風を道連れに

☆あるボッチローディーの独り言☆

秋も打ち止め

 

サッカーW杯カタール大会も16強が決まって決勝トーナメントが始まった。

ドイツとスペインを破るという、大方の予想を裏切る展開でトーナメント進出を決めた日本だが、果たして難敵クロアチアに勝って、念願の8強へと駒を進めることが出来るだろうか?

 

小生がサッカーの面白さを知ったのは中学の体育の授業。(それまでサッカーのサの字も知らなかった)

単なる遊びの延長みたいな内容だった(と思う?)が、そのせいもあって高校の3年間はサッカー部に入った。

当時は日本サッカーの黎明期的な時代で、Jリーグの前身である実業団リーグや大学・ 高校の選手権などはソコソコ観客を集める様になっていたが、その選手らの実力はと 云えば正直まだまだ。

今では実力伯仲ないしは日本が優勢の韓国との対戦成績だが、当時は20戦して3勝12敗 5分けと圧倒的に韓国の強さが日本を凌駕していた。

小生が国立競技場(当時の)で観た或る年の日韓戦は、3対0の完封負けでやたらと韓国選手のファイトある動きが目につき、彼我のレベルの差を痛感した記憶がある。

 

スポーツ全般に言えることだが、観客は選手の”華麗なプレー”に驚嘆し興奮する。

確かに常人離れしたプレーにはつい「すごいなぁ」との声が漏れるが、そんなプレーは 試合中に何度もある訳で無く、しかもそれが試合の趨勢を決めることもあまり無い。

それよりも試合に大事なのはプレイヤーの気概。

集中力を持続させつつ相手を上回る闘争心でプレーを続けることが何よりも肝要だ。

昔観た日韓戦でも強く感じたのは、日韓の選手の試合中における気概の差だった。

 

まぁ何はともあれ、今回のクロアチア戦に出場する各選手には、是非ともピッチの上で躍動して貰いたいものだ。

とにかく日本ガンバレ‼・・・。

 

さて、10月から始まった紅葉巡りライドも今日で最後。

有終の美を飾るべく、滋賀県湖北地方マキノのメタセコイヤを訪ねるつもりだったが、生憎の寒波襲来による天候不順(湖北地方は雨予報)で止む無く断念。

仕方なく「手近なところで紅葉名所は」と考えて揖斐の横蔵寺へ向かうことにした。

 

河渡橋で長良川を渡り北へと向かう。

北方⇒本巣⇒谷汲へと走るのが前半のルートで、途中まで町並みを縫う為ペースを上げられないが、最近の小生の体調(身体が慣れない内の負荷増は疲労感が半端ない)にはそれが合ってる。

本巣を過ぎる頃になると身体も負荷に慣れてようやく普段の走りが戻ってきた。

山も近くなって、それらに視線を投げながら走ると気分も上がると云うもんだ・・・。

樽見線に沿って道は続く         枝もたわわに生る筆柿

この辺りは柿生産農家が多く、走路脇に拡がる柿畑では富有柿の収穫がほゞ終わって いたが、筆柿がまだ収穫半ばという感じで残されていた。

筆柿は甘いものと渋いものが一緒に生るというから「残っているのは渋柿?」あるいは「野鳥へのご褒美かも?」などと勝手なことを思いながら走るのは小生のいつもの癖。

注意力散漫に走っていると危ないのは解っているが、小生の様なボッチローディーから愚考や独り言を取ったら走る愉しみの半分以上が無くなってしまう。

 

華厳寺をスルーして岩坂をゆっくり上っていると、後から来た車が小生を追い越した先で峠越えの山道へと入っていった。

「珍しいなぁ、確かあの道は九十九折れの細道?」200mほど先にトンネルがあるのにわざわざそんな道を選ぶには理由がある筈で「最近流行りの酷道マニアかなぁ?」いやいや「少し犯罪の匂いがしないか?」などとこれまた勝手な想像をして愉しんだ。

この車、小生がトンネルを貫けた先で山道を下りて来るのをまた目撃。

「うむ、峠越えして来たにしても時間がかかり過ぎだな?」とその行動への疑念が更に深くなった・・・。

岩坂トンネルを貫けてその先へ       路傍のモミジは散り始めていた

横蔵寺門前の駐車場にバイクを停め、朱橋を渡って境内へと向かう。

季節外れに高い気温が続いた今秋とは言えもう12月、やはりここも紅葉の盛りは過ぎており、葉を落とした木々がそこかしこに目につくのは致し方ない。

御蔭でと言うべきか?紅葉見物の人が少ないのは小生には有難く、これでゆっくり境内を散策できると内心ほくそ笑んだ。

 

石段を上がった場所のモミジが、緑・黄・赤にグラデーションして美しい装いを見せているのをしばらく眺めた後、仁王門をくぐって三重塔へと歩く。

今の横蔵寺伽藍の多くは江戸時代初期に建てられているが、その中で最も古いのがこの三重塔。

その古色を帯びた佇まいには、幾多の風雪に耐えて今ここにあるという、歴史の重みが感じられて感慨深いものがあり、小生はこの建物が特に好きだ。

石垣の上のモミジは美しい装いで魅せていた
古色蒼然たる三重塔          本堂のご本尊は薬師如来

本堂で形ばかりの参拝を済ませ、鐘楼⇒舎利堂へと景色を眺めながらゆっくり歩く。

渓流のせせらぎと紅葉した木々を通して注ぐ木洩れ陽が、小生の心持を平安にすると共に静かに癒してくれた。

せせらぎと木洩れ陽に心癒された

横蔵寺を後にしてr-40を揖斐峡へと向かう。

Winding roadを気持ち良く走って乙原交差点に出た所でこの先をどう走るかで迷う。

揖斐峡の右岸か左岸か?右岸を走りたいが「通行止めはどうなったんだろう」と考えていると、揖斐峡大橋の向こうから車がやってきた。

「おっこれはひょっとして行けそう?」長らく続いた通行止めは解除されたと判断して一か八かに賭けてみることにした。

揖斐峡大橋を渡る            揖斐峡は奥へと続く

賭け?の結果はOK、以前引き返した箇所にバリケードは無く通行止め表示も撤去されていた。

「そうなると上流側も解除されたかな?」と橋より上手の通行止箇所が気になったが、今更引き返して確かめるのも億劫なのでそのまま右岸道を下る。

あと5歳いや10歳若かったら確実に引き返しただろうが今はその元気が無い。

歳をとるというのはやっぱり悲しいなぁ・・・。

久し振りに走れる様になった右岸道        対岸の左岸道は細く危ない

快適に走って揖斐川町までやってきた。

あとはこのまま揖斐川沿いを大野まで走り、そこからは旧中山道を美江寺⇒河渡と辿るつもり。

「あと1時間ちょっとかな?」連れ合いからは「いつも短く言う」と窘められるおよその予測時間が口を突いて出た。

 

