風を道連れに

☆あるボッチローディーの独り言☆

久々に南へ走る

 

このところの円安は海外通販をよく利用する小生にはちょっとイタイ。

10年ほど前は80円=1ドルだったので、同じものを買うにしても1.7倍のお金が財布から消えていく訳だから「いい加減どうにかしてくれよぉ」と愚痴を言いたくもなる。

問題の元凶は日銀の大規模金融緩和。

この金融緩和に依存した ”アベノミクス” は、当初は低迷する日本経済の救世主として 大いに持て囃されたが、これによって潤ったのは大企業とその関係者のみで、絶対多数を占める多くの中小企業や庶民はその恩恵に浴することなく、生活全般は年々先細って苦しくなるばかり。

今じゃぁこの政策が失敗だったことは明らかで、何でもありの放漫財政出動によって 膨らんだ国庫負債の枷により、柔軟な政策が打てなくなってしまったのが今の我が国の経済苦境の偽らざる実相だ。

輸入インフレと実質賃金の低迷がここにきて国民生活を圧迫し始めているというのに、その舵取りを担う為政者らは日々政争や忖度に明け暮れ、また多くの国民もどこかそんなことは知らぬげに ”ささやかな享楽” に身を委ねている。

「一体この国はこの先どうなってしまうんだろう・・・」とチョッピリ悲しくなる今日この頃である・・・。 

 

さて、最近は山手方面へのライドばかり繰り返してきたので今日は久し振りに南の方角に走ってみることにした。

木曽川沿いを南下して愛西でハスの花を愛でたあと、弥富⇒桑名を経て揖斐川沿いを北上して戻る”のが大体の走路の想定、平地の約90kmなので向かい風の悪条件さえなければ大して疲れることは無い。

 

まずは木曽川橋を渡って左岸沿いをサイクリングロード⇒堤防道路と走り継ぐ。

小生は車を気にしながら狭い路肩を更に狭くして走るのが嫌な性質なので、走路を選ぶpointの一つが”車があまり走らない道”

その点この道は車の交通が少ないので合格点だし、眼前に拡がる景色がそこそこ雄大で見る者を爽快な気分にしてくれるのも気に入っている。

雄大な風景は走る爽快感を増幅してくれる(一宮市加賀野井付近)

時折周りの景色に視線を投げながら走っていると突然ある考えが脳裡に浮かんだ。

「そう云えば大賀ハス園が近くだなぁ」大賀ハスは千葉の縄文遺跡で発見された種子を発芽させたもので、全国にその増殖した ”古代ハス” が植えられており、羽島のハス園もその一つ。

「よしちょっと寄っていこう」と馬飼大橋を渡ってハス園へと向かったのだが、しかしその期待は直ぐに失望へと変わった。

スイレンはピンク色の花を咲かせているが目的の大賀ハスは殆んど咲いてない・・・。

スイレンは花開いているがハスはまだまだ・・・

「まだ早かったかぁ」今年は気温が高いので開花が早いと思ったが、それはそうあって欲しいという願望に裏打ちされた手前勝手な判断だった。

と云うことは愛西のレンコン畑のハスの花も咲いてない可能性が高い「う~んどうするかなぁ」と少し迷ったが、花の無いレンコン畑を訪ねてもしょうがないので結局愛西はスルーすることにした。

 

木曽長良背割堤を軽快に走って木曽三川公園を目指す。

路肩に生い茂る草が刈り取られて広く走り易くなった背割堤

走路上に人影は無いが、堤防法面には下草を刈る人が数名いてそれぞれが無心?に作業に勤しんでいる。

仕事とは云えこういう人達がこの背割堤を定期的に手入れしてくれるからローディーは快適にここを走れるのも事実で「ご苦労さん」と上から目線ながら感謝の言葉を呟いて前を通り過ぎた。

 

長島からはR-1の伊勢大橋を桑名へと渡り、そのまま養老鉄道沿いの美濃街道を多度へと走る。

いつもなら揖斐川右岸の堤防道路を走るのだが、たまにはこんな風に昔ながらの地蔵堂や常夜灯が所々に残る古い街道を走るのも趣?があって楽しい。

部外者目線で云えばこういう道は出来るだけ昔のまま残して欲しいが、そうもいかないのが現実で土地の区画整理等で道が付け直されて走り難くなっているところもある。

まぁこれはどうしようもない事なんだろうけどね・・・。

 

多度川を越えると大社も近くなのでちょっと寄り道(なんて言うと祭神に叱られそう)していくことにした。

石段を上がって社殿へ・・・        多度山の懐に鎮座する本宮

小生は特に信仰心が篤い方では無いのだが、最近は神社仏閣を訪ねる事が多くなった。

これは自転車ライドの賜物で、ずーと走ってばかりではいられないので適当なところで休憩をとるが、それが神社仏閣のことが多いという訳。

不純な動機で神様仏様ゴメンナサイ、その代わりお賽銭を勢んどきます・・・。

 

駒野(南濃町)で美濃街道と別れ、揖斐川を渡って輪之内の外れまで走ってきた。

本戸輪中堤の”アジサイロード”が丁度見頃を迎えていたのでバイクから降りユックリと歩きながら鑑賞、見物客は小生を含め4人だけで静かな時間の流れが心地よい・・・。

輪中堤のアジサイロードは600mほど続く

立ち止まってアジサイの花を観ているとすぐ傍の株下から突然タヌキが顔を出した。

「あれっこんなところにタヌキ!」と見詰めると、小生の存在にやっと気付いたタヌキは一瞬ギョッとして脱兎のごとく駆けだしたが、その逃げ様の面白かった事。

勢いよく駆けたため斜面に気付かずそのまま空中へと飛翔、もんどり打って下草の上に落ちると、すぐさま体勢を立て直して這々の体で茂みに逃げ込んでいった。

「何もそこまでビックリすることは無いのに」とタヌキの災難?に同情しつつも口元がつい綻んだのは言うまでもない。

 

その後は長良川沿いを上流に向かって走り、居宅には午後2時チョット過ぎに帰着。

久々に南へ向かったライドだったが、予定より時間がかかったものの「色々とあったがまぁまぁ面白いライドだった」と自己満足した1日であった・・・。

 

 

 

 

二度ある事は三度ある?

