風を道連れに

☆あるボッチローディーの独り言☆

宗教ってどうよ

 

自民党と旧統一教会の関わりが連日TV等で報道されており、それを見聞きする我々の心理としては”チョット食傷気味の感無きにしも非ず”と言えそう。

同教会シンパの議員(何人かはいる)は別として、多くの議員は”選挙に利するなら”の軽い気持ちで関わりを持ったというのが偽らざる真相であると思うが、相手が問題の ある団体だけに、そこは”多くの団体の一つで・・・”などと説得性に欠ける言い訳を せず”相手を見極める慎重さに欠けていた”と真摯に反省し自戒を深くして貰う必要が ある。

梓川の流れも涼やかな夏の上高地(image)

この宗教団体には小生の知人も入信しており、会社(東証一部上場企業)勤めを辞めて信仰生活に入ると言い出した時には、思いとどまる様に随分と説得したのだが、結局は聞く耳を持たずで会社を辞めてしまった。

それ以来(40年ほどにもなる)彼とは全く音信が途絶えてしまったが、今頃彼は何処でどんな生活をしているのだろう?

統一教会が世間で話題になると思い出す苦い記憶の一つである・・・。

 

多くの人はなぜカルトにハマるのか?

孤独・不安・死への恐れ・・・等々、人を宗教へと導く心理的な要因はそれぞれだが、その根底にあるのはスピリチュアルなものへの是認と傾倒。

元々宗教は超越的な存在(神仏)に帰依することで人々の精神救済を図るものであるが、カルトはそこに罪の意識を植え付けて、それを救済する存在(或いはその代理者)への絶対的服従(滅私奉公?)を強要するのが特徴だ。

以前何かのアンケートで見たが、回答者の7割は霊的なもの(例えば幽霊とか)の存在を信じている(何とまぁ)という結果だった。

その是非は別として、案外こんなところに人々がカルトにハマる素地があるように思うのだが・・・。

露に濡れたチングルマは可憐さが引き立つ

小生の様な信仰心の無い者は、例え何かを神仏に願い頼ったとしても”それを解決するのは所詮自分自身でしかない”と根底では思っているから宗教に深入りすることはまずない(と思う)。

しかしこれって結構辛いことだ、特に生い先が短くなるとね・・・。

 

さて、2週間余り”じじばば”と過ごした孫2人が東京へ帰って行ったのでまた静かな日常が戻ってきたが、それがかえって虚無感を呼び覚まして寂しさが募る。 

年寄りって面倒なもんだ、煩わしい事にはもうウンザリしているのにそういう煩わしさをどこかで求めていたりするのだから。

 

さぁ明日からライドの再開。

その前に、ひとまずは足慣らしを兼ねてローラー台で1時間ばかりバイクを漕ぐことにした。

しばらく運動をサボったけど脚の調子はどうかなぁ・・・。

ヨーロッパアルプスも良いねぇ(ユングフラウと登山鉄道)

 

 

 

 

 

ゲーム三昧でいいの?

 

この夏も東京から孫(小4と小2)が遊びに来た。

今年の冬に続いて2度目の子供だけの帰郷?で、冬は1週間だったが今度は2週間の滞在と日数が増えた。(親子で味をしめたかな?)

親が共働きで昨年までは学童保育で面倒を見て貰っていたが、上が4年生になって学童保育の対象外(4年生児以上の兄弟がいると2年生児も対象外になる)となり、夏休みの期間中は子供たちだけで家に居ることになるため「それはちょっとマズイので」と次女から相談があり、それならば「じじばばが少しの期間預かるよ」と子守?を引き受けたのが事の次第。

モネの池(関市板取)

親元を離れて4~5日も経つとホームシックに罹るのでは?と危惧して、色々と日替わりイベント(プール,遊園地,水族館,ボーリング,ラフティング,ダム見学等々)を用意して 待ち構えていたのだが、1週間が過ぎてそれが杞憂だったことが分かった。

2人とも楽しそうに毎日を過ごしており、今のところ帰るのを心待ちにしている気配は微塵もなさそうだ。

それは何故か?答えはゲームとネットにある。

朝起きてから寝るまで時間さえあればSwitchやiPad、ノートPCでゲームをしたりYouTube(ゲーム実況)を見ており、まさに“したい放題”の日々なのだから帰りたい などと思わないのは当然といえば当然。

 

「これじゃぁいけないなぁ」となるべく外へ連れ出す様にしているのだが、用が済むと即刻家に帰ると2人で言い出す始末で、ゲームやネットから遠ざける試みの成果は期待できなさそう。

コロナ禍で家に居ることが増えて小学生でもネット(ゲーム)依存の兆候を示す子らが増えているというが「まさかこの孫たちもその予備軍なんてことはないだろうなぁ」と少し心配になる。