 

 

ベストタイミングって難しい

 

11月も下旬となり ”秋たけなわ” の感がいよいよ増してきた。

TVでは各地の紅葉情況を伝えているが、中でも多いのが京都の名所。

小生も以前は醍醐寺北野天満宮三千院といった紅葉の綺麗な寺社などを訪ねたものだが、この20年くらいはとんとご無沙汰。

それはこれらの観光地では ”紅葉を観に行ってるのか人々を見に行ってるのか” 分から ないほどの人出で混雑するから。

どんなものでも、落ち着いた心持ちで静かに観てこそその真価が判るというもの。

人波に揉まれながらの環境では気もそぞろになって、とても ”紅葉を愛でる” と云った 心安らぐ気分にはなれない。

 

京都の紅葉は確かに綺麗だが、それは所詮造形された美しさで謂わば管理された美しさに他ならない。

”美は乱調にあり” で、整然としたものより無秩序の中にこそ真の美しさがある?とするならば、我々はやはり人工物より自然にそれを求めるべきではないか?

小生が山登りをしていた頃に観た紅葉で、記憶に残るのは北アルプス涸沢の紅葉。

新雪をまとった山岳を背景に紅・黄・緑に色付いた木々が山肌を覆い、それにカールの色とりどりの天幕がアクセントをつける”という正に絶景と呼ぶにふさわしい景色。

今も脳裡にありありと蘇るこの風景、多少脳内でデフォルメされてるきらいはあるが、あの時感じた美への感動は間違いなく本物だった・・・。

 

さて、今日は板取の奥にある川浦渓谷へのライド。

先々週に出かけた郡上美並は紅葉見物には少し早すぎたので、同じくらいの緯度にある川浦渓谷なら「丁度見頃を迎えてそう」と手前勝手に思った次第。

 

板取は濃尾平野北端の山を越えた先にあるので、坂嫌いの小生にはこの山越えが最初の試練。

寺尾千本桜を通るr-59は、武芸川からしばらく緩い傾斜で山麓を上るが、九十九折れが始まると平均斜度6%で1.7km先の坂の峠まで一気に上がるので、ここが小生には結構辛い。

その辛さに耐えながら黙々と上ると、やがて視線の先に峠が見えてきて「やれやれあと少し」の声が口から洩れ出た。

坂の峠付近からの眺望(岐阜市街は山の向こう)

峠を越えると板取川まで4.3kmのダウンヒル

風を切って走る爽快感で上りの苦労が報われる時だが、それが束の間で終わってしまうのは分かっている。

費用対効果で云えば不釣り合いでも「これが自転車乗りの宿命さ・・・」と諦めるしかない。

 

川に沿ってr-81を洞戸に向かって走っていると、田圃に横たわる異物が目に入った。

それは大きな牡鹿で、道に散乱するヘッドライトやエンブレム等の破片から判断して、どうやら車と衝突してそこで息絶えたらしい。

鹿には正に致命的な災難でご愁傷様と言いたいが、車の運転手にも降って湧いた災難「ボケーっと走ってると飛んだ目に遭うぞ」と気持ちを引き締めて走ることにした。

田圃で絶命していた牡鹿(可哀そうだが仕方ない)

板取川は越美(福井と岐阜)国境の山を源流として、美濃市長良川に合流する澄んだ流れの川。

川に沿ってキャンプ場も点在するので、夏場は清涼を求める人達で賑わうが、今は川辺に人影とてない。

そんな板取川を上流へと辿るのが今日のライドで、R-256も車の通行があまり無いので安心して走れる。

   板取川は山あいを流れる        紅葉を映す澄んだ流れ(小瀬見橋付近)

Up Downを繰り返しながら徐々に高度を上げる道を、1時間くらい走って川浦渓谷への分岐に着いた。

昨年に川浦へ初めて来た時にはこの分岐を見落として直進し、20分ほど時間をロスったことがあったが、この失敗はしっかりと脳裏に刻まれたので、如何に年老いたとはいえ同じ失敗は2度とすることはない。

ここから渓谷まであと4kmほど、思いの外順調に来たので「少しゆっくり走るかぁ」とギアを1段落とした。

登坂の途中にある川浦渓谷への分岐(前方に集中してるとつい見逃してしまう)

川浦渓谷の駐車場には車が1台だけ停まっており、家族連れらしき3人が居たが他に人影は無し「よ~しこれならゆっくり渓谷美を堪能できそうだ」とバイクを牽いて遊歩道へと進んだ。

しかし、残念ながら期待した紅葉は既に盛りを過ぎていてガッカリ、まぁこればっかりはライブカメラでもないと丁度の見頃は判らないので「仕方ないなぁ」と自らを慰めるしかなかった。

トンネルを貫けると川浦渓谷        渓谷周辺は晩秋の装いだった

秋なので渓谷の底を流れる川浦谷川の水量は少ないが、それでも白い奔流となったり、深い淵をエメラルドグリーンに染めたりするのには充分な水量。

それにしてもこの山を裂いた様に深く切り立った岩壁の渓谷は、どんな風にして出来たんだろうか?

