風を道連れに

☆あるボッチローディーの独り言☆

初めての自転車旅

 

今日は朝からの雨模様で少し肌寒く「前日までの季節外れの暖かさは何処へいった」という感じだが、まだ4月初旬と思えばこの気温は「然もありなん」と納得する。

散り始めた土手のサクラもこの雨で一気に花びらを落とすと思うとチョット寂しいが、それは人間の勝手な感傷であり、桜木にとっては新緑にむかう生々流転の一コマに過ぎない。

木々が芽吹けばあと少しでライドが愉しい季節の到来だ・・・。

 

小生が自転車に乗り始めたのは小学2年生の頃だったろうか?

今ほど物質的な豊かさを誰もが享受出来る時代では無かったから、兄貴のお古の自転車に片側だけ補助輪を付けて貰い独り黙々と自走練習した結果、1週間ほどで補助輪なしで乗れる様になったという朧げな記憶がある。

中学3年生の時には内装3段変速のスポーツ車(当時の流行り)を買って貰い、高校の 3年間は8km離れた学校への通学や普段の遊びの足として大いに使った。

確か高2の時の夏休み前だったと思う(50年近くも前のことで記憶が定かでない)が、 学校帰りに友人の一人が出し抜けに「夏休みに自転車で諏訪湖に行かないか?」と言い出した。

何故諏訪湖なのかと聞いた覚えは無いが、多分彼には過去に家族と其処を訪れた愉しい思い出でもあったのだろう。

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涼やかな風が心地よい夏の諏訪湖

小生はそれまで諏訪湖に行ったことは無く「suwako」というその美しげな音の響きから魅惑的な湖畔の風景を連想して俄然乗り気になり「良し行こう」と返事をした。

家に帰り、地図帳を開いて諏訪湖の場所を確かめてみると、岐阜からは直線で140km あまり、道を走ると200kmは優に越えそうな距離があった。

「随分遠いな」とは思ったが、1日100kmを走れば中1日の遊び時間を入れても4泊5日 あれば充分「出来そうだな」其処は恐れ知らずの若気の至りで無理とは思わなかった。

翌日、言い出しっぺの友人ともう一人参加を表明した友人の計3人(3人寄れば文殊の 知恵、2人では心もとないが3人いれば何とかなる)で計画の概略を話し合って決め、 突然の思い付きは実行に移されることになった。

 

夏休みに入って10日ほど後、午後の暑い日差しが西に傾きかけた頃に集合場所の公園に3人が集まった、今から思うと不思議だが何故か夕刻に出発する計画だった。

(多分、夕刻に発って途中で数時間仮眠すれば、翌日の夕刻には諏訪に着けるだろうという至極安易な考えがあったと思う)

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愛用の自転車に荷物を積んで集合(image)

 各自が愛用の自転車の荷台に荷物(簡易テント・寝袋・替え下着・食料etc)を入れたリュックを括り付けており何れも恰好は様にならなかったが、それより気になったのが自転車全体の重さ。

あの頃のスポーツ自転車は車重が20kgほどもあり、それに10kg近い荷物を載せている からTotal 30kg超で取り回しがとても重かった。

「大丈夫だろうか?」各自が内心不安を抱えながら(と云うのは小生の憶測だが)も、それは噯にも出さず笑顔で出発、まずは犬山を目指す。

 

どの道を辿って犬山まで走ったのか今では全く思い出せないが、ともかく太陽が西方の山並みに沈み込む頃には、右手に犬山城が望める所まで来ていた。

犬山は濃尾平野の東北端に位置し、此処から先しばらくは木曽川に沿って走る山間の道(R-21)だ。

暗い夜道を自転車の前照灯を頼りに走るのは何とも心もとないが、断続的に通る車の  ヘッドライトが我々3人を照らし出し、束の間だけホッとした空間を演出する。

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夜道の走行は心もとない・・・

2時間以上走ってきたのでそろそろ休憩を取りたいが、コンビニなどと云った便利な物が無い時代だから、停まって疲れを取る場所など何処にも無い。

ようやく美濃加茂の街中で街灯に照らされたスペースを見つけて休むことが出来た。

 

美濃加茂木曽川と一旦別れると、道はそれまでの平坦路から極々緩い(1%)登りが延々と14kmあまり続く道へと変わる。

多少のUp Downを繰り返しながら道は徐々に高度を上げるので、重い車体のペダルを 漕ぐ脚の疲労は着実に蓄積していったことを、この時は誰も気付いていなかった。

御嵩を過ぎると町並みも途絶え、遠くぽつぽつと見える人家の明かりだけが頼りの山間の道を時折声を掛け合いながら進む3人。

その不安を裏打ちする様に夜のとばりが彼らをスッポリと包み込んだ。

 

