風を道連れに

☆あるボッチローディーの独り言☆

時は移ろい

 

琵琶湖絶景スポットの一つである白髭神社の ”湖面に立つ鳥居” が、以前の様に間近で 見られなくなった様だ。

それは神社側から国道(R161)を渡って湖側に行く人を規制するための防護柵が設けられたためで、これにより今まで湖際に僅かにあったスペースにも立ち入れなくなり、仮に湖側から件の絶景を眺めようとすれば、狭い路側帯に身を置くしかなくこれは非常に危険な行為となる。

”ビワイチ” をしたローディーなら良く解ると思うが、高島から小松にかけての湖岸を 走る5kmほどは、ビワイチルートの中で一番身の危険を感じる所で、小生などは直近を高速(7~80km/hr)で走り抜ける車に怯えながら、60cmほどしかない狭い路側帯からはみ出さない様に注意して必死になって駆け抜けるのが常だ。

そんな訳だから湖面に立つ鳥居を停まってゆっくり眺めたのは初ビワイチの時だけで、2回目以降は走りながらチラ見して通り過ぎるだけ。

まぁ絶景より身の安全だからやむを得ないが、何とも味気ないと云えば然りである。

 

それにしても昨年は1度も琵琶湖へ脚を向けなかったから、もう1年半ほどのご無沙汰である。

新緑の映える時期を迎えたら、奥琵琶湖辺りを巡りながらマキノのメタセコイア並木を観に行ってみるかなぁ・・・。

新緑のメタセコイヤ並木(image)

さて今日は木々の芽吹きに季節を感ずるべく、山手方面へと向かってみることにした。

行先はとりあえず伊自良としたが、岐阜市北東部の山辺を気の向く儘に走るつもりだ。

 

まずは百々ヶ峰山麓の「今尾池を訪ねてみるか」と思い立って、長良川沿いを上流方向へ辿る。

穏やかな陽光が降る中を軽快にクランクを回して進めば、同様に軽くなった気分が眼に入る景色を一層美しいものへと変えてくれる様な気がする。

花粉対策のマスクが不要になり息苦しさから解放されたので、胸いっぱいに新鮮な空気を吸い込むことが出来る。

ほんの細やかな幸せだが、何だかチョッピリ嬉しくなった・・・。

 

鵜飼い大橋を渡って雄総へと向かう道すがら河川敷に眼をやると人だかりがあった。

多数のテントもあって何かのイベントの様だが何だろう?こうして大勢が集まれる様になったのは良いことだが、あのCOVID-19の惨禍を思うとまだ手放しで喜べない自分がそこに居る。

人の集まる催しも多くなった昨今だが・・・

松尾池は百々ヶ峰の登山口にあるのでこれまで何度も訪れている。

昔は池畔に建つ合掌造りの家が、背景を成す山と共に池面に映って美しい景観を見せていたが、数年前に屋根が倒壊して”その美”は失われてしまった。

今は「どんな風になったかな?」と期待しつつ山道を奥へと上ったが、何と池は工事で水が枯れて”スッカラカン”無残に池底を露わにしていた。

「なんてこった」期待を裏切られて茫然自失した後、「折角来たのに・・・」と工事を恨みつつ来た道を引き返した。

 

百々ヶ峰から城ヶ峰へと続く山の麓を伝う様に走って安食へと向かう。

街並みが途切れると辺りは里山の風景に変わるので、妙に気分が休まると思うのは小生の嗜好の故か?

岐阜に住む良さはこんなところで、少し脚を延ばすだけで豊かな自然が眼の前に拡がると云うのは、大都会に住んでいては味わえない贅沢だ。

行く手の奥に垣間見える、奥美濃山地へと続く重層する青い山並みが実に美しく、そこに向かう感じでバイクのスピードを1段上げた。

風を切って進む身体の感覚が気持ちいい・・・。

田園風景を貫いて道は伊自良へと延びる

伊自良の集落を抜けて釜ヶ谷山の懐に抱かれた伊自良湖へと走る。

周りの若芽色に変わった山々の表情が、芽吹きの喜びを体現している様で癒される。

一方、道沿いの桜は既に散り始めて葉ザクラとなっていたが、道の奥まったところの桜(ヒガンザクラ?)は今が満開、ソメイヨシノより少し濃いピンクの花を眺めながら、行く春をチョッピリだけ惜しんだ。

伊自良の里で行く春を惜しむ

長閑な雰囲気に包まれた伊自良湖畔を散策して20分ほど遊び「さて帰るか」と独り言。

帰路は雛倉経由と決めていたが、何だか気怠い感じもあるので途中で”心変わり”するかも知れないなぁ・・・。

途中で菜の花に埋もれて一休み       何とか雛倉経由で帰ってきた