風を道連れに

☆あるボッチローディーの独り言☆

やっぱ怖いな大型トラック

 

コロナワクチンに関するデマが飛び交っている。

流産や不妊につながるとかマイクロチップが埋め込まれているとか、一見真実味のあるものからトンデモ説まで色々だ。

小生などは「そんなものチョット考えれば嘘だと判るだろうに」と思うが、世の中にはこの手の情報をいとも簡単に信じ込む人達がいることもまた事実で、それらがSNS等で拡散されることで、少なからず社会や人の行動に影響力を持ってしまうところに、この問題の根深いところがある。

コロナワクチンはCOVID-19終息に向けた切り札であることは間違いない。

副反応への不安から接種を忌避する人達も多い様だが、今一度、何が正しく何が誤っているかの情報選別をして、本当のリスクは何処にあるのかの見極めをして欲しいと、TVの情報番組を観ながら思った・・・。 

  

さて、この1週間大きく崩れることの無かった天気も、明日からはしばらく雨模様との予報なので、今日は少し遠乗りで「養老から関ヶ原へと走ってみるか」と朝起きがけのボーとした意識の中で思った。

 

ライドの準備をしながらまずは走行ルートを考える。

小生が養老方面へ向かう時に走るルートは、大まかには南に迂回するルートと南西方向に直行するルートの2つ。

今日はライド全体のルート構成から、少し南よりに迂回するルートを走ろうと決めた。

 

いつもの事だが、街中を抜けて長良川の堤防に敷設されたサイクリングロードに出ると”やれやれ"という安堵感にチョット気持ちが軽くなる。

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360°の視界が爽快感をUPさせる(大垣市墨俣)

しばらくは車に気を使って走らなくて良いし、360°拡がる視界に爽快感が刺激されて ペダルを廻す脚をチョット軽くするから、気分も次第に揚がってバイクで走る愉しさが身体を満たしていく感じだ。

 

輪之内町揖斐川を越えると養老の山並みも随分真近になってきた。

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福束橋上から見る養老山地

山登りにいそしんでいた頃はあの山稜を幾度も歩いたものだが、足を痛めて自転車遊びに転向してからは、本当にたまぁ~に二ノ瀬に行くだけ。

「山も随分と縁遠い存在になってしまったなぁ」と往時を思い出して、悲しい気持ちになって眺めた。

(だけど高山の登行もさして厭わなかった小生が、ヒルクライムを好きになれないのは何故だろう?・・・)

 

牧田川沿いの堤防道路を南へ3kmほど走り、右に折れて”希望の道”(うーん実に微妙なネーミング)と命名された広域農道?を養老へ向かう。

車は来ないし信号も途中に2か所しか無いので、26~27km/hrの快適なスピードを維持 しながら走り続けると、山麓の街はもうすぐそこという所まで来ていた。

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ローディーの”希望の道”かも?

「さて此処からどう走ろうか?」スピードを緩めてルートを考えることほんの十数秒「駅前を通つて養老公園で一休みだな」と即決し、バイクを旧道へと向けた。

 

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レトロな佇まいの養老駅           酒泉伝説の養老の滝

山麓の傾斜路をエッチラオッチラとユックリ登る。

これを山側に詰めた所に養老の滝があり、その手前の売店が並ぶ辺りがバイクで行ける限界だが、そこまでの標高差は130mほどあるからヒルクライムが嫌いな小生には結構辛い登りだ。

途中の昭和レトロな遊園地:養老ランドの前を通り過ぎる時に、フッと脳裏に去来したのは30年以上前に娘2人を連れて其処を訪れた時の家族の情景。

閑散とした園内を走り巡って思う存分に遊具を楽しんだ幼い娘達も、今では2人と3人の子を持つおばさん。

「光陰矢の如しかぁ」と感慨に耽りながら登行の辛さを一時忘れた。

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坂登りで掻いた汗がひくまで景色を眺めて一休み

養老からは山際の抜け道を走って北上し牧田経由で関ヶ原を目指す。

田舎道なので、今までこの往来で他のローディーに会ったことが無いが、大型車の通行が多いr-56を行くより「安全面も精神衛生面も宜しい」ので、小生は専らこの道を走ることにしている。

 

今から421年前、関ヶ原の戦いで惨敗した島津義弘は敵中突破して難を逃れたが、その時の”島津の退き口”として有名な細道を逆に辿るのがこのルートの後半。

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 ”島津の退き口”牧田の細道        近くを交通量の多いR-365が通る

 現在は道筋を人家が軒を並べるが、当時は山中を走る細道が1本「夕暮れが迫る中での必死の敗走だった」んじゃないかと、見てきた様に勝手に思っている。 

往時を偲ぶものは烏頭坂の顕彰碑ぐらいしか残っておらず、坂道を登りながら「薩摩の落武者達はどんな気持ちでこの坂を駆け下ったのだろう?」と400年の昔に思いを馳せていると、血垢まみれの甲冑を身に纏った武者達が必死に駆け去る姿が一瞬見えた気がした・・・。

 

戦いのあと、徳川家康が討ち取られた敵将の首実検をして遺体を埋めたという”おどろおどろしい”東首塚の前に設けられたベンチに腰掛けてノンビリと2回目の休憩。

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  名称は恐いが心地よい休憩場所     最上階には関ヶ原を見渡す展望スペースが

昨年オープンした”関ヶ原古戦場記念館”が真近で威容を誇る様に建っており、多少なりとも歴史に興味のある小生は是非寄ってみたいが、寄れば2~3時間は使って展示物を 観てみたい。

そんな訳でこれまで寄れてないが、今日もやっぱり時間の関係でスルー。

果たしていつになったら入館できる?のだろうか・・・。

独り沈思黙考しつつチョット長めに15分ほど休んでから「そろそろ帰るとするか」と 重い腰を上げる。

 

帰路はいつもの旧中山道経由は止めてr-216を大垣まで走ることにした。

西寄りの弱い追い風が吹いており、高速?巡航が出来るかもと期待したからだが、この甘い希望が間違いだった。

途中までは至極順調で34~35km/hrをキープしながら走ったが、路肩工事区間が断続的に始まると状況は変わった。

狭くなった道を極力路肩寄りで走行していると、大型トラックが迫ってきて直近を轟音を上げながら抜いていく。

それが1台だけなら「オッと」で済むが、3台4台と車が続けばそれじゃ済まない。

風圧に押されてバイクがグラつくので、転倒する危険や車体に接触する危険をヒシヒシと感じ恐怖心が身体を包んだ。

それが2度3度と続くと小心な小生の精神はもう限界。

「こりゃぁダメだ、命あっての物種だからな」と呟いて、赤坂の手前で旧中山道方面へと走路を変えた。

 

中山道を走って揖斐川べりまで帰ってきた。

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揖斐川にかかる軽車両用鉄橋を渡る(右の鉄橋は東海道本線

此処から居宅まではまだ10km余りあるが、何とかPM1時頃には着けるだろう。

今日も概ね愉しいライドだったのかな・・・。