風を道連れに

☆あるボッチローディーの独り言☆

海まで来ちゃった⁉

ここ3回ほど平地のライドが続いたので、今日は山手の方へ行こうと昨日から決めて いた。

行先は揖斐方面で、横山ダム辺りまで行って帰ってくればソコソコ面白そうなライド になる筈だ。

北風は少しあるが走行の支障になるほどでは無く、天気も西方に若干雲が多いかなと 云う程度、多分大丈夫だろうと踏んだ。

街中を抜けて視界の開けたところで北西方向を見渡すと。

「うぅん?揖斐の辺りは時雨てるか?」西から北にかけての山並みには雲が被さり、所々小雨が降っている様に見える。

天候の回復を期待するか諦めるか、少し迷ったが「これはどうも駄目だな」と弱気に 判断して行先を替えることにした。

新しい行先は雲の感じからして南の方が無難、多度かそれとも桑名辺りまで足を延ば してみようかな?

「今日も平地ライドになるが仕方が無い」雨に降られるよりはマシだ・・・。

 

走路を長良川左岸堤防道路にとり、南に向かって走りつつ前方を見る。

右手前方の山が途切れる辺りが多度で、距離は30㎞チョット「一気に走るぞ」と気合 を入れ直してペダルを踏んだ。

f:id:yoshijiji:20201205172923j:plain

長良川左岸堤防道路から進行方向の遠望

暫く走っていると、後から一人のローディーが迫ってきてスッと追い越していった。

「結構急いでいるな、何処へ行くんだろう?」興味が沸いたので、少し離れて付いて いく事にした。

スピードは30km/hrチョイオーバーで小生の普段の走りより2km/hrほど速いが、追い風があるので無理なく付いていける。

「二ノ瀬かな?それとも長島?」行先を勝手に推測しながら追走していると、前方の Y字路で堤防道路とは違う道へとローディーが逸れていくのが見えた。

「あれれ、道から外れたぞ」「付いてくライドはこれで終わりか、ほんの数㎞だった なぁ」と独り愚痴ていた矢先、前方を伺うと堤防道路へのスロープを駆け上っていく ローディーの姿が見えた「あれぇ、戻ってきたぞ」それじゃまた付いてくライドの  再開だ。

それから数㎞走ると、先行ローディーのスピードが落ちて車間が詰まってきたので、 一気に追いついて声をかけてみることにした。

「こんにちは、どちらまで」との小生の問いに、岐阜市長良に住むというローディーは「いなべから鞍掛峠を越えて多賀から米原関ヶ原へと廻ってくる予定」と答えた。

「えぇ、3県(岐阜、三重、滋賀)廻るの」と驚くと「いゃぁ、130km位だから大したことないですよ」と謙遜して言う。

鞍掛峠と云えば鈴鹿山脈の主稜線にある峠で、トンネルを抜ける道でも海抜600mは 超えるはず「大したことないなんてことは全然無い」坂嫌いの小生には到底出来ない ライドなぁと密かに恐れ入る。

その後、ランデブー走行しながら立田大橋西交差点まで走り、そこでお互いの安全と 後日の再会を祈願してそれぞれの行先方向へと別れた。

「さぁ、またいつものボッチライドの再開だ」

 

船頭平河川公園まで走って、定石通りの休憩を取りながらこれからのコースを考える。

f:id:yoshijiji:20201205173405j:plain

船頭平河川公園の東屋でいつもの様に休憩

①桑名から多度へと廻る 

②このまま長良川沿いを走って河口(伊勢湾)までいく

「そうだなぁ近頃海を見てのんびりしてないし、久々に100kmライドも良いかな」と 結論したのは、130kmを「大したことない」と聞いた影響があったのは否めない。

 

休憩を10分ほどで切り上げて出発、長良川沿いを河口へと走る。

東名阪高速の下をくぐりJR・近鉄の鉄橋下を抜けると長良川河口堰はもうすぐだ。

f:id:yoshijiji:20201205173730j:plain

長良川に設けられた河口堰(治水施設)

この堰は、河口地域の塩害防止と水害予防を目的に造られた巨大施設だが、建設時に 漁業者の生活保障や流域の自然破壊で大きな問題になり、上流の岐阜市にまで建設省(当時)の役人が説明に来た。

その頃小生は町内会役員をしていた関係で説明会に参加し、役人の説明内容に疑義を 覚えて何点か質問したのを覚えている。

あれから何年経つのだろう?果たして堰の効果はあったのか?

確かに、長良川では最近水害は発生してないが、かって清流が謳われた水質が中流域 で酷く悪くなっている様に思えてならないのだが・・・。 

 

なばなの里の脇を通ってなお南進するが、ここからは狭く危険な堤防道路は走らず堤防下を並走する路地を走る。

f:id:yoshijiji:20201205174012j:plain

伊勢湾まではあと6kmほど

スピードは出せないが無防備なまゝ車に追突される懸念はほゞ無く安全だ。

R23の高架をくぐり抜けて、小さな漁港の脇を通って路地を進むと、やがてナガシマ スパーランド駐車場に行きつく、その先右手の護岸を越えればそこが目的の海だ。

潮風が気持ちよく迎えてくれるが、さらに進んで護岸を左に折れると伊勢湾が視界一杯に広がる。

海を眺めながらもう少し先に進んで波消しブロックが途絶えたところで停まると、ここがいつもの休憩場所だ。

側壁にロードバイクを預けて護岸の縁に腰かけ大休憩。

f:id:yoshijiji:20201205174234j:plain

陽光きらめく伊勢湾

視線の先、キラキラ輝く海面のはるか向こうを大きな貨物船が航行していく。

国内航路の船だろうか、それとも海外航路?遠い異国を往来する船旅のロマンがふと 脳裏をよぎるが、それも束の間、コロナ禍の現実がそんな安穏な夢想を掻き消す。

いつもなら、頭上をセントレアに向け降りていく機影があるのだが、今はその轟音が 響くことも無く、ただ打ち寄せる波の音が聞こえるだけ。

もう随分と長く海外に行ってないな、最後はフランスとスイスを巡った旅行かぁ。

それにしても海外との往来が元通りになるのはいつのことだろう・・・。

取り留めもなく想いが浮かび消えていく。

f:id:yoshijiji:20201205174331j:plain

四日市コンビナート群を遠望する

やおら時計を見ると11時を少し廻っている、ちょっとのんびりし過ぎてしまった。

復路は木曽川右岸堤防道路を走って立田大橋まで戻り、往路と同じルートで岐阜まで 帰る予定。

シューズの固定バンドを締め直して早速出発する。

 

護岸を東進して道なりに左に折れ、木曽川右岸堤防道路に出るといきなり強風が吹き付けてきた。

北からの4~5m/sの風で、正面から吹き付けるのでスピードが上がらない。

「こりゃあダメだ」このまま木曽川右岸堤防道路を走っても疲れるだけ、長良川左岸側なら路地が走れるし「家が風よけになって多分楽に走れる」と判断して引き返すことにした。

 

護岸を戻って長良川河口に出ると、伊勢湾岸自動車道の跨川橋の向こうに鈴鹿山脈の 青い山並みが望見できる。

f:id:yoshijiji:20201205174516j:plain

跨川橋と背後の鈴鹿の山並み

往路で出会った彼は今頃どの辺りを走っているだろう?

