風を道連れに

☆あるボッチローディーの独り言☆

もうヘロヘロ

 

長女家族が米国へと帰っていった1週間後、今度は東京に住む次女家族がやって来た。

こちらは正月以来だから7ヵ月振りの帰省?と云う訳だが、長女と違って頻繁にLINEで連絡を取り合っているのであまり”久し振り感”は無い。

とは言え、二人とも大学入学と同時に家を出てから20年以上が経つので、もうこの家で一緒に暮らした年月よりも、離れて暮らす生活の方が長くなってしまった。

「これからどれくらいの時間を共に過ごせるのかなぁ?」そう思ってチョット感傷的な気分になるのは、歳をとって生い先が短くなった自分を絶えず意識するからだ・・・。

 

それから2週間後、次女が預けていった孫達(姉弟)を東京へ送り届けるために、久々に東海道新幹線に乗った。

勤め人だった頃は、本社での会議や取引業者さんとの打ち合わせなどで、東京に出向く必要があって頻繁にこの列車に乗ったが、あの頃は車内を見回しても外国人の姿はチラホラと数えるほどだったが、それが今では座席の1/5あまりが外国人と思しき人達で埋められており、時折聴き慣れない言葉も耳に入ってくる。

このインバウンドの高まりは、ややもすると閉鎖的な思考に捕らわれる多くの日本人の意識を変えるのには良いことだろう。

日本の衰退は、国民の多くが世界での頂点(Japan as Number One)を意識した時から始まった。

この長く続く衰退の軌跡を抜け出すためには、その根拠のない優越意識を捨て去ると共に、遠ざけてきた異質を積極的に内包同化していく体質変化が必要だと思う・・・。

ダイバーシティーにこそ活路があるのでは・・・

2時間ほどで着いた東京駅は、この10数年で随分と変わってしまっていた。

”お上りさん” 宜しく駅構内をまごついた後、八重洲中央北口の大丸前で迎えに来た次女と漸く再会してホッと一息。

丁度昼時だったので、地下街の飲食店で次女達と食事をしてから大丸に戻ってお土産を買うとほゞ2時間が過ぎており、結局、今回の東京行きは駅から一歩も出ることも無くそのまゝUターンして帰途につくことに相なった。(都会の混雑にはいつもながらウンザリするので)

のぞみ自由席に座ると急に喉が渇いてビールが飲みたくなったが、帰るとまだやること(自治班長会)が待っている、ここは我慢だ・・・。

 

 

さて、ここ1ヵ月半近くも自転車での徘徊?から遠ざかる生活を送ったので、いい加減に「リセットしなくちゃ」と思い、遅ればせ(もう10時に近い)ながら出掛ける準備を始めた。

今日も朝から異常なほど暑いが、「6~70kmほど走るだけなら大丈夫」と楽観的な思考をして、行先は”長良川に沿って下流方向へ”とだけ決める。

 

走り出しは、風を身体に感じて意外と快適で「これならいけるんじゃないの」と思ったが、それも束の間、暫くするとその快適感も徐々に薄れてきて、背中に受ける陽射しが少し重く感じられる様になってきた。

上半身の前傾を支える腕が、どことなく怠いのはこの間のブランクのせいなのか?

まぁこの違和感はそのうちに消えるだろうけど。

 

河川敷の道に入るとそこはムッとした熱気で埋められており、路面からの輻射熱がその環境に拍車をかけていた。

川面を渡る微風すら無いので、淀んだ熱気が身体にまとわり着く様な感触がして気持ちが悪い。

視線の彼方で入道雲が白く輝いて、「これからもっと暑くなるぞ、覚悟しろ!」と威嚇している様だった。

今更ながら湧き立つ夏雲に盛夏を痛感

額を伝い落ちる汗でサングラスをとおして観る景色を歪ませながら、20kmほどの距離を一気に走って桑原の防災船着き場までやってきた。

暑くて、このまゝじゃとても先へは進めそうにないので、南濃大橋下の日陰でチョット休むことにする。

ウェアを脱いで水分を補給すると、身体から一気に汗が噴き出してきたので、どうやら脱水状態一歩手前だったらしい。

柔らかそうな草地を選んで”大の字”に寝転ぶと、草いきれと共に微かな風が頬を撫でていった・・・。

防災船着き場から観る養老山地と南濃大橋

木曽長良背割堤を東海大橋近くまで走ったものの、誰も居ない酷暑の走路を独り黙々と走る姿が妙に滑稽に思え、「もうここらで止めるか」と自問してバイクをUターン。

三川分流碑まで戻ってそこからの走路を思案するが、頭がボーっとしてこれはという案が浮かばない。

仕方ないので、「取り敢えず馬飼大橋まで行ってからその先を考えるか」と優柔不断に決め、木曽川右岸沿いを上流方向へと向かうことにした。

長良川左岸を背割堤へと向かう         木曽川に懸かる馬飼大橋  

馬飼大橋の長い橋梁を観ていたら、それを渡り木曽川左岸を走るのが億劫に思えて来たので、ふと頭に浮かんだ”大賀ハス”(すぐ近所にある)を観に行くことにしたのだが、果たして着いたそこでは、案の定だが花弁を落とした蓮の実が、陽光のギラつく熱射を浴びて然も暑苦し気(小生の心証)に群生しているだけだった。

”花が無いなら用はない”とばかりに即刻退散を決め、近くの公園へと急ぐ。

この火照った上半身を水浴びで冷やさなくては、とてもじゃ無いが走り続けられそうにないし、こんな状態では熱中症の恐れもある。

飲み干したボトル飲料の補充はそれからでいい・・・。  

この暑さで蓮池も夏枯れ          大賀(古代種)ハスの実

キャップとウェアを水で濡らして走り出すが、15分もすると乾いてしまってまた暑さが襲ってきた。

ここからだと近道を辿っても居宅までは15kmほどあるので、もう1回水浴びした方が良さそうと水場のある公園に目標を定めたのだが、それにしても今日は「なんて日だ!」

先刻から身体はヘロヘロで、脚に力が入らないためスピードも出せない。

公園の木陰で火照った身体を冷ましながら最後の休憩

岐阜市街南西端を流れる境川までやっとの思いで帰ってきた。

ハンガーノックと云う訳では無いが、身体が切実に水分とカロリーを欲しているので、居宅に着いたら孫達が飲まずに残していったジュースでもご相伴に与るかぁ・・・。