風を道連れに

☆あるボッチローディーの独り言☆

中国のおもいで

今日はロードバイクの話題から離れて昔のおもいで話を独り呟いてみたい。

昨今、中国の評判があまり芳しくないのは周知の事実だ。

大国の優位を笠に着た侵略的拡張主義、ウイグル族迫害、香港問題、コロナウイルスの発生源等どれをとってもマイナスイメージを助長するものばかり。

「大国なら大国らしくもうちょっと大人になってくれよ!」と腹立たしく思うのは小生だけではあるまい。

まぁ悪ガキがそのまま大人になった様な愚劣極まるトランプ(11月の選挙では米国民が理性を取り戻しバイデンを大統領に選んでほしいと切に願う)が米国の大統領になる滅茶苦茶な時代だから、ここは隠忍自重でこんな時代が足早に過ぎ去るのを待つしかないのかも知れない。

中国が「何でこんな国になってしまったのか?」と思うのは、小生には昔の素朴な中国の人達の姿が脳裏に残っているからに他ならない。

今から25年くらい前の事だが江蘇省蘇州市に4ヶ月ほど滞在した。

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運河のある蘇州の街並み

勤め先が現地に設立した法人で技術的サポートをするためで、総経理(社長)を除いた社員は全員中国の人達だった。 

小生、中国語は全く話せなかったが、社員の何人かはそれなりに日本語を話すことが出来たし、共に漢字を使う民族であり筆談で大概の意思疎通が図れたので、言葉の苦労はほとんど無かった。

さて、朝は滞在先のホテルから車で会社へ向かうのだが、その時の光景が今もありありと思い起こされる。

ホテルの敷地から道路に出るとそこは朝の通勤ラッシュの真っただ中、有象無象の人達が自転車に跨り勤め先を目指す。

これが道幅いっぱいに広がって何処までも続くのだから、初めてそれを目の当たりに した時は少なからずカルチャーショックを受けた。

どこにこんなに多くの人達がいたのだろうと云う思いと、寡黙な人の群れが内包する エネルギーへの驚嘆も含めて。

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25年くらい前の通勤風景

現地法人の社員もほとんどが自転車通勤だったが、賀さんという関西大学に留学経験のある青年だけはオートバイで通っていた。

聞けば地方官僚の子息で実家は資産家とのこと、社会主義の国では官僚=金持ちの図式があながち誤ってないと納得した次第である。

 

多くの時間一緒に仕事をした瞿さんは好青年だった。

共産主義青年団胡耀邦胡錦濤らの国家主席李克強などの国務院総理を多数輩出したエリート集団)に所属するというイカツイ面も持っていたが柔和で話好き、仕事以外の話も多くした。

そんな取り留めない世間話の中で、中国では結婚に年齢制限があるうえ勤め先の許可も必要で、それが無いと役所も結婚許可証を出さず事実上結婚できないと知った。

また、彼は小生の蘇州滞在中にめでたく結婚したので、結婚式に参列させてもらうという僥倖もあった。

結婚後は時々仕事が終わると急いで帰る様になったが、何か困った事情があるのか聞いてみると、理由は奥さんと交代で夕食を作るためだと言う。

何事も男女差別なし、女性がことのほか強い(気がする)中国の社会的背景が垣間見える一事だった。

 

張さんは小生と同年代の気さくなオジサンで、まさにThe中国人といえる風貌の人。

旅行が好きで酒が好き、一緒に飲むと近在の観光地へ行った話やこれから行こうと考えてる場所などを嬉しそうに話してくれた。

離婚経験があり当時の奥さんは2度目の相手、見かけによらず?張さんは女性好きで、現在の奥さんの他にもう一人深い中の女性がいるとの噂話がまことしやかに囁かれて いた。

「干杯、ガンペイ!」といって何度も白酒(アルコール度数45%)を飲み干すので、それに付き合わされる身としては結構大変だったなぁと張さんの笑顔とともに思い出される。

 

劉さんは農民工農村戸籍の都市生活者)で苦労しながら独学で日本語をマスターした努力の人、気立てが良くおまけに美人だった。

現地法人の社員ではなく、工場建設を請け負った邦人建設会社の現場事務所に雇用されており、小生が打ち合わせなどで訪ねる度に色々とお世話になった。

ある時、小生が劉さんにちょっかいを出しているとの謂われ無き中傷が現場事務所で 囁かれていると小耳にはさんだ。

実は小生の上司(常務)が現場事務所を訪れた際に、何かと世話をした劉さんを気に 入り「工事が終わって仕事がなくなったら現地法人の社員に採用したいけど、その意思はあるか確認しといてくれ」と打診を託され、それを秘密裡に伝えているところを誰かに見られていたのだ。

