風を道連れに

☆あるボッチローディーの独り言☆

曇天だけど走るぞぉ

 

”天高く馬肥ゆる秋”で10月は晴天の日が多いと勝手に思っていたが、実際には1年の中で3番目に雨量が多い月らしい。

確かに10月に入ってから曇り空や雨空が続いており、秋らしい清々しい青空は何処かへ行ってしまった様で何だか物憂い気分になる。

この ”物憂い気分” だが、天候による気圧の変化を内耳センサーが感知して自律神経に ストレスをかけることにより生じるという。

小生の様に気分が軽く落ち込む程度ならマシだが、このストレスに脳が過敏に反応してしまうと、片頭痛や神経痛・関節痛等の慢性痛の悪化、心臓発作や喘息等の持病の悪化といったより重篤な症状も引き起こされるらしい。

天気と体調、この一見関係の無さそうなものどうしが密接に関係しているとは、何ともはや人間の身体というのは緻密に出来てるもんだ・・・。

 

さて、今週は天候の悪さに加え幾つかの所用も重なったため思う様にライドに出られず「こんなこともあるさ」と自らを慰めていたが、どうもストレスが溜まる様な気がするので、普段は出掛けない日曜日にも関わらずライド準備を始めた。

天候は生憎の曇天でしかも午後からは雨の予報、近場をササッと走るしかないがそれでも悶々として家に籠っているよりは良い。

 

「さて、何処へいくかな?」バイクに跨ってしばらく考える。

近場で短時間(2~3時間)走る所としては木曽川CRや長良川左岸河川敷道路があるが、休日は歩く人やローディーも多く、小生の性分としてどうも乗り気になれない。

「気持ちよく走るなら木曽三川公園方面かぁ」と定番コースに決めたが、いつもと違い復路は津島を経由するルートにした。

 

長良川左岸堤防道路を南へ走る。

いつ走っても「気持ちいい~」と実感させてくれる道で、クランクを回す脚も気分と共に軽くなって爽快だ。

長良川の堤防道路からは伊吹から養老への山並みがよく見える

西方の空は少し明るく伊吹から養老にかけての山並みもハッキリと見えるので、暫くは天気が崩れる心配は無さそう。

「2~3時間は持ちそうだな」と手前勝手な希望的観測で自分を安心させながら快走?を続けた。

 

木曽長良背割堤の北側ゲートに来ると、いつもすり抜ける左側の開口部が塞がれており右側だけが通行可で、横の看板には”全面通行止め”と書いてある。

背割堤が走れないと本当に困るなぁ

「なに!通れないの」と愕然としながらよく読むと、この週明けから5ヶ月間は休日を除いて通行止めだが今日は通れるとのこと。

ひとまず「よかったぁ」と胸を撫で下ろしたものの、小生がここを走るのは専ら平日でこれから5か月間は走路として使えなくなるとこれはかなり痛い。

代替のルートはあるが何れも少し煩雑な部分がある「当分は南へ走る頻度は減るなぁ」と少なからず落胆しながら背割堤へとバイクを乗り入れた。

 

背割堤の南側ゲート近く、木曽川河川敷に設けられた広場に沢山の車が並んでいるので何だろう?と注視すると、どうやらCar(しかも年代物の車ばかり)マニアの集まりらしい。

野次馬的興味が湧いたので近寄ってみると、車は1940~1950年代のアメ車で「こんな車どこにあったの?」という代物ばかり。

どの車も綺麗に手入れされていて相当お金をつぎ込んだのは間違いなく、こういう趣味の人も結構居るんだと面白く観させて貰った。

勢揃いしたアメ車(門外漢だから車名は全く分からない)

オーナーは50~60代の人が多そう(小生の勝手な推測です)

小生が子供(5~6歳)の頃、庶民には外国車なんて高嶺の花だった。

幾らかお金持ちの開業医は決まってフォルクスワーゲンに乗っていたが大概の開業医はスクーターで往診していた様な朧げな記憶がある。

そんな時代でも ”百万長者” と世間で言われた大金持ちは ”サンマンダイ” と通称された外車(主にアメ車)に乗っており、小生ら悪ガキどもはそんな車を街角で見つけると、珍しそうに車体に触ったり車内をのぞき込んだりしたものだ。

あの時代が”古き良き時代”だったのかどうかは判らないが、小生にはノスタルジックに想い出される時代ではある。

 

立田大橋で木曽川を渡り津島方面へと走る。

立田橋から木曾川上流を展望する

ここからだと名古屋駅の高層ビル群が真近に見えるが、実際には18kmほど距離がありまだまだ遠い。

こういう時に小生がいつも思うのは距離と高さについての錯覚だ。

例えば東京スカイツリーから富士山までは100km離れているが、高さ4kmに満たない山がなぜあんなに大きく見えるのか?

それは多分、人間の眼は奥行きを長さとして捉える機能が劣っているからだろう。

カメレオンが舌を伸ばして虫を捉える時、その距離は彼?の頭で正確にはじき出されているに違いない・・・。

 

折角津島を通るので久々に津島神社に寄って行くことにした。

Google Mapで大体の場所を確認してあとの走路は感に頼って走ると、思い通り南門の前に出て、最近自信に疑問符が付き始めた地理感覚がやゝ戻ったと独りほくそ笑む。

 花手水で身を清めて          豊臣秀吉が寄進した南門
楼門は秀吉の病気平癒を願い秀頼が寄進   小生は本殿で家族の平安をお願いした

津島神社主祭神は出雲でヤマタノオロチを退治したスサノオノミコト

荒ぶる神だが神は元々多面性を持つもので、ご利益は疫病・厄難除け・縁結び等と色々あって小生が願うのは家族の平安。

「遠く離れて暮らす娘家族の健康と安全をどうぞ宜しく」とお願いしておいた。

 

