風を道連れに

☆あるボッチローディーの独り言☆

新年早々愚痴る

 

年明け早々風邪に罹患してしまい、診察を受けに医院に行った以外はほゞ外出をせずに1週間以上が過ぎてしまった。

歳をとると基礎体力が低下するだけでなく気力?も一緒に衰えて、行動に無意識の制限がかかるのが「何とも情けない感じ」と言ったら若い人には笑われるかも知れない。

しかしまぁそれが年寄りの現実で、このところ顕著に疲れを感じる様になった小生としては、「これは素直に受け入れるしかないなぁ」と諦めざるを得ないのだ。

 

それはともかくとして、元日の能登半島地震では、小生の住む岐阜辺りでも震度3~4の揺れがあり、そのユサユサと続く振幅の長い横揺れに「果して老朽化した我が家は耐えられるか?」と一瞬不安な思いが脳裏をよぎたほどだった。

世界全体の発生地震の18.5%が、同じく1%弱しか占めない日本の国土で起きているという事実が示す通り、世界有数の地震国に住む我々が、いつなんどきその災禍に遭うかは神のみぞ知る事柄なのだが、今回の地震で不幸にも亡くなられた人や、家屋の倒損壊により、今後の生活困難を余儀なくされた多くの方々へと思いを馳せる時、「神様仏様も在ったもんじゃないなぁ」と、天を恨みたくなる思いに駆られるのは小生だけではないだろう・・・。

 

 

報道によれば、被災地では既に復興に向けた動きが始まっているが、元々交通利便性の悪い地域が多く、しかもライフラインが各所で寸断されているため、まだそれが軌道に乗ったと言うにはほど遠いのが実態の様だ。

都市部なら最優先で行われるこれらの復旧工事が、未だ遅々として進まないのはそこに投入される人・物の絶対量が極めて少ないからで、地域格差という”如何ともしがたい差別”がその背景にある。

大規模災害に対して地方行政のやることに限界があるのは仕方ないが、それを肩代わりする国がその責務を充分に果たせてないのが今の現状ではないか?

極論だが、多くの国民に不人気の ”関西万博” に人・物を投入するより、それを被災地の迅速復興へと振り向けた方が、低迷が続く岸田内閣の「支持率回復に寄与するんじゃないか」と、物事を斜視する性癖の小生としては心密かに思っている。

 

さて話は全く変わるが、小生のロードバイク歴も早いもので今年で13年目へと突入することになる。

思い起こせば、1年目はバイク(高いサドルと前傾姿勢)に慣れるのがやっとで、距離も30kmも走れば「良く走ったぁ」という感じだったのが、2年3年と経つとバイクに乗る頻度も増えて、1回の走行距離も70~80kmを無理なく走ることが出来る様になった。

初の100km超えLong rideは4年が経った頃で、数は少ないが150km、200kmと走ったのもその後の数年間のことだ。(今はそんなLong rideにはとんとご無沙汰・・・)

 

通算走行距離が4万km(地球1周回)を超えたのが6年目で、このペース(2~3回/週間のride)でいけば「8万km走破は4~5年先だな」と随分楽観視していたのだが、そんな”捕らぬ狸の皮算用”もその後、左足首の関節症が悪化して2度の手術(脛骨切術と人工関節置換術)を受けることとなって大きく狂ってしまった。

今は3回/2週間の頻度でrideするのが精いっぱい?なので、年間の走行距離は5,000kmを僅かに超えるくらいか?

だがこのペースが維持できれば、今年はちょっと無理でも来年には通算8万kmの大台に乗せることが出来るかも知れない。

或る日の墨俣城伊吹山


そのためには今の基礎体力を保つことが肝要だが、冒頭でも触れたとおり最近では疲れを体感することが多く、先日も妻に「最近妙に動きが爺さんぽくなったね」と言われてしまった。

まぁ自他共に認める”年寄りローディー”と云うことがはっきりした訳で、それを自覚しながら、今年もそこそこ頑張って走ってみますかぁ・・・。

 

 

 

 

 

問題は精神力

 

日本海側の各地に大雪をもたらした寒波が、太平洋側へもその舌を伸ばして濃尾平野の北辺部に今冬初の雪を降らした。

今朝起きがけに居間のカーテンを開けて窓外を見ると、向かいの家の屋根にうっすら雪が積もっており、小生の住む辺りもどうやら夜半に人知れず雪が舞った様だ。

この辺りではクリスマス前に初雪を見ることが多いので「例年通りだな」という感じだが、雪が降ると冬もいよいよ本番と云う訳で、これまで先送りにしていた”或ること”をついにやらなくちゃならない。

 

その”或ること”とは車のタイヤ交換で、夏用から冬用のスタッドレスに替えるのだが、この作業、昔は”大した手間でもない”と思っていたが、歳をとった今ではこれが結構な”重労働”なのだ。

