風を道連れに

☆あるボッチローディーの独り言☆

錦秋を求めて

 

先日のこと、母を伴って祖父母の墓参りに行った。

母の在所は八百津の山中で、昔は丸山ダムの蘇水湖の脇を通り、道幅4m足らずの細い九十九折れの山道を上がって行くしかなかったが、今は八百津から複線の新道(R-418丸山バイパス)があるので、安全にしかも短時間で行ける様になった。

この新道(出来てから12年ほど経つので新道とは言えないかも)は近在のヒルクライム好きの間では人気の走路。

平均斜度6%の坂が7kmほど続いてその後も2%で4kmを上がるので、Timeに挑戦したり景色を眺めながら黙々とペダルを漕いだりと人それぞれの楽しみ方が出来る。

おまけに途中の新旅足橋という谷底まで200mもある橋ではバンジージャンプ(日本一の高さらしく、そこから飛び降りるなんて高所恐怖症の小生には想像を絶する暴挙?)に興じる人達の絶叫も聞ける・・・。

 

この道は八百津を起点に周回コース(全長41kmほど)が採れるので、ヒルクライムを愉しんだあとは周回路へと走る人も多いらしい。

多くのヒルクライマーが立ち寄る ”しおなみ山の直売所” で人気の五平餅を焼いていた こともある叔母が、随分前に「福地経由の逆回りの方が坂が緩くて楽だよ」と坂嫌いを公言?する小生に教えてくれたが、今だにヒルクライムに汗するローディー達を横目に車で”楽ちん”に行き来するだけで「よし俺も走ってみるかぁ」という気分になれないでいる・・・。

 

さて、今日は郡上美並へとライドすることにした。

11月中旬にも関わらず随分暖かい日が続くが、近所のイチョウ並木は黄色く色付き始めたので「郡上辺りならそろそろ錦秋が見頃を迎えているかな?」と期待してのこと。

 

岐阜から美濃まではいつもの道。

あまり変わり映えしないが安定の走路こそ大事で、こういう道で何か変ったことがあるとその日のライドがチョッピリ心配になる。(小生決して迷信深くは無いけどね)

秋の長良川の流れは穏やか

美濃から先は車両通行の多いR-156は避けて専ら長良川に沿った裏道を走る。

長良川水力発電所の先で道路工事に進路を塞がれたが、警備のおじさんの好意で通して貰えたのは幸運、こう云うことがあると気分も上がるので±0と云うところか。

この裏道は、川の蛇行に合わせて道も蛇行するので時間効率の良い道では無いが、特に先を急ぐ訳ではないので何の問題も無し、川の景色を観ながらそして集落の暮らし振りをも覗き見?しながら走るのも愉しい。

この長良川沿いの道は車との並走を嫌うローディー向きの道

美並に入ってまず目指すのは釜ヶ滝で山間の道を奥へと辿る。

ヒンヤリとした冷気が辺りを包んでいるが、木々の色付きはまだ浅く紅葉はこれからという感じで「まぁ仕方ないな」とあっさり諦めて、滝へと通じる山道をゆっくり上っていくと、やがて視線の先に釜ヶ滝茶屋が見えてきた。

 

茶屋の前にバイクを停めて滝へと向かう。

せせらぎが小岩を縫う渓谷に沿った閑かな小道を奥へと歩くと、心身が次第に洗われていく気がしたのは、その風景に小生の心証が同調したからだろう。

陽射しの陰陽が渓谷美を演出していた
渓谷の静けさが心身に染入る様だ

滝は三連滝で、高度差40mほどの間で断続する滝の大きさはかなりのモノだしそれぞれの滝が何れも見ごたえがある。

三ノ滝から一ノ滝までの山肌に取り付けられた階段と小路を辿るのに15分近くも要してしまったのは体力不足のせいだけでは無いだろう。

茶屋の主人が、最上部の吊り橋からは御嶽山が良く見えると教えてくれたが、大気中に水蒸気が多いからか?見付けることができなかったのは残念だった・・・。

一ノ滝                  二ノ滝

三ノ滝
一ノ滝へ向かう吊り橋           御嶽山は見えなかった

釜ヶ滝をあとに次に向かったのは星宮神社でここからは10kmほどの距離。

高賀六社(高賀・本宮・新宮・星宮・金峰・瀧)巡りの一つで、ここを訪ねると四社を終えて残り二社でcompleteだ。

 

星宮神社への道(r-315)は別名:円空街道。

山間の道を行くと、各所の路傍に据えられた円空仏が素朴な笑みで迎えてくれるので、つい”ほっこりとした気分”になってペダルを回し続ける脚の疲労を忘れさせてくれる。

街道の路傍で往来する人々を見守る円空仏

次第に谷が狭まって「もうそろそろかな?」と思いだした頃、瓢ヶ岳の山懐に抱かれて建つ星宮神社に到着した。

静かな境内を巡ってこの神社の沿革に想いを馳せる。

神社には木立と静けさがよく似合う
    拝殿               歴史の重みを醸す本殿

神社は通常は御神体を祀るものだが、ここはご本尊として虚空蔵菩薩を祀る神仏習合の古い信仰形態を今に残す珍しい神社。

江戸時代までは全国各地にこの様な神社が沢山あったが、明治を迎えて時の政府が天皇の権威付けのため廃仏毀釈を断行した結果、神社から仏像が無くなってしまった。

特に信仰する宗教を持たない小生は”神様仏様”と二者を区別しない在り方の方が宗教の本来の姿に近いと思うが、世の中はこれとは真逆の方(あらゆる宗教の対立構造)へと一目散に向かっている。

世の東西を問わず、人々(~国まで)の争いの多くが宗教に根ざしていることを考えると「それってどうなの?」と思うのだが・・・。

 

境内に隣接する ”美並ふるさと館” には90体ほどの円空仏が展示されていると云うので観ていきたかったが、時間が押していた(いざ観るとなると小生の性分として小1時間はかかる)ので止む無く断念。

代わりに近くの”矢納ヶ淵”に寄ってから帰ることにした。

矢納ヶ淵には鬼退治の矢が納められていると云う(伝説)

今日は錦秋を訪ねるライドだったが、残念なことに木々の色付きはイマイチでまだ少し早かった。

しかし、釜ヶ滝と星宮神社そしてここまでの走路もそれなりのインパクトで小生を満足させてくれたので、総体的には「OK!」と言えそうだ。

あとはいつも通り無事に居宅に帰り着くだけだな・・・。 

岐阜まで戻りコスモスに埋もれて最後の休憩