雪が降った。
例年、この辺り(岐阜県美濃地方)ではクリスマス前にひと雪あるのだが、それでも つい先日まで「冬まだ遠し」を思わせる日々が続いていたので、年内の降雪は無いな と思っていただけにチョットだけ意外の感がする。
まだいいよなぁと思っていた車のタイヤ交換(ラジアル→スタッドレス)だが、雪が 降っちゃやらない訳にはいかない。
以前はタイヤの交換など苦でもなかったが、最近では車をジャッキアップするのさえ 一苦労で、タイヤ4本を交換するのに小一時間もかかってしまった。
全く歳は取りたくないものだ。
冬場にスタッドレスタイヤを装着するのは岐阜ではほゞ100%だが、僅か30kmほどしか離れていない名古屋ではその割合が50%以下に減る。
これは、年間の降雪日が岐阜の5回程度に対し名古屋は2回と少ないのが要因と思われ、岐阜はそれだけ寒い?ということなのだろう。
小生は、勤め人の頃にふた冬を埼玉(県北部)で過ごしたことがあるが、その時に度々言われたのが「ここは岐阜より寒いでしょう」という言葉。
それに対して「まぁそうだねぇ」と曖昧に答えていたが、実は内心では「そんなに寒くはないけど・・・」と思っていた。
多分彼らの念頭には、冬の木枯らし「赤城おろし」が吹きつける自然環境の厳しさが あったと思うが、岐阜も冬には「伊吹おろし」が吹いて結構寒いし、降雪日も関東地方に比べて多い。
特に違いを感じたのは、霜が降りたり路面が凍結したりする頻度で、岐阜ではそんな日が幾日もあるので、安全対策上必需品であるスタッドレスタイヤも、埼玉では装着している人は少なかった。(小生の実感で装着数を調べた訳ではない)
先ほど見たTVのニュースでは、東海道新幹線が関ヶ原付近の降雪により徐行運転しており、ダイヤが乱れていると伝えていた。
関ヶ原は今も昔も交通の難所で、昔は追剥ぎ・山賊などが出没して旅人を苦しめ、今は雪で日本の動脈(東海道新幹線、東海道本線、名神高速道路)を苦しめている。
関ヶ原付近に雪が多いのは、北西から進入した雪雲が伊吹山地にぶつかってその麓に 大量の雪を降らせるからで、そのおこぼれが濃尾平野にも雪をもたらす。
これから天候が順調に回復すれば、雪化粧した伊吹山の壮麗な姿が見られることだろうと、今から楽しみでもある。
大量の雪と云えば、小生の子供の頃は今よりズーと降雪量が多かった。
雪が降れば、この辺り(美濃平野部)でも20cmくらい積もることはざらで、3~40cmの積雪になることも度々あった。
そんな時は、子供には一つの楽しみが待っている。
物置の中をガサゴソ探して手製(自分で木板と竹を組んで作った)のそりを引っ張り 出し、公園の築山や長良川の堤防で斜面を滑って飽きることなく遊んだのは、遠い日のセピア色した思い出だ。
思えば、昔の子供は遊び道具を自分で作ることを当然の様にしていた。
ぱちんこ(ゴムを使って小石などを飛ばす道具)は手頃な枝を雑木林で拾ってきて小刀で削って作ったし、ゴム鉄砲も割りばしと輪ゴムを使って作ったものだ。
まぁ、それが将来の何かに繫がったという事は何にも無いんだが、小生に限って言えば手先が少しだけ器用になったことは確かである。
話しを雪に戻そう。
昔より降雪量が減ったのはこの辺りだけかと云うと、どうもそうでは無いらしい。
過日NHKの番組を見ていたら「尾瀬では最近積雪量が大きく減っている」との関係者の声があり、40年前は6mはあった積雪が最近では2mほどしかなく、この積雪量の減少が尾瀬の生態系に大きな変化を及ぼしているという内容だった。
「♫ 夏が来れば思い出す 遥かな尾瀬 遠い空 ~ ♫」夏の思い出の歌詞に謳われたあの清々しい湿原の風景が、近い将来には消え去るかも知れないとしたら・・・。
例え山好きじゃなくても「これは何とかしなくちゃ」と考えるのではないだろうか?
降雪量の減少は地球規模での気候変動が背景にあり、その原因が「地球大気の温暖化」にあることに疑念を挟む余地はない。(現実を直視しない温暖化否定論者は論外)
炭酸ガス排出量(化石燃料消費)の削減は人類共通の努力目標ではあるが、後進国の人々にそれを押し付けるのは経済的不平等の強要であるとも思う故に、ここは先に富 を享受した先進国の人々がその任を負って、脱炭素社会の実現に向けて邁進すべきだと考えるのは小生だけではあるまい。