風を道連れに

☆あるボッチローディーの独り言☆

病室のベットで

 

左足首の人工関節置換手術から6日が経過した。

今は病室のベットで安静にしながら、手術でメスを入れた箇所の炎症が治まって傷口 がうまく閉じるのを待っ日々で、窓から見える雲の流れを眼で追いつつ「つまらない なぁ」と嘆くだけ。

 

手術の方は、予定では9時から開始して午後2時には終わる筈だったのだが、麻酔が覚めて意識が戻ったのが4時ちょっと前、なんと予定を2時間もオーバーする大手術?になってしまっていた。

手術時間が長いと気懸りなのが”メスを入れた箇所がうまく閉じず、予後不良のリスクが高まる”と主治医から聞かされていた事実。

「これは困ったぞぉ」と思ったが、当の主治医は「人工関節を入れる脛骨と距骨が硬くて手間取ったのと、当初予定外の腓骨の切断(脛骨と長さを合わせる為)を入れたので時間が長くなった」と説明し、伸筋腱鞘の縫合については特に触れなかったので、特に問題は無かったのだろうと都合よく考えることにした。

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 手術後のレントゲン写真       ギブス固定で縫合部の癒合を待つ

これで数ヶ月後には、以前の様に支障なく歩ける様になる(走ることは好きだったが、元よりジョギングが出来るほどに回復するとは考えていない)と思うと嬉しい限りで、

健常人にとって何でもない”歩くという行為”が、障害を負う者にとっては羨望の対象になり得ることを身に染みて感じた次第である・・・。

 

身体の部分を切り取っても、再び同じものを再生させる生き物には、トカゲやシカ等がいるが、メキシコサラマンダー(ウーパールーパー)もその一つだ。

その再生能力は驚くべきもので、手足・脊髄・尻尾だけでなく心臓や目までも完全再生できるという。

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愛らしいメキシコサラマンダーは驚異の再生力の持ち主

このメキシコサラマンダーの再生能力に関わる遺伝子と同じ遺伝子が、人間にもある ことが判ったらしい。

それはmiRNAという遺伝子で、人間では関節にある軟骨組織で働いている遺伝子。

人の関節部の軟骨は、他の組織よりも高い再生力があると知られていたが、その再生力はメキシコサラマンダーと同じ遺伝子によるものだったという訳。

もしこのmiRNA以外にも、メキシコサラマンダーと共通する(今は眠っている)再生 遺伝子を人間が持っている事が分かれば、それに何らかの刺激を与える事で、再活性化できる可能性も出てきたという事か?

日々研究に勤しむゲノム研究者の皆さん、陰ながら応援しているので「再生医療の進展に資する発見に努めて下さいよ~」と手前勝手に思った・・・。

 

と此処まで書いた時、突然「ドクターハリードクターハリー、6階西病棟まで」と連呼する声が院内放送でけたたましく告げられた。

これは患者の容態急変などの緊急事態が発生した時に用いられる救急コールで、多くの人が知る言葉で言えば”コードブルー”が発生した事を知らせるものだ。

6階西病棟は小生が入院しているフロアーで整形外科病棟だが、誰か判らないが緊急で救命処置を必要としている人が出た模様だ。

俄かにざわめくフロアーの喧騒?を尻目に「こういう時って病院はいいなぁ」と当事者の緊迫感も知らぬげに愚にもつかない思いが心を占めた。

10分ほどで喧騒は収まり元の静かなフロアーに戻ったが、病院と云うところはこんなことが日常茶飯事に起こる特異な場所だと知らされた一事だった。

 

さて、外は良い天気で気温は30℃を越しそうな10月中旬とは思えぬ日和。

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青空の下を何処までも走っていきたい・・・

今頃は多くのローディーが、風を全身で感じながら、Roadを疾走しているだろうが、 小生は独り病室のベッドの上で、拙い文章をパソコンに向かって打ち込んでいるだけ

「あぁ何だか空しいなぁ」と天井を仰いで上向きに寝転んだ。

 

10月といえば、山に登っていた頃はテントを担いで涸沢によく行ったものだ。

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紅葉時期の涸沢カール(Image)

ナナカマドの紅とダケカンバの黄、そして涸沢カールの白っぽい岩が織りなす紅葉景色は”日本一の紅葉”が決して誇張ではないといつも実感させてくれた。 

今年は先般の局地地震の影響で訪れる人は少ないかも知れないが、自然はそんな事とは無関係に、穂高連峰にその美しい装いを見せていることだろうと思う・・・。

 

 

 

  