津島からはr-129を濃尾大橋へと走る。

正午を過ぎてチョット上天の雲が厚くなってきた感じで先を急ぎたいが、信号交差点が多く頻繁に減速を余儀なくされて「道の選択を誤ったかな」とチョッピリ後悔。

しかし木曽川の堤防道に迂回すると結局遠回りになるので、我慢しながらも走り続けるしかなかった。

それにしてもこの道「こんなに街中を通って信号も多かったかなぁ」と脳裡に刻まれた記憶を呼び覚ますが、現実との乖離は大きく今更ながらに小生の記憶の不確かさを思い知った。

尾濃大橋付近のサイクリングロード

尾濃大橋近くまで戻ってきた所で頬に雨粒を感じて西方を見ると、先刻まではっきりと見えていた伊吹山が薄いベールに包まれて霞んでいた。

落胆しつつも「まだ小雨だな」と降りの弱さに少し安堵する。

居宅まであと10kmほどで30分はかからないが、それまで本降りの雨は待ってくれるだろうか?

「何とか待ってくれよ~」祈る様にしてペダルを踏む脚に力を込めた・・・。

 

 

 

古色と幽玄

 

御嶽山の大規模噴火からもう8年が経ったらしい。

この災害では多くの人(死者58名・行方不明5名)が犠牲になったが、遺族や関係者は別として、人々(小生も同類)の意識からはそういう悲惨な出来事があった記憶は時の移ろいと共にどんどん薄れていく。

「人間なんてそんなもんだ」と言ってしまえばそれまでだが、何だかチョッピリ淋しい思いに囚われる。

日帰りできる3,000m峰として今も人気の御嶽山

岐阜からは御嶽山がよく見える。(直線距離で90kmほどなので)

それだからという訳では無いが、山好きの小生は御嶽山に何度も登った。

中腹の残雪が心地良く登行を助けてくれる季節から、赤黄に染まる紅葉が山腹を鮮やかに彩る季節まで、登る度に色々な表情を見せてくれるのがこの山の好いところだ。

ある時、王滝口から登った下山時に ”キジ撃ち:用を足すこと” がしたくなった。

登山道から外れ岩を縫って進むと、目の前に荒涼とした谷が拡がりところどころで白いガス煙が立ち昇って硫黄の臭気が辺りに漂っていた。地獄谷だった。

それから10日ほど後、王滝村震源とする直下型地震が発生して、御嶽山頂上から南に伸びる山体(地獄谷辺り)が崩壊し29名が亡くなる災害が起きた。

もし、御嶽山に登るのが10日ばかり遅れて運悪く地震に遭遇していたら、今こうして チマチマとブログを書いている小生はいない。

人の運命は誰が決めるのか?それは神のみぞ知る謎である・・・。

 

さて、今日は清流の涼(チョット季節外れか?)を求めて板取方面へライドすることにした。 

峠を3つ越えるコース設定にしたのでバイクは山用のVaracan Special。

最近どうも走りが重い様な気がする(多分後輪のディスクブレーキでローターとパッドが軽く擦っている)が、修理が面倒(実は気が向かないだけ)なのでそのままの状態で出発、果たしてそれで良いのかぁ・・・。

 

岐阜ファミリーパークの横を通って武儀川まで走ってきた。

ここまでのところ脚もバイクの具合もまぁまぁだが、これから始まる寺尾千本桜街道の坂の峠への上りでどうなるか?「まぁ心拍数を上げない様にいこう」と自分に語り掛けペダルをユックリ踏み出した。

坂嫌いの小生は ”頑張らない” のが坂上りの基本、軽いギアで淡々と上がるがそれでも徐々に腿が張ってきて辛くなる。

「やっぱり駆動が重いなぁ」「帰ったらディスクブレーキの調整をしよう」などと思いながらクランクを回し続けるとようやく峠が見えてきた。

峠を越えればあとは下り、掻いた汗が一気に引いて身体全体で受ける風が心地良い。

上りに比べると下りは束の間だが、快速で飛ばすこの”ご褒美”があるからこそ±0で折り合いが付けられる。

板取川は越美国境の山を源とする清冽な流れ

澄んだ流れの板取川に沿って上流へとR-256を走り目指すのは高賀神社。

随分昔のこと、高賀山(1,224m)に登った時に近くを通ったが、神社は寄らず素通りしており「果たしてどんな神社かなぁ」と想像が膨らむ。

幾つかの集落を通り過ぎ、板取川に架かる橋を渡って山あいの道へ進路をとると、高賀神社まではあと4km。

わずかな距離だが、緩い傾斜が続く山道に沿って高賀川が流れ、時折その渓流が美しい渓谷の佇まいで小生を魅せるので、何度もバイクを停めることになり前へは遅々として進まない。

「まぁこれも良いかぁ」と自己弁護しながらペダルを漕ぎ続けると、視線の先に石造りの大きな鳥居が見えてきて「やっと到着だぁ」と思わず笑みが漏れた。

渓谷美で魅せる高賀川の流れ
  鳥居の大きさに圧倒される       橋の袂には円空彫りの狛犬が・・・

高賀神社は ”高賀六社めぐり” として、近世以降には地域の人々の崇敬を集めた六つの 神社の一つらしいが、思っていたより小振りな造りにチョット拍子抜け。

それでも拝殿の裏に隠れる様に鎮座する古色を帯びた本殿と八幡社を見ていると、何か神妙な気分になって”心が洗われる”様な感じがした。

信心は別にして、神社仏閣は煌びやかなものより古色蒼然としたものの方が好いと思うのは小生だけだろうか?・・・。

   石段を上がって拝殿へ        神社の歴史を物語る本殿と八幡社

いつも観光客で混みあっている”モネの池”を横目に見ながら、R-256を北へと走って次に目指すのは白水の瀧。

板取川に面する山懐深くに抱かれた落差15mの美しい瀧だが、そこまでのアプローチが少し不便なので観光客はあまり訪れない。(実はそんなところが小生の好みだ)

