風を道連れに

☆あるボッチローディーの独り言☆

梅雨明けも間近?

 

今年から80軒ほどの住宅団地の自治会長をしている。

自治会長なんていっけん聞こえは良いが、その仕事は随時的に発生する諸事案の処理が主で、謂わば地域の”お世話係兼苦情処理係”と言ったところ。

市や県への陳情(水路の泥浚いや堤防の草刈り依頼)や有志が植えた桜並木の防虫駆除に係る業者折衝、役員会議の主催や上部団体(自治会連合会や青少年育成会議)の会合出席等々と何かと忙しいが、この3か月間やってきて「案外と多いなぁ」と思ったのがご近所トラブルの種とも言うべき”住民の迷惑行為”の数々だ。

 

昼夜を問わず違法な路上駐車を続ける人(近所で駐車場を借りて貰う様に要請)、ゴミステーションにルール違反のゴミ出しをする人(回覧板でルール順守を徹底)、近隣の住民に迷惑電話をかける人(独居で認知症疑いがあるので別居の家族に対応を依頼)、住民参加の地域清掃に全く参加しない人(結構多いので互助の必要性を回覧板を通じて啓蒙?)、何かにつけ隣近所とトラブルを起こす人(事情を聴きに行ったら頭ごなしに怒られてしまい全くのお手上げ・・・)

人の考えは千差万別で色んな人がいることは理解しているが、そうだからこそ他人への配慮を念頭に自分を律することも必要な筈で、誰もが自分本位を打ち出していてはこの世は諍いばかりになる・・・。

 

まだ始まったばかりなのに、やらなくちゃいけないことはこれからも増えていきそうな予感がして、このところチョットばかり憂鬱を感じないでもない。

来年の今頃はどんな思いで日々を過ごしているんだろうねぇ・・・。

 

 

さて今日は朝から梅雨間の曇天だが、また明日から本降りの雨が続くとの予報があったので、「チョットばかり出掛けてみるか」といつもの様に自分に語りかけた。

行先は山県から本巣にかけての濃尾平野北西縁の山辺とし、里山の風情を味わいながらノンビリと走るつもり。(最近体力の衰え?かスピードが出せなくなった)

市街地を避け鳥羽川に沿って走る

長良川を鏡島大橋で渡ってそのまま北へと向かい、岐大キャンパスまで来ると城ヶ峰はもう近い。

脚の手術で岐大病院に入院中、よく見て過ごしたこの山の縁を反時計回りに辿って畜産センターへと走る。

その畜産センターも、子供達が幼かった頃(もう30数年も前)には度々訪れて親子共々愉しく遊んだが、その時の記憶すら今ではセピア色にくすんだ画像としてしか、脳裏に浮かばなくなってしまったのには一抹の寂しさを感じざるをえない。

畜産センターの施設横を走り抜けながら中の様子を伺ったが、今日は平日なこともあり来訪者は無く閑散としていた・・・。

 

彦坂を越えてDown Rordをスピードを抑えつつ安食へと向かう。

快適な道だが車通りもそこそこあるので、途中から走路を農道に替えることにした。

その方が絶対安全だし、気分も穏やかになって性に合っているのは間違いない。

視線を真正面の山に注ぐと、その色合いが随分と濃くなっていることに気付いて、夏を先取りする様な自然の営みにチョッピリ感動した。

 意外とキツイ彦坂の登り          安食の農道をノンビリ走る

いつもならr-91を走って伊自良へと向かうのだが、今日は杉坂峠手前の信号を左折して雛倉方面へと向かう。

雛倉の山手は長閑な里山風景が広がる気分が安らぐ場所で、甘い?空気で胸郭を満たすと身体全体が徐々に和んでいく気がする。

外気温は現在28℃と少し高めだが、そんなことは気にならない程度に心地良い。

 山向こうの雛倉へと走る         雛倉の里山風景に癒された

里山かおり街道(r-79)を3kmほど走って、鹿穴峠の先で木知原への山道に左折。

林間を縫う道なので、これまでと違って路面が濡れており注意が必要だ。

また最近各地で多発しているクマとの遭遇も気懸り、こんなところで奴と出くわしたら一大事だが、「まぁそれは無いだろう」と自分に言い聞かせつつも、心持ち先を急いだのは小生の臆病さの厳とした証拠かも?

木知原へ向かう峠越えの山道

昼なお暗い峠を喘ぎながら越えると、そこから木知原までの長い下りのWinding Rordが始まる。

幅員が5mほどしかなく路面も所々濡れているので、スリップ転倒しない様にスピードを抑えて下るが、慣れてくるとその危険感覚も徐々に鈍ってスピードが出てしまう。

幸い今日のバイクはディスクブレーキのColnagoなので、頻繁にBreakingしても制動力が極端に落ちないのは有難い・・・。

そうこうする内に視線の先に木知原の集落が見え、「無事に下りてきたなぁ」とホッと一息ついた。

 

樽見鉄道の木知原(無人)駅に寄って一休み。

単線運行のローカル線なので、昼時は3~40分間隔でしか車両が来ないが、偶然にも2分ほどすると警報音が鳴って下り車両が来た。

乗客は数人(見えた限り)で、これじゃぁ赤字も当然って感じだが、それでも利用者のために運行を続けなければならないのが、このローカルな樽見鉄道の辛いところ。

小生は鉄道ファンorマニアでは無いが、「何とかならないものか」とその時だけ無責任に思った。

紫陽花と樽見鉄道(奇しくもどちらもピンク色だった)

