風を道連れに

☆あるボッチローディーの独り言☆

曇天だけど走るぞぉ

 

”天高く馬肥ゆる秋”で10月は晴天の日が多いと勝手に思っていたが、実際には1年の中で3番目に雨量が多い月らしい。

確かに10月に入ってから曇り空や雨空が続いており、秋らしい清々しい青空は何処かへ行ってしまった様で何だか物憂い気分になる。

この ”物憂い気分” だが、天候による気圧の変化を内耳センサーが感知して自律神経に ストレスをかけることにより生じるという。

小生の様に気分が軽く落ち込む程度ならマシだが、このストレスに脳が過敏に反応してしまうと、片頭痛や神経痛・関節痛等の慢性痛の悪化、心臓発作や喘息等の持病の悪化といったより重篤な症状も引き起こされるらしい。

天気と体調、この一見関係の無さそうなものどうしが密接に関係しているとは、何ともはや人間の身体というのは緻密に出来てるもんだ・・・。

 

さて、今週は天候の悪さに加え幾つかの所用も重なったため思う様にライドに出られず「こんなこともあるさ」と自らを慰めていたが、どうもストレスが溜まる様な気がするので、普段は出掛けない日曜日にも関わらずライド準備を始めた。

天候は生憎の曇天でしかも午後からは雨の予報、近場をササッと走るしかないがそれでも悶々として家に籠っているよりは良い。

 

「さて、何処へいくかな?」バイクに跨ってしばらく考える。

近場で短時間(2~3時間)走る所としては木曽川CRや長良川左岸河川敷道路があるが、休日は歩く人やローディーも多く、小生の性分としてどうも乗り気になれない。

「気持ちよく走るなら木曽三川公園方面かぁ」と定番コースに決めたが、いつもと違い復路は津島を経由するルートにした。

 

長良川左岸堤防道路を南へ走る。

いつ走っても「気持ちいい~」と実感させてくれる道で、クランクを回す脚も気分と共に軽くなって爽快だ。

長良川の堤防道路からは伊吹から養老への山並みがよく見える

西方の空は少し明るく伊吹から養老にかけての山並みもハッキリと見えるので、暫くは天気が崩れる心配は無さそう。

「2~3時間は持ちそうだな」と手前勝手な希望的観測で自分を安心させながら快走?を続けた。

 

木曽長良背割堤の北側ゲートに来ると、いつもすり抜ける左側の開口部が塞がれており右側だけが通行可で、横の看板には”全面通行止め”と書いてある。

背割堤が走れないと本当に困るなぁ

「なに!通れないの」と愕然としながらよく読むと、この週明けから5ヶ月間は休日を除いて通行止めだが今日は通れるとのこと。

ひとまず「よかったぁ」と胸を撫で下ろしたものの、小生がここを走るのは専ら平日でこれから5か月間は走路として使えなくなるとこれはかなり痛い。

代替のルートはあるが何れも少し煩雑な部分がある「当分は南へ走る頻度は減るなぁ」と少なからず落胆しながら背割堤へとバイクを乗り入れた。

 

背割堤の南側ゲート近く、木曽川河川敷に設けられた広場に沢山の車が並んでいるので何だろう?と注視すると、どうやらCar(しかも年代物の車ばかり)マニアの集まりらしい。

野次馬的興味が湧いたので近寄ってみると、車は1940~1950年代のアメ車で「こんな車どこにあったの?」という代物ばかり。

どの車も綺麗に手入れされていて相当お金をつぎ込んだのは間違いなく、こういう趣味の人も結構居るんだと面白く観させて貰った。

勢揃いしたアメ車(門外漢だから車名は全く分からない)

オーナーは50~60代の人が多そう(小生の勝手な推測です)

小生が子供(5~6歳)の頃、庶民には外国車なんて高嶺の花だった。

幾らかお金持ちの開業医は決まってフォルクスワーゲンに乗っていたが大概の開業医はスクーターで往診していた様な朧げな記憶がある。

そんな時代でも ”百万長者” と世間で言われた大金持ちは ”サンマンダイ” と通称された外車(主にアメ車)に乗っており、小生ら悪ガキどもはそんな車を街角で見つけると、珍しそうに車体に触ったり車内をのぞき込んだりしたものだ。

あの時代が”古き良き時代”だったのかどうかは判らないが、小生にはノスタルジックに想い出される時代ではある。

 

立田大橋で木曽川を渡り津島方面へと走る。

立田橋から木曾川上流を展望する

ここからだと名古屋駅の高層ビル群が真近に見えるが、実際には18kmほど距離がありまだまだ遠い。

こういう時に小生がいつも思うのは距離と高さについての錯覚だ。

例えば東京スカイツリーから富士山までは100km離れているが、高さ4kmに満たない山がなぜあんなに大きく見えるのか?

それは多分、人間の眼は奥行きを長さとして捉える機能が劣っているからだろう。

カメレオンが舌を伸ばして虫を捉える時、その距離は彼?の頭で正確にはじき出されているに違いない・・・。

 

折角津島を通るので久々に津島神社に寄って行くことにした。

Google Mapで大体の場所を確認してあとの走路は感に頼って走ると、思い通り南門の前に出て、最近自信に疑問符が付き始めた地理感覚がやゝ戻ったと独りほくそ笑む。

 花手水で身を清めて          豊臣秀吉が寄進した南門
楼門は秀吉の病気平癒を願い秀頼が寄進   小生は本殿で家族の平安をお願いした

津島神社主祭神は出雲でヤマタノオロチを退治したスサノオノミコト

荒ぶる神だが神は元々多面性を持つもので、ご利益は疫病・厄難除け・縁結び等と色々あって小生が願うのは家族の平安。

「遠く離れて暮らす娘家族の健康と安全をどうぞ宜しく」とお願いしておいた。

 

津島からはr-129を濃尾大橋へと走る。

正午を過ぎてチョット上天の雲が厚くなってきた感じで先を急ぎたいが、信号交差点が多く頻繁に減速を余儀なくされて「道の選択を誤ったかな」とチョッピリ後悔。

しかし木曽川の堤防道に迂回すると結局遠回りになるので、我慢しながらも走り続けるしかなかった。

それにしてもこの道「こんなに街中を通って信号も多かったかなぁ」と脳裡に刻まれた記憶を呼び覚ますが、現実との乖離は大きく今更ながらに小生の記憶の不確かさを思い知った。

尾濃大橋付近のサイクリングロード

尾濃大橋近くまで戻ってきた所で頬に雨粒を感じて西方を見ると、先刻まではっきりと見えていた伊吹山が薄いベールに包まれて霞んでいた。

落胆しつつも「まだ小雨だな」と降りの弱さに少し安堵する。

居宅まであと10kmほどで30分はかからないが、それまで本降りの雨は待ってくれるだろうか?

「何とか待ってくれよ~」祈る様にしてペダルを踏む脚に力を込めた・・・。