風を道連れに

☆あるボッチローディーの独り言☆

続 中国のおもいで

 

ここ数日来の事だが鼻がグズグズする様になった。

寒暖差アレルギーかも知れないが、スギ花粉の飛散量は「非常に多い」のレベルらしいから花粉症の症状が出始めたとみるのが妥当だろう。

と云うことは、これから4月初旬頃までは外出自粛となるので、当然バイク遊びも封印せざるを得ない。

「仕方ないなぁ」と諦めて、ひたすら耐える生活を始めることにした・・・。

 

という訳で、今日はずーっと以前に話した「中国のおもいで」の続きを呟こう。

25年ほど前に中国の江蘇省蘇州市に4ヶ月余り滞在し、多くの現地の人たちと知己を 結んだ事や自転車を駆って市内の名所を観光した事は前に話したが、今回は上海や南通などの近くの街を訪ねた際のおもいで話だ。

 

勤め先が現地に設立した法人の立上げ時技術サポートのために蘇州に滞在するように なって1ヶ月ほど経ったある日、日本人総経理(社長)が傍に来てこう言った。

「明日、上海で商社関係の人と打ち合わせがあるんだけど同行しない?」 

商社関係者との打合わせに同行?「それって俺の仕事の範疇じゃないけどなぁ」と一瞬思ったものの、すぐにその意図を理解した。

「なるほど、俺を誘うということは、たまには上海観光でもして息抜きをしたらということか・・・。」

手前勝手に判断し、あえて断る理由もないので同行することにした。

 

翌日、1台しかない社用車(確かホンダアコードだった)に乗って出発、蘇州から上海までは80㎞ほどの距離である。

当時すでに蘇州と上海を結ぶ高速道路は開通しており、馴染みになった中国人運転手はそれを使うかと思ったが、どうも下道を行くらしい。

未だ自家用車を持つ人など殆どおらず、庶民の普段の足はバスか自転車という時代。

タクシーは郊外の一般道を80km/h以上のスピードで走っていた(勿論スピード違反で後部座席に乗る身としては事故が起きないか気が気でなかったが)ので、高速道路を 走っても時間は大して変わらないのが実情だった。

※高速道路と云えば、自家用車が少ないから当の高速道路はガラ空き状態で、ある時 何処から入ったか?リヤカーを取り付けた自転車が、そこを平然と走っていたのを見た時にはタマゲタ。

 

蘇州の街を出て郊外を行くと、この辺りが広大な長江デルタの一部だとよく分かる。

琵琶湖の3.5倍もある太湖と世界第3位の大河長江(揚子江)に挟まれていたるところに湖沼があり、その大いなる恵みを受けて田畑が広がる風景はいかにも中国らしい長閑さを感じる。

 

田園の中に点在する各集落を繋ぐ道を走ってある大きな湖のほとりで車は止まった。

この湖は?と聞くと陽澄湖という答え、知らないなぁーという顔をするとすかさず教えてくれた。

上海蟹を食べたことがあると思う(実は小生食べたことが無かった)けど、あの蟹はここで養殖されたものが最上品で、国内は基より海外にも輸出されている」と云うことだった。

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網の中には上海ガニがいっぱい(陽澄湖)

改めて湖を見つめると、湖水は透明度なく緑色に淀んでいて「ここで養殖したものがねぇ」という感じだが、そう云えば浜名湖のウナギも同じ様な濁った池で養殖されていたなぁと思い起こした。

多分この濁った水質こそが養殖蟹の旨さを決める重要な要素なのだろう。

 

上海での商社関係者との打ち合わせ場所はあるホテルのロビー。

広々とした庭を擁した洋館づくりのアンティークな建物で、戦争前はフランス資本の ホテルだったが、戦後は中国政府が接収して国営ホテルとして今に至っているという 事だった。

打ち合わせの方は総経理に任せ、小生はロビーの椅子に凭れてコーヒーを飲みながら 館内を眺める。

この壁やその天井が中国の激動の時代をくぐり抜けて来たのかと思うと、その時代を 知らずとも何か感慨深いものがあった。

上海に残る戦前からの建物としては、観光名所にもなっている外灘(バンド)地区の 洋風建築群が有名だが、その他にも戦火や騒乱を免れて生き残った建物が各所に点在 するのを知る人は少ない。

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外灘に残るノスタルジックな建物群

打ち合わせが終わって軽く昼食を取ろうと向かったのは豫園。

社用車はすでに帰していたので、タクシーで移動しながら上海の街並みや人々の様子を観察する。

鄧小平の改革開放で市場経済に舵を切ってから15年余、眠れる獅子中国がようやく目を覚まして動き始めた時期であり、その経済成長の証左として街中のいたる所でビル開発の槌音が響き、行き交う人々の表情も明るかった。

 

中国人の貴金属好きは多くの人の知るところだが、豫園近くの貴金属店が集まる一角 ではどの店もそこそこ賑わっており、こんな所にも庶民の懐事情が良くなっているのが覗えた。

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豫園商城近くの貴金属店

そんなある貴金属店の店先の路傍、人通りが多い中で一人の青年が縁石に佇んでいた。

青海省orチベット自治区から来たと思われる格好の青年の前には1m四方の布、中を覗き込むとどうやら漢方薬で、自ら採ってきたものを並べて売っているらしかった。

名前も良く知らない草木の根や果実などの植物性生薬、何か動物性らしい生薬等々の 並んだ列を目で追うと「あった!冬虫夏草」、何かの幼虫の身体を突き破って伸びる キノコの子実体は写真で見たのと同じだが、その干からびた現物を見るのは初めての ことだった。

