風を道連れに

☆あるボッチローディーの独り言☆

旅心がうずくねぇ

 

このところTVを見ていると旅番組がやたらと目に付く。

オミクロン株が猛威を振るっているというのに「どういうことだ?」と思うが、世の中の風潮は、この変異株の持つ特質(感染率は高いが無症状か軽症が多い)を手前勝手にに解釈して ”楽観論”が其処彼処から顔を出す様相。

3年目を迎えることになったコロナ禍の終息を願うあまりに、その兆しをどうにかして見付けたい人々の心理が解らない訳では無いが、この希望的観測がとんだ惨禍を招か  ない様にと切に願わずにはいられない。

 

まぁそれはそれとして、旅番組を見ると、つい”旅ごころ”を刺激されてしまうのが我々凡人の辛いところ?「そう言えば随分長い事旅行に行ってないなぁ」とここ数年を振り返って溜息をつく。

最後に行ったのは3年前の淡路島で、年1回定例開催の同期会飲み会旅行。

コロナ禍で昨年一昨年と同期会旅行は開催できておらず、今年も行けるかどうかは全く分からないので、同期会万年幹事を任ぜられた小生としては大いに気を揉むところではある。

 

海外となると色んな事情があって6年も出掛けていないので、パスポートも失効したまゝ半年以上経ってしまった。

この6年前の旅行は、フランスからスイス・ドイツへと11日間にわたって周遊したの だが、選りにも選って初めて訪れたスイスで連続3日間も雨に降られてしまい、楽しみにしていたヨーロッパアルプスの絶景をほとんど目にすることが出来無かった。

山好きの小生としてはそれが残念でならず、TVの紀行番組などで彼の地が紹介されたりすると、再訪したいとの思いが猶更つのるのだが、そのリベンジを果たす日がいつの日にか来るのだろうか?・・・。

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樽見鉄道揖斐川橋梁越しに見る雪化粧の伊吹山

さて、ローラー台での左足首のリハビリ兼身体各所の筋力回復レーニンングも2週目に突入した。 

まだ毎日1時間、80rpm×25km/hrほどの負荷でクランクを回す程度なので疲労の蓄積はあまり無いが、それでも終わり近くなると腿が張ってくることから、脚の筋肉が削げて筋力も相当落ちていることは間違いない。

今のままではロングライドなど到底おぼつかないので、ここは地道にトレーニングして脚の筋力回復を図る他ないが、これからどんな具合に運動強度を上げていくかが思案のしどころ。

”まずはケイデンスを少しづつ上げていって、90rpm前後で回し続けられる脚を取り戻すことかな?これが無理なくこなせる様になったら、次はギアを上げて30km/hr更には35km/hrの速度が維持できる筋肉を段階的に回復させる・・・”

そんなステップアップ計画を取り敢えず立ててみた。

 

今のところ足首の具合は特段の問題は無さそうなので、このままいけば3月を迎える頃には”晴れてライド再開”といけそうな気がするが、豈はからんや事はそんなに簡単に 運ばないのが世の定め。

ここで「チョット待った」とストップがかかる。

そのストップとは花粉症で、例年小生を悩ませる”春の風物詩”的身体反応だ。

昨年は花粉症の症状があまり出ず”平穏な春”を送ったが、果たして今年はどうだろう?

こればっかりは、自助努力で対応するにも限界があるから、コロナ同様に猛威を振るわない様に神様にお願いするしかないか・・・。

 

まぁそんな先のことについてあれこれと思い悩んでも仕方ないので、ここは気分転換でバイクを漕いで忘れることにしょっと・・・。

 

 

 

2022始動だ・・・

 

あまり信心深くない性質なのだが、何故か初詣には行く。

と言っても人出の多いところは嫌いなので、三が日には滅多に出掛けず、専ら10日を 過ぎて人出が落ち着いた頃を見計らって行くのが常だ。

今日(12日)は西風に乗って小雪が舞う生憎の天気だったが、外出のついでに片付け たい用事もあったので、予定通り犬山成田山(名古屋別院大聖寺)へと向かうと、意外にも途中で雪は止んで青空が拡がる好天?まあまあのドライブ日和となった。

大聖寺裏手の坂道(自転車だとチョット辛い勾配だ)を上がって駐車場に着くと、思いの外に車が一杯で「どう云う事こと?」と自問するが、どうやら団体関係者の加持祈祷がおこなわれていると気付き「仕事始めの一環だな」と自答して勝手に納得。

小生はご祈祷して戴くほどの切実な願望も無いので、本堂前で手を合わせながら、遠く(米国テキサスと東京)離れて暮らす二人の娘家族の平穏無事、老母と妻の健康、自身が受けた手術の早期平癒をお願いした。(わずかなお賽銭であれもこれもと色々お願いし過ぎたかな?) 

