風を道連れに

☆あるボッチローディーの独り言☆

冬川の流れに

 

先日のこと、何気なくTVを点けたら”ユーロヴェロ90000km”と題した番組が放映されていた。

ヨーロッパ中に張り巡らされた自転車道(ユーロヴェロ)を使い、1人の日本人俳優?がフィレンツェからプラハまでを自転車旅するという内容で、丁度画面ではヨーロッパアルプスの渓谷に沿ってイタリアからオーストリアへと山越えするところ。

小生は、イタリアはベネチア以北に行ったことが無いので、自転車でアルプスを越えるのがどれほどのものか想像するしかないが、自他?共に認めるヒルクライム嫌いなので「もし俺がこれをするとしたら相当の苦行であることは間違いないなぁ」とつい自虐的な感想を抱きつつ番組に観入った。

その後自転車旅は、ザルツブルグリンツチェスキークルムロフプラハ(終着)とオーストリアからチェコへかけての街々を巡りながら進むのだが、20年ほど前に番組と同様のルートを観光バスに乗って旅したことがある小生は、往時のことを色々と脳裡に思い浮かべながら、番組の視聴もソコソコにその追想に耽った次第である。

 

こういう紀行番組を観ると妙に好奇心が刺激されて”旅心”が騒ぎ出すが、諸般の事情があってこの5年ほどは”海外はもとより国内の旅行もままならず”というのが現在の小生の立ち位置。

いつかまた海外へと出掛けたいとは思っているが、その時に果たして小生の気力と体力はどうなってるんだろうねぇ?

それにしても、ヨーロッパの田舎道を景色を眺めながら自転車で走るなんて最高!

是非やってみたいが、自前のロードバイクを空輸するのは大変だから、レンタサイクルってあるんだろうか?・・・。

 

さて、今日は”どんより曇った気分的に優れない日(小生の主観)”だが、明日から3日間は天候不順が続くとTVで天気予報士が告げているので、それならばと重い腰?を上げて出掛けることにした。

幸い風はほゞ無風、気温も平年より3~4℃高めとライド条件としては良いので「そうだなぁ美濃辺りまで走ってみるかぁ」と普段冬場は向かわない北方面に行先を決めた。

 

まずは西に向かって走り、長良川堤防に突き当たると、そこからは河川敷に設けられた河川管理道路を上流(北東方向)へと向かう。

長良川の河川敷からは伊吹山がよく見える      広々とした河川管理道路    

ここの8kmほどは車に煩わされることなく専ら走りに専念できるので、その日の体調等を測るにはもってこいの道。

つい先日まではやゝ重たいと感じていた脚も、ようやく軽く回せる様になってきたのでどうやら「脚力も復調気味だな」と判ってひと安心した。

 

気分も上々に長良橋まで走ってきたのだが、その先金華山の麓を通る道路脇の自歩道でその楽しさに突然水を差された。

自歩道にはガラス片が散らばっており、乗ったままではタイヤが切れそうでとても前に進めず、止む無くバイクを持ち上げて渡るしかなかった。

「誰がこんなところにガラスを捨てた・・・」とつい悪態が口を突いて出るが、本当にこう云うのって自転車には致命的で、タイヤは簡単に切傷して走れなくなる。

こんな事を誰がしたか知る由も無いが”あんたがいらん物はわしもいらん”の名言?じゃ無いが、物を道端に捨てる不心得者には、その行為の結果をよく考えて行動して欲しいもんだ・・・。

鵜飼大橋付近               千鳥橋付近

日野から岩田と専ら自歩道を辿りながら芥見まで走ってきた。

傍らを伴走する冬の長良川は、水流も細くして瀬音さえ響かせぬままに凪た表情で流れており、そのそこはかとない寂寞感が、少し昂った小生の気持ちを鎮めてくれる。

” 冬河に誰呼びおるや谺なし:石橋辰之助 ” 今の心境はそんなところだ・・・。

静寂に包まれて川は流れる(古津付近)     カイツブリも静かに遊んでいた 

ここからは正面に冠雪した御嶽山雄大な山容が覗えるのだが、今日は生憎曇って遠くの視界が望めず、少なからずその眺望を期待していた小生にはちょっぴり残念。

まぁ山はいつも其処に在るので「またの機会だな」と納得して先に進むことにした。

晴れていれば遠くまで見渡せる美濃へと向かう道

芥見の先で長良川と別れて百年公園方面へと走り、関市小瀬で長良川と再び合流。

ここまで来れば美濃はもう近いので、川沿いの小道をユックリと辿りながら、どこまで走って終点にするかを思案した。

前回美濃へ来たのは、昨秋に”錦秋を求めて”美並まで走った時で、あれから2ヶ月は経っている。

あの時は美濃橋に立ち寄ったので「今日は小倉公園まで行って終りにするか」と迷わずに決めた。

あそこならベンチでのんびりと休めるし、綺麗に清掃されたトイレ(これって小生には休憩場所を決める重要な要素)もある。

川沿いの道を小倉公園(正面小山)へと走る

小倉山の高台から美濃の街並みを眺めながら15分ほど休憩したあと「そろそろ帰るか」と腰を上げる。

往路は長良川左岸に沿って走ってきたので、復路は専ら右岸側を走ることにした。

川というのは不思議なもので、右岸を行くのと左岸を行くのとでは、川の表情がどこか違う。

それは上流に向かう時と下流に向かう時にもあって、同じ場所を同じ様に眺めているのだが、どうも違う景色に見えてしまうのだ。

しかし、これは小生のその時の気分が眼に入るものを変質?させている可能性もある。

” 眼球に入った光が網膜で電気信号に変換され視神経を伝わって脳に届く ”のが我々が ものを見る仕組みだが、多分人間は脳に届いた電気信号を正確な画像として再生せず、脳内で都合よく加工しているのではないか?どうもそんな気がする。

人間ってつくづく自分本位の存在だと思う・・・。

優しい表情で流れる長良川(関市池尻付近)

いつものことだが帰り道はなぜか脚がよく回る。

今日も小倉公園を出発して川沿いの道に出てからは、気力充実?という感じでバイクを飛ばして一気に雄総まで帰ってきた。

と此処までは良かったのだが、「岐阜市街まではあと少し」という安堵感が気力を萎えさせたのか?金華山を真近に見るところで唐突に疲労感が脚や上腕に押し寄せてきて、それまでのスピード維持が辛くなった。 

「もう無理が出来る歳じゃないからなぁ」と自分に向けて呟き、金華山を望む長良河畔で小休憩することにした。

そんな悲哀を含んだ小生の言葉を体現する様に、今日の長良川はいつになく寂寥と流れていた・・・。

ひと気のない長良河畔も冬の長良川の風景