この年末年始も東京から孫達(姉弟)が来るというので、老人世帯にインフルエンザは禁忌とばかりに早速予防接種を受けてきたのだが、それをLINEで次女(姉弟の母親)に知らせると、「二人ともインフルエンザにはもう罹患して治ったので心配は無用」との返事が戻ってきた。
何でも国分寺市辺りではインフルエンザのピークは既に過ぎて、学級閉鎖している学校は無いとのこと。
何事も地方の先を行く?大都会のこと、”然も在りなん”と妙に納得した次第だ。
一方お隣の中国では今、子供達の間で呼吸器疾患が急増したり、診断のつかない肺炎のクラスターが発生したりしていて、その病原体について保健当局では、インフルエンザウイルスや呼吸器合胞体ウイルス(RSV)、小児が罹り易い肺炎マイコプラズマ等既知のウイルスとの見解を示している様だが、このWHOへの報告自体も、「本当かな?」と全面的に信用することが出来ないのは、過去(4年前)に新型コロナウイルスの発生を国として隠蔽(その後報告)したことが影響している。
最近の中国は、国内での言論統制を一段と強化して、専制主義国家の色合いを更に濃くしているが、これは中国国民にとって不幸なだけにとどまらず、世界中の人々にとっても大きな災いと言える。
その証拠となるのが、今回の新型コロナウイルスによるパンデミックで、武漢で最初の感染爆発が起こった時に、当局が正確な情報を世界へと発信すると共に、内外の協力を得てワクチン開発や防疫措置をおこなっていれば、全世界を巻き込んだ未曾有の大惨禍は防げたかも知れない。
今は唯、現在中国で患者急増している呼吸器疾患が、新型コロナパンデミックの再来とならんことを天に祈るのみである・・・。
さて今日は、美濃市の「大矢田神社の紅葉でも見に行くかぁ」と窓外の天気を観て思いついたので、遅まき(もう10時近い)ながら出掛けることにした。
まずは街中を抜けて長良川へと向かう。
岐阜から美濃は長良川に沿って遡上するのが最短なので、小生が美濃方面へと走る場合はこのルートを選択するのが常、走路も車通りの少ない道を選んでいけるのが好い。
長良川河川敷に入ると一気に視界が開けて、その中を疾風を全身に感じながら走るのは実に気分が良いもんだ。
澄み渡った青空を映す清冽な川の流れが、その気分を更に押し上げてくれた。
金華山の麓を抜けて日野辺りまで来ると、景色は変わって山が視界を占める様になる。
この辺りの落葉樹も色付き始めているが、寒暖差が大きくないせいか或いは樹種によるのか、何れにせよあまり綺麗でない(小生の美観だけど)のは少し残念。
まぁどだい、高山地帯の紅葉の色合いを低山地帯で期待するのが”お門違い”なんだろうけど・・・。
更に走って芥見まで来ると、進行方向の正面奥手に中腹まで雪化粧した御嶽山が見え、その実に堂々とした山容に惚れ惚れする。
山登りをしてた頃は残雪期を含めて何度も登った山だが、今はこうして唯遠くから眺めるだけで、正に”御嶽は遠くなりにけり”と云う感じだ。
その左、前山の肩から顔を覗かせるのが乗鞍岳だが、此処からだと白い頂がほんの少し見えるだけ。
小高い所へ上がれば「もっと見えるかな」と思って辺りを見回したが、そんな所は何処にもないので諦めた。
千疋⇒武芸と辿って大矢田まで一気に走って来た。
天王山の山懐に在る大矢田神社へと続く長く且つ緩い上りは、走り続けてきた脚に徐々に効いてくるがあと少しの辛抱。
ギアを1段落として、周りの景色に眼をやりながらゆっくり進むと、やがて視線の先に神社の参道が見えてきた。
楼門の傍らにバイクを預けていざ境内へ。
紅葉見物の人出はソコソコあるのだが、TVで観た有名観光地(京都や高尾山など)の喧噪とは当然雲泥の差。
神域には荘厳・静謐さが不可欠の要素で、行き交う誰もがそれを十分に心得ている様で、紅葉の木々を見上げて静かに楽しむ姿が、小生にはとても好ましく思える。
奥へと進むに連れて、陽光を浴びて紅や黄或いは緑に輝く葉々が、美しい空間を其処 彼処に創り出しており、それを愛でる小生を束の間優しい気分で満たしてくれた。
本来なら長く急な石段を上がり本殿に参拝すべきだが、このところ足の具合がいまいち芳しくないので、ここは神様にお許しを貰って引き返すことにする。(多分だが心根の広いここの神様は笑って許してくれたんじゃないかな?)
帰りは屋台の出店が並ぶ方へ迂回したが、こんなところ(失礼)にも沢山の屋台が出るなんてちょっと意外。
そう言えば昔、親がテキ屋の親分だという知人(本人は親の生業を嫌って普通の会社員になった)がいたが、今頃あの人はどうしているんだろうなぁ・・・。
紅葉を満喫するため時間を使ったので、帰りはr-94に走路をとって駿速(あくまで小生の主観)で岐阜へと向かうことにした。
しかし、順調に走って加野まで来たところで、そのペースもスローダウンする憂き目に会う、何と番場山が長良川へと迫り出す隘路が土砂崩れで通行止めだ。
「なんてこった」と走路選択の誤りを今更ながらに悔やんだが、後悔先に立たずでもう遅い。
やむなく大きく山を迂回する道へと進み、お陰でペース上げる気力も何処かへ雲散霧消してしまった。
雄総まで帰って来ると岐阜市街はもう近い。
美濃方面へライドした時の最後の休憩は長良河畔が多いのだが、この時期に「紅葉樹に囲まれた公園を外すのは野暮」と今日は其処へ寄り道。
住宅街の一角にある公園には小生同様に紅葉に吸い寄せられた先客が数人居て、スマホで写真を撮ったりベンチに腰掛けて談笑している。
それを横目に見ながら小生も傍らのベンチで一休み。
イチョウの色付きは少し浅いが、サンカクバフウは綺麗に紅葉しており、その色のグラデーションが何とも目に心地良い。
この景色も12月に入って木枯らしが吹き始めるまでと思うとチョッピリ淋しい気分に なるが、それが季節の移ろいという誰も抗うことの出来ない自然の摂理である・・・。