「時間的には鞍掛峠に向けて鈴鹿の山を登り始めた頃かな」と推測し、視線の彼方に 思いを馳せた。

 

長良川左岸側の路地で向かい風は弱まったが、それでもスピードは23~4km/hrが精一杯で、結局15kmほどを走るのに45分もかかってしまった。

あと30数kmの走りが残っているが、幸いにしてここ(立田大橋付近)では向かい風が弱まっている(向きもやゝ横風になった)ので、これからは多少は楽に走れるんじゃ 無いかと期待したい。

f:id:yoshijiji:20201205174721j:plain

木曾長良背割堤から北(帰路方向)を望む

今日はいきなりの行先変更で出鼻をくじかれたが、途中で出会ったローディーと並走 したり、海まで足を延ばしたりとチョット意外性のあるライドだった。


だけど、こんな事がたまにはあっても良いよね・・・。

犬山辺りまで

このところ北西から強い風が吹くことが多くなり、季節が秋から冬へと足早に移ろっていく様を少し寂しい思いでみている。

昔は冬は好きな季節だったのだが、体力気力の衰えと共に強いて好きとは云えなくなった自分の変化が、少なからず残念でもあり悲しくもある・・・。

今日は、風が無く天候も良いライド日和なので、いつもなら遠出ライドということに なるのだが、どうも身体が軽めのライドを要求しており、心もそれに従うよう求めて いる。

「そうだなぁ、久々に犬山辺りまで走ってみる事にするか」と妥協して、出掛ける準備に取り掛かった。

 

居宅を出ると、まずは南方向の羽島に向けて市街地を走る。

犬山は東方向だから進む方角が90度ズレているが、これは走行距離を稼ぐための一つの方便で、この遠回りによって直に進むのに較べ10kmほど余分に走ることになる。

また、この距離10㎞・時間にして30分に満たない走りをすることで、ペダルを廻す脚が軽くなるし、バイク走行に身体が順応するようになって、一石二鳥の効果も期待できるので、小生は時々この遠回りをする。

 

さて、木曽川にかかる濃尾大橋に向けて市街地を軽快に走行していた時の事である。

前方左の路地からワンボックスカーが通りに出ようと顏を出した。

運転手の女性はこちら(右)を見てから左に顔を振って通りに出る機会を伺っている 様子。

この女性はロードバイクで迫る小生の姿を確かに見ており、通常ならバイクが前を通過するのを待って車を発進させる筈だが、これまでの経験から小生は「これは危ないぞ、多分前へ出るに違いない」と判断してブレーキを軽く効かせた。

車まで7~8mまで迫った時、案の定、女性は車を発進させて通りに出てきた。

小生は咄嗟に急ブレーキをかけて衝突回避行動をとる。

あわやぶつかると思われたが、バイクは不安定になりながらも転倒せずにギリギリ車の後ろを通過して事なきを得た。

女性ドライバーは何事も無かったかの様にそのまま走り去った、多分バイクと衝突し そうだったことさえ気付いて無かったのかも知れない。

 

同様のことは今まで何度も経験したが、幸い事故になることは無く僥倖だったと言う しかない。

小生が思うに、これは偏に多くのドライバーがロードバイクのスピードを誤認しているのが原因だ。

「相手は自転車だからまだ来ないだろう」と思って前に出るが、実際には7~8m/sの スピードでバイクはそこに迫っており、30m向こうでも4秒後には車の前に居る。

全く車(と云うよりそれを操る人間という生き物)は信用できない。

「早く車の通らない安全な道に入らなければ」と、車の動きに注意しつつ先を急ぐことにした 。

  

濃尾大橋を渡って愛知県側の堤防道路に入ると車の通行が殆ど無くなる。

これでひとまず安心、もう少し走ればサイクリングロードに入れるので緊張する走行 からは解放だ。

f:id:yoshijiji:20201202202149j:plain

一宮市尾西辺りの木曽川サイクリングロード

ロードバイクで走っていて何時も感じるのは「日本は自転車貧国だなぁ」ということ。

以前ドイツを旅行した時、市街地では車道と区分された自転車道が、また郊外では車道と並行する形での自転車専用道が延々と続いているのを見て、さすがに自転車先進国は違うと感心したものだが、次代への責任として脱炭素社会を目指す意味でも、我が国も彼の国に倣った整備をして欲しいものだ。

 

サイクリングロードを新木曽川大橋の上手まで走って来ると、視界が大きく開け遥か 彼方の山並みまで望見出来る様になる。

バイクのスピードを緩めて深呼吸しながら遠くに視線を送ると、左手の山(各務原の 裏山)の向こうに、山頂に雪を纏った大きな山が顔を出しているのを認めた。

御嶽山だ!」今年はまだ降雪が少ないようで、肩から下に雪が無い姿は少し悲しげに見える。

f:id:yoshijiji:20201202202458j:plain

左手の各務原の裏山の向こうに顔を出す御岳山

御嶽山といえば、登山者63名が亡くなった6年前の噴火災害で多くの人がその名を記憶に刻んだが、それ以前から短い間隔で噴火と地震を繰り返している危険な山である事を知る人は少ない。

小生が最も記憶に留めているのは、36年前に起きた山頂付近を震源とする地震で、これにより発生した山崩れで29名が亡くなっている。

実は、この地震が起きる1週間前に小生は御嶽山に登っていた。

しかも地震で山崩れするその場所辺りで、荒々しい景観の小火口群から立ち上る水蒸気煙をのんびり眺めながらキジ撃ち(用を足す事)をしていたのだから世話はない。

もし1週間あとズレで御岳山に登っていたら・・・、それを思うと運命は偶然の結果の集積だと言っても良いのではないかと考える。

まぁいずれにせよ、山は遠目には美しいが本質は荒々しく危険だという事、その二面性を忘れると痛いしっぺ返しを受ける事になる。

 

扶桑緑地公園でサイクリングロードを離れて堤防道路を走るが、この道は幅員が狭く 充分な路側帯が確保されてないので、絶えずバックミラーで後方からの車を確認して の走行だ。

犬山緑地の先の信号を左折すれば犬山城まではあと少し、到着したら少し休憩しようと決めた。

 

犬山城は、現存天守が江戸時代前に建てられた国宝指定のお城である。

f:id:yoshijiji:20201202202953j:plain

木曽川のほとりに建つ犬山城

明治初めの版籍奉還廃藩置県によって、各地の大名領地は国のものになった事は学校で勉強した。

その結果、国の財政難により多くの城は放置されたり廃城になったが、この犬山城だけは旧城主の成瀬家に譲渡されて個人所有になり、それがつい最近(平成16年に財団法人所有となる)まで続いたという日本でただ一つの城でもある。