万代橋を渡って根尾川右岸を南へと走るが、大野橋辺りに来た時にポツリポツリと大粒の雨が降り出した。

西方を観ると黒い雲があるが、まだ本降りになる気配ではないと希望的に観測。

しかし、そうは言っても跳ね上げた雨泥でバイクとウェアを酷く汚したくはないので、南に走って時間を浪費するよりは、東に走って雨雲から遠ざかるのが得策と判断。

此処からなら糸貫を通って北方に向かうのが近道で、大方の走路を脳裏に描いて決める(小生サイコンはスピードとケイデンス、斜度や走行距離を確認するのに使うだけ)とペダルを踏む足に力を込めた。

   万代橋を渡ると谷汲         清流根尾川も長雨で濁っていた

大粒の雨は暫くすると止んで、それからは小雨にさえ降られることなく穂積まで走ってこられた。

この先の河渡橋で長良川を渡れば岐阜市街で、居宅まではあと少し。

見晴らしの良い所で西方を振り返ると、先刻まで走っていた山辺の上には厚い雲はあるものの、雨が降っている様には見えない。

「取り越し苦労だったなぁ」と自嘲気味に言って独り嗤った・・・。

西方の奥揖斐の山々は垂れこめる雲間に霞んでいた

 

 

 

 

 

 

 

 

梅雨入り前に

 

ロードバイクは基本自分でメンテする主義?でパーツ類もNetで購入するので、懇意にしている自転車屋は無い。

先日の車との衝突事故で傷ついたLapierreの修理だが、大した金額じゃない(多分7~8万円)と思うが、一応保険会社に損害申請して幾ばくかの給付を受けることにした。

だがそれには損害金額を算定した自転車屋の見積りが必要で、ど素人で当事者でもある小生が勝手に算定した金額ではダメらしい。(まぁそれは当然だ )

さて困ったぞぉ、いきなり初見の自転車屋に押しかけていって「これこれの見積り書を作って欲しい」なんて頼めるもんだろうか? 

とは言え損害申請に見積りは絶対必要なので「悩んでてもしょうがない」と踏ん切りをつけて、Netで調べた街の自転車屋ロードバイクも扱っている)へと向かった。

 

店の親父さん(小生より1周以上若い)に事故の顛末と保険会社への損害申請等を概略説明して、損傷したパーツ類の修理(購入+交換手数料)見積りをお願いすると、初めは渋っていたが、バイクのDi2動作確認他もおこない且つ見積り手数料を支払うことで何とか折り合いがついた。

見積りをタダで作って貰おうなんてことは考えていない(医者だってほんの数行の簡単な診断書をちょちょっと書いて何千円も取る)ので、それは元より織り込み済み。

忙しい?のか見積りは1週間待って欲しいと言うので、バイクを預けて店を後にしたのだが、果たしていくらの見積りを作ってくれるんだろうねぇ・・・。

 

 

さて今日は、梅雨入り前の貴重な晴れ間ということで、出渋る気持ち(あの事故を引き摺ってか何となく気分が重い)を無理やり抑えてバイクウェアに着替えた。

行く先も特に思い付かないので、こんな時は近場を徘徊?するのが良かろうと、長良川沿いを南へ適当な所まで走ってみるつもり、専ら平地の走りなのでバイクはDe Rosaに決めた。

 

河渡橋の手前で左岸河川敷に下りて河川管理道路を走る。

広々とした視界が気分を良くさせてくれる走路で、特に平日の今日は野球場やサッカーグランド利用で路肩に停まる車も無いので、より一層その感覚が増幅されるようだ。

視線を右に転ずると、小生と伴走する様に付いてくる伊吹山のくっきりとした山容が、いつになく美しく見えて清々しい感動を届けてくれた。

視界の広がる道はクランクを廻す脚も軽くなる

福寿町辺りの河川敷にあるラジコン模型の飛行場で、数人の愛好家が身の丈ほどもある大きな模型飛行機を飛ばしていた。                        

それを観ていたら子供だった頃の朧な記憶が蘇ってきたのは何故だろう?

 

或る日近所の公園に遊びに行くと、高校生と思しき人が模型飛行機を飛ばしていた。

(公園で飛行機を飛ばすなんて今じゃ考えられない長閑?な時代だった)

それはUコンというワイヤーを操作して飛行機を自在に飛ばすもの(今もあるのか?)で、その甲高いプロペラ音と独特なエンジン燃料の匂いが懐かしく思い出される。

「やってみたいなぁ」と子供心に思ったのは確かだが、結局それは実現しないまま大人になってしまった小生に比べ、あの人達は「子供の頃の夢を実現させて愉しんでるんだなぁ」とチョッピリ羨ましく思った・・・。

 

河川管理道路終点(桑原防災船着場)迄の18㎞をのんびり走ってきた。

ここからは走路を堤防道に替えて木曽長良背割堤へと向かうが、時刻はもう11時過ぎ(居宅を出るのが遅かったから仕方ない)でしかも外気温は35℃(サイコンの表示)と異常に熱い。

