による10分程度の歩行訓練(と言っても単にフロアー内を松葉杖を支えに歩くだけ)はあるものの、特に手術した箇所の治療はないので、強いて入院生活を続けなければならない必然性はない。(と素人の小生は思っていた)

これは正に”渡りに舟”だ。

こんなチャンス逃す手は無いと「先生が許可していただけるなら退院させて貰います」と答えると「それじゃぁ奥さんにも確認しておいて下さい。後からもう一度伺います」と言って出ていった。

 

そんな訳で思いがけなくも早期退院が実現し、今こうして居宅の居間で寛ぎながらPCに向かっているという次第。

主治医からは「家に帰ってもくれぐれも無理はしない様に」と言われているが、ふくらはぎから足先までギブスが覆っているので、靴も履けないから外へ出掛けたくても出掛けようがない。

この居宅での軟禁状態は次の受診日(27日にギブスを外す予定)まで続くが、”棚から牡丹餅”で手に入れた自宅療養だから多少の不自由は致し方なし、あまり文句を言う訳にはいかないだろう・・・。

 

さて、暇を持て余すと何かと良からぬ事?を考えるもの。

昨年、山方面を走る時に乗るロードバイクが欲しいなと思って、ディスクブレーキ車をバラ完したが、初めてのバラ完挑戦だったので、技術習得を目的にもっぱら中華パーツ(コンポ類はSHIMANO 105)を使って1台を組んだ。

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山方面を走るためにバラ完したバイク

自ら言うのも何だが出来はまぁそこそこ(自己満足?)で、これに味を占めたという訳では無いが、今度は中古パーツを使って2台目のバラ完をしてみようと思い至った。

予算は30万円で、バイクのアウトラインとしては、Full Carbonのディスクロードで変速系はDi、車重は7.5kgと云ったところ。

 

早速PCを開いてリサーチの開始。

まずはフレームで目星い物は無いかと探すが、まだディスク仕様のものは数が少なく、おまけにサイズが合う物となると更に台数は限られてくる。

TREK(10万円)Wilier(12万円)MERIDA(14万円)S-Works(16.5万円)をコスパの点からリストアップしたが、中でもWilierが物の状態から見てかなり良さそうだった。

次はコンポ類だが、こちらはシマノのR8070グループセット(クランクとスプロケットは無し)が9.5万円で最安値。

グループセットの出物は少ないので、実際には単品を一つづつ買い集める事になるが、その際のTotal金額の目安はこんなところか?

ホイールは前後で4万円程度の物を探すとすると、残りの4万円程でハンドル、サドル、クランク、スプロケット、チェーン、ペダル、タイヤ、その他の小物を調達することになる。(中古と云えども30万円ではちょっと予算的に厳しいか?)

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中古パーツを使ってバラ完するバイクの完成イメージ

まぁこんな感じで2台目バラ完バイクの青写真(ちょっと古い言い回し?)は何となく描けた。

後はこれを実行に移すかどうかだが、この点については少し間を置き冷静になってから結論を出すことにしょっと・・・。

 

 

 

 

秋も深まるか?

  

入院生活も2週間が過ぎて、毎日同じ様なことの繰り返しに、退院の日を勝手に想定しながら、残り日数を指折り数える日々を送っている。

思い起こせば、手術から2日間は、身体に色んな管(ドーレン管、排尿管、点滴管等)がぶら下がっており、仰向けのまま身体をあまり動かせないので、背中から臀部・脚にかけていたる所で圧迫痛がして、手術箇所の痛みよりもそちらの痛みの方が強く大いに悩まされた。

また、それらが外されてベットから離れることが出来る様になってからも、行動範囲は車椅子でのフロアー内移動に限定(コロナ感染予防で外部との接触厳禁となっており、家族との面会も禁止)されているし、何かにつけて自制しなければならず、思い通りに動けない不自由さが常に付きまとう日常に、少し食傷気味と云う感じだ。

「入院生活とはそういうもの」と頭では理解しているものの、これがあと2週間あまりも続くと思うと、本当に気が滅入る・・・。

 

小生の病室は4人部屋で、入室時に居た3人は既に退院して別の3人が入院してきた。

たった14日で最古参というのも変だが、整形外科というのはあまり長期入院する患者がいないみたいで、大体2~3週間で退院or転院していくのが通例の様だ。

別に聞き耳を立てている訳では無いが、漏れ聞こえてくる患者と医師・看護師との話    から推察すると、一昨日入院した20代後半と思しき若者は、腕の手術の後わずか3日で退院の予定とか。

また、5日前に入院してきた30代前半と思しきもう一人の若者は、腰椎のヘルニアで 飛び出した椎間板の除去手術をしたが、これも2週間経てば退院するらしい。

残りの一人は小生と同年配の患者で、こちらの方はどうもちょっと状況が深刻な感じ。

脚の付け根の痛みによる歩行障害で、人工股関節置換の手術を希望して入院してきた様だが、検査をしたら別の病気が見つかったみたい。

その病名は”骨腫瘍”で腰骨(腸骨)の3か所に腫瘍があるらしく、その腫瘍が転移性のものか原発性のものか、現在腫瘍の専門医が調べているということだった。

転移にしろ原発にしろガンは命にかかわる疾病なので、その治療が最優先となって人工股関節手術は中止。

聞くとはなしに聴こえる話の内容に「あらぁまぁ何と云う事・・・」と他人事ながらも気持ちが暗くなった。

 

さて話は変わるが、10月になってもなお季節外れの高温が続いたこの天候も、今日を 境に低温へと変わり、いよいよ秋本番を迎えるとの予報。

秋といえば食欲と行楽がその代名詞だが、食い物にあまり興味のない小生は、専ら行楽の方に重きを置くことになる。

我がふるさと岐阜は三方を山に囲まれ里山も近いことから、紅葉を愛でるに事欠かないが、ロードバイクを駆って少し山中へと足を伸ばせば、更に美しい赤黄色の紅葉模様を目の当たりにすることが出来る。

大矢田もみじ谷、谷汲山華厳寺、両界山横蔵寺、養老公園、多良峡等々、何れも見事な紅葉で人々を惹き付ける名所だが、今年はどんな具合に色付いて訪れた人を魅了するのだろう。

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大矢田もみじ谷の紅葉(Image)

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両界山横倉寺の紅葉(Image)

まだ退院の目途は付かないが、もし今月末に退院できたならば是非とも近在の紅葉名所を訪ねてみたい。

到底ロードバイクで行くことは適わないので、止む無く車で行くことになるだろうが、それまで自然の営みは小生を待っていてくれるだろうか?

こればっかりは”神さまの思し召し”に縋るしかないと「日頃の行い?に免じてどうか 宜しくお願い致します」と願ったが、果たして不信心な小生が勝手に願っても、神様 が 聞き届けてくれるかどうかは全く分からない・・・。