風を道連れに

☆あるボッチローディーの独り言☆

春の兆しに

 

自治会役員の順番が回ってきて会長職を務めることになってしまった。

この職は今回が2度目で、20数年前にやった時は会社勤めしていたため少し手を抜いたきらいがあるが、今では年中休日の身なので、以前よりましにその職務をこなすことができるかも知れない?

 

自治会については、少子高齢化や価値観の多様化という時代の流れを受けて、その存立が岐路にあると言われているが、小生の住む地域ではまだその様な問題意識は人々の間に顕在化してはいない様だ。

しかし、自治会員の高齢化による役員の担い手不足や加入者の減少傾向と云った問題点は我が自治会にもあり、早晩「今後自治会をどうするか」と云った根本の議論が必要になってくる可能性は高いと言える。

 

自治会は地域の問題解決や住民の融和を図る任意の活動団体であるが、その活動内容には行政の下請け的なもの(広報誌配布、地域清掃、ゴミ置き場管理etc)も多く含まれるので、自治会がなくなるとそれを誰が担うのかという問題が発生する。

「行政の仕事は行政に」と云うことで片付けばよいが、事はそう単純にはいかない筈だから、もしそんな時が来たら大変なことになるのは請け合いだ。

将来に備えて今から少しづつ準備しておく必要があるかもなぁ?・・・。

 

アサーションの時代だから自治会に入りたがらない人もいる。

非加入あるいは自治会から脱会した人に対してよく言われるのが”負担の不公平性”で、加入者が義務的に分担する事柄(自治会費や雑務等)を、非加入者は何ら負担することなくその「果実だけを享受する」との不満が一部の加入者にあるのは確かだ。

それに対して金銭的分担を求める声もあるが、それは果たして是か非か?悩ましい問題ではある。

 

お金に関して言えば、自治会費の使い方にも色々と問題がありそうだ?

自治会費として集めたお金が自治会内で使われるだけなら差し障り無いが、その大きな部分が自治会連合会への上納金とか消防団後援会費とか、自治会がその使途に直接関われないところで任意に使われているとしたらそれはそれでまた問題。

 

かくして問題は山積?と云ったところだが、まぁそれはそれとして、この4月から2年間は自治会長としての職務に少し力を注いでみますか・・・。

 

 

さて今日は久し振りの好天に恵まれたので、長良川左岸河川敷の管理道路を「ノンビリ走ってみよう」と出掛けることにした。

飛びだした花粉のせいで眼はマッタリ鼻はグスグスするので、それを少しでも防ごうとサングラスとマスク+フェイスマスクで顔面を覆う重装備は、ちょっと息苦しいがまぁ仕方がないかぁ。 

 

長良川の堤防に出ると法面の枯れ草が緩い西風に靡いており、それを見ながら「走りを邪魔するほどでは無いな」と少し安心。

フェイスマスクを下げて呼気で蒸された顔面を外気に曝すと、その肌の涼感がみるみる気分を刷新してくれる気がする。

「よし行くぞ」とアプローチを下って管理道路へと乗り出した。

河川管理道路は一般車両進入禁止なので自転車天国も同然

冬の河川敷は殺風景で眼を楽しませてくれるものはあまり無い。

脚を慣らそうと少し高いケイデンスでクランクを回しつつ、前方に視線固定して走っていたら、いきなり若者ローディーに抜かれたのでちょっとビックリ、全くのNo Careで後から迫ってきてるのに気付きもしなかった。

「どこへ行くんだろ?」とスピードを上げて追走してみたが、相手は若者で脚力の差は歴然、どんどん離されていくので「こんなんで体力消耗してもな」としばらくして追うのを止めた。

歳をとるにつれて「諦めるまでの時間もどんどん短くなってくなぁ」と独り淋しく嗤うしかなかった。

 

長良大橋を過ぎて小熊町辺りまで走って来たところ、路傍でからし菜の黄色い花が風に揺れていた。

桜の開花時期には黄色絨毯の如く美しく群生するこの花も、まだ数株しかなく見るからに淋しいが、春が予想外の速さで近づいていることの揺るぎない証拠には違いない。

例年4月頃まで雪が残る伊吹山も、今年は2月末を待たずにほゞ消えてしまった。

こんなことはあまり無いだけに、これは最近の気象の異常さを際立たせる事象の一つと言えるんじゃないかと思う・・・。

   路傍には数株の芥子菜が       雪が解けた伊吹山はどこか寂し気

車の走らない河川敷の管理道路は謂わば幅広のサイクリングロード、その障害物の無い走路でクランクを軽快に回し続けると、徐々にスピードが上って既に28km/hrほど。

この辺りの速度で巡航するのが小生の脚力には合っている様で、UP Downの無い平坦路なら何処までも走り続けられそうな気がする。

平坦な直線路はスピードも乗って至極快適(羽島市堀津付近)

福寿町から堀津町⇒桑原町と走って管理道路終点の防災船着広場で一休み。

ジャケットのジッパーを少し下げて外気を入れると、此処までの走りで僅かに汗ばんだ上半身が冷やされて心地良く感じられる。

バイクのトップチューブに腰掛けながら見慣れた景色に視線を投げるが、特段変わったことは無くただ静かに時間が流れていくだけ。

目を瞑って耳を澄ますと、川面を渡る風音に交じって対岸を走るトラックのエンジン音が、辺りの静寂を破って響いていた・・・。

 

