風を道連れに

☆あるボッチローディーの独り言☆

ベストタイミングって難しい

 

11月も下旬となり ”秋たけなわ” の感がいよいよ増してきた。

TVでは各地の紅葉情況を伝えているが、中でも多いのが京都の名所。

小生も以前は醍醐寺北野天満宮三千院といった紅葉の綺麗な寺社などを訪ねたものだが、この20年くらいはとんとご無沙汰。

それはこれらの観光地では ”紅葉を観に行ってるのか人々を見に行ってるのか” 分から ないほどの人出で混雑するから。

どんなものでも、落ち着いた心持ちで静かに観てこそその真価が判るというもの。

人波に揉まれながらの環境では気もそぞろになって、とても ”紅葉を愛でる” と云った 心安らぐ気分にはなれない。

 

京都の紅葉は確かに綺麗だが、それは所詮造形された美しさで謂わば管理された美しさに他ならない。

”美は乱調にあり” で、整然としたものより無秩序の中にこそ真の美しさがある?とするならば、我々はやはり人工物より自然にそれを求めるべきではないか?

小生が山登りをしていた頃に観た紅葉で、記憶に残るのは北アルプス涸沢の紅葉。

新雪をまとった山岳を背景に紅・黄・緑に色付いた木々が山肌を覆い、それにカールの色とりどりの天幕がアクセントをつける”という正に絶景と呼ぶにふさわしい景色。

今も脳裡にありありと蘇るこの風景、多少脳内でデフォルメされてるきらいはあるが、あの時感じた美への感動は間違いなく本物だった・・・。

 

さて、今日は板取の奥にある川浦渓谷へのライド。

先々週に出かけた郡上美並は紅葉見物には少し早すぎたので、同じくらいの緯度にある川浦渓谷なら「丁度見頃を迎えてそう」と手前勝手に思った次第。

 

板取は濃尾平野北端の山を越えた先にあるので、坂嫌いの小生にはこの山越えが最初の試練。

寺尾千本桜を通るr-59は、武芸川からしばらく緩い傾斜で山麓を上るが、九十九折れが始まると平均斜度6%で1.7km先の坂の峠まで一気に上がるので、ここが小生には結構辛い。

その辛さに耐えながら黙々と上ると、やがて視線の先に峠が見えてきて「やれやれあと少し」の声が口から洩れ出た。

坂の峠付近からの眺望(岐阜市街は山の向こう)

峠を越えると板取川まで4.3kmのダウンヒル

風を切って走る爽快感で上りの苦労が報われる時だが、それが束の間で終わってしまうのは分かっている。

費用対効果で云えば不釣り合いでも「これが自転車乗りの宿命さ・・・」と諦めるしかない。

 

川に沿ってr-81を洞戸に向かって走っていると、田圃に横たわる異物が目に入った。

それは大きな牡鹿で、道に散乱するヘッドライトやエンブレム等の破片から判断して、どうやら車と衝突してそこで息絶えたらしい。

鹿には正に致命的な災難でご愁傷様と言いたいが、車の運転手にも降って湧いた災難「ボケーっと走ってると飛んだ目に遭うぞ」と気持ちを引き締めて走ることにした。

田圃で絶命していた牡鹿(可哀そうだが仕方ない)

板取川は越美(福井と岐阜)国境の山を源流として、美濃市長良川に合流する澄んだ流れの川。

川に沿ってキャンプ場も点在するので、夏場は清涼を求める人達で賑わうが、今は川辺に人影とてない。

そんな板取川を上流へと辿るのが今日のライドで、R-256も車の通行があまり無いので安心して走れる。

   板取川は山あいを流れる        紅葉を映す澄んだ流れ(小瀬見橋付近)

Up Downを繰り返しながら徐々に高度を上げる道を、1時間くらい走って川浦渓谷への分岐に着いた。

昨年に川浦へ初めて来た時にはこの分岐を見落として直進し、20分ほど時間をロスったことがあったが、この失敗はしっかりと脳裏に刻まれたので、如何に年老いたとはいえ同じ失敗は2度とすることはない。

ここから渓谷まであと4kmほど、思いの外順調に来たので「少しゆっくり走るかぁ」とギアを1段落とした。

登坂の途中にある川浦渓谷への分岐(前方に集中してるとつい見逃してしまう)

川浦渓谷の駐車場には車が1台だけ停まっており、家族連れらしき3人が居たが他に人影は無し「よ~しこれならゆっくり渓谷美を堪能できそうだ」とバイクを牽いて遊歩道へと進んだ。

しかし、残念ながら期待した紅葉は既に盛りを過ぎていてガッカリ、まぁこればっかりはライブカメラでもないと丁度の見頃は判らないので「仕方ないなぁ」と自らを慰めるしかなかった。

トンネルを貫けると川浦渓谷        渓谷周辺は晩秋の装いだった

秋なので渓谷の底を流れる川浦谷川の水量は少ないが、それでも白い奔流となったり、深い淵をエメラルドグリーンに染めたりするのには充分な水量。

それにしてもこの山を裂いた様に深く切り立った岩壁の渓谷は、どんな風にして出来たんだろうか?

水の力だけで造られたにしては鋭角的過ぎる岩壁に「大きな地震で山が裂けたかな?」と勝手な想像をして楽しんだ。

深い渓谷を造った川浦谷川の流れ      岩壁を切り裂いて川は流れる
陽光の届かない淵は幽玄の趣さえある

橋の上そして遊歩道の東屋と様々な場所から渓谷を眺めて20分あまり「もう充分かな」と思えたので帰途につくことにした。

 

往路を13kmほど戻ったところでタラガ谷に寄り道。

タラガ谷は、タラガトンネル(4.6km)を通りたくないローディーが「走って来たよ」と自慢?するのを時々ブログで見掛ける峠越え道で、どんな道なのか興味があったのでチョットだけ走ってみようと思った次第。

板取と郡上を結ぶタラガトンネル(自転車は狭い路側帯を走る)

