ミス日本コンテストのグランプリに、ウクライナ出身の女性が選ばれたことが”物議”を呼んでるらしい。
この女性は2022年に帰化して現在日本国籍を持っているが、両親は共にウクライナ人であり ”民族的に0%の日本人” であることが、一部の人達には ”日本らしさ” に欠ける日本代表と映って、それがどうも「気に喰わない」と云うことの様だ。
ここには”日本人とは何を指すのか?”と云う根本的な問いがある。
今回これを問題視した人達は、日本或いは日本人は元来単一民族から成り、その他民族の混在しない貴種性こそ誇りと思っている節があるが、実はこれは大きな誤りで、その実相としては、古来より日本は渡来人と土着人が混在する多民族国家であったことが、各時代の考古学的調査や日本人のDNA調査から明らかになっている。
要は、縄文人や弥生人或いはその後大陸等から渡ってきた帰化人、そしてそれらの人達の混血の全てが、今の日本人を形作っている云うことだ。
島国という地理的な不利にも関わらず、世界の潮流にさして遅れずに文化的水準を維持出来たのは、単一民族としての日本人が優れていたのではなく、日本が他国から多くの人々が流入する多民族国家であったればこそで、それに感謝こそすれ卑下する理由など何もない。
(それを考えると、今の日本政府の難民政策や外国人の雇用政策は、亡国推進の愚策と言っても過言ではない)
”日本らしさ” と云う曖昧な概念にしても、それを日本人(or 東アジア系)の顔立ちや 容姿という限られた視点で捉えている様だが、言わずと知れた多民族国家である米国や欧州で今回のミスコンをめぐる物議が話題になったとしたら、彼らは日本に対してどの様な印象を持つだろう?
仮に米国のミスコンでプエルトリコ人(米国の属州で美人が多い)の女性がグランプリに選ばれても、米国では「アメリカ人じゃない」と物議を醸すことは多分無い(米国籍を持てばインド系も日本系もロシア系も全てアメリカ人)だろうから、日本では出自で人を区分する人種差別?が広がっていると思うかも知れない。
また ”日本らしさ” をその風土に根ざす文化と読み替えても、そういうものは時の流れと共に変る(人々の生活環境や生きざまが違ってくる)のが必然で、江戸時代の人が思う(としたらだが)日本らしさと明治時代の人が思う日本らしさは多分異なる筈だ。
だとすれば当然、昭和と令和で30年も時を経れば、人々の考え方やモノの見方も変わるので、その変貌が道理の ”日本らしさ” を、百年一日の如くに変わらないものとして古い日本人像を押し付ける無粋は、そろそろ捨て去って然るべきではないか?
ダイバーシティが重視・標榜される今日、多様な人種・性・思想 etc が共存する社会を認める勇気を我々(小生自身も含めて)は是非とも持ちたいもんだ・・・。
さて今日は、日中の気温が12℃近くまで上がる過ごし易い日になると天気予報が告げているので、久々に長良川を遡って美濃辺りまで走ってみることにした。
いつもの様に長良川に出て河川敷の管理道路を走る。
出掛けは少し寒かったが、此処までの4kmほどで身体の慣れと内部発熱により大分寒さが遠ざかってきたのでちょっと安心。
数日前の降雪の名残で濃尾平野北西縁の山並みは浅く雪化粧しているが、行く手の美濃方面の山には見たところその白色は無いようだ。
雪のある道や一部凍結した陰道を恐々として走るのは嫌なので、ここでもちょっとだけ安心した。
金華山と長良川に挟まれた納涼台の細道(日陰で寒い)を急いで駆け抜け、陽光の射す有難さを身体に感じながら千鳥橋まで走って来た。
冬の長良川は水量も少なく、静かに流れる水面が凛とした風情を醸しており、その清冽さが、少し緩んだ小生の気分を引き締めてくれる。
川には色々な表情があるが、冬の昼間の”束の間の穏やかさ”も好いと思う。
芥見から千疋橋までは今川(長良川分流)に沿って行く。
広く視界が開けた道なので、上体を起こして遠方の景色を見ながら快適な速度(小生の場合は24~5km/h)で走ると気分も爽快になる。
正面の奥美濃山地へと続く重層する山並みが綺麗だし、西方の冠雪した奥揖斐の山々も美しく目に映る・・・。
遠くの雪山を眺めながら「むかし子供を連れてスキーに行ったなぁ」と30年近くも前のことを俄かに思い出して独り言を呟いたが、そんな物思いに耽っても差し障りないのがこの道の良いところだ。
千疋からは峠越えの裏道を走って美濃を目指すのが定番のルート。
2つの峠は標高は低くどうってことは無いが、この時期は下りの日陰で路面凍結もあるので、転倒での怪我が怖い小生はスピードを抑えて走るしかない。
と云うことで坂道を慎重に下っていると、路面の濡れた隘路で宅配のトラックと出くわしてヒヤリ。
「スピードを出してたら危なかったなぁ」と胸を撫で下ろすと共に、自身の”小心さ”に助けられたことを感謝した。
山崎橋まで来ると美濃市街まではあと少し、そろそろ折り返し地点を何処にするか決めなくちゃならない。
うだつの上る町並みor小倉公園?どちらとも決めかねて、結局は面倒になり「美濃橋にするか」と急転直下で方針変更。
まぁ今日のライドは”美濃まで走る”ことなので、何処で折り返そうが”俺の勝手”と云う訳だ。
帰りの堤防道、幾人かの人影を認めて長良川の分流を見ると、夏場の子供達の水浴び場が釣り堀になっていた。
どうやらルアー・フライ専門のマス釣り場らしく、「こんな所でマスが釣れるの?」と門外漢の小生は疑問に思った次第だが、ルアーやフライと言えば、山中の渓流が脳裏に浮かぶので、其処まで行かなくてもマス釣りが楽しめればそれに越したことは無い。
独りキャンプを楽しむ人、魚釣りを楽しむ人、そして小生の様に自転車徘徊?を楽しむ人etc、人それぞれ好みは多様でそれが社会というものだ・・・。
美濃からは専らr-94(長良川百日紅街道)を走って岐阜まで帰ってきた。
昨年11月末は土砂崩れで通行止めだった箇所が規制解除されており、迂回路へ遠回り(大した距離じゃ無いんだけどね)せずに済んだのは助かった。
些細なことだけど、こういうのも走っていて感じる”嬉しいこと”の一つと言える。
さぁあと少し、頑張って走ろう・・・。