車は小生と妻ので2台あり、計16本のタイヤを脱着・清掃して倉庫に片付ける訳だが、動作が鈍い上に腕力も不足気味(タイヤってこんなに重かったけ?と思うことしきり)おまけに普段とらない姿勢で腰が痛くなり休みながらやるので、結局全ての作業を終えるのに4時間近くかかってしまった。

まだこれまで自前でやってきた色んな事柄を他人に委ねることは無いが、タイヤ交換の苦労からしても、近い将来にはそう云うものが必ず出て来る筈。

歳を重ねる毎に衰える体力知力に”待った”をかける術は無いのかなぁ・・・。

 

 

さて今日は、先回予想外の強風で断念した関ケ原方面へのライドをリベンジすることにした。

多分これが年内最後のライドになると思うが、年初のライドが木曽川CRを犬山方面へと走ったから、奇しくも”東奔西走”してこの1年が終わると云う訳だ。

 

街中を抜けて長良川左岸堤防に出ると、一気に視界が広がって爽快な気分が小生の全身を満たす。

眼に入る景色は走りを助ける栄養剤みたいなもので、視線を遠くへ投げながらペダルを漕げば、不思議と脚が軽快に回り出して気分も上がる。

しかし、西寄りの少し強めの風が吹いており若干不安が募るのも事実で、「風よ止んでくれ」と願うがそれはどうも天に届きそうにない。

まぁ行きの向かい風は帰りの追い風で結局は”行って来い”なんだけど・・・。

目指すはあの山の麓

河渡橋を渡って旧中山道へと走路をとる。

この道は街道沿って続く家並が風を和らげてくれるので、向かい風に抗って走る時には有難い。

安全配慮でスピードを抑える必要があり少し遠回りにもなるが、そんな不満は楽に走れる満足感に比べたらどうってことは無いと独り納得して走る。

 

穂積を過ぎて美江寺近くまで来ると再び視界が大きく開け、進行方向正面に青い池田山とその奥の白い伊吹山の山塊が大きく望めた。

これまで伊吹山の冠雪は降っては消えていたが、この雪は来年4月下旬まで残る根雪になるに違いない。

伊吹山には雪がよく似合うので、「なるべく長く残っていてほしいなぁ」と自分本位に思った次第である。

秀麗な山容の伊吹山には高山の趣が・・・

巣南⇒神戸と旧中山道を辿って赤坂まで来たところで、どういう風の吹き回しか?急に金生山に登る着想が頭に浮かんで(少し思考回路が狂った?)行先変更となった。

(御蔭で西濃鉄道の踏切で、初めて石灰石運搬貨車が通るのを見る幸運?にも恵まれたけどね)

 

子安神社駐車場までの緩坂で坂上がりの脚を造ってからヒルクライムのスタート。

いきなり12~18%で200mほども続く坂なので、ギアは最初から34T×32T(ギア比1.063)にしてユックリ上るが、それでも息が次第に上がって腿もどんどん張ってくるので、少し蛇行気味にして斜度を下げる姑息?な手段に打って出る。

そうこうしてやっとの思いで金生山神社前まで来ると、斜度も緩んで少し楽が出来るが気分的にははやくもギブアップ寸前。

「もうちょっと頑張れるぞ」と自己暗示をかけて先へと進んだが、それも結局は最後の悪あがきに過ぎず、14~23%で更に上へと続く坂を目の当たりにしたところで、ついに我慢の限界が訪れた。

子安神社前から始まる激坂         延々と続く激坂にギブアップ

あと400mほども続く激坂なんて「今の脚力じゃとても無理」と坂を少し下り、展望の良い所で休憩したが、豈図らんや5分も休むと脚の疲れはどこへやら?

どうも問題の本質は脚力というよりも精神力にあったようだ・・・。

石灰プラントの向こうに伊吹山が       金生山中腹からの岐阜市街遠望 

明星輪寺まで行く筈が不甲斐なく終わったので、代償(小生の気分的なものだけど)として昼飯大塚古墳まで足を延ばしてから帰ることにした。

あそこから見る伊吹山もソコソコ絵になって小生は好きだからね。

  昼飯古墳と伊吹山           揖斐川橋梁を渡って帰った

 

 

 

 

 

 

秋と冬の狭間で

 

今更言うのもなんだが、不条理が罷り通るこの世界にやるせなさが募る。

新聞を開くと、目に付くのは各地での紛争やそれに苦しむ人々の動向ばかりで、明るいニュースは殆どない。

ウクライナパレスチナミャンマー、香港等々、強者がその武力を使って弱者を従えようとするのは ”犯罪行為 ” 以外の何物でもないのに、それを皆でこぞって糾弾・阻止できないのは、そこに各々の利害と思惑が絡むからだが、それをうまく調整して収める役割を担う国連が全く機能してないことが、これらの問題の根を一層深くしている。

 

先の大戦から78年を経てもう遠い過去の事績となったその戦勝5ヶ国が、安全保障理事会で拒否権を持つ常任理事国を永続的に続ける陳腐な制度的弊害が、今ここにきて顕著になってきた。

