風を道連れに

☆あるボッチローディーの独り言☆

金生山から池田山へ

今日は東寄りの風はあるものの終日好天が続くという事で、久し振りに養老から関ヶ原へと回遊するライドをしようと前日の夜には考えていた。

しかし、簡単に済ませる心算の医院で思いの外時間を取られてしまった結果、出かける時間が予定より遅くなったので止む無く行先を変更することにした。

さぁて何処へ行こう。

3時間ぐらいで帰って来られる半径30㎞圏で幾つかの行先案を思い浮かべる。

「南方面へは昨日行ったし北はその前、東へは6日前に行ってるのでやっぱり西方面だろうな。

そういえば赤坂から揖斐へ抜ける山沿いの道は最近走ってないので行ってみるか・・」

ということで数分の思案の末行先は大垣の西向こう、赤坂の金生山から池田山の山麓を巡るコースに決まった。

山沿いの道とは云え本格的なヒルクライムをする訳ではないので、バイクはLapierreで良いなと即断し手早く身支度を整える。

 

いつものルーティンで天候と風向きを確認したのち居宅を出発、墨俣を目指す。

西方面へバイクを走らす場合はほゞ墨俣を経由するので通るのは走り慣れた道だ。

走り出し時は少し肌寒く長袖ジャージの下を半袖アンダーにしたことを後悔したが、 ケイデンスを上げてペダルを漕ぐうちにそれも忘れた。

身体が少し温まってきた頃、墨俣の長良川に架かる橋が真近に見えてきた。

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90年余の風雪に耐えてきた長良大橋

長良大橋は昔ながらのトラス型鉄橋(曲弦ワーレントラス橋)で、大型車両が通ると たわむ様に振動することから小生などは通行するのに一抹の不安を覚えるが、それは さておき構造物としては戦前の面影を残す近代土木遺産として貴重な存在らしい。

 

橋を渡って墨俣一夜城の脇を通り抜ける。

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墨俣城(歴史資料館)

この城、ふるさと創生1億円を使って30年ほど前に建てられた天守造りの城だが、元々の墨俣城は砦の様な造りだったらしいから、そんな事実を知ると何とも違和感を覚えずにはいられない。

これを建てる時、美麗な天守の方が質素な砦よりも見栄えが良いと関係者が考えたのはわかるが、もうちょっと史実に合わせた城郭にしてくれていたらなぁと残念に思うのは小生だけではあるまい。

 

墨俣からは一旦北西方向へ進路転換し、巣南で揖斐川を渡って旧中山道沿いを赤坂へと向かう。

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揖斐川にかかる橋から西方を望む

中山道は明治の初めごろまでは京都と東京を結ぶ主要幹線だったが、今この道をバイクで走っても、さぞかし賑わったであろう街道筋の宿場の街並みや長良川揖斐川の渡船の渡し場などその面影を残す風景を目にすることは出来ず、僅かに中山道一里塚と記した道標や石柱などでそれらを窺い知るばかりである。

それほど遠くない将来、ここを中山道という街道が通っていたことさえ人々の記憶から消え去るかも知れないなぁと少し寂しく思う。

人の世は正に栄枯盛衰、時の流れにあがらう術はない様だ・・・。

 

居宅を出て約1時間、赤坂・金生山の近くまで走ってきた。

この山は江戸時代の昔から石灰岩や大理石を採掘してきたので、今ではその山塊の殆どが無くなってしまっているが、小生が若い頃はもっと緑が多く山らしさを残していたと記憶している。

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石灰岩などの採掘で削られた金生山の山塊

と言うのも、当時想いを寄せていた女性がこの近くに住んでおり、デートの後に送ってくる度この山を目にしていたからだ。

彼女とは1年半ほど付き合ったが、色々あった末に結局フラれて別れた。(傷心を曳づって北海道を一人旅したのも苦い思い出だ)

数年後、彼女は小生の知らない男性と結婚したと人づてに聞いた。

それからまた数年後、彼女は夫を病で亡くし若くして未亡人になったと、これも人づてに聞いた。

今でも彼女の家があった辺り(大きく様変わりしており場所すら定かではない)をバイク走ると、時に居る筈も無いひとの姿を求めていたりするのは儚い感傷なのだろう。

 

赤坂の街中を通り抜けて青墓(八つ墓村みたいなおどろおどろしい名だが、実は由緒正しき歴史ある地名らしい)を右に回り込むと、これからは金生山の西側の山沿いの道。

平坦路のあと緩い登坂がしばらく続いて円興寺峠のトンネルを抜けると池田温泉日帰り温泉施設)の交差点に至る。

池田温泉の湯は名湯下呂温泉と同じアルカリ性単純泉で、湯につかった肌のヌルり感は下呂に引けを取らない。

ゆっくり入湯したいところだがスルーして先へと進む。

 

温泉施設の横道を抜けて登路を山中にとると距離9.3㎞・標高差800mの池田山ヒルクライムコースになるが、ヒルクライマーではない小生にはほゞ無縁のルートだ。

交差点を右に少し下り左に折れて池田ふれあい街道に入るのが今日の小生のルート。

池田山の山腹に付けられた道は、はじめのうち舗装の若干悪い所もあるが走り辛いほどでは無く、アップダウンを繰り返しながら徐々に高度を上げていくので、脚の疲れも少ない。

やがて斜度もキツクなり呼吸も速く荒くなったところで最高点に到着、後はほゞ下りになるので展望の良い場所で休憩をとることにした。

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池田山ふれあい街道からの眺望

さぁ出発しようと携帯で時刻を見るとなんと11時47分、思っていた時刻より30分は遅く予定していた揖斐川町経由の帰路ルートのままだと居宅に付くのは1時半すぎになってしまう。

1時頃には帰ると言って出てきたので仕方が無いここから麓に下って帰ることにした。

 

茶畑の道を下り畑のあぜ道を抜けて開けたところへ出ると、原っぱで男性が3人何やら大きな布様のモノを片づけている。

何をしてるのかな?と思う間もなくすぐに分かった、パラグライダー用のパラシュートを畳んでいるのだ。

池田山はこの辺りでは有名なパラグライダー・ハングライダーのフライトエリアで、 休日ともなると幾つもの浮遊体が大空を悠然と舞っているのを見ることが出来る。

何処に降りるのだろうと思っていたが、その着陸場所がここだったという事か。

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池田山のパラグライダーエリア

小生も昔一度だけパラグライダーで飛んだことがある。

スキー場で催された体験会でのことだが、2時間余りの実技講習の後装備を着けていよいよ飛ぶことになった。

斜面を下に向かって勢いよく駆けだすと5~6mほどで身体がふわりと浮いた。

ハーネスにかかる体重を感じながら地上5mくらいを30mほど飛んだだろうか?これ以上飛んだら高度が上がって危ないと一瞬の恐怖心に駆られ降下の紐を引いた。

降下時は紐をゆっくり引くと言われていたのに強く引きすぎた様だ。

パラグライダーは浮力を失って急降下し、小生の身体は斜面に尻から衝突。

幸い怪我はなかったが、衆目の中で飛んだ?恥をかき小生の自尊心は傷ついた・・・。

 

おっと、これまたとんだところで時間を費やしてしまった。

予定通り居宅に帰り着くためここからはnon stopで走る事にしよう・・・。