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参拝を終えて境内からの展望を愉しむ

さて、人工関節を入れた左足首だが、施術から3ヶ月が経って、ようやく普段の生活が支障なくこなせるまで回復してきた。

この間色んな事を我慢してきただけに「長かったなぁ」という思いと共に、歳をとると新陳代謝が酷く衰えるもんだと、身をもって実感した次第である。

「そろそろリハビリ第2段階に入るかな」まだ少し腫れが残る足首を眺めながら、誰に言うともなくボソッと呟いてしばし沈思黙考・・・。

 

そして迎えた受診日、X線の画像を診ながら「人工関節のずれは無いし、切った腓骨の癒合も始まってますよ」と主治医が太鼓判を押すので、兼ねて用意していた質問を満を持して切り出した。

「先生、そろそろローラー台で自転車を漕ぎたいんですがどうでしょう?」

主治医は一瞬険しい顔をしたが、しばらく考えて”駄目と言ってもどうせやるだろう”と小生の内心を見透かして得心したのか「くれぐれも無理はせず、足に違和感を覚えたら止める様に」と釘を刺した上で、渋々ながら認めてくれた。

こうして、曲がりなりにも主治医の諒解が得られたので、早速翌日からローラー台でのトレーニング(いやリハビリ第2段階です)を始めることに相成った。

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車庫にローラー台を置いてトレーニングを開始

ローラー台にセットしたバイクとはいえ自転車に跨るのは実に3ヶ月半ぶりのこと。

レーパンを通して臀部に伝わるサドルの固い感触が、何か場違いに感じられるのはそのブランクの反映なのだろうか?

しかしそんな思いもたちまち忘れ、ペダルを漕ぐ左足首に意識を集中して違和感の有無を確かめるが、ギア比1.42の軽いペダルでは負荷も小さく、脚がクルクル回るだけ。

そこで、足首の具合を確かめながら徐々にギアを上げて、ギア比2.43(34T×14T)で しばらく漕いでみることにした。

このギア比でケイデンスを81に保ってクランクを回すと、スピードは25km/hrになり、小生が普段走っている時の巡航速度より2割ほど遅いが、ここで無理をして足首に異常をきたしては元も子もないので、当分はこれをリミットにした方が良さそうと結論。

 

約10分間漕いで足首の様子を見たが、ここまでは手術箇所の痛みは全くと言って良い ほど無いので取り敢えず一安心。

おまけに、ペダリング時に左足の母指球がペダルを押している感触(足裏がフラットにペダルを押している証左)が久々に戻ったのは嬉しいお土産。

これなら関節部の内外反を防ぐ足首サポーターだけで「ペダリング時の変な負荷は防げそうだな」とこれまた一安心。

 

ややもすると徐々に上がっていくケイデンス値を、時々サイコンへと眼を落しながら 80前後に抑えてクランクを回し続けること30分、大粒の汗が額を伝って落ちた。

そして更に15分、一定のリズムでクランクを回していると、大腿部に微かな疲労感を 覚える様になってきた。

「なんだそれしきのことで」と他人はせせら笑うだろうが、全く運動しない3ヶ月半をおくった後だから、脚の筋肉量は相当落ちているのは明らか。

時計を見ながら「そろそろ止め様かな」と呟いてギアを1段落とし、ケイデンスも70 ほどに下げた。

それから数分かけてギアを28Tまで落としてクーリング完了。

いきなりの無理は後悔を呼ぶ「まずは慣らし運転からだ」と自分に言い聞かせてバイクを降りた。

 

足の具合は取り敢えず問題なしと判ったので、しばらくはこの調子でローラー台での トレーニングを続けることに決めた。

さぁいよいよ”ロードバイク2022始動”だ。

 

 

 

  