水の力だけで造られたにしては鋭角的過ぎる岩壁に「大きな地震で山が裂けたかな?」と勝手な想像をして楽しんだ。

深い渓谷を造った川浦谷川の流れ      岩壁を切り裂いて川は流れる
陽光の届かない淵は幽玄の趣さえある

橋の上そして遊歩道の東屋と様々な場所から渓谷を眺めて20分あまり「もう充分かな」と思えたので帰途につくことにした。

 

往路を13kmほど戻ったところでタラガ谷に寄り道。

タラガ谷は、タラガトンネル(4.6km)を通りたくないローディーが「走って来たよ」と自慢?するのを時々ブログで見掛ける峠越え道で、どんな道なのか興味があったのでチョットだけ走ってみようと思った次第。

板取と郡上を結ぶタラガトンネル(自転車は狭い路側帯を走る)

集落を通り過ぎ山間へと入る道を進むと通行止めの看板が目に入ったが、ゲートが開いているので「行けそうだな」と判断してそのまゝ進む。

道は苔生して車などがあまり通ってない様子がありあり、おまけに小枝や落ち葉も多くスリップして転倒しない様に慎重に走らなければならない。

この道は峠まで5.3km続くが、元よりそこまで行く気は無く、1kmほど走ったところで大体の様子は解ったので「もう充分かな」と引き返すことにした。

多分この道は近い将来”廃道”になるだろうが、直ぐ近くに安全便利なトンネルがあるのだからそれは仕方ない。

「栄枯盛衰諸行無常は世の習いということか・・・」と独り言を呟きながらゆっくりと坂を下った。

通行止めの先は管理放棄された道が続いていた

洞戸まで戻って板取川の橋上でしばし休憩。

秋の柔らかい陽射しを浴びながら欄干に凭れて川面をぼんやり眺めていると、水の流れが止まって自分が逆方向へ動いている様な錯覚を覚える。 

それを振り払う様に視線を上げ遠方を見ると、柳島山の少し青みがかったスカイラインが霞んで見えた・・・。

澄んだ水面に魚影を探したが見つけられなかった

この先の山越えをR-256かr-59かで迷ったが、山越えした後の走り易さはr-59が断然良いので、往路と同じ道を帰ることにした。

あと1時間半くらいはかかるが、今日も無事に帰着できそうだ・・・。

 

 

 

四季桜も咲いてた

 

最近”夢の途中に目が覚める”ことが多くなった気がする。

夢を見るのは大概レム睡眠の時なので ”脳が起きて身体が眠ってる” 状態だから、そこで目が覚めてもなんら不思議では無いが、見ている夢が突然プツリと遮断されるのがどうも気にくわない。

どうせなら夢を最後まで見て(夢なんて支離滅裂だから終わりがどこか解らないけど)しばらく”無の時間”を経てから目覚めたいものだ。

まぁそうは言っても、目覚めた時につい先ほどまで見ていた夢の内容を覚えているかと云えば、曖昧模糊としてほとんど思い出せないのだから、どちらでも大して変わりないと言われたら反論の余地は無い・・・。

そんなことを考えながら布団の中で微睡んでいると、時間は知らぬ間?に過ぎて、目覚めたのは6時40分頃だったのに気が付けばもう7時ちょっと過ぎ。

秋の深まりと共に暖かい布団から抜け出すのが辛くなるが「よし起きるぞ!」と小さく掛け声を発して布団から抜け出した。

 

さて、今日は笠松から犬山へ走り、迫間不動で山越えして関⇒岐阜へと周遊するライドを予定。

ちょっと西風があって後半はほゞ向かい風となるが「まぁ許容の範囲だろう」と楽観的に考えることにした。(風を気にし過ぎると行くところが無くなっちゃうからね)

木曽川橋を渡り木曽川サイクリングロードへ

まずは笠松木曽川を愛知県側に渡り”木曽川サイクリングロード”を上流へと走る。

ここを走るのは3ヶ月振りくらいか?少し間が空いたが、敬遠した訳じゃ無くたまたま犬山方面へとライドすることが無かっただけ。

視界一杯に拡がった景色を見渡しながらペダルを漕げば、自然と脚も軽快に回って気分も心持軽くなった気がする。

おまけに、走るスピードも普段の1割増しが余裕で出せる(多分追い風の効果)ので、何だか愉しくなってきた・・・。

木曽川CRは東西に15km続く(138タワーパーク付近)

扶桑でCRが終わるとここからは一般道(r-158)を走る。

この道は路側帯が狭く且つ路面が荒れてるので、小生の気持ち的には ”走りたくない道”

だから常々「CRの延伸を犬山まで(3km)してくれないか」と心密かに思っているが、この小生の”ささやかな願い”は、当然ながら所管の役所には届きそうも無い。

犬山城木曽川によって美しさが引き立つ

犬山で木曽川岐阜県側に渡ると鵜沼。

ここは中山道の宿場で、秀吉と家康が覇権を争った”小牧長久手の戦い”の時代から交通の要衝。

今では古い家並はあまり残って無いが、街道筋の町屋や脇本陣などを外から眺めて往時を偲んだ?あと、各務原パークウェイへとバイクを向けた。

街道筋に今も残る古い家並

各務原パークウェイは、今でこそ各務原アルプス南麓の神社仏閣へのアクセス道として舗装整備されているが、50年ほど前には迫間不動を経て関へと下る細い山道だった。

当時受験生の小生は、両親と共にその山道沿いの”車折神社”に合格祈願で訪れたことがあり、今とは随分と目にする景色は変わったものの、ここを走ると決まってあの頃の ことを懐かしく思い出す。

紅葉を愛でながら坂を上がる        沿道には四季桜も咲いていた

迫間不動の門前まではこれまで何度も来ているが、奥の院までは行ったことが無かったので訪ねてみることにした。

参道の紅葉を眺めながら奥へと進むと、山上へ続く九十九折れの階段があり、一瞬躊躇したが意を決してそこをゆっくりと登る。

足首の手術前だったら多分引き返していたが、人工関節を入れた御蔭でこんな長い階段も上がれる様になったのは嬉しいの一言に尽きる。

10分ほどかけて着いた奥の院は自然に穿たれた奥深い岩窟。

蝋燭の仄かな灯りを頼りに抹香が匂う奥へと進むが、内が暗すぎてご本尊の不動明王は判然としない。

「多分信仰にはこの神秘性が重要なんだろうな」独り合点してその場を後にした。

鳥居があるのは迫間不動が神仏習合の長い歴史を持つ証し
  山上へと続く九十九折れの石段     童地蔵には子を亡くした親の悲哀が滲む
奥の院は岩窟(赤い鳥居)の奥       岩肌にも不動尊役小角が・・・

