風を道連れに

☆あるボッチローディーの独り言☆

カレーを食べながら

 

今朝は変な夢をみて目が醒めた。

”何か?の夢から目醒めて「あれっ、これと同じ夢を何度も見ているぞ?」と不思議に思うのだが、これが実は夢で、その夢から醒めて「なぁんだ、夢だったから何度も同じ夢を見てると思ったんだ」と思って安堵するが、これもまた夢だった”という”夢の中で夢を見る夢を見た”何ともややこしい夢だ。

夢にはその人の深層心理が表れるという心理学者がいるが、もしそうならこの夢は小生のどんな心理の表れなんだろう、恐れか希望か?

まぁ1夜に3~4回は夢を見ているらしいから、その一つひとつに意味付けをする必要は無いのかも知れない。

多分、睡眠中に脳が局所的に活性化して、ランダムにニューロン同士を結合させているだけなんだろう・・・。

 

さて、今日は木枯らしが吹くチョット嫌な天候なので、何処へも行かない心算でいたが「昼にカレーを食べに行こう」と家内が言うので出掛けることにした。

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外観は喫茶店のようなカレー屋さん

ちょくちょく行くそのカレー屋は、シェフがネパールの人(と小生が勝手に思ってる)で、美味しいカレーとナンそして熱々のチャイを出してくれる。

値段は2カレー(10種類から選ぶ)+ナン(食べ放題)+タンドリーチキン+サラダ+ソフトドリンク(チャイorコーヒーorジュース)で950円とリーズナブルだ。

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ご飯もあるがやっぱりこのカレーにはナンが合う

こざっぱりした店内(インドらしくもありらしくもない)でナンを片手にチキンカレーを啜れば、頭の片隅に仕舞い込まれた記憶が懐かしくも思い出されてくる。

 

18年ほど前の事、勤め先がインドで計画した現地法人(工場)の建設をサポートする事になり、足繁く(2年半で12回)インドへと通った。

1回の出張は約2週間で、限られた時間でやることは色々あったが、OFFの時間は観光等もしてそれなりに楽しませて貰い、彼の地に関する数々の知見を得た。

 

まずは食事。

「インドに行ったら毎日毎食カレーばかりで閉口した」と云う話をよく聞くが、確かにカレー風味の食物が多いのは事実だが、街中にはマックもあれば中華もあり、ましてやホテルに泊まって食事を摂るのであれば、それほどカレー漬けを心配することは無い。

面白いと思ったのはベジタリアンで、インドには宗教上の理由からそれを実践する人達が多いのだが、同じベジタリアンでも色んな人がいて、完全な菜食主義の人、菜食+卵や乳製品はOKの人、菜食+乳製品はOKの人、普段は菜食だが時々肉食もする人等々と千差万別。

食べ物に禁忌の無い小生には解らないが、彼らは彼らなりに整合した考えの下でそれを実践している様だ。

一つ言えるのは、これらベジタリアンの人達の食べる物は結構辛いという事。

ある時一緒に食事に行き「食べてみるか」と薦められて、ほんの少しを口に運んだが、その辛さにまさしく閉口したことがあった。

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ベジタリアンの食事は結構カラフル

今の若い人は知らないだろうが、小生が子供の頃(随分昔だ)インド人と云えば”浅黒い顔(差別感丸出し)に髭を生やして頭にターバンを巻いている人(男性)”を誰もが連想した。

丁度、欧米人が日本人と聞いて”首からカメラをぶら下げた細目に丸眼鏡の出ッ歯面の男性”を連想する様に。

しかし実際にインドに行ってみると、街中でそんな人はあまり見かけない。

それもその筈この外見はシク教徒の男性の特徴で、この信者はインド全体の2%、男性に限って言えば100人に1人しかいない極少数者なのだ。

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インドの街角風景(ニューデリー

この少数者が何故インド人のステレオタイプになったのか?だが、それにはイギリスの植民地支配が関係している。

シク教徒は裕福で高いレベルの教育を受けた人が多く、しかも勤勉で勇敢という資質を備えていたため、それに目を付けた統治者が官吏や軍人として登用し、海外へも数多く派遣したことから、シク教徒=インド人のステレオタイプがいつの間にか出来上がったと考えられる。

ある時、現地法人の社長候補面接に臨席して人物評定を聞かせてほしいと要請された。

その面接に現れたのが、頭に淡いブルーのターバンを巻いて、顎髭を綺麗に整えたダンディーなAkshay Singhさん。

如何にもシク教徒らしく、自信家としての矜持の中にも人としての誠実さをどことなく漂わせる好紳士だった。

 

インドは近年BRICSの一角として経済の成長が喧伝されているが、その表面的華やかさから離れて、発展から取り残され貧困にあえぐ多くの人達がいる。

交差点で信号待ちをしていると、赤ん坊を抱いた若い女性が「お金を恵んで欲しい」と近寄ってくる事など今の日本では想像だに出来ないが、彼の地ではそれが各交差点毎で見られる日常茶飯の光景?だったし、街外れの一角だけでなく、高級ホテルの裏にさえ粗末なバラック(木板とビニールシートの掘っ建て小屋)の犇めくスラムが拡がる様は、一種の戦慄さえ覚えるほど衝撃的で「正にカオスだな」と唸る風景だった。

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高層ビルの隣にはスラムが拡がる(ムンバイ)

ここからは小生の想像だが、この様な極度の貧困が今も残る背景には、インドの悪弊(と小生は思っている)であるカースト制が大きく関わっていると思う。

下位カーストシュードラ(被支配層)とカースト外のダリッド(不可触民)を合わせた約6億人もの人々が、社会の様々な面で差別・抑圧されて暮らしているが、これらの人達には職業選択の自由は無く、カーストで決められた職業に就くしかない。

それらの職業は不浄なものや重労働に類するもので、この人の嫌がる職業を、低賃金で担っているのが彼らなのである。

日本人である小生は「こんな理不尽がまかり通っていいのか?」と思うが、3,500年に わたって彼の地で連綿と続いてきたこのカースト制は、インド人の心身に深く沁み込んでいる。

いみじくも現地の優秀で良識を備えた社員が小生に言ったものである「下位カーストの者とは一緒に食事は出来ない。何故なら彼らの触れた物は穢れており私は触れられないから」と・・・。