小生は絵画鑑賞が結構好きなので、世界の名画(の精巧な模造画)が一堂に会している大塚国際美術館へはこれまで3度足を運んでいる。
好みはフェルメールやレンブラント、カラヴァッジョといったバロック派の絵で、多くの人が好きだと言うゴッホやゴーギャンら後期印象派の絵は正直あまり好きではない。
先日、フェルメールの傑作の一つである ”窓辺で手紙を読む女:ドレスデン国立絵画館蔵” の修復が終ったという話題がTVニュースで報じられていた。
その内容は ”この絵には背景の壁に画中画が隠されていることがX線スキャンで判って おり、長年その画を消したのはフェルメール本人と考えられてきたが、最近それが別人の手によって塗りつぶされたものと判明したため、これを元に戻すべく修復作業をおこなった結果、弓を手にしたキューピッドの画が現れた” というもの。
中世西洋絵画には寓意(アレゴリー)や象徴(シンボル)が描かれることが多く、この絵でも、開かれた窓は「女性の束縛された環境からの脱出願望」とか、ベッド上の果物は「性的暗示や不倫関係の象徴」などと言われてきたが、今回キューピッド画が復元されたことで、また新たな視点からの寓意解釈が可能になった。
それはどう言う事かというと、恋愛のシンボルであるキューピッドを画中画として構図の中に描くことで”偽善を乗り越える誠実な愛”が本作のテーマであり”女性が読んでいる手紙は想いを寄せる男性から送られてきたラブレター”を暗示しているという。
絵画というのは、そこに描かれたものを素直に観ても愉しめるが、画家が何故それを描いたのかという情緒的背景を考えながら観るとなお一層愉しめる。
まぁその為には多少の知識と想像力が必要にはなるのだが・・・。
さて、今日は清流として名高い”円原川伏流水とごろごろの滝”を訪ねるライド。
山手で往復90kmほどになり、最近の小生には少々キツイが、居宅をいつもより早めに出れば自走できない距離ではないと、Varacan Specialを手早く準備して出発した。
まずは街中を北に向かって走り、岐大キャンパスの横を抜けて伊自良を目指す。
此処まで約15km、大体この辺りまで走って来ると脚も軽く廻るようになり、山あいに敷かれた走り易い道との相乗効果で、気分も上々になってバイクを飛ばす。
天気は晴れだが雲は若干多く風も無いのでライドには持って来いの日和だ。
伊自良集落の先で道を谷合方面に右折して平井坂峠(トンネル)へと向かう。
高度差130mほどの峠越え道だが、斜度が6%程度の比較的緩い登りなので、疲労が脚にくる前に峠に到着、そのままトンネルを貫けて今度は下りに入る。
此処からは約3km続くカーブの少ない下り、スピードが直ぐ45km/hrを越えてしまうので、パンクによる転倒を恐れる小生は、小刻みにブレーキングしてスピードを35km/hr程度に抑えながら安全第一に下るのが常だ。
谷合からは神崎に向けて走路をr-200にとり北進、道沿いを流れる神崎川の澄んだ水面が、一服の清涼剤となって小生の気分を爽快感で満たしてくれる。
市街地から自転車で1時間走るだけで、これ程に水の澄んだ川に出合えるのも山紫水明の岐阜なればこそ、陳腐な郷土愛かも知れないが、都会に居ては味わえない地方に住む良さを改めて実感した・・・。
進むにつれて道は幅員4mほどの山道となり、周りの景観も次第に山中の佇まいを見せ始める。
「もうそろそろ神崎だな」と思いながら右カーブを廻ると、正面に大きな建物が見えてきた。
この建物は廃校を利用した ”農家レストラン舟伏の里” で、地元のおばちゃん達が作る 素朴な料理は結構おいしいと評判らしく、以前TV番組で珍しいレストランとして放映されているのを観たことがある。
残念ながら小生はまだ食したことは無いが、機会があればと思っているのだが・・・。
廃校の先を右に折れて神崎の集落を抜けると、円原川伏流水まではあと少し。
円原川沿いの緩い坂道を軽快?に走って残り数百mのところまで来た時、前方で道を 塞ぐ何物かが在るのが目に入る。
「えぇっひょっとして?」減速しながら近付くと、やっぱり通行止の柵で傍らの看板 に山崩れで立ち入り禁止と書いてある。
「あと少しなのに・・・」と愚痴ってみてもしょうがない、伏流水の湧水場所は観られないが、傍らを流れる円原川の清らかさはここでも満喫できると思い直し、暫く此処で休憩することにした。
10分ほど休んで出発、神崎まで戻って右に折れ ”サラサドウダン街道” と名付けられた山道を神崎川に沿って遡のぼる。
向かうのは5kmほど先の ”ごろごろの滝” で今日の最終目的地だ。
舟伏山登山道への分岐を左に分ける辺りから道は更に細くなり、山の奥へと分け入っていく様な心細さが徐々に募るが、道を進むに従って気温も少しづづ下がっていく様で、林間の日陰道では、ヒンヤリとした涼風が頬を撫でていき、心地よい気分にもさせてくれる。
20分弱走って ”ごろごろの滝” に到着。
道から神崎川を挟んだ対面の山肌から、落差15mの滝が白い奔流となって直接川面へと落ちており、その様はまさに清冽そのもの。
この面白い名は、滝が落ちこむ神崎川を大小の岩がごろごろと流れる?ところから命名されたらしいが、確かにこの辺りは少し流れが急で然も在りなんと思わせる。
川原に下りて岩に腰掛け、瀧音と川音が複雑に絡みあったザァーという音に耳を傾け ながら目を瞑ると、いつの間にかその音は消えて辺りを静寂が包み込んだ様な錯覚に 陥る。
こうしていると、自分がその風景の一部と化していく様で、其処に妙な安らぎを覚えるのは何故だろう・・・。
滝の落ちる様や川面の白い奔流を眺めながら無我の境地?に遊ぶこと数分、飽きるまでこうして居たいがそうもいかないとやおら腰を上げた。
「さぁ帰ろう」
今のところ脚の疲労感は全く無いし、帰路は谷合まではずーっと緩い下り道だから脚を使う必要もないので、多分このままいけそう。
出発時には山手の90kmライドに少し不安感があったが、まだそこまでは衰えていないことが実証されたわけだ・・・。