招致の決定以来、数々の不祥事や問題の発生に見舞われてきた”東京五輪2020大会”が、多くの開催反対の声を尻目に始まった。
先日まで開催の是非を論じていたマスコミも、手のひらを反す様に競技報道一辺倒で、今まで何事も無かったかの様な能天気ぶりが目立つ。
「まぁマスコミなんてそんなもの」と言ってしまえばそれまでだが、コロナ感染者は 日を追う毎に増え続け、1万人の大台を超える事態も絵空事ではなくなってきている 現実を考えると「能天気だなぁ」と云って済ませられない苛立ちを覚える。
組織委員会が言っていた「バブル方式で安全確保」は案の定徹底されず、政府はそんなことに無関心でただ政権の行く末に不安を感じてオロオロするばかり。
一方国民は国民で、自粛疲れか何だか知らないが行楽地や繁華街へと大挙押しかけて、コロナ感染の拡大に拍車をかけて悪連鎖を断ち切れないでいる。
「全くこの国はどうなっているんだぁ」と憤怒に絶えない毎日である・・・。
居宅からの往復距離は130km近くあるので、前日まで60kmほどを輪行するかどうかで大いに迷っていたが、最近とみに衰えが顕著になってきた老体には「セミロングが相応しいんじゃない」と囁く声があり、結局は輪行案でいくことになった。
まぁこの判断の背景には「歳なんだから無理せず2時には帰って来ること!」と厳しく宣う家人の圧力?があったことは否めないが・・・。
あらかじめ決めていた揖斐川町の朝鳥公園駐車場に車を停め、出発の準備をして時計を見ると9時45分、計画より15分の遅れだがほゞ予定通りだ。
先ほどまで山間に低く垂れこめていた雲はどうやら消えた様だが、上天の雲は若干多めで「この先雨に降られるかも?」と一抹の不安が残る天候。
「山道で雨は嫌だなぁ」バイクはディスクブレーキのVaracan specialにしたので、リムブレーキのDe RosaやLapierreより雨には強いが、それでもスピードの出た下り坂での 制動は少し心配。
「何とか半日もってくれー」と祈る気持ちをペダルに込めて出発した。
揖斐川に架かる赤い橋梁の川口橋を過ぎると道はいよいよ山間へと入っていく。
山間部の橋梁は赤色に塗られたものが多いが何故かご存じだろうか?
一説には”錆止めがこげ茶なので上塗りを赤色にすれば剥げても目立たない”と云うのがあるが、それよりも”周囲の緑色に映える色が赤だから”と云うのが正解だと小生は勝手に思っている。
山歩きをしていた頃、木枝に巻かれた赤やピンクの道標テープをよく目にした(幸いにしてそれに助けられた記憶は無い)が、それ等も同じ理由からだろう。
今日は、横山ダムの手前までは揖斐川右岸沿いを上流へと伸びるr-254を走る予定。
くねくねと山肌に沿って設けられた道だが、大小5本のトンネルを潜らねばならない R-303を走るのは厭なので、多少遠回りになるが景色を愛でながら気持ちよく走れる 道を選択したという訳だ。
快調に回る脚に気分も上々という感じで、三倉の揖斐峡大橋出合いまで来た時のこと、前方の路肩に立看板を発見。
「なに!通行止め・・・」どうやら落石の危険があってこの先が当分通行不能らしい。
「どうしょうか?」先週に続き今週も落石に行手を阻まれるとは「なんて不運続き」とこんな所で嘆いていてもしょうが無い、止む無く橋を渡ってR-303をいくことにした。
しかし、R-303に入るとすぐに2.2kmもある久瀬トンネルが現れ「儘よ」と勢いのまま 突入してすぐに後悔することに。
トンネル内は酷く濡れており、タイヤが路面の泥水を跳ね上げるわ傍を追い抜いていくトラックが泥水のしぶきを浴びせるわで忽ち小生もバイクも悲惨な状態。
こんな所は早く抜け出そうとスピードを上げるので、スリップや車との接触のリスクも高まる「あぁやってらんねぇー」と走りながら叫んだ。
濡れた路面のトンネルを走るのはこりごりと、残り3つのトンネル箇所は旧い巻き道を通ることに。
少し寂れた道だが路面状態は悪くないので快適に走れる「やっぱりこの道だな」と良い選択に満足した。
道の駅”星のふる里ふじはし”でR-303に合流すると横山ダムまではあと少し。
斜度10%で400mほど続く道を喘ぎながら登ると、思いの外に心拍数が増え太腿の疲労も溜まってきた感じなので、ダム管理事務所前の広場で一休みすることにした。
坂内へ向かう道を左に分けてR-417を北上する。
この道は徳山ダムの上流で林道冠山線に変わる”危険酷道”として有名だが、この辺りではまだそれほど危険な箇所は無いので風景を愉しみながら走っても大丈夫。
ダム湖沿いのワインディングロードを奥へ奥へと進めば、やがて水面は幅広い流れから渓流へと変わっていくが、こうして人里離れて山の中へ入ってくると妙に気持ちが落ち着いていくのは何故だろう・・・。
「そろそろ藤橋城だな」と思いながら緩い傾斜の道を行くと、木立の間から突然それは現れた。
一見すると見事な城だが、実はプラネタリウムと資料館で本物の城ではない。
併設された西美濃天文台は現在休館中だが、空気が綺麗なこの辺りの事、天体観測では遠くの星がよく見えるらしい。
あと4kmくらいだがずーと登坂が続くので、次第に太腿が張ってきて12~13km/hrで しか走れない。
「ここからが我慢だな」と呟き、シッティング位置を前にして効率の良いペダリング に専念することにした。
脚力不足と急に出てきた日差しに悩まされながらも苦手なヒルクライムを続けること 約20分、長いトンネルを抜けた直後に大きく開けた視界の右方向を見ると、其処には 巨大なロックフィルダムの威容があった。
「ようやく着いたかぁ」安堵感と共に軽い疲労感が急に押し寄せてきたので、展望台 の下でしばらく休憩することにした。
10分くらい休んでから2kmほど先の徳之山八徳橋を目指す。
この橋の名称は、ダム湖に沈んでいる八つの集落を人々の記憶に留めるべく命名されたらしいが、小生は40年ほど前にこれら集落を縫う様に辿って越美(越前と美濃)国境の山を目指したことがあり、その道は車1台が通るのがやっとの細い山道だったとの鮮明な記憶が残るが、不思議と絶対に在った筈の集落の様子は全部抜け落ちていて、人間の記憶の曖昧さを今更ながらに思う。
八徳橋を中ほどまで進んでダム湖を見渡す。
視線の彼方に越美国境の山なみがあり、昔登った冠山をその中に探すが、烏帽子の様な特異な山容は見つからずチョットがっかり、多分前山に隠れて見えないのだろう。
その下には10㎞近く先まで続く湖面があり、その想像以上の大きさに、沈んだ集落と かってそこで生活した人々の悲哀を感ぜずには居られなかった。
そう云えば昔通った理髪店の小生と同い年の主人は徳山村の出身だったが、彼が幼少 の頃に野山を駆けまわって遊んだのはどの辺りだったのだろう。
あれこれ思いを巡らして数分、ふと時計を見ると時刻は正午を少し過ぎたところ。
「おっとこんな時間かぁ、もう帰らなくっちゃな」復路は下りでスピードが出せるから来た時ほど時間はかからない筈。
多分約束の2時までには何とか居宅に帰りつけるだろう・・・。