集落を通り過ぎ山間へと入る道を進むと通行止めの看板が目に入ったが、ゲートが開いているので「行けそうだな」と判断してそのまゝ進む。

道は苔生して車などがあまり通ってない様子がありあり、おまけに小枝や落ち葉も多くスリップして転倒しない様に慎重に走らなければならない。

この道は峠まで5.3km続くが、元よりそこまで行く気は無く、1kmほど走ったところで大体の様子は解ったので「もう充分かな」と引き返すことにした。

多分この道は近い将来”廃道”になるだろうが、直ぐ近くに安全便利なトンネルがあるのだからそれは仕方ない。

「栄枯盛衰諸行無常は世の習いということか・・・」と独り言を呟きながらゆっくりと坂を下った。

通行止めの先は管理放棄された道が続いていた

洞戸まで戻って板取川の橋上でしばし休憩。

秋の柔らかい陽射しを浴びながら欄干に凭れて川面をぼんやり眺めていると、水の流れが止まって自分が逆方向へ動いている様な錯覚を覚える。 

それを振り払う様に視線を上げ遠方を見ると、柳島山の少し青みがかったスカイラインが霞んで見えた・・・。

澄んだ水面に魚影を探したが見つけられなかった

この先の山越えをR-256かr-59かで迷ったが、山越えした後の走り易さはr-59が断然良いので、往路と同じ道を帰ることにした。

あと1時間半くらいはかかるが、今日も無事に帰着できそうだ・・・。

 

 

 

四季桜も咲いてた

 

最近”夢の途中に目が覚める”ことが多くなった気がする。

夢を見るのは大概レム睡眠の時なので ”脳が起きて身体が眠ってる” 状態だから、そこで目が覚めてもなんら不思議では無いが、見ている夢が突然プツリと遮断されるのがどうも気にくわない。

どうせなら夢を最後まで見て(夢なんて支離滅裂だから終わりがどこか解らないけど)しばらく”無の時間”を経てから目覚めたいものだ。

まぁそうは言っても、目覚めた時につい先ほどまで見ていた夢の内容を覚えているかと云えば、曖昧模糊としてほとんど思い出せないのだから、どちらでも大して変わりないと言われたら反論の余地は無い・・・。

そんなことを考えながら布団の中で微睡んでいると、時間は知らぬ間?に過ぎて、目覚めたのは6時40分頃だったのに気が付けばもう7時ちょっと過ぎ。

秋の深まりと共に暖かい布団から抜け出すのが辛くなるが「よし起きるぞ!」と小さく掛け声を発して布団から抜け出した。

 

さて、今日は笠松から犬山へ走り、迫間不動で山越えして関⇒岐阜へと周遊するライドを予定。

ちょっと西風があって後半はほゞ向かい風となるが「まぁ許容の範囲だろう」と楽観的に考えることにした。(風を気にし過ぎると行くところが無くなっちゃうからね)

木曽川橋を渡り木曽川サイクリングロードへ

まずは笠松木曽川を愛知県側に渡り”木曽川サイクリングロード”を上流へと走る。

ここを走るのは3ヶ月振りくらいか?少し間が空いたが、敬遠した訳じゃ無くたまたま犬山方面へとライドすることが無かっただけ。

視界一杯に拡がった景色を見渡しながらペダルを漕げば、自然と脚も軽快に回って気分も心持軽くなった気がする。

おまけに、走るスピードも普段の1割増しが余裕で出せる(多分追い風の効果)ので、何だか愉しくなってきた・・・。

木曽川CRは東西に15km続く(138タワーパーク付近)

扶桑でCRが終わるとここからは一般道(r-158)を走る。

この道は路側帯が狭く且つ路面が荒れてるので、小生の気持ち的には ”走りたくない道”

だから常々「CRの延伸を犬山まで(3km)してくれないか」と心密かに思っているが、この小生の”ささやかな願い”は、当然ながら所管の役所には届きそうも無い。

犬山城木曽川によって美しさが引き立つ

犬山で木曽川岐阜県側に渡ると鵜沼。

ここは中山道の宿場で、秀吉と家康が覇権を争った”小牧長久手の戦い”の時代から交通の要衝。

今では古い家並はあまり残って無いが、街道筋の町屋や脇本陣などを外から眺めて往時を偲んだ?あと、各務原パークウェイへとバイクを向けた。

街道筋に今も残る古い家並

各務原パークウェイは、今でこそ各務原アルプス南麓の神社仏閣へのアクセス道として舗装整備されているが、50年ほど前には迫間不動を経て関へと下る細い山道だった。

当時受験生の小生は、両親と共にその山道沿いの”車折神社”に合格祈願で訪れたことがあり、今とは随分と目にする景色は変わったものの、ここを走ると決まってあの頃の ことを懐かしく思い出す。

紅葉を愛でながら坂を上がる        沿道には四季桜も咲いていた

迫間不動の門前まではこれまで何度も来ているが、奥の院までは行ったことが無かったので訪ねてみることにした。

参道の紅葉を眺めながら奥へと進むと、山上へ続く九十九折れの階段があり、一瞬躊躇したが意を決してそこをゆっくりと登る。

足首の手術前だったら多分引き返していたが、人工関節を入れた御蔭でこんな長い階段も上がれる様になったのは嬉しいの一言に尽きる。

10分ほどかけて着いた奥の院は自然に穿たれた奥深い岩窟。

蝋燭の仄かな灯りを頼りに抹香が匂う奥へと進むが、内が暗すぎてご本尊の不動明王は判然としない。

「多分信仰にはこの神秘性が重要なんだろうな」独り合点してその場を後にした。

鳥居があるのは迫間不動が神仏習合の長い歴史を持つ証し
  山上へと続く九十九折れの石段     童地蔵には子を亡くした親の悲哀が滲む
奥の院は岩窟(赤い鳥居)の奥       岩肌にも不動尊役小角が・・・

迫間不動を後にして山道(加賀坂林道)をしばらく行くと峠の隧道。

これを貫けると麓の集落まで急坂が続くので、スピードの出し過ぎに注意しながら下らなければならない。

今日のバイクはディスクブレーキのVaracan specialなので心配ないが、リムブレーキでカーボンホイールのDeRosaだと、過熱によるホイールの焼損が気になってブレーキを 充分にかけられない。