木曽三川公園まで行くのは無理だ」と気弱に判断して三川分流碑前で引き返すことにしたのだが、こういう時にいつも思うのは ”後ろめたさ” で、誰かに迷惑をかけてる訳でも無いのに、その自分の行為を責めたくなる。

三川分流碑(この場所で右木曽川と左長良川の堤防が1つになる)

南濃大橋を渡って次に向かったのは”お千代保さん”で、別にお稲荷さんに参拝したいと思ったからじゃなく、近くの大榑川堤の桜並木をそぞろ走るのが目的。

サクラの時期は人混みでとてもじゃ無いが、今なら何㎞にも亘って続く緑陰道を独りで心ゆくまで満喫することが出来る。

ところが同じ様な思いの人は居るもので、その数㎞を走る間に何台かの車(1台は爆音を響かせるスポーツカーだった)とオートバイに追い越されたりすれ違ったり。

なかなか思い通りにはいかないもんだ・・・。

束の間だけ静かな緑陰の道を愉しめた(大榑川堤)

本戸輪中堤は「隠れたサクラの名所だが同時にアジサイの名所でもある」ということで、帰りついでに寄ることにした。

今年は未だアジサイの話題を耳目にしないので「はたして咲いてるかなぁ?」の不安を胸中に抱きながら、車通りの少ない道を選んで走ること10数分、視線の先に輪中堤の 緑帯が見えてきた。

どうも花色が少ない・・・堤が近づくに連れてその観測は確信へと変わった。

開花は六分程度か?まぁ所為が無い「また来るさ」と諦め、路傍のベンチに座って暫しの静寂を愉しんだ。

本戸輪中堤も静かなところだが紫陽花を愉しむには少し早かった

距離を走ってないので今日は疲労感も薄い。

チョットだけ遠回りして墨俣の犀川堤を走って帰ることにした。

あそこも道沿いに紫陽花が植えられていた筈だ・・・。

墨俣一夜城と紫陽花

 

 

 



 

 

事故ったぁ・・・

 

この世の中って”不条理なこと”が多すぎてまったく嫌になる。

ウクライナパレスチナあるいはミャンマーやシリアなどで続く大規模な紛争は未だに終わりが見えないし、中国の時代錯誤な覇権主義がもたらしている周辺国との緊張状態も、当該地域に何やらきな臭い匂いを漂わせ続けている。

もし小生が”全能の神”の力を持っていたとしたら、幾十万の人命を奪ったり傷つけても平然としているこれらの醜悪な為政者らの頭上に”怒りの鉄槌”を振り下ろして、事態を速やかに鎮静化させるのにと思うが、如何せん小生にはその万分の1の力さえ備わってはいないので、その憤懣をこうして吐露しながら嘆くしかない。

神様、本当に存在するのなら、そんな風に天上界であらぬ方を向いて ”知らんふり” してないで、ちょっとは愚かな人間界を見下ろして「救いの御手を差し伸べて下さいよ」と、叶わぬ願い?を切に願った・・・。

 

 

さて今日は、「久し振りに木曽川CRを走ってみるか」と思い立ち、倉庫からLapierreを引っ張り出した。

電池切れが心配だったDi2は先日充電を済ませたので、不測のパンクさえ無ければ今日も愉しく走れるだろう。

 

市街地の走行は嫌なので、長良川堤防から境川堤防へと車通りの少ない道を走り継いで羽島を目指す。

墨俣(長良川)から起(木曽川)へと南東に向かって走る道は、中山道垂井宿と東海道宮宿を結ぶ脇往還である美濃街道の一部だが、往時は賑わったであろうこの街道筋も、今では寂れた片田舎の小道に過ぎない。

だが、小生はそんな栄枯盛衰の歴史を持つこの道が好きで、所々に残る道標を見ながらあれこれ物思いに耽るのも良いもんだ。

往時の美濃街道を偲ばせるのは路傍に建つ石柱だけ(境川堤道)

濃尾大橋を渡って木曽川左岸河川敷に設けられたサイクリングロードへと向かう。

此処からすいとぴあ江南まで走り、愛岐大橋を渡って笠松まで戻るのがこれからの走路で、大まかに言えば木曽川左岸と右岸のサイクリングロードを”ぐるっとひと回り”すると云う感じ。

ちょっとだけ気懸りなのは昨年から行われているアクア・トトぎふ近くの工事(架橋と護岸)で、未だ終わってなければ迂回するしかないが、取り敢えず運を天に任せるしかない。

      濃尾大橋を渡って       木曽川左岸CRをすいとぴあ江南へと向かう

平日なので走路を遊歩する人も少なく、快適に飛ばして一気に愛岐大橋詰めまで来た。

曇天ながら風もあまりないので、長袖に七分丈スパッツの恰好では少し暑く感じる。

「そろそろ夏ウェアに変えなくっちゃな」と額を伝い落ちる汗を袖で拭いながら、誰に言うともなく呟いた・・・。

CRを独り占めして快走          すいとぴあ江南前で小休憩  

小休憩後、愛岐大橋を岐阜県側に渡って右岸サイクリングロードへと向かう。

何気に正面奥に眼をやると、小高い丘擦れ擦れにジェット(F-2?)戦闘機が滑走路へ降りていくのが見えた。

そう言えば先刻から断続的な轟音が耳へと届いていたが、どうやらTouch and Go訓練をしていたと云うことか。

「観に行くか」と一瞬思ったが面倒くさい?のでそれは止めて、唐突に脳裏に浮かんだ「もう長いこと飛行機に乗ってないなぁ」の思いに身を委ねた。

 

木曽川右岸サイクリングロードは左岸ほど走路が整備されてないが、それでも車と並走する一般道を走るよりは益し。

木曾川右岸CRは人気が無いが小生はそんなところも好き

誰にも会わないので、いつもの様に独り言をボソボソ呟きながらアクア・トトぎふまで淡々と走って来たが、この先が問題で果たしてどうかな?