迫間不動を後にして山道(加賀坂林道)をしばらく行くと峠の隧道。

これを貫けると麓の集落まで急坂が続くので、スピードの出し過ぎに注意しながら下らなければならない。

今日のバイクはディスクブレーキのVaracan specialなので心配ないが、リムブレーキでカーボンホイールのDeRosaだと、過熱によるホイールの焼損が気になってブレーキを 充分にかけられない。

ヒルクライム好きでリムブレーキのバイクに乗ってる人達は、こんな時どうしてるのかねぇ?余計なお節介と充分判ってはいるが、チョットだけ心配になる・・・。

 峠の山稜に穿たれたトンネル       トンネルを貫けると展望が拡がる

麓に下りてr-367に入ると冷たい風が正面から吹き付けてきた。

案の定だが、出発時に危惧した通り帰路は向かい風を受けての走りになりそうだ。

スピードが3~4km/hr落ちるかも知れないが「まぁ我慢して行こうぜぇ」と自分自身に語り掛けた。

藍川橋(長良川)まで帰ってきた(山の向こうが岐阜市街)

 

 

 

錦秋を求めて

 

先日のこと、母を伴って祖父母の墓参りに行った。

母の在所は八百津の山中で、昔は丸山ダムの蘇水湖の脇を通り、道幅4m足らずの細い九十九折れの山道を上がって行くしかなかったが、今は八百津から複線の新道(R-418丸山バイパス)があるので、安全にしかも短時間で行ける様になった。

この新道(出来てから12年ほど経つので新道とは言えないかも)は近在のヒルクライム好きの間では人気の走路。

平均斜度6%の坂が7kmほど続いてその後も2%で4kmを上がるので、Timeに挑戦したり景色を眺めながら黙々とペダルを漕いだりと人それぞれの楽しみ方が出来る。

おまけに途中の新旅足橋という谷底まで200mもある橋ではバンジージャンプ(日本一の高さらしく、そこから飛び降りるなんて高所恐怖症の小生には想像を絶する暴挙?)に興じる人達の絶叫も聞ける・・・。

 

この道は八百津を起点に周回コース(全長41kmほど)が採れるので、ヒルクライムを愉しんだあとは周回路へと走る人も多いらしい。

多くのヒルクライマーが立ち寄る ”しおなみ山の直売所” で人気の五平餅を焼いていた こともある叔母が、随分前に「福地経由の逆回りの方が坂が緩くて楽だよ」と坂嫌いを公言?する小生に教えてくれたが、今だにヒルクライムに汗するローディー達を横目に車で”楽ちん”に行き来するだけで「よし俺も走ってみるかぁ」という気分になれないでいる・・・。

 

さて、今日は郡上美並へとライドすることにした。

11月中旬にも関わらず随分暖かい日が続くが、近所のイチョウ並木は黄色く色付き始めたので「郡上辺りならそろそろ錦秋が見頃を迎えているかな?」と期待してのこと。

 

岐阜から美濃まではいつもの道。

あまり変わり映えしないが安定の走路こそ大事で、こういう道で何か変ったことがあるとその日のライドがチョッピリ心配になる。(小生決して迷信深くは無いけどね)

秋の長良川の流れは穏やか

美濃から先は車両通行の多いR-156は避けて専ら長良川に沿った裏道を走る。

長良川水力発電所の先で道路工事に進路を塞がれたが、警備のおじさんの好意で通して貰えたのは幸運、こう云うことがあると気分も上がるので±0と云うところか。

この裏道は、川の蛇行に合わせて道も蛇行するので時間効率の良い道では無いが、特に先を急ぐ訳ではないので何の問題も無し、川の景色を観ながらそして集落の暮らし振りをも覗き見?しながら走るのも愉しい。

この長良川沿いの道は車との並走を嫌うローディー向きの道

美並に入ってまず目指すのは釜ヶ滝で山間の道を奥へと辿る。

ヒンヤリとした冷気が辺りを包んでいるが、木々の色付きはまだ浅く紅葉はこれからという感じで「まぁ仕方ないな」とあっさり諦めて、滝へと通じる山道をゆっくり上っていくと、やがて視線の先に釜ヶ滝茶屋が見えてきた。

 

茶屋の前にバイクを停めて滝へと向かう。

せせらぎが小岩を縫う渓谷に沿った閑かな小道を奥へと歩くと、心身が次第に洗われていく気がしたのは、その風景に小生の心証が同調したからだろう。

陽射しの陰陽が渓谷美を演出していた
渓谷の静けさが心身に染入る様だ

滝は三連滝で、高度差40mほどの間で断続する滝の大きさはかなりのモノだしそれぞれの滝が何れも見ごたえがある。

三ノ滝から一ノ滝までの山肌に取り付けられた階段と小路を辿るのに15分近くも要してしまったのは体力不足のせいだけでは無いだろう。

茶屋の主人が、最上部の吊り橋からは御嶽山が良く見えると教えてくれたが、大気中に水蒸気が多いからか?見付けることができなかったのは残念だった・・・。

一ノ滝                  二ノ滝

三ノ滝
一ノ滝へ向かう吊り橋           御嶽山は見えなかった

釜ヶ滝をあとに次に向かったのは星宮神社でここからは10kmほどの距離。

高賀六社(高賀・本宮・新宮・星宮・金峰・瀧)巡りの一つで、ここを訪ねると四社を終えて残り二社でcompleteだ。

 