ヒルクライム好きでリムブレーキのバイクに乗ってる人達は、こんな時どうしてるのかねぇ?余計なお節介と充分判ってはいるが、チョットだけ心配になる・・・。

 峠の山稜に穿たれたトンネル       トンネルを貫けると展望が拡がる

麓に下りてr-367に入ると冷たい風が正面から吹き付けてきた。

案の定だが、出発時に危惧した通り帰路は向かい風を受けての走りになりそうだ。

スピードが3~4km/hr落ちるかも知れないが「まぁ我慢して行こうぜぇ」と自分自身に語り掛けた。

藍川橋(長良川)まで帰ってきた(山の向こうが岐阜市街)

 

 

 

錦秋を求めて

 

先日のこと、母を伴って祖父母の墓参りに行った。

母の在所は八百津の山中で、昔は丸山ダムの蘇水湖の脇を通り、道幅4m足らずの細い九十九折れの山道を上がって行くしかなかったが、今は八百津から複線の新道(R-418丸山バイパス)があるので、安全にしかも短時間で行ける様になった。

この新道(出来てから12年ほど経つので新道とは言えないかも)は近在のヒルクライム好きの間では人気の走路。

平均斜度6%の坂が7kmほど続いてその後も2%で4kmを上がるので、Timeに挑戦したり景色を眺めながら黙々とペダルを漕いだりと人それぞれの楽しみ方が出来る。

おまけに途中の新旅足橋という谷底まで200mもある橋ではバンジージャンプ(日本一の高さらしく、そこから飛び降りるなんて高所恐怖症の小生には想像を絶する暴挙?)に興じる人達の絶叫も聞ける・・・。

 

この道は八百津を起点に周回コース(全長41kmほど)が採れるので、ヒルクライムを愉しんだあとは周回路へと走る人も多いらしい。

多くのヒルクライマーが立ち寄る ”しおなみ山の直売所” で人気の五平餅を焼いていた こともある叔母が、随分前に「福地経由の逆回りの方が坂が緩くて楽だよ」と坂嫌いを公言?する小生に教えてくれたが、今だにヒルクライムに汗するローディー達を横目に車で”楽ちん”に行き来するだけで「よし俺も走ってみるかぁ」という気分になれないでいる・・・。

 

さて、今日は郡上美並へとライドすることにした。

11月中旬にも関わらず随分暖かい日が続くが、近所のイチョウ並木は黄色く色付き始めたので「郡上辺りならそろそろ錦秋が見頃を迎えているかな?」と期待してのこと。

 

岐阜から美濃まではいつもの道。

あまり変わり映えしないが安定の走路こそ大事で、こういう道で何か変ったことがあるとその日のライドがチョッピリ心配になる。(小生決して迷信深くは無いけどね)

秋の長良川の流れは穏やか

美濃から先は車両通行の多いR-156は避けて専ら長良川に沿った裏道を走る。

長良川水力発電所の先で道路工事に進路を塞がれたが、警備のおじさんの好意で通して貰えたのは幸運、こう云うことがあると気分も上がるので±0と云うところか。

この裏道は、川の蛇行に合わせて道も蛇行するので時間効率の良い道では無いが、特に先を急ぐ訳ではないので何の問題も無し、川の景色を観ながらそして集落の暮らし振りをも覗き見?しながら走るのも愉しい。

この長良川沿いの道は車との並走を嫌うローディー向きの道

美並に入ってまず目指すのは釜ヶ滝で山間の道を奥へと辿る。

ヒンヤリとした冷気が辺りを包んでいるが、木々の色付きはまだ浅く紅葉はこれからという感じで「まぁ仕方ないな」とあっさり諦めて、滝へと通じる山道をゆっくり上っていくと、やがて視線の先に釜ヶ滝茶屋が見えてきた。

 

茶屋の前にバイクを停めて滝へと向かう。

せせらぎが小岩を縫う渓谷に沿った閑かな小道を奥へと歩くと、心身が次第に洗われていく気がしたのは、その風景に小生の心証が同調したからだろう。

陽射しの陰陽が渓谷美を演出していた
渓谷の静けさが心身に染入る様だ

滝は三連滝で、高度差40mほどの間で断続する滝の大きさはかなりのモノだしそれぞれの滝が何れも見ごたえがある。

三ノ滝から一ノ滝までの山肌に取り付けられた階段と小路を辿るのに15分近くも要してしまったのは体力不足のせいだけでは無いだろう。

茶屋の主人が、最上部の吊り橋からは御嶽山が良く見えると教えてくれたが、大気中に水蒸気が多いからか?見付けることができなかったのは残念だった・・・。

一ノ滝                  二ノ滝

三ノ滝
一ノ滝へ向かう吊り橋           御嶽山は見えなかった

釜ヶ滝をあとに次に向かったのは星宮神社でここからは10kmほどの距離。

高賀六社(高賀・本宮・新宮・星宮・金峰・瀧)巡りの一つで、ここを訪ねると四社を終えて残り二社でcompleteだ。

 

星宮神社への道(r-315)は別名:円空街道。

山間の道を行くと、各所の路傍に据えられた円空仏が素朴な笑みで迎えてくれるので、つい”ほっこりとした気分”になってペダルを回し続ける脚の疲労を忘れさせてくれる。

街道の路傍で往来する人々を見守る円空仏

次第に谷が狭まって「もうそろそろかな?」と思いだした頃、瓢ヶ岳の山懐に抱かれて建つ星宮神社に到着した。

静かな境内を巡ってこの神社の沿革に想いを馳せる。

神社には木立と静けさがよく似合う
    拝殿               歴史の重みを醸す本殿

神社は通常は御神体を祀るものだが、ここはご本尊として虚空蔵菩薩を祀る神仏習合の古い信仰形態を今に残す珍しい神社。

江戸時代までは全国各地にこの様な神社が沢山あったが、明治を迎えて時の政府が天皇の権威付けのため廃仏毀釈を断行した結果、神社から仏像が無くなってしまった。

特に信仰する宗教を持たない小生は”神様仏様”と二者を区別しない在り方の方が宗教の本来の姿に近いと思うが、世の中はこれとは真逆の方(あらゆる宗教の対立構造)へと一目散に向かっている。

