風を道連れに

☆あるボッチローディーの独り言☆

同じ道はつまらん

 

会社勤めをしていた頃の同僚との飲み会に行ってきた。

コロナ禍以前は、初夏と年末に定例的に催していたが、それが3年途絶えて昨年10月に再開、今回が再開後2回目の飲み会という訳だ。

参加メンバー(現役とOB)も前回の6人から10人へと増えて、以前のように「ワイワイガヤガヤ」と色んな話題で盛り上がる愉しい飲み会になった。

話題の一端はどうしても会社関係になってしまうが、これは勤め人だった人間の性で 止むを得ない仕儀。

「あの人はどうしてる」「彼は今こんな役職についている」等々と共通の知人の話には不自由しないが、最近鬼籍に入ってしまった人の話題になった時には、在りし日の姿を思い出してチョットしんみりしてしまった。

 

店の都合で飲み会はピッタシ2時間でお開き。

以前(と言っても10年以上も前)なら二次会へと流れて行くところだが、皆が歳とったせいか「次へ行こう」と元気に言い出す者は1人とて無く、次回の再会を約してそこで散会となった。

久し振りの盛り場なので「新しい飲み屋が増えたなぁ」とガラス戸越しに店内を物色?しながら駅へと歩く。

コロナ禍で大打撃を被った飲食店業界にも、ここに来て以前の活況が戻ってきた感じで「ようやくだなぁ」と他人事ながら嬉しく思う。

路地を多くの人(若者が多数を占めるのは世相か?)が行き交い、有名餃子店の前には入店を待つ人達の長蛇の列が出来ていた。

「凡庸でも平和って良いなぁ・・・」戦火で傷つくウクライナの人々(加害国ロシアの人々がそこに入らないのは小生の陳腐な正義感に過ぎないけど)を想って少しだけ悲しくなった・・・。

(小生は泣き上戸じゃありませんので念のため)

 

さて今日は、西方の関ヶ原方面へと走ってみることにした。

朝刊を読んでいたら、地方版の記事で「カモミールが見頃を迎えた・・・」とあったので、それを見がてら養老から伊吹にかけての山麓辺りを「気儘に走るのも良いかなぁ」と思った次第。

 

日置江(長良大橋)で長良川を越えて南西方向へと走る。 

まず向かうのは大垣市郊外のカモミール畑で養老鉄道友江駅の直ぐ近くだが、大垣経由で行くと市街地の走行が多くなって煩雑なので、例え遠回りになってもなるべく左右に農地が広がる道を選びながら行くのが小生の走りの流儀。

視界を遮るものの無い道を、視線を方々に向けながら走っていると、その解放感が次第に小生の気分を高揚させてくれる感じ。

「あぁ今日も良いライドになりそうだ」といつもの様に独り言が口から漏れた。

揖斐川を越えて更に南西へと走る

ここ数年、この時期に農道を走ってて思うのは「レンゲ畑が増えたなぁ」と言うこと。

無農薬や有機栽培が増えるのは良い事かも知れないが、小生が思うのはそれで将来的に農業経営が成り立っていくのか?と言う素人っぽい疑問。

消費者と云うのは気儘なもので、いつその消費動向を変えるか解ったもんじゃぁ無い。

今の時流に安易に乗っかると、手痛いしっぺ返しがあるかも知れないことを心しておくことが必要だ・・・と第3者目線で無責任に思う。

一面に咲くレンゲを見ていると何故か子供の頃を想い出す

友江に着いてカモミールの白い花が辺りの農地一面に広がる心証風景を探すが、実際のそれは方々の農地の一角(2a~3a)で栽培されているだけだった。

「チョットがっかりだなぁ」と自分の想像と違う現実を前に手前勝手に思ったが、多分これは、農協が各農家に分散依頼して作って貰っているからなのだろう。

「まぁ仕方無い」と諦め花に近づいて匂いを嗅いだのだが、小生の臭覚機能が衰えてるせいか”リンゴの果実に似た香り”は知覚できなかった。

これだけの花から採れる精油の量はどれくらいなんだろうねぇ?

