先日NHKの山番組を何気に観ていたら、北アルプスの”燕岳から大天井岳の縦走”が取り上げられていたので、懐かしさのあまり30分ほど見入ってしまった。
その昔、3つ上の先輩に誘われて鈴鹿山脈の竜ヶ岳に登ったのを端緒に山登りを始めた小生が、同じ先輩に連れられて行った初めての北アルプスの山旅が”燕岳から大天井岳の縦走”だった。
松本駅?(大昔の事なので全く記憶にないけど・・・)からバスに揺られ、不安と希望の綯い交ぜになった気分で着いた山中の中房温泉。
「そうそうこんな感じだった」とTVに映った登山口の様子を見ながら頭の中の朧げな 残像とシンクロさせる。
朝まだ早い時間で、冷気に包まれた登路を行く登山者の声だけが、束の間の雑音として辺りの静寂を破るが、それもやがて耳に入らなくなり、自分が吐く「はぁ・はぁ・・」という息遣いと心臓の鼓動、そして山道を踏みしめる足音のみが、単調なリズムを刻む世界へと没入していく。
合戦尾根の急登(後から知ったのだが此処は北アルプス3大急登の一つだった)を汗を掻きかき登ること3時間あまり、それまで良い天気だったのに尾根に出る頃にはガスが湧き辺りは真っ白、本来迎えてくれる筈の北アルプスの大展望は其処には無かった。
「まぁこんなこともあるさ」と言う先輩の声に促されて、兎にも角にも燕岳の山頂へと向かうが、その道すがら汗が引くに従って徐々に寒くなってきた。
その時の小生の服装は”綿の柄シャツに腿の出た短パンとハイソックス”で今から考えると「何て格好だ」という感じだが、当時は”100m上がると0.6℃下がる”気温の常識さえ知らない山のど素人だったのだからしょうがない。(この経験以降山へはそれなりの 服装を纏っていく様になった・・・)
燕岳から大天井岳への縦走はこの山旅のハイライトだったが、残念ながら評判の大展望は全く望めずズ~ッと濃いガスの中を黙々と歩くのみ。
その御蔭で大天井岳手前のクサリ場は下が見えず(実は小生は高所恐怖症で切り立った場所はちょっと苦手)難なく通過する恩恵はあるにはあったが・・・。
大天荘で初めての山小屋泊を体験した翌朝は雲一つない晴天、身支度を整えて山小屋を出ると、大天井岳の肩越しに槍から穂高への高峰の連なりが、朝日を浴びて輝く如き 雄姿を見せていた。
空を突くほどに尖って聳える槍の穂先、巨大な岩の塊となって他を従える様にして鎮座する穂高の峰々、その山容に「これが槍・穂高かぁ」と思わず感嘆の声が出た。
この日は、赤岩岳⇒西岳を経て水俣乗越から槍沢へと下るまで、この絶景を愛でながらの稜線漫歩だったが、この充足感ある経験が小生の嗜好を山好きに変えた。
それから40年余り、脚を痛めて泣く泣く山歩きを断念せざるを得なくなるまで、実に 多くの山に登ってきたが、今から思うとあの時の”燕岳から大天井岳への縦走”こそが、その後の山歩き人生の原点であった様な気がする。
番組の終盤、大天井岳から望む槍・穂高連峰の画を観ながら「あぁこの絶景をもう一度自分の眼で見てみたいなぁ」との思いが去来したが、果たしてこの願望にも似た思いがいつの日か叶えられる時は来るのだろうか?・・・。