TVを観ながら・・・

 

先日NHKの山番組を何気に観ていたら、北アルプスの”燕岳から大天井岳の縦走”が取り上げられていたので、懐かしさのあまり30分ほど見入ってしまった。

その昔、3つ上の先輩に誘われて鈴鹿山脈の竜ヶ岳に登ったのを端緒に山登りを始めた小生が、同じ先輩に連れられて行った初めての北アルプスの山旅が”燕岳から大天井岳の縦走”だった。

 

松本駅?(大昔の事なので全く記憶にないけど・・・)からバスに揺られ、不安と希望の綯い交ぜになった気分で着いた山中の中房温泉。

「そうそうこんな感じだった」とTVに映った登山口の様子を見ながら頭の中の朧げな 残像とシンクロさせる。

朝まだ早い時間で、冷気に包まれた登路を行く登山者の声だけが、束の間の雑音として辺りの静寂を破るが、それもやがて耳に入らなくなり、自分が吐く「はぁ・はぁ・・」という息遣いと心臓の鼓動、そして山道を踏みしめる足音のみが、単調なリズムを刻む世界へと没入していく。

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急登の合戦尾根を登る(イメージ)

合戦尾根の急登(後から知ったのだが此処は北アルプス3大急登の一つだった)を汗を掻きかき登ること3時間あまり、それまで良い天気だったのに尾根に出る頃にはガスが湧き辺りは真っ白、本来迎えてくれる筈の北アルプスの大展望は其処には無かった。

「まぁこんなこともあるさ」と言う先輩の声に促されて、兎にも角にも燕岳の山頂へと向かうが、その道すがら汗が引くに従って徐々に寒くなってきた。

その時の小生の服装は”綿の柄シャツに腿の出た短パンとハイソックス”で今から考えると「何て格好だ」という感じだが、当時は”100m上がると0.6℃下がる”気温の常識さえ知らない山のど素人だったのだからしょうがない。(この経験以降山へはそれなりの 服装を纏っていく様になった・・・)

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気品ある燕岳の山容

燕岳から大天井岳への縦走はこの山旅のハイライトだったが、残念ながら評判の大展望は全く望めずズ~ッと濃いガスの中を黙々と歩くのみ。

その御蔭で大天井岳手前のクサリ場は下が見えず(実は小生は高所恐怖症で切り立った場所はちょっと苦手)難なく通過する恩恵はあるにはあったが・・・。

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雄々しき山容の大天井岳

大天荘で初めての山小屋泊を体験した翌朝は雲一つない晴天、身支度を整えて山小屋を出ると、大天井岳の肩越しに槍から穂高への高峰の連なりが、朝日を浴びて輝く如き 雄姿を見せていた。

空を突くほどに尖って聳える槍の穂先、巨大な岩の塊となって他を従える様にして鎮座する穂高の峰々、その山容に「これが槍・穂高かぁ」と思わず感嘆の声が出た。

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息をのむ絶景の槍・穂高連峰の山並み(大天井岳より)

この日は、赤岩岳⇒西岳を経て水俣乗越から槍沢へと下るまで、この絶景を愛でながらの稜線漫歩だったが、この充足感ある経験が小生の嗜好を山好きに変えた。

それから40年余り、脚を痛めて泣く泣く山歩きを断念せざるを得なくなるまで、実に 多くの山に登ってきたが、今から思うとあの時の”燕岳から大天井岳への縦走”こそが、その後の山歩き人生の原点であった様な気がする。

 

番組の終盤、大天井岳から望む槍・穂高連峰の画を観ながら「あぁこの絶景をもう一度自分の眼で見てみたいなぁ」との思いが去来したが、果たしてこの願望にも似た思いがいつの日か叶えられる時は来るのだろうか?・・・。 

 

 

 

 

手術決まる!

 

変形性足関節症で傷んだ左足首関節を、人工関節に置換する手術の日取りが決まった。

”10月4日に入院して5日に手術、3週間後(予定だけど)に退院して通院リハビリで機能回復を図る”と云うのがそのあらましだ。

こうやって書くと何だか簡単な手術で「チャッチャと済ませて1ヶ月後にはスタスタと歩けそう」だが 、主治医が言うには実際はそんなもんではないらしい。

 

まず手術だが、当日やることは3つある。

①脛骨の金属棒抜釘術:2年前の骨切り手術で脛骨に埋め込んだ髄内釘が人工関節留置 の邪魔になるのでこれを取り出す手術

②足首関節の人工関節置換術:足首の伸筋腱鞘 (腱・神経・血管等を包む鞘) を切開し 露出させた脛骨と距骨の一部を切って人工関節を留置固定する手術

③腰骨の脛骨内果 (内くるぶし) 移植術:人工関節置換術時に部分切除した腓骨関節部 と脛骨内果に腰骨 (腸骨) から取った骨を移植する手術

 