本来、拒否権などと云う国連の合意形成を簡単に反故にする特権は、どの国であっても持つことは許されないものだ。

特に近年は、米国、中国、ロシアが当事者or後ろ盾となる国際紛争が多いだけに、その思いを強くするのは小生だけではあるまい。

 

グローバルサウスの台頭という国際情勢変化を鑑みても、国連は今大きな曲がり角へと差し掛かっているのは確かな事実。

あえて暴論を吐けば、今の安全保障理事会は即刻解体して、新たな理念に基づいた安全保障体制を再構築すべきだろう。

そうしなければ世界の将来は”本当に危うい”ところまで来ている。

 

とまぁ、そんなことをつらつら思うのだが、現実世界は昨日と変わることなく今日明日へと流れていくのは解っている。

それ故に、小生のやるせなさは明日以降も朝新聞を開く度に訪れるのだ・・・。

 

 

さて今日のライドでは、根尾へと向かうことにした。

昨日、市立図書館に向かう道すがら何気に北西方向を望むと、濃尾平野の北西端をから奥美濃へと続く山襞の奥に雪化粧した幾つかの山があり、その中でもひと際白く輝いて能郷白山が見えていた。

その時「もう山は冬だなぁ」の感慨と共に、「これから数か月は根尾方面へは行けなくなるなぁ」との思いが脳裏をよぎり、それで年内最後の根尾行を決めたと云う訳だ。

 

いつもの様にまずは長良川右岸堤防に出てから、広がる視界の中で走行ルートの概略を頭に描く。

河渡⇒北方⇒真桑と走り、古墳公園通りを北上して織部からは根尾川沿いを万代橋へ、その先は右岸沿いに走路を替えて根尾まで走る。

「よしこれで決まりだな」と独り納得してペダルを踏み出す。

天気は雲一つない快晴で、風はほゞ無く気温も快適というか重ね着したウェアでは少し暑いくらいだ。

長良川堤防から根尾方面を望む(右奥の雪山が能郷白山

途中の信号交差点が続く箇所でその都度停止させられイラつきながらも、まぁまぁ順調に走って織部のセメント工場脇まで来た。

此処からは走路も山間の道となるので、車と並走する煩わしさから解放されて走り易くなる。

それにしても対岸の山は随分と削り取られたもんだ。

その昔(小生が高校生の頃)この近くに住む友人を訪ねて来た時分には、まだその山体の大部分が残っていた様に記憶するが、日本の経済成長と軌を一にするセメント需要の高まりと共に、徐々に削られて今の姿になったことを思うと感慨深いものがある。

今は経済的活力を失ってしまった日本だが、またいつの時にかあの時代の再来と云える活況が人々に至福感をもたらす日々が来るのだろうか?・・・。

根尾川に沿って走路は奥へと続く

樽見鉄道のローカルな沿線風景や根尾川の渓谷美へと寄り道しながら、快適にペダルを漕いで鍋原まで走って来たのだが、これから細い山道という所で事態は暗転し、予想外の通行止めに行く手を阻まれた。

「なんだよぉ」と愚痴が口から洩れるが、先に進むには走路を替えるしか手はない。

仕方なく橋を渡ってR-157へ出ると、そこからは山越えの2.5kmの長い上り。

斜度はきつく無いがダラダラ上がるので、根っからの坂嫌いの小生には少なからず嫌な道だけど我慢するしかないと諦めた。

長い上りに比べて下りはアッという間に終わり、「これってちょっと不公平じゃない」と思うのは小生の狭量さの表れか?

  静かな佇まいの高科駅         前方の踏切を気動車が通過した
  陽光に煌めく根尾川渓谷        無情の通行止めに行く手を阻まれる

高尾で根尾川右岸へと戻って(車通りの多い道はあまり走りたくないので)開運橋まで走って来た。

此処からは能郷白山が良く見えるが、まだ遠くにあって満足できないので、今日はもう少し近くまで行くことにした。

多分(近過ぎると前山が隠して見えないので)、根尾谷を馬坂峠への分岐辺りまで詰めれば更に大きく望見することができる筈だ。

根尾谷は能郷白山の麓へと続く(開運橋上から)

根尾谷右岸側は山陰になって少し寒くおまけに路面も濡れていたので、R-157を走れば良かったと後悔しながらも、そこはちょっと意固地になって走り続ける。

と言うのもR-157を走っていては前方視界を塞ぐ山で能郷白山が全く見えないからだ。

 

大井の集落を過ぎて更に奥へと進むと、純白の雪に覆われた能郷白山が随分と間近にと迫ってきた。

この先馬坂峠への登路に入ると山に視界を遮られるので、白山を望見するのはこの辺りが限度、「此処までかぁ」と名残を惜しむ様に暫く山を眺めてから長嶺の集落へと道を下ることにしたのだった。