興味はあるけど勿論買う気はないので、申し訳ないけど「Bu mai:買わない」と伝えてその場を離れた。

 

豫園は庭園の名前で、隣接する小売店の集まった地域を豫園商城というが、昼食はその中の南翔饅頭店で小籠包を食べる事にしていた。

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賑わいを見せる豫園商城         小籠包を買い求める人達

南翔饅頭店は、今では日本にも支店を持つほどに有名になったが、当時は未だ海外に 名を馳せるほどでは無く、上海市民の間では隣の緑波廊は海外観光客が訪れる高級店 だが、南翔饅頭店は店先で気軽に小籠包が食べられる庶民の店という位置付けだった。

店先で買い求めると9個入り10元(140円)ほどだが、店に入ってテーブル席で食べる と値段が数倍に跳ね上がるというので、庶民は専らテイクアウトだったが、普段は行列にきちんと並ばないはずの人達が、ここでは列も乱さずに並んでいたのを豫園商城の 賑わいと共に思い出す。

小生らは流石に外で食べる訳にはいかないので店に入り、食べたのは蟹入りと豚肉入りの2種類の小籠包だったような・・・。

 

昼食を済ませた後は古い町並みの残る路地裏を抜けて外灘まで歩いた。

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豫園近くの路地裏風景

現在の外灘は、黄浦江を挟む対岸浦東地区に東方明珠電視塔や上海環球金融中心等の 高層ビル群が林立しているが、当時は未だそれらは建設されておらず、ただ中低層ビルに交じって、日本の森ビルが開発を請け負った高層ビルだけが、建設途中ながら他を 圧してその威容を誇っていた。

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往時の浦東地区              現在の浦東地区

日本は、この頃バブル経済の終焉を迎え長い低迷期に入ろうとしていたが、反対に中国はあらゆるものを吸収して大きく羽ばたこうとしていた。

今から思えば、あの外灘から見た浦東の風景が、正にそれを如実に表していたと思えてならない。

 

 

長江(揚子江)観光に出掛けたのは蘇州滞在3ヶ月を過ぎた頃、現地社員も誘って総勢 6人の和気あいあいプチ社員旅行みたいな感じだった。

 

蘇州から北東に60㎞ほど行くと長江の雄大な流れに突き当たる。

そこからフェリーに乗って対岸へと渡る(今は長大な橋(蘇通長江公路大橋)で対岸(南通市)に容易に渡れる様になったらしい)訳だが、生憎の黄砂で8㎞程先にある 筈の対岸は全く見えない。

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黄砂に煙る長江の流れ           長江に架かる橋(現在)

黄砂と云えば日本人の多くは空が薄黄色に霞む程度と思っているが、小生がむかし西安で遭遇した黄砂はそんなものではなかった。

西安の観光地を物見遊山でそぞろ歩きしていた時、急に強い風が吹き出しそれまで陽が射していた空がにわかに曇りだした。

「雷雲でも近づいてるのかな?」と思ったがどうもそうではないらしい。

風はどんどん強くなり辺りも日没後の様に暗く数十m先の視界が効かなくなって初めて気が付いた「黄砂だ」。

嵐の様な黄砂は1時間ほどで治まったが、自然の猛威を改めて知った出来事だった。

蘇州辺りは黄土高原から1,000㎞以上離れているが、西安ほどでは無いにしても黄砂が 飛んでくると空は曇って暗くなり視界も相当悪くなった。

 

フェリーは1,000トン程度と小さいが、人と荷物や車を満載して重いエンジン音を響かせてゆっくりと離岸した。

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フェリーで長江を渡る

船上で長江の濁った流れを見ながら物思いにふける「何千㎞と旅したこの水は海へと 至りやがて雨となって元へと戻る、循環端無きが如し・・・この命何をあくせく明日 をのみ思い煩う・・・か」

 

30分ほどでフェリーは南通市の岸壁に接岸、田園風景が広がる長閑そうな街だ。

車に乗り換え田園内の道を市街地に向けて走っていると、前方に何やら黄色いものが 道いっぱいに散らばっている。

何か事故でもあったのかと減速して近づき、初めて黄色いものの正体が穀粒の付いた 稲穂だと分かった。

どうやら車で轢かせて脱穀をする心算らしい。

何ともまぁ大らかというか合理的というか、細かなことには拘らない大陸的気風を垣間見た気がした。

 

市街のレストランで昼食を摂った後に向かったのは狼山という名所。

中国に12ある有名な仏教聖地の5番目に上げられ、山の上に1400年の歴史を持つ仏教 寺院が建つ如何にも中国らしい景観のところだった。

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江南の有名な景勝地:狼山

眼下を長江が流れており、遠くまで見渡すことが出来るというので、標高100mほどの山上まで続く石段を期待しながら登ったが、やっぱり黄砂の影響で視界が効かず期待は失望に変わった。

 まぁ仕方がないこれも日頃の不信心のなせる業と、抹香の匂いの立ち込める仏閣の前で仏さまにお詫びした次第である。