結局、放流川に架かる本橋は未だ完成してなかったが隣に仮設橋があり、そこを渡って先に進むと護岸工事は終わっていて、岸辺に設けられたサイクリングロードも通行可。

迂回路を走らなくて済んだことを喜びながらも、CRの所々に堆積している冠水で運ばれた土砂にはちょっと閉口。

タイヤを捕られて転倒しない様、スピードを落として注意しつつ進んだ。

アクアトトには寄らず先へ         護岸工事が終わった岸辺のCR

笠松湊公園で休憩をとるつもりだったが、決めていたベンチには先客が居たのでそのまゝスルーして帰ることにした。何だか心残りだが仕方がない・・・。

笠松湊公園へと続く右岸C R(円城寺付近) 

居宅へ向かって市街地を走る。

住宅の建て混んだ地域の普段は停まれるほどに減速して左右確認する十字路、気の緩みか?スピードが少し出過ぎていた。

建物の影から出て右を見ると、車が直ぐそこまで来ており急ブレーキをかけて停まったのだが、時すでに遅しでバイクは道の中ほどまで進んでしまっていた。

「車よどうか停まってくれ」と刹那に思ったものの、その直後に身体が右へと振れて車のフロントノーズに当たってから、バイクごと2mほど跳ね飛ばされてしまった。

「やっちゃったぁ」自責の念に包まれながら辺りを見回す。

車を運転していたおばちゃんが駆け寄ってきて「どこも怪我してないですか?」と聞くので「大丈夫」と即答。

身体の何処にも痛みや痺れは無いので怪我はしてない様だったが、足(シューズ)が フロントギアと後輪スポークに挟まれてなかなか抜けなかった。

 

警察を呼んで到着を待つ間にお互いの連絡先やら車とバイクの損傷程度を確認。

一見したところ車の損傷は軽微?でフロントバンパーに2箇所の凹み傷があるだけだが、バイクの方はリアディレイラーが傷ついてハンガーも内側に大きく曲がっており、後輪を動かすことさえ出来ない状態。

またサドルも転倒した際に地面と擦れて側面が破れている。

真っ先に心配したのはフレームだが、見たところ軽い擦り傷はあるが破損もヒビもない様なのでホッと胸を撫で下ろした。

ホイールも変形してなければ良いのだが・・・。

大きく曲がったリアディレイラー       サドルの側面も擦れ破れが   

警察立ち会いで事故処理を済ませた後、走れなくなったバイクを引いてトボトボと居宅へと向かう。

その道すがら「いつもの様に徐行して左右確認してれば」「もし湊公園で休んでれば」「あの土砂で減速しなければ」等々変えようもない過去を思い浮かべ後悔の念に駆られたが、所詮それは慰めにもならない愚考でしかない。

「最近走りが横着になってるってこと」「年寄りは年寄りらしく安全走行に徹しろってことだな」と一応の正解を得たので、それ以上考えるのは止めた。

やれやれ・・・。

 

 

 

 

 

 

 

物憂い気分を吹き飛ばせ

 

いい歳をして今更5月病でもあるまいが、何だか”物憂い気分”がなかなか身体?から抜けていかない。

それは何故か?と色々と考えてみてはたと思い当たったのは、半月ほど前にLINEビデオで長女とした会話の内容。

長女は今、家族と共に米国(テキサス)に住んでいるのだが、この8月に帰国するのを止めてもう少し?留まるべくグリーンカード(永住権)を申請したと言う。

米国のグリーンカードには幾つか種類があって、長女が申請したEB-2は現在の雇用主(大学付属病院の研究所)のバックアップがあればほゞ間違いなく取得出来るらしく、あと数年は今の研究を続けてある程度の結果を得たいと云うことらしい。

研究の成果なんて一朝一夕で上げられるものではないだろうから、数年先伸ばしした処で大して変わらないと門外漢の小生は思うが、実際のところは果たしてどうなんだろうねぇ・・・。

 

長女が名古屋に居た頃は、事ある毎に妻と共に呼び出され孫達の子守を手伝わされたが、もう3年以上もその仕事?からは解放されており、ある意味淋しさが募っていて8月の帰国を楽しみにしていたのが偽らざる本音。

これでまた数年間は孫達と相まみえることは無いが、それが数年で済むかどうかは全くの未知数(長女夫婦の意思次第)で、このグリーンカードは家族全員に適用されるから、向こうで生まれて既に米国籍を持つT君だけじゃなくHちゃんやK君も米国人になる可能性が無い訳じゃない。

まぁ将来のことを考えたら、先行きのよく見えない日本に戻ってくるより、多様な未来が待っている米国に住む方が良い様な気がするのは確かだが・・・。

 

