風を道連れに

☆あるボッチローディーの独り言☆

災難続き?

 

昔(30年ほど前)仕事で中国江蘇省の蘇州に半年近く滞在した。

蘇州は古く(春秋時代)から呉の都がおかれた歴史都市だが、そこに住む人々は素朴な人達が多く、隣接する上海と較べると何もかもが”おっとり”していた様に思う。

滞在中は仕事面だけでなくプライベートでも、現地社員と飲食を共にしたりプチ旅行に出掛けたりして親交を深めた。

また皆から誕生日を祝って貰ったり、特に親しく接した人からは本人の結婚式に呼ばれたりもした。

「皆日本人と何ら変わらないな」というのが、中国の人々に接して思った当時の小生の偽らざる主観。 

あの頃、小生も含めた日本人の多くは中国を親しめる隣国と思っており、中国の多くの人達(日中戦争で悲惨な目にあった高齢者の一部は除く)もまた同様に思っていた。

 

しかし、その風潮もやがて変わる時が来る。

1990年代後半、鄧小平から江沢民へと継承された改革開放政策がようやく軌道に乗って中国が経済大国への歩みを辿り始め、それと軌を一にして愛国教育を受けた若者らが 世論形成の主体となるに従い”反日”が中国(その為政者)の政治的主張の一つとなったからだ。

中国の愛国教育は、次第に国内に高まる民主化の声を押さえて”共産党独裁”を延命させるための為政者の方便に過ぎないのだが、幸い(為政者には)にして経済的な成長と いう好餌を前にして中国の人々はそれを受け入れ、敢えてそこに異を唱えなかった。

こうした世論を背景にして、習近平はタブーを破って長期政権の座に居座り続けるだけでなく、その侵略的拡張政策で近隣諸国は言うに及ばず、中東・アフリカ諸国でも軋轢を生んでいるのが現状だ。

 

小生は悠久の歴史に彩られた中国という国が好きだが、最近のこの国の有り様には何とも得心できず、時に腹立たしささえも覚える。

過去に仕事以外でも中国各地を旅行したことがある小生だが、また以前の様に親しみを持って中国を訪ねることが出来るんだろうか?

米国で起きたスパイ気球の撃墜事件に絡む報道などを聞きながら、色々と思った次第である・・・。

 

さて、2月の寒さと若干の体調不良に感けてこの1週間ほどはライドに出渋っていたが、今日は暖かくなるとの予報もあったので意を決して出掛けることにした。

行先は、取り敢えず木曽川を下って揖斐川を上る大まかな周回ルートとしたが、実際の走路は走りながら決めるつもり。

 

まずは街中を木曽川べりの笠松湊公園へと走る。

小生は、この時期は防寒対策としてジャージの上にウインドブレーカーを羽織るのが常だが、今日はブレーカーを着無くても良いので助かる。

何と言っても、寒さに堪えながらとか苦しさに耐えながらとか云うのは ”マゾヒスト” じゃ無い限り”愉しいとは言えない”からねぇ。

笠松湊は昭和初期まで木曽川水運の中継点として栄えていた処

湊公園を出て木曽川橋を対岸へとの渡り終えた直後のこと、段差でバイクが少し弾んだその軽い衝撃でサイコンがマウントから外れて落下した。

「えぇやっぱし・・・」実は出発時にサイコンをマウントにセットした際「バキッ」と変な音がしたが、その時は手で触れて若干固定が緩そうと気付いたものの、多分大丈夫と判断していたのだ。

落ちたサイコンを拾って壊れてないか確認した後、マウントにセットしようとするが、これが固定が出来ない。

「どうして?」とサイコンとマウントを再確認すると、何とマウント側の固定リングが割れて無くなっていた。

これじゃサイコンを固定できないのも道理で、先々週の電池切れから続くサイコン絡みのトラブルに「俺なんか悪い事したかぁ」と我が身の不運を嘆くしかなかった・・・。

破損したサイコンマウント(固定リング部が割れて無くなっている)

