風を道連れに

☆あるボッチローディーの独り言☆

待ち遠しいこと

 

先日、会社勤めをしていた時の同期の1人からmailが届いた。

開いてみると「そろそろ宴会旅行やらない?」との同期会恒例行事の再開要望。

同期の ”温泉地での宿泊宴会” は在職中にも節目毎におこなっていたが、皆がリタイヤ してからは毎年の恒例行事に格上げ。

その世話人(と言えば恰好いいが,実際は万年幹事のお世話係)を小生が仰せ付かって いるので件のmailとなったと云う訳だ。

一昨年(2020年)は長野の湯田中温泉でやる予定で、旅館や観光バス(集合地からの 交通手段)など諸々の手配を済ませて実施するばかりになっていたが、折からのコロナの大流行で止む無く中止。

それ以来、去年今年と続けて実施できてないので、世話人の小生としては「来年は何とかやれないかなぁ」と思っていた折でもある。

だがこのコロナ禍は予想外にしぶとく、何度も何度も流行の波がきて終息の兆しが見えてこないのは周知のとおり。

今冬も第8波の大流行がくるのは明白で、こんな時に宴会旅行の案内を出そうものなら同期会メンバーの面々から無鉄砲の誹りを受けるかも知れない?

まぁここはしばらく様子を観るのが懸命と「来年2月頃に状況判断して連絡するよ」と要望をくれた同期にはmailをしておいた。

あぁいつになったら元通りの生活に戻れるんだろうねぇ・・・。

 

さて、今日はあまり遠出したくない気分だった(と言うより行先が思いつかなかった)ので、近場を”行き当たりばったり”に走ってみようと出かけた。

 

居宅を出てまずは長良川へと向かう。

取り敢えず左岸堤防道路を下流側へと走り、途中で何か思いついたら其処へ向かおうという算段だ。

堤防道路に出ると少し強めの西風が吹いており、長袖インナーは着ているものの春秋用のジャージだけでは寒いのでウインドブレーカーを重ね着することにした。

この時期は本当に着る物に迷う、冬用ジャージはまだ早いし春秋用だと寒さ我慢が必要になる。

洗濯物は増えるが、しばらくの間はウインドブレーカーで調節しながらいくしか無い。

 

堤防道路を日置江まで走ってきたところである物が目に入る。

それは堤防下の中小河川放流箇所の大きな構築物で、どうやら跨川橋の工事が始まったらしい。

この工事、小生が長年?待ち望んでいた工事で、完成(看板に来年3月完工とあった)の暁には前後の河川敷道路が繋がるので、今まで以上にこの河川敷道路が利用しやすくなる。

放流川で分断された河川敷道路を繋ぐ跨川橋工事現場(岐阜市日置江)

「と云うことはあそこも?」とここから5km下流にある同じ河川敷道路分断箇所も気になり、それを確かめるべく先を急ぐことにした。

果たしてどうか?カーブを曲がって前方に視線を送ると、予想通りの構築物が目に入り思わず「やったぁ」の声が口からこぼれ出た。

手前の橋が完成すればここでも河川敷道路が繋がる(羽島市福寿)

これで、岐阜市長良から羽島市桑原まで全長25kmの河川敷道路が、1本に繋がることになるので、この間は車と並走する堤防道路を走らなくて済む。

自転車走路が欧米ほど整備されて無い我が国では、自転車乗りが安全に一般道路を走るのはかなり難しい。

せめて河川敷だけでも良いので、自転車が走れる道を整備して貰いたいと願うのは手前勝手な注文だろうか・・・。

安全安心な河川敷道路を走って木曽長良背割堤を目指す(羽島市桑原)

途中で河川敷道路へと走路変更しながら木曽長良背割堤北側ゲートまで走ってきた。

「ひょっとして・・・」と淡い期待を抱いて来たものの、やっぱり平日の背割堤は通行止めで、ゲート脇で警備のおじさんが「工事で通れないんですよ」と申し訳なさそうに言うのを聞きながら「いや解ってます、土曜は走れるか確かめに来ただけです」と体面を繕う様な言い訳をして己が下心を何とか隠した。

木曽川(右)と長良川(左)の堤防道路合流点

あわよくば背割堤を走って木曽三川公園までと思ったが、駄目だったので少し引き返し馬飼大橋で木曽川を渡って下流へと向かう。

馬飼大橋を渡り左岸堤防道路を下流へ走る

東海大橋を越えて立田大橋との中間点辺りまで来た時、急に先に進むのが嫌になった。

堤防道路で風は強く吹き付けるし、立田大橋までいった帰り道も背割堤じゃ無いと少し走るのが億劫。

まぁこんな時は引き返すに限る。

誰かに迷惑をかける訳じゃ無いし、自分が納得すれば良いだけのことだ・・・。

木曽川を渡る風が強く進むにつれて気持ちが萎えた

東海大橋で木曽川長良川を渡って海津方面へと走る。

東海大橋は木曽川長良川を続けて渡る長い橋

正面の養老山地辺りが少しばかり暗く、そんな視覚に影響されて気分も少し沈みがちになるので、気分転換も兼ねて気合を入れて走ることにした。

車の通らない広めの道を全力で1kmも走れば、疲労困憊して何も考えなくなる代わりに気分は晴れるに違いない。

 

お千代保さんの脇を通り、輪之内から安八と気の向くままに走路を変えながら墨俣まで帰って来た。

小生の悪癖で、往路に比べて復路はどこにも寄らず一目散に走ることが多い。

「そろそろこんな走り方止めなくっちゃな」と思うが、長年かかって身に付いたものはなかなか直りそうにも無いし、おまけに復路の方が体力気力も充実して快調に走れるのだから始末が悪い。 

要は走り足りないと云うことかも知れないが・・・。

岐阜市街まではあと少し