風を道連れに

☆あるボッチローディーの独り言☆

見込み違いでも

 

Chat GPTに関する議論が各方面で喧しい。

物事の進め方を大きく変えてしまいそうな革新的?な技術なので、その反応が大きいのは頷けるが、それらの議論の中で「それっておかしくない?」と思うようなことが小生にはある。

例えば「Chat GPTは誤った情報を尤もらしく(理路整然と)伝える」というもの。

Chat GPT(AI)は、膨大なdataの中から質問に対する回答を選び出すが、その選び方はdata量の多寡に依存している筈。(アルゴリズムがどうなってるか知らないので想像の域を出ないが)

確かにAIが持つ膨大なdataの中には誤った情報も含まれるが、それは全体の中の一部に過ぎず、大半は ”正しいといえる情報” だ。(但し ”未来永劫に正しい” ものなどほゞ 無く、それは”現時点において正しい”ということは押さえておく必要がある)

一方人間は、その脳に蓄えられた(AIの情報量に較べ)限られた情報に基づいて物事を思考し判断するので、その誤謬の頻度は自ずと高くなる。

また人間には”意識して嘘をつく”という最も人間らしい?特性もある。

かく言う小生にしても”嘘を実しやかに言う”何てのは日常茶飯のことだ。

増してや、恒常的に ”嘘情報” を撒き散らすメディア(つい先日もFOXNewsが嘘報道で和解金1,000億円支払ったとの記事があった)やSNSにその人間が触れていれば、自ずとその思考形態も嘘に基づいたものとならざるを得ない。

この様に考えると”誤った情報”を伝えるのは、圧倒的にChat GPT(AI)よりも人間の方が多いのではないか?そんな風に思うのだが・・・。

AIは人間のパートナーとして不可欠な存在?

”情報が世の中を動かす” のが、今のそしてこれからの世界。

トランプの嘘やプーチンの嘘に代表される様な、不条理がまかり通る様な世の中は御免被りたいが、その為には”情報の真偽”を見極める知性が極めて重要になる。

そのツールとしてAIは欠かせない存在だが、人間は果たしてこれをうまく使いこなしていけるのだろうか?・・・。

 

さて今日は「長良から木曽へと川沿いを一回りしてみるか」と走りに出た。

このところ山手方面へのライドが多かったので、平地を気楽(山道があるとつい構えてしまう)に走ってみるのも良いだろう。

 

まずは、市街を抜けて長良川左岸堤防道路に出る。

今日は西寄りの風がソコソコあって、今のところ走行への支障はないものの午後からは風速が強まるとの予報なので、帰路に向かい風になるのがチョット気懸りではある。

黄砂も少し残っており、普段は見える伊吹から養老山地への山並みが霞んでいるのは、山嶺を見るのが好きな小生には少なからず残念。

堀津(羽島市)まで走ってくると、堤防法面を埋めつくす様に咲くベニバナツメクサが小生を迎えてくれた。

ヨーロッパ原産の帰化植物で、チョット毒々しい色合いだが殺風景な堤防を赤く彩ってくれるのは、それを眼にする者としては何だか嬉しい。

堤防は一面紅い絨毯(ベニバナツメクサ)で埋め尽くされていた

快調に走って木曽長良背割堤まで来た。

予定では出合いを左に折れて、木曽川沿いを上流へ向かうつもりだったが、ここに来ると何故か背割堤を走りたくなってしまう。

「じぁ東海大橋の先まで行って引き返すかぁ」と予定変更して背割堤に乗り入れるが、走り出すと結局「やっぱり南端ゲートまで行こう」となって全区間を1往復する羽目?になった。

いつもの静寂を取り戻した背割堤の桜並木      誰も居ない背割堤を疾走する  

背割堤には象徴的な松が2本ある。(現時点で正確に言えば”あった”)