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主治医の説明では、①を40分ほどで済ませてその後②の手術に取り掛かるが、問題は その所要時間で、2.5時間を目途に人工関節の置換を終えて切開箇所を縫合しないと、 伸筋腱鞘が硬くなって切開箇所がうまく閉じず、予後不良のリスクが高まると云う。

そこで③は②と同時進行でおこなわざるを得ず、これは執刀を手分けしてやるものの、全体としては結構と慌ただしく且つ難しい手術になるらしい。 

 

手術後は、足関節箇所をギプスで固定して2週間の安静で切開部の治癒に努め、癒合が確認されればリハビリの開始となるが、始めは足首が固まって動かないので、それを徐々にほぐしながら可動域を拡げていく地道な努力が必要で、ある程度足首が自由に 動くようになるのは1年後ということもあるらしい。

手術をして1年も足首がうまく動かないのはちょっと困るけれど、それでも痛みにより日常の行動が大幅に制限されている現状より数倍は良い・・・。

 

という事で、思っていたより大変な手術を来週執刀して貰う訳だが、気懸りなのは手術そのものよりも、その後つまりリハビリ以降のこと。

”手術後は、2ヶ月ほど安静にしつつ足首だけはリハビリに努め、それからローラー台で衰えた筋肉を徐々に回復させて来年2月初旬にはライドを再開”というかねてよりの計画が目論見通りに実行に移せるかだ。

まぁ小生はこのスケジュール「そんなに無理はないぞぉ」と手前勝手に思っているので、多分?大丈夫だろう・・・。 

 

それにしてもこれから4ヶ月近くライドに出掛けられないと思うと辛いなぁ、この無為な日々を何をして過ごせばいいんだろう。

またバイクの”バラ完”でもしてみるかなぁ・・・。

 

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木曽川サイクリングロード



 

清流円原川とごろごろの滝

 

小生は絵画鑑賞が結構好きなので、世界の名画(の精巧な模造画)が一堂に会している大塚国際美術館へはこれまで3度足を運んでいる。

好みはフェルメールレンブラント、カラヴァッジョといったバロック派の絵で、多くの人が好きだと言うゴッホゴーギャン後期印象派の絵は正直あまり好きではない。

 

先日、フェルメールの傑作の一つである ”窓辺で手紙を読む女:ドレスデン国立絵画館蔵” の修復が終ったという話題がTVニュースで報じられていた。

その内容は ”この絵には背景の壁に画中画が隠されていることがX線スキャンで判って おり、長年その画を消したのはフェルメール本人と考えられてきたが、最近それが別人の手によって塗りつぶされたものと判明したため、これを元に戻すべく修復作業をおこなった結果、弓を手にしたキューピッドの画が現れた” というもの。

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 元絵      窓辺で手紙を読む女      修復後

中世西洋絵画には寓意(アレゴリー)や象徴(シンボル)が描かれることが多く、この絵でも、開かれた窓は「女性の束縛された環境からの脱出願望」とか、ベッド上の果物は「性的暗示や不倫関係の象徴」などと言われてきたが、今回キューピッド画が復元されたことで、また新たな視点からの寓意解釈が可能になった。

それはどう言う事かというと、恋愛のシンボルであるキューピッドを画中画として構図の中に描くことで”偽善を乗り越える誠実な愛”が本作のテーマであり”女性が読んでいる手紙は想いを寄せる男性から送られてきたラブレター”を暗示しているという。

 

絵画というのは、そこに描かれたものを素直に観ても愉しめるが、画家が何故それを描いたのかという情緒的背景を考えながら観るとなお一層愉しめる。

まぁその為には多少の知識と想像力が必要にはなるのだが・・・。

 

さて、今日は清流として名高い”円原川伏流水とごろごろの滝”を訪ねるライド。

山手で往復90kmほどになり、最近の小生には少々キツイが、居宅をいつもより早めに出れば自走できない距離ではないと、Varacan Specialを手早く準備して出発した。

 

まずは街中を北に向かって走り、岐大キャンパスの横を抜けて伊自良を目指す。

此処まで約15km、大体この辺りまで走って来ると脚も軽く廻るようになり、山あいに敷かれた走り易い道との相乗効果で、気分も上々になってバイクを飛ばす。

天気は晴れだが雲は若干多く風も無いのでライドには持って来いの日和だ。

 