世の東西を問わず、人々(~国まで)の争いの多くが宗教に根ざしていることを考えると「それってどうなの?」と思うのだが・・・。

 

境内に隣接する ”美並ふるさと館” には90体ほどの円空仏が展示されていると云うので観ていきたかったが、時間が押していた(いざ観るとなると小生の性分として小1時間はかかる)ので止む無く断念。

代わりに近くの”矢納ヶ淵”に寄ってから帰ることにした。

矢納ヶ淵には鬼退治の矢が納められていると云う(伝説)

今日は錦秋を訪ねるライドだったが、残念なことに木々の色付きはイマイチでまだ少し早かった。

しかし、釜ヶ滝と星宮神社そしてここまでの走路もそれなりのインパクトで小生を満足させてくれたので、総体的には「OK!」と言えそうだ。

あとはいつも通り無事に居宅に帰り着くだけだな・・・。 

岐阜まで戻りコスモスに埋もれて最後の休憩



 

 

千体仏に癒された

 

時流にあまり敏感では無い小生だが、この1年くらいでスマホ決済サービスの利用環境が「この辺りでも随分と整ってきたなぁ」と思う様になった。

そこで、遅ればせながら小生も「スマホ決済なるものに挑戦してみるか」と色々情報を物色した上でPayPay をスマホに取り込むことにした。

 

スマホへのPayPay アプリの登録は何の問題も無くほんの数分で完了。

しかし支払方法として ”ATM現金チャージ” は面倒と ”銀行口座登録” を選んだところで躓いた。

ネットバンキング口座のある某銀行を登録しようとしたのだが、最近はあまりアクセスして無いこともあって入力ミス(口座番号・暗証番号の誤入力やワンタイムパスワードの時刻補正等)を何回かやらかした結果、誤操作によるロック機能が働いて同口座への通常アクセスが出来なくなってしまった。

「何てこったぁとんだ災難だぁ」と嘆いてみてもあとの祭り、PayPayの銀行口座登録とは別に、当該某銀行口座の ”アクセスロック解除” という余分でしかも面倒な手続きが 必要になってしまった。

 

しからば他のネットバンキング口座で登録と思ったが、ここは新しい専用口座を作った方が無難と判断し、PayPay 銀行での口座開設を決めたのだが、ここでも予想外のことが起きた。

口座開設申請の翌日にPayPay 銀行の窓口担当者からTelがあり「当行に口座がある方は別口座を開設出来ない」との由。

「ん?どう云うこと?」と思ったが詳しく聞いてみると、前身のジャパンネット銀行の記録を調べたところ小生の口座が見つかったのだと言う。

そう言われて思い出したのは20年以上前に”ヤフオク”の売買用に使っていたネット口座で、朧げな記憶ではそれがジャパンネット銀行だった様な・・・。

紛失したのか捨てたのか?銀行カードは手元に無く、ログインパスワードも暗証番号も全て忘れた休眠口座が、こんなところで突然姿を現してくるとは思わなかった。

 

あれこれあったPayPay の銀行口座登録だが、結局はジャパンネット銀行の休眠口座を解約して、新たにPayPay銀行に口座を開設することで落着した。

それにしても思うのは、大概の企業の情報管理というのは”かなりしっかりしている”ということ。

それに引き換え、最近の我が国の官公庁における情報管理は ”ひどい” の一語に尽きる 惨状で、保管が必要な諸情報を恣意的に破棄したり、記録そのものを執らなかったりと時の権力におもねるカタチでやりたい放題。

「まったく、この国の行く末が危ぶまれるなぁ」と年寄りは嘆くばかりだ・・・。

 

さて今日は、久し振りに養老から垂井にかけての山沿いを走ってみることにした。

走路は平地が大半だが部分的に急坂と峠越えが入る予定なので「山用のVaracan Specialにするのが良いかな」と上り下りが楽なバイクを選択。

最近は、何事につけ少しでも楽が出来る方を選ぶ傾向が強くなって来たが、これも身体の老化現象が昂進した現れなんだろうか?

若い人には解らないかも知れないが、それは本当に悲しいことだ・・・。

遠く伊吹山を望見しながら旧揖斐川橋梁を渡る

長良川沿いから揖斐川沿いそして牧田川沿いと、なるべく市街地を避けて川沿いの道を養老高田まで走ってきた。

ここまで来ると養老山地は真近で、これから訪ねる”柏尾廃寺跡”は、その麓の坂を1kmほど山懐へと詰めた所にある。

 

r-56を南進して右に折れると坂の始まり。

最初は緩かった傾斜も先へ進むに連れてきつくなり徐々に腿が張ってきたので、呼吸を乱さない様にゆっくりしたペースで上っていくと、前方に木立に覆われた薄暗い細道が見えてきた。

「あと少しだな」先が見えた安堵感?が脚を軽くして少しばかりスピードが上がった気がした。

薄暗い道も先に進むと陽射しで明るくなった

柏尾廃寺跡は永禄期(460年ほど前)に織田信長によって焼き払われた寺跡で、今では新明神社の境内にかって在った寺院の礎石だけが残るが、その近くには明治中頃に付近から出土した石仏を一ヵ所に集めて安置した”千体仏”がある。