人の噂に戸は建てられないが、多分劉さんが火消しに努めたのだろう、いつしかこの噂は消えていった。

その後、彼女は現地法人に社員として入社し、社員研修で訪日した際には小生に会いに来た。

またそれから10年くらい経ってからだろうか、現地からの便りで劉さんは総務部門の責任者として頑張っていると聞き、吾が事のように嬉しく思った。

 

他にも廬さん(次期総経理の座を目指して奮闘していた上昇志向の女性)万さん(筑波大大学院で学んだことのあるインテリの民主党員:一党独裁の中国に共産党以外の政治結社があるとは意外だった)王さん(格闘技が趣味の愛妻家)蔡さん(チャーミングだが男勝りの頼りになる女性)陳さん(英語が得意なナイスガイ)ら実に多くの人との 知己を得た。

今頃彼らはどんな生活をしているのだろう?大変貌を遂げた中国の様態を見るにつけ、懐かしむ様に思いを馳せている。

 

話は変わって休日をどう過ごしたかについて呟こう。

土日は基本休日だったがホテルで無為に過ごすのも早々飽きたので、土曜は度々仕事に出かけた。

休日は送迎の車が無いので足は自分で都合しなければならない。

そこで目を付けたのがホテルの前にあるお土産屋、外国人観光客目当ての貸自転車が あったのだ。

料金は1日100元(約1,400円)と当時では法外な値段(国営企業に勤める労働者の年収が6,000元程度の時代)を吹っ掛けられたが支払って借りるしかなかった。

これが何度か続くうち店主とも仲良くなって値段は次第に下がっていき最後は30元で 落ち着いた。

自転車を借りる事にも慣れ、蘇州の街の様子も次第に分かってきたので、大胆にも休日は方々を観光してみようという気になった。

蘇州は歴史の街(臥薪嘗胆の故事や三国志の舞台となった呉の都)であり、街中のいたるところに名所旧跡があるが、有名どころを訪ねるだけで十分事足りた。

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盤門                   北寺塔

盤門(蘇州城の水門遺跡)、拙政園、北寺塔(三国時代建立の蘇州最古寺塔)、虎丘、寒山寺(楓橋夜泊の漢詩の舞台)などを目指して独り自転車を駆る姿は、彼の地の人達の目にはどの様に映っただろう?

当時はまだ人民服を着ている人も少なからずいたから、変な格好の日本人は直ぐに判ったに相違ない。

 

拙政園は中国を代表する庭園で四大名園に上げられた内の1つだ。

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拙政園の回廊

さぞかし素晴らしい庭園だろうと想像を膨らませて入園したが、しかしその期待は少なからず裏切られた。

透明度の無い濃緑色の池とその周りに配置されたチョット薄汚れた中国様式の建物群、借景や太湖石などで風景に変化はあるが、その何処を見ても小生が感じる「美」というものは見いだせなかったのだ。

どうも中国の人達は景色に精神性という抽象的なものを反映させて、それを伺い知れるものが美だと思っている節がある、多分これが美意識の違いというものなのだろう。

蘇州には留園というもう1つの四大名園があり、そこも行く予定だったが見るまでも ないと中止した。

 

虎丘は春秋時代の呉王闔閭が眠る墓陵の丘。

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小高い丘に建つ墓陵塔の威容(少し傾いている)

無錫へと向かう列車の車窓から少し傾いた寺塔を見て是非訪ねたいと思っていた場所だった。

まだGoogle Mapなど無い時代、蘇州市街図といった地図も持ってはおらず頼りになるのは自分のにわか土地勘のみ。

幸い山で鍛えた方向感覚があったのでそれを頼りに初めて通る道を右に左に自転車を駆って小1時間、大きな運河に沿ったその先に見覚えのある寺塔を発見した。

近づくと辺り一帯は公園の様に整備されており、小高い丘の上に建つ寺塔は思ったより傾いている事が判った。

東洋のピサの斜塔と称されている所以だが、さらに近づいて見上げるとレンガ造り? らしき寺塔は2400年の時を経てかなり損傷しており、大きな地震でもあれば倒壊するかもと思われた・・・。

(あれから25年ほど経った現在、斜塔はまだ建っているので案外頑丈かも?)

 

こんな感じで4ヶ月余りを過ごした中国は小生にとって印象の悪い国ではない。

政治体制や権力構造がどんなに変わろうとも、市井に暮らす人々はその大多数が善良で「良い人」達であることに変わりはないのだから。

蘇州の名所めぐりをする傍ら上海、無錫、南京などの都市も休日を利用して訪ねたが、この列車を利用したプチ旅行のあれこれは、また何れの日にか呟きたいと思っている。