風を道連れに

☆あるボッチローディーの独り言☆

琵琶湖日和だねぇ

 

今から十数年も前だが、仕事を辞めて暇?になったら、五街道を歩いてみようと漠然と考えていたことがある。

五街道とは、東海道中山道甲州街道日光街道奥州街道を指し、何れも日本橋を起点としているのが地方在住の小生には少し気に入らなかったが、まぁそれは江戸時代に主に整備された街道だからしょうが無い。

しかしその構想は、脚を痛めて長い距離が歩けなくなった数年後にあっけなく夢想へと変わった。

果たして、脚を痛めてなければこの夢は実現しただろうか?それは何とも解らないが、多分「東海道五十三次中山道六十九次くらいは歩き終えていたんじゃぁないか」と、ちょっと自分に甘目に思っている・・・。

 

さて今日は、旧中山道を走って琵琶湖まで行ってみることにした。

岐阜からだと河渡・美江寺・赤坂・垂井・関ヶ原・今須・柏原・醒ヶ井・番場・鳥居本の旧十宿場を走り継げば琵琶湖に至るのだが、居宅からだと走行距離は120kmを超えるので、今回は垂井まで輪行(約40km)して時間短縮(1時間ほど)をする。

垂井は中山道美濃路が分岐する追分でもある

垂井の相川水辺公園をスタートして街中を抜けると、関ヶ原までの長い(約5km)上りが始まる。

斜度は平均2%程度と緩いが、まだ身体が寝惚けている状態でいきなりはじまる長い坂なので、これが結構辛いというのが小生の偽りのない本音。

「最初からこれかぁ」と半ば呆れながら、呼吸と心拍だけは上げない様にとスピードを抑えて走った。

 

関ヶ原飛鳥時代から安土桃山時代にかけての史跡の宝庫なので、普段なら方々に寄り道して歴史の”にわか勉強”をするが、今日は時間も無いので素通り。

昔は盗賊が出没して旅人から金品を奪ったという薄暗い今須峠を、並走する東海道本線の電車を横目に見ながら越えると今須宿だ。

今須は美濃(岐阜県)の最後の宿場で、町はずれに近江(滋賀県)との国境を示す道標があり、ちょっとした旅愁気分?が味わえる。

昔は国境の溝を挟んで美濃と近江の番所があったらしい

またその近くに俳聖松尾芭蕉の句碑もあって ”野ざらし紀行” で中山道を歩いた芭蕉が、今須でも句を詠んだと知ったのは、まんざら俳句が嫌いではない小生にとっては嬉しい発見だった。

「正月も美濃と近江や閏月」実はこの句は野ざらし紀行には収められてない?

柏原は近江に入って最初の宿場で、今須から3kmほどしか離れてないことから、往時は多くの旅人の泊地として賑わったであろうことが今も残る町屋の風景から窺い知れる。

ここのJR駅は、小生が山登りを始めた若い頃に ”霊仙登山” でよく利用したので、簡素な造りの駅舎を見ると当時を思い出し懐かしさを覚えるが、多分これは過ぎ去った遠い昔への甘い追憶に過ぎないのだろう・・・。

中山道柏原宿の家並            街道に置かれた道標

スタートから1時間ほど、少しゆっくり走り過ぎたので「そろそろ気合を入れて走らなくっちゃ」とスピードを上げる。

中山道は、そのほとんどが地域住民の生活道路となっているので、絶えず後方からの車に注意して走る必要のあるR-21に較べて随分と走り易い。

風を受けると少し肌寒かった身体も内部発熱で温まってきた感じで、ペダルを漕ぐ脚も快調に回り出した。

番場宿の東端に建つ石板

醒ヶ井⇒番場と繋がる街道を順調に走ると、名神高速道と並走する山間の隘路が前方に見えてきた。

そこを過ぎて摺針峠を越えれば鳥居本で、R-8のトンネルを貫けると彦根市街になる。

 

彦根城(西の丸三重櫓)を横目に見て湖岸道路(r-25)を西へと走る。

今日の琵琶湖は風もなく視界は極めて良好。

右手に拡がる湖の風景へと時折視線を投げながら「良い日に来たなぁ」と独り呟いた。

”ビワイチ” は左回りが基本なので、湖岸道路を逆に走ると路側帯が狭くて走り辛いが、これは県立大の先でr-25と別れて右斜めに折れるまでのあと少しの辛抱だ。

 

右折れして進むこと約3km、到着したは今日の目的地の琵琶湖を望む”あのベンチ”。

琵琶湖を一望できるベストポジションにある通称 ”あのベンチ”

着いた時には車で来た女性3人組が居たが、暫くすると立ち去った(別に追い立てた訳じゃぁありません)ので、その後は独りベンチに腰を下ろしてノンビリと寛ぐ。

丁度正午で栴檀の木がベンチに陽陰を作っており、少し火照った小生の身体を冷ましてくれるかの様だ。

風は微かに吹く程度なので波頭の無い静かな湖面が眼前に広がり、対岸湖西から湖北の山並みもクッキリした輪郭で綺麗に見える。

左手は湖西方面             右手は湖北方面

正面は今津~高島辺り

「あそこが長浜であそこが海津大崎、そして今津・安曇川であの辺りが白鬚神社か」とビワイチで走ったルートを脳裡に描きながら、それを確かめる様に眼前の風景でそれをなぞる。

静かに打ち寄せるさざ波の音がわずかに耳に届いて、心地良い気分をそっと優しく包んでくれた。

 

彦根のお城(本丸天守)は遠目でしか見たことが無かったのでちょっと寄ってみることにした。

内濠を囲む道をゆっくりと一回り。

さすがに徳川譜代の重臣井伊家の居城は思いのほか大きいことは判ったが、真近で見たかった本丸天守は石垣上に繁る鬱蒼とした木々に遮られて全く見えない。

それでもかろうじて東側の庭園(楽々園)から天守の上層部分を見ることができたので、その一事に満足して帰ることにした。

世の中無理に道理(可能)を求めても詮無いこと、何事も諦めが肝要だ・・・。

木立越しにわずかに見えた彦根城の本丸天守

帰路は米原を経由して番場へと繫ぐルートを走ることにした。

このルートの方が往路よりも飛ばして行けるから、天守探しで道草した分の時間を幾分かは取り戻すことが出来そう・・・。

 

順調に走って醒ヶ井まで戻ってきた。

デポ地の相川水辺公園まで残り20km弱、予定時間内には帰着出来ると見込んだので、少し長めの休憩をとることにして休日で閉まった店先(老舗醤油屋さん)のベンチに腰を下ろした。

店先のベンチでゆっくり休憩するつもりだったが・・・

すると、しばらくしてミニベロに乗った男女6人の中高年集団が現れ、小生を取り囲む様にしてバイクを置いてから、頭越しに声高に仲間内で話を始めた。

「おいおいどう云うこと、空いたベンチは他にもあるのにどうしてここなの?」と内心思ったが、そんな表情は噯にも出さずにそっと静かに立ち、バイクに跨ってその場を後にすることにした。

小生はこの種の手合い?はどうも苦手。

それにしても、人は独りでいると慎ましやかでも、集団になると傍若無人に振舞って しまうのは何故だろう?

休憩を邪魔されて少し腹が立ったが、ペダルを一心に漕ぐ内にそれも忘れた・・・。