「さて此処からどう走ろうか?」としばらく考えた末、橋を渡って”おちょぼさん”へと向かうことにした。

と言っても不信心な小生だから、千代保稲荷に参拝するわけじゃなくて単にその界隈を走り抜けるだけのこと。

其処から”安八百梅園”へと走り”墨俣城”を経て岐阜に至る復路の走行ルートを頭に描いたので、それに従ってまずはおちょぼさんという訳だ。

河川管理道路を離れて堤防を南濃大橋へと向かう

おちょぼさん参道の賑わいも安八百梅園の盛りの梅も、バイクで走りながら眺めただけで素通りして一気に墨俣まで帰ってきた。

今日は、此処迄で普段の走行距離の6割ほどにしかならず脚の疲れはほゞ無し。

おまけに帰路は風を左背後に受けて”楽ちん走行”だったので、「もうちょっと走っても良いかな」と思うが、一方で花粉を吸って鼻はグスグス状態なので「もう帰ろうよ」と影の声は言ってる。

「そうだな帰るとするか」と独り言。

この先の長良大橋を渡れば居宅まではあと少しだ・・・。

墨俣一夜城を眺めながらラスト休憩



 

 

 

 

 

もうすぐ春ですねぇ

 

歳をとると月日の流れは速く感じられ、ついこの前に新年を祝ったばかりなのに暦ではもう”雨水”。

確かにこのところの暖かさで伊吹山や奥揖斐の山々も、雪がまだらに解けて山襞の陰影が目立つ様になってきたので、陽気は確実に春のそれへと変わってきていると思える。

安八百梅園のしだれ梅も満開

春が近づいて山の木々が眠りから目覚める様になると、気懸りになるのは花粉(小生の場合はスギ花粉)の飛散だ。

40年近くもこの時期に始まる花粉症に悩まされていると、大体の対処方法は心得ているので大事?になることは無いが、それでも鼻汁や目のかゆみ等の諸症状やそれを避けるための外出自粛は、煩わしさと焦燥感が募る”迷惑千万”なことと言えなくもない。

 

花粉症と身体の免疫機能は密接に関係しており、その免疫系の過剰反応の強弱が花粉症の症状を決めているらしいので、そろそろ年齢相応に免疫の方も機能低下してくれれば助かると思ったりするが、そうは問屋が卸さないのがこの世の常。

しかしまぁ、免疫系はガン細胞の増殖を防ぐことで、各種癌が発症しない様にする役割も担っているので、免疫機能が衰えるのを不見識に願うのは”とんだお門違い”かも知れないが・・・。

 

小生が子供の頃は、2月と云えば辺りの景色はまだ冬の装いだった。

小学校への道すがら、水溜りに張った薄氷を足で砕きながら歩いた情景が、今でも脳裏にありありと浮かぶが、近頃ではそんな薄氷はおろか霜柱さえあまり見かけなくなり、暖かい冬が多くなったと実感する。  

 

地球の温暖化は、気候変動の主要因となって我々の生活(だけじゃなく生物相全体)に深刻な影響を及ぼしているが、最近各地で頻発している巨大地震も、温暖化が影響しているという説(真偽のほどは不明)を唱える学者もいる。

いずれにしても”カーボンゼロ”は喫緊に対処すべき目標なのだが、その課題達成に重要な位置を占める米国では、将来への展望を致命的に欠く”あの男”が、今年の大統領選で再選を覗う勢いだという。

エントロピー増大は絶対真理とはいえ、世界の混沌さはいよいよ増すばかりだ・・・。

 

 

さて今日は風の穏やかな暖かい日なので「川沿いを走るのも気持ち良いかな」と木曽川を上流へと辿り犬山辺りまで走ってみることにした。

 

雑用を片付けていたら遅めの出発になってしまったので、いつもの羽島経由の遠回りは止めにして笠松木曽川橋へと向かう。

これで30分弱の短縮になるから、出発が遅れたことに対する”気分的焦り”から解放さて気持ち良く走ることができる筈。

4㎞ほど走って脚が慣れた頃合い、幅広の直線路でスピードを上げて身体の具合を確認するが特に問題はなさそうで、出掛けに感じた脚の重さはどうやら錯覚だった様だ。

笠松湊公園から改めて出発

木曽川橋を渡って左岸の木曽川サイクリングロードへと向かうが、そこにはローディーや散策する人達の姿は見当たらない。

実は休日には数多く見かけるこれらの人達も、(特に冬の)平日は随分少なくなるので小生が此処を走るのは主に平日、誰気兼ねなく走れるのが小生には好いのだ。

軽快にクランクを回しながら独り走路を走っていくと、前方に広がる景色が追い風?の様に背中を押してくれる気がする。

次第にスピードが乗ってきて「あぁ実にいい気分だぁ・・・」

木曽川CR(一宮市北方付近)           138タワー   

木曽川CR(すいとぴあ江南付近)

扶桑緑地公園でサイクリングロードから外れると、其処から犬山までは車通りの多い r-183を行くが、路側帯が狭い(50cmも無い)ので ”肝が縮む” 思いで必死?になって 走らなければならない。

