最近、ライド中に突然の倦怠感に襲われることがある。
特に負荷の高い走りをしてないのに、腿に強い疲労を感じたり上腕に酷い脱力を感じ たりするので、そんな時は一旦スピードを落として患部?を休ませ、身体が元の状態 に戻るのを待つしかない。
多分、単なる運動不足による筋力低下が原因だろうと思っているが、自律神経失調症やギランバレー症候群といった疾病が原因ならチョット困る。
もう少し様子を見て同じことが続くなら医者に診てもらう必要があるかも?
今日は午後から天候が下り気味との予報なので、遠出は止めて近場の平田リバーサイドプラザに向かうことにした。
いつもの様に周回コース(4km)を7~8周すれば走ったという充足感は得られるし、 空模様が変わっても崩れる前に帰ってこられる。
居宅を出てしばらく走ってビル屋上の旗を見上げる。
この旗で風の強さと方向を見るのがいつものルーチンで、今日はダラリと垂れ下がってほゞ無風だと判る。
「OK、バッチリだ」風はローディーの大敵だから風が無いだけで嬉しくなり、ペダルを漕ぐ脚に力が入る。
20分ほど走って長良川左岸の堤防道路に出ると、平田リバーサイドプラザまではあと 少し。
スピードを緩めて辺りの景色を楽しみながら走っていると、背後から2人のローディーが来て素早く抜いていった。
「速いなぁ」感心しながら見送っていると、また2人のローディーが抜いていく。
スピードは35~36km/hrだろうか? 2組に分かれているが走りを見るとどうも4人は連れらしい。
あんな風に一緒に走る仲間がいたら楽しいだろうなぁと、少し羨ましい気持ちが湧いたが、所詮ボッチローディーは独り走りが好きな筈、小生には無理と諦めた。
遠ざかる4人組を眼で追いながらギアを上げて追走モードに入るが、所詮年寄りが若者に勝てる筈も無く差は広がるばかり「こりゃぁダメだぁ」無駄な努力は骨折り損のくたびれ儲けとばかりに、早々に追うのは止めて普段の走りに戻した。
するとその直後、100mほど先の脇道から1人のローディーが堤防道路に入ってきた。
冬場なのに七分丈のレーパンを履いている処を見ると走り屋か?と観察しながら近付くと、その気配に気付いて振り向いた彼はそのままスピードを上げた。
平田リバーサイドプラザへの分岐はこの先だが、彼が何処へいくのか興味が湧いたので「チョットばかり付いて行ってみよう」と少し遅れて小生もスピードを上げた。
スピードは30km/hrほどなので無理なく付かず離れずの距離を保って追っていける。
この先はT字路で、右に折れれば木曽長良背割堤、左に行けば木曽川右岸沿いを馬飼 大橋へと戻る道だ。
「やっぱり背割堤だろうな」と考えながらなおも追尾していくと、案の定T字路を右 に折れた。
「終わりだな」今日は背割堤を走る気はないので追尾はこれまでとし、来た道を平田 リバーサイドプラザへの分岐まで引き返すことにした。
それにしても、この堤防道路の5kmほどの区間で、5人の若者ローディーに出くわすのは珍しい。
休日なら大いにありうるが平日にはあまりない事だけに、何か良い事の前触れであったらいいなぁと、迷信など信じない小生だが都合よく思った・・・。
長良川にかかる南濃大橋を右岸側に渡った所が、平田リバーサイドプラザで河川敷に 設けられた運動公園だ。
芝生広場のベンチで10分ほど休憩をとって脚の疲れを癒したあと、1周4kmコースの 周回走行に入る。
1周目は慣らし走行として25~26km/hrに抑えて走り、2周目以降はスピードを30km/hr前後に上げて周回を繰り返すのがここを走る時のいつものパターン。
今日は風が無いのでスピードの維持が普段より楽だったがそれも前半まで、5周目が 終わる頃から脚に疲労が溜まってチョット苦しくなってきた。
「どうするかなぁ」あと1周は多分持ちそうだから「7周目は出来るだけ我慢して走り、8周目はクーリング走行にしよう」と自分に甘い裁定を下すことになった。
苦しいながらも何とか8周回を走り切り、芝生広場のベンチで疲れを癒しながら暫し 沈思黙考。
「やっぱり筋力が落ちたのは間違いないなぁ」「筋トレ必要かも?」「歳を考えれば 相応じゃないの?」等々思いは尽きない。
ふと我に返り上天を見上げると、雲が多く日差しも無くなってきたので、長居は無用と帰ることにした。
帰り道、前から気になっていた「大須観音の古里」という看板のある真福寺に寄って みる。
今は観音堂だけの小さなお寺だが、説明書きによれば、室町時代には寺領1万石・真言寺院335末寺を束ねる本山として大伽藍を擁し隆盛を極めた寺だったらしい。
しかし時代が下って江戸初期、戦乱や水害などで衰微荒廃した寺に貴重な古文書(日本最古の古事記写本等)があることを知った徳川家康が、寺ごと名古屋城下に移転させたのが今に繋がる名古屋の大須観音の始まりということであった。
「なるほど、だから大須観音の古里という訳か」と納得した。
現在の寺は、元の寺が移転後に村民が昔をしのんで建立したもので、その小さな佇まいが往時の村民の願いを偲ばせる。
昔を夢想する様に寺社を眺めていると、脇に立つ円空仏が優しく微笑んだ・・・。