 

De Rosaで使っていたサイコンが壊れた。

データー計測のON/OFFボタンを押しても全く反応しなくなり、ケイデンスや走行  距離、高度、勾配等のデーター表示はゼロのまま動かないのだが、何故かスピードだけは数値が表示されるというおかしな状態。

高度や勾配のデーターが表示されないのはGPSが起動してないからだと考えられるが、その状態でスピードが表示されるのはスピードセンサーの信号を受信しているから?

もしそうだとすれば、同じ様にケイデンスセンサーの信号も受信している筈なのに何故ケイデンスは表示されない???

こういう物の中身って素人には全くのblack boxで何が何だかよく解らないなぁ。

最近はこんな風に ”よく解らない事” がどんどん増えていく様で ”ついていけない感” がつのる。

「あぁ歳はとりたくないもんだぁ」と嘆くばかりである・・・。

 

さて今日は天気もソコソコで風も比較的穏やかなライド日和。

久し振りに揖斐の奥「出来れば揖斐高原辺りまで行ってみるかぁ」と窓外を眺めながら独り言を呟いた。

 

昔からあった様な風情も漂う墨俣一夜城

墨俣を経由してまず向かったのは谷汲。

そこから横蔵⇒揖斐へと走るのが取り敢えず往路のコース想定で、山間のWinding Roadは小生の好きな走路の一つだ。

 

根尾川に架かる万代橋まで来ると賑やかな声が川原から聞こえてきたので、その方向を見ると園児らが即席の生簀で魚の掴み捕りに興じているのだった。

     万代橋を渡ると谷汲       対岸から園児らの楽し気な声が聞こえる 

それを眺めながら「うまく捕れるかな?」「そう云えば3年前の夏、孫達とここに来て鮎の摑み捕りをしたなぁ」「今年も遊びに来るらしいが何処へ連れてってやるかなぁ」などと次々に浮かぶ思いに思考を委ねていると忽ちに時間が過ぎてしまう。

数分後重い腰を上げつつ「よーし行くかぁ」と自分に声をかけバイクに跨った。

急ぐ訳では無いがライドはまだ序盤だ。

 

今は栗の開花時期で、そこかしこに猫の尻尾に似たクリーム色の花房を付けた栗の樹が見える。

これってあの甘い利平栗になるのかなぁ・・・

風に乗って漂ってくるのはあの独特な匂いで、小生は特に嫌いという訳では無いが人によっては頭痛をもよおす”臭い”らしい。

確かに”精液の匂い”とも称されるあの匂いに嫌悪を抱く人がいても不思議では無いが、栗の花の匂い成分として特定されている1-ピロリンは昆虫などが好むフェロモン成分で、栗の樹にとっては受粉結実のために絶対必要な匂い。

人間が嫌うからと云って匂いを変える必要など全くないという訳だ・・・。

 

道の駅”夢さんさん谷汲”でトイレ休憩。

定番のベンチでしばし寛ぐ

屋外のベンチで山上に浮かぶ雲などを眺めながらノンビリしていると、視線の先を1人のローディーが通り過ぎていった。

小生より幾分か若そうだがクランクを回す脚は少し重そうで”坂は苦手”という様子。

小生も初心者の頃はこの坂(岩坂)を随分キツイと感じたが、今じゃぁごく普通の坂でしかない。

「何事も積み重ねですよぉ」と去っていくローディーに向かってそっと呟いた。

 

横蔵への分岐でその方向を見ると先刻のローディーの後姿が眼に入った。

「横蔵寺に向かうのかぁ」と一瞬追走の思いが頭に浮かんだが「だけど行先が違うな」と即座にそれを否定して、ハンドルを左へと切り予定通り揖斐方面へと向かった。

 

山間のWinding Roadを走って乙原に出るとそこからは揖斐川左岸沿いの巻き道を走路にとり上流に向かう。

ウグイスのさえずりを聴きながら走るのも愉しい巻き道

並走するR-303を走るローディーもいるが、国道はこの先で全長2.2kmの久瀬トンネルになるので小生はそんな道を走るのは真っ平御免、Up Downがあって多少遠回りにもなるが静かな巻き道を黙々と走る方がずーと気持ちが良い・・・。

綺麗な渓流もあるし揖斐川に架かる橋も絵になる

ところが道を1/3ほど進んだ所で突然”通行止め”の看板が目に飛び込んできて、この快適な気分に水を差された。

どうやらこの先の道沿いにある発電所が改修工事中で、その影響で通り抜けが出来なくなってるらしい。

「仕方ない道を変えよう」と橋を渡って右岸沿いの道(r-254)を走り始めるが、数百mも進むと何とそこにも”全面通行禁止”の看板と道を塞ぐフェンスが・・・。

左岸道の通行止めで迂回した右岸道も通行止めだった

「なんてこったぁこれじゃ先に進めないじゃないか」と思わず恨み節が口から漏れたが、その声は空しく虚空に消えるのみ。

さてどうする「乙原まで戻ってトンネルを抜けて行くしかないかぁ」と思ったが、今更という思いとトンネルは走りたくない意識が邪魔をして、結局は揖斐高原まで行くのは諦めることにした。