「この城、実は俺んちの」というのは恰好いいので言ってみたいが、重要文化財(国宝も含む)に指定された建造物の修理などは所有者が負うことになっており、国宝の城を維持管理するのは相当に大変だったらしいから、下世話に庶民が羨むのはお門違いと いう事だろう。

城というのは過去の遺物ではあるものの、何故か今も人を引き付ける魅力がある。

木曽川に臨んだ小高い山に建つ犬山城を眺めながら、この城の歩んできた4百年余の 歴史に思いを馳せてみるのもいい。

f:id:yoshijiji:20201202203138j:plain

犬山橋から望む犬山城

休憩後、犬山寂光院の紅葉でも見てみようと途中までバイクを走らせたが、急に意欲を失って引き返すことにした。(少し歩かなくっちゃいけないし、人出も多そうに思えたから)

こんな時、ボッチローディーは気儘だ、誰にも相談することなく自分で決められる。

「それじゃァ帰ろう」帰路は各務原経由のルートにするかな・・・。

大矢田もみじ谷

11月も下旬を迎えると里山の辺りはすっかり晩秋の装いだ。

ススキの穂が風に揺れ、所どころ淡く紅葉した雑木の山林も心なしか哀しげに見える。

これは多分、小生の今の心情が事物をその様に見させているのだろう。

そんな落ち込んだ気分を慰めるべく、色鮮やかな紅葉を見てみたいなと思い、近在の 紅葉名所である「大矢田(神社)もみじ谷」を訪ねてみることにした。

 

小生の居宅(岐阜市)から美濃市大矢田までは直線で26㎞ほどの距離だが、往路を長良川に沿って上流に走り、復路は専ら山辺の道を走る周回ルートを想定したので、ライド距離は70kmくらいになると概算しての出発である。 

いつもは、長良川の堤防に出て直ぐに河川敷の河川管理道路(小生は長良川左岸サイクリングロードと勝手に命名している)を上流に向かって走るのだが、3週間ほど前からその先の河渡橋下が通行止めになっているので、今日はその橋を越えた先からの走行となる。

平日のこの走路は一般車両が走ることはほゞ無い(休日は一部区間のみ河川敷グランドを利用する人達の車が出入りする)ので、何の気遣いもなく自由に走れるのが良い。

「よーし、今日も頑張って走るぞ」と気合を入れてペダルを漕ぐ脚に力を込めると、 気分も乗ってバイクは軽快に走路を疾走して爽快だ。

 

しかし、そんな刻は長くは続かなかった。

次の鏡島大橋が近付いてきて事態は急変することになる。

何やら黄色い柵らしきものが走路を塞いでいる様だ。

「えぇ、まさかの通行止め」「3日前は通れたのに・・・」「抜道は無いのかな?」と悔やんでも所為が無い。

立て看板によると、どうやら橋脚の耐震補強工事をするらしく柵は設置されたばかり、通行止め期間は来年2月末までと結構長期に及ぶ様だ。

「これは痛いなぁ」小生の場合、冬場は遠出のライドが少なくなる分、この河川管理 道路に来て3往復(約50㎞)を走ってそれを代替する日々が増えるが、2ヵ所も通行止め箇所がある走路などまともに走れやしない。

「困った、何か代替案は無いかなぁ」来た道を戻りながらあれこれ思案するが、良案は浮かばずつい暗い気持ちになる。

 

河渡橋まで戻って仕切り直し。

ここから走る堤防道路は展望が良いのでつい脇見をしがちだが、ソコソコ車の往来が あるので気を引き締めて後方に注意しながら走りに専念しなければならない。

f:id:yoshijiji:20201128172736j:plain

視界の開けた長良川左岸堤防道路(岐阜市鏡島付近)

とは云え色々雑念が湧くのがボッチローディーの習性、バイクを走らせながら昔のことを思い出す。

中学生の頃、学級対向の駅伝大会がこの堤防道路を使っておこなわれた。(あの頃と 大きく様変わりしているし、何故この道で駅伝大会が出来たのか?今考えると不思議 だが・・・)

長距離走が得意だった小生は、何人かの選手の一人に選ばれ、緊張しながらも得意に なって走った。

しかし気負い過ぎていたのだろう、前半は快調に走れたものの後半は思いの外バテた。

1人目に抜かれ2人目に抜かれして、タスキを次の走者に渡すまでに4~5人に抜かれ、 酷く恥ずかしい思いをした。

その後も数多く味わう事になる青春の苦い思い出の一つである。

 

長良橋を過ぎても川沿いの道は続くが、周りの風景は山がちとなり岐阜市濃尾平野の北端に位置することが良くわかる。

f:id:yoshijiji:20201128173203j:plain

山が迫る鵜飼大橋付近の長良川

小生は「我が街岐阜」のこんな地理的立地が好きだ。

地方都市と云えども年を経て都市化が進み、昔あった山紫水明の趣は徐々に失われつつあるが「まだまだ捨てたものじゃないよ」と都会志向の人達にチョッピリだが誇りたくなる。

折しも、突然「ピィー」と甲高い音が耳に届くので、その方角に視線を遣ると、初老の男性が口笛で何者かを呼んでいる様子。

その先に視線を転じると、川岸で数人の人影が動いており、その周りを十数羽のトンビが飛び回っている。

どうやら、網で捕った魚を狙ってトンビが集まり、それらを口笛で呼ぼうとしているらしい。

鷹匠なら知っているが「トンビ使いなど聞いたことは無いなぁ」と独り呟きながらその場を走り抜けた。

 

居宅を出て約1時間チョット、距離も26kmあまりを走ってきたので、塚原遺跡公園で 一休みすることにした。

ここは長良川沿いの山間にある縄文時代初期~中期の遺構で、同じ場所に古墳時代の 墳墓もある珍しい(それぞれの時代が大きく異なる)遺跡である。

f:id:yoshijiji:20201128174140j:plain

塚原遺跡の縄文時代住居と古墳時代墳墓

縄文初期と云えば今から1万年以上も前になるが、そんな昔から人々がここで生活していた様を想像すると感慨深いものがある。

当時は狩猟採集で人々が暮らした時代だから、川も山も近いこの場所は最適な住環境 だったに違いない。

縄文の遺構を前に目を閉じると、シカの毛皮で作った着衣を纏って、笑いながら焚火を囲む老若男女の縄文人の姿が脳裏に浮かぶ・・・。

 

「さぁ、そろそろ休憩を切り上げて出発しよう」あと8㎞ほども走れば大矢田神社に 到着だ。

ここから走路は長良川を離れて小高い峠を2つ越えていく。

一つ目の峠をエッチラオッチラ登っていると、背後から来た若者ローディーが無言の ままススッと追い越していった。

車が近付く音がしないので、バックミラーでの後方確認を怠って全く気付かなかった。

それにしても、何故ローディーの多くは前走者を追い越す時に挨拶をしないんだろう?