新年初仕事

 

年末まで何ら異常の兆候の無かった車が、年明けの2日にエンジンをかけようとしたら全く動かなかった。

スマートキーの電池切れでエンジンがかからない事もあるので、予備キーを持ってきて起動を試みるがやっぱり駄目。

「そう言えばドアの施錠はされてなかったし・・・」と考えながらハンドルの中央部を強く押すと、案の定ホーンも鳴らない。

「ということはバッテリー上がりが原因かぁ」とチョット暗然とする。

ダッシュボードに入れた車検記録を調べると、バッテリーは2018年3月に交換とあり、かれこれ5年近く使用しているから、どうやら寿命が来たと考えた方が良さそうだ。

 

「さて困ったぞ」いつも点検等をお願いしているディーラーは正月休みで、5日以降にならないと対応を依頼できない・・・。

「自分で替えるかぁ」と即断してバッテリーの型番を確認し、早速Netでカーショップを検索すると、2.5万円前後の金額で同様の物が買える事が判った。

取り替えたバッテリーの廃棄処分は無料らしいので、出費は新品バッテリーの購入費用だけ?予定外の出費は確かに痛いがこれは仕方ない。

更にNetで”バッテリー交換”に関する情報を検索していると、チョット気になる記事を 発見”バッテリー交換時はメモリーバックアップを忘れずに”とある。

それによれば、バッテリーを外すと時計やオーディオ・ナビゲーションの設定・電装品のメモリー等がリセットされる場合があるので、それを防ぐためにバックアップ電源を確保する必要があるとの事。

「えぇそんな事初耳ぃ~」と思ったが、昔の車と違って今の車は色んな所でICが多用 されているから、それらには常に待機電源が必要で、一時的にでも電源供給が途切れると、不具合が生じるというのは充分に納得できる話。

幸いバックアップ電源装置は3千円程度と安価なので、これも買うことにした。

「よしこれで下調べは完了」

 

近くのカーショップA店を訪ねてバッテリーとバックアップ電源装置を購入し、居宅に取って返して早速バッテリー交換作業に着手した。

バッテリーの交換作業自体は取扱説明に従ってやれば造作も無い単純作業で、30分も かからずに終えていよいよ”結果確認の時間”と相成った。

まずはスマートキーによるドアの施錠・開錠の確認⇒OK:問題なく反応する。

ドアがカチャッと施錠される音を聞いて「良かったぁ」と一安心。

というのも「原因はバッテリー上がりじゃなく電気系統の不具合じゃないのか?」との一抹の不安があったからで、これでその可能性は払拭された。

続いてエンジンの起動確認⇒OK:一発起動でセルをひきずる感じもない。

ナビの表示やODO/TRIPメーターの表示も正常なので、多分電装品のメモリーリセットも無かった感じ・・・。

外したバッテリーや工具類を片付けながら「OK完璧な修理だ」と独り自画自賛した。

 

修理といえば、昔は結構自分の手で車を”いじった”ものだが、今じゃ点検整備は全て ディーラー任せのおんぶに抱っこなので、車はただの便利な移動手段の役割しかなく、それを持つことの面白みは半減した。    

40年も前の事、当時乗っていた車のエンジンをスターターボタンで起動(今ではあり ふれてるけど)させる改造をしたのだが、有料駐車場に停めた折に車を移動させようとした係員をまごつかせた(スターターボタンでエンジンを起動させるなんて当時は誰も思わないものねぇ)事があった。

また、出力を上げようとツインキャブ(燃料噴射装置)をいじったら、逆にエンジンが不調となって整備士から「素人が触る箇所じゃない」とたしなめられた事もある。

そんな失敗を繰り返しながら、車に乗ることを愉しんだ時代もあったのだが、車の構造がどんどん複雑化し、素人が生半可な知識で手を出せる代物で無くなるに従って、車をいじって遊ぶことも無くなっていったのは、ある意味悲しいことだ。

40年前と今を比べると生活の質は断然今が良いに決まっているから”昔は良かった”などと懐古主義をぶち上げる気はサラサラ無いが、便利さと引き換えに色んな楽しみを経験する機会を失っているのも事実なんだろうなぁ・・・。

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年の瀬に思う

 