「こんな道は嫌だぁ」とぼやきながら走り続けると、左手奥にようやく犬山城が見えてきた。

やれやれあと少しでこの地獄道ともお別れだ・・・。

犬山城木曽川対岸の鵜沼の町並み

ライン大橋を渡って向かったのは各務原パークウェイ。

中山道沿いに並ぶ鵜沼宿の町屋街を軽く流した後、大安寺川に沿って北に走って山際に至ると其処からが山登りの始まりだ。

始めは緩い傾斜坂が長々と続くが、1kmほども走ると徐々に傾斜が増してヒルクライムらしくなり、日乃出不動尊の幟がはためく辺りまで来ると斜度も12%を超えてクランクを回すのがちょっと辛くなってきた。

此処から先の1kmがこの走路の正念場なので、リアギアを最大の32T(ギア比1.063)に落としてノロノロと登る。

小生の場合、呼吸を荒げると”劇症疲労”が全身を襲ってくるので、そこに細心の注意を払いつつ我慢の登行を続けると、やがて視線の先に迫間不動への分岐が見えてきた。

 上るに連れて斜度がキツクなる      迫間不動への分岐(今日はパス)

迫間不動への寄り道は敬遠して、そのまま苧ヶ瀬への下りルートにハンドルを向ける。

しばらくは小刻みなハンプがある九十九折れが続くので走り難いが、その先には木立の中を快適に下るWinding Rordが待っているのでそれまでの辛抱。

それにしてもこのハンプが生む衝撃はバイクには結構強め、心配性の小生はいつもリム打ちパンクしないかと取り越し苦労する。

ハンプが走りを妨げる下り道

下りは2.5kmほど続くので、スピードの出し過ぎに注意しながらも快走して街に下りると各務原パークウェイのヒルクライムは終了だ。

苦手な山登りを無事に終えたので、ちょっとした”達成感”に浸りながら苧ヶ瀬池の方へと向かった。


各務原台地を南に走って木曽川まで戻ると、此処からは右岸沿いのサイクリングロードが走路で、車との並走から解放された安堵感に浸りながらのんびりとペダルを漕ぐ。

こんな時に口をついて出るのは鼻歌、行き交う人影も無いのでちょっとだけ大きめに声を出して歌ってみた。(少し音痴になったかな?)

木曽川右岸CR(笠松町円城寺付近)

笠松近くまで帰ってきたところで背中のポケットに入れた携帯の電話が鳴った。

友人からで、「Mも誘って久し振り(半年?)に会おう」と言うので「いつもの喫茶店で1時間後に」と約束。

ゆっくりしている時間は無い、急いで帰らなくっちゃ・・・。

 

 

 

 

 

 

嘘に騙されるな

 

母がディサービスに行っている時に通販会社から電話があった。

母の名をあげて在宅か尋ねるので、どうせ売込みだろうと「今不在です」と伝えると、しつこく何時に帰るかと聞くので、面倒に思って「旅行に出かけてます」と嘘返事。

ところがその用件は、通販商品に関して前日母が問い合わせた内容の確認だった様で、仕方なくまた後日に連絡を貰えるように伝えて電話を切った。

 

それは兎も角として、高齢の母はディサービスに週3で通う以外は、趣味である刺繡(とうたた寝)をしながら日がな一日 TV番組を視聴しているのだが、そのTV(特にBS放送)ではやたらと通販商品の広告が流されているのは周知の通り。

あれだけ頻繁に商品広告が流されれば、それに感化されて「買ってみるか」と思う人が居る(それが通販会社の狙いだが)のは当然で、母も御多分に漏れずTVで流れる商品を次から次へと買っていると云う次第だ。

 

平日の日中にTVを視聴するのは主に主婦や中高年齢層なので、これらの人達の関心が高い美容や健康関連の広告が頻繁に喧伝されるのはやむを得ないが、小生が「それってどうなの?」と疑問に思うのはその内容だ。

例えば「シミが消えた」とか「毛が生えてきた」と宣伝しているが、肌のシミみたいな皮下組織に沈着したメラニン色素は、クリニックでのレーザー治療などで除去しないと無くならないし、脱毛症や薄毛は進行性のため、専門医による原因特定と継続的な投薬治療をしないと、毛母細胞が無くなる(そうなるともう毛は生えない)可能性が高いと言われている。

 

また多くの人達が悩む脚関節の痛みや歩行障害も「これを飲めば治る改善する」と薬剤やサプリメントを宣伝するが、果たしてそれらのものに諸症状を劇的に治すor和らげる薬理作用があるのかどうか?

