風を道連れに

☆あるボッチローディーの独り言☆

初めての自転車旅

 

今日は朝からの雨模様で少し肌寒く「前日までの季節外れの暖かさは何処へいった」という感じだが、まだ4月初旬と思えばこの気温は「然もありなん」と納得する。

散り始めた土手のサクラもこの雨で一気に花びらを落とすと思うとチョット寂しいが、それは人間の勝手な感傷であり、桜木にとっては新緑にむかう生々流転の一コマに過ぎない。

木々が芽吹けばあと少しでライドが愉しい季節の到来だ・・・。

 

小生が自転車に乗り始めたのは小学2年生の頃だったろうか?

今ほど物質的な豊かさを誰もが享受出来る時代では無かったから、兄貴のお古の自転車に片側だけ補助輪を付けて貰い独り黙々と自走練習した結果、1週間ほどで補助輪なしで乗れる様になったという朧げな記憶がある。

中学3年生の時には内装3段変速のスポーツ車(当時の流行り)を買って貰い、高校の 3年間は8km離れた学校への通学や普段の遊びの足として大いに使った。

確か高2の時の夏休み前だったと思う(50年近くも前のことで記憶が定かでない)が、 学校帰りに友人の一人が出し抜けに「夏休みに自転車で諏訪湖に行かないか?」と言い出した。

何故諏訪湖なのかと聞いた覚えは無いが、多分彼には過去に家族と其処を訪れた愉しい思い出でもあったのだろう。

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涼やかな風が心地よい夏の諏訪湖

小生はそれまで諏訪湖に行ったことは無く「suwako」というその美しげな音の響きから魅惑的な湖畔の風景を連想して俄然乗り気になり「良し行こう」と返事をした。

家に帰り、地図帳を開いて諏訪湖の場所を確かめてみると、岐阜からは直線で140km あまり、道を走ると200kmは優に越えそうな距離があった。

「随分遠いな」とは思ったが、1日100kmを走れば中1日の遊び時間を入れても4泊5日 あれば充分「出来そうだな」其処は恐れ知らずの若気の至りで無理とは思わなかった。

翌日、言い出しっぺの友人ともう一人参加を表明した友人の計3人(3人寄れば文殊の 知恵、2人では心もとないが3人いれば何とかなる)で計画の概略を話し合って決め、 突然の思い付きは実行に移されることになった。

 

夏休みに入って10日ほど後、午後の暑い日差しが西に傾きかけた頃に集合場所の公園に3人が集まった、今から思うと不思議だが何故か夕刻に出発する計画だった。

(多分、夕刻に発って途中で数時間仮眠すれば、翌日の夕刻には諏訪に着けるだろうという至極安易な考えがあったと思う)

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愛用の自転車に荷物を積んで集合(image)

 各自が愛用の自転車の荷台に荷物(簡易テント・寝袋・替え下着・食料etc)を入れたリュックを括り付けており何れも恰好は様にならなかったが、それより気になったのが自転車全体の重さ。

あの頃のスポーツ自転車は車重が20kgほどもあり、それに10kg近い荷物を載せている からTotal 30kg超で取り回しがとても重かった。

「大丈夫だろうか?」各自が内心不安を抱えながら(と云うのは小生の憶測だが)も、それは噯にも出さず笑顔で出発、まずは犬山を目指す。

 

どの道を辿って犬山まで走ったのか今では全く思い出せないが、ともかく太陽が西方の山並みに沈み込む頃には、右手に犬山城が望める所まで来ていた。

犬山は濃尾平野の東北端に位置し、此処から先しばらくは木曽川に沿って走る山間の道(R-21)だ。

暗い夜道を自転車の前照灯を頼りに走るのは何とも心もとないが、断続的に通る車の  ヘッドライトが我々3人を照らし出し、束の間だけホッとした空間を演出する。

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夜道の走行は心もとない・・・

2時間以上走ってきたのでそろそろ休憩を取りたいが、コンビニなどと云った便利な物が無い時代だから、停まって疲れを取る場所など何処にも無い。

ようやく美濃加茂の街中で街灯に照らされたスペースを見つけて休むことが出来た。

 

美濃加茂木曽川と一旦別れると、道はそれまでの平坦路から極々緩い(1%)登りが延々と14kmあまり続く道へと変わる。

多少のUp Downを繰り返しながら道は徐々に高度を上げるので、重い車体のペダルを 漕ぐ脚の疲労は着実に蓄積していったことを、この時は誰も気付いていなかった。

御嵩を過ぎると町並みも途絶え、遠くぽつぽつと見える人家の明かりだけが頼りの山間の道を時折声を掛け合いながら進む3人。

その不安を裏打ちする様に夜のとばりが彼らをスッポリと包み込んだ。

 

やがて道は鬼岩の峠越えに差し差し掛かった。

160mの高度差を4kmほどで登る最大斜度が約7%の坂で「初日の最大難所だな」と3人 で話し合っていたところだ。

序盤は斜度も緩くギアを3段変速の一番軽めに落とせば難なく走れたが、進むに連れて斜度は上がり次第に太腿に負荷を感じる様になった。

「きついなぁ」とお互いに声には出すが3人共まだ余裕のある声、しかしそれもやがて「ハァ・・ハァ・・」の喘ぎ声に変わる。

前方を照らす前照灯の明かりが右に左に揺れはじめ、立ち漕ぎで懸命に前へと進もうとする友人の姿を映し出す・・・。

それから数十秒、太腿の疲労が耐えきれなくなり「もう駄目だぁ」と観念した時、以心伝心した様に前を走る友人が突然停まり、後続の友人も停まった。

「疲れた・・・」お互いを慰めあう様に声を交わしてしばらく休憩するが、疲労困憊 した体力気力は容易に回復せず、其処からは自転車を押しての登りとなる。

峠まではあと1kmほどある、自転車を押しながらトボトボ歩く3人を上天の月が明るく照らし出していた。

 

やっとの思いで峠を越えると今度は4kmの長い下り。

重い車体にハンドルを取られないよう慎重にブレーキングしながら坂道を駆け下って いくと、突然眼の前に「漆黒の大地に瞬く星々」の如き絶景が広がった。

この時に目に焼き付いた土岐市街の夜景は、今でも目を閉じると脳裏に浮かぶほど綺麗で鮮明だった。                               (これが脳内で創られた画像の可能性が高いことは十分理解しているが・・・)

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今も脳裏に残る土岐市街の夜景

土岐からはR-19を東に向かって走る。

名古屋と長野を結ぶ主要国道だけに夜でも車の交通はかなりあるので、暗い夜道を走る不安感は少し薄れた。

しかし道は相変わらずのUp Downを繰り返しながら徐々に高度を上げる緩い登り道で、土岐の海抜は140mほどだが、この先の恵那は280m 中津川は360mと段々高くなる。

