風を道連れに

☆あるボッチローディーの独り言☆

曖昧なまゝで

 

今日は梅雨間の晴れ(と言ってもそれほど良い天気ではない)で、本来なら遠出すべきところなのだが、行先を決める段になって ”とんと思いつかない” という最近頻発する 症状を発症?して頭を抱えた。

このところ急に蒸し暑くなったせいで、身体だけじゃなく頭もバテ気味と云うことか?

そんな風にいつまで思い悩んだところで埒が明かないので、走りながら行くあてを探すことにして取り敢えず出発。

こうすれば、これまでの経験で大概うまくいくもんだ・・・。

 

長良川左岸の堤防道路に出て下流方向へと走る。

最近とんとご無沙汰している平田リバーサイドに行き、もし気が向けば「定番の1時間周回走をしてみるか」とここまでの道中で思いついたという訳。

今はまだ車通行の多い堤防道路を走らなくちゃいけないが、堤防下河川敷道路を2ヶ所で分断していた放流川の架橋工事がようやく終わったので、数週後には長良(岐阜市)から桑原(羽島市)までの25kmは専ら河川敷道路を走って行ける様になる。

これは数年来の小生の願望だったので「嬉しいことこの上なし」といった感じ。

対岸にも同様の河川敷道路が敷設されると有難いが、そこまで望むのはチョットばかり欲張りかな?

岐阜市日置江)  完成した放流川を跨ぐ橋  (羽島市間島)

平田リバーサイドはいつになく(大概はウォーカーがいる)閑散としており、1周4㎞の走路上に人影は無し。

「独り占めだな」と喜び勇んで走り出したまでは良かったが、2周回を終えるころにはその気持ちも薄らいで、何だかスピードにも乗らない感じになってきた。

こんなことじゃ1時間走り続けるのはどだい無理な話で、その弱気に負けるかたちで「あと1周で止めるか」とアッサリ決め、代償としてスピードを少しだけ上げた。

平田リバーサイドの周回路を独り走るのは気分爽快だったが・・・

安八⇒墨俣経由で忠節へと戻り、今度は長良川沿いを上流へと向かう。

金華山の縁を通って日野から千鳥橋へ。

走り慣れた路地道なので特に目を引くものは無いが、それでも左右に視線を投げながら走るのが小生の性癖?

だけどあまりキョロキョロしてると ”不審者” と間違われるご時世なので、こんな行動は慎まないといけないかも知れない。

坂になってる千鳥橋下の遊歩道をスピードを上げて通り抜け様とした時、そこに蹲っている人が居てチョットびっくりしたが、それもある意味で不審者。

イカーで”川を観ながら休んでる”感じだったが、普段は人が居ない処に人影があると奇異に感じるもんだ・・・。

長良川沿いを上流へ(岐阜市忠節)       金華山麓の緑陰路を走る  

千疋大橋(関市)まで走って来た。

このまま川沿いを上流に向かえば美濃だが「そろそろ帰るか」と心の声?が言うので、素直にそれに従ってハンドルを左に切り高富(山県市)へ向かう。

しばらくはr-79を走っていたが、正面左手の山が近付いた処で走路変更して山際へ。

宅地近くの山際には大概細道があるもので、そこを走る方が車通行の多い路側帯を走るより安全だし、何と言っても眼に映り行く緑陰が気分を安らげてくれるのが好い。

苔生した祠が”ひっそり”とあったり、アジサイヤマボウシ等の花が束の間眼を愉しませてくれるのも小生にはまた好ましいことだ。

 

大龍寺(岐阜市粟野)に立ち寄って一休み。

1月のだるま供養やドウダンツツジの開花(春)と紅葉(秋)時期には賑わう境内も、今はひっそり閑とし”ゆるやかな時空”で包まれている感じがしてとても心地良い。

本堂前に据えられた座禅を組む達磨大師像の”無我の表情”が、何だか”とぼけた表情”にも見えてしまい、ある種の親近感を覚えるのは小生だけだろうか・・・。

たおやかな時が流れる太龍寺境内

少し長めに休んで、下降気味だった体力(気力も?)が回復したので、先刻まで考えていた”旧高富街道を長良まで”の市街地ルートは止めにして若干遠回りすることにした。

ここから山手へと向かい、畜産センターから山間を抜けて岐大キャンパスへ走る走路が良さそう。

走行距離は長くなるが、市街地走行を少なく出来るので快適に走れること請け合いだ。

畜産センター芝生広場にも人影は無かった・・・

畜産センターからスピードに乗って飛ばしたせいか?岐阜市街へ入る頃には脱水症状とハンガーノック?をおこして急減速。

「年寄りが調子に乗っちゃダメってことだな」と自戒しつつ、ノロノロと走って居宅へと向かった。

今日はなかなか行先が定まらず、居宅起点に8の字を描く様に85kmほどを走ったが、「まぁソコソコ愉しかったな」と自分に甘めに評価しておこう・・・。