通販で売られる薬は主に”第3類医薬品”で、これは”薬効は低いが副作用リスクも小さい”薬剤に分類されるし、サプリメントに至っては”クスリ”ではなく”食品”であることを忘れてはいけない。

(もしこれらが本当に効けば小生の人工関節置換手術もしないで済んだのにね)

 

要は通販で売られる物の中には、景品表示法で禁止されている誇大広告(優良誤認表示)に触れる恐れのある商品が少なからずあると云うことだ。

fakeはSNSの専売特許ではなく日常のいたる所に溢れていると思った方がいい。

賢明な我々?はファクトチェックに心して嘘に騙されない様にしたいもんだ・・・。

 

 

さて今日は「養老辺りを気儘に走ってみるか」と思って居宅を出たのだが、少し開けた場所で西方を覗うと、なんと養老から関ケ原にかけての山裾が雪雲で煙っていた。

如何にも寒そうな景色に「こりゃ拙いなぁ」と、バイクを停めて急遽行先の変更を検討したのは言うまでもない。

そして決めた行先は”金華山ドライブウェイ”で、ヒルクライム嫌いの小生が久し振りに山登りに挑戦する(ちょっと大袈裟)と云うもの。

 

金華山に登る時は大概岐阜公園口から入るが、今日は趣向を変えて岩戸公園口から入ることにして、まずは市街を走り金華山南東麓へと向かう。

市街を行く時は大通りを走らない(車と並走は危険だし頻繁な信号停止もイヤ)と云うのが小生の鉄則で、頭に描いた大まかな地図を参照しながら、この道の先はあの道へと裏道を繋いでいくのも結構愉しい。

岩戸公園口から金華山ヒルクライムを始める

金華山は標高329mの低山なので中高年ハイカーの手頃な登山対象の山。

そのハイカー達も途中まではドライブウェイを歩くので、バイクで横を追い越すと偶に「がんばって」と声をかけてくれる。

それに手を挙げて「ありがとう」と応え、元気を貰った感じで少しスピードを上げるのだが、ここで無理をすると後で脚に効いてくるので自制することが肝要。

「まだ始まったばかりだしね」と呟いてクランクを廻す脚の力を少し緩めた。

 

このドライブウェイの平均斜度は5%に満たないが、最大斜度が12%になる所が何ヵ処かある。

それらを何とか過ぎると徐々に脚が張ってクランクを廻すのが辛くなってきた。

はぁはぁと呼吸を荒げながらゆっくり走っていると、いきなり後ろから来た若いヒルクライマーに抜かれた。

「速いなぁ」と遠去かる後姿を眼で追うが、平地走りをこよなく愛する小生には、後を追う脚力も気力もないのは明らか。

ただ「あの若さが欲しいなぁ」とだけ叶わぬ願望ながら静かに想った。

この先で若者クライマーに抜かれた     ドライブウェイからの金華山近望

最高地点をやっとの思いで越えて少し下ると視界の広がる展望台。

ヒルクライマーの多くは此処を素通りするが、軟弱な小生は疲れた脚を労わるべく休憩をとることにしている。

展望台のテラスから今朝向かう予定だった養老方面を望むと、雪雲は少し薄れた様だが山上辺りはまだそれに濃く覆われていた。

「やっぱり行かなくて正解だったな」と自分の決断を自ら弁護してその可笑しさに少し嗤ったが、それを見ている者は何処にも居なかった。

ドライブウェイ途中にある展望台でちょっと一休み
南(名古屋方面)  展望台からの眺望   西(関ケ原方面)

坂を下って岐阜公園口から街へ出るとヒルクライムは終わり。

何事もなく完走できたことに内心で満足感を覚えながら、次に向かうのは長良川河川敷の管理道路。

金華山ドライブウェイヒルクライムしただけで帰る訳にはいかないので、管理道路を30㎞ほど走るのは当初から決まっていた行動だ。

長良川畔より金華山を振り返る          忠節橋へと向かう  

忠節橋の下手で河川管理道路に下り、此処から下流に向かって15km羽島大橋辺りまで走って折り返すのがこれからのルート。

この道は原則一般車両進入不可なので、車に邪魔されることなく長い距離を走れるのが有難い。

多少のUp Downはあるが、ほゞ平坦な走路を行くのは快適そのもので、先刻までの喘ぎながら坂を上っていた苦しさは嘘の出来事だった様でもある。

走路を独り占めして軽快に走る(長良川河川管理道路)

少し強めに吹く西風に抗いながら走っていると、徐々に脚に疲れが溜まってきてペダルを漕ぐ力が無くなってきた。

快調に思えた脚力もどうやら錯覚で、ヒルクライムで蓄積した疲労がここに来て正体を現したのかも知れない?

「どうするかなぁ」「あと少し頑張ってみるかぁ」自身の弱気と葛藤しながら走り続けたが、結局は長良大橋で先行を断念して折り返すことにした。 

まぁこれが小生の今の”体力気力”と云うことで納得するしかない・・・。

 

 

 

 

 

 

多様性こそ

 

ミス日本コンテストのグランプリに、ウクライナ出身の女性が選ばれたことが”物議”を呼んでるらしい。

この女性は2022年に帰化して現在日本国籍を持っているが、両親は共にウクライナ人であり ”民族的に0%の日本人” であることが、一部の人達には ”日本らしさ” に欠ける日本代表と映って、それがどうも「気に喰わない」と云うことの様だ。

 

ここには”日本人とは何を指すのか?”と云う根本的な問いがある。

今回これを問題視した人達は、日本或いは日本人は元来単一民族から成り、その他民族の混在しない貴種性こそ誇りと思っている節があるが、実はこれは大きな誤りで、その実相としては、古来より日本は渡来人と土着人が混在する多民族国家であったことが、各時代の考古学的調査や日本人のDNA調査から明らかになっている。

要は、縄文人弥生人或いはその後大陸等から渡ってきた帰化人、そしてそれらの人達の混血の全てが、今の日本人を形作っている云うことだ。

島国という地理的な不利にも関わらず、世界の潮流にさして遅れずに文化的水準を維持出来たのは、単一民族としての日本人が優れていたのではなく、日本が他国から多くの人々が流入する多民族国家であったればこそで、それに感謝こそすれ卑下する理由など何もない。

(それを考えると、今の日本政府の難民政策や外国人の雇用政策は、亡国推進の愚策と言っても過言ではない)

 

”日本らしさ” と云う曖昧な概念にしても、それを日本人(or 東アジア系)の顔立ちや 容姿という限られた視点で捉えている様だが、言わずと知れた多民族国家である米国や欧州で今回のミスコンをめぐる物議が話題になったとしたら、彼らは日本に対してどの様な印象を持つだろう?