更に進めば南木曽415m 木曽福島820m、R-19最高点の鳥居峠トンネルは995mの海抜がある。

先ほどの鬼岩の峠越えでさえあの体たらくだ、これらを越えていくには相当苦労する だろうと思われた。

 

それはさておき、その時我々3人の頭を占めていた思いは、その日の寝場所の恵那峡に何時頃着けるかだった。

計画ではPM11時前には着いてテントを張って・・・だったが、腕時計を見ると時刻は既に10時半過ぎなのにまだ相当距離を走らなければ恵那峡には着けない・・・。

Up Downを繰り返す走りに疲れ果て休憩を挟みつつノロノロと走った結果、恵那峡に 着いたのは結局AM1時少し前。

簡易テントを手早く設営して疲れた身体を寝袋に滑り込ませると、愉しいはずの友との語らいもソコソコに忽ち深い眠りに落ちた。

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恵那峡木曽川の流れを湛えたダム湖

鳥のさえずりに目を覚まし、テントを抜け出して朝もやに包まれた川岸に腰かけて独り物思いにふけっていると2人の友人も起きてきたが、みんな冴えない顔をしている。

各自用意した食料で朝食を摂りながらこれからどうするか話し合うと「もう少し先まで行ってみよう」ということになった「疲れてはいるがまだいけそうだ」とみんなが同様に思っていた。

 

恵那峡からR-19に戻り中津川に向かって走ると、正面に遠く中央アルプスの高峰が顔を覗かせ、右手には恵那山が大きく迫ってくる。

前日は目にすることの無かった景色を見ながら走ると、疲労が少しだけ軽減される気がするのは脳内で生じる錯覚の所為だろうか?

中津川を過ぎると道はいよいよ木曽谷へと入っていく。

木曽路は全て山の中である」藤村が小説:夜明け前で書いた様に、昼なお暗い谷筋の道を走ると心細さが募ってくる。

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馬籠宿(此処から木曽路が始まる)

落合を過ぎて坂下辺りの坂道を喘ぎながら登り終えた時だった、友人がぼそりと呟いた「もう帰ろうか」突然のその言葉に小生は素直にコックリと頷いた。

3人が集まって鳩首協議の結果、計画はここで断念することになった。

諏訪湖まではまだ100kmほどもあり今の疲労度からすると走り切れない」それが3人の一致した見解だった。

近くのドライブインで少し休憩した後、踵を返して帰路につく。

気持ちは晴れやかで、疲労も少し軽くなった気がしてペダルを踏む脚にも力が入ったのは何故だろう。

 

その日の夕刻、家に着いて往復200kmの初めての自転車旅は終わった。

元々ずぶの素人には無理な計画だったのかも知れないし、夕方からの出発は完全に失敗だった等々色々反省する点はあったが、それにも増してチャチな自転車を駆ってだが、200km超の距離を走ることが出来たという満足感が、その時小生を実に幸せな気分に していた・・・。

思い起こせば懐かしい小生の青春の一コマである。

 

 

 

 

 

コロナ禍に思う

 

花粉症対策の外出自粛生活に入って5週間が経った。

スギが終わって今はヒノキの花粉が空気中を漂っているが、間もなくこれも下火になるだろうと期待を込めてTVの花粉情報を見ているが、これがなかなか減らずもどかしい 思いだ。

とは言え、小生の場合スギに比べてヒノキの抗体反応は軽目なので、あと2週間くらいすれば久々のライドに出られるんじゃないかと希望的観測をしている。

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こんな高原を風を感じて走りたい・・・

さて、今日はそんな鬱々とした日々を送る中で、少しばかり考えたことを吐露しょうと思う。

 

国内は言わずもがなだが、世界的に見てもCOVID-19が終息の兆しを見せない。

感染者数が漸減しつつあると淡い希望を抱くと一転増加に転じると云う謂わば「イタチごっこ」の繰り返しで、何とも御し難たい病原性ウイルスではある。

しかし冷静に事の本質考えると、問題はこのウイルスにあるのでは無くそれに対処する人間側にあると気付く。

・権利(自由)の侵害だとマスクの着用を忌避する。

・自分は感染しないor感染しても大丈夫だと人混みをつくる。

・社会的規範よりも利己的快楽を優先する。

・従来と同様の頻度様態で近親者等と交流する。etc  

もしこれらの行為の多くを人々が自制出来るならば、コロナ感染者数は確実に減って いくのは間違いない。

 

また行政府の失政もCOVID-19終息を遅らせている大きな要因だろう。

・海外渡航禁止、都市封鎖等の人の移動制限の不徹底。

・感染者(無症状含む)の洗い出し検査(PCR and 抗体)体制構築への消極的なアプ     ローチ。

・感染状況改善への誤った見通しに基づく経済立て直し諸施策の展開。etc

決して中国の様な強権国家を標榜する必要は無いが、パンデミックと云う未曽有の事態にあっては、中国のやり方が「感染封じ込め」に一定の成果を上げている事実は確かにある。

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海外旅行に行ける様になるのは随分と先か?・・・

一方、ワクチン接種が思ったほど進まないのも問題だ。

出遅れ感のある我が国は別として、欧米の国々ではワクチン供給が此処にきてようやく本格化しつつあるが、この感染予防の切り札ともいうべきワクチン接種を、希望しない人が3割ほどもいる(日本も例外ではない)と云う事実には驚きを禁じ得ない。

その理由として「自分は感染しないorしても大丈夫」とか「副作用が心配」とかが上げられているが、その判断が果たして妥当か?ここは一つ冷静になって考えてみるべき だろう。

特に「副作用が心配」と云う声に対しては、接種に伴うそのリスクの内容と発生頻度を正確に伝えて不安の解消に努めることが肝要だ。

例えば、命にかかわる副作用としてアナフラキシーショックが報告(死亡例は無い) されているが、その発生頻度はファイザー製のワクチンで5人/100万人(モデルナ製は 3人/100万人)と、この症状ではハチ刺されや食物アレルギーなどでの事故報告の方が圧倒的に多いことを周知すべきだ。

ちなみに我が国では交通事故で亡くなる人が年間25人/100万人いるし、今般のコロナで亡くなった人はこれまでに75人/100万人に上る。

こういう数値と対照してワクチンの安全性有用性を喧伝することで何とか接種率のUPを図れないものかと思う。 

 

人は往々にしてリスクを過大に捉えがちだ。

それ故に、異物を体内に摂り込むことになる医薬品は、その開発から製造・販売に至るまでの過程で有効性・安全性・品質を保証する様々な規制(通称Gシリーズと言われる GLP:Good Laboratory Practice,GCP:Good Clinical Practice,GMP:Good Manufacturing Practiceなど)が適用され、これらを厳密に遵守して新薬を開発製造することで諸々のリスクの最小化に努めている。

特に安全性については、動物を用いた各種試験(急性・亜急性・慢性毒性試験、生殖 試験、依存性試験、抗原性試験、変異原性試験、がん原性試験、局所刺激性試験)や 治験による人を対象とした有効性と安全性の臨床試験をおこなって、これらをクリア しなければ当局から製造承認の許可が下りないシステムになっており、一般の人が考えているより安全性のレベルは高い。

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こういった医薬品の安全性に関する情報を広く伝えるのも、コロナ時代のマスメディアの役割と言ったらチョット言い過ぎだろうか?