私見だが、ライド中に前からローディーが来ると8割方の人は手で挨拶をしたり、頭を軽く下げたりするが、後方から追い越したり追い越された場合には、何らかの挨拶動作をするローディーの割合は1割未満だ。

かく言う小生は、前走者を追い越す場合は必ず挨拶をする。

「こんちわ」とか、場合によっては「どちらまで」とか少しおせっかいに聞いてみたりもするのだが、その方が無言で追い越すよりずーと精神衛生上よろしいと思っている。

この若者ローディーとは二つ目の峠の手前で再度出くわしたが、こんなところで会うのが意外だと言いたげな表情を見せながら、また無言のままスピードを上げて走り去っていった。

 

大矢田神社に続く参道まで走ってきたが、道の両脇に植えられたモミジの若木を見て少し悪い予感、葉は暗赤色で一部は枯れ始めている。

「既に遅かりし・・・か」と思ったが、ここまで来たらもみじ谷まで行くしかないと 覚悟を決めた。

神社手前の道には駐車場の空きを待つ車が3台停まっており、紅葉狩りを兼ねた参拝客はソコソコいる様子で案外期待できるかもと、今度は一転希望的観測にすがる。

駐車場を過ぎ、歴史ある楼門の横を通って車道をドン突きまで登ると、あとは拝殿と 本殿に続く長い石段があるのみ、止む無くここでバイクを停める。

f:id:yoshijiji:20201128174545j:plain

江戸時代初期頃に再建された楼門

f:id:yoshijiji:20201128174704j:plain

拝殿と本殿に続く長い石段

以前は石段を登って上まで行けたが、足を悪くした今はそれは難行苦行に等しいので ここが限界と諦めつつ、気持ちを取り直してを辺りを見回す。

目を凝らしても鮮やかな紅葉は見当たらない、やっぱりヤマモミジの紅葉は終わって おり、冴えない色付きの広葉樹が僅かにその名残を留めているだけだった。

どうやら「今年は綺麗な秋色とは無縁で終わりそうだな」と自分に言い聞かせるしか 手は無さそうだ。

仕方なく周りの景色を写真に納めてみた・・・。

 

「さぁ、帰ろう」帰路は山辺の道を走るが、基本下りが主体となるのでそれほど脚を

疲労させることは無い。

ただ、最近は連日ライドすると身体から疲労が抜けきらないことも多いので、帰路は ゆっくりペースになるが、多分2時間とは掛からずに居宅に帰り着けるだろう。

草餅ライド?

小生の場合、朝起きて窓から外を見た時、天気の具合が悪くなければ「今日はどこへ 行こうかな」と考えたりするのが常だ。

以前はそれほど思案することなく行先が決められたが、最近はなかなか決まらない。

それは、時間的制約の所為だったり、目的に対する動機づけの所為だったりと様々な 理由による。

そんな時は、大体南の方に向かってバイクを走らせる。

つまり木曽三川公園方面に向かう訳だが、何故かというと、この方面には小生が良く 走るバリエーションルートが幾つもあり、それなりに楽しめるからだ。

今日もこれといった行先が思いつかないまま、出掛ける準備だけが済んでしまった  ので、定石通り木曽三川公園方面に向かう事にした。

 

羽島市から下流長良川左岸堤防道路はいつ走っても気持ちが良い。

遠く伊吹や養老の山並みが見渡せる開けた視界は、いやがうえにも解放感を満たしてくれるし、車があまり走らないので、たまに注意力を欠いて走っていても安心感がある。

f:id:yoshijiji:20201124183012j:plain

快適に走れる長良川左岸堤防道路

安心といえば、バックミラーは小生が安全にバイクを走らせる上での必須アイテムだ。

ライド中に行き交うロードバイクを観察すると、ミラー装着車はまだ少数派の様だが 何故だろう。

「如何にも初心者みたいで格好悪い」とでも思っているのか?

だが、走行中に後方確認のために、身体を捻ってバランスを崩すor車線をはみ出す等の危険性を考えた場合、見栄えなど如何ほどの価値があるというのか。

慣れてしまえば、一瞬視線を右下に落とすだけで簡単に後方確認ができる、ほんの一瞬の事だ。

ロードバイクの基本構成パーツ以外で、走行に不可欠な(というか役に立つ)アイテムを3つ挙げるとしたら①サイクルコンピューター②ボトルケージ③バックミラーというのが小生の持論である。

 

ボッチローディーの習わしとして独りあれこれと考えながらバイクを走らせていると、不意に或る思いが頭に浮かんできた。

「そうだ、草餅の店に寄ってみるのも良いな」

実は先日TVで、人気の草餅(よもぎ餅)を求めて県外からも人々が押し寄せるという和菓子店が紹介されていたのだが、その店がここからほど近い平田町にあるのだ。

平田町は前方の南濃大橋を渡って西方向だから、真っ直ぐ進んで木曾長良背割堤を走るという、当初の予定は急遽変更することになった。

f:id:yoshijiji:20201124184309j:plain

長良川にかかる南濃大橋を渡って平田町へ

南濃大橋を渡り、メインの道路は避けて間道を千代保稲荷神社(通称おちょぼさん)に向けて走る。

おちょぼさんは、この辺りのチョットした有名観光地(一説では日本3大稲荷の一つ らしい)で、こんな時期(COVID-19)でも参拝客が訪れ、参道界隈の店は食べ歩き等をする人達でそこそこ賑わっている。

f:id:yoshijiji:20201124184511j:plain

千代保稲荷神社参道東口

食べ歩きグルメの中でも特に人気なのが串カツで、小生も何度か食したことがあるが、どて(ホルモンを味噌煮した煮汁)に漬けた串カツの独特な味わいは食欲をそそるものがある。

その昔、おちょぼさんの串カツは赤犬の肉だと誹謗中傷する言があったが、真偽のほどは定かではない。

しかし、小生が子供の頃に住んでいた岐阜駅近くの街の一角に、ハルピン街(戦後に黒竜江省哈爾浜から引き揚げてきた人達の多くが住み着いたので付いた名前)と呼ばれる地域があって、そこの肉屋では犬の肉が売られていたし、後年に中国で鉄道旅行をした時に、駅頭の売店で、狗肉と書かれた干肉のパックが売られていたのを見たこともあるので、犬肉食は一つの食文化として尊重されこそすれ一概に否定し得るものではないと思う。

犬肉食を野蛮とするのは、欧米人が鯨肉食を野蛮とするのと同じ論理とも言え、そこには自らを優越とする意識が見え隠れしていると考えるのは小生だけか・・・。

 

おちょぼさんの赤い鳥居に別れを告げて道を南西方向にしばらく進むと、駐車場に車が10台ほども停まった平屋の建物が目に入った。

「あっ在った、ここだここだ!かわしまやの看板だから間違いない」

TVで見て想像していたのとは違う建物の造りだが、目的の草餅の和菓子屋さんに到着である。

f:id:yoshijiji:20201124185422j:plain

一見うどん屋さんにも見える(私見)和菓子かわしまやの建屋

軒下にバイクを停めて店に入ると、案の定、店内は結構な人だかり。

だが、その誰もが色んな和菓子の品定めをしており、ちょうど店員さんの前には誰もいない。

「チャンスだ」小生が買い求めるのは草餅だけだから、ほかの商品には目もくれず店員さんめがけてまっしぐら「草餅5個下さい」と告げる。

1個90円で〆て450円、ワンコインで買えるとは何と良心的な店だ。

店を出ると、隣の建屋で数人が何やら作業をしているのが目に入った、何だろう?

