風を道連れに

☆あるボッチローディーの独り言☆

椎間板ヘルニアかぁ・・・

 

数日前のこと、朝起きると首筋が妙に痛く「こりゃぁ寝違えしたな」と思って軽く揉んだりストレッチしながら次第に痛みが治まるのを待つことにした。

ところが2日経っても3日経っても症状は一向に軽快せず、首を左右に振ったり上向きに反らしたりすると痛みで顔が歪む?ほどなので生活全般に少なからず影響が出る始末。

5日が過ぎて「これはチョットおかしいぞ」と不安になってきたので近所の整形外科で診てもらうと、先生は撮ったX線画像を指差しながら「頸椎の椎間板ヘルニアです」と宣った。

4と5それに5と6の頸椎間の椎間板が潰れてその組織が脊髄神経を圧迫しているのが痛みの原因とのことだった。

「やっぱりな」痛みの原因は判ったがそこではたと困った「と云うことは3ヶ月は痛みが続くのか」 (20年ほど前に腰椎椎間板ヘルニアを患ったが、その時は寛解 ”潰れた椎間板が修復されることは無く、そこから出る痛みの刺激に脳が反応しなくなるだけ” するのに3ヶ月ほどかかった)

昨秋の足首人工関節手術以降のブランクで衰えた心肺機能や筋力が最近ようやく戻って来たなと実感してたのに、また3ヶ月近くもバイクに乗らないで過ごしたら元の木阿弥になってしまう・・・。

 

しかし、処方して貰った痛み止めと筋肉をほぐす薬を飲むと2日ほどで大分首も回る様になり痛み自体も軽減してきた。

これは薬の効能で当然の結果なのだが、これ幸いとローラー台でバイクを漕いでみたら、首を反らしてライディング姿勢をとってもほとんど首筋は痛まない(後を振り向くのは難しいがバックミラーで後方確認は出来る)ことが判った。

正に一筋の光明を見出した感じで「これならライドも出来そうだな」と思わずその場で独りほくそ笑んだので、それを誰かに見られてなかったかと慌てて周りを見渡した。

気懸りは処方された薬を飲まないとどうなるかだが、それを確かめるのはまだチョット早いかな・・・。

 

という訳で、今日はヘルニア首?の調子を確かめるべく軽めのライド(まぁ何時もそうだが)でもしてみるかと準備を始めた次第。

行先は濃尾平野の北西端となる揖斐辺りで、その山ぎわを反時計回りに走ってみようと云うのが大体のプラン。

街中を抜けて郊外の見通しの良い道を選びながら大野まで走ってくると、つい先刻まで遠く見えていた辺縁の山々も随分近くなり、その安堵感?からかクランクを回す脚の力も少し抜けて移り行く風景を愉しみながらの走行となる。

大野まで来ると濃尾平野北西端の山並みも近い

道沿いには青々とした麦畑が拡がっており、これがあと一月もすると黄金色に染まって刈入れが始まると思うと何か不思議な感じ。

最近は麦の作付け面積が増えてる様な(麦畑をよく目にするので)気がするが、これは大麦なんだろうか小麦なんだろうか?農作物に疎い小生にはよく判らないなぁ・・・。

 

更に走って大谷山麓の野古墳群(5世紀~6世紀に造られた前方後円墳等が大小9つ現存する)で小休憩。

大きな築山にも見えるモタレ古墳(帆立貝形前方後円墳

古墳の石柱にもたれて、近くの柿園でやっていた家族総出?の受粉作業をのんびり見学すること数分間「こうやって手間をかけてあの甘い富有柿はできるんだぁ」と妙に納得した。

この長閑な風景の中に身を置くと、そのままズ~ッと居たい誘惑に駆られてしまう。

まぁ急ぐライドでは無いが、バイクで走るのが目的でもあるので早々に切り上げて出発することにした。

新緑萌える山に向かって走る

三水川沿いを西に走り、正面の志津山中腹を貫くトンネル(長良松山隧道)を越えると揖斐川の街で、ここからは揖斐川左岸堤防道路を上流へと向かう。

車がほとんど通らない道を軽快に飛ばしていると、背後からローディーが近づきそして俊足で追い越していった。

若者の3人連れで一瞥してみんな飛ばし屋という感じ。

「ほぉぅ何処へ行くんだろう」興味は湧いたが付いていく気はサラサラなし(もっとも追う脚力も無いが)後姿を見送りながら、彼らの行先をあれこれ勝手に考えて束の間の夢想を楽しんだ。

 

川口橋を渡ってUターンし ”揖斐川ふれあい街道”⇒”西美濃お茶街道”と走り継ぐとここからは後半戦?になるが、ヘルニア首の調子は悪くないのでまずは一安心。

清澄な粕川の源流は奥伊吹の山々

粕川に架かる橋の上で水分補給を兼ねて一服した後、池田山麓に伸びる走路(池田ふれあい街道)をゆっくりと上る。

坂の途中にあるコテージ風の家屋は、いつか訪ねたヴェンゲルンアルプ鉄道(スイス)の車窓からみた山小屋を思い起こさせる。

何故か旅愁を誘うこの家屋の佇まい・・・

果たしてこの家にはどんな人が住んでいるのだろう? 「老夫婦かな?いやいや案外40代の熊の様な大男かも?」と勝手なことを想像しながらペダルを漕いでいると、いつの間にか坂は終わっていた。

所々で濃尾平野の展望が拡がる池田ふれあい街道

茶畑の中をいく山麓の道は快適そのもの、眼下に広がる濃尾平野を時々チラ見しながら爽快な気分で走っていると、道脇の草原でパラグライダーの練習をしている一群が目に入ったので、チョット停まって野次馬的に見学してみることにした。

スクール生は若い女性が多い(ここでも男は劣勢か?)

どうやらパラグライダースクールの初心者らしく生徒はみんな動きがぎこちない。

小生は30年ほど前に1度だけパラグライダーを体験したことがあり「あの時の俺もあんなだったなぁ」とその時の記憶が蘇る。

パラグライダーで飛ぶことは意外と簡単、パラシュートに風をはらませて坂を駆け下りれば身体がフワッと浮くのでそのまま惰性にまかせて空中へ飛び出すだけ。

飛んだあとは”風まかせ”では全然無く、両手に握った紐の右を引けば右に左を引けば左にパラグライダーは動き、紐を同時に引っ張ればパラシュートの浮力が減衰されて降下を始める。

「そういえば高く上がったのに怖気づき、両手の紐を強く引きすぎて墜落同然の格好でスキー場の斜面に着地したっけ」と小生の無様な失敗をありありと思い出した・・・。

 

パラグライダースクールの野次馬見学で道草を喰らった後は、池田温泉⇒神戸⇒瑞穂と一気に走り墨俣まで帰ってきたので、一夜城を望む橋の欄干にバイクをあずけて最後の小休憩。

犀川橋から眺める墨俣一夜城もまんざらでもない

ボトルに残ったソルティーライチを飲み干しながら「まぁまぁのライドだったな、よしあとは長良大橋を渡って居宅へ向かうだけだ」と心の中で呟いた・・・。