 

数ヶ月前のことだが、睡眠剤が混入した経口真菌剤(水虫薬)を飲んだ人達に健康被害(内2名が亡くなる)が続発するという事件があった。

富山の小林化工というジェネリック薬品製造メーカーが起こした前代未聞の事件だが、

GMPで製造品質の保証が厳守されている(筈の)中での出来事であっただけに、小生 は本当に驚いた。

チョット下卑た言い方だが、ジェネリック薬と云うのは真似っこ薬(新薬開発メーカーの物質特許が切れた後に製造できる類似品)だから、その製造にあたって、新薬開発に 必須のGLPやGCPに基づく安全性確保へのアプローチが不要なため、結果的に安全性に対する企業としての意識付けがスッポリ抜け落ちていたのかも知れない。

こういう事があると医薬品業界全体が不信の目で見られる。

事件を起こした小林化工は当然だが、その不正に気付かなかった当局も猛省して貰いたいものだ。

 

 

ビワイチ 走行編 2日目(完結編)

 

さて、今日は前回の「ビワイチ走行編」の続きにして完結編。

 

ビワイチを大津で中断してから4日後、今日は天気も良さそうなので残りの大津→米原を走って、変則ながらも一周を果たすことにした。

輪行袋にバイクを収納し車に載せて居宅を出発、まず目指すのは今回のビワイチ起点の米原で約1時間の所要。

米原駅前の貸駐車場に車を預けて輪行袋を肩に担いで駅に直行、発車標を見ると8:02の赤穂行きにほゞ待ち時間なしで乗れそう「ラッキー幸先の良いスタートだ」

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米原から大津まではJRで輪行

他の乗客の邪魔にならない様に注意しながら乗降口近くの補助席に座りホッと一息を つく。

ソコソコの乗客で埋まった列車は軽快なスピードで走るが、それでも車窓越しに流れる景色を眺めて過ごすこと40数分、ようやく列車は大津駅に到着した。

 

駅頭でバイクを手早く組立て出発準備は完了、時計を見て時間を確認する「9:16か 好い時間だな」

駅前の坂を北へと下って琵琶湖岸のなぎさ通りに出ると、いよいよ此処からビワイチの再開だ。

まずは瀬田唐橋に向かってバイクを走らせるが、r-102は車の交通量が多く並走はしたくないので、極力湖岸公園内の道と住宅街の裏道を進む。

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瀬田の唐橋を渡って琵琶湖東岸へと進む

 「まずまずの走り出しだ」と独り言を呟きながら、唐橋を渡ってすぐに左折してr-559(さざなみ街道)に入ると、この道も相変わらず車の通行量が多く、この調子だと当分の間は狭い路側帯での緊張した走行が強いられそうだと覚悟する。

小生が狭い路側帯の走行を嫌う理由の一つは身の危険を感じるから(小生も含めてだがドライバーは信用できない、もし脇見運転の車に追突されたり幅寄せされたりしたら たまったもんじゃない)だが、もう一つはなるべくパンクを回避したいからと云うのもある。

路肩には砕けたガラス片や尖った金属片等が無数にあり、チューブ孔なら交換で済むがタイヤが切れたら致命的だ、それだけは何としても避けたい。

 

琵琶湖線のガードをくぐって先に進むと、左手に広がる湖面に幾艘もの漕艇が浮かんでいるのが眼に入る「おっ此処は漕艇場か!」シングル・ダブル・フォアそれぞれの艇が思い思いに湖面を走る姿は爽快で、それを操る若者たちは実に愉し気に見えた。

それを見ながら小生の気分も軽やかになっていくのを感じる・・・。

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湖面には幾艘ものボートが浮かんでいた

r-18の近江大橋をくぐった先からは、側道に幅広の自転車歩行者専用道が現れたので、躊躇なくそちらに乗り換えることにした。

「これで安心して走れるぞ」と呟き、緊張から解放された安堵感をしばし味わう。

 

此処から先は、開けた視界の中を琵琶湖からの吹く風をうけて走る実に爽快な道、周りをユックリ眺めながら愉しく走ることが出来る。

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 風光明媚な琵琶湖岸を走る       視線の先に奇妙な建物が・・・

更に進んで帰帆北橋を越えると、右手前方にシルバーに輝く体育館の様な大きな建物が眼に入る。

「何だろう?何かの公共施設かな?」と考えながら横を通り過ぎたが、実に奇異な建物だった。(後で調べたら某新興宗教の施設だったが、失礼ながら宗教の資金蒐集力恐るべしを改めて実感した)

 

さざなみ街道を軽快に走って烏丸半島(記念公園)を過ぎたあたりから、自転車歩行者専用道を歩く人達が急に増えてきた。

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多くの人達が自転車歩行者専用道に・・・

どうも何かのウォーキングイベントの参加者の様で、専用道を列をなして歩いている事から幅広の道とは言え接触の危険があると判断し、「何事も安全第一!」と自分に言い聞かせて路側帯を走ることにした。

 

それから10分ほど走ると、左手前方に琵琶湖大橋の緩いアーチが見えてきた。

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優美な姿を見せる琵琶湖大橋

4日前に対岸の堅田から見た橋を今日は守山側から見てるということか・・・その時、急に橋を中ほどまで行ってみる気になった、計画外だが大した距離じゃ無い2kmほど 余分に走るだけだ。

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橋上展望台から湖東方面を望む

琵琶湖大橋展望台までを往復してビワイチルートに戻り時計を見ると10:42、大津駅を 予定より15分ほど遅れて出発しており、琵琶湖大橋への寄り道もしたからそれを差し 引くと「まぁ予定通りのコースタイムだな」と手前勝手に納得する。

とは言えチョットだけ急ごうと「鮎屋の郷」を目指してペダルを踏み込んでスピードを上げる、あと5kmほど走れば到着だ。

 