静寂が辺りを包む神社の境内を抜けて木立の中を行くと、木が掃われ陽光が届く場所にそれはひっそりとあった。

神社には森閑が似合う         陽光を浴びて輝く千体仏

円錐状に並べられた石仏の数は千体余、傍らには朽ちた石仏や石塔の山もあるので実数は千数百体もの石仏がありそうだ。

一つひとつの石仏の造りは稚拙とも言えるが、その稚拙さにこそ昔の人々の深い信仰心が垣間見えて感慨無量。

しばらくの間物言わぬ石仏と対話?しながら平安な時間を過ごした。

中心の石仏には応永九年(1402年)と刻まれているという
苔生し朽ちていく石仏にはそこはかとなく漂う美がある

柏尾廃寺跡を後にして次に向かうのは”不破の滝”。

これまで2度訪ねたが、道間違い(1回目)と通行止め(2回目)で何れも滝まで行けて無いので”3度目の正直”を狙って向かうという訳。

垂井へ向かう道沿いにはコスモスが咲いていた

南宮山東麓から垂井へと走り池田山南麓まで来ると不破の滝は近い。

「今日はどうかなぁ?」チョッピリ不安が脳裡をかすめるが、ここまで来たらもう行くしかないと、それを吹っ切ってペダルを踏んだ。

集落から離れて山中へ約1km、分岐を右にとると滝への林道だが前回は無かった木片がいっぱい落ちていて状態は良くない「大丈夫かなぁ」またぞろ不安が頭をもたげた。

それでも前へと進んで通行止め箇所を過ぎると、少し道幅が広くなっておりそこがこの林道の終点だった。

不破の滝へと続く林道

山の斜面にバイクを預けて歩いて滝へと向かう。

足元が悪く足首に病を持つ小生には歩き難いがここは我慢で、少し行くと視線の先に滝が見えてきた。

「結構大きい滝だ」ようやく観られた滝に少しだけ達成感を味わう。

歩道脇の小枝越しに滝が見えた

滝に近づくとちょっと残念なものが目に入ってきた。

「これがウワサ?の発電設備か」と滝壺に設けられた大きなSUS製の水車型発電設備を見ながら呟く。

ここは私有地で滝も個人の所有物らしく、この発電設備は最近その所有者によって設置されたとのこと。

その際には町議会でも話題になり各方面から撤去の要請もあったが、それらの声は結局所有者の元に届くことは無く、そのままで現在に至っているらしい。

それにしても、伝説さえ伝わる不破の滝という観光資源を、この様な形で台無しにしてしまうこの所有者の感性には大いなる疑問を持たざるを得ない。

「世の中変わった人もいるもんだぁ」と笑って済ますには重すぎる・・・。

大きな発電設備が滝の景観を台無しにしていた
無様な設備を消してみたが・・・       秋はやっぱり水が少ない

帰路は梅谷越で池田に出て赤坂⇒神戸⇒墨俣へと走るが、車通りが多くなるので注意も必要。

「時間もあるのでゆっくり行くぞ」と急ぐ性分の自分に自制を掛けた。

      梅谷越の山道         峠を越えれば池田温泉までダウンヒル

 

 

 

 

琵琶湖日和だねぇ

 

今から十数年も前だが、仕事を辞めて暇?になったら、五街道を歩いてみようと漠然と考えていたことがある。

五街道とは、東海道中山道甲州街道日光街道奥州街道を指し、何れも日本橋を起点としているのが地方在住の小生には少し気に入らなかったが、まぁそれは江戸時代に主に整備された街道だからしょうが無い。

しかしその構想は、脚を痛めて長い距離が歩けなくなった数年後にあっけなく夢想へと変わった。

果たして、脚を痛めてなければこの夢は実現しただろうか?それは何とも解らないが、多分「東海道五十三次中山道六十九次くらいは歩き終えていたんじゃぁないか」と、ちょっと自分に甘目に思っている・・・。

 

さて今日は、旧中山道を走って琵琶湖まで行ってみることにした。

岐阜からだと河渡・美江寺・赤坂・垂井・関ヶ原・今須・柏原・醒ヶ井・番場・鳥居本の旧十宿場を走り継げば琵琶湖に至るのだが、居宅からだと走行距離は120kmを超えるので、今回は垂井まで輪行(約40km)して時間短縮(1時間ほど)をする。

垂井は中山道美濃路が分岐する追分でもある

垂井の相川水辺公園をスタートして街中を抜けると、関ヶ原までの長い(約5km)上りが始まる。

斜度は平均2%程度と緩いが、まだ身体が寝惚けている状態でいきなりはじまる長い坂なので、これが結構辛いというのが小生の偽りのない本音。

「最初からこれかぁ」と半ば呆れながら、呼吸と心拍だけは上げない様にとスピードを抑えて走った。

 

関ヶ原飛鳥時代から安土桃山時代にかけての史跡の宝庫なので、普段なら方々に寄り道して歴史の”にわか勉強”をするが、今日は時間も無いので素通り。

昔は盗賊が出没して旅人から金品を奪ったという薄暗い今須峠を、並走する東海道本線の電車を横目に見ながら越えると今須宿だ。

今須は美濃(岐阜県)の最後の宿場で、町はずれに近江(滋賀県)との国境を示す道標があり、ちょっとした旅愁気分?が味わえる。

昔は国境の溝を挟んで美濃と近江の番所があったらしい

またその近くに俳聖松尾芭蕉の句碑もあって ”野ざらし紀行” で中山道を歩いた芭蕉が、今須でも句を詠んだと知ったのは、まんざら俳句が嫌いではない小生にとっては嬉しい発見だった。

「正月も美濃と近江や閏月」実はこの句は野ざらし紀行には収められてない?

柏原は近江に入って最初の宿場で、今須から3kmほどしか離れてないことから、往時は多くの旅人の泊地として賑わったであろうことが今も残る町屋の風景から窺い知れる。

ここのJR駅は、小生が山登りを始めた若い頃に ”霊仙登山” でよく利用したので、簡素な造りの駅舎を見ると当時を思い出し懐かしさを覚えるが、多分これは過ぎ去った遠い昔への甘い追憶に過ぎないのだろう・・・。

中山道柏原宿の家並            街道に置かれた道標

スタートから1時間ほど、少しゆっくり走り過ぎたので「そろそろ気合を入れて走らなくっちゃ」とスピードを上げる。

中山道は、そのほとんどが地域住民の生活道路となっているので、絶えず後方からの車に注意して走る必要のあるR-21に較べて随分と走り易い。

風を受けると少し肌寒かった身体も内部発熱で温まってきた感じで、ペダルを漕ぐ脚も快調に回り出した。

番場宿の東端に建つ石板

醒ヶ井⇒番場と繋がる街道を順調に走ると、名神高速道と並走する山間の隘路が前方に見えてきた。

そこを過ぎて摺針峠を越えれば鳥居本で、R-8のトンネルを貫けると彦根市街になる。

 

