風を道連れに

☆あるボッチローディーの独り言☆

どっちを選ぶ?

 

3ヵ月前、中国の蘇州で日本人学校のスクールバスに乗っていた親子が暴漢に襲われて怪我をし、それを止めようとした中国人女性が亡くなるという事件があったばかりなのに、今度は深圳で、通学途中の10歳の小学生が襲われて、緊急手術の甲斐無く亡くなるという悲劇が起きてしまった。

中国政府は単なる偶発的事件として処理したがっているが、この背景にはこれまで国民に強いてきた愛国教育の”ひずみ”があるのは間違いない。

中国の愛国教育というのは、天安門事件の教訓を重く見た指導部が、国が外に開かれるに伴って高まる国民の体制への不満を、外敵を創って逸らすためのもの(郷土愛醸成的な側面もあるのでそれほど単純ではないが)で、謂わば政権の保身のための方便に過ぎないのだが、そういうプロパガンダに踊らされてしまった一部の国民が、色んな局面や場所で日本を標的にして暴挙(尖閣諸島国有化に端を発する中国各地での暴動から靖国神社等の落書きまで)を繰り返してきた事実は記憶に新しい。

庶民の生活は一見穏やかだが・・・(蘇州旧市街に残る水路)

小生は30年ほど前(江沢民時代)に、仕事で蘇州に長期間滞在したことがあるが、当時は未だ日本は羨望の対象で、国を挙げて「日本を先生に発展しよう」との機運が残っていた。

現地社員の中には共産党員や市政府幹部の子息などもいたが誰もが勤勉で温和、一緒に酒の席を囲んでも、酔いに任せて日本批判する者は一人もいなかったと記憶している。

休みの日は、ホテル前の親しくなった土産物屋で自転車をレンタルして蘇州市内をあちこち散策したり、鉄道を使って上海や遠く南京まで出掛けたりしたが、ひとりで出歩く変な日本人?(当時はまだ人民服を着た人も多く居て服装を見ただけで中国人じゃないと分かった)が見咎められる様なことも無かった。

また、夕食がてらに度々訪ねた日本料理の居酒屋(中国人店主)では、近くの蘇州大学日本語学科の学生がアルバイトしていて、日本のことを知りたがり愉しく会話したのも懐かしい思い出だ。

今から思うと、当時は何と平穏な時代だったことか。

 

本来は個々の国民の日常と、国と国との政治的緊張関係は無関係の筈。

それなのに、いついかなる時も ”割を食う” のは国民であり、その延長線にある個人の 生活であるというのでは、やるせなさが募るばかりだ。

「何とかならないものか?」と、昔親しくなった中国人の同僚たちの顔を、一人ひとり脳裏に想い浮かべながら、ただ漠然と思っている・・・。

 

 

さて今日は、「養老から海津辺りにかけての川沿いをぶらついてみるか」と曖昧な範囲で行先を決めて、すっきりしない気分のまま出掛ける支度を始めた。

ところがいつもならバイクを準備している内に大まかな走路が決まる筈が、なんと出発する段になってもまだそれが決まらない。

仕方ないので「もういいや」と吹っ切って取り敢えず西に向かって走り出した。

 

長良大橋を渡った交差点で直進するか左折するかで迷い、丁度信号が赤に変わったので左折へとハンドルを切ったが、これで当分の走路は決まることになった。

結局、今日はこんな風に走路の分岐毎で進む方向を決めて行くことにしたのだが、この走り方ってこれまでの経験上良い時よりも悪い時(途中でパンクしたり変な場所に迷い込んだり)の方が多い。

「果たして今日はどうかなぁ?」と思ったが、それは今日のライドが終わるまでは神様じゃないと判からない・・・。

 

長良川右岸堤防に設けられたサイクリングロードに人影は無く、ハンドルから手を放して左右に拡げながら、幾分涼やかになった風を上半身に受けて走る。

視線を空へと向けると、遥か高層を幾条ものすじ雲がたなびいており、ようやく季節も秋へと変わりつつあるのが判ってチョットだけ感動した。

独りサイクリングロードを走ると妙に気分が上がる

そのまま長良川に沿って安八町まで走り、そこから西進して本戸輪中堤の少し葉を落とした桜並木まで来ると、ツクツクボウシの大合唱が頭上から降り注いできた。

ギアを落としてゆっくり走りながらその喧噪の中に身体ごと埋没してみる。

「ツクツクオーシ・ツクツクオーシ・ヨーヨージィー・・・」

このセミの寿命は僅か1年で、あと2週間もすればその一生を終えてしまうのだから、誰かがその生きた証の音を聴いてやらなければいけない・・・。

人影の無い本戸輪中堤には蝉時雨だけが・・・

揖斐川左岸堤防に出て下流方向へと向かう。

視界を遮るものが無いので、伊吹山から養老山地にかけての青い山並みが一望できる。

この堤防道は車通りが少ないので、こうして景色に眼を遣っていても大丈夫だが、たまにはバックミラーで後方確認しないと駄目。

現に視線を落としてミラーを見ると、近くまで数台の車が迫ってきていた。

「おっと危ない、左に寄らなくっちゃ」

青霞む山並みを遠望しながら堤防道を南へ走る

福束大橋を渡ったところで本日2度目の走路の選択。

真っすぐ進んで牧田川沿いを烏江まで行き海津を目指すかorここで左折して揖斐川右岸に沿って走り海津を目指すか?

要は遠回りするかしないか選ぶだけだが、小生の持って生まれた優柔不断さが急に表に出てなかなか決まらず、1分ほど色々考えて決めたのは左折だった。

果たしてこの選択、吉と出るか凶と出るか・・・。

福束大橋を渡って養老へ向かうのは定番の走路

養老大橋を渡り車両通行規制された堤防道路を走り出したまでは良かったのだが、しばらく行くと前方に道路遮断柵らしきものがあり、近づくと工事による通行止めだった。

「なんてこったぁ選択は×かぁ」と思ったが、どうやら工事区間は200mほどで、その先はまた走れそうと判って失望は一転安堵に変わった。

結局、その後は快適(車に煩わされず走れるのって最高!)に今尾橋まで走れたので、全体的に言えば選択は〇と云うことか。

   今尾橋に向かう堤防道        ここにも清々しい秋空が広がっていた
今尾橋から福岡大橋までの区間は小生お気に入りの走路

山と草原と川が織りなす景色を愛でながら、ゆっくりペダルを漕いで福岡大橋まで走ると、今日の揖斐川沿いの走路はこれで終わり。

橋のたもとで小休憩しながら帰路のルートを頭に描く。

「海津から広域農道を今尾まで走り、大榑川堤を輪之内へ、長良川を大藪大橋で渡って堀津から河川管理道路に入り岐阜まで帰る」とまぁこんな具合だが、途中で気が変わることもあるので、細かいルートは決めないでおいた。

大榑川堤道は静かで端正?な走路

予定通りの走路を走って輪之内まで戻って来た。

ボトルの飲料を飲み干してしまったので道々自販機を探しながら来たが、農道や堤防道ではそんなもの無いのが当たり前で、先刻から身体が水分を欲しているがどうしようもない。

この先、長良川河川敷に入ると水分補給は絶望的になるので、確実に自販機がある場所に向かうことにしたが、この寄り道の選択の結果はどうなのかな?

自販機の傍らの日陰で水分補給しながら体力回復を図った