「鮎屋の郷」ではトイレだけ済ませて直ぐに出発。

休憩は短時間でと云うのが山に登っていた頃からの小生の習わしで、バイクでライドに出るようになってからも、休憩は出来るだけ10分以内に納める様にしている。

長く休むと折角運動に順応していた身体が冷えて、元に戻る(調子が出る)のに時間がかかるから、そうなる前に動き出すのが肝だ。

 

この辺りは、右に田園左に琵琶湖の風景がずーっと続くので、その単調な連続に飽きてつい物思いにふけるが、それも自転車歩行者専用道なればこそ、多少気分散漫に走っていてもまず事故ることは無い安心感がある。

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野洲附近のさざなみ街道         グループライドする人達

そんな感じでしばらく走っていると、前方に5~6人のグループライド中らしい固まりを発見。

今日は此処までに10人ほどのローディーに抜き抜かれ対面してきたから、先日走った 湖西に較べると湖東を走る人の数は多いと云うのが実感「これは多分アクセスのし易さと道の走り易さに負う処が大きいんじゃないか」と勝手な推論をしつつ集団に近付く。

多人数を専用道で抜くのは憚られるので、路側帯を走って抜くことにしてスピードを 3~4km/hr上げた。

 

近江八幡運動公園まで来ると正面に長命寺山が大きく迫ってきた。

ルート検討時この山の北を回るか南を回るかで大いに迷い、湖岸沿いの原則に従うなら北回りにすべきとルートに決めたが、果たしてその選択の適否はどうか?

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長命寺山の北回りルートは閑静な道だった

結論から言えば北回りは大正解、人里離れた雰囲気の漂う閑まりかえった道を独り黙々と走れば、その昔、山を単独行していた時に感じていた様な妙な安息感に浸ることが 出来る。

こんな時他人は何を考えるんだろう?小生の場合は「何も考えない」のだが・・・。

 

能登川で再びさざなみ街道(r-25)に合流して6kmほどを辿るが、彦根市柳川町からは湖岸に面した閑かな町並みの道に走路を替えて走る。

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湖岸沿いに走るr-25の抜け道

この道はr-25の抜け道になるが、地域住民の車くらいしか通らないので、眺望が開けた場所では松並木越しに琵琶湖を眺めながら走れる至極快適な道だ。

 

八坂町で三度さざなみ街道に合流すると、本日2回目の休憩地の滋賀県立大前コンビニまではあと1km、2分ほど走ると左手に目的のコンビニがあった。

スタンドにバイクを預け時刻を確認すると12:36、道理で小腹が空く筈だ。

昼食は米原に着いてからの予定だったが、此処で摂ることに変更しておにぎりとお茶を調達、イートインスペースで外を見ながら独りノンビリと食べた。

 

約20分休んで13時少し前にコンビニを出発。

此処から米原駅前までは12kmほどの距離、最後の段階でトラブルなんてヘマをしたら元も子もない「気を引き締めなくっちゃ」と自分に言い聞かせた。

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小生の嫌いな狭い路側帯を走る

走路はさざなみ街道だが、この辺りは小生が好まない狭い路側帯の道、多くなった車を避ける様に抜け道を選んだりしながら8.5kmほどを進むと、前方に記憶に新しい琵琶湖に突き出た林が見えてきた。

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さざなみ街道入江橋交差点(米原市朝妻筑摩

あの前が今回のビワイチの始点となった入江橋の信号交差点、隔日の2日がかりになるが一応琵琶湖をグルっと一周して戻ってきた訳だが、何というか疲れと云うものが無いから達成感も無い。

「まぁこんなもんだろう」と諦観した様に独り呟いてハンドルを右に切った。

あとは米原駅前の駐車場に向かって走り、チョット休んでから車でノンビリと帰ることにしよう・・・。

 

 

 

 

ビワイチ走行編1日目 その2

 

先日TVのワイドショーでコロナワクチンの接種遅れが話題になっていた。

日本独特の様々な事情が他国より遅れる要因となっている云々で、行政などの不作為を指摘する内容だったが、一人の出演者が「行政も努力しているから少し見守ったら」という趣旨の発言をした。

「本当にそうかぁ?」と自問したのは小生だけではあるまい。

1月には毎日25万人の新規感染者を出していた米国は、ワクチン接種の効果もあって 感染者が右肩下がりで減少し、現在は6万人ほどになっている。(それでも多いが)

対応が後手後手に回って有効な感染者削減手段を講じられない我が国にあっては、ワクチン接種は一つの光明だ。

1日で50人近くの人命が失われている現実を直視した時、接種の遅れが意味するものは深刻で「少し見守ったら」などと悠長なことを言ってる場合では無い。

最近は若者層を中心に体制や権力に対して「物分かりが良い人」が多くなった。

それが果たして将来を見据えて善い事かどうか?小生は大いに危惧している・・・。

 

さて、今日は前回話した「ビワイチ走行編1日目」の続き。

 

「しんあさひ風車村」のベンチに腰かけ少し長め(15分)の休憩を取って脚と上腕の リフレッシュは完了、気分も新たにバイクに跨って走り出す。

風車街道と呼ばれる湖岸沿いの道には弱い追い風が吹いて廻すペダルも軽やか、左手側からの陽光を浴びて灌木越しに拡がる琵琶湖の風景が目に心地良い。

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 風車街道(新旭付近)         風車街道(安曇川付近)

この道は車の通行量が少ないので安心して路側帯が走れるローディー向きの道と云っても良いが、9kmほど走って近江高島でR-161に合流すると、残念ながらこのリラックス走行も此処で終わる。

 

続くR-161は敦賀と大津を結ぶ幹線道路で、車の通行量が多いのに自転車道が未整備の気持ち的には全然走りたくない道。

先刻走った風車街道とは雲泥の差だが、この先7.5kmの区間は抜け道が全く無いので嫌でも通るしかない。

覚悟を決めて1mに満たない路側帯をはみ出さない様に注意して走るが、大型トラックが直ぐ脇を通ると風圧でバイクがフラれるし、高速で直近を追い抜いていく無神経な車もいてヒャっとすること頻り。

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車の通行量が多いR-161          絶景ポイントの白髭神社も通過

こんな危険な道は早く通過したいと脇目も振らずにスピードを上げるので、白髭神社の絶景(湖面に建つ鳥居)ポイントもチラ見しただけで通り過ぎてしまった。

そんな感じの緊張の走りが約15分、視線の先にr-307への分岐の目印(コンビニ)が 見えてホッと一息をつく。

 