 

さて今日は風も穏やかな絶好のバイク日和なので、濃尾平野北西端部の山辺を池田から垂井・養老へと走ることにした。

準備したバイクはこのところ出番の多いColnago、本来のローテーションでいけばLapierreの番だが、Di2電池切れの不安が俄かに頭をもたげたので安全策で止めにした。

 

長良大橋を渡り墨俣からは美濃路を西へ向かって走る。

道沿いに並ぶ木立の新緑が眼に鮮やかで、スピードはそれほど出てないが、風を切って進む爽快感との相乗効果で小生を実に良い気分にさせてくれる。

「いい季節だなぁ」上空にたなびく一条の筋雲を仰ぎ見ながらボソッと呟いた。

美濃路を西へ(大垣市結付近)

鉄道遺産の旧揖斐川橋梁で揖斐川を渡る。

ここから眺める伊吹山から池田山へと続く山並みの景観は秀逸で、小生は通る度にそれを観ながら束の間の時空を愉しむのが常、山好きの性分故か?青緑の連なりは細やかな安息感をいつも与えてくれる。

揖斐川橋梁は明治20年造の鉄道橋    樽見鉄道鉄橋越しに観る山並みが綺麗 

小休憩後は、旧中山道から大島堤サイクリングロードへと車通りの多い道を避ける様に走って池田山の麓へと向かった。

この道も新緑の木立に囲まれた気分の上る快適走路で、上体を起こして緩くクランクを回せば、覚えたばかりの鼻歌が口をついて出る・・・。

伊吹山を遠望しながら旧中山道を快走する(大垣市大島付近)

池田温泉道の駅でトイレ休憩した後、この先の進路をどうするかでちょっと迷う。

数年前までは躊躇なく山道で梅谷峠越えだったが、最近はその気力がとんと無くなって専らトンネルで垂井へと貫けることが多くなった。

「どうするかなぁ」峠のある山を眺めながらしばらく考えたが今日もやっぱりトンネル(しかも梅谷トンネルじゃなく円興寺トンネル)を選択、我ながらこの体たらく何とかならないものか?

ところが、トンネルまでの1kmほど続く登路はゆっくりと上るつもりだったが、路肩に立つ”クマ出没注意”の看板に俄かに恐怖心を覚えて、息を荒げながら先へと急ぐこととなってしまった。

こんな人気のない所でクマと出くわしたら堪ったもんじゃないからねぇ・・・。

道の駅広場ベンチで小休憩
円興寺トンネルへのゆる坂を上る      上りの後は快適な下りが・・・   

垂井からは南宮山東麓を南に走って牧田川まで来た。

養老山麓の小道は川向うなので、多芸橋を渡ろうと川下に走って行くと右手で「あれぇ橋を造ってる」今まで全く気付かなかったのが不思議だが、かなり出来上がった橋が眼の前にありその新発見?にちょっと吃驚。

ここに橋があると養老の街中を通らず山麓の小道にアプローチ出来るので小生としては願ってもないこと、完成は来年3月らしいがまた一つ楽しみが増えた思いだ。

牧田川を上流方向へ向かうと関ケ原       養老山地は南へと延びる    

この橋が完成すると養老山麓へのアプローチが楽になる

養老は知る人ぞ知る”食肉のまち”で、休日ともなると”焼肉街道”と通称される焼肉店が集まる界隈や有名精肉店に人だかりが出来る。

今日も人気の精肉店では店頭に長蛇の列が出来ており、食にあまり興味のない小生は、それを遠目に見やりながら「ご苦労なこった」と呟いて通り過ぎるだけ。

だが、こんな味気ない?人生「ひょっとして損をしてないか?」と時々自虐的に反省もしてみたりするのだ・・・。

人気店に列を成して並ぶ人達(正直小生は霜降飛騨牛は二切れで充分)

養老と南濃の境目まで走ったところで「もうこの辺りまでとするか」とバイクを反転させて帰路につくことにした。

ここからだと東に走って海津経由で帰るかor北東に走って安八経由で帰るかの二者択一だが、何となく海津経由は止めたい気分が勝って北東へと進路を採ることになったのは何故だろう?

それほど疲れている訳じゃないけど、遠回りになるのは避けたい潜在意識がそうさせたのかも知れない。

年寄りってこうして徐々に動けなくなっていくんだろうなぁ・・・。

津屋川沿いの小道を南濃へ向かって走る(養老地内)

途中で近道をしようとして結果変な所(行き止まり)に迷い込みながら、輪之内⇒安八と走って墨俣まで帰ってきた。

あとは長良川を渡って居宅へ向かうだけなので、犀川の畔で最後の一休み。

今日も色々とあったが、まぁそこそこ愉しいライドだったかな?