能郷白山(1,617m)は越美(福井と岐阜)国境山域(両白山地)の最高峰で、その雄大な山容からすれば日本100名山に名を連ねても異論は無いが、深田久弥は何故かこの山を選ばなかった。

陳腐な郷土愛と言われたらそれまでだが、山好きの小生としてはそれが至極残念だ。

大井集落先の林道から望む能郷白山

うすずみ桜の里でトイレ休憩をとってから帰路につくことにした。

ここの日帰り温泉は泉質が良く露天風呂からの眺望も好いので、過去に何度か利用したことがあったが、残念ながらこの3月末で休業になってしまった。

比較的空いているのも小生がここを好む理由だったが、経営的にはそれが休業に至った原因かも知れない?と考えるとちょっと複雑な心境だ。

老朽化等の施設的問題は無さそうなので、今は何はともあれ早く再開して欲しいと手前勝手に思っている。

温泉広場からは雷倉山から馬坂峠にかけての稜線がよく見える

R-157は温見峠を経て大野(福井県)へ至る国道だが、この時期は峠前後の山道が雪で通行困難になるため、樽見から先は車通行が極めて少ない。

そんな訳で、道沿いに残る秋の名残の紅葉を眺めながら走っても危険事態はまず起こら無いので安心だ。

物見遊山気分で樽見⇒高尾と走り、日当トンネルを貫けたところで「さてどうするかな」とこの先の走路を思案。

R-157をこのまま走るか?or金坂峠を越えて里山かおり街道を走るか?だが、往路との重複をなるべく避けるなら後者だなと結論してそちらに向かうことにした。

名残の紅葉に駆け去る秋の風情を惜しんだ・・・

走路の概略が決まれば後は走るだけ。

まだ今日の予定走行距離の1/3ほどが残っているので、ちょっとダレた気分を払拭するべく、ペダルを漕ぐ脚に力を込めて気合を入れた。

   金坂峠を越えて里山かおり街道へ    街道沿いの里山はすっかり冬支度だった 

 

 

 

 

 

 

 

秋色も様々

 

この年末年始も東京から孫達(姉弟)が来るというので、老人世帯にインフルエンザは禁忌とばかりに早速予防接種を受けてきたのだが、それをLINEで次女(姉弟の母親)に知らせると、「二人ともインフルエンザにはもう罹患して治ったので心配は無用」との返事が戻ってきた。

何でも国分寺市辺りではインフルエンザのピークは既に過ぎて、学級閉鎖している学校は無いとのこと。

何事も地方の先を行く?大都会のこと、”然も在りなん”と妙に納得した次第だ。

 

一方お隣の中国では今、子供達の間で呼吸器疾患が急増したり、診断のつかない肺炎のクラスターが発生したりしていて、その病原体について保健当局では、インフルエンザウイルスや呼吸器合胞体ウイルス(RSV)、小児が罹り易い肺炎マイコプラズマ等既知のウイルスとの見解を示している様だが、このWHOへの報告自体も、「本当かな?」と全面的に信用することが出来ないのは、過去(4年前)に新型コロナウイルスの発生を国として隠蔽(その後報告)したことが影響している。

 

最近の中国は、国内での言論統制を一段と強化して、専制主義国家の色合いを更に濃くしているが、これは中国国民にとって不幸なだけにとどまらず、世界中の人々にとっても大きな災いと言える。

その証拠となるのが、今回の新型コロナウイルスによるパンデミックで、武漢で最初の感染爆発が起こった時に、当局が正確な情報を世界へと発信すると共に、内外の協力を得てワクチン開発や防疫措置をおこなっていれば、全世界を巻き込んだ未曾有の大惨禍は防げたかも知れない。

 

今は唯、現在中国で患者急増している呼吸器疾患が、新型コロナパンデミックの再来とならんことを天に祈るのみである・・・。

 

 

さて今日は、美濃市の「大矢田神社の紅葉でも見に行くかぁ」と窓外の天気を観て思いついたので、遅まき(もう10時近い)ながら出掛けることにした。

 