小松からはJR湖西線に沿う様にして延びるr-307を南へと辿り、志賀でr-321へと接続 して蓬莱まで走る。

前半は町並みから田園更に鉄路へと次々変わる景色を愉しみながら進む郎景の道、後半は琵琶湖岸に面した細道を遠く霞む遠景を愛でながら進む佳景明媚の道だ。

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田園風景の中を進む(r-307比良付近)      湖岸風景を走る(志賀付近)

先を急ぐライドでは無いと、ギアを中速にケイデンスも落とし23~24km/hrのスピードで走っていると、気分も穏やかになってつい好きな歌を口ずさんでいた・・・。

 

蓬莱からはr-558を走るのがビワイチ正規ルートだが、車との並走は極力避けたい小生はルート検討時に見付けた抜け道(4.5km)へとハンドルを切る。

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蓬莱からは湖西線沿いの抜け道へ

湖西線沿いに走るこの道は和邇からは街中の走行となるが、予想通り車はあまり通らず抜け道の選択は大正解だった。

12分ほども走って小野でr-558に合流すると、3回目の休憩場所「びわ湖大橋米プラザ」まではあと2.5kmを残すのみ、ここは我慢して走るしかない。

 

米プラザに着いて時計を見ると13:12、米原駅前の出発が予定より10分ほど早かったので、ほゞ設定時間通りに走ってきたと云う訳だ。

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 米プラザで昼食兼休憩         裏手には琵琶湖大橋が・・・

「よーし昼めしにしよう」と独り呟いてレストランに向かい、食券を買って席に着く。

平日なので空いており何気に辺りを見廻すと、丁度先客の2人連れローディーが食事を済ませて出ていくところだった。

こんな時間に此処にいると云うことは「キタイチか?」或いは「今朝大津を出てグルっと一周ならかなり速い」はたまた「俺を長浜で追い抜いていったあの2人連れか?」と勝手な想像を楽しむ。

 

食事と休憩で小1時間、充分に休んだので意気揚々ゴールの大津に向けて出発。

あと18kmほどの距離なので、取り敢えず近くの浮御堂(近江八景の一つ)に立寄ってからと計画変更した。

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近江八景の一つ満月寺山門         湖面に建つ浮御堂

浮御堂からは、当初の計画通りr-558の抜け道のある湖西線高架下を目指し、感を頼りに西に向かって走る。

路地をくねくねと走ってr-558に突き当たると、その向こうに鉄道高架らしき構造物が 見えたのでひとまず安心、あの下にr-558と並行して走る抜け道がある筈だ。

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湖西線高架下の抜け道(堅田)       街中を縫って進む(雄琴旧道)

この道は住宅の中を縫って坂本まで続くが、信号が殆ど無い(5kmの区間に3つ)ので22~23km/hrのスピードで安定して走り続けられるのが好い。

他方r-558を走る場合、信号が多くあるので多分停まってばかり(信号機は車の流れを 優先して調整されているのでスピードの遅い自転車は信号に捕まる頻度が高い)でストレスが溜まる事請け合い、車と競合してまでそんな道を走りたくはない。

 

坂本からは、湖西線高架とR-161高架に挟まれた2車線の幅広道を快調に飛ばし、更に湖西線高架下の道約4kmの距離を南に詰めてJR大津京駅前に出る。

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  下坂本付近の2車線道         湖西線高架下の走路(南志賀付近)

堅田から走ってきたr-558の裏道(抜け道)は此処が終点、道を左に折れ300mほど先でr-558に合流して混雑した道を大津駅へと向かう。

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大津駅に到着(輪行米原へ)

十数分後、大津駅舎の壁にバイクを預け時計を見ると15:16「ほゞ予定した時刻だな」と満足げに納得して、早速輪行の準備に取り掛かる。

輪行はこれが初めてだが、輪行袋へのバイク収納は事前に2度練習したから問題なし、15分ほどでバイクは輪行袋に収まった。

「さぁて何時の列車があるかな?」と構内の発車標を見ると米原方面は15:40発であと8分もない、輪行袋を肩に担ぎ「急がなくっちゃ」と駆けだした。

これで多分18時には居宅に帰り着ける・・・。

 

 

次回は「ビワイチ走行編 2日目(大津から米原)」の予定です。

 

 

ビワイチ 走行編 1日目その1

 

先日、友人と話をしていてコロナの話題となった。

その彼が言うには「過日38℃以上の高熱が続いたので、掛かり付け医を通じてM病院 でドライブスルー方式のPCR検査を受けた。その結果は5時間ほどで判り、費用は4千円だった」とのこと。

幸い検査結果は陰性で、数日後には下熱して単なる感冒罹患と判ったらしい・・・。

こんなに簡単にコロナ感染が判別出来るのに「何故に行政はPCR検査の拡大に消極的 なんだ?」と疑問に思う。

巷には無症状の感染者が相当規模(東京都の調べでは感染判明者の2割が無症状)いるのに、そこにアプローチする対策が施されないというのは正直理解に苦しむ。 

各メディアも緊急事態宣言延長の是非を喧伝するより、今本当に必要な感染防止施策は何かを考えるベースとなる情報提供に努めて貰いたいものだ・・・。

 

さて、今日は5年前のビワイチの「走行編 1日目」のはなし。

 

居宅から琵琶湖までは45kmほどの距離。

車にバイクを積み込み米原駅に向けて出発、時刻はAM7:00チョット過ぎだ。

1時間後、米原駅前の駐車場に車を預け手早くバイクの準備を済ませると、まずは湖岸道路に向けて走り出す。

暫くは期待と不安が入り混じった変な気分だったが、湖岸道路(r-2さざなみ街道)に 出る頃には爽快な気分に変わった。

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r-2 さざなみ街道 (米原市入江橋)

天気は終日好天との予報で絶好のライド日和、琵琶湖を渡りくる微風がバイクを駆る 身体を優しく撫でてゆき心地良い。

この辺りの湖岸道路は平日でも車の通行が多く、路側帯の走行は緊張を強いられるので歩道を兼ねた自転車道を走りたいが、これもまた幅員が狭くて走り辛いため仕方なく 路側帯を北に向かって走る。

 

長浜は、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)が姉川の合戦の功で城持ち大名になってから造った歴史ある城下街。

