風を道連れに

☆あるボッチローディーの独り言☆

帰りに寄り道

 

毎年この時期になると、どこかのTVネットワークで忠臣蔵が放映されるが、少々ひねくれた小生は「またかぁ」とウンザリ。

この出来事って”世間知らずのバカ殿が逆ギレで刃傷事件を起こしてお家断絶、路頭に迷った家来の一部が仇討ちを功績として再就職を狙うも、結局切腹を命ぜられて失敗に終った”というのが偽らざる?事の真相。

それを”勧善懲悪の美談仕立ての物語”にしたのは、客集めを狙った歌舞伎の戯作者で、時代が下って明治時代になり、政府が”忠君愛国”の思想教育にこれを利用した事から、多くの国民の頭にこれがまことしやかな話となって刷り込まれたという訳。

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歌舞伎:仮名手本忠臣蔵の浮世絵

このフィクションで割を食ったのは敵役となった吉良上野介(義央)だろう。

吉良家は足利氏の流れをくむ名門で当時は5千石の旗本。

上野介は高家(幕府の儀式を司る役職)筆頭の教養人で、領国では治水や年貢の減免、新田開発などに努めて領民の生活改善を図ったから、善政を敷く名君として多くの領民から慕われていたらしい。

一方、赤穂浅野家は安芸広島の本家から分家した5万石の外様大名

2代前の藩主が分不相応の城改修をしてから藩財政は火の車で、内匠頭の代になっても貧乏藩の状況は変わらず、財政再建の方策も取らずに領民に重税を課す暴政を敷くものだから、殿様も家来も領民からの受けはすこぶる悪く、刃傷沙汰で浅野家廃絶を知った領民の多くは”手を叩いて喜んだ”という話もある。

忠臣蔵で語られる姿とは真逆の実像。

毎年12月になると上野介は草葉の陰で臍を嚙んでいるのではないか?

「もういい加減にして身共の汚名をそそいで下され」と念じながら・・・。

 

さて、今日は所用があって上石津へ行くことになった。

垂井から養老山地の北縁を回り込んで上石津へと向かうが、この道(R-365)を通るのは久し振りで、4年ほど前に二之瀬のヒルクライム後に三重県側に下って、いなべから上石津⇒垂井へと帰路に走ったのが直近。

山登りをしていた頃は、この道を通って藤原岳や御池岳などの鈴鹿の山にちょくちょく出掛けていたのだが、それが無くなってととんとご無沙汰の道になってしまったのが、自らの老いを反映しているようでチョット淋しい・・・。

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今年はまだ伊吹山が冠雪してないなぁ(温暖化の影響?)

用事を済ませた帰り、このまま直帰するのも味気ないので多良峡へと寄り道をすることにした。

上石津トンネルの手前信号で右折して牧田川に沿った巻道の細道を辿る。

紅葉の時期には頻繁に車が行き交ったであろうこの細道も、今はひっそりとして初冬の風情を色濃く映している。

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牧田川沿いの巻道を行く

巻道から逸れて森林公園への九十九折れを下ると、誰も居ないと思っていた広い駐車場に車が1台ポツンと停まっていた。

「こんな時期に誰だろう?」と己がモノ好きを差し置いて他人を訝しんだ。

少し離れた位置に車を停め、葉を落とした木々の間を抜けて牧田川に架かる吊り橋へとゆっくり歩く。

足首の人工関節置換術を終えて2ヶ月、ようやく杖の支え無しでも歩けるまで回復したが、まだ足首のグラつきを抑えるサポーターは手放せないので、こうして少し足元が 不安定な場所を歩くのも、足首廻りの腱や筋肉を鍛えるためだ。

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多良峡に架かる吊り橋            橋を渡って林内へ

吊り橋を対岸へと渡って林内遊歩道をしばらく奥へと歩いてみる。

鳥のさえずりさえ聞こえない静かな歩道を行けば、落ち葉を踏みしめる少し湿った靴音だけが辺りにジンわりと沁み込んでいく。

「あぁこんな風にして独り山道を歩くのは何時以来だろう?」

高賀山か養老山か?何れも10年以上も前の単独山行だから、もう随分と長く山歩きから遠ざかってしまった事になる・・・。

昔日の想い出に浸りながら初冬のチョット寂し気な林内に眼を遊ばせると、何故か郷愁に似た感情が胸奥深く満ちてくるのを感じた。

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吊り橋から下を見ると・・・

吊り橋へと戻って橋上から川上を見ると、川原に佇む2つの人影があった。

どうやら先に停まっていた車の主らしく、遠目で確かな事は分からないが、微かに立ち上る煙から類推すると火を囲んで野趣豊かに食事を愉しんでいる様子。

「なるほどぉ・・・」こんな時期に川原で食事は珍しいが、誰かに迷惑をかける訳じゃ無い「ゆっくりリフレッシュしてって頂戴よ」と呟いて頼まれもしないエールを2人に送った。

 

「さぁ帰ろう」車に戻って帰途につくが、もう一か所寄り道。

上石津トンネルは1.8kmの長いトンネルだが、途中で地表に出ている箇所があり、其処へは巻道からのアプローチがあるので、チョット寄ってトンネル内を少し覗いてみようと思った次第。

現地に着いて車が出入り出来るほどの大きな開口部(実際は車止めがあり出入り不可)からトンネル内に入る。

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巻道からトンネルへのアプローチ       ぽっかり開いたトンネル開口部

外光が入るので開口部付近は明るく、内部に眼を凝らすと対面の壁際に車道とブロックで区分された1.5mほどの通行帯があり、自転車でも安全に通行出来そうだと判った。

此処に寄り道をしたのは実はこれの確認。 

上石津トンネルの巻道は結構なUp Downがあり、坂が嫌いな小生には疲れた時にはパスしたい道で、そんな時のためにトンネルの通行可否を確認しておきたかったのだ。

”備えあれば憂いなし” これで今日の思い付きの寄り道は、まんざら無駄じゃなかったという事になる。

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そろそろ帰る頃合いか・・・

「それじゃぁ今度は本当に帰ろう」とアプローチを車に戻って運転席で一息。

寄り道で1時間少し時間を使ったが、帰りを急ぐと危ないので「交通安全で行こう!」と自分を戒めた。(最近車の運転に自信が持てなくなってきたので・・・)