 

目印の徳兵衛茶屋でバイクを停め、板取川に架かる少し危なげな吊り橋を渡ると急峻な石段のあと山道が始まる。

板取川に掛けられた吊り橋を渡る       白水の瀧へと続く山道  

左足首が内反気味(人工関節手術で靭帯が伸びてる)なのでビンディングシューズでは歩き難く、足首を庇う様にして15分近く歩いてようやく瀧に着いた。

岩肌を滑る白い奔流も美しい白水の瀧

誰も居ない中「やっぱり美しい瀧だ」と辺りを見回しながら独り呟く。

瀧壺の傍らには”白水龍神”を祀った祠があり、白い奔流となって岩肌を流れ落ちる瀧は正に白龍そのものを体現している様だ。  

清冷な空気が立ち込める瀧壺近くの岩に腰掛けて、瀧水の奏でるザァーザァーという音に耳を傾けていると、幽玄な世界に埋没していく様な一抹の不安を覚えた・・・。

 

来た道を戻ってモネの池まで来ると、先刻は人だかりだった池の周りに人影はまばら、数秒前まで全く寄る気は無かったが、たまには池を覗いてみようとハンドルを切った。

随分と綺麗になったモネの池(池の水は高賀山の伏流水)

以前寄った時は水草がいっぱいで「チョット酷いな」と寄った事を後悔したが、今日は水草も少なく鯉や池底も見えて割合綺麗だった。

口コミで拡がったこの観光資源、口コミで駄目になる危険性は大いにある。

「関係者の皆さんそこんところよく考えて下さいよ」と1人の野次馬として小生はそう思うのだった・・・。

 

「さぁ帰ろかな」帰りのルートは洞戸でR-256と別れ、谷合から平井坂を越えて伊自良⇒岐阜市街の予定だ。

(ところがこの後、谷合に向かう道の通行止めで、あまり走りたくない車通行の多い道の走行を余儀なくされた。思い通りにいかない事ってよくあるよね・・・。)

流石に道をふさがれてちゃぁ先に進めない(涙)

 

 

 

静かな刻(とき)を愉しむ

 

”美しい花には棘がある”は、そういうもの?に触れて痛い目にあった者(小生もその1人かな?)にはよく解ることわざである・・・。

さて今日は、棘は無いものの花・茎・根に毒があるヒガンバナ曼珠沙華)の美しさを真近で観て楽しもうと津屋川へライドすることにした。

この時期ヒガンバナは近所の土手でも咲いているが、紅い絨毯の如く群生する様を観るには名所と云われる処まで行くに限る。

 

街中を抜けて長良川左岸堤防道路に出ると、一気に視界が開けて右手前方に養老山地の青い連なりが望見できる。

晴々気分で快適に飛ばせる長良川の堤防道路は小生一押しの道

目指す津屋川はその連なりが中央部で少し窪んだ辺りの麓に位置するが、取り敢えずはこのまま長良川下流へと走る。

最近は山の方(東・北・西)ばかりライドしていたので南の方に向かって走るのは久し振り。

平坦で信号も無い1本道なので、脚が回る様になると次第にスピードが上がって既に30km/hr超「よーし今日も調子良さそうだぞぉ」と自己満足げに呟いた。

 

平日なので木曽長良背割堤を走っているローディーは居無さそう。

この道は今でこそ近在の自転車乗りに大人気のサイクリングロードだが、10年前までは全線オフロードで、極たまに物好き?な人がマウンテンバイクで走るだけだった。

国交省に感謝しなくっちゃな・・・」そんな愚にもつかないことを思いながら無人の舗装路を快速?で飛ばす。

 

木曽三川公園の展望タワーが真近に近付いてきた辺り、何気に長良川に視線を落とすと普段は水面に隠れている岸辺が露になっていた。

「なるほど、台風の増水で河口堰を開いたな」と即座に理由を推測。

河口堰の放水であらわになった長良川の岸辺

この辺りはもう伊勢湾に近いので、潮の満干が川の水位に影響して木曽川揖斐川では岸辺が見え隠れするが、河口堰のある長良川にはそれが無い。

「珍しいものを見たなぁ」と何だか得した気分になったが、人間って他愛のないことを嬉しがるもんだ。

 

木曽三川公園センターはスルーして最寄りの水郷パークへと向かう。

最近の小生のトレンドは此処で、あまり人も訪れないので独りユックリ寛げるところが大いに気に入っている。

池のほとりのベンチに腰を下ろして山と池で構成される風景をぼんやり眺めていると、どこかのリゾート地に居る様な錯覚さえ覚える。

こういうところで景色を眺めて寛ぐのが好き・・・

海津で揖斐川を渡り養老鉄道に沿って美濃街道を駒野へ走る。

ここまで来れば津屋川はもうすぐ、急ぐ必要も無いので途上道沿いの趣のある常夜燈や駒野橋に立ち寄りながら行くことにした。

この辺りは古くからの町なので、小生の好きな”歴史を感じさせるもの”が数多く残っていて愉しい。

 