琵琶湖に面して建つ長浜城(実は歴史博物館)を左に見て通り過ぎると並走する自転車道の幅が2.5mほどに広くなったので、路側帯の走行は止めてそちらを走ることにする。

これで暫くは、車と並走する緊張感から解放されて気持ちよく走れそうだ。

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湖岸道路に並走する自転車道

それから15分ほど走った頃だろうか? 路側帯を走ってきた2人連れのローディーが、 チェーン音を響かせて小生を追い抜いていった。

30km/hr超のスピードは出てるみたいで、どんどん後姿が小さくなっていく。

それを目で追いながら「狭い日本そんなに急いで何処へいく」と独り愚痴った。

先は長い「此処で気張ったら疲れてしまう」と自分のペースを守りながら走ること更に数分、自転車道の前方に2人連れのローディーの姿を認める。

どうも先ほどの2人連れとは違う様だ。

何か語らいながらユッタリと20km/hr前後のスピードで走っているので「コンニチハ、お先に」と声をかけて追い抜くことにした。

俊速に駆け抜けるのも友と語らいながらゆっくり走るのもどちらのビワイチも良し。

自転車で走る愉しさを体感出来るのであれば、走り方は人其々の選択・好み次第だ。

 

R-8との信号交差点を渡り、すぐに左折して賤ケ岳隧道への直線道を山側へと詰める。

此処は平坦なビワイチ走路に2つだけある登坂の一つだが、標高差は40m程度だから 疲れる間もなく隧道入口まで登れた。

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古色蒼然たる趣の賤ケ岳隧道(昭和初期建造)

400mほどのトンネルを抜けると、視線の先で3人のローディーが道端に停まっているのが見えた。

「こんな場所で休憩か?」と訝しく思って、通り抜け際に挨拶がてら頭を下げて左横をチラ見すると、何とそこには琵琶湖の絶景が拡がっていた。

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左手には奥琵琶湖の絶景が・・・

「なるほど此処は絶景ポイントかぁ」一瞬停まろうと思ったが、先客の手前引き返すのも気が引けた。

仕方ない「次に来た時は絶対停まって絶景を楽しもう」と心に決め、坂道を一気に駆け下った。

 

最初の休憩場所「道の駅 あぢかまの里」にはほゞ予定通りの時間に到着、脚の疲労は 全くないのでトイレを済ませただけですぐに出発する。

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色々な店舗が入る道の駅 あぢかまの里

まず向かうのは西側の山の中腹を貫く岩熊トンネルで、標高差60mの登坂だが此処も 傾斜は緩いので難なく登りきる。

これでビワイチ走路の登坂は2つとも終わった、登りが嫌いな小生には有難いが何ともあっけないと言えなくはない。

トンネルを抜けると1kmほどの長い下りで、スピードの出過ぎとパンクに注意しながらも快適に走る。

海津大崎への分岐は湖西線の高架をくぐって直ぐの三叉路「此処だな」と間違いない事を確認して左折した。

 

屋波の続く道を抜けて湖岸沿いの道に入ると辺りは静かな奥琵琶湖の風景へと変わり、そこを走る小生を優しく包み込む。

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静寂な雰囲気の奥琵琶湖           海津大崎へ向かう道

海津大崎の湖岸道は桜並木の名所で、その時期は花見客で混雑するらしいが、今は人影も無くただ湖岸をたたく波音とチェーンの動音だけが耳に心地よく届くのみだ。

海津大崎の突端を西側に回り込むと、マキノから今津・安曇川へと続くこれから辿る 長い湖岸線が視界に入るが、その先の比良山地の山々はうっすらと霞んでいて今日の ゴールの大津がどの辺りかなど見当もつかない。

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マキノから今津への湖岸線を望む

今更ながら琵琶湖の大きさに思いを馳せている最中「そうだ!今津と云えば琵琶湖周航の歌だなぁ」と急に思い出し、つい疎覚えの歌詞を口ずさむ。

「♪われは湖の子さすらいの~ 旅にしあればしみじみと~・・・・行方定めぬ波枕~  今日は今津か長浜か~・・・♪」 

 

マキノからは湖岸沿いに街並みを縫って走る旧街道へとハンドルを切る。

(旧街道と並走する風車街道:r-54と云うのもあるが、車の通行が多そうで気持ち良く走れないとルート選択から外した)

この道沿いには古びた商家や人家が軒を連ねており、その何か懐かしさを醸す風景の中を走っていくと、妙に気持ちが穏やかになっていくのを感じる。

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旧街道沿いの趣ある街並み(高島市マキノ)

人家が途切れた先は湖岸沿いの松並木の道、時折湖面に視線を投げながら25km/hrほどの巡航で進めば、少し汗ばんだ首筋が風を感じて心地好い。

しかし、この旧街道は残念ながら今津で終わり、この先は風車街道:r-333にルートを 変える。

 

風車街道は走り辛そうと勝手に決めていたが、今津から先の風車街道:r-333は予想外に好い道だった。

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r-333 風車街道(高島市新旭付近)

幹線では無いためか車の通行が少なく、しかも道路舗装が良いのでロードバイクで走るには持って来い、調子に乗って30km/hr超のスピードで走ること10数分、右手前方に 大きな風車が見えてきた。

「道の駅 しんあさひ風車村」に到着だ。

あまり疲れてはいないがまだ先は長い、無理は禁物と15分ほど休憩をとることにした。

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風車が小さいので何かおもちゃチック・・・

長くなるので今日はここまで。

続きは、次回の「ビワイチ走行編 1日目-2 」で呟きます・・・。

 

 

 

ビワイチ 計画編

 

花粉症の症状が出て「外遊び自粛」に入ってから1週間が過ぎた。

抗アレルギー薬を服用しているので症状は小康を保っているが、マスクをしないで屋外へ出ると鼻がグズグズしたりクシャミが出たりするので、やはり鼻粘膜で抗原抗体反応が起こっているのは間違いない。

小生の歳だとそろそろ免疫力が落ちて来る筈だが、一向に花粉症から脱出できないので「免疫系だけはまだ老化してない証拠だな」と変に自分を慰めるしかない毎日だ。

 

さて、そんな次第で何処へも出掛けられない不幸を嘆きつつ、今日は「ビワイチ」の話でもしようと思う。

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サイクリストの聖地碑

小生はこれまでにビワイチを3回(近いのに少くなッ!)している。

1回目は5年前で、走路を前半と後半に分けて2日で約200km(北湖と南湖)を走った。

2回目はその翌年で、琵琶湖大橋でショートカットする北湖一周(約160km)。

3回目は一昨年で、ようやく琵琶湖全周(北湖と南湖)を1日で回った。

去年は色々あって走れなかったので、今年は4回目を夏ごろに計画しようと思っているが、果たしてどうなることやら・・・。

 

普段ライドに出掛ける時は、単に行先を決めるだけでルートなどは行き当たりばったりのことが多いが、ビワイチをするとなるとそんな好い加減なことではいけないと云う ことで、初めての時はまず走行ルートを決めることから始めた。

ボッチローディーである小生の場合、誰かに道案内を頼める訳でもないのでルート調べは重要だ。

Netで関連情報を検索したりYouTubeで動画を観たりして予備知識を蓄えてから、いよいよGoogleMapで走路の検討に入った。

 