それに付けても、若年層を中心にネット(ゲーム)依存がかなり大きな社会問題として認識されるのに、その元凶となるオンラインゲームにはなんら規制が入らないのは何故だろう?不可解といえば不可解だ。

強権的な中国では、その弊害の蔓延を防ぐべくすでに規制されているのにねぇ・・・。

木曽長良背割堤のグライダー滑空場

まぁそれはさておき、孫たちがじじばばと過ごすのもあと1週間、親が迎えに来れば ワイワイガヤガヤの声も消えてまたいつもの年寄りだけの静かな生活が戻ってくるが、それを思うともう今からちょっぴり寂しくなる・・・。

 

さて、この1週間はライドに出るまとまった時間が取れなかったので、折角64kg前後 まで減らした体重が1kg近く増えてしまった。

「こりゃぁマズイなぁ」とローラー台で1時間ほど汗を流してみたが、その程度の運動では増えた体重を減らすには“焼け石に水”でほゞ効果は無し。

体重を減らす努力に比べ増やす容易さは不釣合いだなぁと、ちょっと厚くなった腹回りの脂肪を抓みながら恨めしく思う今日この頃である・・・。

 

 

 

郡上八幡久し振り

 

♪夏になると思い出す遥かな尾瀬遠い空~♪

若い頃(今から40年以上も前)は、この時期になると山仲間を誘って3泊4日ほどの山旅(縦走)をするのが愉しみだった。

行先は主に北アルプス南アルプスで、数日間を山中で過ごすと最終日は下山して日常の生活に戻るのがとても残念に思えたものだ。

唐松岳の雄姿(北アルプス後立山連峰

山歩きは本当に楽しい遊び?だがその遊びは危険と隣り合わせでもある。

30数年の山歩きキャリアの中では、登山中に不測の落石に当たってケガした人を幾人も見てきたし、どこそこで人が滑落したとの報も何度も耳にした。

恥ずかしながら小生も雪渓を数十m滑落したことがあり、その時は指の爪を剥がすケガで済んだが、一歩間違えば大怪我を負っていたかも知れないと思う。

夏の山では雷も怖い。

とある夏に笠ヶ岳双六岳槍ヶ岳へと縦走した時のこと、双六小屋の手前で雷に遭遇した。

雷鳴はどんどん近づいてくるが山小屋まではまだ1kmほどもあり、身を隠す岩とてない稜線上を行く恐怖をひしひしと感じながら小走り気味に歩を進める。

やがてポツリポツリと雨が降り出し”万事休す”次第に強くなる雨と響き渡る雷鳴の中を全速力で走って何とか山小屋へと飛び込み事なきを得た。

その夜食堂で友人と談笑しながら寛いでいると、全身ずぶ濡れで疲労困憊といった様子登山者が1人入ってきた。

山小屋の主人との会話に聞き耳を立てると、どうやら双六谷にイワナ釣りに入って道に迷ったらしく、戻り道を求めて数時間谷筋を彷徨い歩き辺りが暗くなった頃にようやくここにたどり着けたとのこと。

そう話す彼の頬には明らかに雨のしずくとは違うもの(多分安堵の涙?)が一筋伝っていた。

悪天候などで道に迷った挙句遭難する危険度も高い山になるほど増す・・・。

 

さて今日は涼しさを求めて郡上八幡への長良川遡上ライド。

岐阜から郡上を往復すると走行距離は約140km、小生の通常のライド時間内(最長で 5時間)では走るだけ(つまらないし必死の脚力が必要)になってしまうので、いつも走る美濃までは輪行することにした。

 

小倉公園の木陰に車を停めバイクを手早く準備して出発。

R-156は路側帯が狭く車の通行量も多いので自転車の走路としては不適、多少遠回りでも長良川沿いの抜け道を走る方が安全だし林間の道は涼しくて気分も上がる。

長良川に沿って走るR-156の抜け道(美並町大原付近)

この道はその昔スキーに熱を上げていた頃に道路渋滞の迂回路として頻繁に走ったが、当時と変わらないところも大きく変わったところもあるので「そうだこうだった」とか「あれっこうなったのか」と記憶と実像を対照しながら走るのも結構愉しい。

 

みなみ子宝温泉郡上八幡までの道半ばなので線路脇にバイクを停めチョット一休み。

長良川鉄道みなみ子宝温泉駅(駅舎の奥が温泉施設)