 

しかし世の中”二度ある事は三度ある”で走路の通せんぼはこれで終わらなかった。

r-254を乙原まで戻り集落を抜けて揖斐峡沿いの隘路に入る所でまたしてもバリケードと通行止めの看板が道を塞いでいる「おいおい此処もかよ」と大いに呆れたが、ここも苦笑して戻るしかなかった。

よく走る道だけにここの通行止めは今後のライドに響きそう・・・

それにしても国道以外の道がこうも通行止めでは「ここしばらくの間は揖斐・藤橋方面は走れないなぁ」とちょっとガッカリ。

 

立て続く通行止めに四つ目を危惧したR-303新北山トンネル(1.4km)の巻き道は幸いにして通行可能で小生としては助かったが、所々に落石が転がる道の状態からすれば  いつ通行止めになっても不思議じゃない。

ここを封鎖しないのは自転車乗りへの配慮?そんな事を思いながら有難く走った。

巻き道の趣あるトンネル

川口橋まで下りてくるともう走路の心配は無用でどんな道でもお好み次第だが、気分は揖斐川左岸の堤防道路。

午後になって少し吹き出した西風が、小生の走りを邪魔にならない程度に助けてくれる筈だ。

あと1.5時間ほどだが頑張って走るぞぉ・・・。

帰路の堤防道路から揖斐の山並みを振り返る



 

 

 

西美濃を気儘にライド

 

近くの整形外科で頸椎の椎間板ヘルニアと診断されて3週間ほどが過ぎた。

この間、くすり(ロキソニンテルネリン)を服用しながら経過を看る事になったが、3週目からは服薬量を減らしてもほとんど痛みがでない様になったので、先生の許可を貰って通院を止めることにした。

まだ首筋の凝りに似た感覚や関連痛と思われる肩甲骨辺りの鈍い痛みは多少はあるが、これも”日にち薬”で多分その内に無くなる?だろう。

歳をとるまでの長い年月を酷使してきた身体に、1箇所や2箇所変調を来す処があっても不思議じゃぁ無いと楽観的に思う今日この頃である・・・。

 

さて今日は風の無い(庭に植えた木々の葉が微かに揺れる程度だ)ライド日和なので、家に籠って?いては「精神衛生上宜しくない」と外走りに出ることにしたのだが、あれこれ思案してみてもこれと云って行先が思いつかず「えぇいまゝよ」とばかりに行先を決めずに西美濃辺りを”行き当たりばったり走ってみよう”と出発した。

 

まずは街中を西に走って長良川左岸堤防道路に出たが、ここを右折するか左折するかで行先は大きく変わる。

少し迷って望見する風景(右は家並が続き左は田園が拡がる)から左折を選択、これで当面の走路は決まったのでしばらくはスピードを巡航まで上げ走りを愉しむだけ、初夏の陽気を切り裂いて進む爽やかな肌感覚がなんとも心地よい・・・。

大藪大橋(長良川)を渡って輪之内へと走る

長良川の堤防道とは羽島の先で別れ、輪之内を経由して大垣の南端まで走ってきたが、ここからはまた牧田川沿いを西へと進む。

堤防沿いには家並が連なるが、それを見て「確かこの辺りにNが住んでた筈だなぁ」と思い出した。

会社員時代の同期とはリタイヤ後も毎年宴会旅行や忘年会で旧交を温めてきたが、この3年ほど(コロナ禍の自粛で)は全く顔を合わせていない。

「アイツ元気にしてるかな?」勿論用も無いのに訪ねる気は無く唯そう思っただけ。

今年は久し振りにみんなが集まっての飲み会が開けるんだろうか?・・・。

 

しばらく走ると道は名神高速と並走し間もなく養老SAが見えてきた。

ここは一般道からSA施設が利用できる”ぷらっとパーク”で専用駐車場にサイクルラックもあるので、そこにバイクを架けてSAに入り近くの東屋のベンチで一休み。

名神と並走する伸びやかな堤防道     ぷらっとパークでトイレ休憩する

トイレは休憩所のすぐ傍なので、場違いなサイクルウェアでSA内を歩かなくて済むのは助かるが、売店等を利用したい場合はチョット人の目が気になるかも?      (小生はライド中に買い食いはしないのでその心配はほゞ無いが・・・)

SA内を行き交う人達を遠目に眺め”俄か旅行者気分”に浸りながら10分ほど休む間にこの先の走路をあれこれ思案。

上石津や関ヶ原の走路を頭に思い描いてみるが、いまいち乗り気になれない自分がいるので最終的に不破方面へ向かうことに決めた。

この走路だと南宮大社や明神湖といった立ち寄りpointが有るので”走るだけのライド”に陥ることは無い筈だ。

 

南宮山麓の緩い坂の農道を北に向かって走る。

並走する県道は車の交通が結構あるので、多少曲がりくねった道でも独り占めできる道の方が安全だし自分の性に合っている。

麦秋を迎えた麦畑に時折目をやりながら走ってると”麦秋やまっすぐな道ただひとり”のどこかで目にした見知らぬ俳人の詠んだ句がフッと頭に浮かんだ。

 