すると、店主らしき親爺さんが手招きしているので、それに引き寄せられる様に近寄って見させて貰うと、黄色く熟した柚子の皮剥き作業をしている事が判った。

柚子のいい香りが辺りに漂う、今度来た時は柚子饅頭を買ってみる気になった・・・。

 

さぁこれからどう走ろう。

木曽三川公園を目指すとして、既知のルートは何通りもあるが、今日は何だかその何れのルートも走りたくない気分。

「よーし、今日は農道を中心に出来るだけ真っ直ぐ走ってみよう」と決めた。

農道と云っても道の舗装はそれほど悪くはないし、結構直線の道で真っ直ぐ進める。

この辺りは水郷地帯で河川や溜め池が多く、やがてそれらが進路を阻むので、止む無く道を替えてまた真っ直ぐ進む。

農道の両側には大豆畑が広がっていて収穫はもう真近という感じの様だが、大豆の収穫ってどういう風にやるんだろう?

f:id:yoshijiji:20201124190311j:plain

乾燥して収穫を待つ大豆畑

米国では大型トラックほどもある巨大コンバインで収穫している様子をTVで観たことがあるが、耕作面積から考えても日本じゃそれは無理。

仮に北海道で2t車クラスだとしたら、ここらでは軽トラサイズのコンバインか?

案外、手刈りで収穫してるかも知れないので、是非見てみたいものだ。

 

初めての道を走り続けて、ようやく見知っている場所へ出た。

田外ノ池公園という所で、そこから南に向かって川沿いに、直線で2.5㎞ほども続く桜並木は、以前、桜の開花時期に遠くから薄桃色の連なりとして認めたものだ。

ここまで来れば木曽三川公園まではあと少し、ペダルを回す脚に力を込めて先を急ぐ。

 

遠くに見慣れた展望タワーを認めてから約10分、たどり着いた公園は何故か閑散としていて人影もまばら。

f:id:yoshijiji:20201124190711j:plain

展望タワー広場に人影は無し・・・

今日は休館日でもないのに「こんなことも或るんだなぁ」と少し寂しく思う。

COVID-19も第3波が拡大傾向にあるので、訪れる人もセーブ傾向という事なんだろう。

まぁそれはそれとして「さぁ、休憩場所のサンシェードの下で草餅を食べようか」と 先刻買った草餅を背中のポケットから取り出す。

ライド中に食べ物を口にすることは殆ど無いのだが、今日は特別という事でお目こぼしを願う事にした・・・。

f:id:yoshijiji:20201124190857j:plain

一つだけ食べて残りは家族へのお土産に

トイレも含めて25分ほども休憩してしまったので、タイムスケジュールが少し狂った。

当初の予定では揖斐川沿いの道を帰るつもりだったが、チョット時間がかかってしまうのが明らかなので、木曽長良背割堤を走って帰ることに変更した。

f:id:yoshijiji:20201124191056j:plain

木曽長良背割堤(向かって右が木曽川で左が長良川

今日は朝から快晴だったので、大地と空の境目が霞んでしまい、遠くを見通すことが 出来ないのが残念だが、この広がる視界の中に身を置くと、今日を生きる幸せという ささやかな至福を感ぜずにはいられない・・・。

10時を過ぎたので・・・

今日は、朝から秋晴れの好天で風もないことから遠乗りには最適だったが、生憎色々と雑事があって、それを済ませていたら時刻が10時を大きく回ってしまった。

小生は、当日のライド先を決める際には、PM1時までに帰宅出来ることを前提に、走行距離60~70㎞・所要時間3~3.5時間(休憩含む)を目安にして行先を決めており、普段は出掛ける前には行先が決まっているのだが、今日は出掛けられるか判らなかったので何にも決めてないし、こんな時間では行先の決めようもない。

まぁたまには走りながら行先を決めても良いんじゃないかなという訳で、取り急ぎ準備をして出掛ける事にした。

まずはどっちの方角へ行くかだが、北と西は先日行ったので南か東の二者択一として、取り敢えず東に向かってバイクを走らせながら決める事にした。

「次の交差点が分かれ道だな、真っ直ぐ行く(東)か右に折れる(南)か?」

真っ直ぐ行けば笠松、右に折れれば羽島だが、今日は短時間でしっかりと走りたい気分なので真っ直ぐを選択する。

 

これで当面の走るルートはほゞ決まり。

笠松木曽川橋を愛知県側に渡って、木曽川サイクリングロードを15㎞ほど東進する ルートだ。

平日のサイクリングロードは行き交うローディーも少なく、変に気を遣う(例えば前走しているローディーを追い越す時って結構気を使わない?)事無く走れるので好きだ。

f:id:yoshijiji:20201121120925j:plain

平日の木曽川サイクリングロードは人影もまばら

スピードを上げて風を身体全体で感じながら走ると、その疾走感に脳内物質ドーパミンが誘発されて気力が満ちて来るのを感じる。

人によって快適に走れるスピードは当然異なるが、小生の場合は26~28km/h前後で 走っている時が一番だ。

遅いとモタモタ感に不協和を感じるし当然爽快感も無い、一方速ければ疲労感の漸増によりやがて身体的苦痛が勝る事になる。

またケイデンスも80rpm前後で廻すのが身体に合っており、よく言われている90rpmで廻すよりも疲労感が少ない様に思う。

時折ケイデンスを極端に低くして、重いギアで走るローディーを見かけるが、あの芸当は小生には出来ない。

確かにペダルを踏んでる実感はあるだろうが、その分だけ筋肉疲労は間違いなく蓄積 している筈だ。

 

木曽川サイクリングロードの東端が近付いてきたので、この先のルートを決めなければならない。

「このまま東に進んで犬山まで行くか、それともこの先の愛岐大橋で左に折れて各務原方面に向かうか?」

犬山まで行って戻ってくる所要Timeを、走るコースも含めて素早く計算する。

「40分はかかるなぁ」「犬が一匹で俺の帰りを待ってるし・・・」

犬山へ向かうとPM1時までに居宅に戻るのはまず困難と判断し、愛岐大橋を渡るルートを選択する事にした。

f:id:yoshijiji:20201121121414j:plain

愛知(江南市)と岐阜(各務原市)を結ぶ愛岐大橋

愛岐大橋で木曽川岐阜県側に渡り、次に目指すのは各務原航空宇宙博物館。

ここで「博物館の見学?」と早とちりしてはいけない。

ここは小生がこちら方面にライドした時の指定?休憩所なので、凄~く急いでいる時を除いて外すことは出来ない。

f:id:yoshijiji:20201121121947j:plain

屋外展示場のKV-17輸送ヘリ・YS-11輸送機・US-1A救難飛行艇

屋外展示の飛行機を、遠くから眺めながら暫しのあいだ休憩していると、頭上をF-15 (航空自衛隊の主力戦闘機)らしき機体が轟音を響かせて飛び去っていった。

隣接する航空自衛隊岐阜基地には飛行開発実験団があり、色々な航空機がこの辺りの 上空を飛ぶので、門外漢の小生でも時々空を見上げたりする。

近くの高台には、飛行場に着陸するこれらの航空機を近撮出来る絶好の撮影ポイントがあるため、高そうな望遠レンズを装着したカメラを持ってファン達が待ち構えており、それを遠目に眺めるのも愉しい。

