言葉使いと云うのは時代と共に変遷していくものだが、それを頭で充分に解りつつも、聞くたびに違和感を覚える言葉がある。
例えば”香り”という言葉あるいは表現もその一つ。
先日、ラジオを聴きながら車を運転していたのだが、SLのイベントを取材していた鉄道ファンらしき女性リポーターが、蒸気機関車の吐き出す煙を間近で嗅いで”香り”の言葉を連発してはしゃいでいた。
小生が子供の頃にはSLはまだ現役で在来線を走っており、母に連れられて在所を訪ねる時などによく乗ったが、開けた車窓から入ってくる排気煙の煤けたニオイは”臭気”ではあっても”香り”と表現される甘美なものではなかった様に記憶している。(多分これはあの時代を知る年配者には共通した認識だ)
鉄道ファンの中にはあのニオイに郷愁?を感じる人もいるだろうから、それを”臭い”とは言わないまでも+イメージの”匂い”と言うのが妥当でなかろうか?と、小生は勝手に思っている。
最近は本当に「言葉の誤用が多いなぁ」との印象があるが、これはそれを使う人の問題と言うより、それを無責任に広める情報媒体(マスメディアやSNSなど)の姿勢に問題の根源があるのではないか?
まぁそうは言っても、こういう言葉の使い方に ”イライラ” するのは、小生の様な偏屈な老人だけなので、ほとんど世間に実害が無いのは確か。
TVの娯楽番組で”やばいやばい”と連呼する若者の声を聞きながら、やくざ渡世でもあるまいし「何か隠しておきたい悪事が露見したか?」と独り嘯く日々である・・・。
さて、今日は「40℃超えの猛暑になる」との予報なので、体調を気遣う?妻に「4時間くらいで帰ってくる」と約して自転車で出掛けた。
行先は、池田町から揖斐川町にかけての山際だが、走路自体はその時の気分次第で決めるという曖昧なライドだ。
いつもの様に長良川堤防に出てまず向かったのは墨俣。
先週も訪ねたウォールアートの未知の場所が全て判り、その内の2ヶ所がこれから走る走路に近いのでチョット寄り道して観るのが目的。
ステンシル絵は、あの”バンクシー”の作品で一躍有名になったが、元々は街角の落書き扱いされていて、その芸術性はあまり認められてなかったらしい。
人は本質的に保守性向が強いから、新奇なものが市民権を得るには、時代がそれを許容するまで待つ必要があるということだ。
それにしてもこういうのって、観る人の”感性”に訴えたり”メッセージ性”があったりしなくちゃいけないから難しいよねぇ・・・。
瑞穂から大野へと走ってr-53(伊吹ばら街道)で揖斐川を渡ると、此処からは池田山の霞間ヶ渓を目指す。
晴れ渡った青空に池田山の稜線が際立つが、先刻から額を伝い落ちた汗がサングラスを濡らすので、視野がわずかに朧げに歪んで見えている。
「暑いなぁ」夏の陽射しが容赦なく首筋を焼くので、ペダルを漕ぐ内部発熱も相まって体温は上昇気味。
まだ喉の渇きは無いが「いつもより早めに水分補給しなくちゃな」と独り言を呟いた。
霞間ヶ渓の急坂?を汗滴らせて登り、池田山麓を南北に縦断する”池田ふれあい街道”に着いてホッと一息。
高度差60mほどの坂だが、坂嫌いを自負する小生にはそんな坂道でも「もう充分」って言う感じ。
ヒルクライムは ”自転車乗りの王道” みたいな雰囲気がどうも世間?にはある様だけど、何でこんな苦しいことを好き好んでやるのかねぇ・・・と偏屈爺ぃは思った次第だ。
小休憩の後、時折覗く濃尾平野の展望を道連れに、ふれあい街道を北に走って春日へと向かった。
この道は、大津谷公園まではUp Downが続くが、その先は下りとなるので、風を全身に感じて快走する爽快感が楽しめる。
しかし、上がりに比べ下りはアッという間で、忽ち粕川べりに着くとそこからまた川の上流に向かって上りが始まった。
「何処まで行けるかな?」妻に4時間で帰ると言って来たからにはあまり遠くへは行けない。
時計を見ながら残り時間で行ける距離をはじいて、”天空の茶畑”との分岐辺りまでなら行けそうと判断した。
が、ズ~と続く坂で汗を掻いて体力を消耗したせいか、思ったほど距離は稼げずに分岐の手前でTime limit。
「まぁ分岐まで行っても何か良いことがある訳じゃ無し」と自分を慰めて引き返すことにしたのだが、チョッピリ後ろ髪惹かれる(実際の毛髪は随分薄いが)思いだった。
「それにしても暑い」上天から照り付ける陽光は容赦なく身体を焦がすので、粕川河川公園傍の泉(二条関白蘇生の泉)に立ち寄って、霊水?を上半身に浴びて暑さにダレた気持ちに喝を入れたが、走り出して10分もするともう水分は気化して喉もカラカラ。
「こりゃ熱中症が危ないぞぉ」と疑心暗鬼が頭をもたげたので、自販機を探すがこれが意外と無い。(田舎道を選んで走ってるからそれも道理)
8kmほども走って、やっと見つけた自販機でイオン飲料を買い水分補給出来たが、その時は既に身体は脱水寸前の状態だった。
そんな訳で、やっと身体に仕込んだ水分を減らしてはならじと、神戸からは樹陰の多い平野井川沿いの道に走路をとって旧揖斐川橋梁へと走ることにした。
細くて舗装の悪いところもあって全てが快走できる訳では無いが、どこかで我慢が必要になるのは世の中の常だから仕方ない・・・。
墨俣の城近くまで帰って来た時のこと、リアのゴトゴトした感触に気付いて下を見るとタイヤが随分扁平している。
「何だよパンクかよ」と落胆しつつバイクを停めて点検すると、チューブ内のAirはまだ幾分残っており、どうやらチューブのピンホールが空気漏れ原因らしい。
居宅まであと4kmほどなので、途中で何度かAir補充してやればチューブを交換しなくても何とか帰り着けそう?と判断。
「炎天下でチューブの交換なんてしたく無いもんね」と独り言を呟きながら、簡易空気ポンプを後輪のバルブにセットした。
急に喉が渇いてきて、何だかこの暑さに負けそうだ・・・。