星宮神社への道(r-315)は別名:円空街道。

山間の道を行くと、各所の路傍に据えられた円空仏が素朴な笑みで迎えてくれるので、つい”ほっこりとした気分”になってペダルを回し続ける脚の疲労を忘れさせてくれる。

街道の路傍で往来する人々を見守る円空仏

次第に谷が狭まって「もうそろそろかな?」と思いだした頃、瓢ヶ岳の山懐に抱かれて建つ星宮神社に到着した。

静かな境内を巡ってこの神社の沿革に想いを馳せる。

神社には木立と静けさがよく似合う
    拝殿               歴史の重みを醸す本殿

神社は通常は御神体を祀るものだが、ここはご本尊として虚空蔵菩薩を祀る神仏習合の古い信仰形態を今に残す珍しい神社。

江戸時代までは全国各地にこの様な神社が沢山あったが、明治を迎えて時の政府が天皇の権威付けのため廃仏毀釈を断行した結果、神社から仏像が無くなってしまった。

特に信仰する宗教を持たない小生は”神様仏様”と二者を区別しない在り方の方が宗教の本来の姿に近いと思うが、世の中はこれとは真逆の方(あらゆる宗教の対立構造)へと一目散に向かっている。

世の東西を問わず、人々(~国まで)の争いの多くが宗教に根ざしていることを考えると「それってどうなの?」と思うのだが・・・。

 

境内に隣接する ”美並ふるさと館” には90体ほどの円空仏が展示されていると云うので観ていきたかったが、時間が押していた(いざ観るとなると小生の性分として小1時間はかかる)ので止む無く断念。

代わりに近くの”矢納ヶ淵”に寄ってから帰ることにした。

矢納ヶ淵には鬼退治の矢が納められていると云う(伝説)

今日は錦秋を訪ねるライドだったが、残念なことに木々の色付きはイマイチでまだ少し早かった。

しかし、釜ヶ滝と星宮神社そしてここまでの走路もそれなりのインパクトで小生を満足させてくれたので、総体的には「OK!」と言えそうだ。

あとはいつも通り無事に居宅に帰り着くだけだな・・・。 

岐阜まで戻りコスモスに埋もれて最後の休憩



 

 

千体仏に癒された

 

時流にあまり敏感では無い小生だが、この1年くらいでスマホ決済サービスの利用環境が「この辺りでも随分と整ってきたなぁ」と思う様になった。

そこで、遅ればせながら小生も「スマホ決済なるものに挑戦してみるか」と色々情報を物色した上でPayPay をスマホに取り込むことにした。

 

スマホへのPayPay アプリの登録は何の問題も無くほんの数分で完了。

しかし支払方法として ”ATM現金チャージ” は面倒と ”銀行口座登録” を選んだところで躓いた。

ネットバンキング口座のある某銀行を登録しようとしたのだが、最近はあまりアクセスして無いこともあって入力ミス(口座番号・暗証番号の誤入力やワンタイムパスワードの時刻補正等)を何回かやらかした結果、誤操作によるロック機能が働いて同口座への通常アクセスが出来なくなってしまった。

「何てこったぁとんだ災難だぁ」と嘆いてみてもあとの祭り、PayPayの銀行口座登録とは別に、当該某銀行口座の ”アクセスロック解除” という余分でしかも面倒な手続きが 必要になってしまった。

 

しからば他のネットバンキング口座で登録と思ったが、ここは新しい専用口座を作った方が無難と判断し、PayPay 銀行での口座開設を決めたのだが、ここでも予想外のことが起きた。

口座開設申請の翌日にPayPay 銀行の窓口担当者からTelがあり「当行に口座がある方は別口座を開設出来ない」との由。

「ん?どう云うこと?」と思ったが詳しく聞いてみると、前身のジャパンネット銀行の記録を調べたところ小生の口座が見つかったのだと言う。

そう言われて思い出したのは20年以上前に”ヤフオク”の売買用に使っていたネット口座で、朧げな記憶ではそれがジャパンネット銀行だった様な・・・。

紛失したのか捨てたのか?銀行カードは手元に無く、ログインパスワードも暗証番号も全て忘れた休眠口座が、こんなところで突然姿を現してくるとは思わなかった。

 

あれこれあったPayPay の銀行口座登録だが、結局はジャパンネット銀行の休眠口座を解約して、新たにPayPay銀行に口座を開設することで落着した。

それにしても思うのは、大概の企業の情報管理というのは”かなりしっかりしている”ということ。

それに引き換え、最近の我が国の官公庁における情報管理は ”ひどい” の一語に尽きる 惨状で、保管が必要な諸情報を恣意的に破棄したり、記録そのものを執らなかったりと時の権力におもねるカタチでやりたい放題。

「まったく、この国の行く末が危ぶまれるなぁ」と年寄りは嘆くばかりだ・・・。

 

さて今日は、久し振りに養老から垂井にかけての山沿いを走ってみることにした。

走路は平地が大半だが部分的に急坂と峠越えが入る予定なので「山用のVaracan Specialにするのが良いかな」と上り下りが楽なバイクを選択。

最近は、何事につけ少しでも楽が出来る方を選ぶ傾向が強くなって来たが、これも身体の老化現象が昂進した現れなんだろうか?

若い人には解らないかも知れないが、それは本当に悲しいことだ・・・。

遠く伊吹山を望見しながら旧揖斐川橋梁を渡る

長良川沿いから揖斐川沿いそして牧田川沿いと、なるべく市街地を避けて川沿いの道を養老高田まで走ってきた。

ここまで来ると養老山地は真近で、これから訪ねる”柏尾廃寺跡”は、その麓の坂を1kmほど山懐へと詰めた所にある。

 

r-56を南進して右に折れると坂の始まり。

最初は緩かった傾斜も先へ進むに連れてきつくなり徐々に腿が張ってきたので、呼吸を乱さない様にゆっくりしたペースで上っていくと、前方に木立に覆われた薄暗い細道が見えてきた。

「あと少しだな」先が見えた安堵感?が脚を軽くして少しばかりスピードが上がった気がした。

薄暗い道も先に進むと陽射しで明るくなった

柏尾廃寺跡は永禄期(460年ほど前)に織田信長によって焼き払われた寺跡で、今では新明神社の境内にかって在った寺院の礎石だけが残るが、その近くには明治中頃に付近から出土した石仏を一ヵ所に集めて安置した”千体仏”がある。

