風を道連れに

☆あるボッチローディーの独り言☆

大矢田もみじ谷

11月も下旬を迎えると里山の辺りはすっかり晩秋の装いだ。

ススキの穂が風に揺れ、所どころ淡く紅葉した雑木の山林も心なしか哀しげに見える。

これは多分、小生の今の心情が事物をその様に見させているのだろう。

そんな落ち込んだ気分を慰めるべく、色鮮やかな紅葉を見てみたいなと思い、近在の 紅葉名所である「大矢田(神社)もみじ谷」を訪ねてみることにした。

 

小生の居宅(岐阜市)から美濃市大矢田までは直線で26㎞ほどの距離だが、往路を長良川に沿って上流に走り、復路は専ら山辺の道を走る周回ルートを想定したので、ライド距離は70kmくらいになると概算しての出発である。 

いつもは、長良川の堤防に出て直ぐに河川敷の河川管理道路(小生は長良川左岸サイクリングロードと勝手に命名している)を上流に向かって走るのだが、3週間ほど前からその先の河渡橋下が通行止めになっているので、今日はその橋を越えた先からの走行となる。

平日のこの走路は一般車両が走ることはほゞ無い(休日は一部区間のみ河川敷グランドを利用する人達の車が出入りする)ので、何の気遣いもなく自由に走れるのが良い。

「よーし、今日も頑張って走るぞ」と気合を入れてペダルを漕ぐ脚に力を込めると、 気分も乗ってバイクは軽快に走路を疾走して爽快だ。

 

しかし、そんな刻は長くは続かなかった。

次の鏡島大橋が近付いてきて事態は急変することになる。

何やら黄色い柵らしきものが走路を塞いでいる様だ。

「えぇ、まさかの通行止め」「3日前は通れたのに・・・」「抜道は無いのかな?」と悔やんでも所為が無い。

立て看板によると、どうやら橋脚の耐震補強工事をするらしく柵は設置されたばかり、通行止め期間は来年2月末までと結構長期に及ぶ様だ。

「これは痛いなぁ」小生の場合、冬場は遠出のライドが少なくなる分、この河川管理 道路に来て3往復(約50㎞)を走ってそれを代替する日々が増えるが、2ヵ所も通行止め箇所がある走路などまともに走れやしない。

「困った、何か代替案は無いかなぁ」来た道を戻りながらあれこれ思案するが、良案は浮かばずつい暗い気持ちになる。

 

河渡橋まで戻って仕切り直し。

ここから走る堤防道路は展望が良いのでつい脇見をしがちだが、ソコソコ車の往来が あるので気を引き締めて後方に注意しながら走りに専念しなければならない。

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視界の開けた長良川左岸堤防道路(岐阜市鏡島付近)

とは云え色々雑念が湧くのがボッチローディーの習性、バイクを走らせながら昔のことを思い出す。

中学生の頃、学級対向の駅伝大会がこの堤防道路を使っておこなわれた。(あの頃と 大きく様変わりしているし、何故この道で駅伝大会が出来たのか?今考えると不思議 だが・・・)

長距離走が得意だった小生は、何人かの選手の一人に選ばれ、緊張しながらも得意に なって走った。

しかし気負い過ぎていたのだろう、前半は快調に走れたものの後半は思いの外バテた。

1人目に抜かれ2人目に抜かれして、タスキを次の走者に渡すまでに4~5人に抜かれ、 酷く恥ずかしい思いをした。

その後も数多く味わう事になる青春の苦い思い出の一つである。

 

長良橋を過ぎても川沿いの道は続くが、周りの風景は山がちとなり岐阜市濃尾平野の北端に位置することが良くわかる。

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山が迫る鵜飼大橋付近の長良川

小生は「我が街岐阜」のこんな地理的立地が好きだ。

地方都市と云えども年を経て都市化が進み、昔あった山紫水明の趣は徐々に失われつつあるが「まだまだ捨てたものじゃないよ」と都会志向の人達にチョッピリだが誇りたくなる。