まずは街中を抜けて長良川へと向かう。

岐阜から美濃は長良川に沿って遡上するのが最短なので、小生が美濃方面へと走る場合はこのルートを選択するのが常、走路も車通りの少ない道を選んでいけるのが好い。

長良川河川敷に入ると一気に視界が開けて、その中を疾風を全身に感じながら走るのは実に気分が良いもんだ。

澄み渡った青空を映す清冽な川の流れが、その気分を更に押し上げてくれた。

長良川に沿って金華山の麓へと走る

金華山の麓を抜けて日野辺りまで来ると、景色は変わって山が視界を占める様になる。

この辺りの落葉樹も色付き始めているが、寒暖差が大きくないせいか或いは樹種によるのか、何れにせよあまり綺麗でない(小生の美観だけど)のは少し残念。

まぁどだい、高山地帯の紅葉の色合いを低山地帯で期待するのが”お門違い”なんだろうけど・・・。

この先しばらくは山と川に挟まれた道を行く

更に走って芥見まで来ると、進行方向の正面奥手に中腹まで雪化粧した御嶽山が見え、その実に堂々とした山容に惚れ惚れする。

山登りをしてた頃は残雪期を含めて何度も登った山だが、今はこうして唯遠くから眺めるだけで、正に”御嶽は遠くなりにけり”と云う感じだ。

その左、前山の肩から顔を覗かせるのが乗鞍岳だが、此処からだと白い頂がほんの少し見えるだけ。

小高い所へ上がれば「もっと見えるかな」と思って辺りを見回したが、そんな所は何処にもないので諦めた。

さすがに3千m独立峰の御嶽山は風格がある

千疋⇒武芸と辿って大矢田まで一気に走って来た。

天王山の山懐に在る大矢田神社へと続く長く且つ緩い上りは、走り続けてきた脚に徐々に効いてくるがあと少しの辛抱。

ギアを1段落として、周りの景色に眼をやりながらゆっくり進むと、やがて視線の先に神社の参道が見えてきた。

天王山に向かって緩い登路を行く

楼門の傍らにバイクを預けていざ境内へ。

紅葉見物の人出はソコソコあるのだが、TVで観た有名観光地(京都や高尾山など)の喧噪とは当然雲泥の差。

神域には荘厳・静謐さが不可欠の要素で、行き交う誰もがそれを十分に心得ている様で、紅葉の木々を見上げて静かに楽しむ姿が、小生にはとても好ましく思える。

奥へと進むに連れて、陽光を浴びて紅や黄或いは緑に輝く葉々が、美しい空間を其処 彼処に創り出しており、それを愛でる小生を束の間優しい気分で満たしてくれた。

古色を帯びた楼門をくぐって境内へ
陽光を浴びた紅葉は格段に美しく映える

本来なら長く急な石段を上がり本殿に参拝すべきだが、このところ足の具合がいまいち芳しくないので、ここは神様にお許しを貰って引き返すことにする。(多分だが心根の広いここの神様は笑って許してくれたんじゃないかな?)

帰りは屋台の出店が並ぶ方へ迂回したが、こんなところ(失礼)にも沢山の屋台が出るなんてちょっと意外。

そう言えば昔、親がテキ屋の親分だという知人(本人は親の生業を嫌って普通の会社員になった)がいたが、今頃あの人はどうしているんだろうなぁ・・・。

光と影は紅葉を美しく見せる

紅葉を満喫するため時間を使ったので、帰りはr-94に走路をとって駿速(あくまで小生の主観)で岐阜へと向かうことにした。

しかし、順調に走って加野まで来たところで、そのペースもスローダウンする憂き目に会う、何と番場山が長良川へと迫り出す隘路が土砂崩れで通行止めだ。

「なんてこった」と走路選択の誤りを今更ながらに悔やんだが、後悔先に立たずでもう遅い。

やむなく大きく山を迂回する道へと進み、お陰でペース上げる気力も何処かへ雲散霧消してしまった。

この先で通行止めなんて思いもしなかった(三輪付近)

雄総まで帰って来ると岐阜市街はもう近い。

美濃方面へライドした時の最後の休憩は長良河畔が多いのだが、この時期に「紅葉樹に囲まれた公園を外すのは野暮」と今日は其処へ寄り道。

住宅街の一角にある公園には小生同様に紅葉に吸い寄せられた先客が数人居て、スマホで写真を撮ったりベンチに腰掛けて談笑している。

それを横目に見ながら小生も傍らのベンチで一休み。

イチョウの色付きは少し浅いが、サンカクバフウは綺麗に紅葉しており、その色のグラデーションが何とも目に心地良い。

この景色も12月に入って木枯らしが吹き始めるまでと思うとチョッピリ淋しい気分に なるが、それが季節の移ろいという誰も抗うことの出来ない自然の摂理である・・・。

岐阜市街まであと少し(雄総付近)       明るい公園で最後の休憩  

 

 

 

 

 

 

壊れゆくガイア

 

岐阜市街から御嶽山(岐阜と長野の県境)までは直線で90kmほどあり、金華山などの山に登らないと見えないのだが、丁度手前に高い山が無くて、御嶽山の中腹までが良く見える大通りが近所にある。

昨日そこを通りかかったら御嶽山が白く雪化粧しているのが見えて、山好きの小生にはチョッピリ感動的な景色だった。

例年この時期には山頂付近に雪はあるが、中腹まで白くなることはほゞ無い(と言うか珍しい)ので、一昨日通過した低気圧は季節外れの寒気を日本列島にもたらしたと云うことなのだろう。

(今朝のTVの情報番組でも各地で予期せぬ降雪により混乱が生じたと報じていた)

 

ここ数年”季節外れの云々”と言う言葉を頻繁に聞く様になったが、これらの気象状況が今後も続く(人間の活動が主原因なのでその可能性は極めて高い)とすれば、やがては異常が異常で無くなって(通常への平準化?)季節そのものが変質していくことになるだろう。

その場合、人間は環境の変化に順応して進化してきた種だから、今後もその変化に対応して生きていくことが出来るだろうが、その能力を持たない数多くの生物種には過酷な運命が待っていると言えないだろうか?