ここは長良川鉄道の駅舎が温泉施設に直結している一風変わった日帰り温泉で、お湯は弱アルカリ性単純泉と小生好みの”ぬるり”泉質。

露天風呂にノンビリ浸かっていきたいところだが、ここで浪費?する時間は元より無いのでまたの機会にしようと諦めて先へ進むことにしたが「あぁ残念だなぁ」との思いに無い後ろ髪?が引かれた。

 

美並の手前で走路を右岸側に替え幅広になった道を快調に走っていると、何やら川から歓声が聞こえてきた。

激流に揉まれて進むラフティングボート

視線をそちらに投げると丁度ゴムボートが激流を下っている最中で「ラフティングかぁ面白そうだな」と興味深々にしばらく眺めた。

昔は川遊びと云えば泳ぐか魚釣り位しか無かったが、今では色んなアクティビティーがあって「ある意味好い世の中になったなぁ」と独り納得。

この夏休みに東京から孫達が遊びに来るので「連れてきてやるかぁ」と決めた。

 

川に沿って線路と道が並走するようになると郡上八幡は近い、その安心感が脚力に作用したか?軽くなったクランクを軽快に回して街中へと急いだ。

レトロな雰囲気を残す郡上八幡駅にちょっと寄り道

郡上八幡を訪れるのは何年振りだろう?記憶にないほど昔のことだが、何故か町並みは以前とほとんど変わって無いような気がする。

例年8月の盂蘭盆会に徹夜踊りの会場となる新町や昔ながらの古い町屋が残る鍛治屋町職人町をバイクを牽いてゆっくり愛でながら周遊した後は、小高い八幡山上に建つお城に向かってプチヒルクライム

街中を流れる清流吉田川(前日の雨で少し濁っており残念)

ひと汗かいて辿り着いた郡上八幡城には懐かしい思い出がある。

後年才能が無いと自覚して絵道具は全部捨てたが、小生は中学では美術部員だった。

顧問は西垣先生という定年真近のおばあちゃん(と当時は思っていた)で、その先生の引率で夏休みに写生旅行に来たのがこのお城。

あの頃は家族での旅行や遠出さえ数少ない時代だったので、郡上八幡という未知の地を訪ねるワクワク感に妙に胸が躍った記憶がある。

岐阜乗合(当時)の路線バスに揺られて来たことや高塀ごしの天守を写生したこと等が少しキツイところもあった西垣先生の笑顔と共に鮮明に思い出されるが、果たしてこの記憶どこまで正しいのやら?

城下町郡上八幡は山あいの情緒あふれる街

城山を下ったらそのまま帰途につくつもりだったが、何だか走りが物足りない気がして郡上大和まで足を伸ばすことにした。

往復20kmほどで時間にすれば40分弱「まぁ自己満足のためだからこんなもんかぁ」と独り呟いてペダルを踏む脚に力を込めた。

風を切って走るその感触が何とも気持ち好い・・・。

 

 

 

 

 

ちょっと海まで

 

米国で家族を伴った研究留学生活をおくる長女が、第3子を来年2月に出産の予定だとTELしてきた。

「えぇ2人の子で手一杯の筈なのにもう1人かよぉ」と思いつつ「米国で出産となると こりゃぁ大変だぞぉ」と数ヶ月先のことながら少し心配になる。 

米国の出産を取り巻く環境は日本と比べてかなり厳しく、産前・産後休暇(日本の場合は6週・8週)は無しで産休育休合わせて12週のFMLA休暇(但しこの休暇中は無給)が制度上認められている(適用もかなりシビア)のみ。

多くの母親は経済的な理由から出産直前まで働き、産後も2週間ほどで職場復帰を余儀なくされていると言うから「これじゃぁ母体保護も何もあったもんじゃぁ無い」と思うが、これが女性の社会進出が進んだアメリカという国の現実だ。

また出産に合わせて妻が手伝いで渡米するかどうかも悩ましいところ。

現在2人の孫の日中の世話は専業主夫となった娘婿がしているが、ここに長女と乳児の世話が加わればお手上げ状態となるのは眼に見えてるので、短期間でもこれを回避するには妻に御足労願う(恥ずかしながら小生が行っても何の役にも立ちそうにないので)のは止む無しなのかなぁ?