 

また、南隣の川崎重工ホッケースタジアムは、ホッケー日本代表チームのナショナル トレーニングセンターが置かれているので、サムライJapan(男子)やサクラJapan (女子)に選ばれた選手達の練習風景を時々目にすることが出来る。

f:id:yoshijiji:20201121123139j:plain

ホッケー日本代表チームの練習風景が見られるグランド

こんな(COVID-19の終息が見通せない)時期だからだろうか、今日は選手らの姿は 無く、手持ち無沙汰なグランドが秋陽を浴びて安息しているだけだった。

それにつけても、来年の東京五輪は開催できるのだろうか?小生らは一観客だから開催出来なくても「やっぱりね」で済むが、代表選手にとっては、多分一生一度の晴れ舞台だからそう簡単には割り切れない筈だ・・・。

 

さて、ここでまたこれから走る道を決めなければならない。

選択肢としては、                               ①川島町(木曽川中州の町)を横断して木曽川サイクリングロードへ戻る。     ②居宅への最短距離となる街中の道(と云っても車のあまり通らない間道)を走る。 ③木曽川右岸(岐阜県側)の河川敷に敷設されたサイクリングロードを走る。    の3つになるが「同じ道を走るのは止めたいな」「チョットばかり遠回りでも気持ち 良く走るなら河川敷だな」という事で、結局思案の末③を選択した。

f:id:yoshijiji:20201121145738j:plain

サイクリングロード起点の各務原大橋から木曽川上流方向(東)を望む

f:id:yoshijiji:20201121150022j:plain

木曽川右岸河川敷に敷設されたサイクリングロード

各務原大橋を起点に笠松木曽川橋まで続くこのサイクリングロードは、1年ほど前に整備されたばかりだが、一部竹林の中を走っている所では、既に方々で継ぎはぎの補修がしてある。

若竹が路面を割って出てきた箇所をアスファルトで補修した跡だ。

竹が地下茎を伸ばして竹林を広げていくのを知らなかった筈はあるまい。

そこを通る度に、この道の計画担当者は「竹の生命力を甘く見ていた」という思いが 募る。

折しも竹林とロードとの境目に、樹脂の遮蔽版を埋め込む改修工事をしていたが、ここを度々利用する小生としては、その対応で上手くいって欲しいと期待するしかない。

 

サイクリングロードを進んで河川環境楽園の横手まで走ってきた。

f:id:yoshijiji:20201121150355j:plain

河川環境楽園(アクア・トトぎふ)

ここには、世界最大級と自称する世界淡水魚園水族館やレジャー施設があるので、平日の今日でも、ソコソコの入園者で賑わってる様子が伺えて少しだけ興味が湧く。

しかし、コロナの第3波が騒がれ始めてるこの時期でもあり、罹患したら重症化リスクの高い小生などは敢えて近寄らず、独りロードバイクを走らせてるのが無難の様だ。

f:id:yoshijiji:20201121150749j:plain

清潔に清掃されたトイレ施設

サイクリングロードぎわのトイレに立ち寄って一息ついたところで、サイコンに記録 された走行距離と所要Timeを確認すると44.6km・1h44minの表示。

「うん、ソコソコ良い距離と時間を走って来たな」と自己満足気味に納得し、ここらで切り上げて帰る事にした。

木曽川橋までもうそんなに遠くは無いが、敢えてそこを経由しなければならない理由もないので、途中からサイクリングロードを離れて、居宅を目指すルートを頭の中で思い描く。

大体6㎞くらいかな?街中を走るので少し時間はかかるがPM1時前には間違いなく帰着できると踏んだ。 

秋色探訪

初秋のひと頃に較べて朝晩の冷え込みが身に染みる様になってきた。

土手の桜葉もすっかり落ちて早くも冬支度をしている様で、季節の移ろいの速さに一抹の寂しさを覚える小生である。

里山の秋はどこまで来ているのだろうと思い、バイクで確かめに出掛けることにした。

行先は根尾方面と決め、帰路にチョットした峠越えが入るルートを予定したので、今日のバイクは山用に設えたBARACAN specialを準備する。

歳の性かはたまた体調の性か?最近はちょくちょく出掛けるのを躊躇う自分が顔を出すので「天気は薄曇りで風は北西からの微風だから、ライド条件としてはそんなに悪くはないぞ」とまずは自分を納得させてからの出発となる。

いつもの様に墨俣で長良川を渡り街中の間道を通って北上する。

瑞穂市を抜けて本巣市に入ると道沿いに柿畑が多くなり、たわわに実った果実が取り 入れを待つかのように橙紅に色付いていた。

f:id:yoshijiji:20201118104211j:plain

収穫を待ち色付いた柿の実

柿の王様と言われる富有柿はこの辺りが原産で、今も多くの生産農家でこの品種を栽培している様だが、糖度25度が以上もあって「天下布舞」と名付けられた柿は初競りで 2個70万円で競り落とされたと先日のローカルニュースが伝えていた。

如何にご祝儀相場とは云え「柿2個で70万は無いよなァ」と独り呟きながら畑中の道を行くと、左奥揖斐の山間に淡く虹が架かっているのが見えた。

f:id:yoshijiji:20201118104455j:plain

揖斐の山間に架かる朧な虹の裾野

虹を見るのは久し振りだが虹は雨の証拠、あの時雨が根尾谷の方へと来なければ良いがと少しだけ心配になった。

 

根尾川が見えるところまでやってきた。

f:id:yoshijiji:20201118104714j:plain

秋色薄い根尾川沿いの道

ここからはこの根尾川沿いを遡上する様にして里山の道を行くことになるが、この辺りで木々が殆ど色付いていないところをみると気温の落ち込みはそれほどではないのかも知れない。

「まだ早かったかな?」とは思ったが、「まぁ行ってみればわかる事」と思い直して ペダルを踏む脚に力を込める。

 

