風を道連れに

☆あるボッチローディーの独り言☆

川に沿って走れば

 

自民党総裁選挙に立候補者が乱立して新聞紙面やTVニュースがかまびすしいが、多くの国民は ”自民党総裁が誰になるか?” ではなく ”今後国政がどう変わるか” の方により関心を持っている筈だ。

それに気付かず(いや本当は気付いてるのかも?)「党の顔を挿げ替えれば、これまで通り自民党政権は安泰だ」と能天気に思っているなら、それは国民を愚弄する不見識と言っても過言ではない。

一方、年内実施の公算が高くなった”衆議院解散・総選挙”では、国民の側もその見識を問われることになるのは必然で、今まで通り”漫然と”自民党に票を投じるならば、この国の将来は「本当に危ういぞぉ」と少々悲観的な見通しを頭に描きながら、勝手にそう思っている・・・。

 

見識と云えば、今話題の兵庫県知事とその取り巻き連中の”告発者”への対応も”見識ある人”のやり方とは到底思えない。

この知事は東大を出て総務官僚となり、地方勤務での経歴を引っ提げて知事選に出馬し40代半ばで当選したが、昨今のその言動を耳にする限りにおいては、彼の「俺はお前らより賢く偉いんだ」との”優越意識”が感じられる。

それは単にうぬぼれに過ぎない(東大レベルの人なんて今生きてる人だけでも国内に60万人は居る)のだが、それに思い至らないところに、この御仁の本質的な知性の低さと倫理観の欠如(この件では2人の人命が失われているのにその責任の自覚も無さそう)が垣間見えると言ったら言い過ぎだろうか?

 

話は変わって、米国の大統領選ではハリスVS.トランプの熾烈な戦いがこれから本格化するが、願わくは米国民の過半(代議員制なのでそうとも言えない)がハリスを次期の大統領に選んで(何と言っても我々には投票権が無いのが残念至極)、世界的に広がりを見せているポピュリズム(or 極右化 )と権威主義へのアンチテーゼ・対立軸を形成する核になって欲しいと、切に思うのは小生だけではあるまい。

 

それにしても、内外を問わず改善の兆しが一向に見えてこない事態が頻発するこの現実世界、「明日は今日よりも良くなって欲しい」と願うのが、所詮”叶わぬ願望”と云うのではチョットばかり寂しすぎる・・・。

 

 

さて今日は、久し振りに「長良川に沿って美濃辺りまで走ってみるかぁ」と思い立ち、やおら車庫からバイクを引っ張り出した。

9月に入って37~8℃にもなる酷暑はようやく無くなったものの、晴れた日の昼日中には35℃を超えるのでまだまだ暑い。

さて今日はどこまで気温が上がるのやら・・・。

 

長良川左岸河川敷の管理道路に入ると一瞬川面を渡る涼風を頬に感じたが、それはどうやら偽りの感触だった様で、空間を切り裂いて身体に受ける風以外は ”そよ” とも風は吹いておらず、やっぱり今日も「疲れる走りになるなぁ」と覚悟せざるを得なかった。

まぁ元々風は嫌いなので、「それはそれとして有難い面の方が多いんだけれど」と独白すると、正面に鎮座する金華山が小生のそんな思いも知らぬげに、雲の多い青空を背景にして輝き見えていた。

金華山の麓を抜けて長良川沿いを遡上する

日野から芥見へと走って藍川橋まで来ると、辺りの景色も変わるのでそれに連れて気分も穏やかになった様な気がする。

人間は情緒的な生き物だから、環境が精神に影響を与えても何ら不思議はなく、それに浸りながらスピードを落としてゆっくりペダルを漕ぐのも愉しいもんだ。

並走するr-287を幾台もの車が騒音?を残して走り去っていくが、いつしかその音さえも意識の外へと消えていった。

藍川橋の辺りは心安らぐ風景が視界いっぱい広がる

美濃へ向かうには幾つかの走路があるが、小生が専ら採るのは長良川に沿って走る裏道を辿るルート。

車があまり通らないので安心して走れるし、何より眼に入る清冽な流れや長閑な景色を満喫しながら行けるところが好い。

山が近づくと千疋橋があり、それを渡って右に折れ山沿いに進むと美濃まではあと5㎞ほど、そろそろ何処で折り返すか考えなくちゃならない。

道沿いの石仏に郷愁感が漂う         千疋橋を渡ってその先へ      

山の端を回り込んで美濃へと向かう

結局は山崎大橋まで走り、そこで折り返して小瀬へと向かうことにした。

美濃市街はすぐそこだが、街中に全く用は無いし、そこへ向かえば頻繁にブレーキングしながら走らなくちゃいけないのでそれも「嫌だなぁ」と思った次第。

生来小生は面倒くさがり屋で恥ずかしがり屋(この2つはあまり関係ない?)、普段はそれをなるべく他人に悟られない様にしているだけなので、独りの時は本来の地が表に出る訳だ。

 

小瀬の観光ホテル前の河原では、大勢の人が”夏の名残”を惜しむ様に水と戯れていた。

「昔あんな風にして家族で遊んだなぁ」と遠い過去の情景(そこには創造された記憶が多分に含まれているけど)を脳裏に映しながら、堤防の階段に腰を下ろして穏やかな時の流れを愉しむこと数分。

「さぁそろそろ帰るか」と独り言を呟いて再びバイクに跨った。

ここからの帰路は暫くのあいだ長良川から離れるが、芥見まで走ればまた長良川に出るので、そこからは右岸沿いのr-94を岐阜まで行けばよい。

河原でBBQを楽しむ人達を遠目に観ながらしばらく休憩

予定した道を快走して雄総まで帰ってきたのだが、一気に走ってきたので喉はカラカラ(ボトルの飲料は飲み干した)の脱水一歩手前。

最後の休憩を長良河畔で執るつもりでいたが、そこまで我慢したら何かを得する訳じゃないので、とにかく水分補給が優先とハンドルを右に切って「あそこに自販機があった筈だ」と目星を付けたところへ向かうことにした。

この辺りは住宅街でコンビニ等も無いので、もし自販機が無かったら徒労に終わるが、そこは小生の記憶の正しさを信じるしかない・・・。

雄総まで帰ってくると岐阜市街はもう近い

自販機でスポーツ飲料を仕入れて公園の水場で頭から水浴びすると、火照った身体と喉がようやく落ち着きを取り戻した。

だが、今日はバイクで70㎞弱走っただけなのに、先刻から脚に酷く疲労感があるのは、この2ヵ月ほどをあまり運動しないで過ごしたせいだろうか?

この1~2年で体力気力が随分衰えてきたと自覚するようになったが、人が老いることの實相は「そういう様々な下降線を認知することなんだろうなぁ」と長良河畔のベンチで、揺蕩う川面を眺めて休みながら独り静かに思った。

サップで遊ぶ人達を眺めながら最後の休憩(長良河畔)