次に向かったのは養老。

ここからだとr-226を西に走るのが通常のルートだが「いつも同じじゃつまらんなぁ」と相川を越えたところで左折して南へと走ることにしたが、これが意外にも大正解。

川沿いを行くと名神高速道に突き当たるが、右手(養老JCT側)を視るとどうも高速を跨ぐ一般道がある様子で「こんな所に道があったのか」と新発見?に喜び勇んで、早速その跨線橋へと向かった。

跨線橋を渡った先にはこれまた小生好みの快適に走れる道があり、束の間だがハンドルから手を離して、遠くの景色に眼をやって愉しみながら走ることも出来た。

安易に言う様だけど「満足満足」って感じだ・・・。

今日も多くのトラックが行き交う名神高速      長閑な景色の中を快走する   

その先のこと、牧田川左岸の堤防道(r-227)を牧田へ向かって走っていたが、何台もの車が真近を減速もせず追い抜いていくので「こりゃ接触事故に遭っちゃ堪らんぞ」と急遽行先を変更、養老まで引き返して垂井へ向かうことにした。

この道(r-215)なら幅員も広いし、途中から南宮山麓の小道に入ることが出来るので車に脅かされないで走れる。

ライド中には良いことも悪いこともある、それが道路事情の悪い(と言うか自転車専用道の整備されてない)我が国で自転車を駆る者の宿命だ・・・。

牧田(正面の山向こう)を経て関ヶ原へと走るつもりだったが・・・

南宮大社の傍を通って寄らないのも気が引けるので、形ばかりの参詣をしてから次へと向かうことにした。

折しも車の安全祈願で祝詞が奏上されており、それを聞きながら「人なら解るが機械に祈願とは?」と不信心な小生は思ったが、八百万に神が宿るのが古代からの神道の理念と解せば、それもあながち不可解ではない。

人間偏重の西洋の精神世界に較べて、万物に広く精神性を認める我が国の(神仏)思想は、より普遍性が高くまた真理に近いと言えるのかも知れないなぁ。

南宮大社は”鉄の神様(金山彦命)”を祭神としている

垂井の街を抜けて相川水辺公園まで来ると、そよ吹く風に幾十もの鯉のぼりがゆったりと泳いでいた。

それを見て、そう言えば今年生まれた長女(米国に家族帯同留学中)の第3子が初節句だから「お祝いmailを送らなくちゃ」とすっかり忘れていたことが脳裡に蘇る。

最近、ちょくちょく物忘れをする様になったが、これって歳のせいで片付けていいんだろうか?

「もう忘れないぞ」と心?に決めたが、万が一と云うこともあるので「帰宅したらメモに残そう」とも決めた。(案外それも忘れたとしたらかなり重症だ)

風を受けて泳ぐ鯉のぼりを観ると少し軽やかな気分になる

垂井からの帰路は専ら”中山道”を走るルートを採るのだが、今日はどういう風の吹き回しか?ここでも「いつも同じ道じゃつまらん」と久々に美濃路を走るルートを選択。

しかしこれは結果的に”大いなる選択ミス”だった。

道沿いに松並木が続く垂井地内は順調だったが、大垣市街に近づいて道が混みだすと、車が路側帯を塞いで小生の走りを邪魔するので、思う様に走れないばかりか交差点での信号停止も頻発して、それらが小生をイライラの坩堝へと突き落とす。

実は、中山道大垣市街を迂回するルートで、美濃路大垣市街を突っ切るルート。

「ストレス無く走れるのはどっち」と冷静に考えれば美濃路を採る目は無かったのに、それを無視した結果がこれで「謂わば自業自得だな」と己を己で嘲笑するしか無い。

垂井は中山道美濃路の街道追分

イライラに耐えつつ杭瀬川を越えた交差点まで走って来たが、そこでついに小生の我慢も限界。

大垣市街の混雑を回避すべく、道を南に折れ東海道新幹線の高架を目指すことにした。あの高架下道なら何度も通って、それ程ストレスを感じることなく走れることは体験上分かっている・・・。

揖斐川に架かる大安橋から見る岐阜方面     堤防道路を岐阜市街へと走る  

高架下道を揖斐川の手前まで走り、大安大橋⇒長良大橋と2つの川を渡って日置江まで帰ってきた。

あとは、このまま長良川左岸堤防道路をしばらく走ってから、市街地を居宅へと向かうだけ。

今日のライドは前半途中までは快調だったが、後半になって走路の選択で躓いた。

「まぁこんな時も珠にはあるさ、終わり良ければ全て良しだ」と、ここはポジティブに総括しておこう・・・。