風を道連れに

☆あるボッチローディーの独り言☆

昔の想い出

 

今週は、天気の良くない日が続いたのに加えて脚の具合も良くなかった(足裏の血豆が潰れた)ので、ライドに出るのは止めにして、YouTubeで音楽(最近は女性歌手が唄う演歌に妙にハマっている)を聴きながら読書に勤しんだ。

 

小生が好んで読むのは、専ら歴史や自然科学系の本なのだが、たまには小説や随筆にも手を伸ばして読んだりする。

今回も、”こ難しい量子力学分子生物学”の本を読む合間の息抜き用にと”奥の細道紀行(大石登世子著)”という本を借りてきた(小生はここ20数年来、書籍類を買うことは止めて図書館で借りることにしている)のだが、この本が思いの外に(著者にチョット失礼か?)面白く、時が経つのも忘れて(大袈裟)一気に読んでしまった。

芭蕉曽良が辿った ”奥の細道” を古に倣って歩いて書いた紀行文なので「まずはその ルートを知らなくちゃ」と小生もGoogle Mapでその古道を探し「なるほどこう云う風に歩いたのか」と得心しながら読み進めるが、時折記述にある風景をストリートビューで確認したりすると、より一層その旅が身近なものに感じられて愉しかった。

芭蕉曽良は全行程600里(2400km)を150日かけて歩いた・・・

こうして紀行文を読んだりTVで旅番組等を観たりすると、俄かに”旅心”が疼きだすのは凡人の常。

東北地方へは余り行ったことが無い(次女が仙台の大学に行ってたので何度かは飛行機や列車で往復したことはある)ので、是非とも”芭蕉らの足跡を辿る旅”をしてみたいと思うが、現在は ”家庭の事情” で2日と留守にすることが出来ないので、それは少しだけ先伸ばしの願望とならざるを得ないのは致し方なしか・・・。

 

中部の地方都市に住む小生としては、東北(あるいは中国・四国)へ旅するなら、足は飛行機じゃ無くてやっぱり列車、しかもそれは新幹線の様な高速列車ではなく、在来線を乗り継いでいく普通列車が好い。

ゆっくりと移り行く風景を車窓から眺めながら、そこに住む人々の営みに思いを馳せるも好し、何も考えずただボーっと視線を彼方へと投げるのも好し。

全てが慌ただしく過ぎていくこの時代にあっては、そんな ”のんびりとした旅” こそが 疲れた心身?に安息をもたらしてくれる筈だ。

窓外を移り行く風景を味わうのも旅の愉しみのひとつ

現在、長距離を走る列車としてはカシオペアやトワイライトエキスプレスなどの ”豪華観光寝台列車” だけになってしまったが、その昔(特にJRの前身である国鉄時代)は 全国各地を様々な長距離・寝台列車が走っていた。

小生が若い時分に、北海道を2週間ほどかけて周った際に乗ったのも、そんな長距離を走る列車だった。

 

大垣発の東海道本線普通夜行列車にPM8時過ぎに乗り込むと、東京駅に着くのは翌日の明け方で、そのまゝ山手線で上野駅に移動して、常磐線経由東北本線の急行列車へ乗り継いで青森へと向かう。 

あの頃の長距離列車の普通席は対面4座のBox席で、同じ姿勢で長時間座っていると腰から太腿にかけての圧迫部が痺れて痛くなったものだが、それを束の間忘れさせてくれたのが同席した初対面の乗客との会話。

旅人の気安さから四方山話に花を咲かせて楽しい時を送ると、忽ち時間は過ぎて盛岡を通過する頃には辺りは夕闇に包まれていた。(様な記憶が車窓から視た黒いシルエットの岩手山の残像と共に今も想い出される)

そんな風にして車内の時間を過ごして青森に着いたのはPM10時近く、東海道本線普通列車に岐阜で乗車してから、実に25時間以上を列車に乗り続ける長旅だった。

国鉄時代の東北本線をいく急行列車(image)

昔は良かった・・・と年寄りじみた感慨を言うつもりはサラサラ無いが、最近は何事につけ ”記憶の彼方に埋もれていたもの” を想い出して懐かしんだりする様になった。

「あんまり好い傾向じゃないな」と独り寂しく思う毎日である・・・。