長瀬で谷汲への道を分けて山沿いの道に入ると、ここからは根尾樽見に至る裏道。

5㎞ほど先の高科まで集落があるので道は良く整備されているが、住民しか利用しないので車は殆ど通らず小生お好みのルートだ。

しばらく走ると前方から一人のローディーが坂道をゆっくり下って来たので手を挙げて挨拶する。

表道というか、R157は根尾樽見との往来に利用するローディーが多いので、出会うのも不思議では無いが、この裏道で出会うのは珍しくこれまで1回あっただけだ。

「何処から来たのかな?時刻は10時半を過ぎてるので樽見へ行った戻りなら朝早く家を出たのかも?」などと勝手な思いを巡らして、意識ここにあらずという時に突然の 「パァーン」という轟音が響いてビックリする。

猟銃の音だ、近くの山中で狩猟をしてるらしい。

「イノシシかそれともシカか?そう言えばこの近くにジビエを出して賑わってる店が あったっけ」

色々な思いが頭に浮かび消えていく・・・。

そしてまたも「パァーン」という轟音、「おぃおぃ流れ弾が飛んでこないだろうな」と杞憂ながら心配になった。

 

この道は樽見鉄道の線路と付かず離れずなので、たまに近くを走る列車の音が聞こえたり遠くを列車が走り去るのを見かけたりする事がある。

f:id:yoshijiji:20201118105333j:plain

山里に静かに佇む樽見鉄道・高科駅

そんな事から、今日は高科駅で来る列車の写真でも撮ってみようと俄か鉄道ファンに なって待ってみたが、時刻表を調べもせずにただ闇雲に列車を待っても来る筈が無い、7~8分待ったが無駄と諦めて先を急ぐことにした。(後で調べたら列車はもう通過した後だった)

本巣=樽見間の列車運行は日中は上下6本しかないので、ライド中に良い写真スポットで走る列車に遭遇するのは奇跡に近いという事だ・・・。

 

ここから道は根尾川の渓谷に沿って山の中に入っていくが、この辺りの広葉樹の色付きは未だ浅く秋色とは言い難い感じなのでもう少し先まで行ってみることにした。

鍋平を過ぎると道は細くなる上に枯れ枝や山肌の砕石が落ちていたりするので、それらを避けながらせめて日当辺りまでは足を延ばそうとペダルを漕ぐ。

f:id:yoshijiji:20201118105601j:plain

少し色付き始めた山沿いの道

「今年は山に木の実が少ないのでクマが里近くまで下りてきてるらしいな」「クマに 遭遇したら果たして逃げ切れるかな?」などと独り呟きながら10分ほど走ったが、山には杉が多くまた色付き良く紅葉した木々も殆ど見られないと分かったので、そこから 先に行くのを諦めて引き返すことにした。

「やっぱり2週間は早い感じか」「気候変動の影響で紅葉時期も遅れる一方だな」と 独り愚痴る時間は続く・・・。

 

鍋平まで戻って根尾川の渓谷にかかる橋のたもとで暫し休憩することにした。

f:id:yoshijiji:20201118105844j:plain

根尾川渓谷に架かる橋の上

f:id:yoshijiji:20201118110037j:plain

根尾川の澄明な水面

眼下の清澄な流れは岐阜と福井の県境に座する能郷白山にその源があるが、その水面を見つめながらつい追想にふける。

「遥か昔のことだが、残雪多い能郷白山に単独行した帰り道、濃いガスに巻かれて道を見失い雪の中を1時間ほど彷徨ったことがある。

高山から低山まで何百回かの登山の中で道に迷ったことは3度あるが、下手をしたら 遭難していたかもと今にして思うのはこの能郷白山での出来事だけだ・・・。」

 

少し長めの休憩のあと後半の走りをスタートする。

帰路は里山かおり街道を雛倉まで走り、あとは市街地を走って居宅を目指すルート。

まずは、ここから金坂峠までの標高差100mほどを登るが、たかが100mヒルクライマーの皆さんにはどうってことないが、坂が嫌いな小生は少し作戦を練る必要がある。

「前半1㎞は緩い傾斜なので脚は使わず走って後半1㎞の7~8%の登路で力を消費する、最後の100mを我慢すれば峠だ。」

そして本番。

前半は予定通りで後半も中盤までは予定通りだったが、残り300mを切った頃から急に疲労が脚に来た。

休憩で疲労回復したと安易に思ったが、実は回復してなかったという事か?

脚の疲労感は10段階の8とかなりのモノ、おまけに息も上がって呼吸困難になりそうで、こんな状態は二ノ瀬の後半を喘ぎながら登っていた時と大して変わらない。

おかしいなぁ以前はもっと楽に登れた筈なのに・・・。

「あと50m・・・あと20m・・・」と自分を叱咤激励してなんとか峠を越えた。 

 

疲れた脚を休ませる間もなく直ぐにダウンヒルが始まる。

結構長い下り坂だからペダルを回さないでいると、足首から力が抜けてシューズが脱げた様な奇妙な感触を覚えるが、これって誰もが経験している感触なんだろうか?

坂を下りきってペダルを漕ぎ始めると「ん、なんか変」と気づく。

ペダルを廻す脚が妙に窮屈で、力を入れて漕がないとダメな感じ、さては何かの衝撃でサドルが下がったか?

バイクを停めてサドルの高さを目視してみるとやっぱり低そう、案の定適正な位置より5㎝以上は下がっていた。

これじゃ窮屈なのは当然だし、脚に無駄な力ばかり入ってペダリングの効率も極めて 悪くなってる筈。

先ほどの坂の登りであんなに疲労困憊した原因は、多分これだったんじゃないかと一人で得心した。

サドルを適正高さに戻して再スタート。

少し高いかなと感じるが本来の高さはこれが正解、ペダリングは随分と軽くなった感じでスピードの維持も楽に出来そうだ。

 

里山かおり街道は根尾から関・美濃方面への抜け道で、良く整備された明るく開けた 山間の道の割には車の通行が少ないのでローディーが走るのに最適の道。

こんな道がもっとあれば良いのにと手前勝手に思っている。

f:id:yoshijiji:20201118111158j:plain

里山かおり街道の静かで明るい道

雛倉まで走って来ると静かな里山の道は残念ながら終わり。

ここからは交通量も増えるので道を変えたいが、探しても良い間道が見つからない無いのが悩みの種、車に注意しながら我慢して走るしかない。

市街地をロードバイクで走るのは好きでは無いが止むを得ない、あと30分もあれば帰り着けるだろう。 

関ヶ原ライド

関ヶ原は居宅から真西の方角、伊吹山地が終わり鈴鹿山脈が始まるその鞍部の小さな 盆地にある町だ。

関ヶ原の地名を、徳川家康(東軍)と石田三成(西軍)を総大将に両軍が「天下分け目の関ヶ原」合戦をした場所として知る人は多いが、それ以外に幾つもの「天下分け目」がこの地にあることを知る人は少ない。

今回はそんな関ヶ原を養老を経由して回遊する久々のライドだ。

今日は関ヶ原の辺りで長い登路があるが、そんなに傾斜がキツイ訳では無いのでバイクはDe Rosaにして居宅を出発する。

 