年の瀬も押し迫って新年まで1週間を切ったが、今年は「何だか無為徒食に過ぎた1年 だったなぁ」と慚愧の念に駆られながら、過ぎし日々の事を思い起こしている。

コロナ禍による行動自粛が、この1年の世間一般の基本モードであったにせよ、ボッチローディーでライド中ほとんど他人と接する事の無い小生にはある意味無関係で、一応世間体を気にしながらも、西へ東へ南へ北へと思いつくまま気の向くまま、縦横無尽にロードバイクを走らせる筈だった。

しかし豈図らんや、変形性足関節症を患った左足首の具合は月日を追う毎に悪くなり、痛む脚でペダルを漕ぐのも次第に辛くなってライドも漸減、ついには10月に足首の人工関節置換術で入院生活を余儀なくされることと相成った・・・。

質量共に満足のいくライドが出来ずこの1年を締めくくる結果となったが「まぁ過ぎたことを悔やんでも仕方ない」と総括して、来る年は同じ轍を踏まない様に自戒するしかない。

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或る日のライド(関市弥勒寺官衛遺跡にて)

それにしても、この歳になってつくづく思うのは月日の流れの速い事。

1日があっという間に過ぎるから、1週間も「あれっもう土曜日かぁ」という感じで、 その積み重ねの1年は正に”光陰矢の如し”の形容がピッタリ。

時間の感覚って人それぞれだろうが、小生の場合は60歳を過ぎた辺りから1日が短い なぁと思いだして、以降それがどんどん昂進して今に至っている・・・。

”歳をとると体感時間が短くなる”という事に関しては、ジャネーの法則(時間の心理的長さは年齢の逆数に比例する)で説明される場合が多いが、小生にはどうもこの説明はしっくりこない。

幼児の頃の時間感覚なんて誰も覚えてないし、思春期や青年期の1日は今の数倍も長く感じられたということも多分無いので、一括りに”心理的時間は年齢に逆比例して短くなる”と言われても、どうも納得できない。

(但し、人生のゴールが遠くない先に見え始めてからは、時間の長さを意識したり残りの歳月を考えて「少ないなぁ」と思うことはあるけど。)

 

”歳をとると体感時間が短くなる”の理由の説明として「これだろうな」と思うのは、 ”身体の代謝機能が落ちる(つまり動きが鈍くなる)と、心理的時間と実際時間に齟齬が生じて時間が早く過ぎる様に感じる”というもの。

歳をとると代謝機能が落ちるのは自明で、本人が意識するorしないに係わらず、何かにつけて行動が緩慢になる。

例えばウォーキングで、10年前までは1時間に4.5kmは楽勝に歩けたのに今では3kmを 歩くのがやっととか、山登りで、1時間で450mの標高獲得は普通だったのに精々300mが限度とか、昔は1時間で出来たことが1.5倍も時間がかかっているとすれば、これらの行動に対する自分の時間認識と実際時間を整合させるべく、時間が早く過ぎたような 錯覚が脳に生じるのは至極自然な反応だ。

まぁ何れにしても、本来は不変の時の流れを速く感じたり遅く感じたりするのは人間が”考える葦”である証拠の一つという風にも言える・・・。

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冬の忍野八海(Image)

さて、この暮れから年明けにかけて、東京に住む孫(小3と小1)が岐阜に遊びに来るというので、いつもよりチョット早いが大掃除を敢行した。

と言ってもやるのは、家の窓拭きに室内照明の球替え、台所換気扇の清掃といった些細なもので、大掃除というにはチョット気が引ける。

昔(小生が子供の頃)は、年末といえばどの家庭でも家族総出の掃除をしたものだが、最近では、ついぞそんな光景は見掛け無くなり、”年末の風物詩”が無くなっていく事に一抹の寂しさを覚える今日この頃ではある・・・。

 

 

 

 

またまた寄り道

 

また痛ましい事件が起きてしまった。

大阪駅近くの雑居ビル4Fで、火災による一酸化炭素中毒により28名が死傷。

その火災の原因が放火と判明し、2年あまり前の”京アニ放火殺人事件”のおぞましい記憶が蘇ったのは小生だけではあるまい。

この雑居ビルの各階の出入り口は1ヶ所のみで、そこで火の手が上がったために、中に居た誰もが避難できずに煙に巻かれてしまった。

京都の事件の際にも思ったのだが、避難時の原則ともいうべき”2方向避難”の経路が何故確保されて無かったのか?現行法令の不備を思わずにはいられない。 

それにつけても放火犯は”己が愚かな行為”が、これほどの死傷者を出す事になると想像しえたのだろうか?