 

端的な例が今秋も日本各地で頻発している”クマの人里への出没”だ。

クマだって好き好んで人里へ出て来る筈はなく、生息地の食べ物(木の実など)が異常気象で少ないから、生きるために仕方なく(脂肪を貯めなくちゃ冬眠出来ないもんね)危険な人間の住む人里へと下りて来ているに過ぎない。

知床の海岸を食べ物を探して彷徨う”極度に痩せたヒグマ”の映像は衝撃的だし、北極の海氷が溶けて獲物が捕れず”瘦せ細ったシロクマ”の映像も同様だった。

人間に犠牲を強いられれるクマの悲惨な姿

60年前にレイチェル・カーソンが”沈黙の春”と云う著書で、化学物質による地球環境の汚染に警鐘を鳴らしたが、今やCO2等の温室効果ガスがそれを遥かに超える規模で地球環境を破壊しており、その結果生じる異常気象により幾多の生物種が生存の危機に瀕しているのは周知の事実だ。

果たして人間という一生物に、他の生物種の生死を司る権利があるのだろうか?

地球温暖化を矮小化あるいは否定して、己が経済的な豊かさのみを求める人達に、是非とも質したい問いである・・・。

 

 

さて、この1週間は天候不順(雨・風・寒気)に加えて体調も不良だったので、バイクで何処へも出掛けることなく過ごしてしまった。

最近は1.5回/週(2週間で3回)の頻度で外走りしてるので、ちょっと後ろめたい気分も募ったが「もう無理出来る歳じゃないからな」と自分を都合よく言いくるめて居直った次第だ。

だけど空いた時間?で、Varacan Specialの前輪のチューブ交換と車体の水洗いをやったので、まんざら無為に過ごした訳で無いのが救いかも?

 

此のところ秋冷も本格的になって来たので、次週は近場の ”紅葉の名所” を訪ねたいと 思っているが、果たして天候は小生のささやかな望みを叶えてくれるかなぁ・・・。

色鮮やかな両界山横蔵寺の紅葉(2022年)

 

 

 

 

 

 

 

気儘にサイクリングロード

 

安倍政権や菅政権と違って、国民目線での国政運営をしてくれると、淡い期待を持って見ていた岸田政権だが、その微かな望みもこの2年で跡形も無く潰えてしまった。

財政健全化、物価上昇、賃上げ、少子化等々と喫緊に取り組むべき課題は山積しているのに、この政権は予算の無駄使い(と借金財政の拡大)に走るばかりで、何一つとして有用な施策を施せないでいる。

悲しいかな、国政に無関心な国民が多いのが現状と言えども、これじゃ政権の支持率が下がり続けるのは必然だ。

願わくは、こういう政権は早々に退陣して、真に日本(の国民生活)を豊かにする力量を備えた政権にバトンタッチして欲しいが、今の国会の各党勢力分布や個々の議員の質(最近の不祥事を見てもその資質に疑問符の付く議員のなんと多いことか)を俯瞰する限り、この願いも泡沫夢幻とならざるを得ないだろう。

 

小生の様な老い先短い者には、この国が将来に亘って矮小脆弱化しようとも、その身に及ぶ害は少ないが、現役世代以下の者には、残念ながら苦境の大波となって押し寄せることは避け難い。

そうなるかならないかは、主権者たる国民の意思一つに懸っていることを是非とも自覚して欲しいもんだ・・・。

 

 

さて、今日は久々に青空の広がる好天だが、どうも遠出する気分にならない(足の怪我がちょっと気になる)ので、色々と考えた末に結局、木曽川サイクリングロードを60kmばかり走って”お茶を濁す”ことにした。

 

市街を南に走ってまず向かうのは羽島。

このルートでいつも迷うのは、どっちの橋(尾濃大橋or濃尾大橋)で木曽川を渡るかと云うこと。

濃尾大橋まで脚を伸ばせば、木曽川左岸河川敷に敷設されたサイクリングロード(全長約23km)の始点~終点までを走れるのだが、尾濃大橋だと5kmほどをカットするので、その不完全さがちょっと気に喰わない。(これって小生の陳腐なこだわり?)