やがて農道は家並を縫う道となって山側に大きく曲がった突き当りが南宮大社

初詣や例大祭では賑わうこの大社も今日はひっそり閑として人影もまばらで、人混みを好まない小生にとってはある意味有難いといった感じ。

美濃一ノ宮の格式高い南宮大社に参拝(楼門)

宝物殿の脇にバイクを停め、楼門をくぐってゆっくり本殿へと向かうが、玉砂利を踏む脚音が静かな社殿内に響いて少し耳障りなほどだ。

そんな”厳かな空間?”なのだが、視線の先に2人連れローディーを認めた時その様態に 一瞬目を疑った、何と2人共バイクを引っ張っておまけにヘルメットまで被ってる。

「おいおいそんな恰好で参拝したのかい」それじゃ車を社殿内に乗り入れたも同然で、土足で座敷に上がるのと何ら変わらない(チョット例えが悪いか)

小生より少し年若いと思しき年配者ローディーの非常識さに呆れて、誰に言うともなくそっと呟いた。

 

参拝を済ませて次に向かうのは明神湖。

”明神湖は垂井の街中を北へと突っ切り池田山麓の谷筋を北西に詰めた所”とかねてより頭に仕舞い込まれていた地図を引っ張り出しそれを頼りにバイクを走らせる。

ところが山麓まで来て明神湖へと続く見知った道を探すがこれが無い???

「どうもおかしいぞ」辺りを見廻してどうやら谷筋をひと山間違えたと気付いた。

結局2kmほど遠回り?して本来進むべきルートに乗ったが、地理感覚には絶対の自信を持っていただけにこのミスにはチョットがっかり。

”寄る年波には勝てない”とよく聞くが、それが他人事ではなくなっていく自分の有様が少しだけ寂しい・・・。

 

谷筋の集落から別れて山道を登っていくと高いダム堤体で川を堰き止めた明神湖の畔に出た。

不思議と安らぎを覚える湖畔の風景

梅雨前のせいか湖面が幾分小さくて少し趣に欠けるのは残念だが、湖から奥へ続く青葉成す山襞の重なりが初夏の山々を多彩に演出しており、それを見る小生を束の間安らぎで満たしてくれる。

これほど人里近く野趣豊かな自然があるのも緑水豊かな我が郷土なればこそ、そよ吹く風も心地良い・・・。

谷間の向こうには濃尾平野が僅かに展望できた

景色を眺めて10分ほど休憩したあと湖畔を1周して帰途につくことにした。

帰路では垂井と池田を結ぶ山道の梅谷峠を越えていく心算だが、最近は走ってないので道の様子はどうかなぁ・・・。

 

 

 

TOJ美濃コースを走る

 

3ヶ月半前から始めた体重減へのトライだがついに65.5kg(-8.2kg)を記録した。

当初は68kgを最終目標にしていたが、これは2ヶ月程で達成出来たのでつい欲が出て65kg台を目指すことにしたのだが、この下方修正分の-2kg以上を減量するのは意外と大変だった。

1kg減量するのにほゞ1ヶ月を要し、しかもその1kgは”有って無い様なもの”で少しでも気を抜けば直ぐ元に戻ってしまうので、減った体重を如何に維持し(結局はエネルギー収支のバランスをとるしか無い)更なる減量に繋げるかに気?を使った。

65kg台の体重は実に20代の頃(御多聞に漏れず結婚して急激に体重が増えた)以来の ことなのでこの体重を維持するのがこれからの課題、やっぱり ”不断の努力?” を続け なければいけないのかなぁ・・・。

 

さて、今日は青空が拡がる自転車日和なので、先日来延期していた”Tour of Japan 美濃ステージ”のコースを走るライドに出掛けることにした。

このコースには山越えがあるが、そんなに厳しい登りでは無いのでバイクは乗り心地を重視してLapierre(キャリパーブレーキだがアルミホイールなので頻繁にブレーキングしても熱損の懸念は無い)を選択。

 

岐阜市街から長良川に沿って金華山麓を抜けるのが美濃へと向かういつもの道、ここを走ると徐々に周りの風景が瑞々しいもの?に変わっていくので、それだけで気分が清々しくなってペダルを漕ぐ脚も軽くなる・・・。

山と川が織りなす風景は瑞々しさが溢れる

この先も長良川沿いに走路をとるのが美濃への最短ルートだが、今回はTour of Japanの美濃コースを走るのが目的なので、別ルートを幾つか頭で描いて最終的に普段はあまり走らないルートへとハンドルを向けた。

こんなことを思いつきで躊躇なく出来るのもボッチローディーの特権、走りを楽しめる一つの要素だ。

 

大矢田のコンビニ前交差点に着くとここから先がいよいよTour of Japan美濃コース。

レースでは右から奥へと選手たちが駆け抜ける大矢田交差点

レース本番では東から集団で走って来た選手たちが、この交差点を高速で右折して忽ち走り去って行くのが真近で観られる観戦ポイントなのだが、ここ数年の大会規模縮小でそれが観られないのが淋しい限り。

「来年こそは是非開催して欲しいものだ」と誰に言うともなく呟いてコンビニ前を通り過ぎた。

 

ここからはじまる大矢田トンネルへと至る半道坂は約3.1km、最後の九十九折0.8kmでは息切れする恐れもあったのでなるべくペースを一定にして淡々と登る。

ところがこれが効を奏したか?はたまた体重1割減が脚力損耗を防いだからか?懸念の九十九折は難なく乗り切って、以前の脚に来た覚えは”偽りの記憶か”と思うほど。

まぁ何はともあれ坂道を楽に登れるのは良いことだとホッと胸を撫で下ろした。

ヒルクライム苦手の小生はトンネルが見えるとホッとする

トンネルを越えると、そこからは板取川に架かる睦橋に向かって約3kmのダウンヒルが始まる。

ここは路面状態が良くヘアピンカーブも無いため、選手たちは70km/hr以上のスピードで駆け下りるところだが、バイク操作の自信も無く不測の転倒も怖い小生は45km/hrを出すのが精一杯。