墨俣一夜城近くの犀川堤で最後の休憩

 

 

 

 

 

 

頭痛も解消

 

さて今日は起きてから気分が重い(実は昨日飲んだ酒のせいで少し頭が痛い)のだが、こんな時はバイクを駆って汗を流せば「多分回復が早いんじゃないか?」と、木曽三川公園辺りまで遠乗りすることにした。

天気は気分同様に曇りがちとは言え、まぁ雨が降るほどに悪くなることは無さそうだ。

木曽三川公園と長良川大橋

走り始めは身体全体が「少し重いなぁ」と感じたが、街中を抜けて長良川左岸の堤防道に出る頃にはその感覚も無くなった。

風は南寄りの微風があるが、向かい風と云っても走りを邪魔するほどでは無いので正直助かる。

昔から強い風(4~5m/s以上)は好きじゃなかった(多分誰でも)けど、一昨年ぐらいからそれより弱い風でも、抗って走ると息が上がり腿も張って辛くなった。

それは取りも直さず、歳をとると共に脚力だけじゃなく体力も衰えてきた証左なんだろうけど、そうして老いを身をもって実感するのはやっぱり寂しいもんだ・・・。

 

日置江で堤防道路から河川敷きの管理道路に下りて南へと走る。

これまでは放流川で3つに分断されていた河川管理道路だが、昨夏に橋が完成して1本に繋がったお陰で安全且つ快適に長い距離(20kmほど)を走れる様になった。

そのせいか?以前は多くの人が堤防道を専ら走っていたが、最近ではこの河川敷き道に走路を変える人が増えてきた様で、小生が心持ちのんびり走っていると、後ろから来たローディー2人に続けざまに抜かれた。

速いが30km/hrは出て無い感じで、追いすがれない速度ではなさそうと思ったものの、その思いとは裏腹に身体が全く反応しない。

「今日は無理する気分じゃないからな」と自分を言いくるめて、遠ざかる2人の後姿を漫然と見送った。

安全で走り易い河川管理道路に走路変更

桑原(羽島市)まで走ってきた所で堤防のり面を覆う深紅色が綺麗だったのでちょっと寄り道。

ベニバナツメクサの群生で、仲間のシロツメクサと同様に牧草として明治の初期に海外から持ち込まれたが、牧草としてはあまり使われずにその野生化したものが全国に散らばったという。

本来生命と云うのは人間の意志とは無関係に存在するものであり、それを生命全体からすれば塵埃ほどの存在に過ぎない人間が支配しようとするのは、あまりにも厚顔不遜の行為と言えるかも知れない・・・。

そんなことを考えながら、赤い波間に埋もれて束の間を過ごした。

ベニバナツメクサの紅色に野性味が溢れている

ひと月前サクラ見物で多くの人がそぞろ歩いた背割堤を独り黙々と走っていると、本来の静けさを取り戻した桜並木の何処かからウグイスの鋭いさえずりが発せられた。

チェーンの回る音に縄張りを冒す何者かが来たと警戒したのだろうか?

「いやぁゴメンゴメン」と小さく呟き、平穏を壊した闖入者の非を軽く詫びてその場を後にした。

人影の無い桜並木だが・・・

南側ゲートまであと3㎞ほどの所に来ると左手に木曽川の流れが見える。

丁度伊勢湾が干潮の時刻らしく、普段は水面下に隠れているケレップ水制の木杭と堰堤が露わになっていた。

此処から河口まではまだ15kmほどあるが、この地点で海の潮位変化が判ると云うことは、この辺りの土地が”如何にも平坦である”ことの紛れもない証拠。

いつも思うのだが、近海で地震があって津波が発生したらどうしよう?

取り敢えず多度の山に向かって走るしか手はないが、果たして逃げ切れるか?はっきり言ってその自信はあまり無い・・・。

水位の下がった木曽川の流れを見るのは久し振り

三川公園東海広場に着いて”なんじゃもんじゃ”の木の下で一休み。

この木は国内では岐阜・愛知にだけ自生する珍木らしいが、ここのは植樹したもの。

まぁ植樹だろうと木に変わりがあるじゃなし、大の字に寝転んで樹幹全体を白く彩る花をぼーっと眺めていたら何だか眠くなってきた。

眼を閉じて微睡んでいると、僅かに差す陽ざしが疲れた?身体を温かく包んで妙に心地良く、微かに鼻腔に届く草いきれの匂いにも優しさを感じてしまう。

雪を被った様にも見えるなんじゃもんじゃの木

いつもなら帰路は往路とは別のルート(西回りor東回り)を選ぶのだが、今日は端からその気は無く(何だか周回するのが面倒に思えたから)予定通り往路を戻ることに。

寄り道しなければ35kmほどの距離で、ゆっくりと走っても1.5時間とはかからないが、微風ながら背中を押す風に助けられバイク速度は往路の1割増しを維持して飛ばす。

この調子で「羽島辺りまで一気に行くか」と思ったが、背割堤を出る辺りでクランクを回す脚の疲労感が顕著になってきた。

「まだ10kmほどしか走ってないぞ」と少し速度を落として疲労感の消失を待ったが、情けないことにこれが今の脚力・持久力だと認めざるを得ないのかなぁ。

 

疲労感が消えても一度衰えた気力を元の戻すのは難しく、走りをゆっくりモードに切り替えて福寿(羽島市)まで帰ってきた。

ここから居宅まで30分とはかからないが、急ぐ必要も無いので最後の休憩をとることにして、走路脇の草原に足を投げ出す。

辺りに眼を投げたあと、ここから観る濃尾平野西縁の景色は「伸びやかで好いなぁ」と見入る小生の頬を、柔らかな微風がそっと撫でていった。

 羽島大橋を通過するのぞみ       拡がる景色を眺めて最後の休憩 

 

 

 

 

 

フジめぐり

 