養老鉄道は山ぎわを走る          ゆったりと流れる揖斐川
常夜燈は大神宮信仰の礎         趣ある擬宝珠欄干の駒野橋

R-258を横切って津屋川堤防道を上流に向かうが、東海環状自動車道の高架工事で何と通行止め「あと少しなのになぁ」と前方に目を凝らすと、例年紅い絨毯が堤防法面全体に拡がる辺りにはポツポツと紅い塊が見えるだけ。

見頃には早すぎた気配を感じてチョット落胆するが「まぁ仕方ない」と諦めて迂回路を先へと進み、真近からヒガンバナの群生を鑑賞することにした。

道脇に群生するヒガンバナ

所々ヒガンバナの群生地はあるものの、花弁がまだ蕾状態のものも多く見頃は1週間は先といった感じ。

水辺に多くの開花したヒガンバナが見られるのは、最低気温が20℃前後になると地中の球根から花茎が一気に伸びて開花するこの花の特異な性質のせいなのだろう。

「このところ高い気温が続いてるからなぁ」そんなことを思いながら岸辺にあった石に腰掛けてぼんやり花を眺める。

すぐ傍を流れる小川の瀬々らぐ音が心地良く耳に届き、その長閑な雰囲気に横になって微睡みたくなるが、ヒガンバナは毒花、何かあってはいけないとそれは止めた。

川辺では静かな刻が流れていく・・・

「さぁ帰ろうかな」他の見物客が近くに来たのを機に重い腰?を上げて帰途につくことにした。

ここからだと今尾橋で揖斐川を渡って平田⇒輪之内⇒安八と繋ぐルートが走り易い。

「久し振りに”お千代保さん”に寄ってみるかなぁ」そんなことを思いながらペダルを 踏む脚に力を入れた・・・。

 

 

 

久し振り奥琵琶湖

 

この2ヶ月ほど全く本を読まなかった。

本を読むのは結構好きな方なのだが、図書館で借りる(もう20年近く本は買ったことが無い)ものが無くなると珠にこうして本から遠ざかる。

そうすると本を読みたい欲求が次第に高まる一方、本の内容に対する閾値も下がって、それまで手に取らなかった本にも興味を示す様になるので、また読書を再開することになる。

まぁこれが小生が本を読み続けるための方便という訳だ。

 

あるDataによると日本人の平均年間読書量は12冊で、月に1冊も本を読まない人が47%もいるという。

確かに今はPCやスマホで簡単に必要な情報を集めることが出来るし、ゲームやSNS、 動画視聴等のエンタメが充実しているから、本などという面倒くさいものは読む必要が無いのかも知れない。

しかし、読書は読解力(情報を取捨選択したり物事の本質を見抜く力)や論理的思考力(物事を比較分析したり筋道を付けて考える力)或いは想像力を身に付ける最適ツールでもあるので、こういった”人々の読書離れ”がもたらす結果が、今後(いや既に現在)の社会にどの様な影響を及ぼすかを考えると、取り越し苦労の性癖を持つ小生としては少なからず暗澹たる気持ちになる。

(あっ、いやこれも年寄りの愚痴なので適当に聞き流して貰って結構です)

 

そろそろ本を読む気分が嵩じてきたので、近いうちに図書館へ出掛けて読みたい本を 探してみるかなぁ・・・。

 

さて、昨夜は「明日のライドは湖北(琵琶湖北部)辺りを走ってみよう」と思いながら寝付いたのだが、朝起きてみると時刻は既にAM8時近くで「しまった寝過ごしたぁ」と少し後悔する始末、朝食を済ませライド準備等あれこれしてたら居宅を出るのが9時を過ぎてしまった。 

湖北は自走するにはチョット遠く出発を米原としていたが、思いのほか道が混んで時間だけが経過していくので「これじゃぁ駄目だ」と途中で長浜へと変更、走行距離は短くなるが帰宅時間(PM3時)厳守?なので背に腹は代えられない。

 

長浜の豊公園駐車場に車を停め準備を整えて時計を見ると10時半過ぎ、予定時刻より 遅いが仕方が無い「さぁ出発だ」と小さく呟いた。

豊公園は琵琶湖のほとり          公園内に長浜城がある

長浜城を横目に ”さざなみ街道” に出ると左手に琵琶湖が拡がり、久々に味わう景観に 気分が徐々に高揚していくのを感じる。

最後にビワイチしたのが5年ほど前、あの時は200kmを走る微かな不安が気分と脚を 少しだけ重くしていたが、今日は僅か80kmほどを走るだけなのでそんな重さは微塵も無い。 

平日で街道を走る車も少ないので、ブルーラインで仕切られた路側帯を安心して走れるのは有難い「30km/hr超で巡航すれば多少なりとも遅れた時間を取り戻せるぞ」とギアを1段上げてクランクを踏む脚に力を注入した。

 

みずどりステーション手前で1人そして賤ヶ嶽隧道の上りで1人と計2人のローディーを追い抜いたがどちらもビワイチ(orキタイチ)の感じで、スタートが何処か知らないが憶測すると時間的には少し遅めか?