それでも疾走する爽快感を味わえるのが自転車の良いところで、全身で風を感じながらそれとは別に体を包み込む緊張感の感触を充分に愉しんだ。 

睦橋を渡って走路は川沿いへ        いつも清澄な流れの板取川

このコースの中で小生が一番好きなのは、睦橋から美濃和紙の里会館(レースではこの会館前がゴールライン)を越えて蕨生集落に至るまでの約2kmの直線区間

ここは風が吹き抜ける地形(川に沿って両側に山)なので大概弱い西風があってそれが背中を押してくれるから脚力の無い小生が35km/hr超で走ってもそれ程脚に堪えない。

束の間の選手気分?を味わった後は、スピードを緩めて板取川の清い流れに視線を投げれば心地よい風が身体を優しく撫でていく・・・。

 

しばらく走ると片知渓谷への分岐点で、この片知渓谷は近在のヒルクライマーの間では標高差1000mを登る斜度もキツイ超級山岳コースとして有名なところ。

ヒルクライム嫌いの小生には無縁の道だが、チョット触りだけでも体験しようと行ってみることにした。

片知川に沿って進むと集落があり、金峰神社の先で山道になるが斜度はそれ程でもないので「もう少し行ってみよう」と先へと進むとまた集落が。

「どこまで行くかなぁ」と考えながらノロノロ走っていると道は山へと入っていく感じになったので「ここまでだな」と即決して引き返すことにした。

(後で調べたら引き返した籠神社から先で道の斜度が上がるらしい。あぁ良かった)

     片知渓谷への道         これから先がヒルクライム本番らしい

果たしてこの程度では片知渓谷ヒルクライムの”お触り”になったかどうか判らないが、全く知らないよりはチョットだけマシだろう・・・。

 

コースに戻り美濃橋まで一目散に走って少し長めの休憩。

トラスも塗装されて綺麗になった美濃橋

橋上から川原を見下ろすとテントを張ってBBQを楽しむ家族連れが数組いて、それを 眺めながら同じ様に家族でBBQを楽しんだ昔を思い出して感慨にふける。

”ある時長女が言ったっけ「小学生の時に夏休みの研究で川の上流から下流の岩石調べをしたけどあの時色んなところでしたBBQは楽しかったなぁ」と、その長女も今では 2人の子持ちで米国暮らし、やんちゃ盛りの孫たちは元気にしてるかなぁ・・・”

 

Tour of Japan美濃コースを1周したあとは、何処へも寄り道せずにいつもの美濃からの帰路ルートを走って雄総まで帰ってきた。

雄総まで来ると岐阜市街まではあと少し

居宅まではまだ15kmほど走らなくちゃいけないので、今回は久々に100kmに近い走行距離になるが、脚の疲労感がほとんど無いのはこのところ精を出しているローラー台でのトレーニングの賜物か?

まぁ何れにしても元気であるということは嬉しいことだ・・・。

 

 

 

山寺で心安らぐ

 

”五月晴れ”は元々は”梅雨の晴れ間”を指す言葉だったとTVのニュース番組でお天気キャスターが言った。

5月の清々しい青空を形容する言葉だと思っていた小生は「そうなのか」と一応聞く耳を持ったものの「そうかも知れないけど5月の清々しい青空の方が相応しいよなぁ」と独り言の様にTVに向かって愚痴った・・・。

 

さて、今日はそんな”五月晴れ”は何処へいった?という様な曇天の空模様で走っていて爽快な気分になる日では無いが、ここ数日ライドに行けてない負い目?が身を苛む (チョット大袈裟)ので、兎に角どこかへ出かけようと準備に入る。

昨日まではツアー・オブ・ジャパンの美濃ステージ(残念ながら今年も美濃での開催は中止になった)のコースを走ろうと思っていたのだが、今朝の空模様を見たらその気は急激に失せてしまいこの時点で行先は白紙状態。

「さて何処へいこうかなぁ?」いつも行先を決めるのはかなりの難題で、沈思黙考して必死?に考えた末に決めた行先は”犬山方面”「最近あまり足を向けてないなぁ」というのが決め手だった。

 

まずは羽島へと南下してから濃尾大橋を渡り木曽川左岸堤防道路を木曽川橋へと走る。

居宅からは木曽川橋が至近だが、羽島へ大回りする15kmの走りが丁度良い準備運動になってそこからのサイクリングロードの走りで脚を軽くしてくれるので、敢えてそれをするのが小生のこだわり。

曇り空なので青空の下を走る爽快感は無いが、それでもやっぱり外を走るのは気持ちの良いもんだ・・・。

木曽川サイクリングロード(一宮市光明寺付近)

平日の木曽川サイクリングロードは人影はチラホラ、おまけに風もほゞ無風なので快走するのにはもってこいのコンデション。

良く回る様になった脚でペダルを踏めば普段の速度を軽く超えて32~3km/hrでの巡航も大して辛くは無い。

これはこのところ体重を絞るためにやっている「ローラー台トレーニング(45km/hr超で1時間)の賜物かも知れないなぁ」と少しニンマリしながらペダルを踏み続けた。

 