左足首の関節を人工関節に置換する手術を受けてから2年が経った。

県病院で執刀医に定期検診をして貰っているのだが、骨に埋め込んだ人工関節(チタン土台にセラミック)の状態は「特に問題無し」とのことなのでチョッピリ安心。

実は執刀したT先生にとっても、足首の人工関節置換術は(膝関節や股関節に比べると症例が少ないから)初めての経験だった様で、患者第1号の小生の足首の状態は大いに気になるところらしい。

 

小生が50代半ばで変形性足関節症を患うことになった直接原因は慢性捻挫だが、それは元を質せば若い時にスキーで脛骨を折ったことが背景にある。

骨接ぎ処置をスキー場近くの総合病院でして貰い、入院することなく帰った2ヵ月後、ギブスを外すと脛骨は内側に少し捻じれて繋がっており、長さも数ミリ短くなっている様だった。

当時は余暇にサッカーをしており、影響を懸念したものの特に支障は無かったのだが、10数年後硬式テニスを始めた頃から左足首を軽く捻挫する様になった。

初めは年に1~2度だったが年を経ると共に頻度は増えて症状は悪化、軽いジョギングでも足首を捻ったり痛みで小走りさえ出来なくなるに及んで、テニスはおろか大好きな山登りも断念せざるを得なかった。

 

4年前の骨切り手術で脛骨の捩じりは治したが、足首が内反するのは治らなかった。

自転車に乗る際に、ビンディングシューズは足裏をペダルにフラットに固定してくれるので助かるが、反面歩くのには全く適してないので、出先で歩き回る時にはかなり足首が痛いのが現状。

こんな小生の悩みを解消してくれるシューズ、何処かにないかなぁ・・・。

 

 

さて今日は黄砂で幾分視界が悪いものの、自転車で走るには良さそうな好天気なので、「藤まつりが催されている近所の寺を巡ってみるか」と思い立ち、物置からLapierreを引っ張り出した。

 

まず向かったのは”竹鼻ふじまつり”が催されている羽島の竹鼻別院。

羽島へは居宅から南へ向かって走るのが近道だが、街中走行が多くなってその煩雑さが嫌なので、一旦西に向かって長良川堤防道を南下するルートを採る。

若干路面の荒れている所もあるが、交差点毎に徐行を繰り返す走りよりはずっと増し、広がる視界(黄砂で靄っているが)の中を行く気分は上々だ。

 

竹鼻別院はフジを観に来た人達でそこそこ混んでいた。

駐輪場にバイクを停めて藤棚のある境内へと向かうが、人が多いのでゆっくりとフジを鑑賞する気分にはなれず、そそくさと藤棚を巡って退散することに。

ところが駐輪場に戻ると思わぬ変事が小生を待っていた、盗難防止でバイクにかけた  ワイヤー錠が開錠出来ないのだ。

あれこれやったが全て駄目で「番号は合ってるのに何で?」と天を恨みたくなったが、そんなことをしても何かが変わるわけも無い、鍵部が壊れたと判断してワイヤーを切断するしかなかった。(近くの観光事務所でペンチが借りられて助かった)

 ふじまつりの別院境内へ       普段静かな境内は賑わっていた
  フジは丁度見頃だったが        ワイヤー錠に落とし穴が・・・

濃尾大橋を渡って木曽川サイクリングロードへと向かう。

眼の前に拡がるのは見慣れた景色だが、どこか違う気がするのは何故だろう?

そして思い当たったのは色彩、2ヶ月前に走った時には冬枯れの色が視界の多くを占めたが、今はそれが瑞々しい新緑の色へと変わっている。

「いい季節になったなぁ」まだ薫風とまでは言えないが、軽やかに頬を撫でる風に季節を感じて独り呟いた。

木曽川CRへ向かう(尾西付近)          新緑が眼に映えるCR                  

北方から浅井と木曽川に沿って走り、蘇南公園でサイクリングロードから外れて江南の曼陀羅寺へと向かう。

そこで催されているのが”こうなん藤まつり”で、この近辺最大規模の藤棚(11品種・4,700㎡)が自慢だ。

木曽川を渡る微風も心地いい(一宮市北方付近)

寺が近づくと、車道の車列とそこへはみ出て歩く人達に挟まれ徐行も儘ならないほどの混雑、「来る日を間違えたか」の思いが脳裏をよぎる。

ここまで来たらもう遅いと、混み合った駐輪場の奥まった所(鍵が無いので盗難対策)にバイクを停め、賑わう参道(露店も並んでいて昔の縁日を思い出す)は避けて近道を辿って藤棚へ歩くことにする。

肝心のフジの開花状況はと言うと、見物客は多いがまだ最盛期にはちょっと早い感じ。

藤棚の半分ほどを足早(と言っても速くは歩けないけど)に巡った後「もういいかな」と自分自身を説得してバイクへと戻る。

フジはともかくとして人混みに食傷気味の感じになったので”ふじまつり巡り”はこれで止めて帰ることにした。

曼陀羅寺はフジ見物の客で混雑気味だったが開花の盛りはもう少し先

江南団地の中を突っ切って路地を左・右・左・右と曲がるとお囲い堤ロード(r-183)に出たので、その堤道を直ぐに下り用水路に沿って進むと蘇南公園、山勘の走りだが久々に勘が冴えて思い通りの所に出たので少しニンマリ。