この先の湖西道はあまり整備されてないので「道に迷わない様、車にも注意して!」と小生が頼まれもしないのにエールを送ったのを彼らは知らないだろうなぁ。

   歴史を感じる賤ケ嶽隧道       隧道を貫けると奥琵琶湖の展望が・・・

塩津浜飯浦線は静かな奥琵琶湖に沿って走る

奥琵琶湖の景観を愉しみながら塩津浜飯浦線を走って道の駅あぢかまの里まで来た。

当初予定ではここでは停まらず、大浦まで足を伸ばして海津大崎の湖岸線を眺めながら束の間寛ぐつもりだったが、腕時計を見る(12時少し前)と時間的にチョット厳しい ので迷った末にこれ以上先に進むのは断念した。

「あと小1時間あればなぁ」と恨み節が漏れるが、全ては小生の寝過ごしが元だから誰のせいでもない・・・。

 

小用を足してから次に向かうのは今まで一度も訪ねたことの無い余呉湖。

余呉湖はここから真東の位置にあり賤ヶ岳の北西の山を越えれば直ぐなのだが、そんな都合のいい道は生憎無いので来た道を木之本まで戻るしかない。

琵琶湖を右手に見ながら湖岸道を黙々と走っていると、チョットした感覚的な違和感が脳内に生じて身体を包み込んだ。

ビワイチは反時計回りに走るのが基本で、これを逆方向に走ったから左周りトラックを右周りに走った時に感じる違和感と同じものを脳が創り出したのだろうと思うが、小生はこの手の違和感を時々感じる。

果たしてこういう感覚的な違和感は生物が生き残るために必要なものなんだろうか?

 

賤ヶ岳の山すそに沿って走り左に回り込むと余呉湖はもうすぐ。

湖に近付くにしたがって何やら磯の匂いじみた臭気?が漂って来た。

「淡水湖なのに磯の匂い?」と思いながら湖を見渡せる場所まで行って湖面を覗くと、岸に近いところは藻類で埋めつくされており臭気の元はこれだと解った。

余呉湖の湖岸近くは藻類が繁茂して臭気が辺りに漂っていた

余呉湖は景観の良い湖” のサイト情報を鵜呑みにしていたが、実際はそうでも無いと 解ってチョットがっかり。

「この時期に来たのが不味かったんだな」と一応余呉湖を弁護したが、それでも失望の色は隠せない。

多分もう来ることは無いので湖岸道路を1周(5km)してから帰ることにした。

 

木之本まで戻って長浜までの帰路をどう走るか考えたが、やっぱりさざなみ街道を行くのが良さそうと結論。

路側帯が狭いので少し走り辛いが残り20km「後方に注意してね」自分に言い聞かせて先を急ぐことにした。

姉川に屯するシラサギの群れ

長浜の街近く、姉川を渡る際に川面に視線を投げると数百羽のシラサギが屯しているのが目に入る。

沢山のサギが集まっているのが珍しくて辺りを見廻すと、下流側にそのコロニーがありしかもその対岸には黒い鵜のコロニーがあった。

紅白ならぬ黒白が姉川を挟んで対峙しており「鳥達も粋なこと?をするもんだ」とつい笑みが漏れた。

琵琶湖に注ぐ河口部で競い合う鵜(左)とシラサギ(右)のコロニー

順調に豊公園まで帰り着いて時刻を確認するとPM2時、これなら高速に乗って帰ればPM3時少し過ぎに居宅まで帰着できそうだ。

よし、早速バイクを車のトランクに納めて出発しようか・・・。

 

 

 

激坂上がれるか?

 

米国に住む長女からLINEのビデオ通話着信があり、何事か出ると孫2人が眠そうな顔をしてこっちを見ていた。

日本時間はAM10時だが向こうはPM8時、まだ寝るには早いので「どうかしたの?」と聞くと、連日の猛暑(40℃が続いてる)で少しバテ気味との事。

「アパートのプール(居住者専用)で泳げば?」と言うと、給水設備が壊れていて使えないとの返事で ”何ともお気の毒様” というしかない。

それでもキンダーガーテンには2人共毎日楽しく通っている様で、英語での会話も随分と出来るようになり、時々送られてくる学校での授業風景(動画や写真)を見ながら、「子供の適応能力って大したもんだ」といつも感心している。

 

一方長女の今の関心事は円安で「どうなってるの?」と少し怒声で聞いてきた。(俺に怒って貰ってもねぇ・・・)

大学研究所でポスドクとして働く長女の年収は6万ドルほどだが、そこから税金などを差し引くと実質手取りは5万ドルを切る。

物価高の米国で家族4人が暮らすにはこれでは足りないため、渡米以来預金を取り崩して補填しているらしいが、円からドルへの換金時に為替レートが悪ければ預金の目減りも増えるので円安を怒るのも当然。

 

相変わらず政府、財界、アナリストの一部からは円安を是認する声が聞こえるが、反対に生活者からは相次ぐ値上げラッシュにこの円安を危惧する声も高まっている。

しかし、安倍長期政権から続く異次元金融緩和で負の遺産(放漫財政による1,000兆円の借金)を抱える政府と金融当局に現状を打開する妙手は無く、徒手空拳のまゝに欧米の金融政策にただ押し流されるだけ。 

いやはや、かって”Japan as Number One”と世界に誇った経済力も今や見る影も無しの様態で、小生ら年寄りにはこの国の将来が大いに危ぶまれるのだが、次代を担う若い 世代は現在の政治経済情況がどの様に見えてるのだろうか?・・・。

 

さて、今日は雲間から青空が覗く天気なので、遠くよりも近場でと一旦は木曽川サイクリングロードへと向かったのだが、何だかイマイチ乗り気になれず2週間ほど前に行きそびれた不破の滝へと途中で行先変更した。

 

墨俣から神戸⇒赤坂へと車通りの少ない道を選んで西に向かって走る。

この時期にしては珍しくチョット強めの西風が吹いてスピードが上がら無いが「往路の向かい風は復路の追い風」と自分をなだめてクランクを回し続けると、風神も気の毒に思ったか?幾分か風も弱まってきて走るのが少し楽になった気がする。

「OKOKいい感じ、風よこのまま弱まっててくれよ」と独り言を呟いた・・・。

池田山南麓の風景(この山中に不破の滝がある)