折しも、突然「ピィー」と甲高い音が耳に届くので、その方角に視線を遣ると、初老の男性が口笛で何者かを呼んでいる様子。

その先に視線を転じると、川岸で数人の人影が動いており、その周りを十数羽のトンビが飛び回っている。

どうやら、網で捕った魚を狙ってトンビが集まり、それらを口笛で呼ぼうとしているらしい。

鷹匠なら知っているが「トンビ使いなど聞いたことは無いなぁ」と独り呟きながらその場を走り抜けた。

 

居宅を出て約1時間チョット、距離も26kmあまりを走ってきたので、塚原遺跡公園で 一休みすることにした。

ここは長良川沿いの山間にある縄文時代初期~中期の遺構で、同じ場所に古墳時代の 墳墓もある珍しい(それぞれの時代が大きく異なる)遺跡である。

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塚原遺跡の縄文時代住居と古墳時代墳墓

縄文初期と云えば今から1万年以上も前になるが、そんな昔から人々がここで生活していた様を想像すると感慨深いものがある。

当時は狩猟採集で人々が暮らした時代だから、川も山も近いこの場所は最適な住環境 だったに違いない。

縄文の遺構を前に目を閉じると、シカの毛皮で作った着衣を纏って、笑いながら焚火を囲む老若男女の縄文人の姿が脳裏に浮かぶ・・・。

 

「さぁ、そろそろ休憩を切り上げて出発しよう」あと8㎞ほども走れば大矢田神社に 到着だ。

ここから走路は長良川を離れて小高い峠を2つ越えていく。

一つ目の峠をエッチラオッチラ登っていると、背後から来た若者ローディーが無言の ままススッと追い越していった。

車が近付く音がしないので、バックミラーでの後方確認を怠って全く気付かなかった。

それにしても、何故ローディーの多くは前走者を追い越す時に挨拶をしないんだろう?

私見だが、ライド中に前からローディーが来ると8割方の人は手で挨拶をしたり、頭を軽く下げたりするが、後方から追い越したり追い越された場合には、何らかの挨拶動作をするローディーの割合は1割未満だ。

かく言う小生は、前走者を追い越す場合は必ず挨拶をする。

「こんちわ」とか、場合によっては「どちらまで」とか少しおせっかいに聞いてみたりもするのだが、その方が無言で追い越すよりずーと精神衛生上よろしいと思っている。

この若者ローディーとは二つ目の峠の手前で再度出くわしたが、こんなところで会うのが意外だと言いたげな表情を見せながら、また無言のままスピードを上げて走り去っていった。

 

大矢田神社に続く参道まで走ってきたが、道の両脇に植えられたモミジの若木を見て少し悪い予感、葉は暗赤色で一部は枯れ始めている。

「既に遅かりし・・・か」と思ったが、ここまで来たらもみじ谷まで行くしかないと 覚悟を決めた。

神社手前の道には駐車場の空きを待つ車が3台停まっており、紅葉狩りを兼ねた参拝客はソコソコいる様子で案外期待できるかもと、今度は一転希望的観測にすがる。

駐車場を過ぎ、歴史ある楼門の横を通って車道をドン突きまで登ると、あとは拝殿と 本殿に続く長い石段があるのみ、止む無くここでバイクを停める。

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江戸時代初期頃に再建された楼門

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拝殿と本殿に続く長い石段

以前は石段を登って上まで行けたが、足を悪くした今はそれは難行苦行に等しいので ここが限界と諦めつつ、気持ちを取り直してを辺りを見回す。

目を凝らしても鮮やかな紅葉は見当たらない、やっぱりヤマモミジの紅葉は終わって おり、冴えない色付きの広葉樹が僅かにその名残を留めているだけだった。

どうやら「今年は綺麗な秋色とは無縁で終わりそうだな」と自分に言い聞かせるしか 手は無さそうだ。

仕方なく周りの景色を写真に納めてみた・・・。

 

「さぁ、帰ろう」帰路は山辺の道を走るが、基本下りが主体となるのでそれほど脚を

疲労させることは無い。

ただ、最近は連日ライドすると身体から疲労が抜けきらないことも多いので、帰路は ゆっくりペースになるが、多分2時間とは掛からずに居宅に帰り着けるだろう。