彦根城(西の丸三重櫓)を横目に見て湖岸道路(r-25)を西へと走る。

今日の琵琶湖は風もなく視界は極めて良好。

右手に拡がる湖の風景へと時折視線を投げながら「良い日に来たなぁ」と独り呟いた。

”ビワイチ” は左回りが基本なので、湖岸道路を逆に走ると路側帯が狭くて走り辛いが、これは県立大の先でr-25と別れて右斜めに折れるまでのあと少しの辛抱だ。

 

右折れして進むこと約3km、到着したは今日の目的地の琵琶湖を望む”あのベンチ”。

琵琶湖を一望できるベストポジションにある通称 ”あのベンチ”

着いた時には車で来た女性3人組が居たが、暫くすると立ち去った(別に追い立てた訳じゃぁありません)ので、その後は独りベンチに腰を下ろしてノンビリと寛ぐ。

丁度正午で栴檀の木がベンチに陽陰を作っており、少し火照った小生の身体を冷ましてくれるかの様だ。

風は微かに吹く程度なので波頭の無い静かな湖面が眼前に広がり、対岸湖西から湖北の山並みもクッキリした輪郭で綺麗に見える。

左手は湖西方面             右手は湖北方面

正面は今津~高島辺り

「あそこが長浜であそこが海津大崎、そして今津・安曇川であの辺りが白鬚神社か」とビワイチで走ったルートを脳裡に描きながら、それを確かめる様に眼前の風景でそれをなぞる。

静かに打ち寄せるさざ波の音がわずかに耳に届いて、心地良い気分をそっと優しく包んでくれた。

 

彦根のお城(本丸天守)は遠目でしか見たことが無かったのでちょっと寄ってみることにした。

内濠を囲む道をゆっくりと一回り。

さすがに徳川譜代の重臣井伊家の居城は思いのほか大きいことは判ったが、真近で見たかった本丸天守は石垣上に繁る鬱蒼とした木々に遮られて全く見えない。

それでもかろうじて東側の庭園(楽々園)から天守の上層部分を見ることができたので、その一事に満足して帰ることにした。

世の中無理に道理(可能)を求めても詮無いこと、何事も諦めが肝要だ・・・。

木立越しにわずかに見えた彦根城の本丸天守

帰路は米原を経由して番場へと繫ぐルートを走ることにした。

このルートの方が往路よりも飛ばして行けるから、天守探しで道草した分の時間を幾分かは取り戻すことが出来そう・・・。

 

順調に走って醒ヶ井まで戻ってきた。

デポ地の相川水辺公園まで残り20km弱、予定時間内には帰着出来ると見込んだので、少し長めの休憩をとることにして休日で閉まった店先(老舗醤油屋さん)のベンチに腰を下ろした。

店先のベンチでゆっくり休憩するつもりだったが・・・

すると、しばらくしてミニベロに乗った男女6人の中高年集団が現れ、小生を取り囲む様にしてバイクを置いてから、頭越しに声高に仲間内で話を始めた。

「おいおいどう云うこと、空いたベンチは他にもあるのにどうしてここなの?」と内心思ったが、そんな表情は噯にも出さずにそっと静かに立ち、バイクに跨ってその場を後にすることにした。

小生はこの種の手合い?はどうも苦手。

それにしても、人は独りでいると慎ましやかでも、集団になると傍若無人に振舞って しまうのは何故だろう?

休憩を邪魔されて少し腹が立ったが、ペダルを一心に漕ぐ内にそれも忘れた・・・。

 

 

 

 

”そらふさがり”まで行ける?

 

会社勤めをしていた時の同僚から飲み会の誘いがあった。

COVID-19の発生から3年近くなるが、隠忍自重を強いていた世間の風潮も、最近では 様変わりしてきたので「そろそろ良いかな」という訳で、以前から続けていた”恒例の飲み会”の再開と相成った次第だ。

集まったのは現役やOBの6人。

いつもは10人ほど集まるのだが、1週間前の連絡だったので都合を付けられなかった人が何人か居たらしい。(と言うことは参加者は小生も含めて”暇人”か?)

乾杯のあとは酒を酌み交わしながら各人の近況報告。

やはり3年の月日はそれぞれの人生に何らかの変化をもたらすもので、平々凡々な生活の様でいても実は案外そうでは無い、笑いや相槌を交えながら楽しく聞かせて貰った。

会社の近況や知人の消息もこの3年で生じた情報blankを埋める貴重なpiece。

小生がE社をリタイヤして随分経つのに、今でもそこに帰属意識を持つなんて可笑しな話だが、それが長年一つの会社に勤め続けた人間の性なのかも?。

飲んで食べて話をしての楽しい2時間半はあっという間に過ぎ、久々の飲み会は定刻を少し過ぎて”お開き”「次回は年末にやりましょう」と約して帰路についた。

それにしても好い気になってちょっとビールを飲み過ぎた感じ、二日酔いにならなきゃいいけど・・・。

 

さて今日のライドでは七宗の”そらふさがり”を訪ねるが、居宅からだと往復130km超となって小生の通常のライド時間に収まらないので、輪行で関の百年公園まで行ってそこからスタートすることにした。

この輪行で50kmほど走行距離を短縮出来るので、門限?のPM3時までには何とか帰宅できる筈だ。

 

9時過ぎにスタートしてまずは関の街中を貫けて富加へと走る。

少し肌寒い気温と山越えの北風の相乗効果か?何だか走りが重い感じがするので、身体を温めようとケイデンスを上げ気味にしたら、しばらくして身体全体を包む様な疲労感が押し寄せてきた。

3年前に突然始まったこの症状だが、最近はその発症頻度が増えてきた様で、急加速や急坂で呼吸が乱れたり心拍数が上がったりすると、必ずと言っていい位に頻発する様になった。

老化による心肺機能の衰えなら仕方ないけど心臓疾患が原因ならチョット困る。

「やっぱり一度診て貰うかなぁ」と思いながらケイデンスを落とした。

 