垂井からは北に進路を取り前回確認した川沿いの道を山の方へと進む。

この道を奥に詰めたところが目的の”不破の滝”で「あと3kmほど走れば到着だ」と自然にペダルを踏む脚に力が入る。

しかし三叉路まで来て右方向の山道へ進もうとすると、何と道がロープで塞がれており不吉な予感が頭をよぎった「まさか滝へは行けない・・・」

滝までは残り1.5kmほど、とにかく行ける所まで行ってみようと走り出すが、山道は少々荒れており小石や木片を踏んでパンクしない様に注意しながらの徐行だ。

斜度は2~4%とキツく無く、ユックリ走るので辺りを観回しながら行けるのは嬉しい。

不破の滝へと続く山道(気分が安らぐ静かな道だ)

しばらく行くと川辺で釣り糸を垂れる人影を発見し「この辺りだとアマゴ釣りだな」と独り納得。

釣り人と云うのは思いがけない場所にも居るもので、小生がまだ山歩きに勤しんでいた頃に砂防堰堤が幾つもある渓流上部で釣り人に出くわしたこともある。

ウナギなら堰堤を這って上がるが魚は無理、あんな所にイワナが居たとは思えないが、もし居たとしたらそれは堰堤が造成される前から居たイワナの子孫だろう・・・。

そんなことを想いながら山道をさらに奥へと進んだ。

 

すると、それまで川の瀬々らぐ音しかなかった静かな空間を断ち切る様にして異音が耳に届き、その音の方(前方)に視線を送ると、幾本もの倒木とそれを片付ける重機が道を塞いでいるのが眼に入り愕然となった。

視線の先には無情にも行く手を塞ぐ倒木と重機が・・・

「これがあのロープの理由かぁ」

滝まであとわずか(Google Mapで確認すると200mほど)だが、この状況では前に進めないのは明らか。

滝のある辺りを呆然と眺めたあと仕方なく諦めてバイクを反転させたが、つい口から「何かついてないなぁ」の声が漏れた。

 

このまま帰るのも味気ないので次の行先を頭の中で模索すると赤坂の”金生山”が脳裡に浮かんだ。

金生山は標高217mの小山だが、そこを上る距離1.13km平均勾配13%(最大勾配23%)のヒルクライムは激坂として有名。

ヒルクライム嫌いの小生ではあるが過去に1度挑戦しており、その時は敢え無く中盤?で力尽きているので今日はどこまで上れるか「力試ししてみるかぁ」と思った次第。

 

赤坂の大通りに面した路地を山側に曲がった先の子安神社がスタート地点で、いきなり12~21%の急登が始まる。

50mほどの坂をダンシングを交えながら上がり、一旦緩んだ斜面でホッと息をつく間もなく次の上りが始まってまた脚に力が入る。

今度は12~18%で200mほど続く坂をユックリ上るが、それでも息が上がり腿も次第に張ってくるので少し蛇行気味にしていると、前方から車が1台下りてきて徐行することもなく横を通り抜けていった。

幅員の狭い道なので小生との距離はもう触れんばかり、転倒しそうになり「危ない!」と思わず声が出たが、それにしてもドライバーさん「もう少し自転車乗りのことも考えてよ」と独り愚痴った。

上がるにつれて斜度が厳しくなる金生山の坂道

金生山神社まで来ると斜度も緩み少し楽が出来るが、前回はここでギブアップしておりこの先は未知数「何とか行けそうだな」と自己暗示をかけて先へと進む。

実は金生山ヒルクライムはここからが正念場、14~23%で500mほど続く坂をひたすら上がらなければならない。

眼前には進むに従って斜度を上げる坂がありそれを見て一瞬ひるむが、もうここは行くしかないと腹を決めて助走をつける様に少し加速した。

 

キツイとにかくキツイ、斜度は18~20%でダンシングに蛇行を加えないと上がっていけない。

脚はそろそろ限界で、心拍も呼吸も急に上がって”謎の疲労感”の恐怖が頭をよぎる。

あそこまでと目標にしていた地蔵堂はなんとか通過したものの、その先の22%の急坂に差し掛かった所でついに力尽きてギブアップを余儀なくされた。

止まった所で振り返るとそこには濃尾平野の絶景が拡がっていた

バイクを押し歩きして20mほど先の緩斜面まで行くと、その先にはまだまだ続く急坂があった。

「何て坂だ、やっぱりここは俺の来る所じゃぁ無いなぁ」と苦笑いしたが、その笑いには少なからずの満足感も含まれていた。

 

バイクを押して急坂(130m)を上がり、最後くらいはバイクでと緩くなった坂を150mほど走ればゴールの明星輪寺の駐車場、折角なのでお寺も訪ねることにした。

結構大きなお寺で平日にも関わらず参拝者がチラホラ、奥まった処にある本堂まで行きご本尊の虚空蔵菩薩(日本3大虚空蔵菩薩の一つらしい)に家族の安寧をお願いしておいた。

山門をくぐって奥まった処の本堂に向かう
本堂内のご本尊は岩肌に彫られた虚空蔵菩薩

下りは急坂なのでブレーキをかけっぱなし、幸いバイクはLapierre(アルミホイールリムブレーキ)なのでホイールが熱損する心配は無いが、ブレーキの高鳴りが少し気になる。

ここは濃尾平野が一望できる絶景pointなので、上り時には見れなかった景色を十分堪能してから下りることにした。

後は帰るだけだからね・・・。

金生山は濃尾平野の北西端辺りで遠くに名古屋市街も眺望できる

 

 

 

 

子猿さんゴメンよ

 