 

何はともあれ孫が増えるのは”おじい・おばあ”には嬉しい出来事。

東京に住む次女の子が3人なので来春に長女が第3子を産めば孫は6人になる。

コロナ禍等もあって家族全員が顔を揃える事が無くなって3年あまり、日々淋しい思いをしているので、数年先?には訪れるであろう会合の日を今から首を長くして待つことにしよう・・・。

 

さて、今日は煩わしい走路は避けてただ気持ちよく走ってみたい気分なので、長良川木曽川の堤防道路を伊勢湾河口まで”ひとっ走り”することにした。

天気はピーカンじゃぁ無く風も穏やかな感じなので、このところ体力的な衰えを覚える様になった小生には有難いまずまずの天候だ。

長良川左岸堤防道路を南へ走る(羽島市桑原町付近)

羽島から先の長良川左岸堤防道路は車の通行が少ないので自転車が走り易い道。

そんな道だからカメやヘビ等が道路を横断して居たり、イタチやタヌキが路傍に佇んでいたりすることが時々あるが、今日目の前をモソモソと通り過ぎたのはヌートリア

夜行性なので日中見掛けることは稀だが、あの ”ドブネズミの親分?” みたいな容姿は 間違い無くヌートリアだった。

生態系に影響を及ぼす特定外来生物に指定されているが、繁殖力が強いので「こんな所にも出没する様になったのか」とチョットびっくり。

それにしても、風土に適応すると瞬く間に周辺へと拡がっていく外来生物の生命力には感嘆するほかないなぁ・・・。

平日の木曽長良背割堤は走路を独り占めして快適に走れる

木曽長良背割堤は土日には多くの自転車乗りが行き交う人気の走路だが、平日はそれ程でもない。

だから小生がここを走るのは専ら平日で、幅広の走路を独り占めしてあれこれと夢想に浸りながら快走(速く走るでは無く気持ちよく走る意味で)するのは実に愉しい。

今日も視界に入る限り人影は見えず小生の走りを妨げるモノ?は無さそう。

「よし快走するぞぉ」とクランクを踏む脚に力を込めると、長良川側からそよ吹く微風がそっと背中を押してくれた。

定番の休憩場所(船頭平公園の東屋)でちょっとbreak

船頭平公園で一休みした後は長良川沿いを河口へと走る。

この堤防道路からは鈴鹿の山並みが見渡せるので、山好きの小生はそれを ”チョイ見”  しながら走るのが常なのだが、今日は生憎と雲がかかって良く見えずガッカリ。

思えばロードバイクを始めて1年位は前を見て走るので精一杯、とても周囲を見る余裕は無かったが、いつの間にかlook upどころかキョロキョロと辺りを見廻して走るのが 習い性となってしまった。

前方への視線や後方への注意を怠ると危険なのは解ってはいるが、この性癖?なかなか治らないもんだ・・・。

運用開始から25年、今も生物多様性等幾多の問題を抱える長良川河口堰

長良川河口堰を過ぎると狭く危険な堤防道路は避けて堤下の路地道を走る。

まだ海岸までは6kmほどの距離を残すが、この辺りまで来ると空気に微かな粘り気や 潮気を感じるのは気のせいか?

ここにきて一気に晴れ渡った上天からはギラギラとした太陽が照り付けるので、先ほどまで感じなかった疲労感が急に身体を包み込んでいく様だ。

「もう近いからユックリ走るかぁ」と自分に言い聞かせてギアを1段落とした。

さざ波が寄せる護岸に人影は無く、ただ茫洋とした海があるのみ

ナガシマスパーランドの横を抜けて護岸堤に上がると目の前に伊勢湾が拡がった。

「久し振りの海だなぁ」と海上に目を凝らすと10隻ほどの船舶が航行しており、その内の1隻は大きなLNG運搬船

「まさかロシアのサハリン2から来た船?それともオーストラリアかマレーシア、案外カタールかも知れないな」と勝手な想像をして愉しんだ後、目をセントレアのある海上に向けると丁度旅客機が1機離陸したところだった。

しばらく機影を追うとこちらに向かってくる様子で「と云うことは国際線かぁ、中国かヨーロッパだな」とこれまた勝手に行先を想像、轟音を残して頭上を飛び去るジェット機を見送りながら、昔訪れた彼の地を思い出して束の間の旅愁に浸った。

 

15分ほどノンビリ休んだので長居は無用と帰路につくことにした。

取り敢えず立田大橋までの走路は木曽川沿いの道を行くことに決め、堤防道路を北へと走っていると堤下の茂みに立つ異形のモノが目に入る。

人知れず路傍の茂みで花開いたリュウゼツラン

「えっあれってリュウゼツランの花じゃないか!」

数十年(30~50年)の年月を経て開花したリュウゼツランを、たまたま通った路傍で 見付けるなんて偶然はそうそうあるもんじゃぁ無い。

これは貴重な被写体だとばかりに写真を数枚撮影したのだが、それにしてもこんな所?でひっそりと咲いたリュウゼツランの花、見てくれる人も少なく枯れていくのは何だか可哀そうな気がする。(というのは人間の感傷に過ぎないか)

 

今日のライドでは、日中見るのは稀なヌートリアを目撃したりリュウゼツランの開花を見たりと偶然が重なった。

「こりゃぁ宝くじを買ったら大当たりするかも」とまた別の偶然を期待したくなるのは小生のさもしさの現れなんだろうなぁ・・・。

 

 

 

近頃気分は曇り空

 

先日不慮の死を遂げた安倍氏国葬する方針と岸田首相が表明した。

自民党内の一大勢力である保守強硬派の意向を慮ってのことと推察されるが、そこには同氏を ”悲劇のヒーロー?” に仕立て上げて、国民の中に今も燻り続ける ”安倍疑惑” に終止符を打とうとする政治的思惑も見え隠れする。

 

果たして実像の安倍氏国葬に値する偉業を成した人物だったのか?