仮に米国のミスコンでプエルトリコ人(米国の属州で美人が多い)の女性がグランプリに選ばれても、米国では「アメリカ人じゃない」と物議を醸すことは多分無い(米国籍を持てばインド系も日本系もロシア系も全てアメリカ人)だろうから、日本では出自で人を区分する人種差別?が広がっていると思うかも知れない。

 

また ”日本らしさ” をその風土に根ざす文化と読み替えても、そういうものは時の流れと共に変る(人々の生活環境や生きざまが違ってくる)のが必然で、江戸時代の人が思う(としたらだが)日本らしさと明治時代の人が思う日本らしさは多分異なる筈だ。

だとすれば当然、昭和と令和で30年も時を経れば、人々の考え方やモノの見方も変わるので、その変貌が道理の ”日本らしさ” を、百年一日の如くに変わらないものとして古い日本人像を押し付ける無粋は、そろそろ捨て去って然るべきではないか?

 

ダイバーシティが重視・標榜される今日、多様な人種・性・思想 etc が共存する社会を認める勇気を我々(小生自身も含めて)は是非とも持ちたいもんだ・・・。

 

 

さて今日は、日中の気温が12℃近くまで上がる過ごし易い日になると天気予報が告げているので、久々に長良川を遡って美濃辺りまで走ってみることにした。

 

いつもの様に長良川に出て河川敷の管理道路を走る。

出掛けは少し寒かったが、此処までの4kmほどで身体の慣れと内部発熱により大分寒さが遠ざかってきたのでちょっと安心。

数日前の降雪の名残で濃尾平野北西縁の山並みは浅く雪化粧しているが、行く手の美濃方面の山には見たところその白色は無いようだ。

雪のある道や一部凍結した陰道を恐々として走るのは嫌なので、ここでもちょっとだけ安心した。

今日もライド日和、まずは金華山の向こうへ

金華山長良川に挟まれた納涼台の細道(日陰で寒い)を急いで駆け抜け、陽光の射す有難さを身体に感じながら千鳥橋まで走って来た。

冬の長良川は水量も少なく、静かに流れる水面が凛とした風情を醸しており、その清冽さが、少し緩んだ小生の気分を引き締めてくれる。

川には色々な表情があるが、冬の昼間の”束の間の穏やかさ”も好いと思う。

川下(岐阜方面)  千鳥橋からの眺望  川上(関・美濃方面)

芥見から千疋橋までは今川(長良川分流)に沿って行く。

広く視界が開けた道なので、上体を起こして遠方の景色を見ながら快適な速度(小生の場合は24~5km/h)で走ると気分も爽快になる。

正面の奥美濃山地へと続く重層する山並みが綺麗だし、西方の冠雪した奥揖斐の山々も美しく目に映る・・・。

遠くの雪山を眺めながら「むかし子供を連れてスキーに行ったなぁ」と30年近くも前のことを俄かに思い出して独り言を呟いたが、そんな物思いに耽っても差し障りないのがこの道の良いところだ。

 

千疋からは峠越えの裏道を走って美濃を目指すのが定番のルート。

2つの峠は標高は低くどうってことは無いが、この時期は下りの日陰で路面凍結もあるので、転倒での怪我が怖い小生はスピードを抑えて走るしかない。

と云うことで坂道を慎重に下っていると、路面の濡れた隘路で宅配のトラックと出くわしてヒヤリ。

「スピードを出してたら危なかったなぁ」と胸を撫で下ろすと共に、自身の”小心さ”に助けられたことを感謝した。

 千疋からは長良川右岸を走る          峠越えの山道を行く   

山崎橋まで来ると美濃市街まではあと少し、そろそろ折り返し地点を何処にするか決めなくちゃならない。

うだつの上る町並みor小倉公園?どちらとも決めかねて、結局は面倒になり「美濃橋にするか」と急転直下で方針変更。

まぁ今日のライドは”美濃まで走る”ことなので、何処で折り返そうが”俺の勝手”と云う訳だ。

     美濃の街まであと少し      美濃橋下には何人かのキャンパーが居た

帰りの堤防道、幾人かの人影を認めて長良川の分流を見ると、夏場の子供達の水浴び場が釣り堀になっていた。

どうやらルアー・フライ専門のマス釣り場らしく、「こんな所でマスが釣れるの?」と門外漢の小生は疑問に思った次第だが、ルアーやフライと言えば、山中の渓流が脳裏に浮かぶので、其処まで行かなくてもマス釣りが楽しめればそれに越したことは無い。

独りキャンプを楽しむ人、魚釣りを楽しむ人、そして小生の様に自転車徘徊?を楽しむ人etc、人それぞれ好みは多様でそれが社会というものだ・・・。

マス釣りを楽しむ釣り人達、果たして大物は釣れるかな?

