風を道連れに

☆あるボッチローディーの独り言☆

秋も打ち止め

 

サッカーW杯カタール大会も16強が決まって決勝トーナメントが始まった。

ドイツとスペインを破るという、大方の予想を裏切る展開でトーナメント進出を決めた日本だが、果たして難敵クロアチアに勝って、念願の8強へと駒を進めることが出来るだろうか?

 

小生がサッカーの面白さを知ったのは中学の体育の授業。(それまでサッカーのサの字も知らなかった)

単なる遊びの延長みたいな内容だった(と思う?)が、そのせいもあって高校の3年間はサッカー部に入った。

当時は日本サッカーの黎明期的な時代で、Jリーグの前身である実業団リーグや大学・ 高校の選手権などはソコソコ観客を集める様になっていたが、その選手らの実力はと 云えば正直まだまだ。

今では実力伯仲ないしは日本が優勢の韓国との対戦成績だが、当時は20戦して3勝12敗 5分けと圧倒的に韓国の強さが日本を凌駕していた。

小生が国立競技場(当時の)で観た或る年の日韓戦は、3対0の完封負けでやたらと韓国選手のファイトある動きが目につき、彼我のレベルの差を痛感した記憶がある。

 

スポーツ全般に言えることだが、観客は選手の”華麗なプレー”に驚嘆し興奮する。

確かに常人離れしたプレーにはつい「すごいなぁ」との声が漏れるが、そんなプレーは 試合中に何度もある訳で無く、しかもそれが試合の趨勢を決めることもあまり無い。

それよりも試合に大事なのはプレイヤーの気概。

集中力を持続させつつ相手を上回る闘争心でプレーを続けることが何よりも肝要だ。

昔観た日韓戦でも強く感じたのは、日韓の選手の試合中における気概の差だった。

 

まぁ何はともあれ、今回のクロアチア戦に出場する各選手には、是非ともピッチの上で躍動して貰いたいものだ。

とにかく日本ガンバレ‼・・・。

 

さて、10月から始まった紅葉巡りライドも今日で最後。

有終の美を飾るべく、滋賀県湖北地方マキノのメタセコイヤを訪ねるつもりだったが、生憎の寒波襲来による天候不順(湖北地方は雨予報)で止む無く断念。

仕方なく「手近なところで紅葉名所は」と考えて揖斐の横蔵寺へ向かうことにした。

 

河渡橋で長良川を渡り北へと向かう。

北方⇒本巣⇒谷汲へと走るのが前半のルートで、途中まで町並みを縫う為ペースを上げられないが、最近の小生の体調(身体が慣れない内の負荷増は疲労感が半端ない)にはそれが合ってる。

本巣を過ぎる頃になると身体も負荷に慣れてようやく普段の走りが戻ってきた。

山も近くなって、それらに視線を投げながら走ると気分も上がると云うもんだ・・・。

樽見線に沿って道は続く         枝もたわわに生る筆柿

この辺りは柿生産農家が多く、走路脇に拡がる柿畑では富有柿の収穫がほゞ終わって いたが、筆柿がまだ収穫半ばという感じで残されていた。

筆柿は甘いものと渋いものが一緒に生るというから「残っているのは渋柿?」あるいは「野鳥へのご褒美かも?」などと勝手なことを思いながら走るのは小生のいつもの癖。

注意力散漫に走っていると危ないのは解っているが、小生の様なボッチローディーから愚考や独り言を取ったら走る愉しみの半分以上が無くなってしまう。

 

華厳寺をスルーして岩坂をゆっくり上っていると、後から来た車が小生を追い越した先で峠越えの山道へと入っていった。

「珍しいなぁ、確かあの道は九十九折れの細道?」200mほど先にトンネルがあるのにわざわざそんな道を選ぶには理由がある筈で「最近流行りの酷道マニアかなぁ?」いやいや「少し犯罪の匂いがしないか?」などとこれまた勝手な想像をして愉しんだ。

この車、小生がトンネルを貫けた先で山道を下りて来るのをまた目撃。

「うむ、峠越えして来たにしても時間がかかり過ぎだな?」とその行動への疑念が更に深くなった・・・。

岩坂トンネルを貫けてその先へ       路傍のモミジは散り始めていた

横蔵寺門前の駐車場にバイクを停め、朱橋を渡って境内へと向かう。

季節外れに高い気温が続いた今秋とは言えもう12月、やはりここも紅葉の盛りは過ぎており、葉を落とした木々がそこかしこに目につくのは致し方ない。

御蔭でと言うべきか?紅葉見物の人が少ないのは小生には有難く、これでゆっくり境内を散策できると内心ほくそ笑んだ。

 

石段を上がった場所のモミジが、緑・黄・赤にグラデーションして美しい装いを見せているのをしばらく眺めた後、仁王門をくぐって三重塔へと歩く。

今の横蔵寺伽藍の多くは江戸時代初期に建てられているが、その中で最も古いのがこの三重塔。

その古色を帯びた佇まいには、幾多の風雪に耐えて今ここにあるという、歴史の重みが感じられて感慨深いものがあり、小生はこの建物が特に好きだ。

石垣の上のモミジは美しい装いで魅せていた
古色蒼然たる三重塔          本堂のご本尊は薬師如来

本堂で形ばかりの参拝を済ませ、鐘楼⇒舎利堂へと景色を眺めながらゆっくり歩く。

渓流のせせらぎと紅葉した木々を通して注ぐ木洩れ陽が、小生の心持を平安にすると共に静かに癒してくれた。

せせらぎと木洩れ陽に心癒された

横蔵寺を後にしてr-40を揖斐峡へと向かう。

Winding roadを気持ち良く走って乙原交差点に出た所でこの先をどう走るかで迷う。

揖斐峡の右岸か左岸か?右岸を走りたいが「通行止めはどうなったんだろう」と考えていると、揖斐峡大橋の向こうから車がやってきた。

「おっこれはひょっとして行けそう?」長らく続いた通行止めは解除されたと判断して一か八かに賭けてみることにした。

揖斐峡大橋を渡る            揖斐峡は奥へと続く

賭け?の結果はOK、以前引き返した箇所にバリケードは無く通行止め表示も撤去されていた。

「そうなると上流側も解除されたかな?」と橋より上手の通行止箇所が気になったが、今更引き返して確かめるのも億劫なのでそのまま右岸道を下る。

あと5歳いや10歳若かったら確実に引き返しただろうが今はその元気が無い。

歳をとるというのはやっぱり悲しいなぁ・・・。

久し振りに走れる様になった右岸道        対岸の左岸道は細く危ない

快適に走って揖斐川町までやってきた。

あとはこのまま揖斐川沿いを大野まで走り、そこからは旧中山道を美江寺⇒河渡と辿るつもり。

「あと1時間ちょっとかな?」連れ合いからは「いつも短く言う」と窘められるおよその予測時間が口を突いて出た。