何れも明治中期の築堤時に植えられたと思しき樹齢120年を越える見事な松で、その内の1本が昨年枯れて伐採され、今はそこに切り株が残るのみ。

その切り株を見て哀しい気持ちを抱きながら先に進むと、なんと残りの1本も今まさに枯れ様としていた。

「えぇ何てこと・・・」松枯れ病か?はたまた寿命か?素人の小生には皆目解らないが、この10年近く見て慣れ親しんだものが無くなっていくのはやっぱり哀しい。

諸行無常だなぁ」そんな言葉を呟きながら枯れ逝く松を仰ぎ見た・・・。

 まだ生々しさが残る松の切り株      シンボル的な松が枯れるのは哀しい

背割堤の南端ゲートで折り返して北端の(長良川木曽川)堤防道路出合いまで戻ってきた。

この先は予定のルートに従って木曽川沿いを走り、木曽川大堰(馬飼頭首工)を渡って左岸を更に上流へと向かう。

予定外の行動で少しばかり時間が押しており、スピードUPして走らなくちゃいけないが、幸い追い風なので苦も無くそれが出来るのは有難い。

「天の助けとはこの事」と独りほくそ笑んだが、それを見ている者はどこにもいない。

三川公園センターを遠望して折り返す       木曽川大堰を渡り対岸へ   

祖父江から尾西へと快速(小生の主観)で堤防道路を走り、木曽川からは左岸CRへと走路変更して浅井まで一気に駆けてきた。

木曽川左岸CR(一宮市奥町付近)     木曽川左岸CR(一宮市光明寺付近)

次に向かうのは ”曼陀羅寺の藤” で、CRを外れて江南団地を目指し走れば、その南側にあるのが曼陀羅寺だ。

ところが、目的の寺が近づくと道は車が大渋滞で「こりゃ敵わん」と引き返す気持ちも湧いたが、ここまで来たら行くしかないと腹を決め脇道を通って寺に着いた。

曼陀羅寺の藤は過去3度観に来ているが、案の定、人の多さは驚愕する程で今回が1番の人出。

「藤を観るより人を見る感じだなぁ」とチョッピリうんざり。

満開には少し早い気もしたので、一角の藤だけをさらっと観て、早々に寺から退散することにした。

 曼陀羅寺本堂に参拝する人は少ない    多くの人は藤棚のある庭園へと向かう

CRに戻って次に向かったのは”三川公園フラワーパーク江南”で、普段あまり混んでないことから、ゆっくり花を愛でられると勝手に思い込んで訪ねたが、ここもやっぱりいつにない人出。

春は平日と云えども行楽地は混み合う?ことを今更ながら思い知った次第だ。

それにしても人はどうして人混みが判ってても、そこに集まりたがるんだろうねぇ。

フラワーパークは大きな公園なのでクリスタル棟周辺だけ散策した

扶桑緑地公園まで走り、その先の犬山まで足を伸ばすつもりだったが、急に尿意を催したのでそれは中止し、愛岐大橋を岐阜県側に渡って”かがみがはら航空宇宙博物館”へと向かうことにした。

ここのトイレは設備が新しくしかもいつも綺麗に清掃されているので、小生のニーズを完璧に満たしてくれる「よーし急ぐぞぉ」とペダルを漕ぐ脚に力を込めた。

屋外展示の航空機は隣接する航空自衛隊で運用されていた機体?

屋外に展示された航空機をぼんやり眺めながら「これからどうしよう?」と考えたが、そろそろTime切れで帰るしかなさそう。

帰路はこのまゝ岐阜県側を行きたいが、木曽川右岸CRは ”河川環境楽園”の先が工事通行止めで走れない(かと言って各務原の街中も走りたくは無い)ので、川島経由で愛知県側の木曽川左岸CRに戻るしか手はない。

「あぁ公共工事ってどうして遅々として捗らないんだろう」と愚痴が漏れるが、その声がどこにも届かないことは天から解り切っている・・・。

最後の休憩は笠松湊公園でチョット長めに

川島地内で思い付きで一部ルートを変えたが、その後は想定したルートを走り”笠松湊公園”まで戻ってきた。

色々見込み違いは有ったが、ここまでは概ね愉しいライドだったかな?

あとは安全に街中を走り居宅に着くだけだが「神様仏様宜しく頼んます」と取り敢えずお願いしておこうっと・・・。