先日のTVで富士登山をする人達の行動を追った番組を放映していた。

そこには、およそ高山を登るに相応しくない服装の登山者や暴風雨が吹き荒ぶ中なおも先に進もうとする登山者、高齢の登山者など様々な人達が登場して「おいおいそれってどうなの?」と思うと同時に、富士山登山の大衆化(チョット古い言い方?)も来る所まで来たなとの感も深くした。

秀麗な山容で人々を魅了する富士山

富士山はその優美な姿に騙されるが、実は自然条件のかなり厳しい山。

例えば下界の気温が35℃の酷暑にある時、3,776mの山頂付近では15℃前後(登山起点の一つである吉田口5合目では20℃前後)と厚手の長袖が必要な気温だし、地形的に 天候が急変し易く突然の雷雨や強風に見舞われる(一旦そうなればそこは過酷な場所に変貌する)こともしばしばで、そういう富士山の実相を登山者自身が知っていなければ最悪生命の危険すらある。

しかし富士山に登る人達の多くは”山の初心者”で、そう云うことにはかなり無頓着。

それは山歩きの基本(歩幅とペースの抑制、水分補給、体調管理等)を押さえていればかなり防げる頭痛・嘔吐・全身倦怠などの高山病の発症率が極めて高い(ある調査では登山者の3割強が発症したと報告)ことからも伺える。

間もなく(9月10日)富士登山のシーズンは終わるが、今年も山は混雑しただろうか?

小生はこれまでに3度富士山に登ったが、その寡少な実体験の中から導き出した結論は”富士山は登る山では無く遠くから眺める山”と云うこと。

色んな意味で今の富士登山の現状(押し寄せる人波やそれに伴う環境破壊、最低レベルの山小屋etc : 独断と偏見が含まれます)が続く限り4度目を登ることは無い・・・。

 

さて、ここ数日は台風11号の影響で天候不順が続いたため、止む無く近場を2時間ほど実走するかローラー台で汗を流すかしていたが、今日は終日晴天が続きそうなので、 久し振りに関から山県にかけての山辺武儀川に沿って走ることにした。

 

初秋を迎えて少し涼やかな風が吹く様になった長良川沿いの道を関へと走る。

長良川河川敷遊歩道(岐阜市)         関市千疋付近の長良川

ペダルを漕ぎながらふと視線を川面に転ずると、いつもは澄んだ流れが雨で濁り水量も増してその風情は何だか寂しげ。

「やっぱりこの川には清い流れが似合うなぁ」そんな思いに浸っていると、子供の頃に浅瀬で魚取りをして遊んだ記憶がありありとした実像を伴って脳裡に蘇ってきた。

あの頃の長良川は遊びの場として身近な存在だったが、今はコンクリート護岸のため 川に近づくのも難しくなった。

防災上の必要性は解るが、自然がある意味遠くなっていくのは淋しいことだ・・・。

 

美濃に入る手前で道を左に折れ山際を武芸へと走っていると、山懐に抱かれる様に建つ山小屋風の民家が目に入った。

八ヶ岳の山小屋の様な趣がある・・・

その何とも感じの良い佇まいにどんな人が住んでいるのか興味が湧いたが、通りすがりの小生に確かめる術は無く勝手に想像するのみ。

山歩きに没入していた昔のこと、山小屋の生活に酷く憧れて隠遁を夢見たことがあったが、ここの住人も同様の経験があるのだろうか?

そんな愚にもつかないことを思いながら路傍に佇んでいると、郵便配達員が訝し気な顏で傍を通り過ぎていった・・・。

 

武芸から美山へと武儀川沿いの道を快走してきたが、体温が上がり脱水を来したのか?急に脚に疲労が溜まりクランクが回せなくなった。

「休む処は無いかなぁ」と辺りを見廻しユックリ走っていると最適な緑陰が目に入ったので迷わずストップ。

そこは人気のない村社で、その簡素な佇まいは小生の好みにピッタリ。

侘びた空間美が感じられる村社

苔むした参道に腰を下ろして静寂な空間を愉しんでいると、何やら音がするので視線を向けるとそこには1匹の野猿が居た。

どうも子猿の様で草むらから何かを取って食べてる様子。

「おや食事中かい」と声には出さず注視すると、その視線を感じたらしい子猿は慌てて立ち上がり後を振り向きつつ山の方へと逃げていく。

「ゴメンゴメン驚かす気は無かったのに」と遠ざかる子猿に小さく謝った。

 

神崎川まで足を伸ばして清澄な流れを愛でたかったが、武儀川が濁っているので神崎川も推して知るべしと行くのは断念して帰ることにした。

帰路は平井坂トンネルを貫けて伊自良⇒安食⇒岐阜市街へと走る既定のルート。

今日はバイクがDe Rosa(カーボンホイール/リムブレーキ)なので長い下りなら敬遠だが平井坂程度の下り距離なら多分問題ない・・・。

 平井坂トンネル              坂を下って伊自良へ

 

 

 

 

バタフライ効果?

 

旅行で使うものを入れた鞄を整理していたらパスポートが目に入ったので、手に取って有効期限を確認すると1年以上前に失効していた。

「やっぱりな、もう随分長いこと海外に行ってないもんなぁ」と溜息が漏れる。

最後の海外は7年前のフランス⇒スイス⇒ドイツと巡った観光旅行で、愉しい旅だったがパスポートには出国と入国の押印があるだけで、旅程を示す痕跡すら無いのが何とも味気ない。

会社勤めをしていた頃はパスポートは必需品(海外プロジェクトで出張することが間々あった)で、査証欄の残ページが残り少なくなるほど使った時期もあったが、リタイヤすると海外へ出かけるのは観光目的のみとなり当然使用頻度は大きく減った。

そこへ来て、ここ数年来は2日以上家を空けることが出来なくなった事情もあり、観光目的の渡航も無くなって、パスポートは鞄の片隅に埋もれたままその失効にさえ気が 付かなかったという次第だ。