美濃からは専らr-94(長良川百日紅街道)を走って岐阜まで帰ってきた。

昨年11月末は土砂崩れで通行止めだった箇所が規制解除されており、迂回路へ遠回り(大した距離じゃ無いんだけどね)せずに済んだのは助かった。

些細なことだけど、こういうのも走っていて感じる”嬉しいこと”の一つと言える。

さぁあと少し、頑張って走ろう・・・。

 金華山が近づいてきた(岐阜市雄総)   川を眺めながら最後の休憩(岐阜市忠節)

 

 

 

 

 

 

 

 

冬日和橋巡り

 

お年玉付き年賀はがきの当選番号が先日発表されたが、残念なことに切手シートの番号が1枚あっただけだった。

毎年「今年こそは1等が・・・」と期待してみるのだが、いまだに1等はおろか2等さえ当ったためしは無く、切手シート2~3本が出れば大当たりといったところ。

もう半世紀近くもこれを繰り返しているのだから、こと年賀はがきに限っては”籤運”が無いということの明確な証左と言えるかも知れない。

 

子供のころは、駄菓子屋で買う”くじ付き菓子”で1等がよく当たり、子供心に「俺はくじを引くのが上手い」などと不遜に自負していたが、それらで全ての”籤運”を使い切ってしまったのだろうか?それ以降は”くじの大当たり”からは見放されたままだ。

 

宝くじを買っても、たまに当たるのは末等ばかりで高額当選は”夢のまた夢”

過去に1度だけ10万円を当てた様な記憶があるのだが、その当たり券を換金したという記憶が全く無いことからすると、「宝くじで10万円当たった」というのは、案外脳内で造られた贋記憶かも知れない。

まぁ真偽のほどは何とも分からないが、宝くじを買うのは高額当選を願うからで、高々10万円ぽっち?(大きく出たぞ)が狙いじゃ無いので今更どっちでもいいかぁ・・・。

 

 

さて、年明けから(小生の体調同様に)不順な天候が続いていたが、今日は”冬日和”でバイクで外出するには願ってもない陽気。

まだ遠出できる程には体力回復してない(痰の出る咳がなかなか治らない)ので、近場の平坦地をぐるっと回ることにして、緩慢な動作でライド準備を終えた。

 

まずは街中を抜けて笠松へと向かい、そこからは木曽川右岸沿いを下流方向へと走る。

走り始めて暫くすると腕と腰に強い疲労を感じ、1か月近くバイクに乗らなかったブランクを痛感したが、それも徐々に緩和してきたので「やれやれ、ようやく慣れたか」と一安心。

とは言うものの、多分こう云うことってこれからも度々あるんだろうなぁ・・・。

冬の晴れた日は遠くまで見えるのが嬉しい

尾濃大橋を越えた先で堤防道路に出ると視界が大きく開けた。

大気が澄んでいるので遠くまで良く見え、恵那山の左に白く輝いて連なる中央アルプスの高峰群が眼に映える。

少し間をおいて御嶽山乗鞍岳の3千m峰、その左の北アルプス北西端部の山々(黒部五郎岳薬師岳辺りか?)も白く光って存在感を示している。

路傍の空地で暫くその景色を愉しんでからまたぞろ走り出したが、今日はどうやら休憩と寄り道が多いライドになりそうだ。

 

濃尾大橋まで来たが、普段はここで橋を渡って左岸側を走るところをそのまま直進。

その理由はこの先で架橋工事中の新濃尾大橋を見たかったからで、ようやく橋桁が全て繋がったのを見て「やっとここまで出来たかぁ」と得心したが、当初完成予定から2年以上遅れても終わらないこの工事に、地方行政の財政的な行き詰まりを感ぜずにはいられなかった。

開通は2025年とか?まだまだかかるねぇ

右岸堤防道路は左岸側に比べて舗装状態が悪く、それにストレスを感じて悪態?を吐きながらも8kmほどを走って木曽川大堰(馬飼大橋)まで来た。

「さてこの先どう走るかな?」と暫く考えたが、「まだ帰路を採るには早過ぎるなぁ」の思いもあって、橋を渡って東海大橋へと向かうことにしてハンドルを左に切る。

橋の中ほどで揺蕩う木曽川の流れに眼を落すと、水鳥の群れが閑に遊んでいた。

多分「今日の陽気は水鳥達にとっても快適なんだろうなぁ」と己の心証を投影して勝手にそう思った。

木曽川大堰を渡り愛知県へ         東海大橋を渡り岐阜県

東海大橋で木曽川長良川を続けて渡り、そのままr-8を西に直進して海津へと向かう。

信号交差点が多くてイラつくが、裏道に走路を変えても真っすぐ進めずに右左折を繰り返さなければならないのがこの辺りの道の欠点?