伊自良集落の先で道を谷合方面に右折して平井坂峠(トンネル)へと向かう。

高度差130mほどの峠越え道だが、斜度が6%程度の比較的緩い登りなので、疲労が脚にくる前に峠に到着、そのままトンネルを貫けて今度は下りに入る。

此処からは約3km続くカーブの少ない下り、スピードが直ぐ45km/hrを越えてしまうので、パンクによる転倒を恐れる小生は、小刻みにブレーキングしてスピードを35km/hr程度に抑えながら安全第一に下るのが常だ。

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  平井坂峠のトンネル        スピードが出る長い下り坂

谷合からは神崎に向けて走路をr-200にとり北進、道沿いを流れる神崎川の澄んだ水面が、一服の清涼剤となって小生の気分を爽快感で満たしてくれる。

市街地から自転車で1時間走るだけで、これ程に水の澄んだ川に出合えるのも山紫水明の岐阜なればこそ、陳腐な郷土愛かも知れないが、都会に居ては味わえない地方に住む良さを改めて実感した・・・。

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 明るく広いr-200の走路         清涼剤の如き神崎川の流れ

進むにつれて道は幅員4mほどの山道となり、周りの景観も次第に山中の佇まいを見せ始める。

「もうそろそろ神崎だな」と思いながら右カーブを廻ると、正面に大きな建物が見えてきた。

この建物は廃校を利用した ”農家レストラン舟伏の里” で、地元のおばちゃん達が作る 素朴な料理は結構おいしいと評判らしく、以前TV番組で珍しいレストランとして放映されているのを観たことがある。

残念ながら小生はまだ食したことは無いが、機会があればと思っているのだが・・・。

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農家レストランは山里の廃校

廃校の先を右に折れて神崎の集落を抜けると、円原川伏流水まではあと少し。

円原川沿いの緩い坂道を軽快?に走って残り数百mのところまで来た時、前方で道を 塞ぐ何物かが在るのが目に入る。

「えぇっひょっとして?」減速しながら近付くと、やっぱり通行止の柵で傍らの看板 に山崩れで立ち入り禁止と書いてある。

「あと少しなのに・・・」と愚痴ってみてもしょうがない、伏流水の湧水場所は観られないが、傍らを流れる円原川の清らかさはここでも満喫できると思い直し、暫く此処で休憩することにした。

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石灰岩層を伏流してきた円原川の水質は透明度が高く綺麗

10分ほど休んで出発、神崎まで戻って右に折れ ”サラサドウダン街道” と名付けられた山道を神崎川に沿って遡のぼる。

向かうのは5kmほど先の ”ごろごろの滝” で今日の最終目的地だ。

舟伏山登山道への分岐を左に分ける辺りから道は更に細くなり、山の奥へと分け入っていく様な心細さが徐々に募るが、道を進むに従って気温も少しづづ下がっていく様で、林間の日陰道では、ヒンヤリとした涼風が頬を撫でていき、心地よい気分にもさせてくれる。

 

20分弱走って ”ごろごろの滝” に到着。

道から神崎川を挟んだ対面の山肌から、落差15mの滝が白い奔流となって直接川面へと落ちており、その様はまさに清冽そのもの。

この面白い名は、滝が落ちこむ神崎川を大小の岩がごろごろと流れる?ところから命名されたらしいが、確かにこの辺りは少し流れが急で然も在りなんと思わせる。

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幾筋もの流れとなって 神崎川へと落ちるごろごろの滝

川原に下りて岩に腰掛け、瀧音と川音が複雑に絡みあったザァーという音に耳を傾け ながら目を瞑ると、いつの間にかその音は消えて辺りを静寂が包み込んだ様な錯覚に 陥る。

こうしていると、自分がその風景の一部と化していく様で、其処に妙な安らぎを覚えるのは何故だろう・・・。

滝の落ちる様や川面の白い奔流を眺めながら無我の境地?に遊ぶこと数分、飽きるまでこうして居たいがそうもいかないとやおら腰を上げた。

 

「さぁ帰ろう」

今のところ脚の疲労感は全く無いし、帰路は谷合まではずーっと緩い下り道だから脚を使う必要もないので、多分このままいけそう。

出発時には山手の90kmライドに少し不安感があったが、まだそこまでは衰えていないことが実証されたわけだ・・・。

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岐阜市街はまだ遠い (帰路の平井坂峠から)

 

 

 

思いがけない手術

 