”想像力の欠如”最近の色んな出来事を見聞きするにつけ、老若男女を問わず、この最も人間的な思考が上手く出来ない人が増えている様に思う・・・。

 

さて先週上石津に行った日の事、多良峡に寄り道してから帰途に着いたのだが、関ヶ原から垂井へ向かう道すがらで「そうだ明神湖へ寄ってみよう」と急に思いついた。

明神湖は、伊吹山から東に延びる尾根先の菩提山麓にある人造湖で、入院中にYou Tubeで観てから行ってみたいと思っていた場所だ。

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森閑として水を湛える明神湖(Image)

r-53を途中で左に折れてr-257へと進む。

この道はロードバイクを始めて2年ほど経ち、ようやく遠出にも慣れた頃に走ったことがあるが、その時は”竹中半兵衛”の史跡を訪ねるのが目的で、その史跡の先に人造湖があるとはついぞ知らなかった。

 

竹中氏陣屋跡を過ぎてJR(垂井線)高架をくぐると道は細くなり、4mほどあった幅員が集落に入ると3mほどに狭まって車1台が通るのがやっとの状況。

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垂井線は東海道本線下りの特急と貨物しか走らない特異な線路

「これって本当に県道?」と思いながら進むと、正面にダム湖の堰堤が見えた辺りから道は更に狭まり2.5mも無くなってきた。

右は民家の石垣で左は川幅4mほどの水路、徐行でノロノロ進んで三叉路を過ぎた辺りで視線を先に投げると、何と民家の石垣が道路側に大きく迫り出しており、どう見ても小生の車が通り抜けられる幅員はありそうにない。

「こりゃあ駄目だぁ、万事休すだな」しばらく考えた末止む無く引き返すことにしたのだが、しかしそれからが大変だった。

バックで三叉路まで戻ってUターンを試みるが、Y字の上に幅員が狭くガードレールもあるので上手く出来ない。

狭い三叉路で何度も車の出し入れと切り返し操作を約10分、何とかUターンすることが出来た時は、ホッと一息つくと共に安堵のため息が漏れた。

 

そんな訳で、明神湖へ向かう気持ちも急激に萎えたのでそのまま来た道を戻ることに。

(居宅に戻ってGoogle Mapで調べたら、引き返したところから500mほど手前の神社前の三叉路を山側に進むのが正解だったが、それにしても県道よりも脇道が幅広ってどういうことよって感じ・・・。)

明神湖を訪ねるのは諦めたが折角ここまで来たので、竹中氏一族の菩提寺である禅幢寺に寄り道していくことにした。

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静謐な菩提山麓に建つ禅幢寺

駐車場に車を停めて門前へとゆっくり歩く。

以前訪れた時は春だったので少し華やいだ雰囲気の記憶があるが、初冬の今は辺り全体がひっそり閑として、そこはかとない侘しさが漂っており、人気のない境内をただ独り歩めば、気持ちが徐々に鎮まっていくのが判る。

境内の奥まった山際が竹中氏一族の墓所で、大小30近い墓石が静かに居並んでいる中、竹中半兵衛(重治)の墓は奥の左端。

小生の記憶では小さな墓石が歳月を物語る風情でそこにあった筈だが、目前の墓は白木の社に覆われて墓石は見えず、何だかこの場にそぐわない感じ。

「何でこんな無粋なものを拵えたんだろう?」とその美的センスの無さに、少し憮然となった。

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竹中一族の墓所             竹中半兵衛の墓

竹中氏は美濃の土着士族で、半兵衛の代に斎藤⇒浅井⇒織田⇒木下と次々に有力大名と主従関係を築き、歴史の表舞台に躍り出て活躍した。

特に、その働きは木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)の軍師としてのものが有名で、人物像が三国志に登場する”劉備玄徳を輔弼した諸葛亮孔明”になぞらえられることも多い。