サイクリングロード⇒r-183と走り継いで犬山まで来たが、この先はどう走るかを決めてないので、お城の下でバイクを停めて思案がてらの小休憩。

新緑に包まれる犬山城も結構映える

まず頭に浮かんだは、リトルワールド⇒入鹿池明治村と犬山東部丘陵地を一回りするコースだったが、これだと帰宅が予定より1時間近く遅れる(それはチョットまずい)ので渋々却下。(次に回してその時はもう少し早めに居宅を出る事にしよう・・・) 

結局”木曽川沿いをこのまゝ東進して桃太郎神社の先まで行った帰りに山寺(寂光院)を訪ねてのんびり散策する”ことに決めて休憩を切り上げた。

 

桃太郎神社は御祭神として童話の主人公である桃太郎(大神実命という神様?)を祀る全国でも珍しい神社で、知る人ぞ知るこの地域のB級スポットの一つ。

コンクリート像が昭和レトロな雰囲気を醸し出す桃太郎神社

しかし、昔は野猿公苑もあって数十匹のサルが放し飼いされていたので親子連れに人気の場所(小生も子供を連れて何度か来た)だったから、今は裏寂れて昔日の面影も無くなったのが小生には少し淋しい。

一方、道を挟んで対面の木曽川河川敷の芝広場(桃太郎公園)には、平日にも関わらず数張りのテントが有って近頃のキャンプブームを窺わせ、この盛衰の対比が如実に今の世情を表している様で、ある意味興味深くもあった。

 

桃太郎神社から更に先へと進んで川幅が狭まる”観音瀬”辺りまで走って来ると、そこでこの道は行き止まり。

この先で山が約3kmに亘って木曽川へと迫り出しているからで、もしそこに道路を造成出来たら「景色の良いサイクリングコースになるのになぁ」と常々思っているが、それは所詮叶えられない個人の願望に過ぎない・・・。

※大正の頃までこの近くに”栗栖の渡し”という渡船場があり、手前の飛騨街道と対岸の中山道を繋いでいたらしい。

  観音瀬近くの栗栖の渡し跡        今は対岸をR-21とJR高山線が走る 

来た道を引き返して途中から寂光院への山道に入る。

全体的には緩い斜度の坂道だが、最後は15%強の坂を80m近く上がらなくちゃいけないのでここは小生の脚力ではシッティングではとても無理、止む無く苦手なダンシングも使って庫裡のある広場に着き「やれやれ何とか乗り切った」とホッと一息。

バイクを休憩所の手摺に預けたら今度は本堂他の境内伽藍へと続く長い石段の登り。

半年前ならとても登れた段数じゃないが、足首人工関節手術の御蔭で難なく登れる様になったのは嬉しい限りで、これだったら低山の山登りくらいなら再開できそうだと希望が湧いてくる。

寂光院境内へと続く長い石段

この山寺は紅葉の名所として有名だが、今の時期は訪れる人も少ないので辺りを静寂が包んでおり、それが小生にはとても好ましいものに感じられる。

お堂を巡り歩いていると本堂辺りから何やら読経の声らしきものが聞こえてきたので耳を澄まして聞いてみた。

どうも日中諷経(お昼の読経)の時間らしく、内容は皆目解からないがその声を聴いていると何故か気持ちが落ち着いて心穏やかになっていく気がする・・・。

静寂の中読経の声だけが聞こえてきた(随求堂と本堂)

展望台からは岐阜や名古屋の市街地も望める

「さぁてそろそろ帰るとするかぁ」

帰路は鵜沼から各務原へと走るつもりだったが、寄り道で少しノンビリし過ぎて時間を押したので往路をそのまゝ帰ることにした。

多分その方が30分ほど早く居宅に着けるだろう・・・。

帰りは木曽川橋を渡って居宅へ

 

 

椎間板ヘルニアかぁ・・・

 

数日前のこと、朝起きると首筋が妙に痛く「こりゃぁ寝違えしたな」と思って軽く揉んだりストレッチしながら次第に痛みが治まるのを待つことにした。

ところが2日経っても3日経っても症状は一向に軽快せず、首を左右に振ったり上向きに反らしたりすると痛みで顔が歪む?ほどなので生活全般に少なからず影響が出る始末。

5日が過ぎて「これはチョットおかしいぞ」と不安になってきたので近所の整形外科で診てもらうと、先生は撮ったX線画像を指差しながら「頸椎の椎間板ヘルニアです」と宣った。

4と5それに5と6の頸椎間の椎間板が潰れてその組織が脊髄神経を圧迫しているのが痛みの原因とのことだった。

「やっぱりな」痛みの原因は判ったがそこではたと困った「と云うことは3ヶ月は痛みが続くのか」 (20年ほど前に腰椎椎間板ヘルニアを患ったが、その時は寛解 ”潰れた椎間板が修復されることは無く、そこから出る痛みの刺激に脳が反応しなくなるだけ” するのに3ヶ月ほどかかった)

昨秋の足首人工関節手術以降のブランクで衰えた心肺機能や筋力が最近ようやく戻って来たなと実感してたのに、また3ヶ月近くもバイクに乗らないで過ごしたら元の木阿弥になってしまう・・・。

 

しかし、処方して貰った痛み止めと筋肉をほぐす薬を飲むと2日ほどで大分首も回る様になり痛み自体も軽減してきた。

これは薬の効能で当然の結果なのだが、これ幸いとローラー台でバイクを漕いでみたら、首を反らしてライディング姿勢をとってもほとんど首筋は痛まない(後を振り向くのは難しいがバックミラーで後方確認は出来る)ことが判った。

