このところ北西から強い風が吹くことが多くなり、季節が秋から冬へと足早に移ろっていく様を少し寂しい思いでみている。
昔は冬は好きな季節だったのだが、体力気力の衰えと共に強いて好きとは云えなくなった自分の変化が、少なからず残念でもあり悲しくもある・・・。
今日は、風が無く天候も良いライド日和なので、いつもなら遠出ライドということに なるのだが、どうも身体が軽めのライドを要求しており、心もそれに従うよう求めて いる。
「そうだなぁ、久々に犬山辺りまで走ってみる事にするか」と妥協して、出掛ける準備に取り掛かった。
居宅を出ると、まずは南方向の羽島に向けて市街地を走る。
犬山は東方向だから進む方角が90度ズレているが、これは走行距離を稼ぐための一つの方便で、この遠回りによって直に進むのに較べ10kmほど余分に走ることになる。
また、この距離10㎞・時間にして30分に満たない走りをすることで、ペダルを廻す脚が軽くなるし、バイク走行に身体が順応するようになって、一石二鳥の効果も期待できるので、小生は時々この遠回りをする。
さて、木曽川にかかる濃尾大橋に向けて市街地を軽快に走行していた時の事である。
前方左の路地からワンボックスカーが通りに出ようと顏を出した。
運転手の女性はこちら(右)を見てから左に顔を振って通りに出る機会を伺っている 様子。
この女性はロードバイクで迫る小生の姿を確かに見ており、通常ならバイクが前を通過するのを待って車を発進させる筈だが、これまでの経験から小生は「これは危ないぞ、多分前へ出るに違いない」と判断してブレーキを軽く効かせた。
車まで7~8mまで迫った時、案の定、女性は車を発進させて通りに出てきた。
小生は咄嗟に急ブレーキをかけて衝突回避行動をとる。
あわやぶつかると思われたが、バイクは不安定になりながらも転倒せずにギリギリ車の後ろを通過して事なきを得た。
女性ドライバーは何事も無かったかの様にそのまま走り去った、多分バイクと衝突し そうだったことさえ気付いて無かったのかも知れない。
同様のことは今まで何度も経験したが、幸い事故になることは無く僥倖だったと言う しかない。
小生が思うに、これは偏に多くのドライバーがロードバイクのスピードを誤認しているのが原因だ。
「相手は自転車だからまだ来ないだろう」と思って前に出るが、実際には7~8m/sの スピードでバイクはそこに迫っており、30m向こうでも4秒後には車の前に居る。
全く車(と云うよりそれを操る人間という生き物)は信用できない。
「早く車の通らない安全な道に入らなければ」と、車の動きに注意しつつ先を急ぐことにした 。
濃尾大橋を渡って愛知県側の堤防道路に入ると車の通行が殆ど無くなる。
これでひとまず安心、もう少し走ればサイクリングロードに入れるので緊張する走行 からは解放だ。
ロードバイクで走っていて何時も感じるのは「日本は自転車貧国だなぁ」ということ。
以前ドイツを旅行した時、市街地では車道と区分された自転車道が、また郊外では車道と並行する形での自転車専用道が延々と続いているのを見て、さすがに自転車先進国は違うと感心したものだが、次代への責任として脱炭素社会を目指す意味でも、我が国も彼の国に倣った整備をして欲しいものだ。
サイクリングロードを新木曽川大橋の上手まで走って来ると、視界が大きく開け遥か 彼方の山並みまで望見出来る様になる。
バイクのスピードを緩めて深呼吸しながら遠くに視線を送ると、左手の山(各務原の 裏山)の向こうに、山頂に雪を纏った大きな山が顔を出しているのを認めた。
「御嶽山だ!」今年はまだ降雪が少ないようで、肩から下に雪が無い姿は少し悲しげに見える。
御嶽山といえば、登山者63名が亡くなった6年前の噴火災害で多くの人がその名を記憶に刻んだが、それ以前から短い間隔で噴火と地震を繰り返している危険な山である事を知る人は少ない。
小生が最も記憶に留めているのは、36年前に起きた山頂付近を震源とする地震で、これにより発生した山崩れで29名が亡くなっている。
しかも地震で山崩れするその場所辺りで、荒々しい景観の小火口群から立ち上る水蒸気煙をのんびり眺めながらキジ撃ち(用を足す事)をしていたのだから世話はない。
もし1週間あとズレで御岳山に登っていたら・・・、それを思うと運命は偶然の結果の集積だと言っても良いのではないかと考える。
まぁいずれにせよ、山は遠目には美しいが本質は荒々しく危険だという事、その二面性を忘れると痛いしっぺ返しを受ける事になる。
扶桑緑地公園でサイクリングロードを離れて堤防道路を走るが、この道は幅員が狭く 充分な路側帯が確保されてないので、絶えずバックミラーで後方からの車を確認して の走行だ。
犬山緑地の先の信号を左折すれば犬山城まではあと少し、到着したら少し休憩しようと決めた。
犬山城は、現存天守が江戸時代前に建てられた国宝指定のお城である。
明治初めの版籍奉還と廃藩置県によって、各地の大名領地は国のものになった事は学校で勉強した。
その結果、国の財政難により多くの城は放置されたり廃城になったが、この犬山城だけは旧城主の成瀬家に譲渡されて個人所有になり、それがつい最近(平成16年に財団法人所有となる)まで続いたという日本でただ一つの城でもある。
「この城、実は俺んちの」というのは恰好いいので言ってみたいが、重要文化財(国宝も含む)に指定された建造物の修理などは所有者が負うことになっており、国宝の城を維持管理するのは相当に大変だったらしいから、下世話に庶民が羨むのはお門違いと いう事だろう。
城というのは過去の遺物ではあるものの、何故か今も人を引き付ける魅力がある。
木曽川に臨んだ小高い山に建つ犬山城を眺めながら、この城の歩んできた4百年余の 歴史に思いを馳せてみるのもいい。
休憩後、犬山寂光院の紅葉でも見てみようと途中までバイクを走らせたが、急に意欲を失って引き返すことにした。(少し歩かなくっちゃいけないし、人出も多そうに思えたから)
こんな時、ボッチローディーは気儘だ、誰にも相談することなく自分で決められる。
「それじゃァ帰ろう」帰路は各務原経由のルートにするかな・・・。