昔のこと、NHK大河ドラマで”太閤記”が放映されたが、ある回に”高橋幸治扮する信長に命ぜられて緒形拳扮する藤吉郎が半兵衛(役者は覚えが無い)に仕官を薦める為に隠遁する山中の庵を3度訪ねる”というシーンがあったのを覚えているが、これなども三国志の故事である”三顧の礼”を踏襲したものに外ならない。

もしこれが本当にあったことだとして、漢学を深く学んでいた半兵衛はその意味を理解しただろうが、農民からのし上がった身で漢学の知識の無かった藤吉郎が、目下の者を3度訪ねる事の意味を知っていたかどうかは分らない・・・。

 

禅幢寺を後にして今度は竹中氏陣屋跡へ向かう。

ここには明治の初めまでは、徳川の旗本となって6千石を領した竹中氏の陣屋があったらしいが、戊辰戦争の際に建物が明治新政府に没収されて荒廃し、今では陣屋跡として堀と石垣・櫓門が残るのみ。

在りし日の栄華を偲びながら、ここに住むことも無かった竹中半兵衛の像を櫓門を背景にして写真に収めた。

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竹中陣屋跡で睨みを利かす半兵衛像

「さてと、そろそろ帰ることにしよう」と車に戻り時計を見ると、PM2時を少し過ぎた時刻。

思い付きでとんだ寄り道をしてしまったが、もうどこにも寄らなければ3時には居宅に帰り着けるだろう・・・。

 

 

 

帰りに寄り道

 

毎年この時期になると、どこかのTVネットワークで忠臣蔵が放映されるが、少々ひねくれた小生は「またかぁ」とウンザリ。

この出来事って”世間知らずのバカ殿が逆ギレで刃傷事件を起こしてお家断絶、路頭に迷った家来の一部が仇討ちを功績として再就職を狙うも、結局切腹を命ぜられて失敗に終った”というのが偽らざる?事の真相。

それを”勧善懲悪の美談仕立ての物語”にしたのは、客集めを狙った歌舞伎の戯作者で、時代が下って明治時代になり、政府が”忠君愛国”の思想教育にこれを利用した事から、多くの国民の頭にこれがまことしやかな話となって刷り込まれたという訳。

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歌舞伎:仮名手本忠臣蔵の浮世絵

このフィクションで割を食ったのは敵役となった吉良上野介(義央)だろう。

吉良家は足利氏の流れをくむ名門で当時は5千石の旗本。

上野介は高家(幕府の儀式を司る役職)筆頭の教養人で、領国では治水や年貢の減免、新田開発などに努めて領民の生活改善を図ったから、善政を敷く名君として多くの領民から慕われていたらしい。

一方、赤穂浅野家は安芸広島の本家から分家した5万石の外様大名

2代前の藩主が分不相応の城改修をしてから藩財政は火の車で、内匠頭の代になっても貧乏藩の状況は変わらず、財政再建の方策も取らずに領民に重税を課す暴政を敷くものだから、殿様も家来も領民からの受けはすこぶる悪く、刃傷沙汰で浅野家廃絶を知った領民の多くは”手を叩いて喜んだ”という話もある。

忠臣蔵で語られる姿とは真逆の実像。

毎年12月になると上野介は草葉の陰で臍を嚙んでいるのではないか?

「もういい加減にして身共の汚名をそそいで下され」と念じながら・・・。

 

さて、今日は所用があって上石津へ行くことになった。

垂井から養老山地の北縁を回り込んで上石津へと向かうが、この道(R-365)を通るのは久し振りで、4年ほど前に二之瀬のヒルクライム後に三重県側に下って、いなべから上石津⇒垂井へと帰路に走ったのが直近。

山登りをしていた頃は、この道を通って藤原岳や御池岳などの鈴鹿の山にちょくちょく出掛けていたのだが、それが無くなってととんとご無沙汰の道になってしまったのが、自らの老いを反映しているようでチョット淋しい・・・。

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今年はまだ伊吹山が冠雪してないなぁ(温暖化の影響?)

