風を道連れに

☆あるボッチローディーの独り言☆

やっぱ急坂はダメだぁ

 

先日のこと。

チョット遠めのところを走ってみようとデポ地まで輪行し、バイクを組んで走り出したまでは良かったが、50mも行かない内に後輪のスプロケットが空転して危うくコケそうになった。

「え!なに?」とバイクを降りて点検してみると、後輪のスルーアクスルの締め付けが弱かったので「これが原因か!」と判断して増し締めしてから再スタート。

ところが200mほど走るとまたスプロケットが空転した。

「ええっ!?これは別に原因があるぞぉ」と今度はバイクをひっくり返してギア操作をしながらクランクを前・後転させて調べていると、突然前転時にスプロケットが空回りしだした。

それからは前・後転を繰り返しても後輪の動きは正常に戻らず、スプロケットは空回りするばかりで、ようやく原因は後輪ハブのラチェット機構の故障にあると理解した。

「なんてこったぁこれじゃ走れない」とライドはそこで断念したが、数10kmを走った先でのトラブル発生じゃ無かったのは不幸中の幸いだった。(だって帰ってくるの大変だからね)

 

居宅で後輪ハブのラチェット部を抜き出して状態を見ると、ラチェット機構の爪を本体に留めるワイヤーが何ヵ所か変形しており、それが原因で爪がラチェットに上手く引っ掛からなくなっているのが判った。

「よし、これなら簡単に修理出来そうだな」とホッと胸を撫で下ろしてひと安心。

一時はハブ交換を覚悟したが、その場合はスポークの抜き差しや芯出しテンション調整などで大変な作業になるので、それが避けられたのは「助かったぁ」の一声で片付けてしまうには軽すぎる。

ハブからスプロケットごとラチェット部を抜いて爪とワイヤーを修理した

ロードバイクに乗っていると色んな故障に見舞われるが、それは初期調整から定期的なメンテナンスまで自前でする小生の様なボッチローディーには宿命の様なもの。

それでも、ライド中の応急処置で間に合わない様な致命的な故障は困るので「叶うならこれからも起きません様に」と神様に祈るしかない・・・。

 

さて今日は、以前You Tubeで誰か?が紹介していたルート(の一部)を走ってみる事にした。

行先は美濃加茂から上之保にかけての山間部で、今まで一度も通った事の無い道も含まれるが、そういう道はGoogle Mapのストリートビューを観ながら予習済みなので迷う心配はまず無い。(多分だけどネ)

 

岐阜から関へは長良川津保川と川沿いを行く既知の道で、秋らしい青空の下を気持ちよく走ってきた。

風は西寄りの弱い追い風、これが帰路では向かい風になるが「このままなら大丈夫」と数刻先の不安を打ち消す様に独り呟きながら黙々とクランクを回す。

富加からはr-97を更に東へと辿るがこの道は車の通行が少なく自転車には走り易い道。

左右に田園の拡がる山間の道を行けば、徐々に緊張感からも解放されて穏やかな気分に心?が満たされていく。

「こういう道好きだなぁ」誰に言うともなく声が口から漏れた。

 

美濃加茂の岩場”と通称されている岩山が道を挟んで対峙する所でチョット一休み。

それぞれの岩山を見上げると、高度差が100m以上はありそうな岩壁がすごい存在感で迫ってくる。

ライミング愛好者の間では有名らしい高木山の扇谷岩壁

こちらの岩壁は扇谷岩壁より更に高度差があり ”まさに絶壁”

「クライミングしている人がいるかな?」と探したがどうも居無さそうで、ほんの少しだけガッカリ。

小生は山登りは好きだが岩登りは苦手(自慢じゃないけど中程度の高所恐怖症)だったのでロッククライミングする人をつい羨望の眼で見てしまう。

人間は自分の出来ないことには”あこがれ”を持ってしまう弱い存在ということだ。

 

r-97と別れてr-80へ進路をとると道は更に山の中へ。

しばらく走って出会った目の前の”どこか懐かしい風景”に、子供の頃にバスに揺られて行った八百津の山奥の、母の在所の風景がオーバーラップする。

遠い記憶の懐かしい風景を眼にして郷愁が呼び覚まされた

あの優しかった祖母が、斜面の桑畑から静かに微笑んでこっちを見ている様な気がしたのは単なる追憶に過ぎないか・・・。

 

細い山道を喘ぎながら上って所々が苔むした坂を慎重に下ると、陽が射さず昼なお暗い場所にそれはあった。

乳岩神社は昼なお暗い山道の途中に忽然と現れる

”乳岩神社”とは何ともユニークな名だが、その御神体は乳房の形をした鍾乳石で、女性の”お乳の病”にご利益があるらしい。

苔むした急な石段を上がり窪んだ岩肌に近付いてみると、上から2つの紡錘状の鍾乳石が垂れており、その先端からは時折水滴が滴っていた。

空腹で泣く赤子にその水滴を含ませると泣き止んだという謂れのご神体

「なるほど確かに乳岩だな」と不躾ながら触ってみると乳房の表面は”しっとり”と濡れており幾分冷たかった。

”信じる者は救われる”例えそれがプラセボ効果でも、結果がオーライならそれはそれで良いのかも・・・。

 

次に向かったのは”日龍峯寺”でこれまで何度か訪ねているが、せっかく近くを通るので寄っていくことにした。

この寺は山の中腹にあっていつもは南からの道を上がるが、今日は初めて東からの道を上がる。

南に較べ東からは距離が短い分急坂となるので、坂が嫌いな小生にはその点がチョット気懸りだったが、その心配は杞憂に終わらず道の中ほどからは12~14%が600m近くも続いて息が上がり、堪らず脚を着いてギブアップ「やっぱりこの道はダメだぁ」と後悔した。

 

疲れた脚と身体を癒す様にユックリと境内をめぐる。

鐘楼⇒多宝塔⇒本堂と幾百年もの風雪を経て古色蒼然とした美を醸す仏閣を独り静かに観ていくと、やけに気分が落ち着くのはそのロケーションの賜物か?

    重厚な造りの鐘楼         尼将軍北条政子が寄進した多宝塔 

美濃の清水とも称される舞台造りの本堂

それにしても境内ではカメラを携えた同年代の男性1人に会って挨拶しただけ、駐車場には車が4台あったがみんなどこへ行ってしまったの?

まぁ他人の行動は小生には関わりないことなので詮索するのは止めにしておこう。

仁王門は本堂から階段を300段下ったところにある

仁王門に寄り道したあと時計を見るともう12時半近くでそろそろ帰る時間だ。

帰路は美濃経由のつもりだったが、少し身体全体に疲労がある感じなので、距離の短い関経由に変更することにした。

関を経由すると街中を通るのでその分時間がかかるのはしょうがないが、多分居宅への帰着時刻は同じ様なもんだろう・・・。