正に一筋の光明を見出した感じで「これならライドも出来そうだな」と思わずその場で独りほくそ笑んだので、それを誰かに見られてなかったかと慌てて周りを見渡した。

気懸りは処方された薬を飲まないとどうなるかだが、それを確かめるのはまだチョット早いかな・・・。

 

という訳で、今日はヘルニア首?の調子を確かめるべく軽めのライド(まぁ何時もそうだが)でもしてみるかと準備を始めた次第。

行先は濃尾平野の北西端となる揖斐辺りで、その山ぎわを反時計回りに走ってみようと云うのが大体のプラン。

街中を抜けて郊外の見通しの良い道を選びながら大野まで走ってくると、つい先刻まで遠く見えていた辺縁の山々も随分近くなり、その安堵感?からかクランクを回す脚の力も少し抜けて移り行く風景を愉しみながらの走行となる。

大野まで来ると濃尾平野北西端の山並みも近い

道沿いには青々とした麦畑が拡がっており、これがあと一月もすると黄金色に染まって刈入れが始まると思うと何か不思議な感じ。

最近は麦の作付け面積が増えてる様な(麦畑をよく目にするので)気がするが、これは大麦なんだろうか小麦なんだろうか?農作物に疎い小生にはよく判らないなぁ・・・。

 

更に走って大谷山麓の野古墳群(5世紀~6世紀に造られた前方後円墳等が大小9つ現存する)で小休憩。

大きな築山にも見えるモタレ古墳(帆立貝形前方後円墳

古墳の石柱にもたれて、近くの柿園でやっていた家族総出?の受粉作業をのんびり見学すること数分間「こうやって手間をかけてあの甘い富有柿はできるんだぁ」と妙に納得した。

この長閑な風景の中に身を置くと、そのままズ~ッと居たい誘惑に駆られてしまう。

まぁ急ぐライドでは無いが、バイクで走るのが目的でもあるので早々に切り上げて出発することにした。

新緑萌える山に向かって走る

三水川沿いを西に走り、正面の志津山中腹を貫くトンネル(長良松山隧道)を越えると揖斐川の街で、ここからは揖斐川左岸堤防道路を上流へと向かう。

車がほとんど通らない道を軽快に飛ばしていると、背後からローディーが近づきそして俊足で追い越していった。

若者の3人連れで一瞥してみんな飛ばし屋という感じ。

「ほぉぅ何処へ行くんだろう」興味は湧いたが付いていく気はサラサラなし(もっとも追う脚力も無いが)後姿を見送りながら、彼らの行先をあれこれ勝手に考えて束の間の夢想を楽しんだ。

 

川口橋を渡ってUターンし ”揖斐川ふれあい街道”⇒”西美濃お茶街道”と走り継ぐとここからは後半戦?になるが、ヘルニア首の調子は悪くないのでまずは一安心。

清澄な粕川の源流は奥伊吹の山々

粕川に架かる橋の上で水分補給を兼ねて一服した後、池田山麓に伸びる走路(池田ふれあい街道)をゆっくりと上る。

坂の途中にあるコテージ風の家屋は、いつか訪ねたヴェンゲルンアルプ鉄道(スイス)の車窓からみた山小屋を思い起こさせる。

何故か旅愁を誘うこの家屋の佇まい・・・

果たしてこの家にはどんな人が住んでいるのだろう? 「老夫婦かな?いやいや案外40代の熊の様な大男かも?」と勝手なことを想像しながらペダルを漕いでいると、いつの間にか坂は終わっていた。

所々で濃尾平野の展望が拡がる池田ふれあい街道

茶畑の中をいく山麓の道は快適そのもの、眼下に広がる濃尾平野を時々チラ見しながら爽快な気分で走っていると、道脇の草原でパラグライダーの練習をしている一群が目に入ったので、チョット停まって野次馬的に見学してみることにした。

スクール生は若い女性が多い(ここでも男は劣勢か?)

どうやらパラグライダースクールの初心者らしく生徒はみんな動きがぎこちない。

小生は30年ほど前に1度だけパラグライダーを体験したことがあり「あの時の俺もあんなだったなぁ」とその時の記憶が蘇る。

パラグライダーで飛ぶことは意外と簡単、パラシュートに風をはらませて坂を駆け下りれば身体がフワッと浮くのでそのまま惰性にまかせて空中へ飛び出すだけ。

飛んだあとは”風まかせ”では全然無く、両手に握った紐の右を引けば右に左を引けば左にパラグライダーは動き、紐を同時に引っ張ればパラシュートの浮力が減衰されて降下を始める。

「そういえば高く上がったのに怖気づき、両手の紐を強く引きすぎて墜落同然の格好でスキー場の斜面に着地したっけ」と小生の無様な失敗をありありと思い出した・・・。

 

パラグライダースクールの野次馬見学で道草を喰らった後は、池田温泉⇒神戸⇒瑞穂と一気に走り墨俣まで帰ってきたので、一夜城を望む橋の欄干にバイクをあずけて最後の小休憩。

犀川橋から眺める墨俣一夜城もまんざらでもない

ボトルに残ったソルティーライチを飲み干しながら「まぁまぁのライドだったな、よしあとは長良大橋を渡って居宅へ向かうだけだ」と心の中で呟いた・・・。

 

 

 

あれってナンジャモンジャ?

