風を道連れに

☆あるボッチローディーの独り言☆

思い通りにいかないね

 

先日のこと、かかり付けの医院で診察が終わって隣接する薬局で薬を貰うと、これまでの薬(先発薬)がジェネリック品に替わっていた。

薬剤師さんに「何故替わったの?」と聞いたら、これまでの薬は「在庫が無いので」との返事で、それならばと、次回までには先発薬を仕入れて貰える様にお願いした。

 

実を言うと、小生はジェネリック薬をあまり好まない。

それは、これらの薬製造業者の品質管理に ”?” が付く(ここ数年でも、何社かが問題を起こして製造許可取り消しになっている)こともあるが、薬そのものの効き方にも疑問を感じているからだ。

薬には有効成分(主剤)の他に各種添加剤が加えられているが、これは薬を飲み易くしたり、主剤の有効性や安定性を高めたりする目的があり、その配合には各メーカーなりのノウハウがある。

先発薬は、開発時だけでなく発売後も追加研究されるので、それにより主剤や添加剤も様々な改良が成され、そういうことをほゞしないジェネリック薬とは、やはり薬の効き方が違うと思うのだ・・・。

国はジェネリック薬の使用を推奨してるけど・・・

余談だが、先刻ラジオを聴いていたら某有名ジェネリックメーカーのPRが流れた。

曰く、「ジェネリック薬は”新薬”と同じ有効成分を含んでいるので・・・」その刹那「ん、それってチョットおかしくない?」と少々偏屈な老人である小生は思った。

新薬メーカーでの薬の開発には、10数年の期間が費やされ、幸運にも薬効が認められて新薬として発売されると、およそ7~10年は特許でその製造販売を独占できる。

ジェネリックメーカーが、その先発品と同じ有効成分の薬を製造販売できるのは、特許が切れた以降なので、その薬自体は、開発からは実に20年以上も経った(古い)代物という訳だ。

果たしてそれが”新薬”と言えるのか?

ましてや、A社が新薬(先発品)を製造販売して特許が切れる頃には、B社がそれより薬効のある本当の意味での新薬(当然これは特許に守られていてジェネリックメーカーは製造販売できない)を出している公算が高いだろうから、その疑問は猶更だ。

まぁ ”新薬と同じ有効成分” と言っておけば「最新の薬を安価に服用できる」と勘違い する患者も少なからず居るだろうから、それがこのメーカーの狙いだと、重々解ってはいるのだけれど。

 

 

さて今日は、残暑で開花が遅れていた(多分もう咲いてるだろう?)ヒガンバナ群生地を訪ねながら、その付近(行先は ”津屋川” なので養老から海津辺り)を漫遊してみる ことにした。

季節外れの暑さはようやく遠のいて、肌感覚でも秋らしくなってきたので快適なライドが出来そうだ。

 

市街地を南西に走って長良大橋を渡る(墨俣)と、視界が大きく開けて南北に長い養老山地の麓が一望できる。

その景色を漫然と見ながら「さて此処からどう走ろうか?」と今更ながらに考えた。

養老へのルートには大きく、大垣の南縁を通って養老(西→南)or輪之内を通って養老(南→西)があるが、何れもよく走るルートなので ”少し飽きた感” があって、今日は どうも乗り気になれない自分がいるのだ。

走路を頭に描きながらしばらく沈思黙考「そうだなぁ新しいルート開拓でもするか」と俄かに思い付き、バリエーションルートが多くある南へとバイクを向けて走り出した。

 

安八を経由して揖斐川左岸沿いの道を福束大橋に向けて走る。

小生の好きな田園風景の中を走る道で、拡がる視界がその快適さを数倍にも増幅してくれる感じがする。

そんななか西方向へと視線を投じると、収穫間近の稲穂の波の上に、伊吹から養老山地にかけての青い山並みが横たわっており、その風景を眺める内に、それは一幅の絵画の如きものへと化身して小生を魅せてくれた。