一昨年夏に、変形性足関節症の治療で左脚の下位脛骨骨切り術を受けたが、傾きの修正が足らなかったせいかこの2年で足首関節の変形と内反足が更に進行し、最近では上下の関節が当たって擦れるその痛みで10mほどを歩くのさえ辛くなった。

これでは普段の生活も儘ならないので、主治医に治療法の一つである”足関節固定術”の施術を相談したところ、意外にも「”人工関節全置換術”を検討してみましょう」と提案された。

ここで意外と言ったのは、一昨年骨切り術を受けた際、主治医からは”足関節固定術”を薦められたが、小生の我儘でこれを断っていたからだ。

理由は”足首の関節を金属で固定したら自転車に乗れなくなる”からで、好きな山歩きを諦めて更に自転車にも乗れなくなったら「何を楽しみにこれから生活するんだ」という小生のQOLが懸かっていたから・・・。

 

しかし、パラリンピック自転車競技で、膝下から先が義足の選手が何の違和感もなくペダルを漕いでいるのを見てこの考えは変わった。

「足首が動かなくても自転車に乗れる?」もしかすると「下肢全体を上手に使えばクランクの回転に合わせた脚運びが出来るんじゃないか?」と俄かに希望が芽生えた。

小生は普段から、足首負荷軽減のためサポーターを巻いてロードバイクに乗っており、かなり足首の動きが制限された状態でのペダリングが身についていたから、これは自分的には結構合点がいく出来事だった。

 

という訳で、この希望的観測を携えて主治医に”足関節固定術”での再手術を相談したところ”人工関節全置換術”を提案されたのだから、この想定外の展開に小生は少なからずビックリしたというのが事の次第。

この”人工関節全置換術”というのは、変形性関節症により傷ついた関節(脛骨と距骨)の接合部を、金属とポリエチレンで造られた人工関節に入れ替える手術で、これが巧くいけば歩行障害の原因となっている足首の内反も矯正されるので、関節部の痛みが無くなるだけでなく足首の可動域も今より広がる。

願ってもない提案に二つ返事で「宜しくお願いします」と答えてから「こりゃぁ普通の歩きどころか山歩きも再開出来るかも・・・」と主治医の話を聴きながら頭では別の事を考えていた。

 

整形外科の疾患は患者のQOLに関わるが命に関わる事はほとんど無い。

コロナ禍で病院自体が入院患者を制限している時期、手術の先送りは止む無しと覚悟しつつ「いつ頃に手術が出来ますか?」と聞いてみると、これまた意外にも10月初旬には可能との答え。

一昨年の骨切り術の時は半年も待たされただけに「どう云う事?」と思ったが、手術を早くやって貰うに越したことは無いので、要らぬ詮索は止める事にした。

 

これで長年悩みの種だった左足首の痛みと”おさらば”出来ると思うと本当に嬉しいが、一つ気懸りなのは手術後いつになったらライドが再開できるかだ。

主治医は「最低半年間は運動は避けて」と言っているが、真面目にそれに従っていたらストレスと運動不足で体調不良間違いなし。

そこで”退院から2ヶ月間は安静にして人工物が身体に馴染むのを待ち、年が明けてからローラー台での低負荷⇒中負荷運動1ヶ月を経て、2月初旬には近場ライド再開”という手前勝手なスケジュールを立ててみた。

果たして”捕らぬ狸の皮算用”にならなければ良いのだが・・・。

 

さて、今週も通院やら雑事やらでライド時間が思う様に取れず、近場の ”木曽川SR” を2.5時間ほど走ってお茶を濁すしかなかった。

とは言えここの走路は風を感じながら気持ちよく走れるので、月に数回は必ず行く小生御用達のお気に入りロード。

30km Non Stop走でひと汗流した後は25km/hr前後の負荷を感じない程度のスピードで138タワーまで8kmほどを走って休憩。

木陰のベンチに腰掛けて寛ぎのひとときを送れば、静寂の中緩やかな時間が辺りを包み込んでいく気がする・・・。

 

 

 

潮風に吹かれに

 

健康な人の糞便を、クローン病潰瘍性大腸炎などの難治炎症性腸疾患を患う人に移植して治療する方法があるのを知っている人は多いと思うが、この”糞便移植が脳の若返りにも効果がある”との論文をスウェーデンカロリンスカ研究所の研究員がNatureに投稿した。