静寂が辺りを包む神社の境内を抜けて木立の中を行くと、木が掃われ陽光が届く場所にそれはひっそりとあった。

神社には森閑が似合う         陽光を浴びて輝く千体仏

円錐状に並べられた石仏の数は千体余、傍らには朽ちた石仏や石塔の山もあるので実数は千数百体もの石仏がありそうだ。

一つひとつの石仏の造りは稚拙とも言えるが、その稚拙さにこそ昔の人々の深い信仰心が垣間見えて感慨無量。

しばらくの間物言わぬ石仏と対話?しながら平安な時間を過ごした。

中心の石仏には応永九年(1402年)と刻まれているという
苔生し朽ちていく石仏にはそこはかとなく漂う美がある

柏尾廃寺跡を後にして次に向かうのは”不破の滝”。

これまで2度訪ねたが、道間違い(1回目)と通行止め(2回目)で何れも滝まで行けて無いので”3度目の正直”を狙って向かうという訳。

垂井へ向かう道沿いにはコスモスが咲いていた

南宮山東麓から垂井へと走り池田山南麓まで来ると不破の滝は近い。

「今日はどうかなぁ?」チョッピリ不安が脳裡をかすめるが、ここまで来たらもう行くしかないと、それを吹っ切ってペダルを踏んだ。

集落から離れて山中へ約1km、分岐を右にとると滝への林道だが前回は無かった木片がいっぱい落ちていて状態は良くない「大丈夫かなぁ」またぞろ不安が頭をもたげた。

それでも前へと進んで通行止め箇所を過ぎると、少し道幅が広くなっておりそこがこの林道の終点だった。

不破の滝へと続く林道

山の斜面にバイクを預けて歩いて滝へと向かう。

足元が悪く足首に病を持つ小生には歩き難いがここは我慢で、少し行くと視線の先に滝が見えてきた。

「結構大きい滝だ」ようやく観られた滝に少しだけ達成感を味わう。

歩道脇の小枝越しに滝が見えた

滝に近づくとちょっと残念なものが目に入ってきた。

「これがウワサ?の発電設備か」と滝壺に設けられた大きなSUS製の水車型発電設備を見ながら呟く。

ここは私有地で滝も個人の所有物らしく、この発電設備は最近その所有者によって設置されたとのこと。

その際には町議会でも話題になり各方面から撤去の要請もあったが、それらの声は結局所有者の元に届くことは無く、そのままで現在に至っているらしい。

それにしても、伝説さえ伝わる不破の滝という観光資源を、この様な形で台無しにしてしまうこの所有者の感性には大いなる疑問を持たざるを得ない。

「世の中変わった人もいるもんだぁ」と笑って済ますには重すぎる・・・。

大きな発電設備が滝の景観を台無しにしていた
無様な設備を消してみたが・・・       秋はやっぱり水が少ない

帰路は梅谷越で池田に出て赤坂⇒神戸⇒墨俣へと走るが、車通りが多くなるので注意も必要。

「時間もあるのでゆっくり行くぞ」と急ぐ性分の自分に自制を掛けた。

      梅谷越の山道         峠を越えれば池田温泉までダウンヒル

 

 

 

 

琵琶湖日和だねぇ

 

今から十数年も前だが、仕事を辞めて暇?になったら、五街道を歩いてみようと漠然と考えていたことがある。

五街道とは、東海道中山道甲州街道日光街道奥州街道を指し、何れも日本橋を起点としているのが地方在住の小生には少し気に入らなかったが、まぁそれは江戸時代に主に整備された街道だからしょうが無い。

しかしその構想は、脚を痛めて長い距離が歩けなくなった数年後にあっけなく夢想へと変わった。

果たして、脚を痛めてなければこの夢は実現しただろうか?それは何とも解らないが、多分「東海道五十三次中山道六十九次くらいは歩き終えていたんじゃぁないか」と、ちょっと自分に甘目に思っている・・・。

 

さて今日は、旧中山道を走って琵琶湖まで行ってみることにした。

岐阜からだと河渡・美江寺・赤坂・垂井・関ヶ原・今須・柏原・醒ヶ井・番場・鳥居本の旧十宿場を走り継げば琵琶湖に至るのだが、居宅からだと走行距離は120kmを超えるので、今回は垂井まで輪行(約40km)して時間短縮(1時間ほど)をする。

垂井は中山道美濃路が分岐する追分でもある

垂井の相川水辺公園をスタートして街中を抜けると、関ヶ原までの長い(約5km)上りが始まる。

斜度は平均2%程度と緩いが、まだ身体が寝惚けている状態でいきなりはじまる長い坂なので、これが結構辛いというのが小生の偽りのない本音。

「最初からこれかぁ」と半ば呆れながら、呼吸と心拍だけは上げない様にとスピードを抑えて走った。

 

関ヶ原飛鳥時代から安土桃山時代にかけての史跡の宝庫なので、普段なら方々に寄り道して歴史の”にわか勉強”をするが、今日は時間も無いので素通り。

昔は盗賊が出没して旅人から金品を奪ったという薄暗い今須峠を、並走する東海道本線の電車を横目に見ながら越えると今須宿だ。

今須は美濃(岐阜県)の最後の宿場で、町はずれに近江(滋賀県)との国境を示す道標があり、ちょっとした旅愁気分?が味わえる。

昔は国境の溝を挟んで美濃と近江の番所があったらしい

またその近くに俳聖松尾芭蕉の句碑もあって ”野ざらし紀行” で中山道を歩いた芭蕉が、今須でも句を詠んだと知ったのは、まんざら俳句が嫌いではない小生にとっては嬉しい発見だった。

「正月も美濃と近江や閏月」実はこの句は野ざらし紀行には収められてない?