世間ではコロナ禍自粛の反動で海外旅行熱が再燃しそうな気配だが、小生は今のところそのブームに乗る情況には無い。

悲しいかな今はただTVなどの旅番組を観ながら、いつの日か彼の地を訪れる際に備え予備知識を蓄えるのみである・・・。

 

さて今日は久し振りに西の方へと走ることにした。

"まずは多良峡へ向かい、その後反転して関ヶ原経由で不破の山沿いを池田へと辿る"

そんな大まかな走行ルートを頭に描いて居宅を出発。

普段より40分ほど早く出られた(と云うことは時間的余裕が生まれる)ので何かしら 気分が良く、どこか秋空めいてきた気配(天が高く巻雲がたなびいている)がその気分を後押ししてクランクを回す脚を軽くする。

俄かに秋めいてきた青空はライド心をくすぐる

しかし、そんな上々の気分もある交差点を左折(いつもは直進)した事で暗転することになった。

一度走路を変えると何度も走路を変える事になるのは小生の性癖で、今日もそれを繰り返した結果、ついには全く知らない道を走る羽目になって「あれれ?こんな筈じゃぁ」と少し落ち込む。

そんな気分に更に追い討ちをかける様に後輪がパンクして「なんてこった、あの時道を変えなければよかったぁ」と今更ながらに悔やんだが、こう云う小さな出来事が結果的に大きな出来事?に繋がるのって”バタフライ効果”と言うのかな。

こんな事で落ち込んじゃぁいられないので、パンクを修理しながら気分を立て直して 再出発、まだまだライドは序盤だ・・・。

 

上石津トンネルの手前でR-365から離れて牧田川沿いの旧道を走る。

いきなり8%強の坂が400mほど続くので、ここまで35km近く走ってきた脚には少し  辛いが、多良峡まではあと2kmほどなので我慢してクランクを回すしかない。

Up Downする林道をしばらく走ると視線の先に吊り橋が見えてきた・・・。

多良峡へと向かう静かな林道

この時期多良峡には多くの家族連れが涼を求めて訪れるが、今日は川が少し濁っている(前々日に雨が降った)ので人数は少なめ。

そのせいか?川原の喧騒は吊り橋横の休憩スペースまで届かないので、これ幸いと誰も居ないベンチに腰掛けてノンビリ寛ぐことにした。

そよ吹く風は無いものの樹陰が汗ばんだ身体を癒してくれるから、疲労感が徐々に解消されていく感じがして何とも心地良い。

静寂に包まれながら沈思黙考すること10分余り、いつまでもこうして居たいがそうも いかないと腰を上げた。

  多良峡に架かる吊り橋        川原には水と戯れる人達が・・・

次に向かうのは”不破の滝”で、先日Google Mapを見ていて偶然に見付けたこれまで一度も行ったことのない場所。

予定通りR-365まで戻って ”島津の退き口” ルートを関ヶ原へと走ったまでは良かったが、その先を通った事のない裏道を選んで進んだのが失敗だった。

不破の滝への道は "垂井線を越えて山際を進むと出会う川沿いの道” と記憶しており、 正にその通りの道に出たのでそのまま山に向かって進んだのだが、舗装路はやがてオフロードに変わりその道も次第に細くなっていく。

「何かおかしいぞ」と思いながらも更に進むが、目の前に ”この先林道行き止まり” の 看板と柵が現れるに及んでようやく事態を理解し道を間違えたと自覚した。

勘違いして入った林道は通行止め・・・

「と云うことは同じ様な地形と道が別にあるなぁ」と来た道を引き返して周辺を探すと東に300mほど離れた所に山中へと続く若干幅広の川沿いの道があった。

その道を奥へとしばらく走り「やっぱりこれが不破の滝へ通じる道だな」と確信はしたが ”時すでに遅し” 今から滝への往復は時間的にキツイので行くのは止む無く断念する ことになった。

それにしても最近はこんな風にして道を間違えたりすることが多くなった気がする。

自信を持っていた地理観も寄る年波には勝てず次第に衰えていくのかなぁ・・・。

 

とんだ失敗を嘆きつつ最後に向かったのは垂井と池田を結ぶ”伊吹ばら街道”の梅谷越。

小生の好きな峠越え林道の一つだが、普段よく走るライドコースからは外れているので以前に走ったのは3ヶ月ほど前と久し振りだ。

緩い斜度の道を淡々と上っていくと、道は次第に深い木立に囲まれた林道となる。

気温も数℃下がった様で、そのヒンヤリとした雰囲気が少し汗ばんだ身体を包み、傍を流れる渓流のせせらぐ音の清涼感との相乗効果で小生を心地良さで満たしてくれる。

梅谷越の好さはこんなところ、少し寂れた林道だが満足度では他に引けを取らない。

  梅谷越へと続く林道         林道脇には清らかな渓流が

峠が近付くに連れて斜度も上がってクランクを回す脚にも力が入ったが、前荷重で乗り切って下りに入る。

ここの下りは ”要注意” 路面が濡れてることが多いし一面苔生した路面も何ヵ所かある。

スピードの出過ぎと急ブレーキに注意して慎重に下ると、間もなく池田山林道との分岐が見えて来た。

 

不破の滝へは行けなかったが今日の予定はこれで終わり。

池田温泉に寄ってひと風呂浴びていきたいところだが、帰路でまた汗を掻くので意味が無いし何よりも時間が無い、ここは諦めて帰るのが順当だろうな・・・。

帰途では ”加賀野名水(大垣)” に立ち寄って乾いた喉を潤した・・・。