用事を済ませた帰り、このまま直帰するのも味気ないので多良峡へと寄り道をすることにした。

上石津トンネルの手前信号で右折して牧田川に沿った巻道の細道を辿る。

紅葉の時期には頻繁に車が行き交ったであろうこの細道も、今はひっそりとして初冬の風情を色濃く映している。

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牧田川沿いの巻道を行く

巻道から逸れて森林公園への九十九折れを下ると、誰も居ないと思っていた広い駐車場に車が1台ポツンと停まっていた。

「こんな時期に誰だろう?」と己がモノ好きを差し置いて他人を訝しんだ。

少し離れた位置に車を停め、葉を落とした木々の間を抜けて牧田川に架かる吊り橋へとゆっくり歩く。

足首の人工関節置換術を終えて2ヶ月、ようやく杖の支え無しでも歩けるまで回復したが、まだ足首のグラつきを抑えるサポーターは手放せないので、こうして少し足元が 不安定な場所を歩くのも、足首廻りの腱や筋肉を鍛えるためだ。

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多良峡に架かる吊り橋            橋を渡って林内へ

吊り橋を対岸へと渡って林内遊歩道をしばらく奥へと歩いてみる。

鳥のさえずりさえ聞こえない静かな歩道を行けば、落ち葉を踏みしめる少し湿った靴音だけが辺りにジンわりと沁み込んでいく。

「あぁこんな風にして独り山道を歩くのは何時以来だろう?」

高賀山か養老山か?何れも10年以上も前の単独山行だから、もう随分と長く山歩きから遠ざかってしまった事になる・・・。

昔日の想い出に浸りながら初冬のチョット寂し気な林内に眼を遊ばせると、何故か郷愁に似た感情が胸奥深く満ちてくるのを感じた。

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吊り橋から下を見ると・・・

吊り橋へと戻って橋上から川上を見ると、川原に佇む2つの人影があった。

どうやら先に停まっていた車の主らしく、遠目で確かな事は分からないが、微かに立ち上る煙から類推すると火を囲んで野趣豊かに食事を愉しんでいる様子。

「なるほどぉ・・・」こんな時期に川原で食事は珍しいが、誰かに迷惑をかける訳じゃ無い「ゆっくりリフレッシュしてって頂戴よ」と呟いて頼まれもしないエールを2人に送った。

 

「さぁ帰ろう」車に戻って帰途につくが、もう一か所寄り道。

上石津トンネルは1.8kmの長いトンネルだが、途中で地表に出ている箇所があり、其処へは巻道からのアプローチがあるので、チョット寄ってトンネル内を少し覗いてみようと思った次第。

現地に着いて車が出入り出来るほどの大きな開口部(実際は車止めがあり出入り不可)からトンネル内に入る。

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巻道からトンネルへのアプローチ       ぽっかり開いたトンネル開口部

外光が入るので開口部付近は明るく、内部に眼を凝らすと対面の壁際に車道とブロックで区分された1.5mほどの通行帯があり、自転車でも安全に通行出来そうだと判った。

此処に寄り道をしたのは実はこれの確認。 

上石津トンネルの巻道は結構なUp Downがあり、坂が嫌いな小生には疲れた時にはパスしたい道で、そんな時のためにトンネルの通行可否を確認しておきたかったのだ。

”備えあれば憂いなし” これで今日の思い付きの寄り道は、まんざら無駄じゃなかったという事になる。

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そろそろ帰る頃合いか・・・

「それじゃぁ今度は本当に帰ろう」とアプローチを車に戻って運転席で一息。

寄り道で1時間少し時間を使ったが、帰りを急ぐと危ないので「交通安全で行こう!」と自分を戒めた。(最近車の運転に自信が持てなくなってきたので・・・)

 

 

 

 

図書館へ行こかな・・・

 

WOWOWが放映しているドラマ”始皇帝天下統一”に結構ハマっている。(まだ始まったばかりなんだけどね)

時代考証がしっかりしているのか?諸国の王やその一族、また兵馬俑から抜け出した様な兵装の人達もいっぱい登場して、小生が想像する(中国の)戦国時代の風俗イメージとピッタリ。

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兵馬俑となって今も残る秦の兵士たち

漫画の ”キングダム” を読んだことは無いので、これから始皇帝がどの様にして天下統一を果たしていくのか、その間のエピソードは断片的にしか知らないが、呂不韋の失脚や荊軻の暗殺未遂、そして始皇帝の最期がどの様に描かれるか楽しみだ。