秋も深まり澄明な青空の下を西に向かって街中を進むと、遠く伊吹山が見え隠れして 早くおいでと手招きしている様だ。

関ヶ原伊吹山の麓、2時間も経たずその辺りを走っているであろう己が姿を想像すると、ロードバイクという軽快な乗り物の恩恵を思わずにはいられない。

f:id:yoshijiji:20201114111304j:plain

養老から関ヶ原にかけての遠望

いつもの様に墨俣で長良川を渡って西南方向にある養老に向けて進路を変える。

次に渡る揖斐川の橋は3㎞ほど先、車の通らない道を選びながらの快調な走りに気分も上々だ。

揖斐川を渡ると暫くは右岸堤防道路を行くが、この道はそこそこ車の交通量があり狭い路側帯に沿って注意して走らなければならないので本当は通りたくない道。

良い脇道が無いか探しているが、遠回りだったり人家の多い細道だったりしてどれも バツで当分は我慢の日々が続きそうだ。

 

福束大橋の出合で揖斐川を離れ続いて牧田川を渡ると養老まではあと少し、ここからは3通りのルートがあるが一番南の養老の滝へと通じるルートを選択した。

養老の滝は孝行息子の伝説が残る名瀑だ。

「その昔、近在の貧しい若者が目の不自由な老父に孝行しようと山中に分け入り芳醇な香りの酒泉を見付け、それを瓢箪に入れて持ち帰って老父に飲ませると目が見えるようになった。

それを聞き付けた時の天皇が酒泉を取り寄せ飲んでみるとたちどころに病が癒え、感激した天皇は若者に褒美を与えると共に元号を養老に改元(717年)した。」

f:id:yoshijiji:20201114111938j:plain

1913年に建てられた養老駅の駅舎

滝へは何度も行っているので今日はスルーすることにし、養老駅前(養老駅はローカル線の養老鉄道を代表する駅舎で、そのレトロな風情を求めて鉄道マニアが良く訪れる ところ)を通って先を急ぐ。

 

養老から関ヶ原へ向かう途中に「やきにく街道」と呼ばれる地域がある。

上質な肉(飛騨牛)を格安に提供してくれる店が立ち並び、それを求めて休日には近在から多くの食客が訪れるのだが、それには訳がある。

昔からこの辺りには食肉を扱う人達が多く住んでいたのだ。

江戸時代に士農工商身分制度があったのは誰もが知っているが、その他に穢多・非人と称される人達がおり、被差別民としてその多くが食肉業や芸能を生業にしていた事を知る人は今や少ない。

人の出自や生業に貴賤の別などあろうはずも無いが、為政者が体制を維持する方便と して設けた制度であり、力なき人々はそれに従って生きるしか術はなかった。

驚くべきことに、この被差別民への差別意識が昭和30年代まで日本人の意識の底流にはあった。

小生が子供の頃、近所の男性が美人の奥さんを娶るとおばさん連中は陰で囁きあったものだ。

「しっかり身上調査したんだろうねぇ部落民かもしれないよ」

被差別民は外部の人との婚姻が難しく近親者婚が繰り返されたため、美形の男女が多いと言われていたからだ。

今でも嫌韓・嫌中などといって他国の人達を見下す連中がいるが、自分をどれ程の人間と思っているのか聞いてみたくなる・・・。

 

牧田川を渡る橋で上石津への道と分かれて関ヶ原方面へ進み、登坂が始まる三叉路で左折して牧田関ヶ原線を今須に向けて走る。

f:id:yoshijiji:20201114112738j:plain
f:id:yoshijiji:20201114112757j:plain
山間の道を走る牧田関ヶ原

ここから今須までは100mの高度差をアップダウンを繰り返しながら5㎞ほどで上る緩い斜度の山間の道、車の通行も少ないので周りの景色を楽しみながら走れるのが良い。

 

今須からは山沿いの旧中山道を走って関ヶ原へと走る。

f:id:yoshijiji:20201114113047j:plain

山辺に沿って中山道を往く

中山道をしばらく走ると常盤御前源義経の母親)の墓や不破ノ関址などの旧跡があるので今回初めて寄ってみることにした。

f:id:yoshijiji:20201114113607j:plain

常盤御前の墓(脇に芭蕉の句碑もある)

f:id:yoshijiji:20201114113802j:plain

板書きがあるだけの関所跡(チョットがっかり)

不破ノ関は飛鳥時代天武天皇が設けた関所で、これより東を東国(関東)とした  謂わば天下分け目の関所でもある。

また、天武天皇大海人皇子)はこの関所を設ける前年に壬申の乱をこの地で戦い、 皇位継承を争った大友皇子聖徳太子の子)を破って天皇に即位したので、この戦い も正に天下分け目の合戦であった。

関ヶ原は日本の真ん中辺り(人口中心が岐阜県郡上市にある)に位置するからか、この他にも天下分け目(分水嶺)的な事柄が多い。

食で言えば、出汁は鰹(濃口)か昆布(薄口)か・ネギは白ネギか青ネギか・餅は角餅か丸餅か等は関ヶ原辺りで東西に分かれるし、ひな人形の飾り方(内裏様の位置)や マクドナルドの略し方(マックかマクドか)もこの辺りで東西に分かれる。

明治以降交通の利便性が発展して東西の垣根がなくなったものの、探せばまだ出てくるだろうと色々想像するのも面白い。

 

関ヶ原方面にライドするといつも立ち寄って休憩する陣場野公園(家康最終陣地址) 近くに、関ヶ原古戦場記念館がオープンしたと先日のローカルニュースが伝えていた ので行ってみたが、COVID-19対応で入館は事前予約制となっており残念ながら入れなかった。

まぁよく調べないでノコノコ行った自分が悪いと反省しつつ帰路につくことにした。  

帰りのルートは関ヶ原バイパス沿いの間道を直線的に一気に下って垂井に至る最速  ルート。

車の通行が殆ど無いので下り基調の道を35~40㎞のスピードで走るが、部分的に舗装が悪いところでは軽く減速してパンクなどのアクシデントで転倒しない様に注意する。

 

垂井まで快調に走ってきた。

この町は古くからの宿場町で中山道美濃路東海道中山道を結ぶバイパス的な路)の分岐点があり、そのどちらを走っても帰れるのだがここが思案のしどころ。

f:id:yoshijiji:20201114115146j:plain

追分の道標(右 美濃路 左 中山道

美濃路は距離こそ短いが、大垣の街中を通るため車との並走での気使いや多くの信号での停止が煩わしい。

一方、中山道は若干遠回りで一部区間で車との並走や信号が続くところもあるが、概ねマイペースで走れてストレスが少ない。

うーん、遠回りと云っても数㎞の事で時間にすれば10分と違わないな・・・」

という訳でここはマイペースで走れる中山道で帰る事にしようと決めた。 

あとは赤坂から神戸へとひた走り、揖斐川長良川を渡って居宅を目指すだけだ。

f:id:yoshijiji:20201114115503j:plain

揖斐川にかかる軽車両用鉄橋(右の鉄橋は東海道本線