琵琶湖は湖岸沿いにほゞ道が設けられているのでルートは選び易く、分岐に注意すれば走路を間違える心配は無さそうと判ったので、基本この湖岸沿いの道を辿ることで走路を決定した。

しかし、誰もが「とても走り難い」と悪評判のある堅田から唐橋までの大津市街地に ついては、湖岸沿いのR-558ルートは採らず山側の湖西線高架下の間道を走ることに した。

悪評の道を走る義理は無いので、少し遠回りでも「快適に走る」を優先して、車通りの 少ない道を選んだのがその理由。

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湖岸沿いに左回りで一周

 これで大体の走行ルートは決定、あとは実際に走って必要ならその都度若干修正する だけという訳だ。

 

しかし、ロードバイクを始めて4年ほど、本格的に走る様になって2年足らずの当時の 小生には、200kmの距離を1日で走り切る自信は全く無かった。

そこで行程を2日に分けて、1日目は米原から左回りで大津までの約120km、2日目は 大津から米原までの約80kmを走ることにした。

米原を起点に選んだのは勿論JR東海道本線での輪行に便利だからだ)

 

続いて検討したのは1日目と2日目の行程詳細案。

小生の脚力(当時)だと、Ave23~24km/heのスピードで1時間半ほど走り、小休憩を 挟んでまた走る繰り返しなら多分大丈夫と思われた。

そこで作ったのが次の走行計画だ。

1日目:米原駅 ⇒(35km)⇒ あじかまの里 ⇒(32km)⇒ しんあさひ風車村 ⇒(34km)⇒ 

    8:30      10:00  10:15      11:35    11:50 

    琵琶湖大橋米プラザ ⇒(18km)⇒ 大津駅

    13:20  (昼食) 14:20      15:10   

2日目:大津駅 ⇒(32km)⇒ 鮎やの里 ⇒(34km)⇒ 滋賀県立大前 ⇒(12km)⇒ 米原駅

    9:00     10:25  10:40      12:10  12:25      13:00

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白髭神社

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木浜湖岸緑地付近

検討の最後は持ち物のリストアップ。

走り出して忘れ物に気付いても仕様が無いので、チェックリストを作って出発前に確認することにした。

バイク:Corratec CCT(当時はこの1台しか無かった)

持ち物:ビンディングシューズ・サイコン・フロントライト・予備チューブ(2本)

    携帯ポンプ・タイヤレバー・携帯工具・グローブ・ヘルメット・サングラス

    ウォーターボトル・財布・健康保険証・スマホ・ウエア・着替え・タオル

    ワイヤーロック・輪行袋・リアエンド金具・軽量リュック

「よぉーし、これで準備は万端整った」あとは現地に着いて走り出すだけだ。

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次回は「ビワイチ 走行編 1日目」です。

   

続 中国のおもいで

 

ここ数日来の事だが鼻がグズグズする様になった。

寒暖差アレルギーかも知れないが、スギ花粉の飛散量は「非常に多い」のレベルらしいから花粉症の症状が出始めたとみるのが妥当だろう。

と云うことは、これから4月初旬頃までは外出自粛となるので、当然バイク遊びも封印せざるを得ない。

「仕方ないなぁ」と諦めて、ひたすら耐える生活を始めることにした・・・。

 

という訳で、今日はずーっと以前に話した「中国のおもいで」の続きを呟こう。

25年ほど前に中国の江蘇省蘇州市に4ヶ月余り滞在し、多くの現地の人たちと知己を 結んだ事や自転車を駆って市内の名所を観光した事は前に話したが、今回は上海や南通などの近くの街を訪ねた際のおもいで話だ。

 

勤め先が現地に設立した法人の立上げ時技術サポートのために蘇州に滞在するように なって1ヶ月ほど経ったある日、日本人総経理(社長)が傍に来てこう言った。

「明日、上海で商社関係の人と打ち合わせがあるんだけど同行しない?」 

商社関係者との打合わせに同行?「それって俺の仕事の範疇じゃないけどなぁ」と一瞬思ったものの、すぐにその意図を理解した。

「なるほど、俺を誘うということは、たまには上海観光でもして息抜きをしたらということか・・・。」

手前勝手に判断し、あえて断る理由もないので同行することにした。

 

翌日、1台しかない社用車(確かホンダアコードだった)に乗って出発、蘇州から上海までは80㎞ほどの距離である。

当時すでに蘇州と上海を結ぶ高速道路は開通しており、馴染みになった中国人運転手はそれを使うかと思ったが、どうも下道を行くらしい。

未だ自家用車を持つ人など殆どおらず、庶民の普段の足はバスか自転車という時代。

タクシーは郊外の一般道を80km/h以上のスピードで走っていた(勿論スピード違反で後部座席に乗る身としては事故が起きないか気が気でなかったが)ので、高速道路を 走っても時間は大して変わらないのが実情だった。

※高速道路と云えば、自家用車が少ないから当の高速道路はガラ空き状態で、ある時 何処から入ったか?リヤカーを取り付けた自転車が、そこを平然と走っていたのを見た時にはタマゲタ。

 

蘇州の街を出て郊外を行くと、この辺りが広大な長江デルタの一部だとよく分かる。

琵琶湖の3.5倍もある太湖と世界第3位の大河長江(揚子江)に挟まれていたるところに湖沼があり、その大いなる恵みを受けて田畑が広がる風景はいかにも中国らしい長閑さを感じる。

 

田園の中に点在する各集落を繋ぐ道を走ってある大きな湖のほとりで車は止まった。

この湖は?と聞くと陽澄湖という答え、知らないなぁーという顔をするとすかさず教えてくれた。

上海蟹を食べたことがあると思う(実は小生食べたことが無かった)けど、あの蟹はここで養殖されたものが最上品で、国内は基より海外にも輸出されている」と云うことだった。

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網の中には上海ガニがいっぱい(陽澄湖)

改めて湖を見つめると、湖水は透明度なく緑色に淀んでいて「ここで養殖したものがねぇ」という感じだが、そう云えば浜名湖のウナギも同じ様な濁った池で養殖されていたなぁと思い起こした。

多分この濁った水質こそが養殖蟹の旨さを決める重要な要素なのだろう。

 

上海での商社関係者との打ち合わせ場所はあるホテルのロビー。

広々とした庭を擁した洋館づくりのアンティークな建物で、戦争前はフランス資本の ホテルだったが、戦後は中国政府が接収して国営ホテルとして今に至っているという 事だった。