「うん、この道正解だな」と独り満足げに呟く。

何処か郷愁を誘う風景が拡がっていた(安八町

福束大橋を渡り牧田川右岸堤防道を南へ3km、”希望の道”に入ると後は真っ直ぐ進めば養老だ。

片側1車線のこの道は、車通りが少ない(信号交差点も2ヶ所だけ)ので自転車乗りには嬉しく、「こんな道がもっと在ればなぁ」と思いながらスピードを上げると、先刻まで遠かった山麓がもうすぐのところまで近づいていた。

ところがその先のT字路で事態は暗転する。

真っ直ぐ進む心算でいた道(農道)は、東海環状自動車道の高架工事のため通行止め、止む無く向かった近くの迂回路もこれまた通行止めで、結局は大きく迂回して養老へと向かわざるを得なかった。

「何でこんなに遠回りさせるのよぉ」と愚痴ったが、それを誰かが聞き耳立ててる訳でも無い。

福束大橋を渡って養老へと走る

ともかく養老駅に着いて駅舎待合の椅子に腰かけて一休み。(電車には乗らないけど、誰も居ないから許して頂戴)

静かな田舎駅?を満喫しながら休んでいると、乗客と思しき3人連れが駅舎に向かって歩いてきたので、それを機に席を立って(滞在5~6分か?)次の目的地の津屋川へと 向かうことにした。

レトロな風情が漂う養老駅

下り基調の坂を10分ほど走って、集落左手の路地を下ると津屋川に出た。

「さてヒガンバナはどうかな?」と小橋の上で停り、やおら下流方向へと視線を投げてそこに見えた景色に大いに落胆する。

その辺りから見える筈の堤防法面を覆う紅い絨毯が”殆んど無い”のだ。

と云うことは、まだ”見頃じゃない”ってこと?

お彼岸はとうに過ぎた10月初旬にヒガンバナが咲かないなんて、もう”彼岸花”とは呼べないかも?

これは今年の酷暑が尋常じゃなかった証拠で、こう云う生態系を狂わす事象がこれからも増えていくのは確実。

「人間よ、この世界をこれ以上壊すな」と天上の声が必死に叫んでる気がする・・・。

紅い絨毯で覆われてる筈が・・・      これじゃ群生とは言えないなぁ

僅かに咲いたヒガンバナに別れを告げて堤防道を海津へと向かうことにしたが、なんとこの道も件の高架工事で通行止め・・・「なんてこったぁ」

この辺りは池と川が多く、道が複雑に絡むので迂回するのも容易じゃない。

仕方無いので「全くぅ、何処まで邪魔するのよ」と愚痴りながら、バイクを反転させて幹線道を今尾へと向かったが、本音を言うとこの道は車通りが多くて好きじゃない。

 

今尾からは揖斐川右岸の細道を福岡大橋へと走る。

前方に拡がる山から川へと続く重層する緑濃い景色は、小生の好きな風景の一つ。

こういう場所は、上体を起こして空気を胸いっぱい吸い込みながら、ゆっくり走るのが好い。

あぁ実に爽快、そして良い気分だ・・・。

この快適な細道は揖斐川沿いを3kmほど続く

海津からは広域農道を平田へ、そして大榑川堤へと走路を変えて輪之内へ向かう。

帰路はいつも何故か気が急くので、何処へも寄らず休憩も取らずで走ることが多いのは性癖か?

もう歳なんだから「そろそろこの走り方変えなくっちゃ」と思うが、長年?身に付いた行動様式は簡単には変わらないもんだ。

 

大藪大橋を渡って長良川左岸河川敷の河川管理道路に入る。

2ヶ月前まで3つに分断されていたこの道が1本に繋がった御蔭で、15kmほどの距離を車に煩わされず走れる様になった。

これは小生には有難いことで、「よーし、気合を入れ直して走るぞぉ」とギアを1段upした。

路傍に咲くヒガンバナの遠景に伊吹山があった