7年8ヶ月にも及ぶ長期政権が民意に基づくものであったことは否定しないが、それが そのまま彼らの政権運営や政策をもろ手を挙げて肯定したことには繋がらないと小生は思っている。

森友・加計・桜を見る会・河井夫妻選挙買収等々と、数々の疑惑に一国の首相の立場にあり乍らも関与(何れもクロが濃厚)して、しかもその説明責任すら果たそうとしない不見識と厚顔(これは政治家の資質かも?)には唯呆れるしかないし、その鳴り物入りで推進した経済政策 ”アベノミクス(①大胆な金融政策②機動的な財政政策③民間投資を喚起する成長戦略の3本の矢)” も当初期待されたほどの成果は生まず、今ではその 金融政策と財政出動で過大に膨らんだ国の借金が、健全な経済政策を実施する上での枷となって我が国の将来を危ういものにしているからだ。

長良川左岸の遊歩道から金華山を望む

確かに安倍政権時の経済政策を今でも評価する向きが一部にはある。

政権前の株価は1万円台前半で低迷しており、それがアベノミクスで2万円台を回復して多くの企業が苦境を脱したのは事実。

またこれによって働く者にとって重要な指標である有効求人倍率も改善された。

しかしこれで実際に得をしたのは投資家と大企業に繋がる人達。

投資等に回す余剰蓄財を持たない絶対多数の国民は株価上昇の恩恵に何ら浴することは無かったし、求人の穴埋めに主に雇用されたのも低賃金にあえぐ非正規労働者で、企業にとって都合の良い(使い捨て自由の)人達が更に増えたというのが真の姿。

 

また、安倍政権は国内の”貧富の差”も増大させた。

年間平均賃金の国際比較を見ると、アベノミクス以前の日本は世界第5位の賃金レベルだったが、今では30位とOECD経済協力開発機構)加盟国中で最下位の38,500ドルであり、これは米国(70,000ドル)の約半分で韓国(42,000ドル)よりも低賃金。

以前に比べ国民の貧困率は確実に増えているのに、この政権はそれへの対策よりも法人税率の軽減や高額所得者の累進税率の軽減といった ”富める者” に配慮した税制改革を 推進し、これによって不足する税収入を消費税(所得に関係なく一律に課税する不公平税?)のUPと乱発国債(この買い入れで日銀は機能不全に陥っている)で補填してきたのだ。

緑陰の道を走れば疲れが和らぎ気分もリフレッシュされる

何でも ”長い物には巻かれろ” 式にことを収めるのが日本人の特質だが「駄目なものは ダメ!」と言うのが世界の常識。

小生としては「安倍氏国葬反対!」の声が、この政権よって虐げられてきた国民の間で潮の如く拡がってくれることを期待しているのだが、ここ数日の動きをwatchしてもその兆候はほゞ無し。

「あぁ何とも嘆かわしい人々の従順さだなぁ」と独り愚痴るばかりである・・・。

 

さて今週は雑用と天候不順でライドに出る事が叶わず、止む無くローラー台でバイクを漕ぐだけだった。

部屋の中だとローラー台の発する音を家人が嫌うので場所はガレージだが、漕ぎ出して15分もすると体温が上がって腕や額から汗が滲んでくる。

外を走っていると風が汗を蒸発させてくれるので気にならないが、ローラー台で漕いでいるとこの汗の処理が結構煩わしい。

汗が身体から吹き出すようになると、5分おきに顏や腕を伝い落ちる汗をタオルで拭わなければバイクの周りは滴り落ちた汗で水溜まりが出来てしまう。

おまけにシフトグリップも汗で濡れて滑るので、ライディングポジションを維持するのも楽じゃぁ無い「全くこの汗何とかならないの~」とブツクサ不満を漏らしながらクランクを回し続けた。