混雑する道を避けて蘇南公園まで戻ってきた

木曽川サイクリングロードには見た限り人影は無く、先刻の藤まつり会場とは雲泥の差だが、その静まり返った雰囲気?が小生には好ましい。

「気持ち良く走れそうだ」とペダルを踏む脚に少し力を入れてスピードを上げた。

138タワーの横を抜けて

このまま北方広場まではNon stopで走るが、そこからは、尾濃大橋へと遠回りするかor木曽川橋を渡って直で帰るか?これは思案のしどころって感じだな・・・。

 

 

 

 

 

 

 

時は移ろい

 

琵琶湖絶景スポットの一つである白髭神社の ”湖面に立つ鳥居” が、以前の様に間近で 見られなくなった様だ。

それは神社側から国道(R161)を渡って湖側に行く人を規制するための防護柵が設けられたためで、これにより今まで湖際に僅かにあったスペースにも立ち入れなくなり、仮に湖側から件の絶景を眺めようとすれば、狭い路側帯に身を置くしかなくこれは非常に危険な行為となる。

”ビワイチ” をしたローディーなら良く解ると思うが、高島から小松にかけての湖岸を 走る5kmほどは、ビワイチルートの中で一番身の危険を感じる所で、小生などは直近を高速(7~80km/hr)で走り抜ける車に怯えながら、60cmほどしかない狭い路側帯からはみ出さない様に注意して必死になって駆け抜けるのが常だ。

そんな訳だから湖面に立つ鳥居を停まってゆっくり眺めたのは初ビワイチの時だけで、2回目以降は走りながらチラ見して通り過ぎるだけ。

まぁ絶景より身の安全だからやむを得ないが、何とも味気ないと云えば然りである。

 

それにしても昨年は1度も琵琶湖へ脚を向けなかったから、もう1年半ほどのご無沙汰である。

新緑の映える時期を迎えたら、奥琵琶湖辺りを巡りながらマキノのメタセコイア並木を観に行ってみるかなぁ・・・。

新緑のメタセコイヤ並木(image)

さて今日は木々の芽吹きに季節を感ずるべく、山手方面へと向かってみることにした。

行先はとりあえず伊自良としたが、岐阜市北東部の山辺を気の向く儘に走るつもりだ。

 

まずは百々ヶ峰山麓の「今尾池を訪ねてみるか」と思い立って、長良川沿いを上流方向へ辿る。

穏やかな陽光が降る中を軽快にクランクを回して進めば、同様に軽くなった気分が眼に入る景色を一層美しいものへと変えてくれる様な気がする。

花粉対策のマスクが不要になり息苦しさから解放されたので、胸いっぱいに新鮮な空気を吸い込むことが出来る。

ほんの細やかな幸せだが、何だかチョッピリ嬉しくなった・・・。

 

鵜飼い大橋を渡って雄総へと向かう道すがら河川敷に眼をやると人だかりがあった。

多数のテントもあって何かのイベントの様だが何だろう?こうして大勢が集まれる様になったのは良いことだが、あのCOVID-19の惨禍を思うとまだ手放しで喜べない自分がそこに居る。

人の集まる催しも多くなった昨今だが・・・

松尾池は百々ヶ峰の登山口にあるのでこれまで何度も訪れている。

昔は池畔に建つ合掌造りの家が、背景を成す山と共に池面に映って美しい景観を見せていたが、数年前に屋根が倒壊して”その美”は失われてしまった。

今は「どんな風になったかな?」と期待しつつ山道を奥へと上ったが、何と池は工事で水が枯れて”スッカラカン”無残に池底を露わにしていた。

「なんてこった」期待を裏切られて茫然自失した後、「折角来たのに・・・」と工事を恨みつつ来た道を引き返した。

 

百々ヶ峰から城ヶ峰へと続く山の麓を伝う様に走って安食へと向かう。

街並みが途切れると辺りは里山の風景に変わるので、妙に気分が休まると思うのは小生の嗜好の故か?

岐阜に住む良さはこんなところで、少し脚を延ばすだけで豊かな自然が眼の前に拡がると云うのは、大都会に住んでいては味わえない贅沢だ。

行く手の奥に垣間見える、奥美濃山地へと続く重層する青い山並みが実に美しく、そこに向かう感じでバイクのスピードを1段上げた。

風を切って進む身体の感覚が気持ちいい・・・。

田園風景を貫いて道は伊自良へと延びる

伊自良の集落を抜けて釜ヶ谷山の懐に抱かれた伊自良湖へと走る。

周りの若芽色に変わった山々の表情が、芽吹きの喜びを体現している様で癒される。

一方、道沿いの桜は既に散り始めて葉ザクラとなっていたが、道の奥まったところの桜(ヒガンザクラ?)は今が満開、ソメイヨシノより少し濃いピンクの花を眺めながら、行く春をチョッピリだけ惜しんだ。

伊自良の里で行く春を惜しむ

長閑な雰囲気に包まれた伊自良湖畔を散策して20分ほど遊び「さて帰るか」と独り言。

帰路は雛倉経由と決めていたが、何だか気怠い感じもあるので途中で”心変わり”するかも知れないなぁ・・・。

途中で菜の花に埋もれて一休み       何とか雛倉経由で帰ってきた