それによれば”老いたマウスに若いマウスの糞便を移植して、加齢により変化した腸内細菌叢(多種多様な腸内細菌の集まり)を修正した結果、「GABA」や「ビタミンA」といった脳の活動を助ける代謝物質が増加しただけでなく、プロピオン酸の合成速度や 酢酸の分解速度の低下といった免疫にかかわる物質の代謝機能も変わって、それによる免疫システムの強化が脳の海馬に間接的に働きかけて海馬機能を増強させた”らしい。

最近”ついうっかり”のもの忘れが増えて、記憶を司る海馬の衰えを痛感している小生にとってこれは願ってもない朗報だが、若い人に「ちょっと糞便を拝借」と云う訳には いかないから、更に研究を進めて貰って「このカプセルを飲んだら脳が若返ったよ」と云った、何だかSF映画の1シーンの様なバラ色の未来が早晩来ることを妄想している。

 

さて、最近は山手方面へのライドが多くなっているので、今日は逆方向の南へと走ってみることにした。

行先は桑名の先の海で、久し振りに「暢気に潮風に吹かれてみるかぁ」と思った次第。

走行距離は往復100km近くになるが、基本UP Downの少ない道なので疲れるってことは無いけど、(あまり水分補給しない性質なので)脱水等で熱中症にならない様に注意は必要だ。

 

市街を抜けると、いつもの様に長良川左岸堤防道路を背割堤へと走る。

ここでの走りが今日の調子を測る一つの指標だが、30km/hrほどの巡航でも脚が軽快に回ってバイクを走らせられるのでまずはOK。

また、風はソコソコあるがこの時期にしては珍しく西寄りなので、あまり走る抵抗にはならないのは嬉しいことだ。(独りで走っていると風は友であり手厳しい敵でもある)

 

背割堤に入って間もなくすると背後から爆音がするので「ん、何だぁ」と振り返ると、ヘリコプターが1機こちらに向かって飛んで来た。

どうも防災ヘリの様で、先ほど堤防下の駐車場に警察官らしき14~5名が整列していたことから推察すると、これから水難事故を想定した訓練が始まるらしい。

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  水難訓練?に向かう県警ヘリ     滔々たる木曽川の流れと並走する背割堤

以前、もう少し下流自衛隊が船を使った架橋訓練をしているのを見たことがあるが、この辺りは木曽川下流域で流れも緩やかなため、色んな訓練がやり易いのだろう。

野次馬的興味が湧いたが、ここはグッと我慢して先を急ぐ。

それにしてもこの暑い最中の訓練ご苦労さん、最近の公務員の意識はどうか知らないが「公僕というのは本来辛いもんです」と独り呟いた・・・。

 

木曽長良背割堤を快調に走って”船頭平河川公園”まで来た。

居宅を発って1.5時間弱、ここの東屋は小生御用達の休憩場所なので、いつもの様にその下で一休みしていると、突然「ジジジィー」とブザー音が鳴り響いて、それまで辺りを包んでいた長閑さを掻き消した。

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    船頭平は定番の休憩地        この水門を通って船舶が行き来する 

ここには木曽川長良川を結ぶ閘門(水位差ある川で船舶を行き来させるための水門)があるので、どうやらどちらかから通り抜けたい船が来たようだ。

これを機に休憩を切り上げて出発、あと15kmほどなのでそれほど急ぐ必要は無いが、海を眺めてノンビリするならここでの長居は無用だ。

 

R-1の伊勢大橋を渡り揖斐川右岸沿いを河口に向かって走る。

車通りの多い道なので路側帯を走るが、ガラス片がいたる所に散らばっていてちょっと厭な気分。(過去に2度ライド中にタイヤを切って随分困った経験がある)

「こりゃぁ堪らん」と”七里の渡し址”からは護岸堤防の上を走ることにしたが、これも途中で行き止まりとなってがっくり。

折角河口まで護岸堤防があるんだから「この上をずっと走れる様にしてくれよ」と独り不満をブツブツ呟いてみたが、残念ながらその願いが誰かに届く筈もない・・・。

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”七里の渡し址”からの茫々たる眺め

河口の突端で護岸を越えると視界一杯に伊勢湾の海原が広がり、次いで磯の匂いが鼻孔をくすぐってここが海に間違いないと教えてくれる。

海浜には磯釣りを楽しむ4人家族と若者が2人、他には誰もおらず打ち寄せる波音だけが静かな空間に一定リズムの動きを与えていた。

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寄せる波音も静かな晩夏の海

海岸に腰をおろして、沖合を行く数隻の貨物船に視線をやりながら、あの船は外国船?何処から来て何処へ行くんだろう?外洋は揺れるかなぁ?と独り物思いに耽りながらの安らぎの刻を過ごす。