「ここは我慢だ」と自分に言い聞かせて走り続けると、やがて視線の先に揖斐川に懸る福岡大橋が見えてきた。

ここまで来ると養老山地も近いが、今日は養老方面には向かわないので山麓を走ることもない、ただ山並みを眺めながらその景観を愉しむだけだ。

 

揖斐川と津屋川を隔てる堤防道は今日のライドコースの中で最も気の休まる走路。

風もなく暖かい陽光が降り注ぐ道を急いで駆け抜けるのは”モッタイナイ”ので、路傍にバイクを停めて草地で一休み。

眼を閉じて音の無い世界(歳をとると可聴音域が狭くなるのは周知?の事実)に精神を沈めると、身体から力が抜けて心地良い時間が過ぎていく。

仰向けの姿勢のまま10分ほども微睡んでしまったが、急ぐ必要もないとゆっくり起き上がって辺りをもう一度見回した。

誰とも行き会わず走路を独り占め

今尾橋を渡って揖斐川に別れを告げた後は、大榑川に沿う堤道へと走路を変えて輪之内へと向かう。

冬の桜並木は殺風景ではあるが、よく見るとその枝には小さく固い蕾がいっぱい付いており、もう春の開花の準備が始まっている様だ。

「今年のサクラはどうかな?」何処までも続くピンクトンネルの画像を脳裏に描いて、夢想世界に束の間タイムスリップして遊んだ・・・。

 

長良川右岸を安八⇒墨俣と北上して岐阜の南西端まで帰ってきた。

ここからは長良川左岸の河川管理道路に走路を変え居宅へと向かう。

久々のライドで若干疲労感があるが、あと8㎞ほどなので無事帰還できそうだ・・・。

居宅に向かう前に最後の休憩(岐阜市本庄付近)

 

 

 

 

 

新年早々愚痴る

 

年明け早々風邪に罹患してしまい、診察を受けに医院に行った以外はほゞ外出をせずに1週間以上が過ぎてしまった。

歳をとると基礎体力が低下するだけでなく気力?も一緒に衰えて、行動に無意識の制限がかかるのが「何とも情けない感じ」と言ったら若い人には笑われるかも知れない。

しかしまぁそれが年寄りの現実で、このところ顕著に疲れを感じる様になった小生としては、「これは素直に受け入れるしかないなぁ」と諦めざるを得ないのだ。

 

それはともかくとして、元日の能登半島地震では、小生の住む岐阜辺りでも震度3~4の揺れがあり、そのユサユサと続く振幅の長い横揺れに「果して老朽化した我が家は耐えられるか?」と一瞬不安な思いが脳裏をよぎたほどだった。

世界全体の発生地震の18.5%が、同じく1%弱しか占めない日本の国土で起きているという事実が示す通り、世界有数の地震国に住む我々が、いつなんどきその災禍に遭うかは神のみぞ知る事柄なのだが、今回の地震で不幸にも亡くなられた人や、家屋の倒損壊により、今後の生活困難を余儀なくされた多くの方々へと思いを馳せる時、「神様仏様も在ったもんじゃないなぁ」と、天を恨みたくなる思いに駆られるのは小生だけではないだろう・・・。

 

 

報道によれば、被災地では既に復興に向けた動きが始まっているが、元々交通利便性の悪い地域が多く、しかもライフラインが各所で寸断されているため、まだそれが軌道に乗ったと言うにはほど遠いのが実態の様だ。

都市部なら最優先で行われるこれらの復旧工事が、未だ遅々として進まないのはそこに投入される人・物の絶対量が極めて少ないからで、地域格差という”如何ともしがたい差別”がその背景にある。

大規模災害に対して地方行政のやることに限界があるのは仕方ないが、それを肩代わりする国がその責務を充分に果たせてないのが今の現状ではないか?

極論だが、多くの国民に不人気の ”関西万博” に人・物を投入するより、それを被災地の迅速復興へと振り向けた方が、低迷が続く岸田内閣の「支持率回復に寄与するんじゃないか」と、物事を斜視する性癖の小生としては心密かに思っている。

 

さて話は全く変わるが、小生のロードバイク歴も早いもので今年で13年目へと突入することになる。

思い起こせば、1年目はバイク(高いサドルと前傾姿勢)に慣れるのがやっとで、距離も30kmも走れば「良く走ったぁ」という感じだったのが、2年3年と経つとバイクに乗る頻度も増えて、1回の走行距離も70~80kmを無理なく走ることが出来る様になった。

初の100km超えLong rideは4年が経った頃で、数は少ないが150km、200kmと走ったのもその後の数年間のことだ。(今はそんなLong rideにはとんとご無沙汰・・・)

 

通算走行距離が4万km(地球1周回)を超えたのが6年目で、このペース(2~3回/週間のride)でいけば「8万km走破は4~5年先だな」と随分楽観視していたのだが、そんな”捕らぬ狸の皮算用”もその後、左足首の関節症が悪化して2度の手術(脛骨切術と人工関節置換術)を受けることとなって大きく狂ってしまった。

今は3回/2週間の頻度でrideするのが精いっぱい?なので、年間の走行距離は5,000kmを僅かに超えるくらいか?