谷川の瀬音に癒されて走るのも山道ライドの愉しみ

BGMをワイヤレスイヤホンで聴きながら約1.5時間、45km/hr-85rpm前後で続けてきた負荷に脚が疲労を感じ始めたらその日のトレーニングは終わり。

シャワーを浴びたあとは、体重計に乗ってweightを確認するのが最近のルーティンで、ここ1ヶ月は64kg前半~63kg後半で推移している。

5ヶ月前には体重が74kg前後あって、4ヶ月で-10kgの減量が出来た訳で、それ自体は素直に嬉しいのだが「何だか貧相になったなぁ」と鏡に映った身体を見て思う。

腕・胸・腹おまけに脚も皮下脂肪が少なくなった様だが、ついでに ”皮膚の張り” も一緒に無くなった感じ。

「年寄りが更に年寄りっぽくなっちまったなぁ」と自嘲気味に呟き独り笑ったものの、 これって本当に身体に良いことなんだろうか?・・・。

 

 

涼を求めて根尾へ

 

円安がなかなか止まらない。

金融政策の舵取りを担う日銀の不作為でこの傾向が当分は続く見込みで、経済専門家の一部には140円台まで進むとの悲観的観測もある。 

この急激な円安に海外通販での物品購入を控えていたが、どうしても(と言うほどではないか?)欲しいものがあったので、背に腹は代えられず”清水の舞台から飛び降りる” 気分でポチった。

この3ヶ月あまりで海外通販での物品価格は約2割もUPしたので、小遣い原資の懐には かなり痛い出費増となるが致し方ない。

為替相場(レート)では過去に幾らか儲けさせて貰ったが、ここにきてそのしっぺ返しを受けたという恰好で”因果応報”世の中上手く出来ている。

 

安倍元首相が凶弾に斃れてこれまで異次元金融緩和を主導してきた勢力の大きな部分が欠けたが、これによって国の経済運営の方向性が変わり”沈みかけの船:日本丸”が再び喫水線を回復して動き出せるかどうかは微妙なところ。

国の放漫財政を支えるため日銀が買い入れた国債は緩和前の5倍(500兆円)に膨らみ、これが重しとなって日銀は本来目指すべき健全な金融施策を打てなくなっている。

参院選では相変わらずの現状維持が民意?で、小生の失望感は募るばかり「あぁ何とも暗澹たる日本の将来・・・」と独り愚痴るしかない・・・。

 

毎日暑い日が続くので、今日は少しでも「涼しいところを走りたいなぁ」と思って根尾能郷へ向かうことにした。

居宅(岐阜市)から山辺までは20kmほどでここはどう仕様も無いが、その先は根尾川沿いの林道を行けば、陽射しを遮るものの無い道を走るよりは随分と涼しく快適気分で走れる筈だ。

 

墨俣から五六川沿いの道を瑞穂へと駆ける。

緑陰も涼やかな五六川遊歩道の走りは快適

ここの川沿い遊歩道は気持ち良く走れるので度々通るが、1/4~5回の頻度で遭遇するのはパンの焼ける香ばしい匂い。

この匂いを嗅ぐと”ほのぼのとした感じ”みたいなもので身体が包み込まれるが、今日もその不思議な幸福感を束の間鼻腔で感じながら其処を通り過ぎた。

「パン屋さん有難う」また今度このいい匂いを小生に嗅がせて下さい・・・。

 

谷汲長瀬からr-255(根尾谷汲線)に進路をとり、軽快に走って高科を通過すると道は いよいよ林道に変わる。

根尾川の渓谷に沿って林道は続く

思ったほど涼しく無いがこれはまだ身体が火照ってない証左で、今気になるのは身体の熱さよりも太腿の軽い疲労感。

「昨日の疲れが残ってたかなぁ?」とローラー台で1.5時間ほどバイクを漕いだことを 後悔するが、今更悔やんだところでこの疲労感が跡形も無く消え去る筈も無い。

「ここは無理しない様走るしかないなぁ」と ”走る気合?” を緩めてユックリ走ろうと する自分を自ら弁護する様にそっと呟いた。

 

季節外れで閑散としている淡墨公園の横を抜け根尾川右岸の山際を更に上流へと走る。

この林間の道は熱い陽射しも届かずひっそり閑としており、脚の疲労と気温上昇で少しバテ気味になってきた小生を涼風で癒すと共に、ダレる気分も整えて活力回復を図ってくれるのも好ましい。

バテ気味の身体を緑陰で癒しながら走る

ユックリ走って日陰の恩恵を充分堪能したあとは大井集落の先でr-270(藤橋根尾線)と合流。

このまま進めば馬坂峠を越えて徳山ダムに至るが今日の行先は根尾能郷、あと少し林道を走って右折しR-157に合流すれば残り3kmほどで到着だ。

創建以来1300年の歴史を秘めて佇む能郷白山神社

「あぁやっと着いたかぁ」という感じの能郷白山神社で、社殿の敷石に腰掛けて疲れを癒しながら「ここに来るのは何年振りだろう?」と思いは過去へ飛ぶ。

山歩きに親しんでいた頃は何度も能郷白山(1,617m)に登ったが、特に思い出される のは在る年の単独行での春山登山。

朧げな記憶では時期は4月初旬で、まだ残雪が多く登山口までの約3kmはひざ丈ほどの雪道、数日前の登山者のモノと思しき踏み跡があり、それをトレースして4時間ほどで頂上に着いた。(んじゃないか?)