小生は船酔いする性質で船は苦手、随分昔に太平洋フェリーに乗って北海道に行った時は散々な目に遭ったし、たった1時間弱の伊勢湾フェリーでさえ気分が悪くなる。

「歳をとったらのんびり船旅」と言う人がいるけど多分小生にはそれは無理、味気ないけどジェット機でひとッ飛びするしかない・・・。

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河口対岸のナガシマスパーランドの喧騒もここまでは届かない

なんだかんだと20分余り休んで充分に海の風情を満喫したので「そろそろ帰るかぁ」と腰を上げる。 

帰路は往路をそのまま戻っても面白くないので別ルートが基本、揖斐川右岸沿いを北上して木曽三川公園からは海津⇒輪之内と走り継ぐルートを想定した。

 

揖斐川の右岸堤防道路は木曽三川公園の先で道が途切れるためか、車通りが少ないのでローディーには走り易い道。

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木曽三川公園へと向かう道

其処を気持ちよく走っていると、後方からクラクションの音が鳴り響き、その突然の音に一瞬「ビクッ」と身が縮こまる。

走り難い路肩を走っているのに「それは無いだろう」と独り毒づくが、そんなつぶやきは聞こえる筈も無く、直後に1台の車がエンジン音を残して小生を追い越していった。

車の運転手は”どう動くか分からない自転車”に車の存在を知らせるだけのつもりだろうが、いきなり大きなクラクション音を聞かされる当方としては「安全確保ならまず徐行だろうが」と、何とも”腹立たしい行為”にブツクサブツクサ・・・。

 

多度で揖斐川に架かる橋を渡って木曽三川公園の展望タワーの下で一休み。

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油島大橋を渡って木曽三川公園でちょっと休憩

喉がカラカラで、自販機で買った清涼飲料がこの上なく旨い。

500mlの水分が忽ち食道を潤し胃袋に収まってしまったので、あと30kmほど残す帰路に備えて、もう1本買い求めてウォーターボトルに詰めた。

 

長く休むと走り出しの疲労感が増すので10分ほどで休憩を切り上げ出発。

「よぉーし此処からはNo Stopでいくぞぉ」と元気を取り戻した脚に力を込めてペダルを踏んだ・・・。

 

 

 

近場で1時間走

 

日本国内のコロナ感染者は既に140万人を超えており、しかもこのところ毎日2万人以上の新規感染者が増えている状況だ。

これは国民の1.15%が感染した(無症状等でNo countを含めれば実数はもっと多い)と云うことであり、正に感染爆発寸前の危機的な局面を迎えていると言える。

 

通常のウイルス感染症は、感染者が免疫抗体を獲得して体内のウイルス量が減れば治癒となるが、この新型コロナ感染症はそういう経緯をたどらない。

ある調査によれば、罹患者の76%が倦怠感、呼吸苦、味覚・臭覚障害、集中力低下等の後遺症に悩まされており、これが半年以上経っても治らない例が数多くあるという。

この長く続く後遺症、実は”原因はコロナウイルスではなく別の体内ウイルスだった”という研究結果がWorld Organization?の研究者から論文投稿された。

 

その内容は”新型コロナウイルスに感染すると、体内で潜伏状態にあったEBウイルスが目を覚まし、頭に霧がかかる様に思考が遮られてしまう症状や極度の倦怠感、不眠症、頭痛、発疹、喉や腹部の痛みなどの長期的な後遺症を発症する”というもの。

このEBウイルスというのはヘルペスウイルスの一種で、口内等に常在して唾液を介して感染するため、成人の95%はこのウイルスの保有者らしい。

小生は体調が悪くなるとたまに口唇ヘルペスを発症することがあるが、EBウイルスも人体のストレスを敏感に感じ取って潜伏状態から再活性化する特徴があるという。

 

問題はこのEBウイルスのワクチンを作るのは容易ではないということだ。

それは、EBウイルスが長期間に亘って罹患者の細胞内に潜伏する事実からも明らかであり、身体の免疫系が排除できないウイルスを、免疫力に頼ったワクチンで対抗しようとしても難しいのは当然と言えば当然だ。

また、EBウイルスの再活性化率は、コロナの重症化率と緊密に関連してはいるが、例え無症状で済んだ人でも、EBウイルスが再活性化してしまった場合は、EBウイルス感染症状としての後遺症が発生する確率が上がるとも報告されている。

 

何とも厄介な新型コロナウイルスEBウイルスの関係。

要はコロナに感染しなければEBウイルスによる”後遺症”もない訳で、此処は心してコロナ感染予防の行動継続をしなければと自戒した次第である。

 