「それじゃ四の五の言わずに濃尾じゃないの」と言われそうだが、そうすると、小生のあまり好きじゃない街中での走りが増えるので、それはそれでまた気に入らないのだから困ったもんだ・・・。

とまぁこんなことでクヨクヨ悩んでても所為がないので、両方への分岐に来たところで「えいやぁ!」とばかりに濃尾大橋へとハンドルを切った。

 

尾西でサイクリングロードに入り、此処からは岐阜方面へ戻る形で木曽川沿いを上流へと走る。

これで当面は、背後から忍び寄る車に神経を使う必要が無いので気分はリラックス。

以前ヨーロッパを旅行した時、街道沿いだけでなく街中にも延々と自転車専用道が続くのを何度も見て、その充実ぶりに感嘆したものだが、脱炭素が標榜される時代だけに、エコな乗物である自転車の利用促進に向けて「我が国でも専用道の拡充を図って欲しいもんだ」と現状を憂うる一国民として切に思う。

木曽川サイクリングロードを北上する(一宮市尾西付近)

JRの鉄橋下を通過列車の轟音に吃驚!しながらくぐり、新木曽川橋の先で堤防へと駆け上ると視界が大きく開けた。

うねって流れる木曽川とその奥の青山の連なりが、茫洋とした景色をより一層強調して小生に清々しい解放感を与えてくれる感じ。

遠くに見える御嶽山の山頂辺りが白くなっており、「いよいよ秋が深まってきたなぁ」と独りボソッと呟いた。

サイクリングロードの中でこの辺りの風景が一番好き

138タワーに向かって気持ちよくペダルを漕いでいると、どこから現れたのか?不意にローディーに抜かれた。

脚力(瞬発力)は無いが持続力には自信があった数年前ならスピードを上げて追走するところだが、今はその持続力も無くなったので、遠ざかるその後姿を眼で追いながら、ひたすらに自分のペースを守って走るのみ。

老いると云うことは「出来なくなったことを一つ一つ確認していく道程」と自覚はしているが、やはりそれはそれでとても寂しいことである。

あれぇ、さっき抜いてったローディーはどこへ消えた?

”すいとぴあ江南”まで走って来た。

いつもならこの先で堤防道路に走路を替えて犬山まで走るのだが、今日はそこまで脚を伸ばす気にならない(気分の問題?)ので、扶桑緑地公園で折り返して愛岐大橋を渡り木曽川右岸のサイクリングロードへと向かうことにした。

このサイクリングロードは使い勝手が悪い(多分多くの人がそう思ってる)のであまり走ることは無いが、誰かが走ってやらないと(何で上から目線なの?)寂れる一方なので、ある意味この走路選択は小生の使命感に負うところが大きい。

それにしても、こういう公共物は設計をもっと考えて造ってほしいが、それが出来ずに場当たり的なのはどうしてなんだろうねぇ・・・。

今日は遠くの恵那山まで良く見える

アクアトトぎふ”まで右岸サイクリングロードを走る心算だったが、途中で心変わり(小生にはよくある)して、各務原大橋を渡って川島経由で左岸サイクリングロードへ戻る。

導入路からサイクリングロードへ入ると、何だか ”旧知の友に会った” 感じがして妙に 安らいだ気分になるのは、そこにある景色が馴染み深いものだからなのだろう。

徐々にスピードを上げて快適速度(今の小生の脚力だと25~26km/hr)で巡行すると、風を切って進む肌の感触が至極心地良い。

各務原大橋から望む木曽川上流の風景

笠松湊公園まで戻ってきた。

ベンチに腰掛けて陽光を浴びながら最後の一休み、視線の先でタンポポの綿毛が微かに揺れ、その傍で黄色の花も咲いている。

「ん?タンポポって春じゃなかったっけ?」

どうやら先日までの季節外れの陽気に、タンポポも咲く時期を勘違いした様だ・・・。

  笠松湊の昔を偲ぶ川灯台         タンポポも陽気に騙されたか?

さて、そろそろ帰るとするか。

此処からは街中走行になるので、人と車に気を付けなくっちゃな・・・。

 

 

 

 

 

 

秋景色には・・・

 

新聞を読んでいて気になる記事が目についた。

”蛍光灯の製造終了”とのことで、丸型は2025年にそして直管型は2027年には全ての製造が終了になり、その販売も2030年には禁止になるとの内容だった。

「えぇ、そんなこと初耳!」と驚いたが、それは単に小生が”その動き”に興味?を持たなかっただけで、世間は以前からその前提で進んでいた様だ。

(現に家電量販店の照明器具売り場にはLED照明しか展示されてない)

我が家の照明器具はほゞ全て水銀封入蛍光灯なので、これから順次入れ替えていくしかないが、廃棄処理の厳格化を考えるとあまり悠長には構えてはいられないのも事実。

悩ましい?問題がまた増えたということか・・・。

 

小生が小学生の頃(もう半世紀以上前になるかぁ)理科実験で水銀をシャーレで転がし遊んだ記憶があるが、それほど当時はいたる所に水銀製品(体温計・消毒薬・化粧品・乾電池など)があった。

水銀中毒である水俣病が世間に認知され始めた頃ではあるが、まだまだそれは他人事でしかなく、学校でさえも水銀の扱いは”ぞんざい”だったということだ。

この水銀に限らず、人体や環境に害を及ぼす物質はこの世の中にいっぱいある。

理想を言えば、それらの全てを無くせれば良いのだろうけれど、経済性や技術の問題でそう簡単にはいかないんだろうなぁ・・・。

 