柏原は近江に入って最初の宿場で、今須から3kmほどしか離れてないことから、往時は多くの旅人の泊地として賑わったであろうことが今も残る町屋の風景から窺い知れる。

ここのJR駅は、小生が山登りを始めた若い頃に ”霊仙登山” でよく利用したので、簡素な造りの駅舎を見ると当時を思い出し懐かしさを覚えるが、多分これは過ぎ去った遠い昔への甘い追憶に過ぎないのだろう・・・。

中山道柏原宿の家並            街道に置かれた道標

スタートから1時間ほど、少しゆっくり走り過ぎたので「そろそろ気合を入れて走らなくっちゃ」とスピードを上げる。

中山道は、そのほとんどが地域住民の生活道路となっているので、絶えず後方からの車に注意して走る必要のあるR-21に較べて随分と走り易い。

風を受けると少し肌寒かった身体も内部発熱で温まってきた感じで、ペダルを漕ぐ脚も快調に回り出した。

番場宿の東端に建つ石板

醒ヶ井⇒番場と繋がる街道を順調に走ると、名神高速道と並走する山間の隘路が前方に見えてきた。

そこを過ぎて摺針峠を越えれば鳥居本で、R-8のトンネルを貫けると彦根市街になる。

 

彦根城(西の丸三重櫓)を横目に見て湖岸道路(r-25)を西へと走る。

今日の琵琶湖は風もなく視界は極めて良好。

右手に拡がる湖の風景へと時折視線を投げながら「良い日に来たなぁ」と独り呟いた。

”ビワイチ” は左回りが基本なので、湖岸道路を逆に走ると路側帯が狭くて走り辛いが、これは県立大の先でr-25と別れて右斜めに折れるまでのあと少しの辛抱だ。

 

右折れして進むこと約3km、到着したは今日の目的地の琵琶湖を望む”あのベンチ”。

琵琶湖を一望できるベストポジションにある通称 ”あのベンチ”

着いた時には車で来た女性3人組が居たが、暫くすると立ち去った(別に追い立てた訳じゃぁありません)ので、その後は独りベンチに腰を下ろしてノンビリと寛ぐ。

丁度正午で栴檀の木がベンチに陽陰を作っており、少し火照った小生の身体を冷ましてくれるかの様だ。

風は微かに吹く程度なので波頭の無い静かな湖面が眼前に広がり、対岸湖西から湖北の山並みもクッキリした輪郭で綺麗に見える。

左手は湖西方面             右手は湖北方面

正面は今津~高島辺り

「あそこが長浜であそこが海津大崎、そして今津・安曇川であの辺りが白鬚神社か」とビワイチで走ったルートを脳裡に描きながら、それを確かめる様に眼前の風景でそれをなぞる。

静かに打ち寄せるさざ波の音がわずかに耳に届いて、心地良い気分をそっと優しく包んでくれた。

 

彦根のお城(本丸天守)は遠目でしか見たことが無かったのでちょっと寄ってみることにした。

内濠を囲む道をゆっくりと一回り。

さすがに徳川譜代の重臣井伊家の居城は思いのほか大きいことは判ったが、真近で見たかった本丸天守は石垣上に繁る鬱蒼とした木々に遮られて全く見えない。

それでもかろうじて東側の庭園(楽々園)から天守の上層部分を見ることができたので、その一事に満足して帰ることにした。

世の中無理に道理(可能)を求めても詮無いこと、何事も諦めが肝要だ・・・。

木立越しにわずかに見えた彦根城の本丸天守

帰路は米原を経由して番場へと繫ぐルートを走ることにした。

このルートの方が往路よりも飛ばして行けるから、天守探しで道草した分の時間を幾分かは取り戻すことが出来そう・・・。

 

順調に走って醒ヶ井まで戻ってきた。

デポ地の相川水辺公園まで残り20km弱、予定時間内には帰着出来ると見込んだので、少し長めの休憩をとることにして休日で閉まった店先(老舗醤油屋さん)のベンチに腰を下ろした。

店先のベンチでゆっくり休憩するつもりだったが・・・

すると、しばらくしてミニベロに乗った男女6人の中高年集団が現れ、小生を取り囲む様にしてバイクを置いてから、頭越しに声高に仲間内で話を始めた。

「おいおいどう云うこと、空いたベンチは他にもあるのにどうしてここなの?」と内心思ったが、そんな表情は噯にも出さずにそっと静かに立ち、バイクに跨ってその場を後にすることにした。

小生はこの種の手合い?はどうも苦手。

それにしても、人は独りでいると慎ましやかでも、集団になると傍若無人に振舞って しまうのは何故だろう?

休憩を邪魔されて少し腹が立ったが、ペダルを一心に漕ぐ内にそれも忘れた・・・。

 

 

 

 

”そらふさがり”まで行ける?

 

会社勤めをしていた時の同僚から飲み会の誘いがあった。

COVID-19の発生から3年近くなるが、隠忍自重を強いていた世間の風潮も、最近では 様変わりしてきたので「そろそろ良いかな」という訳で、以前から続けていた”恒例の飲み会”の再開と相成った次第だ。

集まったのは現役やOBの6人。

いつもは10人ほど集まるのだが、1週間前の連絡だったので都合を付けられなかった人が何人か居たらしい。(と言うことは参加者は小生も含めて”暇人”か?)

乾杯のあとは酒を酌み交わしながら各人の近況報告。

やはり3年の月日はそれぞれの人生に何らかの変化をもたらすもので、平々凡々な生活の様でいても実は案外そうでは無い、笑いや相槌を交えながら楽しく聞かせて貰った。

会社の近況や知人の消息もこの3年で生じた情報blankを埋める貴重なpiece。

小生がE社をリタイヤして随分経つのに、今でもそこに帰属意識を持つなんて可笑しな話だが、それが長年一つの会社に勤め続けた人間の性なのかも?。

飲んで食べて話をしての楽しい2時間半はあっという間に過ぎ、久々の飲み会は定刻を少し過ぎて”お開き”「次回は年末にやりましょう」と約して帰路についた。

それにしても好い気になってちょっとビールを飲み過ぎた感じ、二日酔いにならなきゃいいけど・・・。

 

さて今日のライドでは七宗の”そらふさがり”を訪ねるが、居宅からだと往復130km超となって小生の通常のライド時間に収まらないので、輪行で関の百年公園まで行ってそこからスタートすることにした。

この輪行で50kmほど走行距離を短縮出来るので、門限?のPM3時までには何とか帰宅できる筈だ。

 

