風を道連れに

☆あるボッチローディーの独り言☆

もの想いの秋

 

北海道を1人旅したのはもう50年ほども前。

JR(当時はまだ分割民営化前の国鉄)の今はもう無くなった北海道周遊券を使い、宿は全てユースホステル(往時の若者はこの施設に泊まって全国津々浦々を旅していた)の貧乏旅行?だった。

 

岐阜を東海道本線の夜行で発って東京に着いたのは翌早朝、そのまま上野発常磐線経由青森行きの急行に乗り換え、青森駅青函連絡船に乗り継いだ時には既に深夜になっていた。

人は船に乗ると何故か寂寥感を覚えてしまうもの(小生の勝手な思い込み)で、デッキに出て船窓から洩れる明かりに揺らめく波頭を見ていたら、思わず眼がしらに涙が溢れて頬を伝って落ちた微かな記憶がある。(実はこの旅は失恋の深い喪失感を忘れるためのものだった)

函館からは函館本線の鈍行に乗って札幌に向かったが、早朝の大沼から車窓越しに観た駒ヶ岳の秀麗な姿は今でもありありと脳裏に蘇るほどで、その後幾度か旅行で大沼周辺を訪れているが、未だかってあれほどの景色に出会えてないのは、多分その時々の小生の心情が、視覚認知系に少なからず影響を与えているからだろう。

 

かくして始まった北海道一人旅は、それなりに思い出深いものとして断片的にではあるが小生の記憶に刻まれている。

積丹半島を訪ねた時のこと、神恵内(だったと思うけど泊かも?記憶がどうも曖昧)にあったYHを出て半島の先端にある神威岬を目指したのだが、この頃はまだ岬まで行く道は通っておらず、あるのは海岸沿いの崖を行く草の生い茂る細道だけ。

募る心細さを必死に抑え何時間?も歩いたが、結局は神威岬までは行くことが出来ず、がっかり(内心ほっと)しながら来た道を引き返さざるを得なかった。

それにしても、人気の全く無いヒグマと出くわすかもしれない場所を、よく独りで歩いたもんだと思う、若気の至りだが今から思うとゾッとする・・・。

礼文から利尻を望む(image)

標津の牧場で”乳絞り”を体験させて貰ったのは、旅行中の数少ない愉しい思い出だ。

初めて触れる乳牛の暖かい乳頭は思いのほか柔らかく、指を上から下へとリズミカルに屈伸させると、乳液がジュッジュッと音を立ててバケツに溜まっていく。

「意外と簡単だな」と思った矢先、牛が後ろ足を上げて地面を軽く蹴ったので、思わず乳首から手を放して少しだけ後ずさった。

こんな些細なことを昨日あったことの様に思い出すのは何故だろう?人の記憶って本当に不可解で不思議だ。

 

こんなこともあった。

旭川から宗谷線の汽車(当時はまだ沢山走っていた)に揺られて稚内に着き、予約しておいた市内のYHに向かったのだが、あろうことかそこは無情にも閉鎖されていた。

「何の連絡も無く閉めるとは」と憤ったがこんな時に怒っていてもしょうがない、それよりも今日泊る所を決めるのが先と宿探しが始まった。

ところが3~4軒とホテルや旅館をまわっても全て満室(そんな筈はなく多分1人旅の 若者を泊めたくなかっただけ?)と断られてしまい、5軒目に訪ねた寂れた旅館で腹を括った。

「泊る宿が無いので布団部屋でもよいから泊めて欲しい」と頼むと、初めは渋っていた主人が「それじゃ」と宛がってくれたのが、宿の奥まった場所のちょっと湿っぽい感じの正真正銘”布団部屋”だった。

お金を払って布団部屋に泊めて貰ったのは”これっきり”で、今でもそれを思い出すと 笑えてくる。

 

20日ほどをかけて道内各所を気儘に巡った旅、色んな風景と出会い想い様々な出来事にも遭遇したはずだが、今も思い出せるのはその内のほんの一部に過ぎない。

哀しくもあり楽しくもあった事柄も、時を経るに従って記憶の断片となってしか脳裏に蘇ってこないのは、人が平穏に生きるための術かも知れないなぁ・・・。

 