 

先日ライド中にコンデジ(コンパクトデジタルカメラ)を紛失した。

カメラは収納ケースに入れマジックテープでハンドルに括りつけていたのだが、何処で落としたかは定かでは無いが、武芸川から高富へ抜ける山道を走っている(少し荒れた路面を35~6km/hrで下っていた)時に振動でテープが剥がれて落ちた可能性が高い。

カメラが無いのに気付いたのはそれから1時間以上も経ってから(我ながらその注意力の無さには呆れる)

引き返して探すか?と思ったが「落とした場所も判らないし時間も経っている」と思い直してここはスッパリ諦めることにした・・・。

スマホがあるのでコンデジが無いと”写真撮るのに困る”ということは無いが「まぁ手当てが必要だな」と考えて早速リサーチしてみたが、何とコンデジはこの4月から軒並み値上がりしており3万円台の物で平均2割も価格がUPしている。

これって半導体不足の影響?それとも季節的な価格変動?

まぁ何れにしても今が買い時じゃ無いことは確かなので、ここしばらくはwatchをして価格低下を待つのが良さそうだ。

 

さて、このところ何か身体が疲れ気味な感じなので「チョット楽なライドがしたいな」と思って今日は木曽三川公園方面へ向かうことにした。

と云うのも予報では今吹いている北西の微風が昼頃には南寄りの風に変わるので、行き帰りで風の恩恵(背後から押され前面の風圧がゼロになる感覚)を享受しながら走れると期待したから。

風はローディーの”良き友であり且つ嫌な友でもある”から、これと仲良く付き合うことは愉しく走るためには重要なことだ。

 

長良川左岸堤防道路を南に向かって走ると法面に自生した色々な花々(黄:タンポポ、白:ハルジオン、紫:カラスノエンドウなど)が眼を楽しませてくれるが、今を盛りに紅い絨毯の如く群生しているのはベニバナツメクサ

堤防の法面を紅く染めて群生するベニバナツメクサ

この草はヨーロッパ~西アジア原産のマメ科帰化植物らしいが、道理でその色合いには日本的なもの?とはチョット違う一種の”どぎつさ”がある。

風土と云うのはそのものが持つ固有な特質を徐々に変えていく力を秘めているが、このベニバナツメクサの花の色合いも、今より何世紀か経た後には”風土に合った柔らかな色”へと変貌を遂げているだろうか?(それを知る術は今を生きる誰もが持ち得ないのだが・・・)

 

平日の木曽長良背割堤は訪れる人も少なくmy paceで走れるので好きな走路の一つ、30km/hrほどの巡航速度で走ればその”疾走感”が小生の気分を上々にしてくれる。 (何だそれしきでと言うなかれ快感の尺度は人それぞれで違うのだ・・・)

走りながら前方に目を凝らすと数百m先に前走者らしき人影があり、当初は追い越す気は無かったが徐々に近づくので意を決して追い抜くことにした。

スピードを3km/hrほど上げて追いつき「コンチワ」と挨拶するが、何故か憮然とした 素振りにそれ以上の声掛けが躊躇われたのでスピードを落とさずに先へと進むと、また視線の先に1人の前走者が・・・。

結局2人を追い抜いて普段の1割増しスピードを維持したまゝ背割堤の南詰ゲートまで 走ったが、若干脚に疲労を覚える程度で8km余りを走りきれたのは僅かに背中を押す「風の手助けがあったればこそ」と密かに感謝した。

背割堤南詰めから長良川越しに見る木曽三川公園センター

ふと木曽川河川敷側の三川公園広場に視線を向けると、樹冠が雪を被った様に白い灌木が眼に入り、あれはひょっとすると”なんじゃもんじゃ(ヒトツバタゴ)”と直観。

10日ほど前のニュースで中津川の方でヒトツバタゴが花をつけたと報じられていたが、こんな所にも在ったのかとチョットびっくり。

この場所はこれまで何十回と走っているのに「今まで気付かなかったのはどうして?」と思ったが「多分花の咲く時期には来て無かったんだろな」と己が観察眼の無さを棚に上げて手前勝手な結論を下した。

まぁそれはさておき俄然興味が湧いたので近くで花を観ようと広場へと向かう。

自生するヒトツバタゴは天然記念物だが多分これは植生したもの

真近で観る花は花弁が細長く4つに割れおり、群れて咲くその姿は正にこんもりとした雪を連想させる。

花からは微かに甘い香りが漂うということだったが、小生の老い衰えた臭覚機能では 何も匂わず少しがっかり、ただ花を観賞するだけにして草原に座り樹冠を見上げながら束の間を送った。

三川公園センターにはよく立ち寄るが展望タワーには上がったことが無い・・・

木曽三川公園センターに寄ってから北へ4kmほど離れたアクアワールド水郷センターへとバイクを走らせる。

ここに向かうのはトイレ&休憩をとるためで、この近辺の公衆トイレ事情は、1が水郷センターで2が船頭平河川公園34が無くて5が三川公園センターという順(これは小生の判断基準で勝手に付けてる順位なので悪しからず)どうせなら綺麗なトイレを使わせても貰った方が良いに決まってる。 

また用を足した後は眼前に広がる池越しの山を眺めながらゆっくり休めるのもここを 選ぶpointの1つ。

ベンチに腰掛けて目を閉じると、少し汗ばんだ身体を5月の爽やかな微風が撫でてゆきその気持ち良さについまどろみたくなる・・・。

水郷センターの長ベンチは絶好の休憩場所だ

さて少し長めの休憩を摂ったがそろそろ帰ろう。

風は予報通り南寄りに変わってきたのでスピードに乗った快適な走りが出来そうだ。

「まずは信号交差点の少ないあの道だな」とこれから走る最初のルートを決め、バイクに跨ってビンディングにシューズをカチッと固定した・・・。