9時過ぎにスタートしてまずは関の街中を貫けて富加へと走る。

少し肌寒い気温と山越えの北風の相乗効果か?何だか走りが重い感じがするので、身体を温めようとケイデンスを上げ気味にしたら、しばらくして身体全体を包む様な疲労感が押し寄せてきた。

3年前に突然始まったこの症状だが、最近はその発症頻度が増えてきた様で、急加速や急坂で呼吸が乱れたり心拍数が上がったりすると、必ずと言っていい位に頻発する様になった。

老化による心肺機能の衰えなら仕方ないけど心臓疾患が原因ならチョット困る。

「やっぱり一度診て貰うかなぁ」と思いながらケイデンスを落とした。

 

40分ほど走っただけでまだ休憩には早すぎるが、この疲労感を治めるには一旦停まるのが最善なので「此処なら清水寺か」と近くの山寺の方向へとハンドルを切った。

清水寺は加治田山麓にある古寺(京都の清水寺と同じく坂上田村麻呂が開祖)で、その静かな佇まいが小生には好ましいところ。

持国天増長天(仏法守護四天王のうちの二天)が睨みを利かす仁王門をくぐって山中の本堂へと続く長い階段をゆっくり上がっていくと、渓流のせせらぎと木洩れ陽の微かな揺らめきが、静寂な雰囲気を醸し出して小生を心地良い気分で包んでくれる。

人影のない本堂の片隅に腰を下ろし、周りの景色をぼんやり眺めながら束の間の安息を愉しんだ。

山懐に抱かれて建つ清水寺の仁王門
増長天     仁王門を護る二天像     持国天
本堂へと続く心休まる山中の道

本堂のご本尊”十一面観世音菩薩坐像”は国指定重要文化財(御開帳は1回/年だけ)

r-80との分岐を過ぎて川浦川に沿って点在する人家が途切れると、間見峠への長い上りが始まる。

またあの”耐えられない様な疲労感”に襲われるのは嫌なので、呼吸と心拍を上げない様いつもより早めに軽いギアを選択してスローペースで上がることにした。

始めは緩い傾斜も走るに連れて徐々に斜度が上がり脚も少し張ってくるがまだ大丈夫。昼なお暗き木立茂る山道で黙々とペダルを踏んでクランクを回し続けると、視線の先に九十九折れが見えてきた。

ここまで来ると峠までは残り1/3、この先は傾斜も緩むので今のペースでいけば疲労感に襲われることなく乗り切れそうだ。

木立縫う山道を間見峠へと走る

九十九折れまで上がってくるとホッと一息つける

間見峠を越えると七宗の室兼林道分岐までの11kmほどは下り基調の道、これまで上りで失った時間を少しでも取り戻すべく快速で飛ばす。

風を切りながら走る爽快感はロードバイクの醍醐味だが、山道では角ばった石や木片、濡れた路面が走りを邪魔するので注意も必要。

「こんな所で事故ったら大変だなぁ」そんなことを考えながらも先を急いだ・・・。

 

七宗町落合でr-64と別れると”そらふさがり”まではあと少し。

「あの橋を渡れば室兼林道入口」と視線を前方に投げると何やら看板と柵らしきものが見える。

「えっもしかして・・・」不安を覚えながら近付くとやっぱり通行止めだった。

「ここまで来て通行止めかぁ」とやり切れない思いで傍にいたガードマンのおじさんに

「”そらふさがり”までだけど行けませんか?」と聞くと「橋の点検だから何とも言えないなぁ」との返事。

困った表情でいると、気の毒に思ったか?おじさんは「行けるとこまで行ってダメなら戻ってきてください」と先に進むのを許してくれた。

「有難う助かります」おじさんに感謝の言葉を告げて室兼林道に乗り入れた。

室兼林道を奥に詰めたところに ”そらふさがり” がある

林道を1.7kmほど進むが橋の点検をしている様子が無いので「これは ”そらふさがり”  までいけるかも」と希望的に思った矢先、目の前に道路を塞ぐ工事車両が現れた。

「ここまでかぁ、あと200mも無いのに・・・」呆然自失の体で工事車両を眺めていると、眼前に停まっていたバンから若い現場監督が降りてきて「申し訳ないけど行けないんです」と小生に告げた。

「仕方ない帰るか」とバイクを反転させようとすると、思いがけなく「自転車ではダメだけど歩いてなら良いですよ」と呼びかける声が聞こえてきた。

何という幸運だろう、ガードマンだけでなく若い現場監督までもが先に進むのを許してくれるとは。

早速路傍の窪みにバイクを預け、現場監督と作業員の面々に「有難う」と伝えてから、人の親切に感謝しつつ”そらふさがり”へと向かった。

工事車両の脇を通り抜けて”そらふさがり”へと向かう

岩壁が空を塞ぐ様に迫り出している事から”そらふさがり”と名付けられた隘路
昼なお暗い”そらふさがり”           道脇には清澄な渓流が

帰路はr-58をメインに走ることにした。

此処から北条峠までは多少updownがあるが、峠から先は中之保まで長い下り道が続くのでどうしてもだらける帰路の走りには助かる。

路面状態はそこそこ良いので快調に飛ばすとあっという間(単にそんな気がしただけで実際はそれなりの時間がかかった)に”道の駅平成”に到着。

トイレ休憩しようと最近結構ある様になったサイクルラックを探すが、見る限り何処にも無い・・・と思ったら観光案内所らしき建物の裏に隠す様にしてそれはあった。

「こんな所じゃ誰も使わないよぉ」と思わず不満が漏れる。

現に先着していたローディー2人はバイクを売店建物の石垣に立てかけていた。

折角用意した設備なんだから置き場をもっと考えて欲しいもんだ・・・。

サイクルラックは使える場所にあってこそ重宝するんだけど・・・

デポ地の百年公園まであと20kmほどでゆっくり走っても1時間とはかからない。

r-58は車(特にトラック)の通行量が多いので津保川対岸の抜け道を走る方が安全。

ちょっと時間はかかるが身を守るのを優先して走路を変えることにした・・・。