 

さて今日は、久し振りに根尾方面に向かうことにした。

確か3ヶ月ほど前に雛倉から木知原にかけての山辺を走ったが、今日走ろうと思ってる走路と少しルートが違うので、久し振りというのはまんざら誇張ではない。

 

長良川左岸の堤防道路に上り、北の方角に視線を送って青い山襞の連なりを確かめる様になぞってみる。

天気は良いので何処までも行けそうだが、最近とみに衰えてきた体力と制限時間がそれを許さないのは判っている。

「あの辺りまでだな」と目星を付けた山を見ながら、頭の中ではそこにある筈の山道の景色を思い描いていた。

根尾は青い山並みを分け入った先

普段なら河渡橋を渡ったら北へと向かうが、今日はちょっと寄り道すべくまずは西へと進路をとり、向かったのは真正町犀川公園。

記録的熱暑で開花が遅れている曼殊沙華が「そろそろ咲いてるんじゃないか」と希望的に思ったので、その第六感を信じて現地で確かめよう云う訳だ。

しかし、犀川沿いの土手道を走って公園へと近づくが、ここまでのところ堤の何処にもあの赤色を見つけられないので「やっぱり早いかぁ」との愚痴が口を突いて出た。

さて、犀川公園はあのこんもりとした林の下だ、果たして「どうかなぁ・・・?」

期待に応えて咲いててくれました     この花は近景より遠景が好いかな?

根尾川左岸の堤防道を上流へと走り、大野橋で右岸側に走路を替え更に北へと向かう。

辺りは山の狭間を縫う川の景色に変わり、道も少し傾斜がついてきたのでギアを適当に切り替えながら走らないとちょっと辛い。

万代橋の赤い欄干を右手に見ながら少し広くなった道を進むと谷汲長瀬で、谷汲方面と根尾方面の分岐点。

此処は躊躇なく「根尾方面だ!」とハンドルを右へ切ってしばらく進むと、前方の坂道を1人のローディーがかなりのスピードで下ってきたので手を挙げて挨拶するが、相手はそのまま会釈も無く素通りして小生の前方視界から消えていった。

「おいおい、それってどうなのよ」とここでは口には出さず愚痴を思ったのだが、今更他人のマナーをどうこう言うつもりは毛頭無いが、最近こういう手合いの人が増えてるのはちょっと淋しい気がしないでもない。

清流根尾川に架かる万代橋

岐礼から高科へと徐々に山深くなっていく風景に連れて、気分も安らいでいくと感じるのは、ストレスにまみれた現代を生きる人間の特性か?

仕事から解放された小生は「もうストレスとは無縁」と思っていたが、ストレッサーは案外身近にあるのかも知れず、こうして随時その解消を図っていくことが肝要という事なのだろう。

根尾川に沿って山奥へ           鉄路も山奥へ延びる

根尾川の右岸を通るr-255は高科から先で細い山道に変わる。

今日は根尾樽見まで行く気は最初から無く、この静かな山道を3.5kmほど走って愉しんだら、日当でR-157に出て戻る予定だが「果たしてどうなるかなぁ?」

”予定は未定”なので、更に先に進むか戻るかはそこに着いた時しか判からない。

 この先は昼なお暗い山道         渓谷美の根尾川も伴走してくれる

結局は日当で山道を外れ、R-157に出て谷汲口まで戻ってきた。

途中の”里山かおり街道”との分岐で進路を少し迷ったが、目前にある金坂峠を登るのが「ちょっと嫌だな」との思いに押し切られて直進を選んでしまった。

最近はこんなことの繰り返しで、どうも”身体の辛さを避ける癖”が身に着いてしまったようだ。

こんな事じゃ「駄目だなぁ」と思ったりしているが、”寄る年波には勝てない”と内心では諦めている。

アユ釣りの人が大勢いたがそんなに釣れるの?

本巣から北方へと直線的に走って河渡橋近くまで戻って来た。

時刻は1時チョイ過ぎだが、何処へも寄らず休憩も取らずに走ってきたので予定よりも20分は早い。

得した気分になり、ギアを1段落としてスピードを少し緩めた・・・。

長良川左岸堤防道を走って帰る