さて、今週は何かと雑用に時間を取られライドに出られなかったが、このままでは体調に宜しくないので、短時間でも良いからと近場を走ってお茶を濁すことにした。

行先は”平田リバーサイドプラザ”

居宅からは40分ほどで行けるところなので、向こうに1.5時間居たとしても Total 3時間あれば帰ってこられる。

 

手早く準備を整えて出発。

風はほとんど無く雲が若干多い天候なので、ロードバイクで走るにはまぁまぁの天気。

しかし、遠く伊吹から養老への山並みが霞んで見えていることから「多分蒸し暑くなるなぁ」と楽観的になった気分に少しだけ水を差した。

 

サクラ並木の土手道を通って長良川左岸堤防に向かう。

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緑陰に包まれた静かな土手道

春には桜のトンネルを愉しみに大勢の人が訪れる道も、残暑の今は人影もなくひっそりとしており、ただ緑陰の中を走る自転車の微かなチェーン音だけが耳に届くのみ。

こういう道はゆっくりと走るに限るが、どうもせっかちな性格でそれが出来ないのは我ながら悲しいことだ。

今日も忽ちの内に緑陰の小道を抜け車通りの多い道に出てしまった・・・。

 

堤防道路を南に走って羽島市福寿町で河川敷の管理道路に下りる。

「これで当分車に気を使わず走れる」とホッと一息つきながらも思うのは”お役所仕事の不合理さ”だ。

それというのもこの管理道路、直ぐ近くまで上流側の管理道路がきており「この2つが繋がると便利だなぁ」と常々思っていた処、昨秋から今春にかけて2つを隔てる水路に橋を架ける工事が始まった。

水路は隣接して2本あるので、てっきり橋も2つ架かると思いきや、工事が終わってみると出来たのは1つの橋だけ。

工事には色々な準備が必要になるので、同一工区なら一度に仕上げてしまうのが合理的な筈だが、何故わざわざお金も時間も掛かることをするのか?

末端と云えども行政に携わる者は、国が一千兆円の負債を抱えることを自覚して、少しでも節税に努めて貰いたいものだ・・・。

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  手前の水路の架橋はいつ?      河川敷の管理道路は安心して走れる

平田リバーサイドプラザに着くと、まずは周回コースのスタート地点(と言っても小生が勝手に決めてるだけのところ)まで行き停車。

此処では1時間走をするのが通例なので、着くなり走り出すと後半に疲れが出てペースダウンを余儀なくされるから、今は疲労を感じてなくともここは休んだ方が得策。

バイクのトップチューブに尻を乗せてたまま、あれこれ思索に耽って5分ほど休んだ。

 

「さぁ1時間走のスタートだ」小生の今の脚力だと1周4kmの走路を8周回出来れば御の字だが、果たして走り切れるかどうか?最近衰えを自覚する持久力に一抹の不安を抱きながらスタートを切った。

此処まで40分ほど走ってきたので脚は軽く、今のところ調子は良さそうだ・・・。

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平田リバーサイドプラザの走行路

南北に長い走路の南端に近付くと自転車に乗った6人の姿が目に入り、ヘルメットからM工高の自転車部の選手達と判る。

普段は岐阜市内の長良川河川敷道路で練習しているが「今日は此処まで出張ってきたという訳か」と自分勝手に推測して納得。

M工高の自転車部からは自転車競技界で活躍する選手が何名も出ており、東京五輪オムニアム代表の橋本選手もその一人。(本番では健闘及ばずだったなぁ)

そんな名門自転車部の邪魔をしてはいけないので、選手達が練習を始めたら「端っこを通るか迂回だな」と臨機応変に回避行動を決めた。

 

結局1時間走る内に練習は始まらず(案外練習を控えさせてしまったかも知れないが)予定通り8周回して小生の走行は終わり。

最後の2周は結構脚に来て辛かったが、衆目?もあるため何とか我慢して走り切ったという感じだ。

疲れた身体を曳づる様に木陰に移動してしばらく休憩。

汗がドッと吹き出してきて堪らずジャージを脱ぐと、微風が汗ばんだ身体を撫でていき心地いい感覚が肌を包む・・・。

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高校生たちのインターバルトレーニングを遠目に汗がひくまで休憩

「よーし帰るとするか」

折角平田まで来たのでチョットだけ寄り道をして、隠れた名店と評判の和菓子屋を覗いてから帰ることに決めた。

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帰路は大藪大橋を渡って羽島市街経由で・・・