木曽川右岸沿いのサイクリングロードを下流(南)へと走る。

風は北西から弱く吹いており、その助けで快調にクランクが回るので少し気分も上向き加減、先刻までの沈んだ気分はいつの間にかどこかへ飛んでいった。

この辺りは眼前に遠くまで見通す風景が拡がるビューポイント、風を切って進みながら視線を遥か彼方の山並みに送れば、バイクで走る爽快さと楽しさが身体の隅々まで沁みわたる。

木曽川サイクリングロード(一宮市奥町付近)

東海道新幹線木曽川橋梁の先で進む架橋(新濃尾大橋)工事の進捗を見るためチョット寄り道。

この橋は上流の濃尾大橋の交通量緩和を目的に計画され、当初は2022年3月の完成予定だったがこれが遅れて1年の延期、しかし今の工事状況を見る限り今年3月の完成も難しそう?(素人判断です)

こう云う大規模公共工事を見ながら思うのは「この工事って本当に必要?」の疑問。

道は何処と何処をどう結ぶかで交通量が決まり、濃尾大橋は一宮市大垣市を最短距離で結ぶルート上の橋。

しかし新濃尾大橋は南に3kmほど離れて架けられるため、これへの接続には新たな道を設けなければならず、しかもその道は今より遠回りになるので、其方に交通量がシフトするとは考え難い。

まぁ国交省にこの疑問をぶつけたら、多分「道は長期的展望に拠って計画造成します」て云う様な返答をするだろうけどね・・・。

あと橋桁2つ分の架橋工事が残る新濃尾大橋

新濃尾大橋開通により廃止される”中野の渡し(木曽川に唯一残る渡し船で、こう云う情緒ある物?が無くなるのはチョット残念)”を横目に見ながらサリオパーク祖父江へと向かう。

この辺りも視界一杯に風景が拡がり、その解放感が小生の走りを助けてくれるので脚も自然と軽く回り出すというもの、心持スピードUPして風に乗った。

そのまま軽快に走って公園に到着。

平日なので公園に人影はまばら、川辺の石段に腰掛けて眼前に拡がる風景を愛でながらゆっくりと休むことが出来た。

木曽川の流れの向こうには伊吹から養老への山並みが連なる

「さてこの先どう走るかな?」まずは馬飼大橋を渡るルートを考えたが、少し走り足りないと思えてもう一足伸ばし東海大橋を渡るルートに決めた。

東海大橋を渡りそのまま海津まで直進⇒揖斐川に沿って広域農道を平田⇒中江川沿いを走ってお千代保稲荷へ”と大まかな走行ルートを脳裏に描く。

問題は風向きだが、往路で楽する分復路が辛いのは仕方ないこと、今より風が強くならなければ「大したこと無いさ」と楽観的に考えて自分を納得させた。

東海大橋を渡り養老山地の麓を目指す

海津まで想定したルートを走ってきたが、風は思ったほど走りの邪魔をせず、御蔭で脚の疲労もほとんど無しで心の余裕が生まれた。

そこで、この先で広域農道に入るのは止め、福岡大橋を渡って揖斐川左岸沿いを今尾橋まで走ることに急遽変更。

少し遠回り(と言っても3kmほど)にはなるが、気持ち良く走るには絶対こっちの方が良いに決まっている。

 

久し振りのお千代保稲荷は結構な人出だった。

休日ならともかく平日にこの人出はチョット意外で、参道を少し覗いただけでお稲荷さん参拝は諦めて退散することに。

元々人混みはあまり好まない性分もあるが、バイクを牽いてトボトボ歩く姿を想像して「あまり戴けないなぁ」と思ったもんで・・・。

千代保稲荷はこの参道のずーっと奥

お千代保さんを後にして次に向かったのは”安八百梅園”

輪之内⇒安八と走って名神高速の高架をくぐると目的地はもうすぐ、走りながら梅園のある辺りに視線を送るがどうも花色は見えない。

「まだチョット早かったかぁ」失望しながら梅園に近付くと、やっぱりほとんどの梅は硬い蕾の状態だった。

「今年の開花は遅くなるのかなぁ」「梅の品種って随分と多いなぁ」そんなことをブツクサと呟きながら園内を散策し、わずかに咲いてる梅花を写真に収めてから梅園を後にした。

ほとんどの梅が蕾状態の中で八重寒紅だけが花を咲かせていた