山頂には誰もおらず独り雪上に座って360度の展望を愉しみながら腹ごしらえ、しかしここで長居し過ぎたのが悪かった?急に雲行きが怪しくなって下山を開始したが前山を過ぎた辺りで濃いガスが周りを覆いつくす事態に。

視界は20mほどで足元は雪面、広い尾根なので地形がぼやけて判らず視線を数m先へと置いて下るうちに谷筋へ下りる分岐を見落とし通り過ぎてしまった。

「どうもおかしいぞ」と気付いたのは数分後、既に何百mも分岐点から離れておりすぐさま引き返すが、尾根筋をあちこち彷徨った挙句ようやく正しい下山ルートを見付けたのはそれから30分ほどあと「あぁ良かった」と胸を撫で下ろしたものの、一歩間違えば遭難騒ぎでニュースにもなりかねない重大チョンボだった・・・。

開運橋(根尾樽見)から遠望した能郷白山

道はこの先3kmほど奥へと続いているが、今日は能郷白山へ登るために来た訳じゃぁ 無い(いつかまた登りたいと思ってはいるが)ので、進むのは此処までとして引き返すことにした。

帰路はR-157を木知原まで走り、そこからは本巣⇒北方と幹線道路と並走する抜け道を走って岐阜市街へ至るルートを想定。

寄り道さえしなければ2時間チョットあれば帰り着けるだろう。

 

「よし帰るぞぉ」と気合を入れたがWater bottleは飲み干して空、喉の渇きはそろそろ限界点に近づいているのでどこかで自販機を見つけて水分補給しなくっちゃぁ・・・。

 

 

 

謎の疲労感が・・・

 

先日、炎天下を90kmほどライドをしてからどうも身体の疲れが抜けきらない。

当日の気温は35℃超えで、ライド中の水分補給は通常の3倍もしたのに、走っていると口は直ぐに乾くし、中盤からは太腿に疲労が溜まって終盤にはクランクを回す脚に力が入らなくなった。

推測だが熱中症寸前のところだったのかも知れない? 

その時に受けた身体ダメージが数日を経てもまだ残っているということなのだろう。

「無理の効かない身体になったなぁ」と自らの老いを自覚しつつも、チョッピリ淋しい気持ちで日焼けした腕を見ている・・・。

 

さて今日は久し振りに二之瀬に向かうことにした。

基本的にヒルクライムを好まない小生が”山登り”目的のライドをするのは年に2~3回とわずかで二之瀬へいくのは一昨年以来だ。(昨年は足のケガや手術などでライド自体が少なかった)

二之瀬のある南濃町までは最短コースだと28kmほどだが、いつもの様に調子に乗ってスピードを上げて走ると脚に疲労が溜まってヒルクライムが辛くなる(前回行った時がそうだった)ので、今日は30km/hrを超えない様に時々サイコンのスピード表示を見て走る。

曇天なので走る爽快感は半減という感じだが、それでも移り変わる景色に視線を送れば気分も晴れるというもの、遠く養老の山並みを覆っていた層雲も少し薄れてきた様だ。

先刻まで雲の中だった二之瀬越も少し見えてきた

津屋川を渡り養老鉄道に沿った間道を南に進むと庭田の交差点に出る。

ここからはじまる南濃北勢線(r-25)のうち、二之瀬越(峠)までの登路区間が近在の ヒルクライマーに人気の”二之瀬ヒルクライム”のコース。

起点となる巖崎神社まで走って一休みしていると、ローディーが1人二之瀬越方面から下ってきてそのまま目の前を通り過ぎていった。

それを見送りながら「もう何人かが登っているのかな?」と推測に頭を巡らすが、今日は平日だから「いても3~4人だろう」と結論して勝手な想像に終止符を打つ。

二之瀬ヒルクライムは巌崎神社の鳥居前がスタート地点

5分ほどで小休憩を切り上げて出発。

始めは2%ほどの緩い登りが1km近く続くので、重いギアのまゝスピードを上げて走り たくなるが、Time狙いでは無く”足つきなく楽に登れれば善い”だけの小生はここは隠忍自重して1段軽いギアを選択して登る。