やがて道は鬼岩の峠越えに差し差し掛かった。

160mの高度差を4kmほどで登る最大斜度が約7%の坂で「初日の最大難所だな」と3人 で話し合っていたところだ。

序盤は斜度も緩くギアを3段変速の一番軽めに落とせば難なく走れたが、進むに連れて斜度は上がり次第に太腿に負荷を感じる様になった。

「きついなぁ」とお互いに声には出すが3人共まだ余裕のある声、しかしそれもやがて「ハァ・・ハァ・・」の喘ぎ声に変わる。

前方を照らす前照灯の明かりが右に左に揺れはじめ、立ち漕ぎで懸命に前へと進もうとする友人の姿を映し出す・・・。

それから数十秒、太腿の疲労が耐えきれなくなり「もう駄目だぁ」と観念した時、以心伝心した様に前を走る友人が突然停まり、後続の友人も停まった。

「疲れた・・・」お互いを慰めあう様に声を交わしてしばらく休憩するが、疲労困憊 した体力気力は容易に回復せず、其処からは自転車を押しての登りとなる。

峠まではあと1kmほどある、自転車を押しながらトボトボ歩く3人を上天の月が明るく照らし出していた。

 

やっとの思いで峠を越えると今度は4kmの長い下り。

重い車体にハンドルを取られないよう慎重にブレーキングしながら坂道を駆け下って いくと、突然眼の前に「漆黒の大地に瞬く星々」の如き絶景が広がった。

この時に目に焼き付いた土岐市街の夜景は、今でも目を閉じると脳裏に浮かぶほど綺麗で鮮明だった。                               (これが脳内で創られた画像の可能性が高いことは十分理解しているが・・・)

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今も脳裏に残る土岐市街の夜景

土岐からはR-19を東に向かって走る。

名古屋と長野を結ぶ主要国道だけに夜でも車の交通はかなりあるので、暗い夜道を走る不安感は少し薄れた。

しかし道は相変わらずのUp Downを繰り返しながら徐々に高度を上げる緩い登り道で、土岐の海抜は140mほどだが、この先の恵那は280m 中津川は360mと段々高くなる。

更に進めば南木曽415m 木曽福島820m、R-19最高点の鳥居峠トンネルは995mの海抜がある。

先ほどの鬼岩の峠越えでさえあの体たらくだ、これらを越えていくには相当苦労する だろうと思われた。

 

それはさておき、その時我々3人の頭を占めていた思いは、その日の寝場所の恵那峡に何時頃着けるかだった。

計画ではPM11時前には着いてテントを張って・・・だったが、腕時計を見ると時刻は既に10時半過ぎなのにまだ相当距離を走らなければ恵那峡には着けない・・・。

Up Downを繰り返す走りに疲れ果て休憩を挟みつつノロノロと走った結果、恵那峡に 着いたのは結局AM1時少し前。

簡易テントを手早く設営して疲れた身体を寝袋に滑り込ませると、愉しいはずの友との語らいもソコソコに忽ち深い眠りに落ちた。

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恵那峡木曽川の流れを湛えたダム湖

鳥のさえずりに目を覚まし、テントを抜け出して朝もやに包まれた川岸に腰かけて独り物思いにふけっていると2人の友人も起きてきたが、みんな冴えない顔をしている。

各自用意した食料で朝食を摂りながらこれからどうするか話し合うと「もう少し先まで行ってみよう」ということになった「疲れてはいるがまだいけそうだ」とみんなが同様に思っていた。

 

恵那峡からR-19に戻り中津川に向かって走ると、正面に遠く中央アルプスの高峰が顔を覗かせ、右手には恵那山が大きく迫ってくる。

前日は目にすることの無かった景色を見ながら走ると、疲労が少しだけ軽減される気がするのは脳内で生じる錯覚の所為だろうか?

中津川を過ぎると道はいよいよ木曽谷へと入っていく。

木曽路は全て山の中である」藤村が小説:夜明け前で書いた様に、昼なお暗い谷筋の道を走ると心細さが募ってくる。

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馬籠宿(此処から木曽路が始まる)

落合を過ぎて坂下辺りの坂道を喘ぎながら登り終えた時だった、友人がぼそりと呟いた「もう帰ろうか」突然のその言葉に小生は素直にコックリと頷いた。

3人が集まって鳩首協議の結果、計画はここで断念することになった。

諏訪湖まではまだ100kmほどもあり今の疲労度からすると走り切れない」それが3人の一致した見解だった。

近くのドライブインで少し休憩した後、踵を返して帰路につく。

気持ちは晴れやかで、疲労も少し軽くなった気がしてペダルを踏む脚にも力が入ったのは何故だろう。

 

その日の夕刻、家に着いて往復200kmの初めての自転車旅は終わった。

元々ずぶの素人には無理な計画だったのかも知れないし、夕方からの出発は完全に失敗だった等々色々反省する点はあったが、それにも増してチャチな自転車を駆ってだが、200km超の距離を走ることが出来たという満足感が、その時小生を実に幸せな気分に していた・・・。

思い起こせば懐かしい小生の青春の一コマである。