風を道連れに

☆あるボッチローディーの独り言☆

風の功罪?

 

師走も中頃になると、「そろそろやらなくっちゃ」と思うことの一つが年賀状書きだ。

年賀状の本来の性格は、年始挨拶に行けなかったり近況が分からない遠隔地に住む知人等への挨拶状の筈だが、それを近在の日頃会う知人等にも出す風潮が世間に浸透(最近はLINEで簡便に済ませる若者が多いらしいが)しているので、これまでは小生もそれに倣ってきたのが実情。

そんな訳で、この無定見?な風習にいつまでも引きずられるべきじゃないと、ここ数年は「もう止めたいなぁ」と思っているのだが、いざとなるとそれを実行する ”勇気” が 無くズルズルと続けているので、それが我ながらなんとも情けない。

しかしそれでも、現役の頃に比べてリタイヤした今は出す枚数も3割方減ってるから、少しはその思いを実行に移してきたと言えなくもないかな?

年賀状のimage

小生の場合、年賀状の作成は昔は木版刷りと手書きだったが、それが ”プリントごっこ” なる孔版印刷器に代わり、更にパソコン+プリンターへと代わって、今では格段に簡便且つ短時間で作成できる様になったのは事実。

そんな中で手間なのは年賀状に一言添える文面で、相手毎に幾つかを考えなくてはならないし、これは自筆なので達筆ではない文字書きにひと苦労するのはいつものことだ。

 

なんのかんのと愚痴は口から洩れるが、年賀状のデザインはもう作ったしプリンターの交換インクも購入したので、あとは郵便局で年賀はがきを買い求めるだけ。

結局は惰性になるけど、今度の年始も近在の知人に小生からの年賀状が届くことになりそうだ・・・。

 

 

さて今日は、「久々に関ケ原方面へライドするかぁ」と決めて居宅を出た。

昨日は寒冷前線が残ってほゞ1日曇り空の天気だったが、今日は雲一つない快晴なので「家にすっこんで居てはもったいない」と思った次第。

ところが、居宅付近では無かった風が開けた場所に出るとかなり吹いており、おまけに結構肌寒い。

「こりゃ風に体温を奪われるぞぉ」とウインドブレーカーを着込んで寒さは消えたが、出がけにアンダー1枚の重ね着を渋ったのを早速後悔することになった。

 

街中を抜けて長良川堤防に出ると風は更に強く吹いており、薄穂や旗竿が東へと靡いているので強い西風であることが判る。

「拙いなぁ・・・」これから西に向かって30km近く走るのは相当辛い仕事だ。

敢えて苦しさを求めるマゾ的性格でも無い(坂嫌いがその証拠)ので、ここは計画変更を決意するのに躊躇は無かった。

こんな風が強い日に遠出するのは疲れるだけ、長良川河川敷の管理道路を往復しがてら平田リバーサイドの周回路を何周回か走るのが適当と、早速堤防スロープを下って管理道路へと向かった。

長良川河川敷の河川管理道路(岐阜市河渡付近)

長良川岐阜市域は西南方向に流れて羽島より南方向へと下るので、暫くは風に抗って走るしかない。

20km/hrに満たないスピードでも結構脚にきて息も上がるが、もうちょっと走れば風が横からに変わるので「ここは我慢だ」と自分に言い聞かせて耐えた。

強風に向かって走るのは今の小生には重労働(岐阜市日置江付近)

福寿町(羽島市)まで来た時、眼に入った路肩の看板の”無料配布”の文言に強く興味をそそられる。

こんなところで「何を無料で配るの?」「ラジコン模型飛行場のイベント?」等と勝手に思索しながら先へと進むが、結局その答えはようとして分からず仕舞い。(この時点ではね)

この先にも看板があったが何を配るのかは謎のまま

道幅のある管理道路を独り占めするのは「最高!」と周囲に視線を投げながら快走していると、前方からライトを点けたオートバイが走って来たので「ほう、珍しいねぇ」と横を過ぎるのを見送ると、直後をロードバイクが追走していた。

どうやら高速巡航トレーニングの最中らしくスピードは多分60km/hr近くは出ている。

小生がいくら頑張っても絶対に出せない速度だが、それをずーっと維持する心肺と脚力というのはどんな感じなんだろう?

それにしても、あれだけ両者が接近して走るためには、2人の信頼関係が不可欠なんだろうなぁ。

 

河川敷道路は、名神高速渡河僑付近で樹木伐開作業により通行止めになっており、やむなく部分迂回を余儀なくされたが、そこで工事車両の交通整理に当たっていた警備員のおじさんに ”無料配布” の看板の件について尋ねると、堤防の下を指さして「あの木材ですよ」と教えてくれた。

そこには1mほどに裁断された樹木(河川敷で伐開されたもの)が幾つかのブロックに分けて並べてあり、それが謎?の無料配布の品物だった。

「なるほど資源の有効活用か、国交省も考えたもんだ」と得心したが、「あれってどう使うのかな?(生木は薪材にするのも大変)」「無料配布の広報はどうしたのかな?」と新たな疑問がまた生まれたのだった・・・。

最近各所で通行止めに出くわすが俺って何か悪いことした?

堀津町で河川敷道路へと戻って更に南へと走る。

桑原町辺りまで来ると西から南へと視界が大きく開け、そこに展開する濃尾平野西縁を成す養老山地の青い連なりと、その途切れた先の伊勢湾へと続く白みがかった空間が、妙に感動的な景観となって小生を束の間の至福と誘ってくれた。

少し強くなった横風の中を河川敷道路終点の防災船着き場まで走り、そこで折り返して南濃大橋を渡り平田リバーサイドプラザへと向かう。

広がる景色を堪能した後は南濃大橋を渡って平田リバーサイドへ向かった

南濃大橋上から俯瞰したリバーサイドプラザの全景

7月初旬以来で久々に訪れたリバーサイドは、人影もなく閑散としていて寂しい雰囲気が漂っていた。(多分冬を前に葉を落とした木立のせい)

小休憩をとったものの、どこか重い気分が残るまま此処でのルーティンである1時間走(約4kmの周回路を7周ほど)を始めたのだが、予想通りと言うべきか、今日は4周回目の途中で脚の疲労と息切れで見事にギブアップ。

「こんな強い風の中無理だよな」と自分への慰めの言葉を呟きながら最寄りのベンチへと向かう仕儀となった。

小休憩で疲れをいやしてから1時間の周回走に入ったのだが・・・

実は風に気力が負けただけで身体の疲労は大したことは無い。

15分もすると体力も回復したので、「もう長居は無用だな」と帰ることにした。

帰路はとりあえず堀津までは往路と同じだ。

 

南濃大橋を左岸へと戻る際に長良川上流方向に視線を投げると、遥か遠くに雪を被った御嶽山乗鞍岳笠ヶ岳が望見でき、そこから更に左に視線を移すと、重層する奥美濃の山並みの奥から白山も顔を覗かせていた。

この季節に遠くの山がくっきり見えることはあまりないので、風が空気中の塵埃と水分を飛ばしたお陰でこの景色が愉しめるなら、今日の強い風もまた有りかなと手前勝手に思って独り嗤った。

奥美濃の山嶺から顔を出す白山       北アルプスや御嶽もくっきり

午後から風は一層強くなり風上側に少しバイクを傾けないと安定して走れない。

「やっぱりこの強風は嫌だな」とまたぞろ憤懣が噴出したので、堀津の通行止め区間で河川敷道路を離脱した際に走路を街並みを縫うルートに変えることにした。

ようやくこれで”風よさらば”となるのかな・・・。