途中の工事現場では警備員のおじさんが「また1人モノ好きが来たなぁ」という顔つきで見送ってくれたので、頭を軽く下げて返礼しつつ「本当に坂道が好きなんてのは変人だよなぁ」と独り言を呟いた。

進むと共に徐々に斜度が上がり土砂採掘場との分岐を越えると6~8%が続く様になる。

ここまでは34T×28T(ギア比1.214)で登ってきたが「無理をしてもしょうがないぞ」と自分に言い聞かせてリアを32T(ギア比1.063)に落とし臨戦態勢?に入った。

ここからの4kmほどが二之瀬の本番、ギアと共に気持ちも入れ替えないと坂嫌いの小生の脚力じゃ登れない。

行手の激坂?を見ると気持ちが萎えるが淡々と登るしかない

スタートから約4km地点、通称:水飲み場のカーブを過ぎると斜度は8~10%に上がるのでシッティング位置を前寄りに移動、こうすると随分楽にクランクが回せるため足首の故障でダンシングが出来ない小生にとっては必須の登り走行姿勢だ。

残り1kmの目安となる”地蔵さんの祠”まで300mほどの地点に来た時である、突然両腕に違和感を覚え「しまった来たかぁ」と思う間もなく、ものすごい疲労感が腕⇒胸⇒脚と一気に拡がって全身を包み込んだ。

へたり込みたいほどの身体状態なので、こうなったらとてもじゃないがバイクを漕いでなどいられず、即刻停まってハンドルに凭れかかり深呼吸しながら”疲労感の嵐”が過ぎ去るのをじっと耐えて待つしかない。

幸い1分半ほどで激烈な疲労感が徐々に引き始め、3分もすると身体は何事も無かった様に元の状態まで回復したが、この突然に襲ってくる耐えられないほどの疲労感の原因は何だろう?

この前に起こったのは2ヶ月前のローラー台トレーニングの最中、45km/hrから50km/hrへスピードを上げてしばらくしてからだったが、その前の発症なども合わせて考えて みると、どうやら心拍数が上がると共に呼吸が乱れた時に、往々にしてこの身体症状が出る様だ。

自律神経失調症か?はたまた心臓疾患の前兆症状か?単なる老化現象の一症状なら良いのだけれど、やっぱり精密検査をして貰う必要があるのかなぁ・・・。

路傍に建つ地蔵尊祠(小生をじっと見守っていてくれたかな?)

5分後には気を取り直して登りを再開、ゴールは近いがまた発作?で停まるのは嫌なので、一定のリズムでクランクを回しつつ呼吸が乱れないスピードを意識してmy paceで登る。

ようやく斜度が緩んでカーブを曲がるとゴールの庭田山頂公園はすぐそこ、最後はギアUPしてラストスパートし時間を見ると、スタートしてから37分ほどが経過していた。

途中の身体異変でやむを得ず停まっていた時間を差し引けば、小生にしてはまずまずのTimeでチョッピリ自己満足「よしチョット休むとするかぁ」とバイクを牽いてベンチへと向かった。

鳥のさえずりが聴こえるだけの静かな庭田山頂公園

山頂公園には先着のローディーが1人いたが彼が帰ると小生だけ。(ぼっちローディーにはそれが常態なので特に淋しくも無いが・・・)

奥の展望台までいくかと思ったが「どうせ曇天で展望は良くないだろな」と思い直してベンチでノンビリ休んでいると、静かな空間にウグイスの囀りが時折飛び込んできて、瞼を閉じると深山幽谷にいる様な錯覚を覚えさせてくれる。

 

20分近くも休んで「チョット長く休み過ぎたなぁ」と後悔しつつ下山を開始。

ここの下りはチョット苦手、急坂で直ぐスピードが出るのでブレーキをかけ続けなければならず、次第に指に力が入らなくなるからだ。

対策としてジグザグに走ったり、途中で何度か停まって写真を撮ったりするのだが、 それでも麓に着くころには指が痛くなったり痺れたりするのは避けられない。

誰か”下りの上手な走り方”何てのをYouTubeにあげてくれないかなぁと常々思っているのだが・・・。

ヒルクライムは下りもソコソコ疲れる

地蔵尊祠の手前と水飲み場のチョイ先で登ってくるローディー各1人と擦れ違い、今日見掛けたクライマーは計4人。

まぁ1.5時間ほどのあいだの事だけど、平日で曇天の悪条件?が重なれば人気の二之瀬もこんなもんかなと独り納得。(実は小生としてはこれを狙って来たという側面もあり願ったり叶ったりだが) 

さて、天候はここにきて少し回復気味なので、帰路は養老へと少しばかり遠回りして みるとするか・・・。