 

さて今日は、池田から垂井辺りの山辺を走ってみることにした。

このところ季節に合わない暖かい日が続いているが、あの山辺なら「もうそろそろ紅葉の走りが訪れてるかも?」との淡い期待もあっての行先選びと云う訳だ。

長良大橋を渡り、墨俣から結へと美濃路を辿る。

いつもなら、進行方向に池田から伊吹にかけての山並みが見えるが、今日は白いベールで閉ざされた様に霞んでいるので、その景色が不満の小生は「秋の高く澄み渡った空はどこへいった」とブツクサ。

路傍のイチョウ並木は僅かに黄色味を帯びてきているものの、まだ葉緑素の働きは強く全体的には緑色が優勢で、ここでも暖秋?は植物のライフサイクルに大きな影響を与えている様だ。

 黄葉には程遠いイチョウ並木         揖斐川を渡って西へ向かう  

JRの電車と競う様に揖斐川橋梁を渡った後は、平野井川に沿って神戸へと走る。

堤防法面に植えられたコスモスや果樹畑で色づいた次郎柿?、川面に遊ぶマガモ?等に道草しながらも、軽快にペダルを漕いでいくと、先刻まで遠くにあった赤坂の金生山が随分近くなってきた。

バイクで走ることが愉しいのは、その(努力?の)対価がこの様にして、よく判る事象で感じられるからじゃないかと思う。

そんなことやその他諸々の思いを重ねながらなおも走り続けると、微かに汗ばんできた身体が風を感じて、爽やかな心地良さを届けてくれた。

   平野井川堤のコスモス       秋の味覚柿もようやく色付きはじめた
水面に遊ぶ水鳥に癒される         金生山は逆光に霞んでいた

金生山の麓を北に回り込んで道の駅(池田温泉)へと着いた。

まだそれほど疲れてないが、この後に梅谷越の山登りがある(トンネルもあるが2.1kmと長く走りたくない)ので、ちょっと休んで英気を養うことにした訳だが、ベンチに腰を下ろして視線の先の景色や上空を舞うパラグライダーを眺めていたら、何だかそれが酷く億劫に思えてきてしまった。

「こりゃいかんなぁ」と早々に休憩を切り上げて出発の準備、走り出してしまえばこの怠惰な思いも、やがては噓の様に消えていくだろう・・・。

道の駅の展望スペースで一休み

池田山へのヒルクライムルートを右に分けると、そこからが梅谷越の山道。

細い道の所々が苔生していて、スリップ転倒しない様に注意してゆっくり走るので時間がかかる。

このところ各地でクマが出没して人的被害も出ているが、こんな場所でクマに出くわしたらそれこそ一大事と、辺りを覗いながらの登行が続く。(小心者め!)

標高差150mを20分ほどかけて登り、直ぐ下りに入るとそこも苔道でスピードは厳禁、だけど、この森閑とした山道を味わいながら行くにはその方が好都合でもある。

梅谷越えの山道は杉木立に囲まれて物音一つしない

下り道の中ほど、前方から場違いな車が来た(ほゞ乗用車なんて通らない)ので路肩に寄って待つと、傍で止まった車の老夫婦(といっても多分小生と同年配)が近くの温泉施設の所在を聞いてきた。(あれまぁ)

どうやら池田温泉が行先のようだったので、此処から引き返してトンネルを貫けて行く道順を教えたのだが、なんでまた彼らはこの細い山道に迷い込んだのか?

多分カーナビの指示通りに道を走って来たんだと思うが、機械を100%信用しきるのはあまり得策ではないということの実例なんだろうなぁ。

山越えもトンネルを走れば楽なんだが・・・

梅谷集落まで下ってきたが、此処までの道沿い山野で紅葉の兆しを探したものの、その景色は何処にも無く”まだその時に非ず”の感じ。

これ以上山沿いを走っても同じ景色なので、「まぁ仕方ないな」と諦めてr-53を垂井へと向かった。

 梅谷集落辺りの里山風景         車に注意しながら南へ走る 

垂井からは中山道を辿って赤坂へと走る。

この道は、いにしえとは違って今は幹線道では無いので、車通行が少なく安全に走れるところが小生のお気に入り。

欲を言えば、街道沿いに往時の面影を残す建築物などがあれば、道々眺めて愉しめるのだが、そう云う物が殆んど残ってないのが残念と言えば残念ではある。

青墓(恐ろし気だが吾妻鏡にも載った歴史ある地名)⇒昼飯(ひるめし×ひるい〇)と走って赤坂湊(大正期に栄えた川湊跡)でトイレ休憩。

午後の穏やかな陽ざしの中ベンチに座していると、安穏な気分がどこからともなく押し寄せてきて実にいい感じだ。

緩やかに時が流れる感じの赤坂湊のベンチ