これまで、項羽と劉邦三国志水滸伝史記十八史略等々の中国歴史小説や伝記を幾つか読んできたが、そのどれもが面白いのは、彼の国の茫洋とした大地や幾度となく繰り返される戦乱の歴史が脳裡を過るからだろうか・・・。 

 

今日はそこそこ良い天気で、普段なら”何処かへと出かける”ところだが、自転車に乗れない今は車に頼らざるを得ず「どうしようかなぁ」と考えてしまう。

イマイチ出かける気にならないが、かと言って「家で燻っているというのもつまらないし・・・」とあれこれ思案して、結局図書館へ本を借りに行くことにした。

近いのは県立図書館だが、蔵書が古くなった印象があるので、最近では比較的新刊書の多い市立図書館に通っている。

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メディアコスモス(岐阜市立図書館)

エスカレーターで2Fに上がって最初に目指すのは当日返却図書のコーナー。

ここへ来ると、今皆がどんな本を読んでいるか分かるし、たまには掘出し物?の本にも出合うことが出来る。

今日はめぼしい本は無かったので、続いて向かったのは自然科学のエリア。

生物学から医学の棚へと1冊づつタイトルを観ながらゆっくりと廻る。

既に読んだ本もあれば初見の本もあり、大概は興味をひかない本が並ぶ中、面白そうなタイトルの本があったので、手に取って内容を確認してみる。

小生が借りる本を決める基準は、内容が知的好奇心を満たすものであることは当然だが、それが理解できるレベルの記述である事が重要だ。

文章理解力がひどく衰えた今、こ難しい内容を根気強く読んで理解しようとしても無駄なので、前書きに目を通した後、適当なページを開いてそこの文章を読んでみる。

もし「難しそうでよく解らないなぁ」と感じたらそれはダメで、逆に一読だけで文意が淀みなく理解できるならOKという訳だ。

ということで、結局ここの棚からは、微生物に関する本1冊と脳の働きに関する本2冊を借りることにした。

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自然科学関連の書籍エリア

天文関係の棚をチラッと覗いた後は、歴史関係のエリアに移って始皇帝の中国統一前後の書籍を探す。

しかし、曹操劉備が活躍した三国時代の本は何冊もあるが、残念ながらその遥か前の戦国末期~秦天下統一にかけての本は1冊も無かった。

という事は、始皇帝の人生は波乱に満ちているので小説の類は沢山あっても、史実の方はあまり深堀り出来る内容が無いんだろうなぁ・・・。

 

始皇帝がらみの本は諦めて、今度は少し離れた文学関係のエリアに移動。

ここで覗くのは専ら随筆・エッセーと詩歌の棚で、小説の類の棚にはほゞ足を向けないのが最近の傾向。

以前は純文学からSFまで色んな本を読んでいたが、いつの頃からか?作家が創り出した”虚構の世界”を追体験するのに倦む様になり(多分これが精神の老化現象だと自覚はしている)次第にこれらを読まなくなってしまったからだ。

ここでは、知らない著者(多分有名なんだろうけど浅学な小生が知らないだけ)だけど書いてる内容が面白そうな随筆1冊と自由律の句集1冊を借りることにした。

 

もう1冊何かを借りようと新書の棚でめぼしい本を探すが、興味を引くタイトルのものが無いので、あっさりと諦めて「良し、この5冊で終わりにしよう」と貸出機に向かうことにした。

最近は本を読むスピードが遅くなりしかも読解力も衰えているので、興味本位に沢山の本を借りても返却期限までに読み切れないのが実情だ・・・。

 

いつもならこのまま帰るのだが、向かいの市役所新庁舎に展望フロアーが開設されたと聞いたので、チョット寄り道をしていくことにした。

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岐阜市役所新庁舎

エレベーターで17Fに上がって細い通路を回り込むと、建物北側に広いフロアーがありそこが展望スペースだった。

眼下を清流長良川が流れ、岐阜市北部の市街地の向こうに美濃の青い山並みが幾重にも重なって綺麗に見える。

その青い山並みの向こうに雪化粧の能郷白山が顔を出し、白く雪をまとった山稜をしてその存在感を誇示している様にも思えた・・・。

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展望フロアーから北東方向の眺望

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展望フロアーから北西方向の眺望

あと一月もすればこれらの青い山並みも全て白銀に包まれることだろう。

「そんな頃にもう一度来てみよう」と心密かの思った・・・。