打ち合わせの方は総経理に任せ、小生はロビーの椅子に凭れてコーヒーを飲みながら 館内を眺める。

この壁やその天井が中国の激動の時代をくぐり抜けて来たのかと思うと、その時代を 知らずとも何か感慨深いものがあった。

上海に残る戦前からの建物としては、観光名所にもなっている外灘(バンド)地区の 洋風建築群が有名だが、その他にも戦火や騒乱を免れて生き残った建物が各所に点在 するのを知る人は少ない。

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外灘に残るノスタルジックな建物群

打ち合わせが終わって軽く昼食を取ろうと向かったのは豫園。

社用車はすでに帰していたので、タクシーで移動しながら上海の街並みや人々の様子を観察する。

鄧小平の改革開放で市場経済に舵を切ってから15年余、眠れる獅子中国がようやく目を覚まして動き始めた時期であり、その経済成長の証左として街中のいたる所でビル開発の槌音が響き、行き交う人々の表情も明るかった。

 

中国人の貴金属好きは多くの人の知るところだが、豫園近くの貴金属店が集まる一角 ではどの店もそこそこ賑わっており、こんな所にも庶民の懐事情が良くなっているのが覗えた。

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豫園商城近くの貴金属店

そんなある貴金属店の店先の路傍、人通りが多い中で一人の青年が縁石に佇んでいた。

青海省orチベット自治区から来たと思われる格好の青年の前には1m四方の布、中を覗き込むとどうやら漢方薬で、自ら採ってきたものを並べて売っているらしかった。

名前も良く知らない草木の根や果実などの植物性生薬、何か動物性らしい生薬等々の 並んだ列を目で追うと「あった!冬虫夏草」、何かの幼虫の身体を突き破って伸びる キノコの子実体は写真で見たのと同じだが、その干からびた現物を見るのは初めての ことだった。

興味はあるけど勿論買う気はないので、申し訳ないけど「Bu mai:買わない」と伝えてその場を離れた。

 

豫園は庭園の名前で、隣接する小売店の集まった地域を豫園商城というが、昼食はその中の南翔饅頭店で小籠包を食べる事にしていた。

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賑わいを見せる豫園商城         小籠包を買い求める人達

南翔饅頭店は、今では日本にも支店を持つほどに有名になったが、当時は未だ海外に 名を馳せるほどでは無く、上海市民の間では隣の緑波廊は海外観光客が訪れる高級店 だが、南翔饅頭店は店先で気軽に小籠包が食べられる庶民の店という位置付けだった。

店先で買い求めると9個入り10元(140円)ほどだが、店に入ってテーブル席で食べる と値段が数倍に跳ね上がるというので、庶民は専らテイクアウトだったが、普段は行列にきちんと並ばないはずの人達が、ここでは列も乱さずに並んでいたのを豫園商城の 賑わいと共に思い出す。

小生らは流石に外で食べる訳にはいかないので店に入り、食べたのは蟹入りと豚肉入りの2種類の小籠包だったような・・・。

 

昼食を済ませた後は古い町並みの残る路地裏を抜けて外灘まで歩いた。

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豫園近くの路地裏風景

現在の外灘は、黄浦江を挟む対岸浦東地区に東方明珠電視塔や上海環球金融中心等の 高層ビル群が林立しているが、当時は未だそれらは建設されておらず、ただ中低層ビルに交じって、日本の森ビルが開発を請け負った高層ビルだけが、建設途中ながら他を 圧してその威容を誇っていた。

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往時の浦東地区              現在の浦東地区

日本は、この頃バブル経済の終焉を迎え長い低迷期に入ろうとしていたが、反対に中国はあらゆるものを吸収して大きく羽ばたこうとしていた。

今から思えば、あの外灘から見た浦東の風景が、正にそれを如実に表していたと思えてならない。

 

 

長江(揚子江)観光に出掛けたのは蘇州滞在3ヶ月を過ぎた頃、現地社員も誘って総勢 6人の和気あいあいプチ社員旅行みたいな感じだった。

 

蘇州から北東に60㎞ほど行くと長江の雄大な流れに突き当たる。

そこからフェリーに乗って対岸へと渡る(今は長大な橋(蘇通長江公路大橋)で対岸(南通市)に容易に渡れる様になったらしい)訳だが、生憎の黄砂で8㎞程先にある 筈の対岸は全く見えない。

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黄砂に煙る長江の流れ           長江に架かる橋(現在)

黄砂と云えば日本人の多くは空が薄黄色に霞む程度と思っているが、小生がむかし西安で遭遇した黄砂はそんなものではなかった。

西安の観光地を物見遊山でそぞろ歩きしていた時、急に強い風が吹き出しそれまで陽が射していた空がにわかに曇りだした。

「雷雲でも近づいてるのかな?」と思ったがどうもそうではないらしい。

風はどんどん強くなり辺りも日没後の様に暗く数十m先の視界が効かなくなって初めて気が付いた「黄砂だ」。

嵐の様な黄砂は1時間ほどで治まったが、自然の猛威を改めて知った出来事だった。

蘇州辺りは黄土高原から1,000㎞以上離れているが、西安ほどでは無いにしても黄砂が 飛んでくると空は曇って暗くなり視界も相当悪くなった。

 

フェリーは1,000トン程度と小さいが、人と荷物や車を満載して重いエンジン音を響かせてゆっくりと離岸した。

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フェリーで長江を渡る

船上で長江の濁った流れを見ながら物思いにふける「何千㎞と旅したこの水は海へと 至りやがて雨となって元へと戻る、循環端無きが如し・・・この命何をあくせく明日 をのみ思い煩う・・・か」

 

30分ほどでフェリーは南通市の岸壁に接岸、田園風景が広がる長閑そうな街だ。

車に乗り換え田園内の道を市街地に向けて走っていると、前方に何やら黄色いものが 道いっぱいに散らばっている。

何か事故でもあったのかと減速して近づき、初めて黄色いものの正体が穀粒の付いた 稲穂だと分かった。

どうやら車で轢かせて脱穀をする心算らしい。

何ともまぁ大らかというか合理的というか、細かなことには拘らない大陸的気風を垣間見た気がした。

 

市街のレストランで昼食を摂った後に向かったのは狼山という名所。

中国に12ある有名な仏教聖地の5番目に上げられ、山の上に1400年の歴史を持つ仏教 寺院が建つ如何にも中国らしい景観のところだった。

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江南の有名な景勝地:狼山

眼下を長江が流れており、遠くまで見渡すことが出来るというので、標高100mほどの山上まで続く石段を期待しながら登ったが、やっぱり黄砂の影響で視界が効かず期待は失望に変わった。

 まぁ仕方がないこれも日頃の不信心のなせる業と、抹香の匂いの立ち込める仏閣の前で仏さまにお詫びした次第である。