40分ほど走っただけでまだ休憩には早すぎるが、この疲労感を治めるには一旦停まるのが最善なので「此処なら清水寺か」と近くの山寺の方向へとハンドルを切った。

清水寺は加治田山麓にある古寺(京都の清水寺と同じく坂上田村麻呂が開祖)で、その静かな佇まいが小生には好ましいところ。

持国天増長天(仏法守護四天王のうちの二天)が睨みを利かす仁王門をくぐって山中の本堂へと続く長い階段をゆっくり上がっていくと、渓流のせせらぎと木洩れ陽の微かな揺らめきが、静寂な雰囲気を醸し出して小生を心地良い気分で包んでくれる。

人影のない本堂の片隅に腰を下ろし、周りの景色をぼんやり眺めながら束の間の安息を愉しんだ。

山懐に抱かれて建つ清水寺の仁王門
増長天     仁王門を護る二天像     持国天
本堂へと続く心休まる山中の道

本堂のご本尊”十一面観世音菩薩坐像”は国指定重要文化財(御開帳は1回/年だけ)

r-80との分岐を過ぎて川浦川に沿って点在する人家が途切れると、間見峠への長い上りが始まる。

またあの”耐えられない様な疲労感”に襲われるのは嫌なので、呼吸と心拍を上げない様いつもより早めに軽いギアを選択してスローペースで上がることにした。

始めは緩い傾斜も走るに連れて徐々に斜度が上がり脚も少し張ってくるがまだ大丈夫。昼なお暗き木立茂る山道で黙々とペダルを踏んでクランクを回し続けると、視線の先に九十九折れが見えてきた。

ここまで来ると峠までは残り1/3、この先は傾斜も緩むので今のペースでいけば疲労感に襲われることなく乗り切れそうだ。

木立縫う山道を間見峠へと走る

九十九折れまで上がってくるとホッと一息つける

間見峠を越えると七宗の室兼林道分岐までの11kmほどは下り基調の道、これまで上りで失った時間を少しでも取り戻すべく快速で飛ばす。

風を切りながら走る爽快感はロードバイクの醍醐味だが、山道では角ばった石や木片、濡れた路面が走りを邪魔するので注意も必要。

「こんな所で事故ったら大変だなぁ」そんなことを考えながらも先を急いだ・・・。

 

七宗町落合でr-64と別れると”そらふさがり”まではあと少し。

「あの橋を渡れば室兼林道入口」と視線を前方に投げると何やら看板と柵らしきものが見える。

「えっもしかして・・・」不安を覚えながら近付くとやっぱり通行止めだった。

「ここまで来て通行止めかぁ」とやり切れない思いで傍にいたガードマンのおじさんに

「”そらふさがり”までだけど行けませんか?」と聞くと「橋の点検だから何とも言えないなぁ」との返事。

困った表情でいると、気の毒に思ったか?おじさんは「行けるとこまで行ってダメなら戻ってきてください」と先に進むのを許してくれた。

「有難う助かります」おじさんに感謝の言葉を告げて室兼林道に乗り入れた。

室兼林道を奥に詰めたところに ”そらふさがり” がある

林道を1.7kmほど進むが橋の点検をしている様子が無いので「これは ”そらふさがり”  までいけるかも」と希望的に思った矢先、目の前に道路を塞ぐ工事車両が現れた。

「ここまでかぁ、あと200mも無いのに・・・」呆然自失の体で工事車両を眺めていると、眼前に停まっていたバンから若い現場監督が降りてきて「申し訳ないけど行けないんです」と小生に告げた。

「仕方ない帰るか」とバイクを反転させようとすると、思いがけなく「自転車ではダメだけど歩いてなら良いですよ」と呼びかける声が聞こえてきた。

何という幸運だろう、ガードマンだけでなく若い現場監督までもが先に進むのを許してくれるとは。

早速路傍の窪みにバイクを預け、現場監督と作業員の面々に「有難う」と伝えてから、人の親切に感謝しつつ”そらふさがり”へと向かった。

工事車両の脇を通り抜けて”そらふさがり”へと向かう

岩壁が空を塞ぐ様に迫り出している事から”そらふさがり”と名付けられた隘路
昼なお暗い”そらふさがり”           道脇には清澄な渓流が

帰路はr-58をメインに走ることにした。

此処から北条峠までは多少updownがあるが、峠から先は中之保まで長い下り道が続くのでどうしてもだらける帰路の走りには助かる。

路面状態はそこそこ良いので快調に飛ばすとあっという間(単にそんな気がしただけで実際はそれなりの時間がかかった)に”道の駅平成”に到着。

トイレ休憩しようと最近結構ある様になったサイクルラックを探すが、見る限り何処にも無い・・・と思ったら観光案内所らしき建物の裏に隠す様にしてそれはあった。

「こんな所じゃ誰も使わないよぉ」と思わず不満が漏れる。

現に先着していたローディー2人はバイクを売店建物の石垣に立てかけていた。

折角用意した設備なんだから置き場をもっと考えて欲しいもんだ・・・。

サイクルラックは使える場所にあってこそ重宝するんだけど・・・

デポ地の百年公園まであと20kmほどでゆっくり走っても1時間とはかからない。

r-58は車(特にトラック)の通行量が多いので津保川対岸の抜け道を走る方が安全。

ちょっと時間はかかるが身を守るのを優先して走路を変えることにした・・・。

 

 

 

  

やっぱ急坂はダメだぁ

 

先日のこと。

チョット遠めのところを走ってみようとデポ地まで輪行し、バイクを組んで走り出したまでは良かったが、50mも行かない内に後輪のスプロケットが空転して危うくコケそうになった。

「え!なに?」とバイクを降りて点検してみると、後輪のスルーアクスルの締め付けが弱かったので「これが原因か!」と判断して増し締めしてから再スタート。

ところが200mほど走るとまたスプロケットが空転した。

「ええっ!?これは別に原因があるぞぉ」と今度はバイクをひっくり返してギア操作をしながらクランクを前・後転させて調べていると、突然前転時にスプロケットが空回りしだした。