だがこのペースが維持できれば、今年はちょっと無理でも来年には通算8万kmの大台に乗せることが出来るかも知れない。

或る日の墨俣城伊吹山


そのためには今の基礎体力を保つことが肝要だが、冒頭でも触れたとおり最近では疲れを体感することが多く、先日も妻に「最近妙に動きが爺さんぽくなったね」と言われてしまった。

まぁ自他共に認める”年寄りローディー”と云うことがはっきりした訳で、それを自覚しながら、今年もそこそこ頑張って走ってみますかぁ・・・。

 

 

 

 

 

問題は精神力

 

日本海側の各地に大雪をもたらした寒波が、太平洋側へもその舌を伸ばして濃尾平野の北辺部に今冬初の雪を降らした。

今朝起きがけに居間のカーテンを開けて窓外を見ると、向かいの家の屋根にうっすら雪が積もっており、小生の住む辺りもどうやら夜半に人知れず雪が舞った様だ。

この辺りではクリスマス前に初雪を見ることが多いので「例年通りだな」という感じだが、雪が降ると冬もいよいよ本番と云う訳で、これまで先送りにしていた”或ること”をついにやらなくちゃならない。

 

その”或ること”とは車のタイヤ交換で、夏用から冬用のスタッドレスに替えるのだが、この作業、昔は”大した手間でもない”と思っていたが、歳をとった今ではこれが結構な”重労働”なのだ。

車は小生と妻ので2台あり、計16本のタイヤを脱着・清掃して倉庫に片付ける訳だが、動作が鈍い上に腕力も不足気味(タイヤってこんなに重かったけ?と思うことしきり)おまけに普段とらない姿勢で腰が痛くなり休みながらやるので、結局全ての作業を終えるのに4時間近くかかってしまった。

まだこれまで自前でやってきた色んな事柄を他人に委ねることは無いが、タイヤ交換の苦労からしても、近い将来にはそう云うものが必ず出て来る筈。

歳を重ねる毎に衰える体力知力に”待った”をかける術は無いのかなぁ・・・。

 

 

さて今日は、先回予想外の強風で断念した関ケ原方面へのライドをリベンジすることにした。

多分これが年内最後のライドになると思うが、年初のライドが木曽川CRを犬山方面へと走ったから、奇しくも”東奔西走”してこの1年が終わると云う訳だ。

 

街中を抜けて長良川左岸堤防に出ると、一気に視界が広がって爽快な気分が小生の全身を満たす。

眼に入る景色は走りを助ける栄養剤みたいなもので、視線を遠くへ投げながらペダルを漕げば、不思議と脚が軽快に回り出して気分も上がる。

しかし、西寄りの少し強めの風が吹いており若干不安が募るのも事実で、「風よ止んでくれ」と願うがそれはどうも天に届きそうにない。

まぁ行きの向かい風は帰りの追い風で結局は”行って来い”なんだけど・・・。

目指すはあの山の麓

河渡橋を渡って旧中山道へと走路をとる。

この道は街道沿って続く家並が風を和らげてくれるので、向かい風に抗って走る時には有難い。

安全配慮でスピードを抑える必要があり少し遠回りにもなるが、そんな不満は楽に走れる満足感に比べたらどうってことは無いと独り納得して走る。

 

穂積を過ぎて美江寺近くまで来ると再び視界が大きく開け、進行方向正面に青い池田山とその奥の白い伊吹山の山塊が大きく望めた。

これまで伊吹山の冠雪は降っては消えていたが、この雪は来年4月下旬まで残る根雪になるに違いない。

伊吹山には雪がよく似合うので、「なるべく長く残っていてほしいなぁ」と自分本位に思った次第である。

秀麗な山容の伊吹山には高山の趣が・・・

巣南⇒神戸と旧中山道を辿って赤坂まで来たところで、どういう風の吹き回しか?急に金生山に登る着想が頭に浮かんで(少し思考回路が狂った?)行先変更となった。

(御蔭で西濃鉄道の踏切で、初めて石灰石運搬貨車が通るのを見る幸運?にも恵まれたけどね)

 

子安神社駐車場までの緩坂で坂上がりの脚を造ってからヒルクライムのスタート。

いきなり12~18%で200mほども続く坂なので、ギアは最初から34T×32T(ギア比1.063)にしてユックリ上るが、それでも息が次第に上がって腿もどんどん張ってくるので、少し蛇行気味にして斜度を下げる姑息?な手段に打って出る。

そうこうしてやっとの思いで金生山神社前まで来ると、斜度も緩んで少し楽が出来るが気分的にははやくもギブアップ寸前。

「もうちょっと頑張れるぞ」と自己暗示をかけて先へと進んだが、それも結局は最後の悪あがきに過ぎず、14~23%で更に上へと続く坂を目の当たりにしたところで、ついに我慢の限界が訪れた。

子安神社前から始まる激坂         延々と続く激坂にギブアップ

あと400mほども続く激坂なんて「今の脚力じゃとても無理」と坂を少し下り、展望の良い所で休憩したが、豈図らんや5分も休むと脚の疲れはどこへやら?

どうも問題の本質は脚力というよりも精神力にあったようだ・・・。

石灰プラントの向こうに伊吹山が       金生山中腹からの岐阜市街遠望 

明星輪寺まで行く筈が不甲斐なく終わったので、代償(小生の気分的なものだけど)として昼飯大塚古墳まで足を延ばしてから帰ることにした。

あそこから見る伊吹山もソコソコ絵になって小生は好きだからね。

  昼飯古墳と伊吹山           揖斐川橋梁を渡って帰った