風を道連れに

☆あるボッチローディーの独り言☆

宗教ってどうよ

 

自民党と旧統一教会の関わりが連日TV等で報道されており、それを見聞きする我々の心理としては”チョット食傷気味の感無きにしも非ず”と言えそう。

同教会シンパの議員(何人かはいる)は別として、多くの議員は”選挙に利するなら”の軽い気持ちで関わりを持ったというのが偽らざる真相であると思うが、相手が問題の ある団体だけに、そこは”多くの団体の一つで・・・”などと説得性に欠ける言い訳を せず”相手を見極める慎重さに欠けていた”と真摯に反省し自戒を深くして貰う必要が ある。

梓川の流れも涼やかな夏の上高地(image)

この宗教団体には小生の知人も入信しており、会社(東証一部上場企業)勤めを辞めて信仰生活に入ると言い出した時には、思いとどまる様に随分と説得したのだが、結局は聞く耳を持たずで会社を辞めてしまった。

それ以来(40年ほどにもなる)彼とは全く音信が途絶えてしまったが、今頃彼は何処でどんな生活をしているのだろう?

統一教会が世間で話題になると思い出す苦い記憶の一つである・・・。

 

多くの人はなぜカルトにハマるのか?

孤独・不安・死への恐れ・・・等々、人を宗教へと導く心理的な要因はそれぞれだが、その根底にあるのはスピリチュアルなものへの是認と傾倒。

元々宗教は超越的な存在(神仏)に帰依することで人々の精神救済を図るものであるが、カルトはそこに罪の意識を植え付けて、それを救済する存在(或いはその代理者)への絶対的服従(滅私奉公?)を強要するのが特徴だ。

以前何かのアンケートで見たが、回答者の7割は霊的なもの(例えば幽霊とか)の存在を信じている(何とまぁ)という結果だった。

その是非は別として、案外こんなところに人々がカルトにハマる素地があるように思うのだが・・・。

露に濡れたチングルマは可憐さが引き立つ

小生の様な信仰心の無い者は、例え何かを神仏に願い頼ったとしても”それを解決するのは所詮自分自身でしかない”と根底では思っているから宗教に深入りすることはまずない(と思う)。

しかしこれって結構辛いことだ、特に生い先が短くなるとね・・・。

 

さて、2週間余り”じじばば”と過ごした孫2人が東京へ帰って行ったのでまた静かな日常が戻ってきたが、それがかえって虚無感を呼び覚まして寂しさが募る。 

年寄りって面倒なもんだ、煩わしい事にはもうウンザリしているのにそういう煩わしさをどこかで求めていたりするのだから。

 

さぁ明日からライドの再開。

その前に、ひとまずは足慣らしを兼ねてローラー台で1時間ばかりバイクを漕ぐことにした。

しばらく運動をサボったけど脚の調子はどうかなぁ・・・。

ヨーロッパアルプスも良いねぇ(ユングフラウと登山鉄道)