それからは前・後転を繰り返しても後輪の動きは正常に戻らず、スプロケットは空回りするばかりで、ようやく原因は後輪ハブのラチェット機構の故障にあると理解した。

「なんてこったぁこれじゃ走れない」とライドはそこで断念したが、数10kmを走った先でのトラブル発生じゃ無かったのは不幸中の幸いだった。(だって帰ってくるの大変だからね)

 

居宅で後輪ハブのラチェット部を抜き出して状態を見ると、ラチェット機構の爪を本体に留めるワイヤーが何ヵ所か変形しており、それが原因で爪がラチェットに上手く引っ掛からなくなっているのが判った。

「よし、これなら簡単に修理出来そうだな」とホッと胸を撫で下ろしてひと安心。

一時はハブ交換を覚悟したが、その場合はスポークの抜き差しや芯出しテンション調整などで大変な作業になるので、それが避けられたのは「助かったぁ」の一声で片付けてしまうには軽すぎる。

ハブからスプロケットごとラチェット部を抜いて爪とワイヤーを修理した

ロードバイクに乗っていると色んな故障に見舞われるが、それは初期調整から定期的なメンテナンスまで自前でする小生の様なボッチローディーには宿命の様なもの。

それでも、ライド中の応急処置で間に合わない様な致命的な故障は困るので「叶うならこれからも起きません様に」と神様に祈るしかない・・・。

 

さて今日は、以前You Tubeで誰か?が紹介していたルート(の一部)を走ってみる事にした。

行先は美濃加茂から上之保にかけての山間部で、今まで一度も通った事の無い道も含まれるが、そういう道はGoogle Mapのストリートビューを観ながら予習済みなので迷う心配はまず無い。(多分だけどネ)

 

岐阜から関へは長良川津保川と川沿いを行く既知の道で、秋らしい青空の下を気持ちよく走ってきた。

風は西寄りの弱い追い風、これが帰路では向かい風になるが「このままなら大丈夫」と数刻先の不安を打ち消す様に独り呟きながら黙々とクランクを回す。

富加からはr-97を更に東へと辿るがこの道は車の通行が少なく自転車には走り易い道。

左右に田園の拡がる山間の道を行けば、徐々に緊張感からも解放されて穏やかな気分に心?が満たされていく。

「こういう道好きだなぁ」誰に言うともなく声が口から漏れた。

 

美濃加茂の岩場”と通称されている岩山が道を挟んで対峙する所でチョット一休み。

それぞれの岩山を見上げると、高度差が100m以上はありそうな岩壁がすごい存在感で迫ってくる。

ライミング愛好者の間では有名らしい高木山の扇谷岩壁

こちらの岩壁は扇谷岩壁より更に高度差があり ”まさに絶壁”

「クライミングしている人がいるかな?」と探したがどうも居無さそうで、ほんの少しだけガッカリ。

小生は山登りは好きだが岩登りは苦手(自慢じゃないけど中程度の高所恐怖症)だったのでロッククライミングする人をつい羨望の眼で見てしまう。

人間は自分の出来ないことには”あこがれ”を持ってしまう弱い存在ということだ。

 

r-97と別れてr-80へ進路をとると道は更に山の中へ。

しばらく走って出会った目の前の”どこか懐かしい風景”に、子供の頃にバスに揺られて行った八百津の山奥の、母の在所の風景がオーバーラップする。

遠い記憶の懐かしい風景を眼にして郷愁が呼び覚まされた

あの優しかった祖母が、斜面の桑畑から静かに微笑んでこっちを見ている様な気がしたのは単なる追憶に過ぎないか・・・。

 

細い山道を喘ぎながら上って所々が苔むした坂を慎重に下ると、陽が射さず昼なお暗い場所にそれはあった。

乳岩神社は昼なお暗い山道の途中に忽然と現れる

”乳岩神社”とは何ともユニークな名だが、その御神体は乳房の形をした鍾乳石で、女性の”お乳の病”にご利益があるらしい。

苔むした急な石段を上がり窪んだ岩肌に近付いてみると、上から2つの紡錘状の鍾乳石が垂れており、その先端からは時折水滴が滴っていた。

空腹で泣く赤子にその水滴を含ませると泣き止んだという謂れのご神体

「なるほど確かに乳岩だな」と不躾ながら触ってみると乳房の表面は”しっとり”と濡れており幾分冷たかった。

”信じる者は救われる”例えそれがプラセボ効果でも、結果がオーライならそれはそれで良いのかも・・・。

 

次に向かったのは”日龍峯寺”でこれまで何度か訪ねているが、せっかく近くを通るので寄っていくことにした。

この寺は山の中腹にあっていつもは南からの道を上がるが、今日は初めて東からの道を上がる。

南に較べ東からは距離が短い分急坂となるので、坂が嫌いな小生にはその点がチョット気懸りだったが、その心配は杞憂に終わらず道の中ほどからは12~14%が600m近くも続いて息が上がり、堪らず脚を着いてギブアップ「やっぱりこの道はダメだぁ」と後悔した。

 

疲れた脚と身体を癒す様にユックリと境内をめぐる。

鐘楼⇒多宝塔⇒本堂と幾百年もの風雪を経て古色蒼然とした美を醸す仏閣を独り静かに観ていくと、やけに気分が落ち着くのはそのロケーションの賜物か?

    重厚な造りの鐘楼         尼将軍北条政子が寄進した多宝塔 

美濃の清水とも称される舞台造りの本堂

それにしても境内ではカメラを携えた同年代の男性1人に会って挨拶しただけ、駐車場には車が4台あったがみんなどこへ行ってしまったの?

まぁ他人の行動は小生には関わりないことなので詮索するのは止めにしておこう。

仁王門は本堂から階段を300段下ったところにある

仁王門に寄り道したあと時計を見るともう12時半近くでそろそろ帰る時間だ。

帰路は美濃経由のつもりだったが、少し身体全体に疲労がある感じなので、距離の短い関経由に変更することにした。

関を経由すると街中を通るのでその分時間がかかるのはしょうがないが、多分居宅への帰着時刻は同じ様なもんだろう・・・。